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「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
時々、PCから再読み込みをして下さい。
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2024.06.14(Fri)
現代工芸作品展「不連続の連続」ご案内 2024年 しまんとぴあ開館記念 現代工芸作品展「不連続の連続」田辺陶豊、橋村るみ、橋村一彦 月日:6月28日(金)〜30日(日)
高知県の現代陶芸作家第一人者の故「田辺陶豊」先生と日展や日本現代工芸展でご活躍中の二人の作品を集めた展覧会が、3日間だけ開催されます。 |
2024年 ↑ |
2023.10.30(Mon)
石川充宏先生の作品展(東京)へのご案内
石川充宏作品展(〜鍛金を歩んだ50年〜)
開催 :2023年 10月30日〜11月24日
(ご注意:残念ながら 土,日,祭日は休館です)
会場 :東京、天王洲セントラルタワー 1F・ アートホール
2023.05.06(Sat)
橋村一彦・橋村るみ 現代工芸陶芸作品展
2023.05.02(Tues)
2023年、5月の風を・・・
2023.01.22(Tues)
2023年、太陰暦の謹賀新年
2023年 ↑ |
2022.05.21(Sat)
子にほほゑむ母にすべては涼しき無 髙柳克弘
Amazonに発注した鷹編集長・髙柳克弘さんの第三句集『涼しき無』が到着。出版は、ふらんす堂。装幀は、和兎さん。
2016年から2022年春までの350句を収録。
カバー裏には自選15句が、縦書きで印刷されていた。
まずは、御出版おめでとう!
そして、益々のご活躍を祈念します!
2022.02.01(Tues)
謹賀新年、(旧正月年賀)その1
令和4年2月1日の月齢は、29.4、つまり新月。
太陰暦の正月となりました。
明けましておめでとうございます。
正月でさえお飾りをしない家が多くなり、
旧正月にお飾りをしていると、近所から変な目で見られそうなので、
今年も、玄関先はさっぱりしたものです。
自分に「さあ、今日から一年が始まるぞ」と言い聞かせ、
新たな創作活動に励みます。
2022.02.01(Tues)
旧正月年賀、その2
今年も、インターネット実験をしています。
本日の朝食は、コーヒーとサラダとヨーグルト。
小さなチーズをひとかけら。
昨年は、新型コロナ感染症の予防注射に発熱しましたが、
そのほ かは、いたって健康に過ごしています。
七宝制作に彫金や漆を使った新たな技法を開発中です。
また夜は、市民大学に出かけ惑星や人工衛星の話を聞いたり、
俳句鑑賞も続けてきました。
皆様のご多幸とご健康を祈り上げます。
下のリンク(A)と(B)もお試し下さい。
(注:このページに戻るには、ブラウザの戻るボタンを!)
2022.01.01(Sat)
牧谿の虎濛々と去年今年 飯島晴子 『八頭』
年が改まった。今日より、令和4年(2022年)となる。
私は旧暦主義者なので、2022年2月1日が元日なのだが、
あまりにも世間が騒がしいので、少し目を瞑ることにした。
2022年 |
2021.12.01(Wed)
死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 藤田湘子 『てんてん』
高知城や五台山の紅葉が見頃を迎えている。
花も紅葉も、見頃はほんの1週間。
長くて2週間といったところだろう。木によって開花時期や紅葉の色付加減は異なるが、それらの重なり具合が最も美しくなる期間は毎年限られている。
さて、2020年1月1日から、湘子先生の俳句を選んで鑑賞を試み、WordPressのブログに公開してきたが、
先月の11月24日で、予定の百句鑑賞を達成できた。
そして、今日12月1日、「百句鑑賞を終えて」を発表した。
リンク「藤田湘子の百句鑑賞」
毎週一句鑑賞、2年継続で100句になった。
同時発表してくれた鷹俳句会同人の野本京の協力に感謝したい。
2021.11.17(Wed)
四万十川の沈下橋
【沈下橋を歩いて渡ったことがありますか?】
高知県の西部を流れる四万十川は、昔は「渡川」と呼ばれていた。
ところが、1980年代以降、家庭画報で紹介されたり、テレビやラジオで「日本最後の清流・四万十川」と放送され、四万十川のほうが知名度が高くなり、地元の要望を入れ、1994年7月25日より、正式名称が「四万十川」と変更になった。
長さは196kmと測定され、最も長くなる源流点を探したとのこと。つまり、194kmの吉野川を抜き、どうやら今では四国はおろか、西日本一長い川と呼べるようになったそうだ。
(日本の河川の長さランキング、11位)
しかも、高知県内だけを流れてこの長さなのだから驚く。
また、河口にあたる「中村市」も、2005年4月10日の市町村合併により、今は四万十市となっている。
今年は、なぜか四万十市に縁があり、もう何度も四万十川を横断した。新しくできた橋ばかりではなく、昔からの「沈下橋」をいくつも渡った。また、屋形船で近くまで行って見上げたり、岸の川柳の日陰で風に吹かれながら見惚れたのも新鮮であった。
川幅が広く、立派な橋を掛けるにはあまりにも大変なため、大雨で増水すれば橋の上を水が流れる。そして、潜水しても水流の中で耐えられるように、欄干の無い「沈下橋」(ちんかばし)がいくつも造られた。
四万十川は、支流も多く実際には約60余りの沈下橋があるそうだが、1998年「四万十川沈下橋保存方針」が策定され、そのまとめによれば、市町の道路・農道・林道台帳に記載され管理者がはっきりしているものは、現在、本流に22橋、支流に26橋の合計48橋となっている。
四万十川の河口から順番に、本流の上流へと、
・今成橋(通称:佐田沈下橋)/ 橋長:291.6m
・三里橋(通称:深木沈下橋)/ 橋長:145.8m
・高瀬橋(通称:高瀬沈下橋)/ 橋長:232.3m
・勝間橋(通称:鵜ノ江沈下橋)/ 橋長:171.4m
・屋内大橋(通称:口屋内沈下橋)/橋長:241.3m
しかし、屋内大橋は、2010年8月に橋脚の崩落やひび割れ、路面の陥没が発見され、その後10年あまり通行止めになってしまったのである。
そして、今年のGW初日の4月29日に、やっと復旧した。
ここでは、景観を守りつつ補修強度を高めるための工夫として、新たに橋の裏側に炭素繊維を固定する「アウトプレート工法」が採用されている。(総事業費9億3千万円)
もちろん欄干は無く、一般車両の通行も可能ではあるが、人が何人も歩いていると実に恐ろしい。
なお、河川行政用語では、沈下橋のことを「潜水橋」と呼んでいる。また、通常の橋は「永久橋」や「抜水橋」と呼ばれ、当然ではあるが、増水になっても橋の床板が沈まない高さに設けられている。
四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら
俵 万智
第二歌集「かぜのてのひら」より
俵万智さんの短歌を初めて読んだとき、光の粒が見えるようで、なんて素敵な歌なんだと思った。しかし、「四万十川」と書いて、振り仮名に「しまんと」としてもらえなかったのが、残念でたまらなかった。
2021.05.05(Wed)
鷹との出会い「約束の例句」
「俳句ができないのよねえ」と、クラシック喫茶『リベルテ』のママ、大野稜子さんが嘆いていた。仕事の昼休みにコーヒーを飲みに出かけた時のことである。
「貴方がいつも好きだと言っている塚本邦雄が、この鷹の雑誌に連載してるわよ」と、手渡してくれた。
あれは、もうXX年も前のこと。鷹には、「詩趣酣々」と題した読応えのあるエッセイが載っていた。鷹編集長は、「永島靖子」さんであった。
誰に習った訳でもないが、夕方までに、塚本風短歌の上の句のような十句をさらりと仕上げ、江戸千家の看板を掲げた大野さんの茶室に届けたのだが、「うーん、ちょっと違うのよね」と、怪訝な顔をしながらお茶を点ててくれた。
翌日、大野さんに俳句を指導しているらしい中年の揚田蒼生さんにその紙を見せ、二句くらいは採れるとの返事であった。
「毎月1回、句会をやってるから、一度見に来てみなさい」とのお誘いも頂いた。
鷹に投句する気持ちなど毛頭無かったのだが、翌年6月、藤田湘子指導高知句会が開催され、句会と懇親会にも出席させてもらった。高知の宴会では、年下から先輩に盃と酒を持ってご挨拶に伺うのが礼儀なのだが、懇親会が始まってすぐ湘子先生が私の席の前に来て座り、「高野素十の俳句はどうだ?」と質問された。しばらく話すと、「今度、俳人の一物俳句の例句を書いてやろう」とまで約束してくれた。
少し経ってから、揚田さん経由で、一枚の紙をもらったが、それは湘子先生からの例句であった。まだ、鷹の会員でも無かった私は、その当時、湘子先生の俳句の良さが全く分からなかった。しかし、流石にここまでしてくれる人なら信頼できると思い、その年の11月号から投句を初め、湘子先生亡き後も休みなく継続している。
2021.01.29(Fri)
きらきらと敗れしごとく橇急ぐ 藤田湘子 『白面』
俳句や短歌は縦書きでなければと、今は思う。
俳句初学の頃、横書きで使っていた俳句手帳を湘子先生が覗き込み、「郁摩も横書きなのか・・」と落胆されたのを鮮明に記憶している。
実はその時、隣りにいた当時の鷹編集長の大庭紫峰さんも横書派だったのだから、今の若者は・・・と思われたのだろう。
さて、インターネット技術もかなり進歩し、Webサイト作成にも縦書タグが使えるようになってきた。
(ただし、使い勝手が悪く問題はあるが、そこは目を瞑る)
そこで、元号も改まった令和元年(2019)の秋に思い立ち、湘子先生の俳句鑑賞を試み、昨年(2020)の1月1日から、公開してみようと考えた。(手法は、既存のWordPressを使用とする)
あれこれ試行錯誤したが、結局、ディスクトップとスマートフォン、iPadなどでは表示形式が異なるため、標準では縦書画像を貼り付け、クリックすればPDFで編集した縦書鑑賞文が読めるようにした。
サイト名は、「藤田湘子の百句鑑賞」と決め、毎週一句鑑賞、2年継続できれば100句にはなるだろう。
ただし、ひとりでは怠け心が出て途中で休んでしまいそうなので、鷹俳句会同人の野本京にも鑑賞してもらい、毎週水曜日に2人分を掲載することにした。
2021.01.01(Fri)
謹賀新年
2021年 |
2020.08.14(Fri)
星飛んで木槿も花のをはり頃
藤田湘子
星を見るのが好きである。
星座や天体に詳しい訳ではないが、季節や時間により、さまざまな位置を占め、その輝きを放っている。
もちろん大きな星や惑星がより目に入りやすいが、芥子粒のような小さな光にも魅了される。
2020年8月13日、午後10時過ぎ、自宅近くの公園に出かけ、天を仰いでいると北から南へ、糸を引くように長い流星を一個見ることができた。その前に、短く消えそうなあかりも2つ流れたようにも思えたが、これは確証が持てない。期待に応えた幻影の流星だろう。
8月12日の10時頃が、今年のペルセウス座流星群のピークとされていた。しかし、雲があって諦めた。
そこで、昼間の青空を確かめ、今夜ならと思って出かけたのだが、たった一つでも流れ星を見ることができた幸運に感謝したい。
これまでにも、何度も降るような流星を見てきたのだが、今も飽きることなく夜空を見上げる。天文学者ではないが、夜空の星々を見るのは何と贅沢な遊びだろう。
王侯貴族も庶民も、健常者にも病人にも、全て等しく降り注ぐ光があるこの地上の平安を祈らずにはいられない。
2020.08.07(Fri)
歌なすはこころの疫病遊星にきぞ群靑の水涸れにけり
塚本邦雄
現代歌人「塚本邦雄」が生きていれば、今日、満年齢100歳になっていたはずである。
歌人、尾崎まゆみさんの『レダの靴を履いて』(書肆侃侃房)の後書を読んでいて、
ふと2020年は、塚本邦雄生誕百年にあたると気づき、せめてそれまでには本にしたいとおもいはじめたのが2017年秋。
とある、箇所に行きあたり・・・・なるほど、そんな数え方もあるのかと、バッハやベートーベンの生誕何周年なるを表現を思い出した。
確か、1980年頃の『週刊 サンデー毎日』連載の塚本邦雄生「俳句への扉 句々琳々」の中で、毎週のように詩歌人ばかりか有名人の「生誕忌」が記されていたと記憶する。
私が塚本邦雄先生に直接お目にかかったのは10回にも満たない。
しかし、尾崎まゆみさんは、大阪梅田のカルチャースクール開催の塚本邦雄生「定型詩百年の華」なる講座で毎月一度、1995年の阪神大震災まで十年余り、
「塚本邦雄その人から、短歌への、そうして言葉への情熱のシャワーを浴びるたびに、生き返ったような心地がしました。」
と、幸せな時間を過ごしていたようで、実に羨ましい。
そして、残念なことが一つ。
Google検索によれば、
昨今の新型コロナウイルス感染者拡大によって、今年開催予定だった玲瓏『塚本邦雄生誕百年記念會』も、来年の 2021年5月30日(日曜日)に延期になったようだ。
ただし、この事案も、新型コロナワクチンが開発され、疫病拡大が終熄すればのはなしではある。天なるものに、この世が平安を取り戻すのを願う他に、今の私には何の力もない。
2020.03.30(Fri)
あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく滿ちたり
塚本邦雄
文庫版『塚本邦雄全歌集 第四巻』より
塚本コレクターの私は、歌集も全集も評論もほとんど持っているのに、それでも新装文庫が出るとまた欲しくなる。
2020年 |
2019.09.17(Tue)
鳥居数
辞書を眺めていると、思いも掛けない事象の解説に行き当たることがあって楽しい。
今朝開いたMacの電子辞書(Dictionary.app)には、
「鳥居」の〈子項目〉に、「鳥居数(とりいかず)」があり、
はて、これは何の事? と、次へ進んでみると、
本意として、「経験の数。場数。年功」とあるのだが、
その前説として、
〔狐が稲荷大明神になるために何度も鳥居を飛び越えるという俗信から〕とあった。
ホホーと、うっかり納得してしまいそうな話をどこからか引用している。
キツネって、経験を積むとお稲荷様になれるんだろうか?
だから、あちらこちらの稲荷神社には、赤い鳥居がやたらに多く立っていたりするんだろうか?
例えば、京都の伏見稲荷大社の祭神は、宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)他、四神。
(ただし、出処不明は、不都合のため隠されたに違いない)
わたくしは、あのお稲荷さんの鳥居が苦手である。
普通の鳥居はそれほどでもないのだが、寄進者の個人名が仰々しく書かれた赤い鳥居を潜ると、罪や穢れ、怨念を身に受けてしまいそうな嫌悪感が背筋を走り降りてくるのだ。
鳥居(トリヰ)は、内と外との結界である。
ある種の井戸(ヰド)、此岸と彼岸を行き来する境界の標識でもある。次元の穴や、タイムトンネルの出入り口に思えるときもある。
生身のカラダを持たない白狐が、軽々と鳥居を飛び越える様は、確かに何かの比喩。豊作をもたらす稲成より、年貢を取り立て、タカミクラに稲荷として集荷する御触れの使者のイメージかもしれない。
そして、最も興味を惹かれたのが下の一文。
「当今関東の本多佐渡と,鳥居数争ふ古狐」〈桐一葉 • 坪内逍遥〉
本多佐渡とは、戦国時代から江戸時代初期の武将・大名、本多佐渡守正信(まさのぶ)。
家康の家臣の一人で、家康より4歳年上。家康の死後数ヶ月で亡くなっている。ただ、戦国武将にしては、随分な長生き(78歳)。
そして、家康、秀忠の元、江戸幕府の老中まで勤めている。
逍遥脚本の歌舞伎『桐一葉』(1894年、明治27年)には、
主人公、豊臣家の忠臣・片桐且元(かつもと)に、こんなセリフが出てくる場面があったのだろうか?
『桐一葉』の劇場中継をテレビで見た記憶はあるのだが、残念ながら内容はほとんど忘れてしまっている。
A straw shows which way the wind blows.
(一本の藁を見れば、風の向きがわかる)
桐一葉落ちて天下の秋を知る
(一枚の青桐の葉。他の木より早く落葉する青桐の葉一枚から秋の来たのを知る)
一葉落ちて天下の秋を知る
〔『淮南子・説山訓』「見二一葉落一,而知二歳之将一レ暮」〕
(青桐(あおぎり)の一葉が落ちるのを見て,秋の訪れを知る。
小さな前触れによって将来のなりゆき,衰亡のきざしを察する)
かつて、松山の古書店「坊ちゃん書房」にて入手した高浜虚子の句集『五百句』には、次のような名句も掲載されている。
2019.08.02(Fri)
身をそらす虹の
絶巓
処刑台
高柳重信
『俳句研究』の編集長でもあった俳人高柳重信は、分かち書き(多行形式)の名句をいくつも残した。
しかし、無季の俳句も多く、掲句は「虹」の季語により夏にも分類できるが、全く季語など信頼せず、現代詩を書くように心に残る短詩を詠んでいたとも推察される。
そして、わたくしの短歌の師、塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』(1951年、昭和26年刊)120部発行の印刷者も高柳重信であり、表紙色こそ異なるが、高柳重信の第一句集『蕗子』(1950年、昭和25年刊)と同じ装幀の袋綴和装本である。
2019.07.20(Sat)
白楽茶碗 銘「不二山」
国宝の白楽茶碗を見た。
茶碗を見に出かけたわけではないが、時間つぶしに立ち寄ったサンリツ服部美術館にそれはあった。
実物を見るのは初めて。しかし、雑誌や美術書で何度も何度も見ている茶碗である。ところが、さすがに印象が違う。
「あれ、なにか可怪しい。こんなに横幅が狭かっただろうか?」
茶碗は、本阿弥光悦による手捻、銘「不二山」。
一碗だけガラスケースの中に入り、四方を巡回してゆっくりと鑑賞することができた。しかも、他に鑑賞客が居らず、広い空間はひっそりして、初老の警備員がひとり座っているだけ。何とも贅沢な時間であった。
2019.07.08(Mon)
鷹姉兄の二冊
わたくしの俳句の師は、藤田湘子である。
藤田湘子先生の縁により、今も鷹俳句会の大姉兄の皆様から、
様々なご恩を賜っている。
奇しくも新暦7月7日、同日発行の最新ご著作2冊をご恵送頂いた。
(注:2019年7月7日は、鷹俳句会55周年記念大会)
1冊は、永島靖子さまより、『冬の落暉を』 邑書林発行。
表紙は、作者撮影のフランス、ブルゴーニュ地方の風景。
これまで知らなかった鷹入会前後の様子がありありと目に浮かぶ。
私の鷹誌への初投句が、1980年11月号。永島靖子さんは、この11月号まで約10年間、編集部員や編集長をされ、後任の大庭紫逢編集長へとバトンタッチされた。
私の短歌の師、塚本邦雄。そして「琴座(りらざ)」に拙句を取り上げ、ご批評下さった永田耕衣翁に直接ご紹介いただいたのも永島靖子様である。
2019.04.03(Wed)
究極は一音
婦人画報4月号をめくっていたら、「武満 徹」の名前に目が止まった。
2019年 |
2018.07.20(Fri)
葛の花
この暑さの中、昨日は、久しぶりに牧野植物園のランチへ。
冷房の効いたレストランからウッドデッキを見ていると、青蜥蜴が一匹現れ、ウロウロと何か餌を探している素ぶり。居なくなったと思ったらまた現れ、何か芝居でも見せられている気分になった。
食後に日陰を少し歩く。
本館のテラスの柵には葛が巻きついている。ふと見れば何気ない葛だが、ここのクズは白花の咲く珍しい品種。
山野に自生する「葛」は、普通は8月から9月に濃紫の穂状花序を付ける。そこで、「葛の花」は、秋の七草のひとつとして、ホトトギス歳時記では9月、秋の代表的な季語として知られている。
また、Wikipediaの解説によれば、花色には変異がみられ、白いものを「シロバナクズ」と呼ぶとのこと。
ちなみに、7月中旬でありながら、牧野植物園のシロバナクズは、もう終わりに近かった。
昨日(2018.07.19)の高知市の最高気温は、32 ℃、湿度83%。
こんな時には、あまり出かけてはいけない。熱中症にご注意、ご注意。
2018年 |
2017.11.07(Tues)
仏の真言は、パスワード
この世界は、コンピューターの記憶(ROM)と創造領域(RAM)のようなものと感じつつ、目を閉じるとあらゆる仏像のイメージが飛び込んできた。
つまり、幾つもの宇宙に偏在するコンピューターに付けられた名前が仏像の梵名であり、そのコンピュータにログインするためのパスワードが真言なのだと思えてきた。
例えば、私の愛用Macには、昔から孔雀明王(マハーマーユーリ)「mayuria」と名付け、パスワードは「xxxxxxxx」としていたが、本来なら「オン マユラ キランディ ソワカ」とするべきだったのだろう。
そうすれば、インターネットにログイン後の世界が、もっともっと広がっていたに違いない。
2017.04.05(Wed)
桜の季節
東京の上野恩賜公園の桜が満開になったというのに、
なぜか高知の桜(ソメイヨシノ)は、まだ開き始めたところ。
例年なら、花見に出かけているが、
今年は、公園を散歩しながら、さてどうしようと思案中。
さて、随分古いWeb日誌も残しているが、
「不連続日誌・総合検索版」の検索機能が公開当時のままであった。
いつか、Googleの仕様変更に対応できなくなっていたようだ。
自分用にサイト内検索ができるよう、少し改定。
あまり役立つとも思えない。しかし、古い日誌のどこに何が書いてあったか、年月日探索の参考くらいにはなる。
例えば、塚本邦雄先生の「邦雄」とでも入れると・・・
今なら「Wordpress」を使って簡単に日誌もできるのだが、古い日誌をその中に書き直すのは大変なので、現状維持で居ようと思う。
忘れた頃に、古いページと記憶につながる今生の不思議。
m(_ _)m 感謝
2017.01.28(Sat)
謹賀新年、その3(旧正月年賀)
やっと旧正月となりました。
皆さま、明けましておめでとうございます。
最近は旧正月にお飾りをしていると変な目で見られそうなので、玄関先もさっぱりしたものです。
気持ちだけ、「さあ、今日から一年が始まるぞ」と思いながら、
健康に気をつけ、新たな創作活動に励みます。
昨日は、宝石サンゴの審査会に出席しました。
残念ながら昨年よりかなり出展数が減っていましたが、中には見るべきものもありました。ただ、審査会で最高賞を受賞しようとするなら、単なる商品ではなく、もう一段、何か工夫が無いと入賞に押す気にならないのが心情です。
例えば数年前に最高賞を受賞した人の出品作品などは、そのイメージも強く残り、毎年、その亜流を出してきても、果たしてそれが受賞とはなりません。審査しながら、自分の態度を戒めるいい機会であったと考え、新たな構想を練り上げたいと考えています。
さて、今年も年賀用のWebレターを送信しようと考えましたが、日本郵政のフォントの種類や画像解像度、編集機能に納得できませんでした。
そこで、期限付きで下のリンクを公開します。
◆ 太陰暦 謹賀新年 -- 2017news(PDF)
本年のご多幸とご健康を祈り上げます。
2017.01.07(Sat)
謹賀新年、その2
インターネットの新しいツールの実験をしています。
本日の朝食はサラダとコーヒー。そして夕食に七草粥をいただきました。
自分で一からプログラムを修正するのは苦労しますが、新ツールを使うと
事もなくアニメーションまでプログラミングしてくれます。
普段はエディタで、ことこと打ち込んでいるのですが、その何分の、いや何日分にもなる操作を、立ち所に解決してくれます。
かつて何十万円もした「ディレクター」、ジョブスも嫌った「フラッシュ」、
それが数千円のアプリで可能になり、HTML5基準のプログラムとして書き出してくれます。
たとえば、下のリンクでお試し下さい。
マニュアルビデオを見ながら作った画面です。
◆ お試し画面「IAM」(HTML5準拠)
(注:なお、このページに戻るには、ブラウザの戻るボタンをご利用ください)
2017.01.01(Sun)
謹賀新年
2016年の9月1日、公式URLを変更しました。
すでに新ページをお読み頂いている場合は問題ありませんが、
いずれ、旧ページは閉鎖します。
ご確認のために、下記リンクより、再度ご利用下さい。
2017年 |
2016.09.01(Thu)
URLの更新
9月1日より、公式URLの変更と更新を行いました。
すでに新ページをお読み頂いている場合は問題ありませんが、
いずれ旧・公式ページは閉鎖しますのでご了承下さい。
ご確認のために、下記リンクより、再度ご利用下さい。
2016年 |
2015.01.02(Fri)
平平凡凡
2015年、本年も宜しくお願い申し上げます。
2015年 |
2014.01.01(Wed)
謹賀新年 ー 「天下異変より部分」
例年のことですが、日本の季節感を大切にするため、年賀状は太陰暦正月(旧正月)に出しています。
ところが、太陽暦正月に頂く方ばかりなので、ご挨拶が遅れ申し訳ありません。
そこで、今年もWEB年賀状を公開して、新年のごあいさつとさせていただきます。
2014年、本年も宜しくお願い申し上げます。
2014年 |
2013.12.30(Mon)
A7チップ
コンピュータの心臓部分ともいえるプロセッサ(命令処理装置)の能力を言い表す言葉に64ビット(64bit)がある。
初期の4ビット、8ビット、16ビット、32ビットと進化してきて、64ビット、128ビットなどへと、次々と一般社会にも実用化され始めた。
そう、私のあこがれは、1960年代から一部のスーパーコンピューターで使われていた64ビットを、パソコンや携帯端末で自由に利用することであった。
30年ばかり前、そんな話をPC同好会で披露すると、そんな夢のような話は信じられないと仲間達に大笑いされたものだった。当時は32ビットの大型ミニコンでさえ、冷暖房完備の部屋があてがわれ、今ならどんなパソコンでもできるような多変量解析などに重宝されていたのだから。
しかし、先日手にしたアップルの 「 iPad mini 」は、64ビットである。
(64ビットアーキテクチャ搭載A7チップ)
A7チップと呼ばれる心臓部を本体に納め、薄さ7.5mm、重さ331g、つまり缶ビール一本より少し軽い、B6版ノートくらいのものだ。
それなのに、シリ(Siri)と呼ばれる女性秘書が内部で働いているようで、明日の天気や道路案内、カレンダーの会議予約や母の誕生日や夜空の星の情報などなど、口頭で尋ねれば、実に素早く、簡単に答えを教えてくれるのである。
ついでに、藤田湘子先生の俳句を尋ねたらすらすらと答えてくれるようになると申し分ないのだが、その点は、もう少し学習してかららしい・・・
(ただし、湘子のウィキペディア情報や関連写真を示してくれた)
ちなみに、A7の設計はアメリカのアップル( Apple Inc.)。製造は、メイド イン 韓国のサムスン電子とのこと。旧仮名や正字の日本語の発音に慣れるまで、きっと数年がかかるのだろう。
日本人の私たちだって、俳句の旧仮名には随分手間取っているのだから。
2013.11.25(Mon)
TCP/IP、それが問題だった
私の家には、過去の遺物のようなMacが、何台も転がっている。
もう廃棄して当然と思われるようなシロモノだが、
最新機種にも及ばないような、とても便利なソフトがあって、
どうしても使いたいような場面に遭遇する。
先日も、久しぶりに電源を繋ぎ、日時を再設定し、目的画像を作成。
さて、そこで日常マシンにファイル転送しようとしたのだが、
イーサネットで繋げようとしても、通信機能が全く働かない。
おいおい、半年前まで動いていたではないか・・・
こうなっては、太古の単独マシン状態。
以前は、ネットワークが備わっていなかった。
全くファイル転送の手段が思い浮かばない。
フロッピーディスクも、コンパクトディスクも、
USBメモリも、ハードディスクも、
あらゆるソケットやケーブル形状が違っていて繋がらない。
あ〜、折角作ったデータが、このままでは無駄になる。
あれこれ思案のあげく、Macシステムファイルの初期ファイルから「TCP/IP」のプリファレンスをゴミ箱に捨て、再度、TCP/IPのサーバー登録(日常マシンからサーバー名を探して)を実行。
再起動すると、あれあれ、嘘のように簡単に、イーサネットに繋がった。
なぜこんなことが?
理由はわからない。しかし、普段あまりにも使わなすぎるので、旧型マシンがスネてしまったとか、思いつかない。
インターネット・プロトコル・スイート。
インターネットの黎明期に定義され、今も標準的に用いられている2つのプロトコル、Transmission Control Protocol (TCP) とInternet Protocol (IP) にちなんで、TCP/IPプロトコル・スイートと呼ばれている。
この発明の偉大さを、久しぶりに実感させられた一日だった。
2013.10.07(Mon)
三善晃、チェロ協奏曲
現代作曲家、三善晃さんが、10月4日に心不全で亡くなった。
今となってはそれほど驚かないが、武満徹の作品などと共に、
背筋の痺れるような感覚の現代曲として、
初めてレコードに針を下ろして以来、何度繰り返して聴いたことだろう。
「現代日本の三大協奏曲」の1曲。2枚組LP版、77年発売。
○ 間宮芳生のヴァイオリン協奏曲 海野義雄(ヴァイオリン)
○ 矢代秋雄 のピアノ協奏曲 中村紘子(ピアノ)
○ 三善晃 のチェロ協奏曲 堤剛(チェロ)
途中から、CDを購入、しかし、レコードがいい。愛聴曲のひとつ。
チェロ協奏曲第1番
作曲:三善晃
指揮:渡邉暁雄
演奏:東京都交響楽団 チェロは、堤剛。
2013.09.14(Sat)
律儀な彼岸花
昨年の今頃もそうだったが、秋のお彼岸が近付くと、律儀に花を付ける。
まだまだ秋暑しといった日中温度なのだが、温度など問題外、日照時間が最優先の花なのである。
ここ数日、救急病院を梯子の梯子の梯子をしたり、やや不安定な毎日。
しかし、日本の医療制度はどうなっているのだろう?
日赤の救急室に駆け込んでも、医師が一人しかいなくて、2時間以上待たされると言うし、救急情報センターに教えられた病院に相談、移動しても、医師の交代時間で、救急医師が30分以上待っても見てくれる保証はないと突き放される。時間が来れば、専門外の夜勤担当医師に変わってしまうとのこと。
次の救急病院でも、医師は患者の脈を取るより、パソコン画面の入力のほうが大事といった様子・・・
聴診器を肩に掛けるより、ヘッドセットでも耳と口に付け、診断状況を口頭で語り、音声自動文字変換でカルテ作成させるくらいの工夫がどうしてできないのだろうかと、理解に苦しむ。
医療制度の問題で、ハコモノの病院施設は大きくなっても、それを維持運用する医師の数や能力が不足するのは本末転倒のオカシナ話である。
すでに医療免許制度があるために、医は仁術と考える医師や看護士、役人はその改革さえできなくなってしまったとしたら、悲しいとしか言いようが無い。
彼岸花のような律儀な医者にめぐりあえる日は来るのだろうか。
2013.09.06(Fri)
あとどれくらい、袋にとじてもらえるだろうか… 壇蜜
壇蜜と志村けんのコントに思わず笑ってしまった。
そこで、「壇蜜」で検索して、Amebaに「黒髪の白拍子」なるブログを発見。
文章が実にうまい。ゴーストライターがやはり居るのだろうか?
以下、引用です。
===============================
ノータイムノーハリー。
2013-09-02 22:19:00
テーマ:ブログ
とある衣装スタッフさんが
「私あとどれくらい針に糸通すのかしら」と何気なくおっしゃっていました。
「あとどれくらい〜したら…」という気持ちは時々自分の中に浮かび上がります。もちろん、答えは分かりませんし考えるだけムダと言われることもありますが、特に天命に関することは「あと」を考えます。
「あとどれくらい、袋にとじてもらえるだろうか…」
明日滅びるかもしれないなら、何でもできると考える32才も、時々明日より後日の事を思う日もあります。
袋とじとか、冷蔵庫に入れたブドウはあと何日もつだろうか、とかね。
===============================
http://ameblo.jp/sizuka-ryu/entry-11605427614.html
以上
週刊誌や月刊誌の「袋とじ」になれる自分の鮮度を冷静に視ている壇蜜がいる。
この一言で、「袋とじ」にされた女優やアイドルの美しい肢体だけではなく、そのモデルの撮影時の頭の中を想像する楽しみが増えた瞬間だった。
もちろん、カメラマンやメイクアップアーチスト、助手の頭の中も忘れずに。
2013.07.15(Mon)
「第26回 カレントクラフト展」に出品
毎年夏の恒例行事となった「現代の工芸 カレントクラフト展」も26回目を迎えました。
高知県内在住の工芸作家による展示会ですが、現代工芸展や日展などの全国展に出品した作品を県内でご鑑賞いただこうと始めたものです。
しかし、本当に長く続いたものです。
今年は14名、136点、内テーマ競作21点となりました。
わたくしが出品した「えん」をテーマとした作品は、『ENDLESS』です。
現代工芸などの作品と比べるとはるかに小さなサムホールサイズのものですが、
それでも七宝作家の作品としてはかなり大きなものだと思います。
このテーマで、9号か12号の作品も作ってみようかと考えています。
2013.04.22(Mon)
「天下異変(Tenka Ihen)」を出品
今年も日本現代工芸美術展に出品。
本展なので、陳列は656点。上野の東京都美術館、1室から8室まで借り上げとのこと。
本会員として、5室、6室の展示を17日、午後半日だけ手伝う。
腰を痛めないよう、重い作品は皆さんに任せ、作品の所在の確認が主な仕事。室割りの名簿にはあっても、搬入時に別室に紛れ込んで、どこにあるのか分らない作品や他室の作品が紛れ込んでいたり・・・
今年の審査員の方々の指示に従い、少しだけ作品の移動も。
しかし、他室は谷中田美術運送の陳列担当者が次々に壁面に掛けていってくれるのに、5室、6室は最後のようで、内心、間に合うのかとハラハラ。
奥から3番目にあった私の作品の隣スペースに、7室に紛れ込んでいた作品を入れるために、15点以上の作品の幅寄せをしたので、かなり窮屈な展示になってしまった。(指5本、掌分のスペースに)
翌日、開会式に出席すると、昨日通路だった所が閉鎖され、5室から6室への外通路が作られ、奥だと思っていた場所が表側になり、私の「天下異変」が、通路から正面に見える好位置に。皆さん、アリガトウゴザイマシタ!
2013.02.10(Sun)
2013年 太陰暦元旦 謹賀新年
謹みて新年のご祝詞を申し上げます。
百花春至為誰開
年の内に立春を迎え、梅の花も満開。
そうかと思っていたら、急に寒波が襲ってきて
冴返るとは、このことだったろうかと、新ためて自然の営みに思い到る。
何度も愛媛への往復。
2013年は作業がかなり遅れている。
健康に気を付け、何はともあれ、前進あるのみ。
カレントクラフト展の今年のテーマは「えん」と決まった。
太陰暦新年のHP記録(pdf-929KB)
[コンピュータ郵便用に1MB以下に圧縮したため、画像が荒くなっています]
2013.01.30(Thu)
陶芸作家、田辺陶豊( Toho Tanabe )
ずいぶん昔、そう四半世紀以上昔のこと・・・
高知大丸で「現代工芸五人展」を開催した。
東京の「日本現代工芸美術展」に出品していた高知の工芸仲間が集まり、出品作品を中心に、小品も合わせて展示販売しようと考えたのが始まりだった。
陶芸の田辺陶豊、染織の西緑、彫金の岡本玲、染織の川本健次郎、
そして、七宝の轍郁摩だった。
「現代工芸五人展」は、カレントクラフト展へと発展解散した。
しかし、用の目的だけでなく、現代生活にふさわしい工芸美術品を作ろうとする気持ちは今もかわらない。
お互いそれぞれに歳を重ね、全国展に作品を出品しなくなった者もいる。
工芸作品はできなくても、墨絵を楽しんでいた者もいる。
少しずつ、すこしずつ歳をとっていく・・・
陶芸作家、田辺陶豊 が2013年1月29日、午前5時21分に長逝した。
にこやかな笑顔の印象的な、土佐のオヤジであった。
しかし、その目指すものは鋭く、次々と自己改革を行ない、陶土でこのようなものが創れるのかと舌を巻くような作品を示し、毎年私達を驚かせてくれた。
安らかに。そして、その作品たちの永遠ならんことを!!
「風 門」 by Toho Tanabe
2013.01.03(Thu)
麒麟瑞祥ー謹賀新年
短歌や俳句の創作を楽しみ、日本伝統の季節感を大切にするため、年賀状は毎年太陰暦正月に届くように出しています。
しかし、太陽暦正月に頂く方ばかりなので、ご挨拶が遅れるのがこの頃こころ苦しくなりました。
そこで、WEB年賀状を公開して、新年のごあいさつとさせていただきます。
2013年、本年も宜しくお願い申し上げます。
2013年 |
2012.10.01(Mon)
数の命名、無量大数を越えて
台風17号も過ぎ、昨夜は煌煌と輝く仲秋の名月が出ていた。
数の名前は、『塵劫記』による「不可思議」「無量大数(むりょうたいすう)」が最大の単位だと今日まで思っていたが、まだまだその上まで命名されていることを初めて知った。
故人恐るべし!!
詳しくは、下記 youtube映像よりご覧下さい。
無量大数より大きい数の単位 (8分)
2012.09.23(Sun)
秋分の日。赤や白の彼岸花、女郎花がたくさん咲いていた。
古書や雑誌を整理したり、インターネットの古い文章を整理していると、リンク切れになったURLがそのままになっているのに気付くことがある。
たとえば、この不連続日誌【 2001.08.14(Tue) 】 に書いた中にも。
俳句の「十七文字」の話なので、自分のために再掲し、少し加筆しておこう。
(再掲)
====================================
2穣6647杼9365垓0696京2193兆4393億2219万2687
じょう じょ がい けい
折橋雄川
■『算学鉤致』/石黒信由
「十七文字」をキーワードにしてインターネット検索を行ったところ、面白い数字が目に入った。
江戸時代の和算の大家(らしい?)、石黒信由(1760〜1836)の著書「算学鉤致(こうち)」に、門人の折橋雄川が、イロハ47文字の17乗を計算して絵馬に書き、立山の雄山神社に奉納したとのこと。この数字を念のためにコンピュータで検算したところ、有効数字29個、最後の一桁まであっていたそうである。
http://www.ctt.ne.jp/~kino/shuchan/4717/oyajino4717.htm
そんな話題を、富山高校元校長の木下周一がエッセイに書き、文藝春秋社の87年版ベスト・エッセイに収録されている(らしい?)。
私がこの数字を引用したのは覚えるためではない。かつて、そんな計算がされ、今では必要とあらば「インターネット検索」で簡単に取りだせてしまう便利さに、この文章を読む誰かが、また、それを引用するかもしれないと考え、リンク、循環、面識もない人々との文字や数字による触れあいを楽しんでいるのである。
Webサイト「晴雨楽天」の制作者にも感謝しよう。
====================================
(以上)
そして、このリンク切れした内容は、「WaybackMachine」を使って読み出すなら、
http://www.ctt.ne.jp/~kino/shuchan/4717/oyajino4717.htm
から、昔のテキストがそのまま読めるだろう。
私が取り上げた「富山高校元校長の木下周一」先生は、2003年にご逝去されたようで、ご家族が「周知庵(しゅうちあん)」という記録Webサイトを作られていた。
その中の、「4717」に、私が引用したとお知らせした話と内容について、そのまま見る事ができるようになっていた。
「リンク、循環」というのは、実に素晴らしい発明だと今更ながら感心する。
またいつの日か、忘れかけた頃に、このリンク先を確認してみようと思う。
2012.09.05(Wed)
教授会半ばのわれの大くさめ 佐々木敏光
■ 佐々木敏光句集『富士・まぼろしの鷹』/邑書林
1988年作。
俳句初心者の方のために解説すると、「嚔(くさめ)」とは「くしゃみ」のことである。
「くっさめ、くっさめ」などと、音からきたものらしいが、冬の季語でもある。
暖房のあまりきかない会議室で、そう重要でもない議題が延々と続く教授会。
ほとんど発言もせず聞いているだけなのだが、虫の好かない教授もいて、昨夜の湯冷めのせいか、つい大嚔をしてしまった。
反対とは云わないが反対しているような、ちょっと気まずい空気が流れる。
しかし、平凡に終わらせるよりも、釘を刺すような嚔で、とりあえずまわりを睨みつけておけば、あとは粛々と進むだろう。
教授会などそう誰でも出られるものでもないので、佐々木教授の面目がこの一句から窺えるところが楽しい。
今はURLも改変されたが、かの有名な静岡大学の「現代俳句抄」作成者(佐々木敏光氏)が、わたくしと同門の元鷹同人であったことが実に驚きであった。
俳句の兄弟子、故 揚田蒼生さんの句も公開して下さり、心より感謝している。
これまでお会いした記憶はないが、大好きなお酒を控えられ、お元気であることを願うばかりである。
春夕べ海月のごとく富士浮かぶ 佐々木敏光
富士140句の中の一句。
となりに、「遠蛙富士五合目の灯がともる」という句も並んでいた。
だが、これなら作者でなくても詠めそうな気がして、「海月のごとく」を選ばせていただいた。
まさかあの壮大な、日本一の名峰を、誰が「海月のごとく」と喩えるだろう。
しかし、そう詠まれてしまえば、ふわりと富士が浮かび上がるようで新鮮な驚きが湧いてくる。
静岡県の富士宮市にお住まいで、何十年も毎日富士に接し、見上げているからこそこの驚きが生まれてきたのだろう。
「春夕べ」の季節感もふさわしく、富士山頂にかかる雲や麓の雲の姿も感じられ、生き物のようなファンタジックな富士山がせまってくる。
春のやや湿った空気が流れ、山頂が笠雲に包まれたら、明日は雨かもしれない。
豊年や蔵書を売りて本を買う 佐々木敏光
愛書家にとって、蔵書を売るのは身を削がれるような痛みを伴う。
しかし、それでも欲しい本が現れたら、何日も迷い、結局蔵書を手放しても購うしかないのである。知識欲、所有欲とはそんなものだろう。人からみたら他愛無い欲求のひとつなのだろうが、これは生来のものと諦めるしかないのである。
季語の「豊年や」が、少し重い。私なら、一読では含みなさそうな天文の季語を配していただろう。
2012.09.04(Tue)
巣つばめの押し合う頃のひと日雨 正木ゆう子
■角川『俳句』2012年9月号より/ 角川学芸出版
「羽羽」と題する特別作品50句の第2句目。
「ひと日雨」に少し読みつまり「ひとひ・あめ」と読むのかと納得した。
敢えて、すんなり読ませないところが技なのである。
平凡に作句するなら、「押し合う頃や」と切れ字を使うだろう。
しかし、
巣つばめの/押し合う頃の/ひと日/雨
と、「の」を繰り返すことで、今日の「雨」を際立たせている。
それは、さほど強い降りようではなく、二羽の親燕がまだ餌虫を採りに飛び立っていけるほどの小雨なのだろう。「巣つばめ」を描きながら、親燕の慈愛に満ちた飛翔を感じさせる句が深く心に残った。耳をすませば、雨音に混じり、雛鳥たちの餌をねだる鳴き声まで聞こえてくる。
けふ母を死なさむ春日上りけり ゆう子
これは、斎藤茂吉の「赤光」を読むような心地であった。
「我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ」
この歌の次にも「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて・・・」と、
二羽の燕が描かれている。
もうどこも痛まぬ躰花に置く ゆう子
たらちねのははそはのはは母は羽羽
ここでは、「羽羽=大蛇」と理が入っている。大蛇を「羽羽」とは、初めて知った。
母上のご冥福をお祈り申し上げたい。
四万十の亀と生まれてのどかさよ ゆう子
やはらかき蛇の卵を戻し置く
50句後半には高知を訪れた吟行句が並ぶ。人間はいつまでも哀しみだけを引きずっては生きて行けない。四万十川をゆったりと溯っていく亀のように、穏やかに、日々満たされた一生を送りたいものである。
2012.05.05(Sat)
今年の現代工芸美術展に出品した七宝作品「麒麟瑞祥(Kirin Zuisyo)」の全体画像を公開します。
2011年、11月のある夜、わたくしの夢に一頭の瑞祥の兆しとされる麒麟が現れました。そして、天と地を繋ぐものとされる神獸が駆け抜けました。
やはり東日本大震災への思いが強かったのだと思います。
今年こそは、災害や戦、疫病の無い年、復興の年になることを願い原図を仕上げました。
明るい未来であるよう全体を白の多い構成とし、七宝と彫金技法で完成させました。
下の文字をクリックすると表示されます。
「麒麟瑞祥(Kirin Zuisyo)」
2012.05.03(Thu)
川柳の方々に期待すると言うよりも、まっとうな川柳人ならば、その義務と権利として、さしたる内容も持たないくせに乙にとり澄ましている隣人のやや偽善的な真面目顔を笑い飛ばし、批評すべきだと思う。しかし、その矢が心ある俳人の胸深くグサリと突き刺さるかどうかは、川柳人の覚悟や言語感覚の確かさによる・・・
味元昭次
俳句雑誌「蝶」195号、「友人」に望むこと より
高知県佐川町を拠点に活動する味元昭次が代表となった俳句結社誌「蝶」の小特集は「俳句と川柳」であった。
「蝶」の前身の「海嶺」は、高知で昭和51年から発行され、同人誌から主宰誌へと変遷したが、同人や会員を増やしつつある。
引用の「隣人」とは、もちろん「俳句」のこと。昭次は、芭蕉以後、「俳句は人生の真味だとか深淵だとか取り澄まして今日に至っている」と云う。
その功罪はさておき、川柳人への期待という言葉を借りながら、俳句にはもっと笑いや批評が必要だと述べるあたり、前主宰たむらちせい氏から引き継いだ代表としての心構えが坐っている。彼は、「主宰」を使わず、今も「代表」と名乗っている。
特集の「柳人に聞く”貴方にとって俳句とは”・好きな俳句3句」も読み応えのある内容であった。
たとえば、樋口由紀子は、「概念プラス季語の俳句は楽に作ることができる。何よりもわかりやすい。ニーズに合うのだろうか、最近とみに目にするような気がする。俳句の派生商品展開の戦略なのかもしれない。(抜粋)」と指摘する。
否々、それは派生商品展開ではなく、ただ俳句として未熟なだけのこと。
無言館まで一つ空くバスの席 味元昭次
上記の無言館の句、掲載の「信州七句」を合わせて読めば季節は桜の春なのだが、一句だけ抜き出せば、私にはバスの車窓から青空に浮かぶ夏雲が見えた。
土佐では、すでに真夏日もあり、強い光を浴び青葉の深みが増しつつある。
2012.04.18(Wen)
第5 1回日本現代工芸美術展に作品を発送。
開会式に上京する予定でしたが、腰を痛め身体の自由がききません。
作品発送後に油断したのがいけなかったようです。
今年の作品「麒麟瑞祥(Kirin Zuisyo)」の部分を公開。
(七宝と彫金による作品)
2012.03.12(Mon)
出直しの利かぬ初蝶なりとせば 中原道夫
第十句集『天鼠(てんそ)』より
春になれば蝶も生まれる。今年初めて出会う蝶に「初蝶」と呼ぶ俳人のこころの機微。
今年の初蝶は、今、この時しか無いとの覚悟。
すべての出会はそんなもの。それをただ当たり前と思うか、尊い一瞬と思うかで自分の世界は変容する。来年だって初蝶に会えるかもしれないが、それまで自分が生きているあかしは無い。この地球が存在する保証さえないのだから・・・
3.11から1年が経ち、近所の公園では白木蓮が咲き、野苺の花まで咲いていた。
今年の花や蝶は、今しか無いことを忘れずにいたいと思う。
2012.01.01(Sun)
謹賀新年(太陽暦)
2011年は日本にとっても世界にとっても大変な一年でした。
こんな時代に工芸や文芸をメインに活動していいのかと随分悩みましたが、今だからこそ、自分にしかできない創作で貢献できるのではないかと考えました。
昨年に続き、ビット世界の新暦年賀状を作ってみました。
2012年も宜しくお願い申し上げます。
2012年 |
2011.11.30(Wen)
第43回日展(2011年)に、わたくしの七宝作品が展示されています。
「3.11 アイトイノリ」
(サイズ:86x156cm 、25kg )
箱に入れて梱包すると35kg。一人でやっと持ち上げられる重さです。
今年は、3月11日に発生した東北太平洋沖大地震に続き、巨大津波、原発事故、電力不足、放射性物質の空中拡散、原子炉冷却水の海洋放出などなど、「東日本大震災」として、未だに終息の見えない状態にあります。
昨年、二頭の龍を描いたので、今年は別のモチーフで制作するつもりでした。しかし、毎夜、頭に湧き上がってきたのは雲上の龍が地上を見下ろす心配そうな顔でした。
これまでは、七宝工芸独自のガラス光沢のある不透明の朱赤や青紫の鮮烈な色彩が私の特徴でした。しかし、今回は全く違ったもの、赤も青もない、黒の多い画面となりました。
ただ、黒の中には黒で、恐ろしい波頭や眼に見えない放射能を描いています。
一度は描かないと、前に進めないと強く感じられたからです。
題名は、すでに完成させていた金とプラチナ、白と黒で描いた小品「3.11 アイトイノリ」と同じものになりました。小品は、制作段階では「愛する者へ」でしたが、完成寸前に変更しました。
天上界から地上への愛、そして、私や世界中からの祈り、未来への望みがテーマの中心となりました。
12月5日まで、六本木の新国立美術館の会場に展示されています。
2011.08.26(Fri)
8月27日(土)から、9月4日(日)まで、高知市の「かるぽーと」で、第50回記念 日本現代工芸美術展 高知巡回展が始まります。
今春、金沢21世紀美術館で開催された本展終了後、全国7カ所を巡回していますが、高知巡回展は5年ぶりです。
703点の中から、基本巡回作品に四国地区からの出品作品を合わせて109点を陳列しました。(大作ばかりですが、会場が広くゆったりご鑑賞いただけます)
私の作品「存問」も陳列させていただきました。機会があればお立ち寄り下さい。入場料500円ですが、日本芸術院会員はじめ、現存の国内トップレベルの工芸家の皆さんの作品が多数陳列されていますので、きっとご満足いただけるものと確信しております。(高校生以下無料)
また、開催に際して、助成金、企業メセナや個人協賛金を多数賜りましたが、本当に有難うございました。記してお礼申し上げます。
2011.05.05(Thu)
3月11日の東北太平洋沖地震以来、どこか足が地に着かず、そわそわして創作に身が入らないというのが現状です。
非力なわたくしには何もできず、ただまごころをこめて一作一作制作し、多くの方に見て頂くしかないのだと割り切って考えるようにしています。
卒業制作の題名は「祈り」でしたが、どんな作品を作っても、この思いが根底に流れているように今更ながら思えてなりません。
金沢市で開催された「日本現代工芸展」も、急用ができ出席できませんでした。
多くの仲間に会えず、残念でなりません。
七宝作品「存問」(サイズ:156x86cm)の全体画像を公開します。
また、下の画像をクリックすると拡大表示されます。
2011.03.04(Sat)
第50回記念「日本現代工芸美術展」の出品作品を発送して、
ちょっと一息。
今年は、3月16日から、金沢市で本展が開催されます。
そして、8月27日から9月4日まで、高知巡回展が開催されます。
まずは、作品「存問(そんもん)」の部分を公開。
(いつものように、七宝と彫金による作品)
全体像は、展覧会開催に合わせて再アップさせて頂きます。
2011.01.02(Sun)
謹賀新年(太陽暦)
毎年、年賀状は旧暦元旦に出しています。
しかし、多くの方から年賀状を頂くので、ビット世界の新暦年賀状を作ってみました。
2011年も宜しくお願い申し上げます。
なお、太陰暦の元旦は、新暦2月3日(木)になります。
2011年 |
2010.12.12(Sun)
12月5日に今年の「日展」が終了しました。
まだ作品は返送されてきていませんが、会期中に撮影した写真を公開します。
「天山龍脈」(サイズ:86x156cm)
さて、2011年春の日本現代工芸展は、金沢市の21世紀美術館で3月16日から開催されます。
平年より締切りが半月ほど早いので、作品を間に合わせるために逆算して、そろそろ焦り始めました。
2010.10.31(Sun)
今年も日展(第42回)に、七宝壁面作品「天山龍脈」が展示されました。
作品写真は、後日公開させていただきます。
夢の中に現れた二頭の龍を表現してみました。
雄なのか雌なのかは、私にも定かではありません。
中国、いや古代中国の天山からのエネルギーが龍脈となって流れ出し、遥か日本まで繋がり、水の中から湧き上がるイメージ。
龍脈とはエネルギーゾーン、そして、日本各地にあるパワースポット。
それらに共通するのは、眼に見えない力。
昔から語り継がれながら、未だに解明されない力があり、命に何かの作用しているのだと思えてなりません。
作品をご鑑賞下さった方に、何かのエネルギーが伝われば幸いです。
2010.07.20(Tue)
友情の西からのぼり恋人の東へしずむまぶしき馬よ
大滝和子
■『竹とヴィーナス』2007年10月/ 砂子屋書房
現代詩手帳2010年6月号に掲載された黒瀬珂瀾編「ゼロ年代の短歌100選」を読み、最も心に残った歌一首。
残念ながら、大滝和子の歌集は一冊も持っていない。
最近知って驚いたことがある。
理系に弱いある女性が、「月は東に日は西に」の俳句のフレーズは知っていたのだが、これは、「太陽は東から上り、月は西から上る」のだと言ったこと。
天動説なら解るが、地動説は未だに信じられないらしく、簡単に説明できないものは理解してもらえないので、途中で説明をあきらめてしまった。
つまり「教科書に書いてあることなど信じられない」と言われれば、大方のモノゴトは、その根本から説明が必要になり、研究者でもないわたくしには手も足も出なくなってしまうので、話が噛み合ないのは当然という結末。
この歌には、そんな理不尽さなどどうでもいいやと思わせる力がある。
友情も恋人も捨ててしまっても、最後に残るのは「まぶしき馬」だけなのだから。
彼女の師、岡井隆は馬たりえるだろうか?
否、少し違う。それなら、大滝和子の前に立つのはどんな馬だろうか。
2010.04.05(Mon)
今年も春の日本現代工芸美術展に、七宝作品「アルデバランの恋」が展示されました。
アルデバランは、牡牛座のα星。太陽を除けば、地球から見える中で13番目に明るい恒星と言われています。
ギリシャ神話では、最高神ゼウスが、王女エウロパをさらうために変身した純白の雄牛の目の位置に、1等星のアルデバランが輝き、肩には有名なスバルがあります。
ちなみに、彼女はゼウスの子を生み、後にミノス王としてクレタ島を支配します。ヨーロッパ大陸の名前はエウロパから取ったと伝えられています。
幾つになっても、美しいものに恋い焦がれる思いを失いたくないものです。
2010年 |
2009.11.03(Tue)
春の日本現代工芸美術展に、七宝作品「天地創生」が展示され、現代工芸賞を授賞しました。
また、秋の日展には、「迦楼羅転生」が展示されました。
迦楼羅(かるら)は、ガルーダとも呼ばれ、仏法を守護する八部衆のひとつとされています。
地震や疫病、戦争の絶えることないこの世に、人類の救済のため、
火と水の中から幾度となく転生することを願い表現してみました。
2009年 |
2008.04.01(Tue)
日本現代工芸美術展に七宝作品「紐育(New York)」が展示されました。
「紐育」のイメージは、これまでにも何度か習作を重ねたもので、
米国同時多発テロへの追悼の憶いを込めたものです。
星条旗のイメージをあまり強く出したくなかったので、赤と白の
ストライプに、月とも顔ともとれる金色の彫金部分を配しました。
芸術は無力ですが、明日の世界が平和であることを願うばかりです。
2008年 |
2007.12.30(Sun)
本年こそは、富士見書房の「俳句研究賞」に応募して・・・・
と思っていたら、総合誌「俳句研究」が廃刊になってしまいました。
「瑪毘崙50句」をまとめていたのですが残念でなりません。
轍 郁摩
なお、日本現代工芸美術展に七宝作品「瑪毘崙」が展示されました。
「瑪毘崙」のイメージは、バグダットの南100kmくらいにあったと
される古代都市からの連想によるもので、シュメール語で「神の門」と
いう意味があります。
今も言葉や宗教の違いによって、不幸な争いが世界中で起こっています。
平和と鎮魂を願って、「光の塔と時間の断層」をモザイク七宝と彫金技術
で表現してみました。
2007年 |
2006.12.31(Sun)
本年も、富士見書房が募集する「第21回俳句研究賞」に応募して、
「候補作品」に選ばれ、11月号に50句が掲載されました。
轍 郁摩
応募総数296篇。編集部の予選を通過した26編を無記名印刷物にし、
5名の選考委員がを事前に検討して、選考会では2点以上の8篇について
討議された結果、第21回俳句研究賞には、
齋藤朝比古氏の「懸垂」が受賞作となりました。
わたくしの「崑崙」を選んで下さったのは、廣瀬直人氏、大石悦子氏と
高野ムツオ氏でした。
ご講評いただいた5名の選考委員の方々に心より御礼申し上げます。
なお、春の日本現代工芸美術展に七宝作品「崑崙の雪」、そして秋の
日展に七宝作品「崑崙」が展示されました。
「崑崙」のイメージには、中国の崑崙山脈の意味も多少ありますが、
中国伝説の仙女、西王母が育てる不老不死の木の実の成る桃源郷として
時空間を越えた世界のように私の夢に現れたものです。
2006年 |
2005.12.25(Sun)
本年は、富士見書房が募集する「第20回俳句研究賞」に応募して、
「候補作品」に選ばれ、11月号に50句が掲載されました。
「俳句の扉」を開いてご覧下さい。
轍 郁摩
応募総数254篇。編集部の予選を通過した24編を無記名印刷物にし、
4名の選考委員がを事前に検討して、選考会では2点以上の6篇について
討議された結果、第20回俳句研究賞には、
対中いずみ氏の「清水」が受賞作となりました。
わたくしの「不東」を選んで下さったのは、大石悦子氏と中原道夫氏でした。
ご講評いただいた4名の選考委員の方々に心より御礼申し上げます。
なお、「不東」の題は、玄奘三蔵法師が
『求法の目的を果たすまでは長安に帰らぬ・・・』と誓った決意のように
これからもありたいと考えたものです。
2005.03.34(Thu)
世の中ではブログやポッドキャスティングが流行っています。
久しぶりにトップページ項目を変更しました。
「絵葉書の扉」を開いてご覧下さい。
轍 郁摩
絵葉書をご覧になるときは、
いつものようにマウスでクリックする方法が使えますが、
PCの「矢印キー」で移動、
「スペースキー」で拡大、縮小も行えます。
絵葉書の拡大画面からも矢印キーでお試し下さい。
2005年 |
2004.02.18(Tues)
「ああ、知ってる? こいつはね、俺の一番のお気に入りなんだ。
聖なる生き物なんだよ。生草は踏まず、生物を食わず。言ってみりゃ
動物界の神だな」
金原ひとみ
■『蛇にピアス』金原ひとみ/文藝春秋2003年3月号
言葉に飢えた私は、一編の小説であろうとも何か新しいフレーズとの
出合いを楽しみにしている。
麒麟、ここでは一角獣なのだが、「生草は踏まず」と読んだ瞬間
体内を電気が通り抜けていった。
麒麟がまともなモノを食べていないのは何となくそれと察せられたが
足元の草まではそのイメージが結ばれていなかった。
そうなのか・・・生草は踏まないのか・・・
二十歳の二人の芥川賞作家登場も新鮮ではあったが、
この言葉とめぐりあっただけで、小説を読んだ喜びは残った。
舌にピアス穴を明けるなんて痛そうなことは苦手だが、
舌の上に銀のピアス玉を転がすように、何度も言葉を転がして楽しんでいる。
2004年 |
2003.01.12(Sun)
1年と少し、句日記ならぬ言葉日記をつけてみました。
そして、新しいページをまたどこかで開始しています。
Webの海の中をご探索下さい。
轍 郁摩
いつも考えているようで、ぼんやりとしたもの。
その、とらえどころのないものに名付け、言葉にして理解しようとする。
絵画や工芸世界は、イメージを直接表現するだけなのだが、
伝えられないことがなんと多いことだろう。
また、いつか更新される日まで・・・
2003.01.11(Sat)
ラヴチェアー恥ずかしきもの買わせたること深々と腰まで沈む
メイク落としは残していこうこの部屋にリアルすぎない遺品のように
俵 万智
■『短歌』2003年1月号より/ 角川書店
ここには、世界中で起っている戦争も戦闘もない。
ただ自分のまわりのことだけ、それもかなりフィクションに近い
ものがあるだけだろう。
しかし、短歌なんてそんなものでいいのではないか。
どうせ詠ったって、戦争が減るわけでも、経済活動が盛んになる
ものでもない。もっともっと愛や恋を詠って、闘いなんて嫌だと
思うほどに軟弱になればいい。
戦争が人間の歴史なんて言われないように。
2003年 |
2002.07.13(Sat)
確かに新しい領主が新しい土地に入部した際、その名を変えるということが、民衆に支配の交替を告げる最も良い手段であるが、家康は最後までこの「エド」という地名を変えようとはしなかった。
井沢元彦
■週刊紙『週刊ポスト』2002年7月19日号より/小学館
週刊紙に連載されている「逆説の日本史」第486回よりの引用である。徳川家康は「穢土」の名前にこだわったためであると著者はみている。
家康が用いた旗印の一つに「厭離穢土、欣求浄土」を選んだのも、その顕われであると解読する。「江戸」に「穢土」が隠れているとは思いもよらなかった。たまたま地形的に江戸と呼ぶにふさわしい入り江のあった場所くらいにしか考えていなかった。
確か奈良時代から「江戸」と呼ばれていたはずである。その地が俄然注目を浴びたのは、徳川幕府が開かれてからのこと。地名を変えれば歴然として支配者交替を天下に知らしめたはずであるが、やはり仏教的色彩が濃厚に反映していたようである。
2002.07.08(Mon)
情欲の行為とは恥ずべき放蕩三昧に
精神を浪費することであり、また情欲とは
行為にいたるまで偽誓、殺人、悪意に満ち、
野蛮、過激、粗暴、残忍で信頼すべくもない。
ウィリアム・シェイクスピア
■『シェイクスピアのソネット』小田島雄志・訳 山本容子・画/文藝春秋
第129編の冒頭4行。135編や136編は少し過激なので控えておこう。
この原文の『ソネット集』154編が出版されたのは1609年。つまり、日本では江戸時代に入ってすぐの頃だが、人間心理について深く透察する作家はいつの時代にも存在する。
しかし、やはり山本容子の挿絵なしでは、この詩編すべてを読む気力は失せていただろう。詩である以上、どこから読んでもいいのだが、やはり前から読みはじめ、途中で挫折するのはいつものことであった。
手許にあった思潮社の海外詩文庫『シェイクスピア詩集』の翻訳などと読み比べて楽しむのも、私の読書法である。裏返せは翻訳をあまり信用していないからに他ならないのだが。
言葉が精神の現れであるとしたら、情欲は本能の現れだろうか。人間の生存を守るためだけではなく、肉体の快楽のためにもあらゆることが許されるとしたら、放蕩もまた貴種を残すための神の企みかもしれない。
それが浪費だとどうして言えよう。シェイクスピアもそれを先刻承知。「天国とも見える女を避ける道はだれも知らない。」と締めくくっている。
先日、ある先輩俳人に、天真爛漫な俳句を作ってみたいと話した。「恥ずべき放蕩三昧」など、そうあるはずもなく、せめて精神の放蕩三昧に浸ってみようと思う。
2002.07.07(Sun)
この作品は、ものの性質や形態をうたうことから、ものの存在をとらえる作家に成長したことを証明している。だがその当然の帰結として飯島さんは、言葉との果てしない格闘に身を委ねることになった。
藤田湘子
■『飯島晴子全句集』/富士見書房
この作品とは、飯島晴子第一句集『蕨手』におさめられた
一月の畳ひかりて鯉衰ふ
の一句である。句集『蕨手』には、上記の一節が含まれる藤田湘子による序文があるだけで、著者の後書、写真、略歴すら記されていない。
昨年10月に出版された『飯島晴子読本』の中でも読んでいたのだが、こうして全句集にまとめられ、その初めに置かれていることでますます注目せざるを得ない文章となった。つまりこの言葉が飯島晴子論そのものなのである。
私は、塚本邦雄の短歌から入り勉強のため俳句を始めた当初、同感しやすかったのは
天網は冬の菫の匂かな
孔子一行衣服で赭い梨を拭き
百合鴎少年をさし出しにゆく
蛍狩白歯のちからおもふべし
月光の象番にならぬかといふ
などの物語性の強い句であった。そこから離れよう離れようとして、素十や蛇笏を繰り返し読み、ものの存在をなんとか捉えようとしてきたのだが、その決断がゆるむとすぐわかりきった性質や観念を埋め込んで作句してしまうのが常であった。
もう一度、言葉との格闘の道を私も選んでみようと思う。
2002.07.03(Wed)
少なくとも、この祭りを若者の手で開催して、自己表現できれば、何かはきっと変わるだろう、という思いを込めて、「日本は変わる」にしたのです。
長谷川岳
■『YOSAKOIソーラン祭り
街づくりNPOの経営学』坪井善明 長谷川岳/岩波書店
「街は舞台だ 日本は変わる」がこの10年間のテーマ・キャッチフレーズだという。高知の「よさこい祭り」を手本に、仲間たちと北海道に新たな祭りを創出した長谷川岳の思いが語られている。
それは、「日本を変える」でも「日本が変わる」でもない。たった一文字の助詞で大きく意味が変わっていくのである。同書によれば、この言葉は、10年前、北海道知事と高知県橋本知事の対談のサブ・テーマとして当時東京大学4年生であった川竹大輔が創作したとも紹介されている。
言葉にこだわるとは、自分達の思いにこだわることでもある。決まりや規則、法律に縛られるのではなく、それはこころの問題として騙せない拠り所なのである。しかし、普段はそう思わず、何と言葉をおろそかにしていることか。
企画書なるものをでっちあげ、詳細に読みもしない人達にもコピーして配付する愚かさ。それは資源浪費や環境破壊にも繋がるだろう。だからこそ、その企画書の一言には、人を動かす思想が盛りこまれていなければならないはずである。しかも、薄っぺらな思想だけでは人は動かない。
2002.07.01(Mon)
渦巻くはさみし栄螺も星雲も 奧坂まや
■俳句総合誌『俳句研究』2002年7月日号/富士見書房
宇宙創世よりの謎である。
なぜ、渦巻くのであろう。直進すればよさそうなものだが、光りさえも渦巻いている。スピンがかかることによって、重力を振り切るように飛び出すさまは、まさに放蕩息子と同じ、いや、放蕩息子がそれを真似しただけのことではあるが。
奧坂まやの魅力は、直球勝負といった具合に、言葉の力でぐいぐい押し寄せてくるところにある。「3ヶ月連続競詠」の今月の20句も、
打ちゆがむサンドバッグや日の盛
から始まり、重いジャブに頬を何度も打たれ、参りそうなところに、このパンチである。しかし、そのパンチにも情けの優しさがある。もっと非情であれば憎めるものを、「渦巻くはさみし」と強打の一方で、介抱するようなアッパーとも取れる。ストレートというより、やはりアッパーパンチであろう。
眼前にあるのは栄螺だけである。空を見上げても星雲は見えない。いつか見た天体写真の馬頭星雲やマゼラン星雲を想い浮かべながら、この銀河、太陽系、そして、女である自分自身の体内を感じているに違いない。
謎が深まるたびに、俳句が愉しくなる。
2002年 07月 |
2002.06.27(Thur)
古代、大空は空飛ぶ象でいっぱいでした。体があまりに重いため時には木にぶつかり、他の動物たちをびっくりさせていました。
グレゴリー・コルベール
■雑誌『SWITCH』2002年6月日号/スイッチ・パブリッシング
象と少年の写真がある。そして、マッコウクジラの傍で泳いでいる男の、ずいぶん古びて見える写真もある。
ベネツィアのサンマルコ広場を背にした造船所「アルセナーレ」で、7月9日まで、13,000平方メートルの敷地を使って、写真家グレゴリー・コルベールの作品展が開催されていると紹介されていた。
掲出の言葉は、この展示会案内に寄せて書かれた物語とのこと。ある男が、364通の手紙を妻に贈る話がベースらしいが、私の頭の中には、優雅に「空飛ぶ象」の群れが飛び回り、時々ドジな象が樹を薙ぎ倒したりといった風景が浮び、この上なく想像力をかきたててくれた。
大きな和紙に写真プリントしたものとのことではあるが、ゆったりとした時間が流れ、今にも止まりそうに思われるのは、無彩色に近い色彩から来る受ける印象、そして、モチーフの選択の妙によるものであろう。
2002.06.24(Mon)
だから今はまだ安心して子供でいてくれていい。大人になるとは言葉を増やすということなのだから、傍にいてその手伝いもしてやろう。一緒に美しい言葉に出会おう。だからゆっくり大人になれ。
井上すず子
■俳句雑誌『鷹』2002年7月日号/鷹俳句会
思い掛けない言葉に巡り会った。「大人になるとは言葉を増やすこと」とは、実に明快である。「夏の子供」と題するたった1ページの文章なのだが、わが子に話し聞かせるように、自分の腹の中に向っても語り聞かせている。
子育て真っ最中の井上すず子は、きらきらと輝いている。きっと飾らず、子供と真剣に対話しながら生きようとしているからに違いない。明らかに夫に向う時とは異なっているだろう。
2000年、夏、
だいぢやうぶとは涼やかな呪文かな すず子
2001年、冬、
雪はげしかなはねば夢語らざる すず子
2002年、春、
だいじにす雛飾る手もの書く手 すず子
ひらがな一文字もおろそかにせず、わかりやすい言葉で、本気で思いを書きとめている。生きるとは足下をしっかりさせ天を見上げること。しかし止まってはいけない。
すず子は、幸せは「かくも退屈」といい、また「最大公約数的」とも捉える。また一方では、「もう次のしあはせ」を探しに出かけようともする。それはきっと、新しい言葉や感動に出会いたいと常に願い、細胞のひとつひとつが朝起きるたびに敏感に泡立ち、生命感に満ちているからだろう。
2002.06.023(Sun)
「私は、この主人公の女性がとても好きで、自分で演じたのに、何度映画を見ても毎回泣いてしまいます(笑)。」
Cong Li(コン・リー)
■雑誌『婦人公論』2002年5月22日号/中央公論社
篠山紀信の撮った写真が表紙であった。メイクアップか本物か、涙が頬をつたう写真を表紙に使うのも珍しい。
通訳の名前は出ていなかった。したがって、正確な訳ではないかもしれない。しかし、女優コン・リーが、自分で演じ、自分で見て毎回泣いてしまうという感受性の鋭さは伝わってきた。勝ち気そうにも見える女性ではあるが、それは心の強靱さが表に現われた時であり、あらゆる感動に震える心を失わない鎧なのだろう。
映画「きれいなおかあさん」は、スン・ジョウ監督作品。私はまだ見ていない。映画館で予告だけは見たが、泣いてしまいそうな映画は苦手。ただ、コン・リーのスッピンの顔と演技には少し興味がある。
「紅いコーリャン」から、どんどん美しく歳を重ねる感性豊かな女性の今の姿も記憶に留めておきたい。美しさは歳と共に衰えるのが必然だが、それを補うのがこころの豊かさだろう。
「自分自身が納得して、生きていければいいと思います。」とも語っている。
22日、馬と遊ぶ。夏至が過ぎたとは言え、まだまだ日は高かった。
勝負の行方は・・・
2002.06.016(Sun)
戯曲というものは、無限の過去から無限の未来へつながっている時間、また無限定にひろがっている空間、それを限られた上演時間と限られた舞台空間の中に、いわば引きたわめて凝縮的、圧縮的に表現するものなのだ。
木下順二
■日刊『日本經濟新聞』2002年6月16日、40面/日本經濟新聞社
「馬の季節」と題したミニエッセイより。1914年生まれの劇作家、木下順二には、54年の馬との季節が彼の人生の中にあった。450Kg近い馬体の中に凝縮させた力をあやつる技を戯曲にたとえた文章ではあったが、さすがにすべての芸術表現に通じる内容である。
彼の戯曲では、やはり「夕鶴」より「子午線の祀り」が私好みである。時間と空間の概念が明確であり、それをあやつる人間が勝者となるよう美しく描かれている。また、鉄砲がなかった時代の弓矢や刀、鎧兜、馬、船などによる戦が男を際立たせるものであったことを強く感じさせてくれる。
愛媛県の滑床渓谷に遊ぶ。青葉と渓流の音、様々な巨岩を楽しんだ。
2002.06.015(Sat)
あなたなる夜雨の葛のあなたかな 芝不器男
■「日本の詩歌 30俳句集」中央公論社
旧暦5月5日。愛媛県松野町の芝不器男記念館へ。芝不器男は昭和初期、俳壇に彗星のごとく現れ、28歳で夭逝した俳人である。
この町にはあまり知られていないが、つい頭を撫でたくなるほどユニークな狛犬の間を通り抜け、参道のゆるやかな階段を登ると御嶽(みたけ)神社がある。四国あるいは死国の気が集まっている場所のひとつ。社殿の前に伏せられた石は、黄泉の世界との出入口を塞いだ結界である。地霊として異端神とされた神々が暴れると地震が起る。
2002.06.01(Sat)
線香花火の最後の一つの丸い光の固まりのような丸い月が水平線を登って行く。生まれて初めて見る水平線からの月の出だった。
三好伸
■音楽雑誌『LaTina』2002年6月号/ラティーナ
2002年4月26日、ラプラタ川に浮ぶヨットの甲板から、オレンジ色の世界の中で、水面に沈む太陽とその反対側から昇る満月を見た驚きが描き止められている。きっとアルゼンチンのラプラタ川はそんなにも川幅が広いのだろう。河口であったかもしれない。しかし、遠洋航海でもしない限り、月も太陽も、水面から昇り水面にむ姿を見るのは難しい。
私が最後に水平線から昇る満月を見たのはいつのことだろう。
かつて、高知の桂浜から見る十五夜の月を楽しみに行ったことがあるが、思いに反して、眼前の水平線からではなく後ろの松原から昇ったのにがっかりした記憶がある。また、別の所でも海からの満月をと期待したことがあるが、水面近くに雲がただよい、結局、雲から上がる月でしかなかった。
今年のアルゼンチンの「ガルデル音楽賞」では、アルフレッド・カセーロが日本語で歌った「島唄」が最優秀歌曲賞など4部門を獲得した。
そのカセーロが、ヴェノスアイレスを訪れた宮沢和史を案内して、一日だけは仕事をさせない日としていたのが、この26日だった。暦を調べてみると確かに満月。
朝、迎えにきた彼は、普段と変わらぬ格好を見て、
「何だ。その格好は・・・今日は川遊びをするんだぞ」とヘソをまげたそうである。仕事だけではなく、遊びを楽しもうとするラテン気質、そして、自分にとって一番素敵な場所を見せたいという思いが伝わってきた。
掲出は、三好伸の同行取材記事からの引用。
午後、珊瑚工芸家のK宅を訪問。美味しい枇杷をごちそうになった。庭の躑躅に多くの揚羽蝶が集まってきていた。
2002年 06月 |
2002.05.30(Thu)
「だって、マスオ、それは肉体についての印象であって、精神とは関係のないことだろう。肉体の印象にすぎないのだから、ぼくはちっとも気にしないよ。(以下略)」
澁澤龍彦
■『思考する魚Ⅰ』池田満寿夫/角川書店
池田満寿夫が、文章発表以前に澁澤龍彦の意見を聞こうとして電話を掛けた返答である。受話器からは快活な笑い声が響いたとも記されている。
満寿夫はこのとき初めて龍彦の「形体に対する、完全な非偏見さ」に感動して、一文をなしたわけだが、今読み返しても、澁澤龍彦の笑い声や精神の自由さが伝わってきて快い。もちろん、相手に迷惑をかけないか、知人を失いはしないか、千年の悔いを残さないか、と考える満寿夫の神経もやはり彼自身の繊細さによるものである。
初出は「澁澤龍彦集成」第4巻月報・1970年8月とのことで、すでに30年以上昔の話である。澁澤龍彦にも池田満寿夫にも会ったことはない。しかし、そこに愛すべき人間が居た軌跡はしっかりと残されている。
2002.05.27(Mon)
幽かなり嵐のあとの花に鳥 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2002年6月号/鷹俳句会
このように「幽(かす)かなり」で始まる俳句を知らない。「鬼ともなり」の表題で発表された12句の中の1句。一読は一番薄味のように思えたが、再読してこころ惹かれる句となった。
今年の桜は早かった。上京した3月21日には、羽田からのモノレールで満開の桜を見て驚いた記憶がある。しかし、その後、雨が降り、すぐに散ってしまうのではないかと心配もしたが、もう散ってもいいよと思うほどに長く咲いていた。
そんな春嵐後の桜樹に鳥が来て鳴いていたのだろう。事実はそれだけである。また句には、そうしか書かれていない。しかし、何故、こころ惹かれるのかと問われると、嵐や花や鳥に心を寄せる作者が見えるからではなかろうか。幽かなものたち、そのどれもに命の気泡を見い出しているのではなかろうか。
下五にあっさりと「花に鳥」と置いたこれまでの名句も私の微かな記憶には残っていない。本来、具体的な一描写をもって世界を表現する俳句であるが、力のある作者ならでこその抽象化である。これ以上の省略は不可能であろう。
関係ないが、ふと思い出した句、
海へ去る水はるかなり金魚玉 三橋敏雄
耐火煉瓦を24個。どのように並べるか思案。そろそろ銅板焼き鈍しの準備に入った。頭の中に沸き出すイメージの中から、作品に完成させるモノを選びだすのは愉しくも苦しい作業でもある。
2002.05.26(Sun)
世界一ことばの美しい国。
叙情詩人達が哀愁を込めて歌っていた国。
そして長きに渡り人間のいとなみを見つめつづけてきた国。
ポルトガルのリスボンから、すばらしい贈り物が届いた。
小林靖宏
■CD解説『MADREDEUS EXISTER 海と旋律』/東芝EMI
ヴィム・ヴェンダース監督の映画「リスボン物語」が気にいって、サントラ版をはじめ何枚かのCDを繰り返し聴いていた。しかし、あまりにも身近なものだから、グループの名前も歌姫の名前もうろおぼえであったことに先日気付いた。私のために、ここに記して、今後間違わないようにしよう。
グループ名:マドレデウス(MADREDEUS)
ボーカル:テレーザ・サルゲイロ(Teresa Salgueiro)
今、数えると5枚のCDがある。時々出かけるCDショップでは、世界音楽の分野に並べられていていたはずである。
歌詞がポルトガル語であり、歌というより音楽として聞いていたため、歌詞カードが付いていたことさえ忘れていた。確かに日本語訳もある。
「海と旋律」 対訳/国安真奈
一人として戻らぬ
過去に捨て置いたもののところへは
一人として離れぬ
この巨大な輪からは
どこを巡り歩いてきたのか
一人として思い出せぬ
かつて夢みたことであっても
あの少年は歌う
羊飼いの歌を
・・・・・(以下省略)
イエスが十字架上で最後に語った問いかけは何語だったのだろう。
ふと、ポルトガル語のような気がしてならなかった。
時代錯誤も甚だしいが。
2002.05.24(Fri)
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣
■カラー図説『日本大歳時記』/水原秋桜子・加藤楸邨・山本健吉 監修/講談社
句会後、蛞蝓(なめくじ)から蝸牛(かたつむり)に話がひろがり、有名な永田耕衣の一句を披露した。ついでに、句作一年のNさん持参の歳時記を調べてもらったところ、私の暗唱した句と違うではないか。おかしい、これは困る。
角川書店編「合本俳句歳時記」第三版によると、
かたつむりつるめば肉に食ひ入るや
となっている。たった一字と言うなかれ。俳句では一字に命が掛かっているのである。どう考えても納得がいかない。
仲間が、「かたつむりつるめば肉の食ひ入るか」と覚えていたが、これも「か」の疑問形では、「や」のような詠嘆の深みが出ない。
帰宅早々、講談社の「日本大歳時記」を調べると、私の記憶のとおりであった。しかし、朝日文庫の現代俳句の世界13『永田耕衣 秋元不死男 平畑静塔 集』では、
かたつむりつるめば肉の食い入るや
と、「食ひ」が「食い」と旧かなになっていない。元は昭和27年に発行された句集『驢鳴集』であり、残念ながら持っていないので確かめることはできないが、自宅の書庫をかき回し、あと3冊確認してみたが、どれも『日本大歳時記』と同じに表記されていたので、まず間違いはあるまい。
しかし、記憶力の乏しい私が頼りとする歳時記には、是非とも正確な俳句を載せてもらいたいものである。発行部数の少ない句集を手に入れことができない者のために。また、電子化する場合も正確さ最優先でお願いしたい。
快晴。書店を徘徊。
2002.05.23(Thu)
大学で講議をするようになってはっきりわかったのは、美術には垣根がないということ。日本画であれ、油絵、彫刻、工芸であれ、すべて一緒、なにも分ける必要はない。ただ学生には自分がなぜ絵を描かなければならないか、問題意識を持てと言っています。
中島千波
■『中島千波 彩図鑑』/求龍堂
日本画家、中島千波を始めて意識したのは衆生シリーズに出会ったころだった。あきらかに気持の悪い表情をした人物が描かれていて、構図の確かさは気に入ったのだが何故このようなものを描こうとしたのか不可解であった。
今では東京芸術大学教授の肩書も増えているが、美術学部デザイン科教授というのはどうしたことだろう。日本画科教授の空きがなかったためだろうか。
しかし、確かに美術の中に垣根を作るのは私たちである。本来、そんなものは無くても絵も彫刻も工芸も創作活動のひとつであり、ただ素材の違いで便宜上分けられているにすぎない。
私が工芸作品を作る時、すでにCGで下絵は完成している。そのままでもCG作品と呼べなくもないが、やはり七宝に置き換えることによって、より内面で感じているものに近付いていくのは、やはりその質感や色彩、光沢などからくるものであろう。
いつも明確な問題意識を持って作ってはいないが、心地よいだけのものにしないようにと考え、イメージを膨らませている。見た人が、もう一度見てみたいと言ってくれるようなものができれば幸いである。
2002.05.22(Wed)
「わかった!」からと言って、それが事実であるかどうかは、実はわからないのです。わかったと感じるのです。あるいはわからないと感じるのです。
山鳥 重
■『「わかる」とはどういうことか』/筑摩書房
先日、購入したばかりの本を持って、ジーンズを試着していてうっかり忘れてきてしまった。次回立ち寄ると、店員がしっかり記憶していて手渡してくれた。
堅苦しい本の題名から覚えていてくれた訳でもないだろうが、この場合、確かに私が忘れたのは事実であり、他人と区別して記憶の底に整理されていたのだろう。一方、私にとっては女性店員の顔や名前さえおぼつかなく、毎日があいまいなままでも生きていけそうな気がしている。
かつて坂本賢三の『「分ける」こと「わかる」こと』(講談社)では、「わかり合う」とは、相互に相手の分類の仕方がわかり合うことであると解説されていた。
どちらの本にも共通することは、わかるためには「わからない何か」が必要とされる点にある。世界に普遍の真理をわかろうなどと大それた考えはないが、時々、あらゆる物の中に遍在する粒子のような意識がふつふつと湧き顕っててくることがある。
その感覚を言葉でとらえようとしても、ことばにできないのが歯痒い次第である。今、風にそよぐ草の揺れを、その美しさを、誰かにうまく伝える言葉を見つけたいと思う。
2002.05.21(Tues)
「義(ただしい)」は、犠牲として神に捧げる「羊」と、これを切る鋸(のこぎり)「我」の合体した文字。「義」には悲劇がつきまとう。
石川九楊
■『一日一書』/二玄社
見応えのある字があふれている。そして、一字一字に、理知的で瀟洒な解説が添えられている。京都新聞に連載したコラムに加筆したものとのことだが、文字が語り出してきそうである。
また、石川九楊によって抽出された一字一字は、流石にその眼力によりある緊張した空間を醸し出している。ただ、本来文章を構成していたはずの一字だけを取り上げると、形はしっかりしていても寂しそうな印象を受けるのは私だけだろうか。
「義」は、呉の谷朗碑(こくろうひ)、272年、歴史上初の行書体の碑文からの抽出であった。
快晴。I氏の個展作品搬出を手伝う。
2002.05.20(Mon)
日本語変換ソフトに方言の要素を取り込む発想は、それまでタブーであった。すぐれて複雑かつ多重的な文化領域は、一方でどこまでも安易に流れ得る陥穽を伴う。落ちれば文化の破壊者の汚名が浴びせられること必定だ。
斎藤貴男
■『Associe アソシエ』2002年5月号/日経BP社
ジャストシステムが開発した文書作成ソフト「一太郎」の最新バージョンには、今年2月から日本語変換ソフト「ATOK15」が装備されているらしい。これには、方言対応第1弾として、「話し言葉関西モード」が搭載されたとのこと。
まだ使っていないのでその実力は知らない。しかし、方言への取組みは確かに評価されてよい。
ただ、私にとっては、関西モードより土佐モード、そして何より「旧かな正字モード」が欲しいのだが、Macの作業環境マネージャーのように、標準語モードやそれぞれのモードに簡単に切り替えできる機能が付いてくれば申し分ないと思っている。
現代生活者の限り無い欲求すべてに答える必要はないが、日本語の幅を広げるような開発には今後とも積極的に挑戦してもらいたい。文化は因習や規則を破壊したところからしか生まれない。
銅板切断。8M−ADSL回線快適。FTPも問題無し。これで更新が楽になった。
2002.05.08(Wed)
あえて言うなら言葉とは、体内の遺伝子に頼らない遺伝手段である。つまりは親から子へと知識が伝えられる手段である。これにより、人類の作る社会にひとつの知的な伝統が生まれ、それがさらに次々と改良されていくことになった。
桜井邦朋
■『宇宙には意志がある』/徳間書店
言葉を遺伝手段ととらえる発想が新鮮であった。ごくあたりまえの手段だが、人間の体内遺伝子ばかりに気をとられていると、うっかり忘てしまっている。
こうしてインターネットが発達してくると、言葉を文字や画像、音声で保存してものまで利用できるようになり、進化は加速する。本来なら自然淘汰されてしまっているような種でさえ保護され、生かされている。果してこれでいいのかゆっくり考える時間もなく、宇宙膨張のように地球人口も増え続けている。そして、星雲に片寄りがあるのと同じように、人間の富や貧富の片寄りも大きくなりつつある。
自分にとって生きるために必要な最少限のモノは何だろうか。銅板を切りながら、宇宙幻視のイメージがふつふつとわきはじめている。
2002.05.06(Mon)
この神は、高天原神話と出雲神話とをつなぐ橋渡しの役を果している存在であるが、それも両者の単なるメッセンジャーではない。
松前 健
■『日本の神々』/中央公論新社
立夏。愛媛に帰省のおり、5日に伊予三島の瀧神社に参拝。
この3年の間に先代が亡くなり、髭のK神主に代替わりしていた。以前、参詣の帰途、彼が私を追いかけ、交通安全の為の御神札を手渡し、高速道路入口まで道案内してくれた件を話すと私のことを思い出してくれた。
母方の祖父が氏子総代を勤めたことのある神社とは知っていたが、第一番に素盞鳴命(スサノヲノミコト)を守護神として祭っていたのを初めて知った。
松前によれば、「高天原パンテオン」と「出雲パンテオン」の神々の両面性を持つ存在が須佐之男(スサノヲ)と読み解かれている。伊奘諾(伊邪那伎・イザナギ)が、日向の橘の小門の阿波岐原で禊ぎ祓いをした時、左目・右目と鼻から、日・月・素戔鳴の三貴子が生まれた話は有名であるが、これまで素戔鳴にあまり関心がなかっただけに新鮮な驚きがあった。
不思議に思っていた参拝の作法についてK神主に尋ねたところ、「二拝して手を二つ打ち一拝する」のは伊勢神宮系、「二拝して手を四つ打ち一拝する」のは出雲大社系とのことであった。つまり、私はいつも出雲大社系で参拝していたようで、神道によっての違いから、高天原神話と出雲神話までその思いを広げることができた。またゆっくりと、「古事記」や「日本書紀」、「旧事本紀」を繙いてみることにしよう。
2002.05.03(Fri)
玉解いて即ち高き芭蕉かな 高野素十
■『素十・春夏秋冬』高野素十撰/永田書房
ゆったりと散歩。ふと気付けば楝の花がもう咲いている。白というよりは薄紫。
ブロック塀を乗り越え、青柳公園の真中に立って、ゆっくりと360度、カメラアングルを考えながら旋回する。樹々の緑が美しい。思いがけず背の高い樹であったり、枝打ちされたあとが痛々しかったり。しかし、確かに夏の装いに変わっている。
昼前に家人の実家がある夜須町手結漁港へ。ここでも大きな楝の花が咲いていた。鰹のタタキと刺身を堪能。タタキには藁焼きの香りがしっかり残っていた。家の前から海の中を覗きこむと、2cmほどの小魚が無数の群になって固まって泳いでいて、その形と動きを飽かず愉しむことができた。20cmほどの鰡も時々通り過ぎていく。
ふと、船のともづなのあたりに浮いてくるものがあり、一瞬、章魚が泳いでいるのかとも思ったが、どうやらピンクがかった半透明の水母のようでもあり、未だに謎である。しかし、そのスロービデオで映されたような動きと形状がしっかりイメージに焼き付き、これから時々夢に出て来そうである。
2002.05.01(Wen)
同じ空間を他人と共有するには作法が必要で、そんで次の段階に上がるには品が必要になる。
ビートたけし
■雑誌『オブラ』2002年5月号/講談社
特集の「ビートたけしの茶道入門」の中の言葉である。構成は松林隆広とあるところから、インタビュー内容を元に文章を書き起こしたものだろう。
もう4年も前になるらしいが、京都の裏千家15代家元の千宗室を訪ね、茶をふるまわれた場面がTVで放映されたことがあったが、そのときの記憶を思い出しながら多くを語っている。会話調で読みやすく、しかも、ハッとさせられるような内容が随所にちりばめられている。
ビートたけしの荒っぽい表面と、また照れ屋で恥ずかしがり屋の内面が透けて見える。茶の湯の作法が狭い茶室で必要とされるように、私たちの日常には日常の作法が必要とされる。しかし、それだけでは形式としての約束事であり、その上を目指すなら「品格」が大切になる。これは教えられても中々身につくものではない。
品のいい仕種だけではなく、品のいい心根を持ちたいものである。
「われわれは戦後からアメリカ文化を表面的に真似してさ、豊かに、ラクに生きるほうばかり向いて、不自由な中から生まれる文化を捨てちゃったよね。」とも語っている。
4月はほぼこれまでの片付けに時間を費やしてしまった。重要なものなどそう有りはしない。屋根とベッドと、飢えない程度の食物があればまず問題は無いのだが、これが充足すると、今度は反対にあらゆる欲望が湧いてくるから始末に負えない。
「品のいい生活」とは何か、少し考えてみようと思う。
2002年 05月 |
2002.04.24(Wen)
唐草の風呂敷でものを包む。すると渦の力が物に移る。物に宿る内力が目覚め、物が心を持ちはじめる。
杉浦康平
■『日本のかたち・アジアのカタチ』/三省堂
杉浦康平は「アジアにとって渦巻くものとは、物の内なる力をふるいたたせ、人の心と物の心を結びつける聖なるカタチ、万象に潜む文様であったのである。」と断言している。
毎年、高知大丸の美術画廊とミニギャラリーを借り切って開催する「第15回カレントクラフト展」のテーマ制作が、今年は「和のかたち」である。昨年の「音」に比べてイメージが湧かず、原案作成で難儀している。
「和のかたち」と「日本のかたち」では勿論異なるが、何か参考になるものはないかと昔買い求めた本を読んでみると、思いがけない言葉に出会った。一度は読んでいるのだが、その時はそれほど響かなかった内容である。読む視点が変わると、絡まった紐を解くようにスラスラとイメージが沸き出すから不思議。これもまた縁なのであろう。
先日読んだ別冊太陽『白川静の世界』の中の「神」の字にも確かに渦巻が二つあった。今日使っている灰皿にも染付の渦巻文様があった。何かがお互いを呼び寄せているのだろう。「渦の力」が頭と心の中に作用してきたようである。
京都新聞社ホームページの「桜で一句」応募は佳作とのこと。入賞記念の粗品があるそうだが、鉛筆かシャープペンシルといったところだろうか。まだ受け取っていない。
http://www.kyoto-np.co.jp/negai/yusyu/yusyu.html
小雨、夜は「銅の会」。
2002.04.07(Sun)
修行は師につかえ、よく至りて師を離れ、後また師に仕え、二遍仕え申候がよし。
川上不白
■『茶道名言集』/井口海仙/社会思想社
師を裏切るわけではない。一度はその膝下から離れ、自分なりの修行をしてみて、そのいたら無さを知ることに眼目はある。その後、再度、真剣に師に教えを請うなら修行の方法も、納得の度合いも違ってくる。
あらゆる芸術において、師の影響力が強いほど、師の個性に埋没させられ自分を見失ってしまう時がある。ただ従順であるばかりではなく、自分とは何かと問いなおす時間も必要と考える。
花に水をやる時間が、こんなにも活き活きしたものであるとは思わなかった。時間の使い方が変わってくると、気持までそうなるようだ。初夏を思わせる気温となった。
2002.04.03(Wed)
「石舞台の玄室に二人で行くとね、恋が必ず実るらしいわよ。石の古墳になるまで永遠に」と彼女。ほんとうかどうかは判然としないが、玄室から感じられる悠久感が愛の永遠性に重なるのであろう。
坪内稔典
■『日本の四季 旬の一句』/坪内稔典・仁平勝.細谷亮太/講談社
坪内稔典が若い友人に尋ねた。「なぜお墓でデートするんだろう?」と。その答えが恋の成就の予感らしい。
からっぽの春の古墳の二人かな 夏井いつき
の俳句を読み解き、たとえば明日香の石舞台を連想してのことらしい。私もこの句を読んだ瞬間、石舞台が顕われた。確かに「春の古墳」である。残念ながら玄室でデートした覚えはないが、あの巨大な石と1500年の歴史、そして無惨にさらされた古墳が、今ではそれらしく遺跡となっている真実に初めて訪れた日の思い出が蘇ってくる。
ちなみに、母方の祖先が、大連物部守屋とのことで、蘇我氏に滅ぼされた因縁があるためか、あばかれた古墳を哀れと感じた記憶はない。
からっぽになった古墳の中には、遺骨も埋葬品も手に触れられるものは何も残されてはいない。しかし、何かがそこにあったという念いは消せない。今、母の遺伝子の中に脈々と伝えられてきた何かが、出口を求めて動き出したような予感がする。
2002.04.02(Tue)
神 モーセにいひたまひけるは 我は有て在るものなり
■『舊新約聖書』/日本聖書協会
旧約聖書の出エジプト記、第三章にある有名な言葉である。
古代ヘブライ語でどのように書かれていたかは知らないが、英語では、
I am that I am. (私は有って在る者なり)
と記される。モーセは神の姿を見てはいない。ただ、イスラエルの子孫の所に行って、誰の遣いかと聞かれたときの返答のために名前を尋ねたのだが、おおいなる神には、それに該当する具体的固有名詞は無かった。
名前とは不思議なものである。現象界では他と区別する必要にせまられ名付けられたものでありながら、それらすべてを含んだものの総称となると「宇宙」とか「神」としかいいようのないもの、その両方を含んだ概念の名前を私は知らない。
「存在」とは、かくもあやしいものなのだろうか。
知人が「物は与えれば減るが、目に見えないモノは与えても減らない。与えることで新たに湧き出してきたり、まわり回って何倍にもなって帰ってくる」と語ってくれた。情報もしかりだが、門出の言葉として記憶しておこう。
2002.04.01(Mon)
白川静は『漢字』の最初に「ヨハネ伝福音書」を引用している。
「はじめに言葉があった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」。
白川静はこの一文に「つづき」を記す。
「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」。
西川照子
■別冊太陽『白川静の世界』/編集人 高橋洋二/平凡社
世はエイプリルフールである。何処かに出かけ、たわい無い冗談を言うのも面白かったかもしれないが、結局、太陽別冊を読み、また視て楽しんだ。白川静の業績と思考を対談を交えて紹介したものであるが納得させられるところが多かった。
エディトリアル・ディレクター栗田治、デザイナー西岡勉がいい仕事をしている。もちろんフォトグラファーの力も見のがせないが、カラーページなど私好みの赤色が効果的に使われていて、ページを開いて視ているだけでパワーが得られそうであった。
しかし、「言葉は神であり、また文字も神である」とは何たる深遠明解な思いであろう。文字など現実界の影に過ぎないと思ってはいても、言葉を後世に伝えるためにはやはり必要であった。文字に宿る神の名は何と呼べばいいのだろうか。
晴天。花に水をやる。今日からしばらく遊び人として生活することにした。
2002年 04月 |
2002.03.25(Mon)
死ぬ人の歩いて行くや牡丹雪 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2002年4月号/鷹俳句会
俳句では「我」を詠うのがもっとも強い。自分の為に作る俳句である。おもいをしっかり書き留めれば、後は読者が共感するか否かである。私詩であっても、頷けるものには納得し脱帽する。
「死ぬ人」とは、「死ぬ我」を含んだすべての人間である。我が前を歩く人も、後ろを歩く者も、すべてが死へ向って歩いている。日常、そんなことばかり気にかけていては何もできず、無常感におそわれるばかりであるが、詩人は敏感にそれを意識する機会が多くなる。いや、多いがゆえに詩人になる。
しかし、どんな人にも道はふた手に別れている。死へ向うのは同じであるが、牡丹雪を美しいと感じ喜ぶか、ただ雪と思うかである。
寒さが少しゆるみ、雪片が大きくなった牡丹雪が空から霏霏と降ってくる。
2002.03.24(Sun)
昼から高知鷹句会に出席。今日は思いの他少人数であったが、実力者揃いのため緊張感が増し、これも楽しい場となった。
句会終了後、酒を飲むにはやや早すぎたため、高知城へ有志で吟行。桜を楽しんだ後、いつもの居酒屋で5句出しの句会となった。やや肌寒い吟行であった。
降りて来よ桜満開なる夜は 郁摩
愛恋に遠し桜木満開に
花早し見ぬ世の桜いかほどに
2002.03.21(Thu)
羽田からモノレールに乗ると、満開の桜であった。高知の桜も早いが、今年は東京の桜も早々と咲いている。去年は3月に雪が降ったが、今年は一挙に暖かくなってしまった。気象変動が緩やかに、そして無気味に進行しているのである。
夕方、強風。風に押されて思うように進めない有りさま。東京湾を埋め立てた土地とはいえ、こんなに強い風が台風でもないのに吹くとは思わなかった。空の半分が曇り、新建築群を浮びあがらせ、ある種の美しさもあった。写真を撮っておけばよかったと後悔したが、風には勝てず退散した。
2002.03.20(Wed)
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢
俊成女
■『新古今和歌集』日本古典文学全集/小学館
もとは千五百番歌合に出されたもの。相手方は顯昭であった。通うのは風ばかりでなく殿方であって欲しいとの思いも隠されていよう。夢とうつつを行き来する小道具は「袖」「花」「枕」だけであるが、この花は梅ならず桜と読みたい。
桜は植物学的にはバラ科サクラ属サクラ亜科に分類されている。系統的にはヤマザクラ系、ヒガンザクラ系、チョウジザクラ系など6系統。
梅に比べてかすかな花香成分もまだつまびらかには判明していないらしい。しかし、ベンツアルデヒド、クマリンなどが知られている。
そして、桜の葉の中に、クマリンと糖が結合したものが含まれており、これを塩水に浸しておくと分解酵素の働きで加水分解され、クマリンが遊離する。つまり、これが桜餅に、えも言われぬ風味や芳香を与えているらしい。
快晴。
2002.03.19(Tue)
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせん
西行法師
■『新古今和歌集』日本古典文学全集/小学館
我が身を何処におけばよいのかと迷うのである。世の無常、人の儚さを知ったとしてもなすすべもない。咲いた花は散るのである。
今年の桜は早い。もちろん散るのも早いことだろう。毎年変わらず咲く花ではあっても、ひとつとして同じ花はない。人とて同じである。それは誰もが感じることであろう。ではどうやってもう一歩踏み出し、踏み越えてゆけばよいのか。それは教えられて解るものではない。自分で見つけるしか方法はないのである。
雪ふれり繰りひろげゐる愛怨も身の高さにてほろびゆくべし 稲葉京子
と思い出されるが、雪と桜が替わろうとも、人の心から生まれる愛も怨みも、時が過ぎれば消え去るのみである。墓石の角がすり減り、墓碑名が読めなくなってもなお残る愛怨などあるはずも無いのだから。
消え去るまで、もう一度、わが身を愛してみよう。
2002.03.18(Mon)
私の中には、俳句がボケで、川柳がツッコミという感じがある。
ゆにえす
■俳句雑誌『船団』2002年3月1日号(第52号)/船団の会
おもしろい捉え方をする俳人もいるものと微笑してしまった。
坪内稔典率いる「船団」の座談会「特集●今日の俳人、その実力/この人の魅力は?」が収録されていたのだが、その中の言葉である。ある意味では今日的な捉え方かもしれない。漫才の役どころと俳句と川柳。なるほど、そんなものなのだろうか。
この座談会の参考資料として出された別表3「現代俳人採点表(ゆにえす作)」に、彼女の採点基準があったが、現代性や意外性、破調度、口語度に混じって毒とかボケ、洗練などの項目がある。
まじめな俳句ばかりではなく、それを突き抜けたボケ、つまり意図せず醸し出されるようなボケた俳句を作ってみたいものである。しかし、それが簡単にできるならばこんなに日々苦労することもないのである。滑稽とユーモアの違いさえまだ理解できないありさまなのだから。
7〜80歳になって、実力俳人としてボケた俳句を創れるようになりたいものだが、何も急いで歳をとる必要もない。今しばらくウロウロ、アレコレ迷ってみようかと思う。ただ、ものわかりのいいジイサンにだけは成るまい。
2002.03.16(Sat)
シャガール の夜 を
マグリット の鳥 が
翔び
嗣治の 素描 に
マン・レイ が
シャッターを 押す
山村日出夫
■『LE MAZCH (16) 』2002年3月24日号/書肆R・R
大阪高槻市にある古書店「書肆R・R」から贈られてくる古書案内には、毎号、山村日出夫の詩が記されている。これは<吐息>と題された詩の一節。
声に出して読むとき、分かち書きされたこのスペースは、どのように読めばいいのだろうと思いながらも、名詞と助詞の不思議な結びつきに息をのむことがある。
そうなのだ、詩はすらすら読めるものだけではなく、心に影を落しながら、記憶中枢に染込み、噎せ返るようにあるときその映像や言葉を思い出すものなのだ。
「マン・レイ」のようなシャッターを切り、時間を閉じ込めてみたいものである。
2002.03.15(Fri)
栞して山家集あり西行忌 高浜虚子
■句集『五百句』/改造社
西行の忌日は陰暦2月15日。今年なら新暦の3月28日にあたる。「山家集」は彼の歌集。新古今集に収録された歌は、選者の定家や勅撰を命じた後鳥羽院より彼の作品が一番多かったはずである。
虚子がどの歌のページに栞を挟んでおいたかを当てるのも面白いが、実際はその本からはみ出した栞の端に目を止め、そこから山家集へ、そして歴史の彼方の西行へと時間をタイムスリップするほうが楽しみである。
俳句は「西行忌」の兼題で句会で作られたものかもしれない。「昭和五年三月十三日。七宝会。発行所」とのメモが付いている。つまり、自宅で作られたか、その雰囲気を思い出しながら発行所での句会で即吟されたか・・・であろう。
めったに栞など使わないが、ピカソの絵の赤と青の鮮やかな一葉を入手した。そんなささいなことがらが、この俳句に目を止めさせることになった。何度読んでも発見のある句集である。見開きに4句と思い込んでいたが、五句や三句のときもある。その行間もゆるやかな音楽のようで退屈しない。
2002.03.12(Tue)
桃之夭夭 桃の夭夭たる
灼灼其華 灼灼たり其の華
之子于歸 之の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其室家 其の室家(しつか)に宜しからん
詩経〔周南〕
■『中国名詩集 美の歳月』/松浦友久/朝日文庫
中国の『詩経』の中でも有名で、この季節になると口ずさみたくなる漢詩「桃夭」を私の記憶の為にしるしておこう。漢詩の文字をパソコンで入力するのは、おっかなびっくりと言った心境なのだが、何とか漢字を見つけることができた。
「干(ほす)」ではなく、「于(ここ)」なんてあるのだろうかと心配だったが、部首引の漢字表から見つけることができ一安心した。
近所の家の塀から突き出した桃の花が、今を盛りと咲いている。枝先にぽつぽつといったしとやかさではなく、わーっとあたり構わずといったていである。しかし、その穏やかな明るさがこころに染みると、少し嬉しくなって、誰かにその花を見せ、同じ気分を味合わせたいと思ったり、ささやかな明るさが続くようにと念ったりしてしまうのである。
この詩とともに、アイドル歌手「山口百恵」なんてイメージが浮んでくるのだが、かつてある俳人とその話をした記憶がしまいこまれ、花を見るたびに思い出されてくるようである。脳の記憶BOXにはいったいどのように整理されているのだろうか。
白居易の「念金鑾子(きんらんしをおもう)」の中の一節に新たな発見もあった。
形質本非實 形質は本(も)と実に非ず
氣聚偶成身 気 聚(あつま)りて偶々身と成るのみ
白居易(772-846年)がこのような宇宙観・人生観を持っていたとは知らなかった。
2002.03.11(Mon)
「何? 旋律を図形にする? 知らない? どうやって?」
「法則はあるの。説明は面倒だけど・・・・・。で、そういう遊びをしているとね、美しい音楽はね、ちゃんと美しい図形になるのよ。駄目なものは汚い図形になるわ」
さだまさし
■『精霊流し』/さだまさし/幻冬舎
私の大好きな作曲家、武満徹の名前も出てくる。図形楽譜をもとに演奏するだけではなく、旋律を図形にすると、美しい音楽が美しい図形になるのはありえそうなこと。ただコンピュータを使わずにその図形を描くのは時間がかかるかもしれない。
音楽「精霊流し」や「秋桜(コスモス)」で有名なさだまさしが、自伝的小説の中で取り上げた雅彦とヴァイオリニスト涼子の会話である。自伝と小説の境は、きっと本人にしかわからない。
これは第六話の「らくだやの馬」の中に出てきた話なのだが、鳥取砂丘から鹿児島の牧場、そして栗東、昭和49年のハイセイコーまで出てきて、競走馬と自分達の運命がフラッシュバックするちょっといい話であった。好奇心をもって読み解いていくと世界は確かに広がっていく。
雲はあまりなかった。しかし夕焼けの美しさにほれぼれしてしまった。
もうすっかり春である。田植準備の代掻きが始まった。
2002.03.09(Sat)
太古の昔に名づけられた地名は自然発生的だ。
今尾恵介
■『地名の謎』/今尾恵介/新潮社
あらためて確認しておくが、人間が増え過ぎると他と区別するためにあらゆるものに「名付け」を行う。これはある意味では自然発生的とも解釈されるが、本来人間がなすことであり人為的なものであろう。言葉が生まれ、名前が生まれる。言葉と名前が同時に発生したかもしれない。
「明治維新になると、今度は廃藩置県で多くの県がめまぐるしくつくられては廃止され、行政区画も激変しながら一八八九(明治二十二)年を迎えるのであるが、このときに七万以上あった全国の市町村が一万六〇〇〇ほどに強引に整理統合され、数々の合成地名が雲霞の如く誕生した。」と言われる。
廃藩置県は知っていたが、この明治22年の市町村整理統合は初耳であった。強引であったかどうかは知らない。しかし、これだけ数を減らすためには強引に行う何かがあったはずである。今まさに、全国の市町村合併がすすめられようとしているが、これは優遇税制の適用といった手段で、いくら住民が反対しても赤字自治体には避けようのない道である。
また雲霞の如く新地名が増産されるのだろう。
やや風はあったが雲ひとつない快晴。JN結婚式。
2002.03.06(Wed)
快晴。美術館で昼食。デザートの後は濃茶を飲みたいほどであった。
夜は俳句五人会「銅の会」。鷹3月号、湘子先生の12句について輪読合評。また、基礎に立ち返るため、「新 実作俳句入門」の輪読も開始。後半1時間は、兼題4句による句会。いつもなら、後は飲み会になるところだが、体調が思わしくなくそのまま帰宅。
2002.03.04(Mon)
一瞬が永遠になるものが恋
永遠が一瞬になるものが愛
辻 仁成
■『目下の恋人』/辻 仁成/光文社
疲れきっているときには優しく読めるものをと考え、作者名と発行日だけを確かめて買った来た。書下ろし2編を含め、短編小説10編が収められていた。
題名を「めした」と呼ぶべきか、「もっか」と呼ぶべきか一瞬迷った・・・。こんなときは、「My Current Girlfriend」の英訳のほうがすっきりする。日本人なのに変な話である。
そして、扉をあけると、天に上の二行の言葉が記してあった。これだけでは何だかさっぱり解らない。「恋」と「愛」についての作者なりの定義なのだろうけれど、それがすんなり通用するなら小説を読む必要もなくなる。だから、こんなときはあまり考えず、こだわらず、先を急ぐ。何故か最近、時間に追われているのである。
俳句では「恋」だの「愛」だの抽象的なものはなるべく敬遠する。短い言葉のなかで説明すること自体が難しいので、より具体的なモノを並べることが一般的には大切にされる。もちろん、愛や恋を含んだ名句が無い訳でもないが、まず失敗するのがおちなので手を出さないに限る。この点、短歌はまだ少しだけ許容範囲が広いようにも思える。
「目下の恋人、ネネちゃん」
主人公ネネの心配は、いつも他人に紹介されるとき、ヒロムが「もっか」と付けることであった。最近の小説の主人公はカタカナ名前が多い。あまり実在感がないようにするためか、わざと軽い人間に仕立てあげられているように思えてならない。それだけ真面目が馬鹿にされ、暑苦しく思われている風潮のあらわれでもあるようだ。
「ヒロムなんかと別れてしまえ、ネネちゃん」
と励ましたくなるが、きっといらぬ御節介というものだろう。
高知競馬は廃止寸前の赤字経営。とりあえず、雇用対策として経営されているらしい。3月3日の第9レース「雛祭り特別」1400m。まさかの雛祭、思いもかけない牝馬アクアダンサー(西内忍)7歳に、単賞9,160円。こんなこともやっぱりあるのが競馬。買ってたらよかったのに、買えないよね、普通は。
また、3月18日は「黒船賞(GIII)」(農林水産大臣賞典)である。この名前が高知らしくて気に入っている。昨年は、ノボジャック(武豊)、ナショナルスパイ(的場文男)と駆け込み、地方ではなかなか見られない見応えのあるレースとなった。ただし、こんな時には高配当にはならない。
2002年 03月 |
2002.02.28(Thu)
愛用のPowerBookG3のマウスを壊してしまった。
動きが悪くなったので掃除をしてやろうと裏蓋をあけ、ローラーに付いたゴミを取っていたのだが、うっかりプラスチックの小さなピン先を折ってしまった。こうなるとたった2mmほどの出っ張りでも無いと全く動かない。
早速、販売店に出かけ従業員に同じものが欲しいと告げたのだが、すでに旧式扱い。まして、色が黒で、アップルマークが入ったものをなどと言ったものだから、中古の段ボール箱の中まで探しても見つからない始末。参ってしまった。
偶然通りかかった社長を呼び止め、何とかならないかと頼んだところ、「私の使っていたものでもいいですか?」と驚くような回答。
これまた店に積み上げた段ボール箱から、彼の私物の箱を探し出し、その中をかき回した挙げく、鈍く輝く黒いマウスを発見。あまり使っていなかったらしく、ほとんどすり減りもなく、うん千円で分けてもらうことができた。
近頃、商品開発の速度が早すぎ、数年で旧式、いや一年もたたずそうなるのはなんとかならないものだろうか。もちろん、新しいものが高性能で便利になっているのはよく解るのだが、一体誰がそこまで使いこなしているだろう。
私はまだこの愛機で、CADもCGも、イラスト、写真編集までやっているのである。外観の明るいG4も欲しいが、もう少しOSとAPが進化したものでなければ、さほど変わらないと思っている。
2002.02.25(Mon)
北雲に鬼神あるべし初山河 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2002年3月号/鷹俳句会
鷹には毎月、藤田湘子の俳句が12句掲載される。
藤田湘子を師と仰ぐ私たちにとっては、これが指針であり指標でもある。だから何とかこれを味わい、読み解こうと努力する。しかし、どこまでいっても不出来の弟子には、ただ何となく感じるだけで、一向に悟りの気配もない。
今月号においても、まず眼に飛び込んできたのは、
綿虫や人は旅してひとと逢う
であったが、あまりにも旨すぎてついていけない。「人は旅してひとと逢う」は確かに人生の真実、格言にもなりそうな言葉である。しかし、「綿虫や」は、二物衝撃が解らなければ話にならない。季語がこれでいいのか動くのかは、師湘子のみしか判断できない。つまり、藤田湘子はこれを目指せというのであるが、それが簡単に納得できるくらいなら今頃俳句になど飽きて、もっと他のことに命を懸けているだろう。頭で理解しても、まだ身体が震えないのだから、まだまだということのようである。
3月号に載るのは、およそ暮から1月初旬に作られた句。「初山河」の句を玄関や床の間に掛けておけば、この一年の災いが防げそうな気がした。古いと言われるかもしれないが、やはり何度読んでも飽きない句である。
2002.02.20(Wed)
who are you とはこすもすもつれきった言葉 冬野 虹
■文芸雑誌『むしめがね』No.13/むしめがね発行所
四ッ谷龍さんから、去る2月11日に冬野虹さんが虚血性心疾患により永眠されたとのご連絡をいただいた。その夜まで普通に生活されており、突然あの世に旅立たれたとのこと。御冥福を祈るばかりである。
私にとって、冬野虹さんはあこがれの人であった。初対面以前から、短歌や俳句雑誌でその名前を見かけ、作風からも希薄な空気のようにただよい、強くは自己主張されないのにいつも独自の輝きを放っておられた。
作品だけで満足、本人には会うまいと決心していた塚本邦雄氏に初めてお目にかかったのも、あるパーティー会場で、四ッ谷龍・冬野虹さんの紹介であった。神戸にお住まいの頃、仲間と彼らのアパートを訪ねると、洗面器とタオルを渡され、近くの銭湯に案内されたのも懐かしい思い出である。
掲載の俳句は、彼ら二人が発行していた『むしめがね』バックナンバーからの引用である。「こすもす」は宇宙や世界というより、ここでは創世以前の「かおす:chaos」渾沌の意味合いが強いような気がする。「もつれきった」人間関係やあらゆる秩序がからみあい、なんともならない虚しさ。名前を知らない私たちは、相手やモノの名前を知ることによってやっと安心感をいだくことができる。
強くは断定しない。しかし、感じとった真実を語ろうとする思いが冬野虹さんの作品にはあった。途切れそうな彼女のイラストの線をたどりながら、ヒトに見えたりハナに見えたり、冬野虹さんは地面を歩かないで、すこし浮かんでいるのではないか、天女の素質を隠し持って生きている人だと思い続けてきた。
離れていても何処かで繋がっているように思っていた人が突然いなくなったと知らされると、その思いの切れ端が宙を舞いたよりなくてしかたがない。これからは四ッ谷龍さんの作品をとおしてまた彼女に出会いたいと思う。
私が生きるかぎり、冬野虹さんの名前が消えることはないだろう。
”Who are you ? ”
● むしめがね へ
2002.02.17(Sun)
一、此の度、とも女と申す女、我等勝手に付き
離別致し候。然る上は向後何
方へ縁組候とも、我等方にて一切
差し構えこれ無く。件の如し。
政之助
■『寺子屋式 古文書手習い』/吉田 豊/柏書房
候文の紹介で示された「三くだり半」の離縁状である。これが標準書式であったそうで、夫の「政之助」から妻の「とも」に渡したものと紹介されている。
時代劇などでは時々お目にかかるが、文面まで覚えていなかったので参考までに書き留めておくことにした。しかし、夫から妻方への一方的な権利であったとしても、「向後何方へ縁組候共」と思いのほか妻側への配慮がみられたようである。
もちろん、こんな紙切れ一枚で、理由もなく離縁される女性の立場に立てば許されることではないが、それが許された社会に、今となっては興味以上のものが感じられてならない。
つまり、人間が決めた約束、取り決め、法律、憲法などの何と薄っぺらなことよと思うのである。150年もすれば、今の現実さえ半分以上まやかしのようなものだとしたら、花の咲くような真実とはいったい何なのだろう。
はたして、真実と呼べるようなものがあるのだろうか・・・とさえ思えてしまう。いやいや、これは解っていても言ってはいけない呪文なのかもしれない。
2002.02.16(Sat)
うつし世を視れど視をらぬ双眼は空と映れる空のごとしも
紀野 恵
■『水晶宮綺譚』/砂子屋書房
久しぶりに写真を撮りにでかけた。もちろん○○の写真である。
最近、デジタルカメラばかり使っていたため写真らしい写真を撮っていなかった。鈍るほどの腕でもないが、動くモチーフにはやはり追いつきにくくなっている。また、踏み込みが浅く、やや迫力に欠けるのもカンが鈍っているためだろう。
隣でビデオを回している人がいたが、後からあの中のワンカットを自在に抽出して使うならばシャッターチャンスでは負けてしまうことになる。それでは銀塩フィルムでデジタルに対抗しうるモノはいったい何が残るだろう。
解像度などといった数値ではなく、数値にできない何かをもう一度求める必要があるように思えてならない。そんなことは解り切っている。しかし、それが一番難しい。
午前中病院へ。晴天。
2002.02.14(Thu)
しかし、決してデザインは無力ではないということを、このグッドデザイン賞から受け止めていただくことができれば幸いだと考えます。
川崎和男
■『GOODDESIGN20012002』/日本産業デザイン振興会
「Gマーク」、グッドデザインマークの名はかなり知れ渡っているようだ。
各種のマークにあまり興味の無い人でも、JISマークとウールマークとGマークくらいは知っているのではなかろうか。しかし、毎日増え続けるマークだけを見て、その意味を理解するのは至難の技であるといえよう。
「グッドデザインアワード・イヤーブック」には、新たにGマークを付けても良いと認証されたモノが紹介さてている。すなわち、2001年度グッドデザイン賞に応募した2329点の中から1290点の商品や建築物、ビジネスモデルなどのデザインが選ばれている。また、63名の審査員の審査委員長を川崎和男が務めた。
彼は、単なるデザイナーではなく、デザインに夢を見ることのできる数少ない哲学者であると思っている。
旧正月早々、風邪で2日ほどダウンしてしまった。これは、旧正月くらいはゆっくり休養を取れとの思し召しと考え、予定を変更して休むことにした。
病院で抗生物質をもらってきたが簡単には直りそうもない。昨年も1月にダウンしていた。その時の診察券を求められたが、そんなものはもはや残っていない。やはりICカードに病歴を書き込んで、どこの病院でも使える診察券がわりにして欲しいものである。コンピュータ管理に更新したのなら、もっと手際よくできないものだろうか。病院のシステムもデザインして欲しいものである。
2002.02.12(Tue)
麒麟も老いては土馬に劣ると申すことあり
世阿弥
■『花伝書』/世阿弥 編/川瀬一馬 校注/講談社
太陰暦正月 頌春
本日届くよう年賀状を発送したが、はたして今日手許に届くのは何通だろう。土曜、日曜は郵便ポストの回収も少なく、わざわざ中央郵便局まで持参。新正月だと、暮の25日までに適当に入れておけば郵便局が気をきかして元日に配達してくれるのだが、旧正月ではわざわざ切手の下に朱書していても適当に届けられてしまうのが難点である。
毎年、新正月に変えようかと考えるが、やはりこだわりは残しておきたいので来年もきっとこのままだろう。
掲出文もここまでなら、一つの真実の断面でしかない。速さや体力において、若さに勝るものはないのだから。老とはそのようなものだろう。
「さりながら、真に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所はすくなしとも、花は残るべし」
この「花は残るべし」の断定は強い。そして、私たち誰もがこの花を心の中に手に入れなければならないと思っている。小さな花であったとしても。
● 頌春画像
2002.02.09(Sat)
競べ馬一騎遊びてはじまらず 高浜虚子
■『五百句』/高浜虚子/改造社
「競べ馬」は京都上賀茂神社で夏に行われる神事である。従って夏の季語、夏の俳句とされる。
しかし、この句を読むと、現代の競馬で最後まで発走機に入りたがらぬ馬の姿が眼に浮ぶ。寒風の吹きすさぶ競馬場などでは係員や騎手が難儀している様子がわかると同時に、馬の興奮度合も知れようというものである。
「競べ馬」ならば二頭。それも最初は左方が勝ちと決まっている。そこが神事たる所以である。衣冠、袴姿の腰には菖蒲(尚武)を挿すことになっている。
もちろん顔にはうっすらと死化粧を忘れてはならない。
遊びにもいろいろある。競馬や競艇もあれば、女遊び男遊び、言葉遊びなどなど。もちろんインターネットも遊びの一つ。工芸や美術さえも私にとっては遊びである。ただどれもが単なる暇つぶしではなく、命を賭けるに相応しいものであればよいと思っている。限られた時間なのだから。Dと遊ぶ。
2002.02.06(Wed)
空といふ心は、物毎(ものごと)のなき所、しれざる事を空と見たつる也。
新免武蔵
■『五輪書』/鎌田茂雄/講談社
新免武蔵とは、もちろん宮本武蔵のことである。美作の国、宮本村で新免無二斎の子として生まれ、五輪書では各巻の終わりに新免武蔵と記している。
ただし、地の巻の中では、自ずから「生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもって六十」と著わしている。
有名な五輪書だが、兵法書でもあり、よほど興味がなければ読む機会もなく、そのままに終るところであった。太刀や馬には興味が湧くが、戦や剣術にはさほど関心がなかったためである。
武蔵は兵法の道を五つに分け、その利点をそれぞれ「地・水・火・風・空」の五巻として書顕わしている。今の私にとって面白いのは、地と空の巻である。
地の巻では、「太刀の徳よりして世を納め、身を納むる事なれば、太刀は兵法のおこる所也」が興味深い。しかし、やはり人生訓的で、まだまだあまり近寄りたくない巻である。
上掲の言葉があらわれるのは空の巻であるが、一巻とわざわざ分ける必要もないほど短文である。しかし、兵法書にこの巻が加わることにより、武蔵の求めた道が何であったのかがわかるような気がする。
「ある所をしりてなき所をしる、是則ち空也」と自解しているが、後年、武蔵の太刀先に空が広がっていたような気がしてならない。
2002.02.04(Mon)
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 高浜虚子
■『高浜虚子集』現代俳句の世界/深川正一郎 選/朝日新聞社
立春。久しぶりにWebサイトの更新を行った。
文字で見るより、音で聞いて愉しむ俳句がある。いや本来は音で聞くだけでだけでいいのかもしれない。私が所属している鷹俳句会では、披講の時は、印刷物に触れないで、読み上げられる俳句と選者の名前を聞くように決められている。
この句など印刷された「ゆらぎ見ゆ」を読んでもピンとこないが、音で聞くと「揺らぎ見ゆ」なのだと理解される。虚子がしたためた短冊でも持っていればまた別だろうが、音だけで薮椿の大木に風が吹き付け、真っ赤な椿の花が揺れる様が浮かんでくる。
虚子の俳句のうまさは、百の椿が二百にも、三百にも、五百にも見えると同時に、ズームレンズのように一つの花に近寄り、そしてまた全体へと広がっていく循環が自然になされることだろう。
椿のことしか描いていない一物俳句である。俳句では二物の取り合わせも興味深いが、やはり優れた一物俳句にまさるものはない。
昭和26年作。『七百五十句』所収
2002.02.03(Sun)
本来、短刀は自分の身を守るために、いつも身近に備える武器として生まれたものである。
井出正信
■『江戸の短刀拵』/里文出版
歴史小説が招いたわけでもなかろうが、ある会社社長がこの本と『江戸の刀剣拵え』を持って現れ、制作中の短刀の金工意匠を任されることになった。普段なら断っているところだが、「刀剣」に興味が湧いていたところなので引き受けることにした。
ただし、意匠は古く、復古調のものとのことなので、依頼者の了承を得て、あまり私の個性は出さないよう割り切ることにした。作品と呼べない仕事もある意味では勉強になるかもしれない。
今にして思えば、大学時代に始めて工芸に関するレポートで私が書いたのは「日本刀」に関するものであった。
ちなみに、通常、一尺までの刀を短剣、一尺から二尺までのものを脇差、二尺以上のものを刀と呼んでいる。斬馬刀などと呼ばれる大太刀もあるが、合戦の方法が変わり、戦乱のない時代においては奉納用になっていった。
また、幕末には短刀を差すのがオシャレだったようで、有名な坂本龍馬立像写真にも確かに短刀が写っている。いつもなら「龍馬の懐にいれた右手はピストルを隠し持ち、草鞋ではなく革靴を履いている」と違ったところに眼がいくのだが、左腰には短刀をさりげなく差している。
井出正信の言葉どおり、短刀は自分の身を守るためのものとされたが、護身刀がそれ以上の力を持つのはいつの時代でも変わらないものだろう。
節分。午後から少し雲が切れ、日がさしてきた。Hの病気見舞&Dと遊ぶ。
2002.02.01(Fri)
「彼岸が見えれば剣も見える。剣が見えれば人も見える・・・・・」
山岡荘八
■『柳生石舟斎』/講談社
歴史小説はめったに読まないのだが、仕事の息抜きに、と思って手に取ってみると、著者の思いがあちらこちらに現れていて面白い。
つまり、作者はタイムマシンでその現場にいて現実を見てきたわけではなく、歴史史料を元にありうべき虚実を都合よく並べ、ほとんどを空想で補っていくわけだが、現代批判を加えたり、理想を述べたり、これまで見落としていたような事実らしきものまで提示してくれる。
神陰流の始祖、上泉伊勢守秀綱が柳生但馬守宗厳の工夫した「無刀取り」を見て、なお高き心、その兵法を活用できる宇宙まで見せようとした言葉である。
映画や漫画で知ってはいても、ゆっくりと味わう時間もないまま見過ごしていたことがら、「剣」とは何かを感じさせてくれる言葉であった。
後に宗厳(むねよし)は、石舟斎と号しているが、著者の山岡荘八はこれを読みといて、「世渡りの拙劣さをかこつものが、どうしてみずから石の舟などと号すはずがあろう。誰が浮かばせようとしても浮かばぬ舟・・・そうした自負が、そこにはある」と語っている。
1527年生、1606年(慶長11年)柳生にて病没。享年80歳。この時代の人間としては驚くほど長命であった。
2002年 02月 |
2002.01.20(Sun)
これで花火が芸術になった。
蔡国強
■テレビ番組『地球に好奇心−−蔡国強、火龍のごとく』/日本放送協会
深夜のBS放送を見ていて、久しぶりにワクワクするものがあった。
プロジェクトの意義とか、政治とか、お金とか、すべてとっぱらって、芸術についてだけのことではあるが、まだ見ぬもの、作家の想像を越えたものが産まれた瞬間を垣間見ることができた。
蔡国強(ツァイ・グオチャン/Cai Guo Qiang)は、火薬を使用することで有名になった現代美術家である。実際、彼のインスタレーションに立ち会ったことはないが、その雰囲気は軌跡として残った導火線や火薬の燃え跡から、面白いことを考える中国人がいるものと思っていた。
テレビ番組は、昨年10月、上海で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力首脳会議)の歓迎イベントとして、彼に企画依頼した20分の花火の計画立案から、仕込み、その瞬間までのドキュメントであった。
計画後、9月11日の米国同時多発テロの影響もあり、一時は中止になりそうな場面や上層部の意見に取り止めになった案もある。しかし、それらを乗り越え、「花火(火薬)と導火線とコンピュータ制御技術を用いた大規模な屋外プロジェクト」として、上海の町を包み込むような大掛かりな破壊と創造を見せるものであった。
何より花火の制御室から次々にくり出された「火龍」他の花火演目を見ながら、蔡国強自身が喜び、感激して大声を上げていたのである。かつて岡本太郎が「芸術は爆発だ!!」といったそのままでもあった。
芸術のためには、それ以外のすべてのものを忘れ去らなくてはならない。
2002.01.19(Sat)
俳優は、「自分」の及ばない「他人」を演じなければならないことも多いのですが、そういう「他人」を演じ続けることで「自分」を多少はふとらせる、深めることも出来るようです。
小沢昭一
■『句あれば楽あり』/朝日新聞社
井上ひさし作「芭蕉通夜舟」について語った文章の中の一文である。芭蕉だけしか登場しない一人芝居だが、かつて見た舞台を懐かしく思い出しながら読むことができた。
話芸の達人でありながらそれをひけらかさず、笑いを誘いながら面白可笑しく語るその内容には深みがある。
「野宿する身の貧しさ、やるせなさ、切なさ、侘びしさを、あべこべにこっちから笑顔で迎え出ること、それが誠の<心のわび>というものではないのかな。わびとは貧者の心の笑顔のことさ。ちがってたらごめん。」
という、芭蕉四十歳、木曾福島の野宿での台詞が好きだったと小沢は言うが、芭蕉を演じ、彼の心もいっとき芭蕉になっていた。自嘲気味に観客にかたりかけ、最後に「ちがってたらごめん。」というところなど、井上ひさしなのか小沢昭一なのかの区別すらつかない。何ヶ月も、また何年も、そうした「他人」を演じることで、役者としても成長し、いつも自分を改革してきたのであろう。
山の冷気は日が落ちると急速に広がってくる。Bと遊ぶ。
2002.01.18(Fri)
荒涼とにんげん居りぬ紅葉山 奧坂まや
■年鑑『俳句研究』2002年版/富士見書房
掲出句は、2001年度作品の中から奧坂まやが「諸家自選句5句」のために発表したもののひとつである。
物に付いて、小さな世界を描く手法とは別のものである。日本の歴史や伝統文化を想起させる風景としての「紅葉山」が示されるだけで、後は何も言ってはいない。
しかし、「人間」ではなく「にんげん」とひらがな書きにされると、それが漠然としたものであっても、弱々しく、力のない、自然に比すべきもない存在として、作者やわれわれの無力感を訴えてくる。
「紅葉山」には、その我々の身体のなかを流れる血や夢、儚さを感じさせる。「紅葉狩」に出かける楽しさや人の賑わいとは無縁で、「荒涼」と自然から突きはなされた自分を思う時、無常感の一端に触れる思いがする。
私にとってはこの句は謎である。なぜ2001年度の自選5句に選んだのか。もっと小宇宙を描いた名句があったはずである。それらを落し、それでも言いたかったこととは何なのか。俳句が「黙る文芸」であるなら、作者はもっと深い思いを持ってこの一句を提示してきたはずなのだから。
資料整理。2年近くのデータを、ノートやメールから抜粋。
2002.01.16(Wed)
もともと情報には、情報の「地」(ground)と情報の「図」(figure)というものがある。「地」は情報の背景的なものであり、「図」はその背景にのっている情報の図柄をさす。
松岡正剛
■『知の編集工学』/朝日新聞社
文章をたどりながら、人間の目や視覚、五感、脳の認識能力について、漠然とではあるが、その巧みさを思わずにはいられなかった。ビデオに撮影した2次元の映像から自動認識で特定の物体形状を抽出し、まだ3次元データとしてコンピュータに取り込むことができない現状において、人間はなんと容易にそれをこなしていることだろう。
「地」と「図」を分けるとは、まさに俳句のできる瞬間のようでもある。特定の情報を「図」として言葉でとらえ、「地」から分離、抽出すること。それを言葉ゲームとして愉しんでいる人間を俳人と呼ぶのだろう。中には「図」を見つめる五感を研ぎすますために俳句を創る者もいる。
つまり、「遠山」や「日」、「枯野」といった抽出ではなく、「遠山に」、「日の」といったとらえ方によってはじめて作者の思いが固り、ある一定のベクトルが生まれ、一句が生成されていく。
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
松岡正剛の事物への関わり方は、「編集」というキーワードで読み解こうとするものである。それは、複雑な事象を最少単位に分解し、自分に理解しやすい形に構築する作業にほかならない。
「先に情報があって、その情報の維持と保護のために、ちょっとあとから”生命という様式”が考案されたのだ」という考察は、松岡のものだろうか。それとも、すでに誰かが発表している考えなのだろうか。SFではよく話題になりそうな話なのだが、佐藤史生のマンガ「ワン・ゼロ」などもこの系列に並べることができるだろう。
昨夜から小雨。昼には止み、太陽に照らされ水蒸気があがり、遠くが霧につつまれているような雰囲気であった。1月とは思えぬ暖かさ。
2002.01.13(Sun)
一番になることは確かに格好がいい。でも競馬では一番速い馬は雄々しく逞しい馬というのではなく、あれは敵に襲われたときに逃げる本能で走るのだそうだ。
大場みな子
■日刊『日本經濟新聞』2002年1月13日、36面/日本經濟新聞社
確かに野生馬ではそんなこともあろう。しかし、それでも群れを率いて先頭を走る馬は「雄々しく逞しい」馬がほとんどであろう。
草食動物では本能的に逃げるように遺伝子にプログラムされているらしく、群れの一頭が駆け出せば、その後を追うように次々と駆け出していく。それこそが生き延びるために仕組まれたプログラムなのだから。ただその先頭を「女々しくか弱い」馬が走ることはないだろう。群れを指揮し引率する力が常に試され、生き残ったものの中からもっとも強いものがその任にあたるのだから。
過ったひとりのために、多くの者が犠牲になった史実をいくつも知っている。しかも、その学習の甲斐もなく、いつの時代にもこの災いは繰り返えされる。
工芸作品「神の与へしものら」制作。完成にはまだまだ遠い。図面を広げ、作業にかかると時間がたちどころに過ぎていく。大作と呼べるものを今後いくつ創ることができるだろうか。案は次々に浮かんでくるが、それを形にとどめ金属や七宝に置き換えるには、ただただ時間との闘いである。
2002.01.12(Sat)
高知市から車で1時間ほど物部川を遡れば、歌人吉井勇の愛した猪野沢温泉があり、河鹿の声が聞こえるほどの静けさである。
轍 郁摩
■『新選 俳句枕 6中国四国』/監修 藤田湘子/朝日新聞社
掲出はかつて土佐の俳枕紹介に書いたものよりの抜粋である。
昭和2年開業の猪野沢温泉も、火災や後継者問題で閉じられていたのだが、昨夜のパーティーに艶やかな和服姿で出席していたO母娘がその跡継ぎであり、もうすぐ再開できるとの話を伺った。これまでも何度か会って言葉を交わしていたのだが、これも不思議な縁である。かつて、吉井勇が長期滞在していたこともある「溪鬼荘」は藁葺き屋根の宿で、こじんまりとしたいい雰囲気をたたえていた。たった2組しか泊まれない宿もまた鄙びて好ましい。
今日は美しい夕焼けであった。雲のない山際に沈む夕日とその後の茜空も趣きがあるが、やはり棚引く雲が薔薇色に染まり、刻々とその色が変化して終には光りを失ってしまう様はなにものにも変え難い。
日中は春4月のような陽気の一日であったが、さすがに日が沈むと冬らしい寒さとなった。Bと遊ぶ。
2002.01.11(Fri)
仕事に関連した新年会&祝賀会に出席。高知Pホテル。立食パーティー形式であった。しかし、女性が少なく、酒の量は多くなるが、食べ物がずいぶん残ってしまった。環境負荷を少なくしようと推進する会でさえこれなのだから、一般的には無駄になっている食べ物も多いに違い無い。この風潮をなんとかしたいと常々思っているが、自分が幹事となって綿密な打ち合わせしなくては解決できないものだろうか。
一方で、阪神大震災の記憶を風化させないために500円募金を行い、竹を利用した灯りを並べ、イベント後は竹炭にして神戸に送ろうとする募金運動にも参加。各パーティー参加費から500円ずつ食材を削り、その費用を災害や飢饉支援に回すことができるシステムを創れば、食べ物が少なくても文句をいうことも無いと思うのだが、全員の合意を取ることはまだまだ難しい。ただ、そんな場合でも、会話の潤滑剤としての酒量だけは減らさないで欲しいと考えている。
パーティー会場で、二人目の子供が産まれるMより娘の名前に何か良い候補はないかと尋ねられたが、私なら「素夜」と名付けてみたいと話した。もちろん私には子供はいない。男児の名前は考えたことすらないのだが。
2002.01.10(Thu)
「クエ鍋会」に招待された。汁の味付けが絶妙であった。聞けば特別の醤油・柚子果汁を用いているとのこと。もちろん、クエも高知市弘化台市場の知人に頼んで届けてもらったもの。さて、クエはハタ科だが、魚偏に何と書くのだろう。
2002.01.09(Wed)
帖名だけで本文のない帖。
「雲隠」という言葉は光源氏の死を暗示しています。
Only the chapter title,which implies the death of Genji,the Shining Prince,remains.
マック・ホートン
■対訳『源氏物語』宮田雅之 [切り絵] /英訳 マック・ホートン/講談社
上掲文は、もちろん源氏物語41帖「雲隠」についての解説である。年末に切り絵師宮田雅之による挿絵付き簡易対訳本を見つけ、挿絵表現と各帖の内容を比較しながら楽しんでいる。
「光源氏」の名前は、全世界に知られた日本人の名前の一人かもしれない。しかし、その死を語らず、帖名だけで逝去を知らせる心憎い趣向には、紫式部の才能を羨むばかりである。
名を隠すこと、それはひとりの人格の消失やたとえば荼毘に他ならない。
葬儀に参列。真言宗の僧侶であったが、せっかくの経文が聞き取りにくかった。プロならば、発声法や教典をもっと真剣に勉強すべきではなかろうか。末寺の僧のことまで知らぬと高をくくるのなら、それはその宗派の堕落に繋がるだろう。
2002.01.08(Tue)
春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空
藤原定家
■『新古今和歌集』/日本古典文学全集/小学館
従兄の急逝の知らせに午後からJRにて愛媛へ。風が強く、瀬戸大橋を渡るJRが運休しているため、ダイヤが乱れていた。四国山中、雪。確かに多度津で乗り換え、瀬戸内海にさしかかると荒波が立っていた。
車中、ぼんやり土曜日に書いた塚本邦雄の「夢の浮橋」の歌のことを考えていたのだが、大切な歌との関わりをすっかり忘れていたのに気が付いて独りあせってしまった。ここで定家の歌を抜いては、読みは半分にも満たなくなってしまうだろう。
「不惑、耳順、他人事として過ごしけり」の後ろには、今年80歳を迎える彼にとっては、80歳で亡くなった定家、90歳まで生きた藤原俊成への思いや寂しさがひとしお身にしみるのではあるまいか。
「夢の浮橋」がたよりない愛恋や命の象徴であるばかりに、「別るる」寂しさが思いやられるのであった。
2002.01.06(Sun)
ゼントルマン・ライダー、ルフュス・フロックス卿よ、なんだというので、あなたはまた自分の名前を、馬になんかお付けになったんですか?
ジュール・シュペルヴィエル
■『シュペルヴィエル抄』/堀口大學訳/小沢書店
馬と一心同体になった男の悲劇である。しかし、堀口大學の訳は、フランス語の読めない私にも、原文以上の思いを伝えてくれる。
姫始めとは、男女のそれに使うようだが、もともとは宮中で正月五日に騎馬始めを行ったことから、飛馬始め、騎初(のりぞめ)ともいった。また、姫(女性)が水を使って炊事を始めることもそう言ったようである。
新春の京都競馬場へ行きたいと思っていたが、そうもならず、5日ならぬ6日に初めて馬を観る。冬至を過ぎ、やや日が沈むのが遅くなったようだ。山の端に沈む真っ赤な夕日と、その後の冬茜の色が何ともいえず穏やかな一日を感じさせてくれた。
夜はBSハイビジョンで楽しみにしていた映画「ブレイブハート」。13〜4世紀のイギリスの話だが、まだ鉄砲の無かった時代の戦闘は力のぶつかりあいそのものであった。この映画、馬が残酷に殺されるシーンも多いが、それ以上に活躍の様子も伺える。メル・ギブソン好演で、私好みの映画ベストテンに入るものである。
Jと遊ぶ。快晴。
2002.01.05(Sat)
「淵」「唇」と「ち」の「つく」言葉おそろしと友言へど「ともしび」は大嫌ひ
塚本邦雄
■総合誌『短歌』/2002年1月号/角川書店
「ち」に鉤カッコがあるのは解るが、「つく」にまで何故と思って考えてみれば、これは「血の付く」ものが恐ろしく、忌わしく思えると塚本は言っているようだ。かつて友人が、彼は自分の血を見ても気絶するくらい「血」が嫌いなのだと教えてくれたことがあるが、真偽のほどはわからない。
それでは何故「ともしび」は嫌いなのか。明かりが「つく」から嫌いなわけではあるまい。「Right」ならぬ「right」、政治的な「右」も「左」も、彼は嫌っているはずである。もちろん付和雷同の「右へならえ」などもってのほか。はたまた、「友」の「詩碑」まで嫌いと読むのは穿ちすぎというものであろうか。俳句と異なり、ひとり空想をめぐらし、あれこれ読み解く愉しみがあるのも塚本短歌の特色である。
不惑、耳順、他人事として過ごしけり「夢の浮橋」渡りたれども 邦雄
源氏物語54帖「夢の浮橋」では、薫の手紙を浮舟の元に縁ある少年に持たせる話であった。40、60、命の長さなど他人事のように思っていた塚本も、最愛の妻に先立たれ、こころ半ばは此岸と彼岸に掛かる橋を渡ったこころもちなのかもしれない。
彼は2002年には80歳。しかし、まだまだ旅の途中のはずである。彼が見残したものを視るのも大切。そしてまた、われわれに見えないものを見せて欲しいものである。塚本邦雄の良さは、中途半端に悟らない僧頭のような真剣さである。
今さらながら、親知らずを抜歯。血が額まで飛んでいた。快晴。
2002.01.01(Tue)
落書きこそは書の出発である。書(筆蝕)は意識が言葉に転換する、意識でもあり言葉でもあるという接点に立つ表現であり、書の表現の中には、言葉になりきれなかった意識が膨大に詰まっている。
石川九楊
■『書を学ぶ』/筑摩書房
書のほとんどが文字で表現されるため、鑑賞者はなんとかその文字を読もうと努めることになる。つまり、筆者の頭の中の思考が言葉になり、文字に表現されたものを頼りに、その筆者とコミュニケーションを図ろうとしているのである。
しかし、それだけではない。石川九楊は書の中には、「言葉になりきれなかった意識」が膨大にあると言っている。その点では、絵画と似ている。ただ、絵画の場合は、最初から読んで解ろう、理解しようとする人が少ないため、好き嫌いでほとんど片付いてしまっている。制作者の思いを読み解くより、その色彩や形状の美しさを楽しむことに重点が置かれているようである。
その意味では書も似たようなもの。読み解けないような文字であっても、全体のバランスや墨色の変化の美しさを充分に楽しむことができる。しかし、一旦、言葉の意味を探ろうとすると、その言葉に現わされていないものまで確かに詰まっているように思えてならない。
さて、今年も名前や言葉を探す旅に出てみよう。それらをいつか捨てるために。
2002年 01月 |
2001.12.26(Wed)
花だけど甘すぎない。鮮やかさが残るからこそ死が際立つ。
不思議な静寂に誘ってくれる心地までが私にも部屋にも染みてくる感じがした。
安田成美
■雑誌『Grazia』2002年1月号「アートを飾ろう」より/講談社
「グラツィア」とはイタリア語で「優雅」とか「洗練」の意味らしい。読んだ雑誌の内容はメモしておいたのだが、雑誌名を忘れてしまったので、インターネットの検索ページから、出版社と雑誌名をつきとめた。便利になったものである。
壁に飾るものを探して青山のカッシーナの店で出会ったらしい。それは、アラーキー(荒木惟経)の「FLOWER」(35.5×50.7)という写真である。青い背景にほとんど生気を失った薔薇の花が写っている。ピンク、パープル、イエローレッドの美しい花だったろうと思われるが、みる影もない。
この写真を求め壁に飾れる人が羨ましい。幸せな人なのだろう。
私なら時々本を開いて鑑賞するにはいいが、毎日見るのでは気が滅入ってしまいそうである。芸術的な作品にはそんな要素が少なからずある。訴える作者の主張が強いだけに、ただぼんやりと見つめて過ごすわけにはいかない。「死が際立つ」作品と毎日向き合う自信が今の私にはまだ無いのである。
今年最後の「銅の会」。句会後、いつものように喫茶「セザンヌ」でお酒を飲み、とりとめのない話をひとしきり。先々週、ここにウイスキーをキープしていたことさえ忘れていた・・・
2001.12.25(Tue)
いまやビジネスツールとしてのデザインをうまく使いこなせなければ、ビジネスは成功しえない状況 ”No Design,No Business ”にあると言えます。
■雑誌『日経デザイン』2002年1月号/日経BP社
「日経デザイン賞」の告知コピーにこう書かれていた。
しかし、周りを見まわしてみると、何と下らないデザインが多いのだろうと溜息が出てしまう。余りにもアンバランス、デザインという名の衣をかぶった人工製品ばかりあふれてしまっているように思えてならない。
デザインは流行もの。それも解る。しかし、一貫したデザインポリシーもなく、その場しのぎや二番煎じ、三番煎じが堂々と大手を振って生産され、それが安いからといって求められ、いつしか身の回りにあふれてしまうのだから始末におえない。(もちろんそれを買ったのは私である。)
飽きやすい人間に驚きを提供し、流行り、廃れ、忘れられ、そんなものもあったのかと思うものが大半以上なのである。それはデザインだけの問題ではないかもしれない。確かに何もデザインしないより、少しはユニバーサルデザインでも考慮してくれればいいかもしれない。ただ悪くするだけなら何もデザインしないままで、機能や技術の価値だけで安く生産してくれればいい。いや、そのほうが我慢しても納得できるというものだろう。
かつて、”No Design ”を勧めるデザイナーがいた。デザイナーにとっては仕事にならないのだから利益には結びつかない。本来は、無駄な経費を支出せず、会社の利益につながったのだからそのアドバイス料を払っても当然と思えるようなものだったが、時代はまだそこまで来ていなかった。
やはり風邪をひいてしまったようだ。毎年、12月は体調が悪くなりがち。昔ほどひどくはないが、それでも熱が出たり、咳が出たり、早く直さなくては。
2001.12.24(Mon)
水の香と木の香かよへり雪催 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2002年1月号/鷹俳句会
場所は何処なのだろう。櫟(くぬぎ)や小楢(こなら)の落葉木の林の道を歩きながら、先ほどから岩間から湧き出る水音が聞こえている。ふと見上げた空には雪催の雲。急に寒くなってきた。しかし、来年の春の約束を「水」と「木」が交わしていると感じると心あたたまる思いがする。
水道の水に慣れきってしまうと、美味しい水の香を忘れてしまう。時々、思い出したように塩素の香に気付き、思わず吐き出したりするが、それも束の間。平気で飲んでいる自分に呆然としながら、それでも飲まなくては生きていけないし、ある意味ではこうして便利に水が飲めることに感謝もしている。
陸羽のように水がめの香をきき分けることもかなわないが、せめて林の道を彷徨う時は、水の香や木の香におもいをいたし、気楽に歩いていきたいものである。
高知鷹句会12月定例会&忘年会。少し風邪気味のため二次会は欠席。
2001.12.23(Sun)
京近く湖近く年暮るる 高野素十
■カラー図説『日本大歳時記』/監修 水原秋桜子、他/講談社
作句のために季語の解説を読んでいて、「年の暮」の例句の中にあったこの句とめぐりあった。
芭蕉の「ふるさとや臍(ほぞ)の緒に泣(なく)年の暮」はじめ、錚々たる俳人の句が並んでいるのだが、重い句が多い。というより、何か意味がまとわり付いたばかりなのである。
その中で、この句を読んで「近く」のリフレインとともに、まさに「年暮るる」の活かされ方に、はたと膝を打った。やはり俳句はリズムである。小さな詩型に複雑な言葉や意味を持ち込んでも重苦しくなるばかり。
軽やかに千年の時が流れ、その一瞬の命を大切にすることが今を生きるということなのである。
『素十全句集』(永田書房)によれば、昭和30年作の句であった。全句集は何度も読み返しているのだが、素十の句の中にあってはこのような句はありふれていて見落としてしまいがちである。しかし、一句独立して書き出せば、なんと単純で大きな句だろうと、何度も何度もそのリズムを味わっている。
Jと遊ぶ。今年も数えるばかりとなった。
2001.12.18(Tue)
生まれた音は生まれたままに、
色褪せる音は色褪せるままに、
消えていく音は消えるままに、
どうしようもなく、ただすぎていく。
高橋悠治
■『音楽の反方法論序説』/インターネットより採取
インターネットの「青空文庫」(パブリックドメイン文庫)のなかには貴重なデータが眠っている。
http://www.aozora.gr.jp/
それは、能動的に働きかけ、読もうとしなければただのデジタルデータなのだが、著作権が切れた50年以上前のデータばかりとは限らない。まさか高橋悠治の文章が置かれているとは思いもしなかった。
彼が「InterCommunication」創刊号から5年間21回にわたり連載したもので、単行本にはしないと著者みずから決めているものらしい。
「1 か 0 かというディジタルの論理は、選択の究極にたどりついたものではあるが、ディジタル、つまり指の論理である限りでは、1 でもなく 0 でもないナタラージャの指先の反りとメビウス的な表裏の関係にあるのかもしれない。」
彼は「消えていく音」をそのままの状態にたもつことの難しさを知っている。ディジタルでまだ表せない、舞踏の指の反り具合を考えている。それは音楽論ではなく、深い真実を見つめた彼の哲学論に他ならない。
2001.12.17(Mon)
雪に雪載つて大きな牡丹雪 正木ゆう子
■俳句総合誌『俳句研究』2002年1月号/富士見書房
読んで幸せになれる俳句がある。あたりまえのことなのだが、そのあたりまえに気付かせてくれると、まわりのものまでキラキラしてくるから不思議である。
頭で考えて解るまえに、直感で「これいいよね!」と跳びつけるもの。それはやはり単純明快なものでなければならない。深読みなど、想像力さえ働かせばいくらでもできる。しかし、創った作者と私と仲間と、そして誰もが、読んだ瞬間に、空から風に揺られながら落ちてくる「大きな牡丹雪」を視ることができるのは、そこに明確に書きとめられた言葉の力である。
ひとつの大きな牡丹雪から、次からつぎへと落ちてくる牡丹雪に視界が広がり、空へ、野山へと広がっていく。そのとき、作者とともに、私も牡丹雪を見上げてその中に立っているような気分にさせてくれる。人間の存在などきっとそんなものだろう。
一物俳句の強さは、イメージをさえぎる物が無いことが大切な要因である。しかし、そのために、類想の山に埋もれ、ほとんどが失敗作に終る。確かな言葉を掴み取る魔力を持っていなければ、言葉に溺れてしまう厄介な技なのである。正木ゆう子は、そんな魔力を秘めた現代俳人のひとりであろう。
冬らしい寒さ。小雨。
2001.12.16(Sun)
平明といふ言葉は「よあけがた」といふ意味があるのださうである。
高浜虚子
■『虚子俳話』/新樹社
文末の俳句の後に<34.4.5>とあるから、昭和34年の文章である。『虚子俳話』は、朝日新聞に発表していた小俳話をまとめたものであり、この「平明」が最後であった。つまり、この年の4月8日に亡くなっている。
松山では正岡子規の偉大さに隠れてしまい、虚子の評価はあまり高くない。しかし、この平明を旨とする俳句の深みを唱え、実践したのが虚子であったように思う。革新者は確かに重要であるが、それを引き継ぎ、深め広める者がいなければ、その改革そのものが見捨てられてしまっていただろう。
「深は新なり。」、「古壺新酒。」、この二標語を実践しようとした虚子のこころを思う時、「平明」とともに「よあけがた」の言葉を胸に刻み、「平らかに明るい」俳句をものしたいと考えている。
俳人の老いにおける深まりとは、衣を脱ぎ捨てるような平明さなのだろう。しかし、それは容易そうでいて、もっとも難問なのである。
寒い一日であった。午後からDと遊ぶ。
2001.12.15(Sat)
遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき 斎藤茂吉
■『赤光』/斎藤茂吉作/岩波文庫
この歌は、大正二年「死にたまふ母 其の四」の章の中にある。普段手に取りやすいリビングの本棚に一冊置いてあるのだが、別室の本棚にも同じものがあるのを発見した。文庫本だからそれほど邪魔にはならないが、同じ本を時々違う部屋へ持って来て読んでいるものとばかり思っていたので、一瞬驚いてしまった。
やはり『赤光』一連のなかでは、「死にたまふ母」の章がもっとも鮮明に映像を結びやすい。しかも、繙くたびにこころ動かされる歌が顕ち上がってくる。今まであまり気にも止めなかったような言葉が、ずしりと重さをもってせまってくる。
「命は無しと」、流れる雲なのだからあたりまえのことなのだが、今、今日、ここでこそ、「かなしき」ととらえられるのである。毎日同じものを見ても、自分の気持のありよう次第で変わってしまう。こころとは厄介でまた楽しいものである。
床に落ちている赤いものが気になった。何だろうと拾い上げてみると、南天の実であった。先日買って来て花瓶に挿していた紅白の南天のひと粒がこぼれたものであった。挿した南天は見えていても気にもとめなかったのに不思議なものである。
二日続きの忘年会。どこの飲み屋も人が多そうなので退散。
2001.12.14(Fri)
わたしの身体から流れ出す言葉の川にいったん足もとをさらわれ、やがてあたらしい衣を纏って、知らないはずの時代に生まれ変わった人々の群像が、そこには視える。
辰巳泰子
■平成14年版『短歌年鑑』/編集 山口十八良/角川書店
「あたらしい衣を纏って」生まれ変わったかどうかは疑問である。しかし、彼女の朗読に、足もとをさらわれた人はいたのである。
辰巳泰子は、ある俳句結社のパーティー会場で、歌集『仙川心中』の一連をスタンドマイク一本で朗読した。そして、約二十首を読みあげながら、会場からすすり泣きが洩れるのを聞いたという。
歌集を目で読み涙するのではなく、著者自らが朗読し、その声に演劇の一場面のように共感して、言葉が新しい「場」を創った驚きを伝えていた。
安易に涙するものは、簡単に忘れ去る。それも真実ではあるが、確かにそこに朗読者の予期せぬ「場」が生まれ、歌人の体験が聴衆の日常の足もとをさらったことは事実であり、共感者によって新たな流れを生むかもしれない。
「表現行為」を作歌だけに止まらせないようにしようとする著者の思いが伝わってくる文章であった。メディア論もまた一つの考えとして記憶に留めておこう。
死線にてはかしこき馬を使ふべし 世間にありては立派なる馬を 辰巳泰子
2001.12.13(Thu)
あの均整のとれた華奢な体はおまえの思うままになったが、この肉づきのいい頑丈な体はおまえを強く締めつけている。
高 行健
■『ある男の聖書』/高行健(ガオ・シンヂエン)/訳 飯塚 容/集英社
久しぶりに読みごたえのある小説を読んだ。
日経新聞の藤井省三の書評の言葉が素晴らしく(参考:2001.11.18)、是非読みたいものと取り寄せたのだが、500ページの大冊に少し戸惑い、読める機会を待って
いた。
高行健の自伝的小説といわれるだけあって、現代と過去が複雑にフラッシュバックする。しかし、彼の過酷な中国時代の話ばかりを延々と聞かせられるならば、きっと途中で本を閉じていたかもしれない。生の根源に繋がる性欲も含め、生々しく赤裸々に、また少しは作家的脚色も加えながら語られると、その物語のクレヴァスに落ちてみようという気持ちになった。
思想(想念)と肉体が波打ち悶え、あまり幸せとも思えない男の生きざまがあった。この小説を発表した99年の翌年、つまり昨年、彼は中国人(出生中国)として初めてノーベル文学賞を受賞している。しかし、この本はその選定委員会においてもまだ対象とはならなかったであろう。
1940年生。1966年文化大革命、1977年訪仏、1981年北京人民芸術劇院所属、1987年出国。1989年6月4日天安門事件、1997年フランス国籍取得。
1990年、『逃亡』執筆、政治亡命、その後中国では全作品が発禁とあった。祖国、中国の言葉で書かれた彼の作品は現代中国を越え、全世界で翻訳されて読まれている不条理に、恐怖以外のなにものをみることができるだろう。国や法律は言葉を縛ることなど本来不可能なのだから。
「おまえは女に対して、欲望だけではなく、大きな感謝の気持ちを抱いていた。」
救われるような言葉である。
2001.12.12(Wed)
僕は持参したソフトの中から、高島さんと、この秋に亡くなった沢山の人々の冥福を祈って「デュリュフレのレクイエム」を一番最初にかけた。
山本耕司
■FMfan 別冊『オーディオ・ベーシック』Vol.21/共同通信社
記載によれば、1993年、英米文学研究者、登山家、オーディオ評論家などの肩書を持っていた高島誠が亡くなった。
著者は、かつて高島のリスニングルームで生まれて初めてオーディオ評論家と呼ばれる人の音を体験し、自分の音との大きな違いを知らされたという。そして、彼が残したオーディオ・システムをもう一度聴きたいと思い、夫人に頼んで、そのままになっている部屋で今年の8月に聞かせてもらった。
「一体どうしたものか。寝ている恐竜を刺激したら、寝ぼけて叫び声をあげたような音だった。」と回想している。
どんなにいい部屋を用意し、溜息のでるようなオーディオシステムを組んでも、調整する主がいなくなっては、無惨な音、いや声しか発しないのである。
彼は友人、小林悟朗に協力を依頼して、二日がかりで調整を行った。そして、もちろん見事に蘇った。
「さすがに6WAY、ものすごいワイドレンジだ。ビシッとフォーカスが合い、反応が速く、透明で、リアルな音だ。音楽情報だけでなく、演奏者の気配など、あらゆるものが再生されている事に驚いた。こんなに豊かな低音をきいたのは初めてで、とても良い経験だった。」
そうだろうとも、私も一度、そんな音を聴いてみたいと喉から手がでるような思いでこの文章を一気に読んでしまった。
「それから1時間以上色々なソフトをきき、最後は武満徹の『ノーヴェンバー・ステップス』で締めくくった。」
実に嬉しい選択ではないか。選曲名を聞いただけで、どんな音がするのか何となくわかるようで、お腹の中から温まるような思いであった。
2001.12.11(Tue)
年末に向け、国内は不況の、世界は不穏な空気に包まれておりますが、憎しみや怒りを超え、文化も場所も時代をも超えて人びとを感動させ勇気付けることのできる音楽、そして読者のみなさまと私たち編集スタッフを結びつけてきた音楽に感謝し、休刊の言葉とさせていただきます。
丸山幸子
■音楽を楽しむための情報雑誌『FMfan』2001年12月10日号/共同通信社
工芸制作の単純作業を続けているとき、聴くとは無しに耳から入ってくる音楽や言葉があると気が紛れることがある。神経を集中させなければならないときは邪魔なのだが、そんな時間ばかり続くこともないので、普段からラジオのFMを流していることが多かった。
レコードやCDが高くて買えなかった時代、レコードにさえなりにくい現代音楽を楽しみにした時代、ぼんやりと何も考えずに過ごしてきた時代と様々ではあるが、確かにそこに何らかの音楽があったように思う。
音楽のプロではないので、あまり詳しく知る必要もないのだが、何故か流れた音楽が後から気になって、さっきの音楽は誰の何という曲なのだろうと思ったとき役にたつ雑誌が「FMfan」であった。この10年あまり、何となく惰性で買い続け、そんなに熱心な読者でもなかったが、やはりその休刊(終刊なのでしょう)の辞を読むと一抹の淋しさを感ぜずにはいられなかった。
1966年6月創刊以来、35年の歴史に幕を下ろすことになった。さて、インターネットのWebサイトの中からFM放送プログラムを探してみることにしよう。
2001.12.10(Mon)
私の意図は、ここではわれわれと生存の時代を同じうする作家たちによって、そのような俳句という古風な芸術方法の把握の上に、現代の詩人の決意がいかに現われているかを見るにあった。
山本健吉
■『現代俳句』/角川書店
俳句を作りはじめたころ、この文庫本が随分役にたったように思う。昭和前半の有名俳人や代表句が紹介され、その解説が適切であり、塚本邦雄の「百句燦々」と合わせて読めば、他の俳句はあまり読まなくてもいいような気にさえなったものである。
「現代の詩人の決意を見る」と言い切ったところに、山本健吉の評論家としてのアイデンティティがあった。俳人を俳人としての枠に納めるのでは無く、広く詩人としての眼差しをもって俳句を詠っているかと見つめることが重要なのであった。
しかし、昭和26年6月にしたためたこの後書から11年、昭和37年10月の後書では、「私は今の俳壇の新しい動きに、ほとんど興味を失っている。」と述べ、子規、虚子から草田男、波郷、楸邨あたりまでの俳句的達成への興味と、それ以後ではさほど興味が無くなったことを吐露している。
果たして現代俳句はどこへ行ってしまったのだろうか。俳人がいなくなったわけではない。年末恒例の俳句年鑑には今年も多くの俳人の作品が掲載されている。しかし、「現代俳句」で取り上げられた俳句に匹敵する句が何句あるだろう。私は詩ではなく俳句を読みたいと思っている。しかし、詩心を超えることもできず、捨て去ってしまった俳人の俳句など読みたいとも思わないのである。
2001.12.09(Sun)
白息と出でゆくものを怖れけり 藤田湘子
■第七句集『去来の花』/角川書店
高松へ。
思いがけずJRの車窓から陽光に映える紅葉を見ることができた。もう枯葉になって見ることもできないと思っていただけに、あざやかな赤や黄色の葉を纏った木々が印象的であった。
第39回、現代工芸美術家協会四国会展の最終日が月曜なので、一目その様子を見ようとMデパートを訪ねたのだが、出品作2点のうち1点「音の記憶」が売約済になっていた。画廊関係者に伺うと、今朝、所望があったとのこと。未知の高松市在住の方であった。この景気の悪い中、私の作品に目を止められ、気に入って下さったことが喜びである。また心して、自分の気持ちに誠実なものを創っていこうと思う。
2001.12.08(Sat)
それにしてもああいふ寥しい処を毎年のやうに訪づれるということは、和歌をものする女のならひではないか、・・・
室生犀星
■『室生犀星全王朝物語 上』「えにしあらば」より/作品社
「車して朱雀大路の宵のほどを行きたいのが常の女のならひであるのにと少将は笑ひながら云つた。」と続く。
平安貴族の女性を題材にしたものであっても、犀星の語り口を借りれば和歌を作るものは鄙びた所を好むもの、普通の女性ならば人の往き来の多い賑やかな所を好むものをと言っている。
それが真実平安朝の貴族の思考なのか、犀星の希求なのかは知れないが、和歌を好むものは少し常人とは違ったところがあるのは事実だろう。簡単に言ってしまえば、野球やサッカー好きと短歌、俳句好きの違いのようなものである。勿論どちらも好む人達がいるが、やはり大きくふた手に別れるに違いない。
これら王朝物は「婦人之友」から依頼されての機縁として、昭和15、6年頃から始まったようであるが、今読むと相聞の言葉など奥ゆかしく美しく使われていて心にしみる。
晴天。夕日が赤々と沈む。
A、11月16日入籍によりYに改姓。愛称のままAでよいとのこと。
Jと遊ぶ。
2001.12.07(Fri)
凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 高浜虚子
■『五百句』/改造社
「昭和八年一月二十六日。丸之内倶楽部俳句會。」と注記がある。山本健吉の『現代俳句』では、この年の作としては、「襟巻の狐の顔は別にあり」を紹介して、滑稽な句であり、また風刺的でもあると批評している。
この句、丸之内倶楽部俳句會での作とすれば、写生ではなく席題であろう。凍蝶が「魂のごとく飛ぶ」なら凡百の比喩になってしまうところを、そこに今しも蝶の身体から抜け出し消え入るような魂を見て、それを追ってか弱く飛んでいるのだとは、見ることを通り抜けた感性という他あるまい。
後から深読すれば、人間とても「凍蝶」のように、「己が魂追うて」暮らしているのだともいえるだろうが、邪推は禁物。ただ宙に舞う、凍蝶の魂とその姿を連想して目と心を遊ばせよう。至福の時間が流れてゆくだろう。
2001.12.06(Thu)
1953年に遺伝子というものが発見され人間もまたコンピュータのように情報の集積にすぎないのだということが証明された。
山川健一
■『ダ・ヴィンチ』2001年12月号/メディアファクトリー
何か違うような気がする。かつて人間の記憶や想像力のようなものを真似できる機械を目差してコンピュータを創ったのであって、人間は遺伝子を使ってコンピュータの真似をして情報を集積している訳ではない。
また、情報の集積に過ぎないのなら、エネルギーを発生させて生活するよりも、ハードディスクや鉱物のように、情報を閉じ込めたまま必要になるまで眠ってしまうほうが効率がいいように思う。
しかし、遺伝子が発見されて、まだ50年にも満たないとは知らなかった。それなのに、これまで生物は営々と働きつづけ、いつのまにかこんな文明を作り上げたのだから大したものである。複雑に絡み合った遺伝子も解読され、置き換えられる世の中なのだから何があっても不思議ではないが、せめて情報集積装置にだけはなりたくないと思う。
さて、今日、ワタシハナニヲツクッタノダロウカ?
2001.12.05(Wed)
何千年も飛行して、いくつかが地球に落ちてくる。
池澤夏樹
■『デザインの現場』2001年12月号/美術出版社
先日から少し気になっている広告がある。アドビシステムズが発売しているDTPソフト「InDesign」の宣伝である。見開きページに、京都らしい山々と霞んだ五重塔を背景に女性モデルがやや手を広げ、光を浴びるように立っているのだが、そこに小さな文字が雨のように降りそそいでいるものである。
何の文字を印刷してあるのだろうと、読めそうなところを拾い読みすると、上掲のような言葉が目に止まった。素粒子とか、星の爆発などという言葉の後に続いていた。なるほど、この文字は地上に落ちてくる星のかけらなのかと思いながら、広告の隅をみていると、「風景中の文章は池澤夏樹『スティル・ライフ』中央文庫」とあった。
池澤夏樹の文章など読んだ記憶がなかったのだが、こうやって広告に使われ、わざわざ読みにくい文字にされてしまうと、何だか反対に読んでやろうという天の邪鬼の思いがわいてくるから不思議である。もちろん疲れて途中でやめてしまったが。
素粒子は燃え尽きることもなく地上に落ちてくるのだろうか。紫外線のように。
2001.12.04(Tue)
放火の理由を、性的興奮を得たいためと答えた犯人もいるほどだ。そのような人間を、私たちはピロマニア(pyromania)と呼んでいる。
福島 章
■『Zen然』2001年12月号/日経BP社
放火の話が出るとなぜか「八百屋お七」の名前が思い出される。落語で何度か聞いて、その影響もあるだろうが、物語性があり不謹慎ながら面白く記憶できることによるのかもしれない。
落語では、「お七」、「吉三郎」の話になっている。やはり16才の娘の恋心や情念が強く感じられるところが、残忍な憎悪や恨みを持つ放火犯と一線を画し、後々まで語り草となった所以であろう。
お七は放火魔ではなく、放火マニアと呼ぶのだろうか。しかし、丙午生まれの女は不吉などいう俗説は、ここから起ったとは思えない。本当のピロマニアは火をつけたものの怖くなり、火の見櫓に登って半鐘を叩いたりしそうもないではないか。
遠火事の見えはうだいの湯舟より 大野稜子
「火事」が冬の季語であるとはじめて知って覚えた句である。
2001.12.03(Mon)
見ることをしない人間は、世界を眺め、その現実性を信じている。そのとき眺めることは解釈することに等しくなる−−−−眺めると同時に、それらを自ら解釈しているのだ。したがって眺めることと、解釈という制限を受けない、透明で純粋な見ることはまったく別のものである。
ドン・ファン・マトォス
■『20世紀の神秘思想家たち』アン・バンクロフト/訳 吉福伸逸/河出出版社
写真を撮られるのを嫌う人がいる。私もあまり好きではない。
私は常に撮る側の人間であり、被写体になってあれこれ指図を受けるのが嫌いなだけなのだが、スナップ的に勝手に撮られるのまで拒否するようなことはない。
ドン・ファン・マトォスは、メキシコに住んでいたヤキ・インディアンのひとりであり、カスタネダが師と仰ぎ、伝記を含め4冊の著書にその記録を残している。
ここでは「見る」ことと「眺める=解釈する」ことが、対比概念として置かれ、いかに見ることが難しいかを説明しているが、「見て考えよ」ではなく、「ただ見よ」と教育とは全く反対のことを諭してくれているように思う。
俳句の神髄と似通うものが「見る」という言葉に込められている。短歌では「眺める」ことが必要なのかもしれない。
2001.12.02(Sun)
ポインセチア愛の一語の虚実かな 角川源義
■インターネット『増殖する俳句歳時記』/編集 清水哲男
「え、ポインセチアって木なの?」
ポインセチアと聞けば12月に欠かせない真っ赤に紅葉した20から30cm前後の鉢植を思わないだろうか。
しかし、宮崎市内をタクシーで南に下り、掘切峠を越え、眼下に大平洋と鬼の洗濯岩を見下ろすドライブインに立寄り、思わず海よりも山側に歩み、それを見上げてしまった。
昔なら灌木といったところだが、2m近くの高さは優にある。そして、全体としては黄緑色だが、どの枝先も確かに赤く色付き、葉の形はポインセチアのそれであった。
なるほど、私たち4人は、あまりにも園芸種を見なれてしまい、野生のポインセチアの生態を見聞きする機会がなかったのかもしれない。確かに歳時記にも「猩猩木(ショウジョウボク)、クリスマスローズ」とあった。トウダイグサ科の低木なのである。
「ポインセチア」として、俳句の冬の季語として使うとき、私の頭の中には、この陽光降りそそぐ宮崎の海の斜面と、枝々の下をくぐり抜けて歩いた記憶が蘇るに違いない。これは問題になりそうな予感がする。「愛」なんて似合いそうもない風景が広がっていたのだから。
2001.12.01(Sat)
鷹俳句会の九州沖縄地区指導句会に参加。
宮崎、シーガイアで開催された今回の催しに184名が参加。開会時間の午後1時に間に合わせるために、高知から伊丹空港を経由して久しぶりに宮崎空港に降りる。
宮崎には仕事で何度か来ているが、句会に出席するために仲間と来たのは初めてである。今回は一般の披講では私の句に全く点が入らなかったが、湘子主宰の選に入ったので佳しとするしかない。特選にはまだまだ遠い道のりである。
偶然、夜神楽の一部を見ることができた。本来、33種の舞いがあるそうだが、その中から保存会の人達が8種を選んで舞っていたのである。
踊り自体はそれほど旨く無い。ほとんど素人が練習した程度なのだから仕方ない事。しかし、その合間に、竹筒で沸かした振舞酒(かっぽ酒と呼んでいた)や様々な煮しめの盛り合わせを御馳走になり、懇親会が始まる前からほんのり酔い心地であった。
何と言っても、竹筒が外から会場に運ばれて来て、ほんのりと焼酎の香りがただよった瞬間、宮崎へやってきた思いを強くしたのであった。そしてまた新しい出合いもあった。
2001年 12月 |
2001.11.30(Fri)
第1回ITS世界会議がパリで開催され、また日本でもITSの実用化を推進するVERTIS(現ITS Japan)が設立された94年当時、ITSのもたらす世界は構想にすぎないものでした。
■『トヨタのITSへの取り組み』/トヨタ自動車株式会社
大阪にて仕事。遊びではなく仕事で県外に出るのはそう多く無い。
少し目を離しているとその分野の人々にしか解らない略語が次々と乱造され、それが解って当然といった雰囲気で話をされてしまうので閉口してしまう。
「IT」がやっと「Information Technology」の略称だと理解されはじめたところなのに、今度は「ITS」である。これをすんなり「Intelligent Transport Systems」の略であると話題に付いていける人を私は尊敬すると同時に半ばあきれてしまう。
きっと「VERTIS」では長いので、「IT」に似た「ITS」にしたのだろうが、それを「JR」「JA」「JRA」のように安易に普及させるつもりだろうか。
今日からこのシステムのひとつとして「ETC」が運用されはじめた。これは、「ノンストップ自動料金収受システム」(Electronic Toll Collection System) とのことだが、「Toll」と「通る」を下手な掛言葉(?)にしたものか、謎は深まるばかりである。
2001.11.29(Thu)
土耳古石は不透明宝石中最も優秀の地位を占むるものであって、其の色は空青色即ち緑青色乃至黄緑色を帯ぶ。
久米武夫
■『寶石學』/風間書房
トルコ石の青には、確かに青空の温かさがある。カットした透明宝石のような冷たさではなく、どんなに磨いても温か味が残る。硬さもさほど無い(硬度6)ので、それほど高価な値が付けられることもないが、黄金やシルバーのアクセントには赤瑪瑙や珊瑚、孔雀石とともに相応しいような気がする。
この半貴石は、空青色が最高とされ、アメリカでは「ロビンエッグブルー」と呼ばれ珍重されると聞いたことがあるが、かのヨーロッパコマドリ、否、北米産のコマツグミの卵を一度見てみたいものである。
2001.11.28(Wed)
インド独立の父であるガンジーは、しばしばマハトマ・ガンジーという敬称で呼ばれている。
高田 宏
■季刊『銀花』2001年12月30日 第128号/文化出版局
かつて、映画「ガンジー」を見た。記憶の中では、何故か手紡ぎ車(チャルカ)を回すガンジーの姿が思い出されてならない。勿論、無抵抗の行進やハンガー・ストライキのことも忘れたわけではないが、単純そうに見える作業を続ける姿が印象的であった。
「マハトマ」とは「大きな魂」という意味で、タゴールによってガンジーに捧げられた詩のなかの言葉とされる。多くの人に様々な尊称や敬称が付されて呼び名として広まっていくが、それが本名と思って覚えていたものもある。また、ガンジーが明治2年生まれとは知らなかった。時は過ぎ行くばかりである。
2001.11.27(Tue)
トーキーだから当然のことながらサウンドトラックがあるのだが、ウォルトはあえてセリフを主体にせず、音楽を使ってアニメーションを展開した。
村上太一
■『FMfan』2001年11月26日号 No.25/共同通信社
今年の12月5日は、ウォルト・ディズニーの生誕100周年になるという。東京ディズニーランドがオープンしたのが1983年、そして今年はその隣に世界の海を舞台に7つのテーマポートからなるディズニーシーが9月4日にオープンした。
ミッキー・マウスが初めてトーキー映画「蒸気船ウィリー」の主演を演じたとき、まだまだセリフが実写に勝てないために音楽を大切にし、そのために子供たちにも共感されやすかったのではなかろうか。
言葉ではなかなか情感を高められなくても、言語の壁を越え、国境を越え、音楽にはその力が強く存在するように思える。
一匹のネズミからここまでの夢や産業を想像したウォルトには、アメリカの大量生産の思いが付きまとう。そして、私は子供のころから、ミッキーよりも人間臭いドナルド・ダックにひかれることが多かった。もっとも、一番夢を見せてくれたのは、妖精のティンカーベルだったような気もするが。
2001.11.26(Mon)
両神は兜太の山ぞ通草採 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年12月号/鷹俳句会
四国に生まれ住むものにとっては関東の地名や山の名から、その姿、気候を想像するのは難しい。果たしてそれが関東の山であるかどうかさえ覚束無い。しかし、「兜太の山」と呼ぶかぎりは、金子兜太が生まれ育った秩父から見える「両神山」なのであろう。
季語「通草採(あけびとり)」から類推すれば、悪太郎の少年「兜太」が近所の仲間を引き連れ、洟をすすりながら「あかなべ」や「あおなべ」と呼ばれる熟し始めた通草の実を探している状景が目に浮かぶ。あけびは少年にとってはちょっと甘く、エロチックな印象の実であった。
なお、蛇足ながら、金子兜太には句集「両神」がある。
雲一つない快晴の空もいいが、筆山にかかった夕映えにたなびく雲もいい。しかし、夕食を済ませレストランを出た途端、「寒くなった」と思わず肩をすぼめてしまった。半月よりも膨らんだ11日の月が昇っていた。
2001.11.25(Sun)
だがその後の一年、塚本の作品は微妙な崩れを見せ始めた。
中井英夫
■現代歌人文庫『中井英夫短歌論集』/国文社
1970年11月25日、塚本邦雄の理解者であった三島由紀夫自刃。岡井隆も突然の失跡をとげた。その後、塚本がこの二人に対して第7歌集『星餐図』によって献辞を捧げたのは有名な話であるが、その後の一年を冷静に見つめていた男がいた。
1949年以降、「短歌研究」「日本短歌」「短歌」編集長。寺山修司や中城ふみ子、葛原妙子、塚本邦雄を前衛短歌としてデビューさせた張本人である。
その彼の目に、塚本の作品の崩れとして映ったのは、「男歌」を持たぬ「女歌」の寂しさであった。元来、前衛と言えども岡井は茂吉の流れをくむ正として、そして塚本の本領は「負数の王」として、世界を逆光線の視線で捕らえ、真実繊細な人間の心の本音を「いたわりの歌人」として言葉で慰めるものであった。その琴線に触れようと思わぬものには、荒唐無稽としか感じられない幻視と映ったのも事実である。
まさに陰陽、月と太陽、女と男、どちらが欠けてもならないものではあるが、中にはアンドロギュヌスも存在する。さて、今「男歌」を継ぐ歌人はだれなのだろうか。
午後1時より、高知鷹11月定例句会。10名出席。
憂国忌風に怯えし馬駈ける 郁摩
2001.11.24(Sat)
私は、あなたをハナっ紙のように思っているのではありません。
荏苒(じんぜん)として日は経とうとも、忘れ得ぬ思いは地獄まであるだろう。
森繁久彌
■朝日文庫『品格と色気と哀愁と』/朝日新聞社
俳優・舞台人としての森繁久彌を知らない人は少ないのではなかろうか。私の記憶のなかでは、「知床旅情」の作詞作曲者としての思いは抜きにできない。また、ラジオから流れてくる朗読にはいつも感心させられている。
この一冊の本の中には、多くの人との別れがある。仕事仲間の俳優や監督、最愛の息子や杏子夫人。そうかと思えば、宰相に寝取られた芸者さんから、業病にかかった親戚の娘、舞台を見ず眠っていると思っていた盲目の女学生などなど。
パリに住む友人の女房を慰めに訪ね、脾肉を通して恋がうまれかけたことも赤裸々に書いている。その女性に、「あなたをハナっ紙のように思っているのではありません。」とは、なんと素敵な語りかけだろう。一度はこんなことを言ってみたいものである。
雲一つない快晴。午後から馬を見に出かける。
2001.11.23(Fri)
祇王寺に女客ある紅葉かな 高浜虚子
■朝日文庫『高浜虚子集』/朝日新聞社
俳句仲間と吾川郡春野町に新しくできた温泉&宿泊施設「Hの湯」へ。快晴。
総勢9名による鍛練会である。毎月決まったメンバーで定例会や吟行会を行っていても、全員泊込みで朝までやるのは数年ぶりなので楽しみであった。私は吟行会にはあまり参加していないが、今回は豪華な風呂付とのことで、それに釣られた部分も大きい。
午後2時到着後、来年の高知国体メイン会場となる春野総合運動場まで仲間と吟行。暦上は冬であるが、まだ秋草や紅葉、黄葉が美しく、句材をいろいろ見つけることができた。「イロハモミジ、トウカエデ(切れ込みが3つ)、タイワンカエデ(切れ込みが3つ、やや大きい)」など、公園の植栽の変化にも話がおよび、トウカエデと一般に呼ぶのは「唐楓」のようであった。植物学的には「槭」が使われるとも。
夕食後、吟行句会、ホッチキス、席題、袋回しと4回、ここで午前3時となり就寝。朝10時のチェックアウトまでに席題句会を1回。早朝起床組は、これにもう1回席題句会を行ったとのこと。
ところが、最初期待していた砂風呂は俳句を考えはじめると何処かへ飛んでいってしまい、結局、サウナ、屋外プールともども使わず仕舞いであった。残念。ただ、朝風呂は7時半に入ったが、30分以上、広い広いスペースを私の貸しきり状態で大満足。今度は俳句を忘れて来てみようと思った次第であった。
2001.11.22(Thu)
ハイゼンベルクのヘルゴラント島の夜、シュレーディンガーの雪のアルプスの夜、ファインマンのナッソー酒場での夜、あるいはネルソンの空白の夜に比べるのはおこがましいかもしれないが、スイスにいた1980年のクリスマス休暇のとき、黒い森近くのアウトバーンを愛車のランチャー・クーペで時速180キロを超えた瞬間、ぼくの頭にふと浮かんだ数式があった。
保江邦夫
■ブルーバックス『Excelで学ぶ量子力学』/講談社
唐突に「地球も月のように輝いているのだろうか?」と疑問が頭をかすめた。
月(衛星)というよりは、火星や金星のような惑星なのだから太陽の反射で光っていることになっているのだが、やはりその姿を見たことがないのでどうも実感に乏しい。また、火星や金星のように小さくではなく、月のように大きく輝いている姿が見てみたいのである。ただしスペースシャトルのような棺桶の中から見るのは御免こうむりたい。そうすると、やはり月面に立って見上げるしかないのだろうか。
仕事をしている最中にふとこんな考えが浮かびはじめると、後はとりとめない妄想が増殖していくので、それを食止めるのに必死である。
私の頭には画像や図形は浮かぶが、数式は浮かばない。しかし、保江邦夫は「数式など、美術館に飾ってある絵画と同じで、内容や意味がわからなくても、絵柄としての美しさや面白さだけみてもらってもよいのだから。」とも語っている。
なお、付録CDには、Excelを使った数値シミュレーション結果を圧縮したデータがWindows用に収録されているそうだが、Macでは見ることができないらしい。
2001.11.21(Wed)
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子
■『みだれ髪』/東京新詩社
某サイトのゲストブックに「柔肌の 熱き血潮に 触れも見で・・」は樋口一葉の歌とあったのを発見したが、これは与謝野晶子の歌ではないかと問い合わせがあった。もちろん与謝野晶子には間違いないが、歌は覚えていても、その表記すべてを覚えているわけではない。こんな時、以前なら書棚の詩歌文学全集を探しまわっていたが、最近はインターネットのお世話になっている。便利になったものである。
http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/bungaku.htm#kindai
そして、初版は明治34年8月15日発行、この時は著者名が間違って鳳昌子と印刷されていたことまで解ってしまった。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 (M.34)
やは肌のあつき血汐に觸れも見でさびしからずや道を説く君 (S.8)
また、改造社発行『與謝野晶子全集』とは一文字の違いがあったが、私には「觸れ」より「ふれ」が好ましい。(テキストファイル入力:岡島空山)
しかし、一般的には学校卒業までに教えられた歌を、およそ何首くらいまで覚えているものだろうか。正確には表記できなくても、折にふれ口ずさむ歌が何首かあれば、それだけで心豊かに感じられるのではなかろうか。
この夏訪れた宇治市内にも、この歌を刻んだ石碑があったように記憶する。
2001.11.20(Tue)
芸術の極意は、やわらか味という事ではあるまいか。
高浜虚子
■『俳句への道』/岩波書店
「さすがに虚子はいいことをいうなあ・・・」と、この文庫本を読み返すたびにどこかの文章に納得させられている。
「芸術品の高貴な厳粛な柔和なすべての現れは、つもりつもった写生の技とその人の精神から来る。」と言われても、写生や精神の言葉にいささかとらわれ、どうも腹に落ち着かないのだが、「やわらか味」と言われると、そうありたいと思う。
肩肘はってもさほど変わらない世の中であれば、やわらかく生きていきたいと思う。
県立美術館のレストラン「ピチカート」で昼食。木の葉が色付き、静かなたたずまいを見せはじめた。
2001.11.19(Mon)
海外にも作品が翻訳される世界同時的現代作家である。
■『新訂総合国語便覧』/監修 稲賀敬二 他2/第一学習社
少し懐かしくなるような、高等学校の国語教科書副読本をたまたま入手した。ほとんどカラーページ、2001年1月10日、改訂29版発行とあった。
最も興味をそそられたのは、「小説家・詩人・歌人・俳人」の各項目では、どこまで新人が紹介されているかということだった。
小説家では、1964年生まれの吉本ばなな。小説『アムリタ』(94年)
詩人では、1939年生まれの長田弘。詩集『食卓一期一会』(87年)
歌人では、1962年生まれの俵万智。第二歌集『かぜのてのひら』(91年)
俳人では、1920年生まれの飯田龍太。句集『亡音』(68年)
ここでは、想像に違わず俳句がもっとも高齢者の文学のようであった。四ッ谷龍(58年生)や奧坂まや(50年生)、正木ゆう子(52年生)など、まだまだ出てこないのだろうか。
ちなみに掲出文は、吉本ばななの解説の中にあった。「米中枢同時テロ事件」ではないが、「同時的」がどうも頂けない。
2001.11.18(Sun)
高行建(カオ・シンチエン、こいこうけん)とは、現代中国という不条理なる国家から、言語を盗んで逃亡し続ける極北の人である。
藤井省三
■『日本經濟新聞』2001年11月18日/日刊23面/日本經濟新聞社
わずか原稿用紙2枚ほどの書評でありながら「言語を盗んで逃亡し続ける」という言葉には穏やかならざる響きがあった。高行建は天安門事件を機にフランスに亡命したが、昨年、中国人として初めてノーベル文学賞を受賞している。
書評の対象は『ある男の聖書』(集英社)であり、私もまだ読んではいない。しかし、ここまで評価されれば読まねばなるまい。藤井省三の言葉からは、言語にかかわる作家と公用語として言語を持つ国家、そしてその歴史を思わずにはいられなかった。
夜中(19日午前2時)に起き出して、流星を見に出かける。少し郊外に車を走らせ、街明かりの少ない橋の上に立つと、全天に星達が輝き、あれがカシオペア、北極星、北斗七星、獅子、オリオンと見上げる間にも、星が流れる。また流れる。
光り弱く流れるものもあれば、かっと明るく飛び去るものや、めずらしく色彩を放ちながら過ぎ行くものもあった。
銅鉱の燃ゆるがごとき星流る 郁摩
2001.11.17(Sat)
「じゃ、あの稽古場の鯉が・・・・ほんとうに、飛んだって言うの?」
赤江 瀑
■『星踊る綺羅の鳴く川』/講談社
かつて赤江瀑の『春泥歌』を読んで以来、彼のフアンになった。似た名前のベストセラー作家がいるが、私には赤江瀑が好ましい。しかし、そのすべてが名作とも言えず、この著作など凡作の域を出ない。
書き出しの状景描写があまりにも大袈裟過ぎ、その余韻がいつまでも頭にこびりついて、結局それが終始フラストレーションを掻立てることになった。それが著者の得意とする落し罠とも思えず残念であった。
赤江瀑がこころひかれる江戸の戯作家と時空を越えて切り結び、春宵の夢を見せてはくれるが、まだまだ、まだまだこんなものでは書ききれなかったはずである。登場人物の芝居言葉の流暢さに綺羅を感じ、その楽しみにやや救われる思いがした。
「お話の腰を折るようですが、ご存知ですかえ。南北さんのお芝居にも、鯉幟りの出てくるのがござんすえ」
真っ赤な夕日が沈み、赤い繊月が昇った。
2001.11.16(Fri)
俳病の夢みるならんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか(九月十七日)
正岡子規
■『病床六尺』/岩波書店
正岡子規の『病床六尺』を読んだのは俳句を始める前のことであった。その時はあまり注意もしていなかったのだが、よく見れば「肺病」ではなく「俳病」であった。血をはいたり、痰がつまったり、との印象から勝手に肺病と読んでいたのだが、確か病は脊椎カリエス。痛みの拷問だけならず、俳人としての文学上の痛みもあったに相違ない。いや、あって欲しいと思う。
『病床六尺』は、明治35年、5月5日から9月17日まで、新聞『日本』に連載され、この短歌を持って終わりとしている。「拷問などに誰がかけたか」が無ければ俳句と言えなくもないが、どうしても下の七七が言いたかったのであろう。これは俳句では言えない言葉である。
翌18日、有名な辞世の俳句3句を書き付け、その日のうちに昏睡に入り、19日午前1時に息を引き取ったという。
2001.11.15(Thu)
気がつけば夜空の星が冬の星座に変わっている。街のあかりの中では見落としてしまいそうだが、見上げると確かに変わっている。そう思うと、両肩や背中のまわりも余計に寒くなってしまった。背筋を伸ばして歩かねば。
2001.11.14(Wed)
俊子の目にはその時、山脈があくまで雄々しく、湖がかぎりなくおだやかにやさしく見えたせいか、二つが澄明な冬の陽光を浴びながらおおらかに媾っているように見えた。
瀬戸内晴美
■『比叡』/新潮社
まぐわって見えたのは比叡と琵琶湖であった。それは、あまりにも完璧な一つづきの風景として、俊子、すなわち瀬戸内晴美には見えた。男が撞きたがる鐘楼の鐘の場面も、今読み返してみれば媾いの様を描いているようにも思える。
久しぶりに「短歌への扉」を更新。「塚本邦雄−代表歌集の紹介(3)」を作成。
http://members.tripod.co.jp/wadachi999/kunio3/web-kunio3.html
これまで、塚本邦雄湊合歌集に収録されていない歌集を手許に置いていたが、まずこれらのデータを紹介。短歌データベースはきっとSが作成するだろうから、私は自分のための資料として、政田岑生の装訂を知ることができるよう心がけた。
2001.11.13(Tue)
「ヴェロニカ」という名そのものが、「ヴェラ・イコン(真実の画像)」からつくられた。
竹下節子
■雑誌『obra』2001年12月号/講談社
ゴルゴダの丘まで歩かされた男が途中で力つき崩れたとき、その血と汗を拭った布が「聖女ヴェロニカの布」という聖遺物として知られている。
重い十字架を背負い歩いた道のりと、その沿道を見守る群集の中の一人を思う時、どのような状況にあっても救いの手を差し伸べようとする人間がいることにわずかに救われる思いがする。しかし、時の権力者に抗ってまで救おうとする人々はいなかった。これは今も変わらない。
真実とは、ある視点に立てばひとつでありながら、時とともにうつろい、その輪郭があいまいにぼやける画像かもしれない。デジタルビデオで記録された画像さえ、そのピクセルを越えた解像度を求めることは難しいのだから。
「トリノの聖骸布」によれば、男の血液型はAB型、身長181cm。確かにそんな男も居たであろうが、あの人だったとは限らない。
2001.11.12(Mon)
天網は冬の菫の匂かな 飯島晴子
■句集『朱田』/永田書房
インターネット古書店サイトで注文していた句集が届いた。
下世話な話になるが、定価2500円の句集を、書籍代1000円、消費税、送料、郵便振込料、合わせて1510円で手に入れることができたことになる。私にとっては好条件の買物であった。墨色の板目模様に朱色の長方形、そこにくっきりと「朱田」の筆文字、この力強さは飯島晴子の文字であろうと思われる。
この句集が発行された昭和51年には、まだ短歌にも俳句にも興味のない生活を送っていた。また、書籍を買い求める余裕もきっとなかったはずである。
そして、俳句に関心を持ちはじめ、最初に覚えた飯島晴子の句がこの一句であった。
天網からの連想は、近松の「心中天の網島」であり、現実の冬の菫には匂などほとんど無いと思われるのだが、この句を読んだ瞬間から、天を見上げた我が身を紫色の匂ともよべぬ匂の紐に幾重にも縛られ、身動きのとれないもどかしさに立ちすくんでしまうのであった。
言葉とはこのように身を律するものかと驚きいたり、俳句の底知れぬ魅力の一端を垣間見た思いであった。しかも、この思いは今も変わらない。
見開き4句組みの贅沢な句集のこの隣には、「男らや真冬の琴をかき鳴らし」と生命のエロスを感じさせる句も並んでいる。
2001.11.11(Sun)
司馬さんも、もちろん、である調で書きました。しかし、この人ほど、この、である調から、押しつけがましさの要素を抜きとることに成功した人を私はほかに知りません。
谷沢永一
■『司馬遼太郎エッセンス』/文藝春秋
文春文庫の一冊を手に取った。96年8月10日、第1刷とあったが、店晒しになっていたものか、上8分の1ほどがすでに日焼けして黄ばんでいる。単行本は85年3月に発行されたものらしいが、なぜか愛おしくなって思わず買ってしまった。
「りょうたろう」とパソコンに入力すれば先ず「遼太郎」が出てくるところなど、司馬遼太郎の名前がいかに知られているかの証でもあろう。ただ、私は浅学にしてこの筆名が「司馬遷を謙虚に遠く望み仰ぎ、遼(はる)か及ばず」の意を寓して案出されたものとは知らなかった。銘じておこう。
晴天のため夕暮れは空気が冷えていた。久方ぶりにJと遊ぶ。御機嫌。Mより信州林檎一箱を頂戴する。多蜜美味。
2001.11.10(Sat)
雨の日の仕事の友とするのは、CDよりもレコードがいい。適度にヒスノイズや針音がするのも、こんな日に聴くのはふさわしい。
佐伯一麦
■『読むクラシック−音楽と私の風景』/集英社
旅に出かけるときはMDを持参することがある。しかし、クラシックはまず持っていくことをあきらめている。これはカーステレオで聴く時も同じようなものである。
ポップスやジャズならあまり気にならない外界の音が、クラシックでは気になって、気分が損なわれるのを経験済だからなのだが、レコードとなるともはや持ち出して聴くことさえ不可能に思える。
しかし、純粋に音楽といったとき、この「ヒスノイズや針音」もその音の仲間に入るとは思えない。コンサートホールでの咳払いや衣擦れさえも忘我して音に集中できるならば問題ないのであろうが、私は雑音のない音も好きである。
現代音楽の雑音とも呼べる音が平気な私が、雑音と音楽を区別して聴いているのが不思議でならない。しかし、CDにはCDの、レコードにはレコードの音の楽しみがあるのは納得できるし、時々は黴を払いながら昔手に入れた現代音楽のレコードを聴いたりすることもある。
●今日の音楽:香坂みゆき「ヌーヴェルアドレッセ」/1987
2001.11.09(Fri)
山頂付近で少し道に迷う。というより、わざわざ見知らぬ道を歩いてみようと、ふらふら歩いた次第。いざとなれば引き返せばいいと思いながらも、かなり下ってしまって、この坂をまた引き返すのは大変と考えたり、優柔不断である。
山麓から聞こえてくる鐘の音をたよりに、道を決め、どうやら交通手段のあるところに出ることができたが、先ほどの鐘は1回50円を寄進しながら衝いていたものであった。紅葉と彼の世の闇ならぬ闇をみることができた。
2001.11.08(Thu)
Webサイトの更新をしなければと思いつつも、忙しくなると手抜きになる。やはり何事にも優先順位があって、大切にされないものが後回しにされる。それは、つまり、いつも私の名前が呼ばれるのが後回しにされるのは愛されていない証拠かもしれない。
2001.11.07(Wed)
立冬。今日から暦の上では冬季に入る。空気は冷たくなってきたが、日差の下に立てばまだまだ温かい。しかし、ゆっくり読書する時間がない。
2001.11.06(Tue)
われ愚かにして知らざれば意(こころ)に問う、これら秘められたる神々の足跡を。詩人たちは成長したる子牛に七条の綱をかけたり、織らんがために。
■『リグ・ヴェーダ讃歌』/辻直四郎 訳/岩波書店
リグ・ヴェーダ讃歌は、古代インドにおいて、神の恩恵により霊感をもった詩人に開示された天啓ともいわれる。
七は太陽(時の象徴)の車を牽く七頭の馬としても神聖視される。成長した子牛を太陽ととらえれば、七条の綱とは、時の運行を司る七曜のようなものだろうか。しかし、詩人、すなわち天啓を受けた祭祠者たちは、神々の足跡を視て人々に伝えたであろうが、過ぎ去った神々の行方は見えなかったのではあるまいか。
国分川に真鴨が飛来して日差を浴びながら泳いでいた。私には時の神は見えないが、枯れた芦原の色が冬の訪れを見せてくれる。
2001.11.05(Mon)
彼一語我一語秋深みかも 高浜虚子
昼食を摂ろうとして、以前の記憶をたどりホテルの近くを彷徨うが、結局見つけられなかった。後から知ったことだが、小さな和食どころは閉鎖され、洋装店に変わってしまっていたのである。
道路が変わり、店舗が変わり、そしてまた人もかわっていく。年々歳々、かわらぬものに出会うと嬉しい時もあるが、やはり流れにゆったり漂いながら生活するのが一番楽。急流に流されるのは御免だが、流されずにいることは難しい。
今年は、11月7日が立冬である。
2001.11.04(Sun)
但し書きのない本は初版美本です
2282 玉蟲遁走曲 毛筆識語 函帯 塚本邦雄 昭51 4500
2283 驟雨修辞学 函帯 塚本邦雄 昭49 2000
2284 煉獄の秋 函帯 塚本邦雄 昭49 3500
2285 獅子流離譚 函帯 塚本邦雄 昭50 4000
2286 藤原定家 函帯 塚本邦雄 昭46 3000
2287 星餐圖 毛筆識語署名 函帯 塚本邦雄 昭46 8500
2288 霧とこたえて 毛筆識語署名 函帯 塚本邦雄 昭51 7000
2289 夕暮の諧調 函帯 塚本邦雄 昭46 4000
2290 青帝集 限定二百五十部 カバ 署名 塚本邦雄 昭48 7000
2291 青き菊の主題 函帯 背薄日焼 塚本邦雄 昭 485000
2292 透明文法 函帯 塚本邦雄 昭50 5000
2293 国語精粹記 カバ帯 塚本邦雄 昭52 2000
2294 言葉遊び悦覧記 函 塚本邦雄 昭55 3000
2295 半島 函帯 帯背少焼 塚本邦雄 昭56 2000
■インターネット『海風舎古書目録より』
古書店で手に取ってあれこれ思案する楽しみは無くなったが、自分の探す本を日本中、いや世界中からインターネットを利用して手に入れることができるようになったのだから便利この上ない。
惜しむらくは、私の探し求める書物が、まだまだ個人の書棚に死蔵されていることだろう。廃棄される前に一度は古書目録として記録され、入手する機会を与えて欲しいものである。
海風舎公開書籍は、私の書棚と書箱のなかにもすべて揃っている。後は逆オークションを利用して、求める歌集や句集を手に入れるべきかもしれない。しかし、持っている人がインターネットと縁がなさそうなのが一番の問題である。
2001.11.03(Sat)
戦没の友のみ若し霜柱 三橋敏雄
■句集『真神』/端渓社
雨。
近所にまたパソコンショップができた。景気が悪くても経済活動が続くかぎり新しい店舗は増えるわけだが、そのために淘汰される店も少なからず存在する。全国チェーンの店の売りは、近所に自店商品より低価格のものがあれば、即日、同等価格に変更するとのこと。交渉では、あと少しくらいの値引きも可能であろう。
節気は「霜降」、しかし高知市内ではまだまだ霜にはお目にかかれない。ましてや霜柱など、真冬でもよほど山間部に行かなければ見ることができない。山育ちの私は、霜柱を踏みしめながら、通学するのが楽しかった。キラキラと輝く氷の結晶を、音も無惨に踏み崩していく快感を味わう機会が近頃無くなったことを残念に思っている。
2001.11.02(Fri)
男たちは髪を流し 目じりに色をさす
新しい弦を 使いなれた楽器に張る
萩尾望都
■『銀の三角』/白泉社
萩尾望都の描く弓に弦を張る上半身裸の男のマンガの一コマを見ていて、ふと弦楽器の起源を想いおこしてしまった。今ではかなり精巧に調律された複雑な弦楽器もあるが、確かに狩猟で獲物を得るために工夫した弓がその原型であることは容易に想像される。それなのに、なぜ今まで、そんな単純なことを思いもしなかったのだろう。
ギターやマンドリンがあまりにも日常の中に溶け込んでしまい、爪弾けば音の出るものとして疑いすらもたなかったからでもある。ヴァイオリンやチェロは、その少し変化した形。しかし、確かに弓は狩猟の道具であり、戦闘の武具の一つであった。
昼間狩猟をした男達も、夜は焚火を囲み歌をうたい、そして弓の弦を鳴らして音楽を奏でたはずである。
弓を持って騎乗する時、馬の手綱を取る方の右手を馬手(めて)、そして弓を持つ左手を弓手(ゆんで)と呼ぶのは、戦に弓が不可欠であったためでもあろうが、戦する男よりは目じりに色をさす男が好ましい。
2001.11.01(Thu)
秋ごとに来る雁がねは白雲の旅の空にや世を過すらむ
凡河内躬恒
■冨山房百科文庫『清唱千首』塚本邦雄/冨山房
午後から少し時間を取り「高知県展」を見に出かけた。会場の都合で、前期・後期に別れているのだが、今は後期、彫刻、工芸、書道、写真の入選作品が展示されている。
どちらかというと、工芸、彫刻はかなり熱心に見る(それでも普通の人よりは早いだろう。インスピレーションのある作品の前にしか立ち止まらないで通り過ぎる)のだが、書道の部で、平入選の1点が気になった。
内容は、古今集の中から気に入った歌やただし書を料紙に書き写し、横長く継いだ後、間をあけて3段に並べ、アクリル入りのかなり大きな額装に仕立てたものであった。料紙を作者(KS)自らが加工したものらしく、白い和紙に手揉みの皺のようなグレーの複雑な陰影が付けられ、とりわけ最上段の一列は鬱然とした背景に整えられ、王朝の栄華というより怨霊が乗り移ったような趣きのものであった。
特に気に入ったのは、最下段、最後の歌に私の好きな凡河内躬恒の「わがやどのはなみがてらにくる人は散りなむのちぞ恋ひしかるべき」が配置され、控えめの朱印、そこから左端までに15、6cmの空白があったことだろう。これで魅入られた魂が救われる思いがした。
入賞と入選の差は紙一重。審査員の好みがかなり左右するところではあるが、私ならば入賞に押したいと思った構成力であった。
2001年 11月 |
2001.10.31(Wed)
ヒラギノフォントの扱える文字数は漢字・非漢字あわせて約20,000字種となる。
■俳句雑誌『MACLIFE』2001年11月号/アイクリエイティブ
Apple社のMacを利用している。残念ながらまだMacOSXは利用していないのだが、OSX 10.0 から「ヒラギノフォント」が標準搭載され、7,000文字が収録されている。そして、最新バージョンアップでさらに文字数が増やされ、約11,000文字となったという。
新たな日本工業規格の「JIS X0213:2000」をサポートしたためらしいが、印刷所などで利用している電算写植機の字種などをあわせると約20,000字種が利用できるようになったらしい。
むやみに文字数を増やせばいいというものでもないが、やはり使いたい漢字が画面にないと寂しい思いをする。たとえば、「森鴎外」や「高浜虚子」は、正字で表示したいものである。
しかし、それが特定機種に依存するものではなく、すべてのコンピュータで利用できるものであり、インターネットの表示画面においても誰もが制作者の意図する文字を見ることができることを私は切に望んでいる。
2001.10.30(Tue)
柿一個置き退職のこと思う
味元昭次
■俳句雑誌『蝶』2001年11.12月号/蝶発行所
味元昭次の「両親(ふたおや)」22句を読み、同じ俳句とは言っても所属する俳句結社によってかなり表現方法が異なっていると思わざるを得なかった。やはり指導者や主宰によって、会員や弟子の表現方法も異なってくるからだろう。
その中で「空蝉をいくつ拾えば五十路過ぐ」と掲出句が印象に残った。
私は「柿一個■■■置き■退職の■こと思う」とリズムを付けて読む。その瞬間、柿色に熟れた次郎柿が一個、机上に蔕を下にして置かれた様が思い浮かび、その輝きを眺めながら退職を思案する作者の横顔が思い出される。作者には何度か会っているが、初めて彼の句会に誘われ、佐川町の司牡丹酒造を案内してもらったことが今も忘れられない。あれから高知の酒を旨いと思うようになったのかもしれない。
2001.10.29(Mon)
元来、実用性本意に開発されたものも究極は遊びに向う。
織田正吉
■『ことば遊びコレクション』/講談社
著者の名前で思い出される書籍としては、『絢爛たる暗号−−百人一首の謎をとく』(集英社)が忘れられない。藤原定家の選んだ百人一首からそこまで深読みしていいものだろうかと半信半疑ではあったが、定家自身が謎解きを残していなければ後世の研究者や作家の種にされても文句は言えまい。
「コミュニケーションの道具である言葉も例外ではない。」と続くが、彼は「遊び」を堕落とは考えず、文化そのものの一面としてしっかり捉えているのである。俳句や短歌も、言葉を定型の枠にはめるという面から見れば遊びなのだが、「文化は多分に遊びのなかから生まれる」という考えには共感させられてしまった。
コンピュータに「ことば遊び」を教え、俳句や短歌を詠ませ、鑑賞させることができるようになるには後何年くらいかかるのだろう。
2001.10.28(Sun)
午後1時から、高知鷹句会の10月定例会。ところがあまりの土砂降りに、マンションから50m先の電停まで傘をさすのも躊躇われ、結局タクシーを呼んだが、タクシーに乗る寸前、傘を畳もうとして左半身がかなり濡れてしまった。さすがに高知の雨というべきか。傘さえ役に立たないときがある。
句会は原則1時から開始。当日、7句出句と決まっていて、これは1時までに済まさないといけない決まりなのだが、毎回、5分ほど遅れて来る常習者がいる。自分に厳しく、人におおらかに接しようとすると、つい度重なる注意も憚られるのだが、俳人格を判断する場面ではどうしてもその仲間を推薦できないのは仕方がないことだろう。
緊張感のある選句、披講、そして、わきあいあいとした合評と、メリハリのある楽しい句会をめざしたい。日曜日、大切な時間を各人が共有しようとするのだから、俳句の輩として、お互いに実りある時間を過ごしたいものである。
神経がピリピリしていると、「額からカルシウムが出てるよ」と反対に注意されてしまった。
2001.10.27(Sat)
一冊の句集が手許にある。「高野素十が好きだというあなたに、この本を差し上げます。ただし私への献呈本なので、この事は口外してはいけません」
石井隆司
■『飯島晴子読本』俳句研究編集部編/ 富士見書房
素晴らしい本を出版して下さったと編集長以下、俳句研究編集部の皆さんに御礼を言いたい。この本が、たった1800円で手に入ることが何とも素晴らしい。私の宝物が増えたようで、市内の書店をめぐり、手に入るものは買い占め、こころある友人にプレゼントするとともに、仲間には是非とも1冊は購入すべきであると、珍しく命令口調で勧めている。
この本には、飯島晴子の処女句集『蕨手』から、第七句集『平日』までの全句が掲載されている。また、折々に発表された随筆、評論や自句自解、ほぼ手に入る全編とよべる俳論抄が納められているのである。まさに垂涎の一書といってまちがいのない書籍である。
俳句研究編集長、石井隆司による後記は上の書出しで始まる。私も高野素十が好きであり、彼の処女句集『初鴉』は書き写したものしか持っていないが、書物は献呈本であったとしても、無駄に廃棄することなく、それを大切にしてくれる人に譲り渡していくのが良いと思っている。いや、絶対そうすべきである。
2001.10.26(Fri)
悲しい歌を書いて、人を泣かせるのは簡単だ。でも、人を鼓舞し、人の心を楽しくさせるのは難しい。
矢野顕子
■『日本經濟新聞』2001年10月26日、日刊40面/ 日本經濟新聞社
音楽家の矢野顕子のいう「悲しい歌」には、きっと言葉と音楽が含まれている。メロディーやリズムを持った言葉は、人の心を動かしやすい。しかし、凡人には泣かせることさえ難しい。哀しみに沈む人を慰め、鼓舞し、楽しくさせるとは確かに至難の技である。
無闇に明るい歌だけでは人を傷つけることさえある。哀しみにシンクロナイズして、徐々に、徐々に生きる力を与えることができる歌が唄い継がれていくのだろう。
「怒りの心よ鎮まれ!」と自分に呪文をかけ、俳句や短歌の言葉にもリズム感を持たせたいと思う。読まれる言葉だけで人の心を勇気付け温かくすることができるように。
2001.10.25(Thu)
師の名こそ生涯の糧秋の雲 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年11月号/ 鷹俳句会
師を選ぶのは弟子となる自分である。弟子はこの世の数十億の人間の中から、自分の認めた人間を師と仰げばよい。しかし、師は自分が導きたいと思う者を見つけても、強引に弟子にすることはできない。「弟子は選べない」と聞けば、確かにめぐりあわせ、印可状を与えたい者は集まってきた弟子以外、さらに有能の者を育てられなかった無念も混じろう。
藤田湘子の師は、4Sの一人の水原秋櫻子である。愛されようと嫌われようとこれはもはや動かし難い事実である。「糧」とは、仰ぎ見るだけではなく闘い、生きる活力として乗り越えるべき指標とする名なのである。
2001.10.24(Wed)
帰る雁今はのこころ有明に月と花との名こそ惜しけれ 良経
■『翡翠逍遥』塚本邦雄/湯川書房
歌は桜の咲きそめる春の帰雁、藤原良経の作ではあるが「名こそ惜しけれ」には命の儚さが見える。
塚本邦雄が『翡翠逍遥』の「卯月遠近法」で「古歌の雁は秋にとどめをさす。」と指摘しているが、例歌とされる万葉の穂積皇子の「今朝のあさけ雁が音聞きつ春日山もみぢにけらしわがこころいたし」など、新古今の春の帰雁をひきたてるための言い訳にしか感じられない。
デジタルカメラを利用して、塚本邦雄本の図書目録を作成しようとも考えているが、一冊手に取り、中を読み出すたびに挫折してしまう。
夜は7時から俳句「銅の会」の集まり。といっても、五人会の4人出席。新しい仲間を増やすのはなかなか難しい。はりまや橋近くの喫茶店2階を借り、2時間ほど輪読や句会をしている。あと30分ほど欲しいところ。その後、毎回、軽く飲んでいるが、少し飲み足らないのが難点である。
2001.10.23(Tue)
ここまでおいで おんぶしてあげよう
■韓国映画『春香伝』2000年/監督イム・グォンテク/字幕翻訳 根本理恵
映画は上掲の言葉で始まり、全編に国唱人間文化財チョ・サンピョンによるパンソリ「春香歌」が流れる。
「君は死んだら花になれ 私も死んだら蝶になろう」と唱いつがれる。
朝鮮半島南西部、全羅道で語り継がれてきた口誦パンソリは、もとは庭に筵を一枚敷いただけのパン(場)で、物語をソリ(声・音)として表現されたものという。
日本の浄瑠璃にも例えられるが、映画を見ている間は浪曲を聞いているようなものと感じていた。物語はたわいない恋愛物に勧善懲悪を組み合わせたもので、見終わって腹が立ってしまった。女性蔑視も甚だしいが、18世紀という歴史的背景を考えればこれでも庶民は大喝采して受け入れたのであろう。
乞食の身なりの夢龍(モンニョン)が春香(チュニャン)を訪ねる場面は、オデュッセウスが帰国して妻に自分と告げず会うギリシャ叙事詩の流れがあるのだろうか。
2001.10.22(Mon)
士也母 空応有 万代尓 語続可 名者不立之而
をのこやも むなしかるべき よろづよに かたりつぐべき なはたてずして
山上億良
■『万葉集(上)』桜井満 訳注/旺文社
名など消え去るもの。ましてや人間の歴史などたかだか知れている。しかし、万葉時代に齢74歳まで生き、その沈痾(重病)の時に詠んだ歌と聞けば、少しこころが痛む。しかも宮廷に仕え、遣唐使として海外赴任まで経験したエリートである。望めばキリが無いということであろう。
穏やかに過ごしたいものだが、美術・音楽・文学・言葉だけでは生きていけないのが虚しい限りである。せめてその時間をすこしでも多くしたいものである。
何度警告しても重い添付メールを送付してくる未知の会社がある。トロイの木馬型ウイルスに感染したパソコンを使用しているようであるが、ウイルス駆除が終わるまでインターネットの接続コードを抜くのが礼儀ではなかろうか。警告されても、自社のパソコンを疑ってみない人がいるのには怒りを通り越して諦念するより他ないのだろうか。
2001.10.21(Sun)
数千の屍(しかばね)算を乱し、哀れなる仕合せなり。
■『新訂 信長公記』太田和泉守牛一 原著/桑田忠親 校注/新人物往来社
「しあわせ」と口にはするが、今一般的には「お幸せに」といった使い方で、運が良い状態をさす言葉として使われているだろう。しかし、「仕合せ」と書くと、幸運だけではなく「まわりあわせ」とか「なりゆき」の意味が強くなるような気がする。
また「哀れなる仕合せなり」とは奥ゆかしく聞こえるが、「哀れなり」と言い切らぬ感情を抑えた歴史観察者としての思いが察せられる。
雨。今年の京都競馬場で行われた菊花賞は荒れるとは言われていたが、予想もしなかったマイネルデスポットが先頭を走り続け、終わって見れば2着。最後の追い込みで足を見せたマンハッタンカフェも見事ではあったが、スローペースでやや面白みに欠けた。素直で美しいエアエミネムよ、3着とは哀れなる仕合せなり。
2001.10.20(Sat)
May I have a little more wine?
(もう少しワインをいただけません?)
脚本:アイアン・M・ハンター
■映画『ローマの休日』1953年/パラマウント映画
女性がワインをふた口飲んで何か言い出すときは気を付けなくてはならない。そんなことを思わせるのが若きオードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』である。ワイン、ワイン・・・と気になっていて何か思い出せないでいたのだが、ビデオで確認すると終末近くに、アン女王が「私・・もう行くわ」という前に、思いを断ち切るようにワインを飲み干していた。
Iと遊ぶ。愛媛の実家へ帰ろうと思って電話をしたところ母は松山へ旅行の様子。月曜日が父の命日である。
2001.10.19(Fri)
渦
輪 灰
孤 の の 燃
薔 島 え 咲
薇 の て き
高柳重信
■俳句総合誌『俳句研究』2001年11月号/富士見書房
俳句発見(11)と題する坪内稔典の文章の中に少し面白い表記を見つけたので、いたずら心も手伝って、ちょっと書き留めておくことにした。
本来、短歌や俳句は縦書きであった。いや、日本語は、というべきだろう。しかし、インターネットの未発達な現状では、縦書き表記にしたい場合は、それなりの工夫をわざわざしなければならない。
ところが、1952年に句集『伯爵領』を出版した高柳重信は、一行縦書きの俳句の伝統形式と概念を破壊する方法として、空白をふんだんに用いた多行書俳句を作ったのである。
坪内稔典によれば、「重信の場合、必要な活字を購入し、軽便印刷機を使っていわば手仕事で句集を作ったと伝えられている。」という。『伯爵領』一冊に32句ということも始めて知ったが、俳句を読ませるだけではなく、文字の視覚効果を最大限に利用するためにはそれなりの労力と時間が必要であったということであろう。
iモードの携帯電話プログラムを書く専門家と話をしていて、私が遊びで作成した縦書俳句きページを見せたところ、意外に驚いてくれたのが嬉しかった。
http://www.alles.or.jp/~wadachi/i/w/fujita-tate.html
(ただし、i-mode 携帯電話の503i型の画面に対応)
ポスターに惹かれてフランス映画「見い出された時」を見に行ったが半分寝てしまった。原作は、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」より。衣装や音楽は好みの部類。映像と言葉もいい場面が時々あるのだが、内容に驚きがなかったのが残念。映画を見終わって、無性にワインが飲みたくなったが、不満足な味であった。
2001.10.18(Thu)
僧云、喫粥了也。州云、洗鉢盂去。
僧云く、「喫粥し了れり」。州云く、「鉢盂を洗い去れ」。
加藤楸邨
■『無門関』/訳註 西村恵信/岩波文庫
無門関のなかに趙州和尚が何度か登場するが、どれも面白い。
「朝粥は食ったかい」と新米僧に尋ねると、「済みました」と答える。そこで、続けて「茶碗を洗っておきなさい」というだけの単純な話なのだが、このくだりを声に出して朗読すると気持ちが明快になる。
難しいことは何も言わない。回りくどくも無く、ましてその奥に新米僧を教育しようなどといった考えもないように思える。自分の力で悟ればよいのだと、ただありのままに思いを伝えるだけである。
複雑な世の中であり、怪しい社会現象が増えると、もっとシンプルに生きていきたいと思う。
2001.10.17(Wed)
秋には櫛田神社のギナン(いちょう)の実の落ちる音に耳を澄ます。古い地図を手に、楽しみです。
玉麻川有
■句集『チェロの首』 /発行者 玉川紀世
久しぶりに訪れる土地の様子が変わっていて驚くことがある。建物もそうだがバイパス道路が出来たり、高速道が延長してその連絡路が整備されたり。以前の俳句吟行で国道沿いをダンプカーに接触しないかと恐れながら歩いた道が急に広くなり、ゆったりとした歩道ができていたりすると、さすがに車社会であることを痛感するとともに、炎天下に木陰も無いこんな立派な歩道を何人が縦列を組んで歩くのだろうと不思議に思ったりする。
樹木を植えると後の管理が大変だからと、低木や常緑樹一辺倒になっていくのも有り難いようで迷惑な話である。私の好きな芭蕉並木(?)をどこかに作ってもらえないだろうか。芭蕉の広葉を打つ雨の音や風の響きは、大きな自然の音を聞いているような気持ちにさせてくれるのである。
流鏑馬の真一文字に射たりけり 玉麻川有
2001.10.16(Tue)
この頃めっきりオミナエシが少なくなった。
前川文夫
■吟行版『季寄せ草木花』秋 [下] /選・監修 加藤楸邨/朝日新聞社
秋の七草のひとつとして知られる女郎花が確かに少なくなったような気がする。
山上憶良が詠んだ歌のなかで、「萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」と七種の花が数えられて、ますますその存在が秋を代表する花として認識されるようになったようである。
女郎花にかわって今では郊外を車で走れば、「秋の麒麟草(きりんそう)」すなわち「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」と呼ばれる北米原産の黄色い花が強靱な繁殖力を示している。そのため、黄色の女郎花にはいっそう目がいかなくなったのかもしれないが、野山をゆったり歩く時間の流れと、車や新幹線で移動する時間はたしかに違ったものだろう。
台風の影響で激しい雨の降る中ではあったが、フロントウインド越しに、時々、黄色い背高泡立草が目に付いた。
2001.10.15(Mon)
花はかなり知ってゐるつもりでゐたところが、意外に何も知らないのに驚いたことがある。
加藤楸邨
■吟行版『季寄せ草木花』秋 [上] /選・監修 加藤楸邨/朝日新聞社
俳句を作るために便利な道具がいくつかある。その代表が「歳時記」や「季寄せ」であろう。吟行(詩歌や俳句をつくるために野山や景色のよい所や名所旧跡に出かけてゆく)には小型本が重宝する。
俳句初心の頃には知らない草木花ばかりだから写真入りのものを携帯して、これが秋の七草として有名な「女郎花(おみなえし)」、「男郎花(おとこえし)」、「藤袴(ふじばかま)」だったのかと、独り合点して知識のあとから現実の花に触れる喜びを何度も味わったものである。
しかし、花の名前を知ったところで、その花についてすべてを知っていることにはならない。女郎花を知らなくても女郎花の句は作れるかもしれないが、女郎花の句を読んで鑑賞することができるのは、全体の何分の一かであろう。ただ、無闇に学名や和名すべてを覚える必要はないと考えている。生活を豊かにするための共通言語として、一般教養程度の草木花情報は、有り余る脳細胞の片隅に蓄えておいても邪魔にはならないと思われるのである。
2001.10.14(Sun)
だから、もっと鳥に近づきたい場合は、自らカモシカになればよいのです。
高木清和
■『フィールドのための野鳥図鑑』野山の鳥編/山と渓谷社
自宅には何冊かの野鳥図鑑と鳴声のCDがある。それなのに、また牧野植物園で「野鳥図鑑」を買ってしまった。手に取ってページをめくると、明らかにこれまでの図鑑と編集方針が異なっている。野外でバードウォッチングの初心者や中級者に役立つように、1ページごとに、雄鳥の切り抜き写真とその形態的特徴が引出線付で示されている。
もちろん、その他の説明もあるのだが、まず鳥の写真の大きさが実に明解である。背景となる風景を切り捨てたことにより、鳥だけに焦点をあてた結果といえよう。また、身近な鳥、271種類を「野山の鳥」編と「水辺の鳥」編2冊に収録しているのも、納得できる分量であるように思われた。
最適な野鳥観察には、鳥が警戒しない犬やカモシカになればいいとのこと。できることならば、羚羊(カモシカ)に一度なってみたいものだが、それは難しい。先週の日曜日には、400羽ほどの差羽(サシバ)が渡っていったが、今日は鳶(トビ)の影だけで、差羽の影は見られなかった。糸瓜や昼顔を楽しんだ。
高齢(24才)の王者P馬の体調が悪い。食欲があまりなく、肋骨が浮き出してきている。餌を食べようとして、足下がふらつき倒れて、すぐには起きようとしない。このままでは、自力で起きられなくなり増々弱ってしまうため、追い鞭で無理矢理起こされたが、かなり辛そうである。それでも、Aが鎌で刈って来た青茅だけは、わずかに食べた。
5時24分、山の端に入日がかかり始め、沈んでしまうと、あたりが急に冷え込みはじめた。山際の空が、薔薇色に輝いたのも束の間であった。
2001.10.13(Sat)
ササヤートコセ
エノヨーイヤナ アレワイセ
コレワイセ ササナンデモセ
手結盆踊歌囃言葉
■『とさのかぜ』祭の号、VOL21/高知県文化環境政策課
高知市内で灼熱の太陽の下、狂乱的な「よさこい祭り」が開催されている頃、香美郡夜須町、手結の海水浴場近くでは、毎年旧暦7月16日の夜に盆踊りが開催されている。
江戸時代初期、藩政改革に取り組んだ野中兼山は、風俗の乱れを理由に民衆の集まる催しを一切禁止したというが、この手結盆踊と佐川町の端応盆踊だけは盂蘭盆に踊ることを条件として許可したそうである。それは、兼山が1650年から着手した手結(てい)漁港修築工事の犠牲者を弔うのが目的であったためらしい。
350年あまりの歴史を持つもので、音頭となる地歌に合わせ、手踊りの「こっぱ、くろす、みあい、花取り」の4つの型で踊られる。しかし、今ではその語源の意味さえ定かではないと言う。ただ、口説き手と囃し手による哀愁のある地歌は、現代では廃れてしまいそうな時間の流れを感じさせ、土佐の光と影を一層際立たせるものとして存在しているように思えてならない。
沖へ遠ざかる流灯が波間に漂い、それらの哀しみを囃言葉が宥めているのかも知れない。漁港にも橋が架かり、時とともに大きくその姿をかえつつある。
2001.10.12(Fri)
泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子
■句集『蕨手』/鷹俳句会
幻の句集『蕨手』の開巻第一句は上掲句から始まる。
今あらためて読み返せば、この句は「七・七・五」になっている。私にとってはあまりにも名句なのでうっかり見落としていたが、かつては気になっても、そんなことすらどうでもよくなってしまうほど記憶の中に染込んでしまっていたのである。
飯島晴子の句には字余りの句が多い。しかし、気持ちは潔いのである。そのため初見ではごつごつした音感があるのだが、数度、口のなかでころがすとまっすぐな棒のように把めてしまい、そのまますんなりと入ってきてしまう。
コピーした『蕨手』全句をまた紐解いている。何度も何度も。そして、序文で藤田湘子が述べる「俳句を意味ではなく認識の詩として、・・・作品として書かれた言葉のうしろ」を感じている。
地位や名誉のある人間であっても、自分を庇い、人を傷つけることを何とも思わない者がいる。仕事がらどうしても相手にしなければならない時があるが、見苦しい限りである。穏やかに話し合って、より高い志しをもっていつも接したいものである。
2001.10.11(Thu)
昔は書の勉強のための書道で、今の様に書展のための書ではなかったのであろう。
沢田明子
■句と随想『露草の抄』/土佐倶楽部社
言葉を伝える記号としての文字、その文字を芸術の域にまで高めた書道。否、「道」と付くならば精神もその領域に入って当然である。しかし、「書」一文字で、何にも装飾されない姿は美しい。
沢田明子は書家である。(高知市在住、今年、傘寿を迎える)また、俳人でもある。40代で「どうして書家は他人の詩歌ばかり書くの?」と尋ねても納得する答えがもらえず、二三年悩み、下手でもいいから自作のものを書こうと作句を始めたという。
高知県書道界のことはほとんど知らないが、本書に現れる川谷横雲、川谷尚亭、手島右卿、高松慕真、南不乗の名前などはどこかで聞いた覚えがある。書も絵画も工芸も彫刻も、展覧会のためのものだけでは作家の心が痩せてしまうだろう。
2001.10.10(Wed)
月の桂の由来は、「月中に桂あり、高さ五百丈」という中国の伝説。柳に蛙で有名な小野道風の書からとった「柳」をはじめ、團伊玖磨命名の「把和游(はわゆう)」など、ラベルやネーミングも凝っている。
氷川まりこ
■雑誌『和楽(わらく)』2001年11月号/小学館
「和楽」は小学館から発刊され始めた家庭画報サイズの雑誌である。編集者の方針なのか表紙からすでに折込ページ。中にも数カ所の折込があり、他誌にない面白さをねらっているが、その効果はあまり出ていない。それは、わざわざ面倒な作業を読者に強いておきながら、開いたときの感動(意外性)があまりないからではなかろうか。単純そうな驚きを与えることが実に難しい。
「和樂」編集長は花塚久美子。表紙は書店販売の雑誌と少し違い、写真を美しく見せようと内容を伝えるタイトルは入っていない。次号が来るまで、ゆっくり何度も楽しめる雑誌であるためには、まだまだ読み物が不足しているだろう。一日で読み終える雑誌ではつまらない。
http://www.waraku-an.com/
ソムリエ、木村克己監修による「美酒に誘われて「蔵元」へ」と題した編集があり、諏訪<真澄>、富山<満寿泉>、京都<月の桂>が紹介されていた。取材・文は氷川まりことなっていた。全国どこの蔵元でも酒のネーミングにはその味同様に気を使うだろうが、300年以上の歴史をもつ「月の桂」が中国の伝説から取られていようとは思ってもみなかった。酒のラベルは変えられても、ネーミングはなかなか変えられないものである。酒飲はその名前で酒を買うのだから。
鳥羽街道に面し、坂本竜馬も飲んだであろう伏見のにごり酒を、月を愛でながら味わってみたい今日この頃である。
2001.10.09(Tue)
そうさ、愛しているだけさ
心から
マニ・ラトナム
■映画『ディル・セ 心から』監督脚本 マニ・ラトナム/字幕翻訳:岡口良子
高知県立美術館ホールで6日、7日、第13回高知アジア映画祭が開催されていた。仕事の都合で3本と講演すべてを見ることはできなかったが、記憶のために書き留めておこうと思う。(鑑賞者数が少なかったのが残念)
見たかったのは、1998年のインド映画「Dil Se」であった。
愛、別れ、出会い、ダンス、歌、憎しみ、サスペンス、戦闘、死、満載であり充分堪能することができた。中でも、ミュージカルシーンの背景に現われるインド北部、チベット・中国国境の風景は圧巻であった。
もちろん、ミュージカルシーンにおけるインド舞踏を取り入れたダンスや群舞の素晴らしさもあるのだが、疾走する列車上での転落の恐れなど微塵も感じさせない安定感や雄大な自然を背景に民俗衣装を次々と替えながら、編集によって繋がれる様は、映画の醍醐味といえるものだった。
物語はインド国営ラジオ編集局員のアマル(シャー・ルク・カーン)が美人テロリストのメグナ(マニーシャー・コイララ)に一目惚れして、その愛を貫く話なのだが、何度拒否されても正体も解らぬ女性を追い続ける姿には心動かされるものがあった。
映画のなかで反政府組織の司令官が若者たちを教育する場面があり、「生まれた社会がどうあれ、よりよい社会のために殉死することが重要だ。自己犠牲こそ美しい」と語っていたのが記憶に残る。
「美しい自己犠牲」などあるものか。自分が幸せになり、周りにその幸せが広がるように考えなければ、またかつての特攻隊と同じ道をたどることになる。どんなに美しい言葉であっても、その後ろには欺瞞が満ちている。そうやって若者を教育すれば、彼らは聖戦と信じ死も恐れぬ戦士に成長することになる。
彼らは自分達を「反政府テロリスト」ではなく「革命者」であると言っていた。
2001.10.08(Mon)
こうきせいじゅうわがことにあらず
世上乱逆追討雖満耳不注之。紅旗征戎非吾事
藤原定家
■王朝の歌人9『藤原定家』久保田淳/集英社
明日でこの日誌を開始して、丸1年になる。数日の空白はあるが、そこが「不連続日誌」と銘打っている所以である。昨年10月19日、紀野恵の短歌を取り上げた際にこの定家日記『名月記』のフレーズを引用したが、あらためてここに採録しておくことにする。付け加える言葉も今は無い。
2001.10.07(Sun)
地方競馬の世界では、誰もまだ短い鐙のモンキー乗りをやっていなかったころ、ニュースの映像の見よう見真似で自分の鐙を短くしていきました。
佐々木竹見
■雑誌『優駿』2001年10月1日号/日本中央競馬会
「見よう見真似」、それも映画館のニュース映画を見て、中央競馬の野平佑二や保田隆芳のモンキー乗りを勘でつかみ、自分の形を作っていったのだから、その努力の凄まじさが伺えよう。
佐々木竹見の名前で記憶に残る出来事がある。競馬の最中、彼の片方の鐙が外れてしまった。普通の選手なら、速度を落し安全策を取るのだろうが、彼はバランスを保つためにもう片方の鐙も外し、靴だけで馬の背をキープして鞭を入れ、一着でゴールインしたのである。それも襲歩、最速時は200mを11秒くらいで走っている鞍上の咄嗟の判断とはいえ、これだけは「見よう見真似」のできない技術と言ってもいいのではなかろうか。
通算成績39,092戦、7,153勝。
7月8日、地方競馬の騎手、佐々木竹見は今年59歳で41年間の騎手生活にピリオドを打つ引退レースを真剣勝負6着で駆け抜けた。
2001.10.06(Sat)
川を見るバナナの皮は手より落ち 高浜虚子
■句集『五百句』昭和22年7月3日発行版/改造社
バナナと言えば夏の季語である。歳時記に載っている虚子の句ばかり見ていたので、当然「夏」と思ってこれまで鑑賞していたのだが、『五百句』を開いて見ていると、「昭和九年 十一月四日。武蔵野探勝会。濱町、日本橋倶楽部」と添書があった。
この時、虚子はバナナを夏の季語として使っていたのだろうか。それとも、輸入物ゆえ、季感よりもバナナの贅沢感(?)によって、一句の中に物の存在を印象付けようとして用いたものだったのだろうか。俳句だけを純粋に読む楽しみと、添書によって広がる世界と、句集の行間からは様々なものが顕ち上ってくる。
昨日読んでいた雑誌『DIME』に載っていた黒のレトロ調「CDラジオ」を購入した。商品紹介雑誌の力「恐るべし」である。
これで、各部屋1台のラジオ所有率になってしまった。ポケット用携帯ラジオをトイレに置けば、後は風呂場だけということになるが、そこまでする必要はないと今は考えている。
世は3連休、私は仕事が入っていて身動きがとれない。まるまる1日というわけではないのだが、毎日半日詰まっていると県外へ出かけることもできない。本来なら鷹大阪中央例会に出席予定だったのだが、10月、11月は自重するしかない。12月1日、宮崎指導句会出席ため早々と航空機の予約を入れたが、直行便では間に合わないので、遠回りして大阪経由にすることにした。
日中はまだ半袖ポロシャツでも汗をかく気温、しかし夕暮れには心地よい風が吹き出した。Jの体調が悪く、Iと遊ぶ。大学の後輩Wに偶然会ったが、明日は運動会とのことであった。確かに運動会シーズンではあるが、私にはまず関係のない出来事。
2001.10.05(Fri)
たまたま本が売れたからって、これでお金貯めたり自分を型にはめたりしちゃうと、『。』がついて終わってしまう。
飯島 愛
■雑誌『DIME』2001年10月18日号/小学館
飯島愛はもちろんタレントである。1972年東京生まれとある。『プラトニック・セックス』は8ヶ月で100万部を越えるベストセラーになり、TVドラマや映画にもなったようだがまだ見ていない。(あまり興味がなかったので)
タレント本というと、ゴーストライターがタレントの話をもとにまとめているのだろうという先入観(これが型にはめるということか)が先にたち手に取ることもなかったので、今度、本屋で立ち読みしてみようと考えている。
上掲の言葉は、取材者の「加藤あづみ」がインタビューをもとに、「家電かいまくりライフ」としてまとめた3Pの中の3行足らず。つまり2人の合作なのだが、言葉の所有権は「飯島愛」にあるだろう。
『。』は、「モーニング娘。」の出現以来注目されているが、かつてコピーライター糸井重里がイベント案内ポスターで「2年待て。」と、『。』を入れて、丸からも一文字あたり数百万円もらっていたと言う洒落た噂があった。
『。』は、ふつう文末に付くのが当たり前という思いがある。糸井重里なら確かに冒険ではあるけれど入れてしまえば当たり前、「モーニング娘。」では固有名詞の記号のようなものだが新鮮、飯島愛の『。』は、人生の終わりも丸で終わってしまうのだろうかとこのカッコ符号につくずく見入ってしまった。
2001.10.04(Thu)
そそき
秋風の曾曾木の海に背を向けてわれは青天よりの落武者
塚本邦雄
■歌集『天變の書』/書肆季節社
塚本邦雄の短歌の中でもっとも好きなものは何かと尋ねられることがある。しかし、これは難しい。せめて100、いや50、30、ええい10首、と尋ねてもらいたいものである。その中に入る一首がこの歌である。
私と塚本邦雄本の出会は、偶然、県立図書館で手に取った「玉蟲遁走曲」というエッセイの題名とその中のエリック・サティの音楽に関する内容に興味を持ち、その本の後ろに紹介されていた刊行図書名を高知市内のM書店に注文したのが始まりである。
塚本邦雄が歌人であることすら知らず、注文した本が歌集ということも知らなかったような気がする。「水葬物語」や「日本人霊歌」「水銀伝説」など、SFか妖気物の題名と間違いそうではないか。
結局、この時は注文書すべてが絶版の知らせを受け、仕事で上京のたびに神田の古書店を覗いたり、国会図書館で探してみたり、ずいぶん懐かしい話になる。
能登の曾曾木海岸には青春の思い出もあり、平氏の落武者ならぬ自分を投影して、いつまでも心に残る歌なのである。
2001.10.03(Wed)
商談や討論の場はもちろん、学術書や社説の中でも、ひいてはお葬式における弔辞でさえ、相手を笑わすことは無礼な行動ではなく、人間が生きている証拠として解釈されている。
ジェラルド・グローマー
■『落語特選 上』麻生芳伸 編/筑摩書房
お葬式における弔辞でも許されるのだろうかと少し不安ではあるが、確かに笑いが人間関係の潤滑剤になったり、緊張弛緩剤になるのは納得させられる。
この本には、20編の落語が紹介されているが、自分の贔屓の落語家の顔でも思い浮かべながら、どんな語り口で話を進めるだろうと想像するだけで、またひとつ違った趣きのある鑑賞ができるところが楽しい。
たとえば、「品川心中」の花魁(おいらん)お染の書き置の候文は、
「・・・あの世にてお目もじ致し候を何より楽しみに待ちかね居り候。まだ申したきこと死出の山ほどおわし候えども、心急くまま惜しき筆止参らせ候。あらあらかしこ。白木屋染より。金様参る。」
とあり、「金様参る」にはぐっときてしまう。いや、遊女にして置くのはもったいない。今どきこのような電子メールのかける女人はどこかにいないものだろうか。
編者によれば、アメリカ生まれのジェラルド・グローマーは、現在山梨大学教育人間科学部助教授でありながら「日本から消滅した品格のある言葉遣いをする、江戸人の生き残りをを想わせる」と紹介されており、「品格のある言葉遣い」には興味の湧くところである。
2001.10.02(Tue)
もちろん、寄席などでは演れないものが多いので、主として”お座敷ばなし”として、ひそかに語りつがれてきた。
小島貞二
■定本艶笑落語1『艶笑小咄傑作選』小島貞二 編/筑摩書房
「合図の太鼓」、「あと一合」、「出雲の神さま」などなど、題名を聞いただけでその小咄を思い出せるものや、多くの初見の小咄が並べられている。
最近は寄席でも演じられているものも多いが、流石にテレビ中継などが入っているときはかなり自粛しているように見受けらられる。
セクシャルハラスメントではないが、軽く笑って聞き流せる程度の艶笑小咄がひとつふたつ入るだけで、その場の雰囲気が急に柔らかくなって、肩の力がぬけるのだから薬効以上のものが潜んでいるといってもいい。
しかし、実は活字で読んでも、その面白さは半分も満たされない。やはり、噺家の渾身をこめた話芸によってこそ、笑い転げることができる代物なのである。
規則づくめの世の中を振り返ると、その規則の必要性こそが問題なのであって、本来は不必要なものばかりと言ってもいい。それならば作らなくてもと思うのだが、結局、心無い者がいるために作らざるを得ないとしたら、「お座敷ばなし」でも聞いて浮き世の憂さを片時忘れたいと思うのも人情だろう。
酒と月と俳句に釣られ、呼び出しの携帯電話に応え出かけたのは良かったのだが、不覚にも天地が回るほど酔ってしまっていた。酒宴後、足下で鳴く蟋蟀(こおろぎ)をすくいあげ、部屋に帰ったとたん目がまわってしまった。不覚、不覚。
2001.10.01(Mon)
全然未知の世界のものが頭をもたげてくるということはあり得ない。
高浜虚子
■『俳句への道』/岩波書店
「十七文字、季題という鉄索にしばられている俳句にあっては、或範囲内のことに限定されている。これは俳句の運命である。」と虚子は「新人をおそれず」の章のなかで語っている。
正岡子規も高浜虚子も、現在頭を出している俳人は、未来にどんなことをするか大体において想像できるが、その後に現われる新人達は、何か思いも及ばぬことをするかもしれない、新方面を開拓するかもしれないと期待や恐れをもっていたのである。
しかし、「これは俳句、十七文字の世界」のことと見てしまえば、さほど未知のことはあるまいと達観していた様には、賛辞を呈したい。俳句を根底からゆるがすような大改革や構造改革など起り得ないはずである。それならば、せめてその中で、自分を満足させ、少しだけでも普遍の真理につながるような些細なことを詠っていきたいと思っている。
郵便局の駐車場から見上げた月の美しさに誘われ、少し遠回りして鏡川河畔で月見と洒落こんだ。対岸から聞こえてくる虫の音も、ひと月前よりかなりか細くなっている。中天に白く耀く月は陰暦8月15日の月。
しかし、酒も飲まず、ただぼんやりと見上げるだけでは、半袖ポロシャツ姿では寒すぎて15分ももたなかった。俳句? とてもとても・・・・・
2001年 10月 |
2001.09.30(Sun)
名前を忘れると帰れなくなるから。
宮崎 駿
■映画『千と千尋の神隠し』/スタジオジブリ/徳間書店
雨。午後の予定を変更して映画館に出かける。そろそろ落ち着いてきたころかと思って出かけたのだが、開演5分前のエレベータは4階で止まり、5階まで延々とアベックの列が続く。すでに満員状態とのこと。これも雨のせいなのかしら。
結局、書店と喫茶店で時間を潰し、午後4時10分からに変更。それでも、ほぼ満員に近い集客状況であった。
しかし、しかしである。これがこんなに人の入る映画(しかもアニメーション)だろうか。かなり気持ちの悪い描写も多かった。私には不可解で仕方がない。
あんなに小心者の子娘(千尋)が、はたして龍の口を押さえたりできるだろうか。千と千尋は別人のように描かれている。それがアニメの良さなのだと言ってしまえばお終いなのだが、あまりにも都合良すぎて腹が立ってきてしまった。
唯一、心に残った科白は、「名前を忘れると帰れなくなるから」であった。八百万の神々よ、もう少し美しく描かれたいとは思わなかったか?
2001.09.29(Sat)
午前中晴天。午後2時を回ると雲が全天を被いはじめ、涼やかな風が流れ始めた。
仕事、その他もろもろのストレス解消に、郊外へ出かける。車のガソリンが少なくなっているのが少し気掛かりではあったが、さほど走り回るわけでもないので、そのままにしてしまった。この1ヶ月で、愛媛へ帰省した以外あまり乗っていないので、やっと400Km/月といったところ。
仕事や付合にかまけて、身体を動かす機会が少ないので、ラフな格好で野山を歩くと、後頭部からすぐ汗が吹き出てくる。山あいでは、今頃コンバインで稲刈りを行っていたが、男がただ独りで黙々と機械を操作するばかり。昔のように鎌で刈る必要もなくなったが、そのぶん共同作業の必要性もなくなってしまった。
天気は下り坂。Iは風邪に罹ったらしい。Jと遊ぶが、いつもより機嫌が良い。Aちゃんは妊娠3ヶ月とか。(オメデトウ、速く結婚しろよな)。彼女がいなくなると寂しくなる。もう少し美しい秋夕焼を期待していたのだが残念。そのかわり、ふくれた薩摩芋のような黄色い月が昇った。あと2日で十五夜である。
2001.09.28(Fri)
「来てはいけない」
と叫びました。その声ははたして人間の言葉でありましたかどうか。
辻井 喬
■『変身譚』狐の嫁入り/角川春樹事務所
満6歳の晴明に母が叫ぶ。
信田の森に住む女狐が人間に化身し、阿倍野の郡司保名(やすな)との間に男の子を生した。しかし、それも夢の間、7年も化け尽くしたことこそ驚異である。
らいはん和尚は「葛の葉は死んだ」と告げたが、保名は一度もその名前を使ってはいない。まして子が母を「葛の葉」と呼ぶこともなかったであろう。
”子別れ”のために、女狐は後を追おうとする晴明の柔らかな手を噛みさえしたのである。言葉はすでに人間の言葉ではなかったかも知れない。
初出は雑誌「野生時代」。1976年。角川文庫に収録されたものと、このハルキ文庫に収録されたものでは、著者校閲によってわずかながら言葉が削り落されている。
2001.09.27(Thu)
さらにこの絵のように必ず「右手」が充てられるのも、「右手」を主座とし、右手が神の全能のしるしだからだ。
保田春彦
■『日本經濟新聞』2001年9月27日、日刊40面/ 日本經濟新聞社
写真では、カタルーニャ派「神の手」という約14cm四方のフレスコ壁画がモノクロで紹介されている。幾重かの円層の中から神衣の袖口と華奢な右手が描かれている。
中世のキリスト教美術はすべて聖書に準じていたため、神は決して全体像で描かれることはないとあったが、ミケランジェロのあのシステーナ礼拝堂の天上画はすでに中世を越えていたのだろうか。
確かにあの「天地創造」図で、神がアダムの指に触れようとしていたのも右手ではあったが、全能の神よりも若々しいアダムの肉体が美しく描かれていたのは明らかである。モーゼが見なかった神をミケランジェロは視ていたのかもしれない。
2001.09.26(Wed)
イスラム教で緑の三日月というと不浄の肉が入っていないというハラル印のこと。イスラム教徒はこのハラル印のついた肉しか食べてはいけない。
長田道昭
■『英語の雑学百科』2001年10月号/ 光文社
ハラル印とは何なのか、初めて聞いた言葉であった。こんな時、インターネット検索は抜群に役に立つ。それによれば、アラビア語の「ハラール(HALAL)」とは、神に「許されていること(もの)」らしい。
http://www1.ttcn.ne.jp/~trade-food.cars/halalfod.htm
コーランによると、豚肉以外でも死肉や絞め殺されたもの、打ち殺されたものはハラルとはならない。また、アッラーの名を唱えながら、頚動脈を切って殺さなければならない。それが、動物にとって一番、苦しまないで死ぬ方法だからとあった。頚動脈を切るためにあの鋭いナイフを持っていたのかと納得させられてしまった。
中秋の名月が近付き、月のことを調べていると、思わぬ言葉や風習に出会う。本当に土地と生活、言葉は切り離せないものである。
もっとも気になっていたのは、「緑の三日月」だったのだが、これは、また別の機会に。
夜は、俳句の「銅の会」。ホッチキスという方法で俳句を作って遊んだが、これもステプラーと普通名詞で呼ぶのが正確だろうか。世は事もなく動いている。
2001.09.25(Tue)
晴子亡く登四郎も居ず雲の秋 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年10月号/ 鷹俳句会
私は「挨拶替わりに俳句でも」と頼まれると怖じけ付いてしまう。虚子のように、俳句を空気のように捉えられれば挨拶句も容易なのであろうが、まだまだ緊張してしまって、観念で終わりそうで恥ずかしくなるのである。
「雲の秋」は巧いけれども、まだまだ飯島晴子や能村登四郎の追悼句ではないと思っている。あくまでもこれは、藤田湘子の今年の秋に寄せる感慨句であろう。
鷹7月号において、湘子は「私はまだ晴子の追悼の句も文も書いていない。書けないというのが正直な気持だ。能村さんを悼む句もしばらく作れそうもない。」と記していた。それだけ二人への思いが強かった証でもある。まもなく刊行になる「飯島晴子読本」に頼まれた5枚ほどの文章も、まだ書けなかったとのことである。
昭和23年、能村登四郎と藤田湘子は、この年の馬酔木賞(新人賞)を一緒に受賞している。その年の8月、篠田悌二郎を指導者として「馬酔木新人会」が発足していた。最年長の登四郎は36歳、最年少の湘子は21歳、15歳違いであったが、以後、二人はことあるごとに好敵手と捉えられていた。
藤田湘子、1964年6月、「馬酔木」若手同人により「鷹」創刊。
能村登四郎、2001年5月24日逝去。90歳。
飯島晴子、2000年6月6日逝去。79歳。
2001.09.24(Mon)
使いやすいとはどういうことか。作業環境を整えるために注意すべきことは何か。メーカーの宣伝文句の裏に隠された本質を見ようとする姿勢は、この時分から続いているように思う。
森 恒三
■雑誌『月刊マックライフ(MAC LIFE)』2001年10月号/エクシードプレス
先日、白い彼岸花を見て喜んでいたのだが、牧野植物園へ行くと駐車場のあたりに赤白入り乱れて無造作に咲いていてやや幻滅。やはり珍しいものは希少であってこそ貴重であって、有り過ぎると有難味がなくなる。朱鷺(ニッポニア・ニッポン)のようになってしまっては、保存の意味すら問題ではあるが。
名前の表示はなかったが、鍾馗水仙(ショウキズイセン)と思われる黄色い彼岸花に似た花も咲いていた。これはかなり珍しい。
半日、K氏と仕事や作品制作について話をする。
森恒三のように、「宣伝文句の裏に隠された本質」を見ようとする人は少なからずいるはずである。いや居てもらいたいと思う。MAC愛用者の私が言うのもなんだが、MACは中途半端な改良に留めず、まだまだ進化すべきである。
98年11月に買ったPowerBookG3も古くなったが、まだG4を買いたいと思うほどではない。少し速く、ちょっと便利になるだろうが、決定的な何かが欠けているような気がしてならないのである。
2001.09.23(San)
男等が嘆きの笛を吹く花野
藤田湘子
■句集『白面』/牧羊社
高知鷹句会は、毎月第4日曜日、午後1時から開催。6句持寄り句会のため、投句締切は午後1時。口を酸っぱくして時間厳守と言っているが、必ず遅れて来る者がいて、全員を待たせる結果になる。本人に時間泥棒の感覚が欠如しているのだから、注意する気持さえ失せてしまう。近所の仲良し句会になるのだけは避けたい。私たちは文学の輩なのである。
句会で選句の遅い人は俳句が伸びないと言われる。俳句は決断の文学なのである。「Aか、Bか?」の瞬間的な決断が大切。間違っていたら諦めて、次に頑張る道が残されていると藤田湘子主宰は我々弟子に語ってくれた。
俳句の本質を見つめ、仲間や足下をもう一度確かめたいと思う。
2001.09.22(Sat)
この那珂太郎の詩を読んでいると、こちらの意図とは別に、言葉にはそれだけで自律的な働きがあることがよくわかる。
宮沢和史
■『詞人から詩人へ』/河出書房新社
宮沢和史(THE BOOM)の名前は知らなくても、沖縄音階をアレンジした「島歌」の作詞・作曲も彼の手によるものと聞けば親近感がわくかも知れない。
この本には、彼が選んだ22篇の詩とエッセイ、朗読CDの付録まで付いていた。ただし、朗読は私好みの声でなかったのが残念である。
宮沢和史は、那珂太郎の「<毛>のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス」を選んでいるが、それは、
a
からむからだふれあふひふとひふはだにはえる毛(以下省略)
という、実に楽しく興味深い詩である。彼が本を買い求めるのは、「情報が欲しいためでは無く、たった一行の素晴らしい言葉との出会いであっても、その言葉を噛みしめ、ことばが織りなす世界やその背景の中に自分がたたずむ時間を買いたい」と述べるあたり、なるほど時間であったのかと納得した次第である。
コピー機の調子が悪くなった。普段は何気なく使っている機械だが、それが使えないとなるとお手上げである。深夜営業のS店に走り、100円玉と500円玉を機械に入れたが、新500円玉は相手にもされなかった。そういえば、沖縄の守礼門を描いた2千円札はそろそろ廃止にして、5万円札か10万円札を発券してもらえないだろうか。
とりとめのない一日を過ごす。明日も休みだと思うと、余計に自堕落になってしまう。やるべきことがありながら、手を付けようとしない自分を、少し哀れみながら、新聞や雑誌、インターネットを見て終わる。
金曜日に散髪に行ったので、少しは自分が変わっていると思うのだが、風呂に入ったり出たり、どうも目的が明確に見えていないのが原因であろうか。数字の入った具体目的や効果を示せば、内容がはっきりしてくるだろう。きっと。
高知競馬は10月7日(日)、8日(月)開催予定。9月は何故か前半に集中している。やはり、颯爽と走る馬を見ないと元気が出ないのかもしれない。
2001.09.21(Fri)
大いなる梨割れば芯わらふなり
小川軽舟
■小川軽舟句集『近所』/富士見書房
書籍小包を開いて驚いた。それは、彼がさっそうと登場してきた15年前、「軽舟」の俳号に老人を想像していて完全に肩透かしをくわせられたのと似ている。
処女句集に「近所」とは、何とあっさりした句集名を付けたことか。「朱唇」とでも、「正面」とでも、もう少し印象に残る名前があったのではないかと驚いたのである。しかし、鋭利繊細な刃物のような知性や感性を持つからこそ、あえてそれらを捨て去るような句集名を華としたに違いない。
句集名は、「渡り鳥近所の鳩に気負なし」の全作品中の最後の一句から選ばれているのは明白だが、彼はあえて自分を鳩に見立てようとしたのかも知れない。気負いを捨て、ありのままの自分でいようと、心底思えたとするなら幸いである。
マフラーに星の匂ひをつけて来し (平成 3年)
男にも唇ありぬ氷水 (平成 8年)
名山に正面ありぬ干蒲団 (平成 8年)
ソーダ水方程式を濡らしけり (平成 9年)
揚雲雀大空に壁幻想す (平成12年)
選べば20句ほどの印象句と、上記のような愛誦句がある。小川軽舟、一筋縄では語り尽くせない、謎と魅力のある男である。
「M氏日展審査員就任祝賀会」、久しぶりに午前3時まで飲んでいた。
2001.09.20(Thu)
「精神分裂病」という病名がなくなろうとしています。
山登敬之
■週刊誌『週刊文春』2001年9月20日号/文藝春秋
インターネットの日記サイトなどに登録する人は「精神分裂病」的な人が多いのではないかと思い始めたところであり、かなり印象に残った言葉である。
「もう、世界があらゆる意味のつながりを欠いてしまう。あるいは、記号であふれかえってしまうような状態をいうんです。その結果、なにをどうしていいかわからない、とてつもなく不安な状態が生まれるのです。」
この中の「記号であふれかえった状態」に、かなり感応してしまった。折しも、鞄には「視覚の幾何学」と副題の付いた行列式であふれかえった本を入れていて、まさに頭の中が数式であふれかえりそうな状態なのである。こんな時は、馬を見て、酒でも飲んで、きれいさっぱり忘れてしまうのが一番だろう。
1.スキゾフレニア
2.クレペリン・ブロイラー症候群
3.統合失調症
この3種類が新呼称の候補らしい。
ちなみに、私がこの「不連続日誌」を作成しているのは、言葉にかかわるデータベース作成作業のようなもので、コンテンツ(内容)を充実させ豊かにすることが、創造社会において必要となると考えているからである。まだ精神分裂病に罹っていないことを願うばかりである。
2001.09.19(Wed)
−−−これは・・・被虐の女人だ。
人は誰しも、多少の違いこそあれ、男は嗜虐、女人は被虐の倒錯した性的感覚を持つ。
池宮彰一郎
■日本經濟新聞連載『平家』2001年9月18日、日刊40面/日本經濟新聞社
平清盛が常盤御前(源義朝の妻)に初めてまみえた時の心奥の言葉である。時代小説は作家によって登場人物がどのようにも仕立てられる。はたして実在の常盤がそのような女人であったか知る由もないが、それもまた物語に興趣を添える。
「男は嗜虐、女人は被虐」とはいささか古風ではあるが、確かに人間は嗜虐と被虐の感覚を持つことによって種を保存、存続させようとしているのかもしれない。
道路わきの空き地で、白彼岸花の群生を見た。このそばの八重桜はいつも季節はずれの花を咲かせるのだが、何かこの土地の地力と関係があるのだろうか。
2001.09.18(Tue)
一方、他のプログラムに寄生しなくても活動できるタイプがあります。これは「コンピューターワーム」と呼ばれ、侵入と増殖するのはウイルスと同じですが、寄生しなくても活動できるため、ワーム(虫=Worm)と総称されるようになりました。
■eX'Mook『21世紀最新テクノロジー解体新書』/日刊工業新聞社
「コンピュータ・ウイルス」と「ワーム」、「トロイの木馬」は何となく違うものなのだろうと思っていたが、初めてその違いの簡単な解説を読んだ。
かつて、「アイ・ラブ・ユー」や「メリッサ」と呼ばれるウイルスが話題になったが、興味本意なのか、次から次ぎへと新種が開発されている。すでに、犯罪行為として捉えられていても、人間の創造欲を抑えることはできないのだろう。
アシュクロフト米司法長官が警戒を呼びかけた「W32.Nimda.A@mm」は、Webサーバを感染させ、ファイルを読むかプレビューするだけでウイルスを実行する危険なワームであると言われている。しかも、その名前を反対から読むと、アメリカ政府(administration)の口語表現になっている。もう少しましな名前が付けられないものか。こんな安っぽい名前では、開発されたワームが可哀想である。名前を恥じたワームが驚異を震うかもしれないではないか。
私はいつもMac とWin のNetscape Communicator を利用している。今日、他人のパソコンのInternet Explorer でこのサイトのTopページを見たのだが、名前の漢字表記が半分欠けてしまっていた。ブラウザーによって表記が異なってしまうのは問題なので、さっそく12Kの画像データと入れ替えることにした。
2001.09.17(Mon)
月光の象番にならぬかといふ 飯島晴子
飯島晴子の矜持と含羞に満ちた詩性を思う
大石悦子
■俳句総合誌『俳句研究』2001年10月号/富士見書房
女性俳人111人へのアンケートの中に、自作を除く女性俳人ベスト3句を答える欄があった。「月光の象番」の句は、私も好きな句である。かつて、飯島晴子の自薦句集にこの句を揮毫してもらったことがある。
大石悦子がこの句を選んでいたことに共鳴するとともに、「矜持と含羞に満ちた詩性」と短い中にも適確な批評を添えていることが嬉しかった。俳句は詩から遠いと思う。しかし、一句の中には、深く作者の眼力に捕らえられた詩性がなければ唯事で終わってしまう。そうかといって創りすぎ、作意が見え過ぎても鼻持ちならない。意識を「ふっ」と吹き飛ばし、そこに残ったキラリと光る塵のような詩性を摘み上げ、ポトリと短冊の上に落したものなのである。
現実主義者の飯島晴子の言葉が重かったのは、いつまでも俳句初心者のようにはじらいを内に秘めながら、矜持を持って詩性を問い続けていたからであろう。
2001.09.16(Sun)
生物のいのちが生まれる時、そのガイアの表面にサイダーの泡みたいにぶつぶつと小さな精神の粒が発生して、それが受精卵と一緒になって初めて生命となり誕生してくるんです。
坂口博信
■映画『FINAL FANTASY』パンフレット/東宝株式会社
昨日見ようと思っていた映画「FINAL FANTASY」を見た。すべてCGによる制作というのに釣られたのだが、時間があればもう一度ゆっくり観てもいいと思っている。人間の皮膚のホクロ、シミ、ソバカス、毛穴、ヒゲ剃りあとまでしっかり描写されていた。モデルとなる人間の顔面写真を撮り、修正を加えマッピングしたのであろうが、実に見事に仕上がっている。
ストーリーも悪くない。しかし、私の興味は、やはりそれぞれのマチエールの描写の完成度に向いがちで、「よくここまでやるもんだ」とその表現力に感心して観てしまった。だから、もう一度見るとしたら、そんな技術的なことはすべて忘れて、ストーリーの中に入っていかないと、本当の楽しさは味わえないだろう。主人公は、「アキ・ロス」という27才の女性科学者であったのも今日的である。
物語の舞台となる2065年まで、私は生きていないことを願うばかりである。
2001.09.15(Sat)
最後のはぼくのポートレートで、頭にまつむし草の花を編んだ冠がかぶせられていた。
辻 邦生
■『花のレクイエム』辻 邦生/銅版画 山本容子/新潮社
紫色の花は、松虫が鳴くころに花が咲くから「マツムシソウ」と付いたという説もあるが定かではない。花期は8〜10月である。
「もうまつむし草が咲いている。夏も間もなく終わるのね」
『花のレクイエム』には、山本容子の挿画とともに、12の花にまつわる短編が綴られている。二人が作品について前もって相談することはなく、花の選択も編集部の選択に任せ、文学と絵画の交響空間を楽しんだようである。
これくらいの大きさの本が贈り物にはいいかもしれない。しかし、貰った本人は、自分がどの花のようだと思われているのか心配になることだろう。
2001.09.14(Fri)
ヱホバはなんぢがすべての不義をゆるし汝のすべての疾(やまひ)をいやし なんぢの生命をほろびより購ひだし 仁慈(いつくしみ)と憐憫(あはれみ)とを汝にかうぶらせ なんぢの口を嘉物(よきもの)にてあかしめたまふ 斯(かく)てなんぢは壮(わかや)ぎて鷲のごとく新になるなり
詩篇 第103篇より
■『舊新約聖書』/日本聖書協会
古代ユダヤでは、鷲は不滅の鳥と信じられていたはずである。アメリカのシンボルの白頭鷲は、そこから来ていたのではなかっただろうか。ダビデのうたに出てくる鷲の例えは、それを信じていたからに他ならない。
「わが霊魂(たましひ)よヱホバをほめまつれ」と第103篇は始まる。世界中の霊魂が唱える名前は、力を集めるか、力を弱めるかのどちらか一つである。また、永遠に栄える国もない。
2001.09.13(Thu)
「へえ、ありがとうございます。なるほど、最初(はな)が寿限無、寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助か、・・・・・・」
■教養文庫『落語百選・秋』麻生芳信 編/社会思想社
秋の夜長は落語でも・・・というわけでもないが、嫌なことや面白くないことがあると取り出してきて繰返し読む本がある。
この文庫の中で一番好きなのは「目黒のさんま」なのだが、今夜は自分の記録のために「寿限無」から書き写しておくことにした。
前座噺で、寿限無は誰もが一度は聞いたことのある名前であろう。しかし、そのすべてを一言一句まちがわず立板に水のように喋れるのは、むかし落語修行した人か、かなりの落語好きである。私は中学生くらいの時この名前に興味を持ち、名前の部分だけしっかり覚え、寺院で祈る時や何かの折に、つい自然とこの名前を唱えている。寺院では最後に「南無阿弥陀仏」と付け加える。もう少し丁寧になれば「あびらうんけんそわか」を唱えるとそれらしく聞こえるではないか。
これが名前だと言うのが面白い。戸籍では許されそうもないが、こんな長い名前だと初対面の相手には覚えられにくく、まず呪詛などかけられそうもないから長命しそうである。
2001.09.12(Wed)
それは道の真中に座り込んだ物乞いの老人の掌だった。買い物客でゴッタ返しているが、誰も物乞いを追い立てることもなく、上手によけながら老人の手にコインを置いていく。
長倉洋海
■季刊『銀花』2001年秋の号 第127号/文化出版局
「”手”をめぐる四百字」より。原稿用紙1枚、400字で思いを伝えるのは難しい。手書き原稿をそのまま印刷して、内容だけでなく筆跡や筆圧、筆癖、選んだ原稿用紙まで見せようというのが編集者のねらいである。
長倉洋海の肩書はフォトジャーナリスト。中南米やアフリカ、中東など、一貫して世界の紛争地帯を取材していると紹介されている。
やや右下がりの癖字ではあるが、講談社の原稿用紙の升目の中に、一字一字読みやすく納まった万年筆使用と思われる原稿であった。何度も書き直し、字数を揃え、書き消しなどのない精一杯きれいなものを編集者に渡そうとした様子が伺える。
「右眼でファインダーを,左眼でそこには映らない世界を」とは、彼の新書のキャッチコピーではなかっただろうか。
アフガニスタンの指導者マスードとイスラム戦士を400日以上カメラで追い続け、彼はアフガンの風土とそこで生きる人々の表情を捉えて見せようとする。テレビのように動かない一枚の写真であっても、多くのことを伝えてくれるはずである。
高知市内の路上には物乞いがほとんど居なくなった。修行のための雲水や軒下でお布施を請う遍路も減ってしまった。ストリート・ミュージシャンは増えているが、彼らは下から手を差し出すことはない。
2001.09.11(Tue)
しかし、ル・コルビュジエが残したのは、ピロティを持った都市建築だけではない。白色の機械の美学を建築に求める一方で、ル・コルビュジエはまた、名状しがたい、迷宮空間をもつくり上げた。
安藤忠雄
■『ル・コルビュジエの全住宅』/東京大学工学部建築学科 安藤忠雄研究室=編/TOTO出版
8月末に読んだ「芸術新潮」の特集が気になって注文していた本が届いた。416頁、かなり分厚い本だが捲り甲斐がある。学生達が作った建築模型写真と新たにCADで描き直された103点の建築図面が並んでいる。白やアイボリーの余白が美しい。
また、安藤忠雄の2頁の前書も、饒舌にならず簡潔で、それでいて建築のような明確な輪郭を持っているように思える。
その中で、安藤忠雄は、ル・コルビュジエが白色の機械の美学を求める一方で、「ロンシャン礼拝堂」、「ラ・トゥーレットの修道院」、それにインドの一連の作品などの後期の土着的、具象的作品群などの論理的、理知的な枠組みでは表現しきれない迷宮空間とも思える作品の出現に共感しているのである。
人生の挑戦者として、私たちはこれから何と闘い続けなければならないのだろう。
米国中枢都市、ニューヨーク、ワシントンなどで同時多発テロが、米11日午前8時45分から起り、深夜放送は延々とその模様を伝えている。世界貿易センタービルの110階にもおよぶツインタワーに航空機が激突し、映画のシーンのように崩れ落ちる様が何度も映される。望遠カメラの映像には、いくつもの窓から身を乗り出し、布を振って助けを求める人々も捉えられていたが、それも、すでに過去の映像であろう。私にできることは、せめて、原子力発電所を標的にしないことを願うばかりである。
人間が作った建築物など、たやすく倒壊してしまう。ル・コルビュジエの作った建築は、今いくつ残り、そしていつまで存在するのだろう。
2001.09.10(Mon)
初めて登喜和を訪ねた日、近所のおばあさんが一人で入ってきて、「やきごはん、一つ」というのを聞いて、その響きの美しさにしびれた。
佐藤隆介
■機内誌『翼の王国』2001年9月号/全日本空輸株式会社
「やきめし」でも「いりめし」「チャーハン」「ピラフ」でもなく、「やきごはん」なのである。
「飯(めし)」は「食う・飲む」の尊敬語の「召す」から出た言葉と言われるが、やはり「御飯(ごはん)」の丁寧さには負けてしまう。玉葱や人参、大蒜、青ねぎのたっぷり入った「やきごはん」を食べたいと私は思う。
牛肉も豚肉も鳥肉もいらない。行きつけの喫茶店のマスターは、カレーライスを頼むと、なるべく私の皿に牛肉のかたまりが入らないようによそってくれるようになった。しかし、焼飯を頼むと、ダシになるものを入れたいといってまだ肉を入れようとする。肉を入れないと、味が付かないので心配なのだそうだ。
こちらは肉の匂いや味が無い方が野菜が美味しくいただけるので、塩、胡椒、その他の香辛料、調味料だけでいいと言っているのだが、このあたりの感覚はかなり個人差があるのでどうにもならない。「やさいいため」を頼んでも肉を入れるのは止めてもらえないだろうか。
牛肉のたっぷり入った「やきごはん」もいいかもしれないが、醤油の焼けたような匂いの「やきごはん」も美味しいと思う。
台風の影響で帰れなくなるかとやや心配ではあったが、運を天に任せていた。昼までホテルの窓から皇居をぼんやり眺め、午後からは傘をささず回れる所を選んで時間をつぶした。先日の映画「センス・オブ・ワンダー」に触発されて虫眼鏡を探す。最近はほとんどアクリルレンズに変わってしまっている。象牙の柄の付いた高級なものは買えないので、レンズがガラスで、柄が象牙彫刻模造樹脂の物を選んで包んでもらった。また金箔でも貼って楽しんでみよう。
航空機は着陸前になっていつもより少し揺れた程度。帰高。
2001.09.09(Sun)
盲導犬を初めて近くで見た。私が座ったバスの座席のすぐ左後に彼は座を占めた。
馬以外の動物嫌いの私にとっては、一寸驚きであったが、彼も驚いたかもしれない。しかし、普段なら眼を合わせた犬や猫など、鳴いたり、吠えたり、逃げたりするのだが、かれは終止無口で、こちらが彼を見ると見つめ返すが、眼をそらすと敢えて干渉しようとしないのだ。実によく訓練されている。まず声をたてない。今朝、シャワーを浴びてこなかったためか少し犬臭かったが、これは許すことにした。
雨の中に出るため、真っ赤なレインコートを着せられ、その上に白いハーネス(胴輪)を着けた様は、ちょっと不格好ではあったが、尾を高く振っていたので、嫌がっているようには見えない。
車や鉄柵、車止など障害物を避けるのは当然なのだが、主人に階段の始まりや終わりを知らせるために、一瞬、止まって合図する。スロープと階段が複雑に入り組んだ所や、左右に傾斜した所でも、水たまりでも、服従心が強く賢明である。
何かの拍子に、私の足下に寄って来て鼻を鳴らしそうになったので、止せよと言ったら、主人はさっきのお礼を言いたがっているんだと言った。
日本全国で活動している彼の仲間は、約850頭。鳴かない犬なら少し許す。
雨の中、初めて日光の華厳の瀧を見る。まさかエレベーターで100mも降りるとは思わなかったが、トンネルを抜けた瞬間、右手に霧の中から現れた瀧には感激の声を上げた。普段の水量がいかほどのものか知らないが、落水がスローモーションに見えるように幾重にも重なった水飛沫をあげていた。台風15号の影響で、中禅寺湖畔でも雨に濡れたが、湖は霧が被いほとんど見えなかった。
2001.09.08(Sat)
テーマ「スランプ」の挿画
木村タカヒロ
■雑誌『obra』2001年10月号/講談社
小さな一枚のイラストに眼が止まった。角丸のコースターに描いたような作品である。そのページのテーマが「スランプ」だったためか、赤いスラックスの両膝を折り屈み、その上を誇張された右手が押さえている。顔はほぼ90度左に曲げ、左膝の上にある。そして、その頭を左手が押さえている。ほぼ真四角のコースターに無理矢理身体を押し込んだ態だが、嫌らしく陰気でないのがいい。
やや明るい緑の長袖の上に、白のTシャツ、黒い靴、まわりのブルーと身体の周りに配された黄色(山吹色)など、形の明解なデフォルメと鮮やかな色彩で眼が吸い寄せられるようなイラストである。
同雑誌には、小樽の「銀鱗荘」をロケ地に篠山紀信の撮影の高橋惠子の写真もあったが、この地は、かつて鷹全国大会が北海道で行われた折、確かに訪れたはずである。明治6年、余市に築造された網元の「鰊(ニシン)御殿」を、昭和14年に移築して料亭旅館にしたも。そんなわけで、少し懐かしいロケ地であった。
東京Kホテルで開催された第8回鷹全国大会に出席。昨年、松山で開催して以来、はや1年2ヶ月である。出席者350人。大会実行委員長はS女史。今回の運営は、女性中心で進められたとのこと。始めての五人会賞(Uグループ)の発表や星辰賞(S君)の発表もあり、いつも以上の賑やかな大会となった。
2001.09.07(Fri)
薬師如来、大日如来、千手観音、馬頭観音等の仏像もあるが、神像系の石像が多い。
たむらちせい
■俳句雑誌『蝶』2001年9・10月号/蝶発行所
俳人たむらちせいは、高知県高岡郡佐川町に在して活躍する蝶の主宰である。隔月発行の俳句雑誌『蝶』をかかさず送ってくれる。今号には、「修那羅峠」10句と蝦夷地を題材とした9句が発表されていた。上掲はその解説文からの抜粋である。
俳句の中に、馬神(うまがみ)と詠われていたものがあったが、はてどんな形のものだろう。馬頭観音なら想像はつくのだが、800余りの石像のなかに、仏像・神像が混じっているというが、少し興味の湧いた素材である。是非とも、その形のイメージできるような手触りのある俳句が読みたかった。
中での一句と言われれば、次の句である。
白桃の一夜に傷を深めたる たむらちせい
M氏の日展審査員就任祝賀会の打合わせに会場のホテルへ。カレントクラフトの仲間8人で、当日のスケジュールや役割分担の再確認。新しく高知市九反田に建設されている市民会館の緞帳は、仲間のM女史デザインのもの。それぞれ、大きな仕事をしているので、そのパワーの源を見極めたいと思う。
2001.09.06(Thu)
人間はたしかに見たものは「見た」に止まらず、「として見た」のところまでゆく。これをいったん「見た」というところに止め、世界全体をその態度で見たうえで全体を最適に解釈して観念というところに行けば現象学的立場になるか、あるいはさらに深くゆけば悟りの世界に達するかもしれない。
長尾 真
■岩波新書『人工知能と人間』/岩波書店
かなり難しいことを平易に書こうと努力している。長尾真は、世界には絶対的に真なるものはないと説き、人間の解釈にも相違があり、すべてが近似や相対的真の世界であるという。
「見る」ことから「認識、理解」することの難しさについて、人工知能の研究から人間の脳の働きに立ち返って考え、知性だけではなく、直感力や価値観をささえる情動の世界の解明の大切さも語っているが、さて10年近く経ってもコンピュータによるその分野の研究が飛躍的に進歩したとは思えない。
俳句を詠むのは、私の心に「見た」と足跡をしるすことだと考えている。
昨日の遺伝子のことを考えていて、旧約聖書のアダムとイブの子供たちは、視覚障害を持たなかったのか心配になってしまった。視力検査装置を作る人達は、自分に見えない光の検査までは考えない。右眼と左眼で立体視させる画像にしても、形状だけは立体化されるが、左右から入った相違色は混色されることなく、意識レベルではまだら模様になるが、中間色となって見える人もいるのだろうか。
高知県西部ではかなり大雨が降っている。土佐清水市や大月町では浸水家屋もかなり出ている。そんな中、高知県民文化ホールで開催された韓国の全羅南道立国楽団の公演を楽しんだ。伝統楽器のプク(太鼓)、チャング(杖鼓)、ケンガリ(小鉦)、ジン(鉦)などの生演奏も初めてであった。
2001.09.05(Wed)
ピンゲラップ島は、世界でただ一つ、先天性全色盲の人々が集団で暮らす島だ。
東嶋和子
■BLUE BACKS『死因事典』/講談社
「島」という環境のために、1775年の台風で人口が20人程になり、以来近親婚が増え、四世代後には病変が表に現れ、視覚障害を持つ子供が12人に1人の割合(一般的には5万人に1人くらいと言われる)で生まれるようになったとのこと。眼の中心窩にある錐体細胞を欠いているため光に過敏で、強い光のもとでは眼をあけていられないようである。
彼らは果たしてどんな世界で暮らしているのだろうか。かつてテレビはモノクロ画面であったが、私が始めて見た時は映っていることに驚き、映画のようにカラーでなくても楽しむことができた。
しかし、今はカラーに慣れきってしまい、ましてやハイビジョンでなければ等と欲望には際限もなく、終にはどんな角度からでも眼鏡なしで立体ビジョンが見たいと考えるようになってしまった。
人間の可視領域は380〜780ナノメートル(10−9m)と言われているが、例えば180〜980ナノメートル見える人がいるとしたら、彼は私たちの身体から発する熱までも見る事ができるのだろうか。またそこには、魂の影のようなものも浮かびあがっているのかしら・・・と、ぼんやり空想にふけってしまうのである。
高知県中村市は小京都とも呼ばれ、地元の十代地山では3日に「大文字の送り火」が行われたようである。毎年、旧暦七月十六日に送り火を焚いている。
http://www.kochinews.co.jp/0109/010904headline02.htm#shimen2
2001.09.04(Tue)
大文字の送り火が終わるころには、秋の試し刷りといいましょうか、夜には秋が遊びに来たりもします。
麻生圭子
■京都家暮らしの四季『極楽のあまり風』/文藝春秋
あとがきによると28歳当時の麻生圭子は、小泉今日子のシングル「100%男女交際」を書いた作詞家であったとも記されていた。キョン*2は私の好きな歌手でもあり、流石にシングルは無いが、アルバムを探し出して聴いてみると、よくこんな難しいリズムを寸部の狂いもなく歌えるものだと改めて感心させられてしまった。
いつでもどこでも いちゃいちゃしたい
つまずくふりして 抱きつく舗道
ウインク! 嘘だよ
Daring バカヤローッて かわいいっ
歳月を経て、住むところ、環境も変わるとこんなに変わるものだろうか。しかし、人間の天性はそんなに変わるものでも無いので、きっと根の部分には同じようなところがあって、「夜には秋が遊びに来たりもします。かわいいっ。(すてきいっ)」と跳ねたりしているのかも知れない。ちなみに、俳句では「夜の秋」は夏の季語である。
2001.09.03(Mon)
1980年代より、猪熊弦一郎は「宇宙」を描くようになりました。そこには既成概念にとらわれることのない、好奇心あふれる未知なる世界が広がっています。
『猪熊弦一郎展』リーフレットより
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて、猪熊弦一郎展「カチナドールの宇宙」を鑑賞。今回は印象に残る作品がなかった。彼の絵を見慣れ新鮮味が欠けてきたのも原因のひとつである。9月22日からの「猪熊弦一郎の仕事展」のほうが面白いかもしれない。
カチナドールとは、ネイティブ・アメリカンが大地や風、鳥、狼など自然界の事象やワイルドライフを守り神として象った人形で、コットンウッド(ポプラの木)を人の形に削り、彩色、鳥羽などで装飾を加えたもの。会場には、大中小3体の実物コレクションも展示されていた。
誰かのマンガに、カチナドールの持つ力をモチーフにした作品があったのだが思い出せない。
3Fのカフェに入ると、12人ほどのグループが句会の真っ最中であった。平日にもかかわらず、この人数が昼間から集まれることに感心してしまった。指導者らしき人が高齢なので、男性は退職者、女性は主婦業といったところだろうか。当然、若者はいない。
愛媛から高知市へ、山間部は小雨であった。
夜、中村市のKさんより、「また、高知県下の超俳句結社で集まり、年間に最低1回以上の句会をしませんか?」との電話が入った。誰かが幹事にならないと進まないのだが、さて参加者は何人いるだろう。
2001.09.02(Sun)
われは此処に集ひたる人々の前に厳かに神に誓はん。
わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。
ナイチンゲール誓詞
「ウサギの足のお守りさ。こいつをあんたにやろうと思ってさ」
山田正紀
■ハルキ・ホラー文庫『ナース』/山田正紀/角川春樹事務所
小学生の甥が飼っているウサギに餌を与える。キュウリやレタス、キャベツ、ニンジンが好物とのことであったが、試しにサツマイモの茎を与えてみたが良く食べる。馬の好物のウマゴヤシは無いかと探してみたが、近くには生えていなかった。少し残念である。
名前はセリナとルイとか。まだ4ヶ月ほどらしく雌雄の区別は解らないという。白兎とは違って、目も赤くないし、身体も白くない。やや青灰色と白の混ざった体毛をしている。
檻から出して庭を散歩させているのを横から見ると、その前足の短さにはあきれてしまう。ウサギの前足はこんなものだったのだろうか。しかし、何かに驚いたときの垂直方向のジャンプ力は確かなもので、子兎であっても侮れない。庭のまわりは田圃や畑なのだが、逃げ出そうとなど考えたこともないように、硬そうな雑草を探しては食べていた。
「ナイチンゲール誓詞」は看護学生が戴帽式に唱える言葉。1893年、「ヒポクラテスの誓い」にならって制作したものといわれる。扉裏のナイチンゲール誓詞にひかれて読んでいた「Nurse」の中に、偶然「ウサギの足のお守り」が登場した。ホラー小説なのでお薦めはしないが、これも何かの縁なのだろう。
2001.09.01(Sat)
門を出て道を曲れば盆の月 高野素十
高知県立美術館において、映画「センス・オブ・ワンダー」と上遠恵子の講演会。昨年12月、この映画制作中の話を聞いて以来、少し気になっていて、高知に呼べないものかと考えていたのだが、すぐに実行してくれる人がいたり、定員300名ほどの会場を満席にするほどの鑑賞者がいたことも嬉しい。講演を挟み2回上演であった。
内容的には、上遠恵子による朗読部分が多く、私には単調であったが、それを是とするか非とするかは鑑賞者の気持の問題だろう。「野生の王国」のような、生臭い殺戮シーンがないのを好む者がいるのも事実なのだから。
夕暮れが思いのほか早くなった。明日は盆の月である。やや赤茶けたほぼ真ん丸の月が、ビルの影から昇ってきていた。
2001年 9月 |
2001.08.30(Thu)
杉苔の匂へる庭を歩みつつ月へ帰らむひとのサンダル 魚村晋太郎
■短歌総合誌『短歌研究』2001年9月号/ 短歌研究社
2001.08.30(Thu)
杉苔の匂へる庭を歩みつつ月へ帰らむひとのサンダル 魚村晋太郎
■短歌総合誌『短歌研究』2001年9月号/ 短歌研究社
残念ながら短歌研究新人賞次席「銀耳」の中の一首である。新人賞受賞は小川真理子「逃げ水のこゑ」。私好みの歌は30首中、共に2首であった。
上掲の歌は、「杉苔」のイメージ、あるかなきかの匂い(空気感)のようなものから顕ち上がり、「風の谷のナウシカ」の中で成長するような植物をふと思わせつつ、月へ帰る「竹取物語」幻想を「サンダル」一言に集約することによって現代へタイムスリップさせ、白いサンダルを履く若き女性の輝くような素足を私に感じさせてくれた。
私は作者の答えが示された歌よりも、やはり味わいながら連想が広がるような歌に惹かれてしまう。作者の名前を知って鑑賞するのと、男女も年令もわからぬ未知なる人の歌として味わうのでは異なるが、やはり次席は残念と言わざるをえない。しかし、是非とも来年は、記憶に残る圧倒的な歌を3首以上詠ってもらいたいものである。
2001.08.29(Wed)
もし私がひとつだけ模型をもらえるとしたら、この<サラバイ邸>にします。ル・コルビュジエの生きてきた証がギュッと凝縮されていて、とても好きな住宅なのです。
安藤忠雄
■『芸術新潮』2001年9月号/ 新潮社
芸術新潮9月号は、安藤忠雄が語る建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の特集である。
そこには、東京大学建築学科安藤忠雄研究室の学生たちにより、コルビュジエが生涯に手がけた実現・非実現あわせて全106の住宅プロジェクトを、200分の1の縮尺にそろえて、白い1ミリ厚のイラストレショーンボードで精巧に模型化したものが並んでいた。
その中から、安藤忠雄が選んだのがインド西部のアーメダバードにあるサラバイ邸なのである。彼が若かりしころ訪れ(1970年)見せてもらうことができたからというだけでなく、子供たちのために滑り台付きのプールまで考え、コルビュジエが楽しみながらつくっているのが好きな要因の一つでもあるようだ。
「<サラバイ邸>は、ル・コルビュジエが「近代建築5原則」に象徴されるようなコンセプト中心の理性的な住宅を捨てて、インドという風土でしか生まれえない土着的な要素を取りこんだ仕事だといえるでしょう。」とも述べている。
ル・コルビュジエの本名が、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレであったことも始めて知った。ル・コルビュジェというのは、母親の旧姓らしい。
2001.08.27(Mon)
「うちに秘めている言葉の力を借りなければ、あなたの肉体はどうやってこれほど甘美なものになりえましょうか」と大男はロベルトに問う。そしてオクターヴはこう付け加える。「君はその言葉を守るのに肉体をひとつもっているだけなのだ!」
ピエール・クロソウスキー
■『ピエール・クロソウスキー』アラン・アルノー/ 野村英夫・杉原整 訳/国文社
原注によれば『歓待の掟』からの引用とのこと。ピエール・クロソウスキーの考える言葉と肉体の関係が興味深い。私の考えている言葉とは少し異なる。しかし、言語や言葉という単語さえ、産まれ持ち、使用し、翻訳された一瞬に微妙なずれが生じていることは明らかである。
動物としての肉体を持ちながら、意志伝達手段としての言葉がフランス語や中国語、日本語として記号化され、神経細胞を伝って脳内物質に興奮を伝えることの不思議。およそ150億年といわれる宇宙創世の歴史まで読み解こうとする意識さえ、言葉によってなされるのも謎である。言葉を持たない意識とは、いったいどんなものだろう。心を無にして受け入れる時、ことば無しでも感じられるのだろうか。
その時、俳句や短歌は、もう必要なくなるのだろうか。視線を交わすだけで理解しあえ、言葉以上の快感が得られるなら、私は名前を捨てよう。
2001.08.26(Sun)
蛇笏忌の大露寸土あますなし 飯田龍太
■第6句集『山の木』/ 邑書林
高知鷹句会の8月定例会。鷹誌によれば高知県下に28名の投句会員がいることになっているが、まだ9名には会ったことがない。また、都合により句会に出てこれない人も多く、出席者11名であった。
女流Yは、最近俳句に燃えていて、24日(金)の夜行バスで東京へ、そして、東京句会、懇親会終了後、また夜行バスで高知に帰ってきたとのこと。精神の高揚と健康が続かなければこうはいかない。
また、女流Kは、鷹9月号において八人集作家と推薦30句に選ばれ、いつもの被講の声よりこころもち明るい。果樹園で栽培している梨持参。採りたてで甘味たっぷりの梨(豊水)を御馳走になった。全国出荷は9月上旬からとのことである。
句集を読んでいて掲出句に目が止まった。蛇笏忌は10月3日。
2001.08.25(Sat)
太陽の一滴の寵南瓜咲く 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年9月号/ 鷹俳句会
天上から地上へ、一直線に視線が動く。その先には、開いたばかりの黄色いカボチャの花が陽光を受けてやさしく輝く。「太陽の一滴の寵」とは、言えそうでなかなか言えない。こころが真裸でなければ、なおさら恥ずかしくて言えないだろう。俳句を読んだという実感が広がる句である。
俳人にも陰陽、太陽と月があるとするなら、藤田湘子はまちがいなく太陽の人である。太陽のまわりには、あまり似過ぎた恒星は近付けない。しかし、その光りを受け、南瓜のごとく花開くことはできるはずである。
月明の一痕としてわが歩む
日のみちを月またあゆむ朴の花
などの愛誦句にまた新しい一句が加わった。
2001.08.22(Wed)
空は青いという
いや
空はいつも虹色なのでは
あるまいか
あらゆる波長の光が
目の前を飛び交い
激しく散乱する
鳥図明児(ととあける)
■コミック『虹神殿』新装版/ 新書館
台風11号がこともなく過ぎ去っていった。快晴。
青空を背景に、五台山、とっくに刈入の終わった田圃、台風後とも思えない静かな流れの国分川、といつもの風景が広がる。
偶然のぞいた古書店で、背表紙の絵に吸い寄せられるように『虹神殿』を見つけた。昨年10月末、やはり古書店で見つけた1、2巻を楽しんだが、残念ながら結末ともいうべき3巻が欠けていた。それが、合本になった新装版(といっても1987年)が出ていたのである。また始めから読み直し、しっかり楽しんでしまった。
主人公サーナン・ハーシのイスラムっぽい衣装もさることながら、シトリと名付けられた馬や壁面、小物に描画された馬や鹿紋様が作者の好みを伺わせ、実に共感できるのである。
奇跡を起こす力もなく、永遠の命も持たないテセラン神。センチメンタルな話ではあるが、涙にあふれた目は、確かに虹色の空を見せてくれた。
2001.08.21(Tue)
作家、中上健次は和歌山県新宮市の被差別部落に生まれ、その場所を「路地」と呼んで小説に描き続けた。
文化往来より
■『日本經濟新聞』2001年8月20日、日刊36面/ 日本經濟新聞社
午前中、しばし小雨。台風が近付いていると言っても、ビルの中にいるとほとんど忘れていられる。風音に耳を澄ませば、確かに強風のようでもあるが、SLAVA(スラヴァ)のアヴェ・マリアでも流しておけば、まず解らない。
しかし、落葉広葉樹の葉には無惨な風で、ケヤキなど幹からの水分供給が止まってしまったかのように、あえいでいる。私は向い風に身体を倒し、ちょっぴり台風の風を楽しんだ。木々に申し訳ないと思いながらも。高知市では雨の少ない風台風である。
中上健次が撮影した18分ほどのフィルムが、どのように一本の映画に仕立てられたのか私はまだ見ていない。しかし、妻の意向であったとしても、20年以上前の映像を挿入して、一本の映像にする必要があるだろうか。「これは中上健次の撮った映像です」と言って、無造作にナマな映像を提示するだけで、彼の視座に入り込むことができたかもしれない。忘れてはならない風景なんて果たしてあるのだろうか。
2001.08.20(Mon)
最終1001号の表紙は、創刊号と同じ故・三尾公三先生の絵を使わせて頂きました。
山本伊吾
■『FOCUS』通巻1001. 最終号/ 新潮社
コンビニの書棚に並んだフォーカスの表紙に「最終号」の文字を見つけて手に取ってしまった。1981年10月創刊から、20年が経過したことになる。
私は写真だけではなく、創刊以来、三尾公三の表紙イラストにも驚いていた。今のようにコンピュータが使えなかった時代、彼はきっと人物ポジフィルムをプロジェクターでキャンバスに投影し、その輪郭をマスキングテープとエアーブラシを駆使して描いていたはずである。展覧会会場で見る作品は、100号以上の大きいものであったが、小さいものでも、手法に変わりがあろうはずがない。表紙の2倍程度に描いたとしても、毎週1枚を描き続けるためには大変な労力がいったはずなのである。
そして、毎号、三尾公三らしさを失わない物足りなさを、なんと残念に思ったことか。それが契約だったのかもしれないが、フォーカスの表紙を描き続けていなければ、もっと違った三尾公三が生まれていたかもしれない。有限な時間を生きる人間にとって、締切とはなんと残酷な制度であることよ。
そんなことを考えながら図書整理。しかし、進まない。自分にとって愛着のある本を処分することなど、ほとんど不可能に近い。どれも手許に置きたい本ばかりなのである。
寄贈書籍の中から、レンタル倉庫に移動させるモノを選ぶだけでさえ迷っているのだから、廃棄処分するものとなると、まさに決死の覚悟が必要になる。胃が痛む。
台風接近とのニュースであったが、一向にその気配が無い。自転車並みの速度で北上中とのことだったが、海へでも行かなければ波の高さは解らない。
2001.08.19(Sun)
実作の格としても、や、かな、けりの切字を用ひよ。解らなければ解らないままでもいい。重厚なこれらの切れ字を用ひよ。句を美しくしようと思ふな。文学的修飾をしようと思ふな。自然が響き応ふる心をふるひ起せよ。
石田波郷
■現代俳句の世界 7『石田波郷』/朝日新聞社
胸に滲みる言葉である。
『鶴』昭和17年11月号に掲載された波郷の文章である。29歳とも思えない大人びた内容を、自分に言い聞かせるように鶴会員に伝えようとしている。
「句を美しくしようと思ふな」これができないのである。どうしても俳句らしく整えようとする意識が働いてしまう。捨てることの難しさをここでも思わずにはいられない。仮に俳句と禅が似ているとするなら、この捨てきれなさ、どこかに執着してしまう部分の拭いがたさなのかもしれない。
8時30分集合・・・。確かにそう決めていたはずだが、3人が遅れる。何を考えているのかどうも解らない。緊張感が無いと言うより、他人に迷惑を掛けているといった自覚が無いのではなかろうか。(結局、この3人は技術的にも失格となった)
2001.08.18(Sat)
七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷
■現代俳句の世界 7『石田波郷』/朝日新聞社
毎晩、石田波郷の俳句を筆写している。眼で追うだけではなく、指先から俳句を身に滲ませるためである。読んでいて哀しくなる句が多いが、一生を病をおして俳句のために過ごした人だから当然だろう。
日曜の仕事の都合で飲まないでいようと考えていたが、誘われると弱い。それも、一汗かいた後にバーベキューなんて話だから、断る理由が見つからない。帰りは代行運転を呼ぶことにした。
暮れなずむ山々を見ながら、火を起こし(かすかな夕立にヒヤリ)、風に吹かれながらのビールは最高。(こんな時なら、ギネスでなくても満足)。約20人。
誰かが花火を持ってきていたようで、思い出したように打上花火が開く。圧巻はHちゃん(19歳)のオールヌード疾走。昨年もこんな場面があったような気がしてならない。これは、私にとっても、1年に1度の夏祭なのかもしれない。
2001.08.17(Fri)
たとえば、それまでのあくまで具象的な描法を捨てて、人物の顔は、目鼻さえぼんやりと滲ませて、表情をできるかぎり内面的に、深く沈潜させていきました。
平山郁夫
■『群青の海へ』/中央公論社
昭和34年(1959)、日本画家、平山郁夫が「仏教伝来」という絵を描くたためにとった手法である。「これまでの自分の習慣的な技法を極力排除して、新しい感覚、新しい考え方で描こうと心掛けました」とある。
言葉では簡単なことのように思えても、実際の制作にあたっては、その習慣的技法や安易な考えがなんと邪魔になることか。ぬぐい去っても、ぬぐい去っても、後から後から、一度身に付けたものが沸き出してきてしまうのである。
自分自身にとっての変革とは、言葉ほど容易でないことを痛切に思い知らされる。
かつて見た「仏教伝来」の絵には、白馬と黒馬に乗った二人の僧侶が描かれていたが、日本画で大切にされる線描の輪郭を滲ませ、視る者が自分にとってもっともふさわしい顔かたちをイメージできる優しさをたたえていた。また、馬の鞍がわりにおかれた布色の朱が、高貴さと情熱を現わすかのように実に印象的であった。
台風接近の話。まだ南方洋上。昼から、Jが遊んでくれないので、Iと遊ぶ。
2001.08.16(Thu)
アントシアニンには、ペラルゴニジン、シアニジン及びデルフィニジンの3種類があり、青い花にはデルフィニジンが含まれる。しかし、ケシの色素はシアニジンであり、一般に深紅色を呈するシアニジンが、ケシでなぜ青くなるのかはわかっていないという。
岩槻スタジオ測色資料担当
■季刊誌『COLOR No.132』2001年8月8日発行/日本色彩研究所
塚本邦雄の小説を読んで以来、青い菊を見たいと思っている。菊、薔薇の花色に青い色がないと言われると、よけいそれが見たくなる。
化学には弱く、あまり色素の名前などとも縁がないのだが、かろうじてアントシアニンだけは記憶に残っている。確か紫陽花の色が変化するのも、これが関係していたのではなかろうか。
しかし、人間の欲望には限りがない。最近では遺伝子組換技術によってペチュニアから取られたデルフィニジンを利用して、美しくもない青色系カーネーションが生まれている。そういえば、どこかで、青い薔薇を作ったという話もあったが・・・
「Blue rose」までは許せるのだが、青い菊が墓地に飾られるのだけは御免である。さる王室の紋章の色が青く変わろうとも。
2001年 8月 |
2001.07.31(Tue)
そしてもう一つの数字、”7”。
これはポルトガル代表の彼の背番号。
山本容子
■雑誌『FRaU』フラウ、2001年8月14日号/講談社
雑誌や書籍の執筆者のなかでも、山本容子は私の波長にあうのかよく目に止まる。そして、読んだあと、何がしかのモノをこころにしるしてくれる。一瞬目につくのは、彼女の銅板画によるイラストレーションなのだが、文章にも同じエッセンスが鏤められている。
私はサッカーや野球選手の背番号には疎い。というより、ほとんど興味がないので、かなり有名になって、まわりの者達がその名前を口にするまで、ほとんど記憶に残ることもない。
家人は中田英寿のフアンらしく、しきりに本を買ってきたりしているが、試合を見に行こうと誘われることもない(チケットも手に入らないだろうし、試合内容などどうでもいいようだ)。そして、今日、山本容子の文章の中に、「例えば日本の中田英寿、イングランドはペッカムと、華のある選手はみんな7番。」というのを見つけ、これでやっと記憶に残った次第。
山本容子の説が正しいかどうかなど問題ではない。とりあえず、7番を付けていたということだけでいいのである。名前を番号で置き換える、競走馬のように。それだけで、私の中では呪文が成立するのだから。ポルトガルの伊達男はルイス・フィーゴと言うらしい。この名前はきっと忘れてしまうだろう。
同じ雑誌に載っていたスペインの「ペネロペ・クルス」のほうが、私にとっては重要。コカ・コーラなど飲まないで、いつまでも若く美しくいてもらいたいものである。午後、ぱらぱらと小雨が降った。
2001.07.30(Mon)
産んだら死ぬとわかっているお産にどうやって挑めばいいのだろうか。そんな恐ろしいことができるのだろうか、と思っていてもやってきてしまうであろうということが実は一番恐ろしい。
吉澤美香
■俳句雑誌『鷹』2001年8月号/鷹俳句会
触れないでおこうとも思ったが、やはり気になる内容である。第2子出産を控え、染色体異常により生きる力がほとんど無い子と判明したとのことである。
鷹に吉澤美香が巻頭エッセイを寄せるのはこれが2度目のはず。1度目の時は、編集長もなかなかやるではないかと、その人脈の広さ、才能のある作家を書き手に迎える度量(彼女はもともと画家なのだから)に少なからず感心したものであった。
しかし、今回はさめた彼女の感性をもってしても、重大問題のはずであるし、この文章を書いた後、すなわち、今、彼女はどんな状態なのだろうと、心配なのである。
私と吉澤美香は一面識もない。ただ、私は彼女の登場以来、その絵に惹かれ、こんな表現もあるのかと、その柔軟で眩しいばかりの才能を羨んでいた。だからこそ、彼女の肉体と、今後も絵を描き続けられる精神力を残しておいて欲しいと願うのである。
「・・・・アンフォルメルの秋騒立てり」、それは彼女へのオマージュでもあった。
2001.07.29(Sun)
一クラス百花百人群れゐたりをみなとはああ群るる美し
馬場あき子
■『最新 うたことば辞林』/作品社
「うたことば辞林」と言っても、これは歌人・馬場あき子の第一歌集『早笛』から第十六歌集『青椿抄』までの作品から2,000首を選び出し、それをテーマごとに編纂したもの。初句索引も付いていて、目当ての歌を探すには重宝である。
「能」や「鬼」ではなく、「山」や「歌枕」の部立ての歌が多いのが意外であった。しかも、「歌枕」の半数以上は「山」に関するものなのである。漠然と歌集を読んでいても解らないものだが、テーマごとに分けて考えてみると、その作家の嗜好が鮮明に浮かんでくるといえようか。再度、馬場あき子と「山」の関係を考えてみたいものである。
掲出の歌は、私好みのものを選んだ。「女」の部立てに属している。歌集『南島』(1991年、雁書館)の一首のようであるが、初めて目にした歌である。「百花百人」から、一瞬「百合」の花が幻影され、丘陵に咲き乱れる百合の斜面が、突然断崖へと連なり、次々と海へ投身自殺するような美しさであった。夏である。
ゆったりとした起床。怠惰に一日を過ごそうかとも考えたが、北山へと足をのばし、しばし山を歩く。熊蝉や油蝉、ニイニイ蝉の声が騒がしい。渓流の水にタオルを浸し顔にあてると気持ちよい涼気が広がった。
2001.07.28(Sat)
実は、私は吃音だったんですよ。吃音には「さしすせそ」系が言いにくいタイプと「たちつてと」系が言いにくい吃音があるんですが、私は「さしすせそ」系が言いにくい吃音だったんです。
松岡正剛
■雑誌『編集会議』2001年8月号/宣伝会議
吃音にも2種のタイプがあることを始めて知った。自分や家族にあまり影響のないものについては関心度が低く、つい忘れてしまいそうな話である。しかし、しゃべろうとしてしゃべれない本人にとっては重大問題である。
あの饒舌とも思われる松岡正剛がかつて吃音だったとは不思議な感じがするとともに、武満徹も吃音だったと言う文章には、私の読み落としていた新たな内容として興味がもてた。人間には何かの障害があっても、ある瞬間からそれらが利点に変わることは多分にある。彼の生まれながらに全盲の叔父が、「全部音が見えるんだよ。部屋の形も音の反射で見えるんだよ」と言うところなど、感覚とは個人でこんなに違うものかとあらためて感じた次第であった。
2ヶ月ほど外出を控えていたが、久しぶりに郊外まで馬を見に行った。幸い午後から雲が出て日陰を作ってくれたために、爽やかな風に触れることもできたが、まだこの暑さは当分続きそうである。
2001.07.27(Fri)
そうなのだ。ひょっとしたらご存じないかたもいらっしゃるかもしれないが、ぼくは、漫画家なのだ。本業は、もう二十数年のキャリアを誇る漫画家なのだ
いしかわじゅん
■文庫版『漫画の時間』/新潮社
江口寿史や青木光恵ほどではないが、いしかわじゅんの描く少女も可愛い。週刊プレイボーイに連載していたアイドル物など、身につまされるほどドキドキさせられた記憶がある。
しかし、漫画評論を書く時間が増えれば、必然的に漫画を描く時間が減り、発表数が少なくなってしまうのも当然である。受けた仕事をオトさず、まして、締めきり厳守の漫画家などそうはいないだろう。彼は約束を破るのが嫌いなのである。
いしかわじゅんの漫画はどうしても読みたいと思わせるものではないが、ほのぼのとしたほどよい簡略のきいた線描はイラストレーションとしても楽しめる。世の中では、自分では本業と思っていても、実質的には税務署への申告所得の多いものが優先され、作家だけでは食べていけず、いつしか副業が肩書きとしては通用してしまうことも多いようだ。いつまでも漫画家でいて欲しい作家である。
2001.07.26(Thu)
澁澤龍彦にとって重要なのはあくまで「少女」なのであって「女の子」では決してない。ましてや「ギャル」などではない。
川本三郎
■『澁澤龍彦辞典』コロナ・ブックス9/平凡社
行きつけの書店で、少し汚れて帯カバーが半分しかない本を見つけてしまった。自宅の本棚には澁澤龍彦の著書は置かないことにしているのだが、これは本人が書いたものではないから特別に許すことにした。文章は続く。
さらに言えば澁澤龍彦という書斎の芸術家にとっては少女という生身の存在なども本当はどうでもいい。ただ「少女」というイメージ、観念が大事なのである。
私にとっては「少女」も「少年」も子供の類いであまり変わらないと思っていたのだが、上のように指摘されると、確かに違いが存在するように思われる。動物嫌いの私は、近くに子供を寄せつけないようにしているのだが、澁澤龍彦にとっては生き物すべての声が煩かったのではなかろうか。鉱物や貝殻、鏡という、あまり声を発しないものたちからさえも声を聴いていた幻視者なのだから。
この本には、細江英公の写真集『鎌鼬』芸術選奨文部大臣賞受賞記念パーティーにて1970年、赤坂プリンス旧館での輝かしき写真が掲載されている。
前列右から、三好豊一郎、細江英公、瀧口修造、土方巽、澁澤龍彦。後列右から、種村季弘、川仁宏、田中一光、高橋睦郎、横尾忠則、加藤郁乎。もちろんモノクロなのだが、こう並べただけでもある種の雰囲気が漂ってくるではないか。
2001.07.25(Wed)
今まで「今日寝ると、永遠に眼が覚めないかも」と思い、潔癖性と言われるほどに部屋を片付けてから寝ていましたが、ようやく死が遠くに行きました。
引田天巧
■雑誌『婦人公論』2001年8月7日号/中央公論新社
夜中に眼が覚め、ふと開いた雑誌の中に引田天巧の名を見つけた。山梨や沖縄に建設中の施設の宣伝も兼ねてマスコミを利用しているのかもしれない。しかし、潔癖性と言われるほど部屋を片付けていたと聞くと、こちらは穴に入りたいような気分になる。
明日があるから大丈夫、と思うとあれこれいいわけを考え先に延ばすのが常なのだから、やはりこれは覚悟の問題だろうか。旅行に出発する時など、以前なら片付けもしていたが、最近はほとんどそのままである。生活臭があると言えば聞こえはいいが、面倒臭いからに他ならない。楽しく片付けができるいい方法はないものか。引っ越しが一番とも聞くが、これもまた億劫なのである。
研究会が終わって帰宅すると、家人が「土用の丑の日だから、ウナギを食べに行きましょう」と誘ってきた。ところが、目当ての店は午後7時ですでに売切、歩きながら携帯で問合わせたS店も予約のできない状況。はりまや橋近くのB店まで歩いていったが、この暑さの中、店の前で30分も待たなけねばならない様子。結局、ウナギは諦めることにしたが、これは2年前と同じケースだと思い出した。学習能力のない二人である。8月にもう一度「土用の丑の日」があるが、今度はどうするのだろう。
2001.07.24(Tue)
太郎一郎男は暑き名を負へる 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年8月号/鷹俳句会
時代は螺旋構造に進んで行く。子供の名前にもブームがあり、今の流行は「翔、翔太、大輝」、名前の読みでは「ユウキ」である。
http://www.meiji-life.co.jp/seimei/
詳しい統計資料がないので推量であるが、明治までは太郎、大正までは一郎が多かったはずである。昭和、平成ではベストテンにその名前は入っていない。しかし、「太郎、一郎」には家系を継がせようとする父系思想がありありと見える。そして、親や親族の期待を一身に背負った長男の栄光と心労が察せられる。
「暑き名」とは何とうまい表現だろう。
日帰り人間ドックに行った。やや脂肪肝とのことではあったが、眼圧が高い他は正常値。しかし、バリウムを2杯も飲まされたのには閉口した。
久しぶりに俳句情報を更新。
2001.07.23(Mon)
引田天巧はたくさんのレパートリーを持っている。しかし、それらのすべては、ひとつの「型」に集約できる。一言でいえば、脳の中の「知覚のズレ」を使っているのだ。
布施英利
■季刊『プリンツ21』2001秋/プリンツ21
世界上最美麗的魔法師、引田天巧、と表紙に印刷された「プリンセス天巧」特集の評論部分より引用した。コスチューム・ギャラリーなども、やってくれるではないかとショーガールの派手派手しさに、すみからすみまで写真と活字を追って遊んでしまった。
しかし、手品、マジックからイリュージョンへと成長しようとも、私達が驚き、一瞬楽しめてしまうためには確かに「知覚のズレ」が大きく作用しているようである。ズレが大きいほど驚きや喜びが大きくなる。それらの楽しさを素直に認めるアメリカのショービジネスの世界を羨ましいとも思った。
そしてまた、エロチック肢体をレイアウトして横尾忠則の描いた「天巧伝説」のポスターが1枚欲しくなった。
2001.07.22(Sun)
馬の目には、死の気配が漂っているように思える。
藤田宜永
■『艶紅』/文藝春秋
半年も前のことだろうか。著者がある雑誌に小説の題材には3要素のようなものがあり、それさえ巧く表現できれば書き上げることができると解説していた。ちょっとニュアンスは違ったかもしれないが、そう言い切れる藤田宜永の小説を一度読んでみたいと思っていた。
37歳の染織家の久乃と49歳の装蹄師の森高の出合いと別れの一年足らずの物語であった。京都と滋賀県の栗東を舞台に、季節のうつろいを表現する草花や樹木が効果的に表現されていた。しかし、最終章を読み終わって、それはないだろう、と言う思いしきりである。確かに小説の体はなしているが、それだけである。何かを期待した私が浅はかだったかもしれないが、もっと内容のある何かを読みたいと思っていたのだから。3要素のように公式で割り切ろうとする思考では、やはり他人を感動させることはできないのかもしれない。
題名は「ひかりべに」と読む。紅花を用いた染色素材独特の表現であるらしい。
2001.07.15(Sun)
私がこのんで制作する薄肉レリーフは、特に困難な技術がいると云うわけではない。要は題材のモティーフと、適度な厚みのレリーフと、金色のふんいきが、こん然と一体となることが念願となる。
山脇洋二
■『彫金・鍛金の技法』/日本金工作家協会
大阪や京都には何度も足を運んでいるのだがその機会のなかった宇治まで足をのばした。一度、平等院鳳凰堂を見たかったからである。暑い一日であった。
しかし、阿弥陀如来仏にも鳳凰堂にも思ったほど感慨は湧かなかった。台座のまわりに嵌め込まれた銅板レリーフ(江戸時代に制作されたようだが)を見ながら、山脇洋二の薄肉レリーフのようだとぼんやり眺めたりして楽しんだ程度である。
山脇洋二の薄肉レリーフには、やわらかな、言い知れぬ優しさが漂う。それは、作者が技法や技術を誇らず、全体の調和やモティーフの心を表現しようと苦心しているからであろう。そして、その苦心の跡すら消し去ってしまっているように思う。
鮎宗で昼食。宇治川の中州、檻の中で羽を持て余している鵜があわれであった。
2001.07.14(Sat)
ネバーランドには
”快感”しか必要ないんだ
でもね
”快感”の裏には
”苦痛”もまた
必ず存在しなきゃならないのさ
松本次郎
■漫画『Wendy ウエンディ』/太田出版
誓って言うが、私はこの手の漫画は好きではない。ストーリーは許せるのだが、絵が苦手なのである。輪郭線の整理されない雑然さやバランスが苦手なのである。従って初出の「週刊モーニング」も毎週読んでいたはずだが、まず飛ばし読みしたため、数ケ所の絵しか覚えていなかった。俳人T氏のお勧めの漫画ではあったが、私の好みの分野の作家ではない。
鷹中央例会大阪に出席。試しに中九の作品を投句していたが、お叱りを頂いた。ただ先生との選が近くなっていたことを佳しとするべきか。しかし、俳句らしい俳句を作りたいものである。今回は2次会も3次会もなく、かなり俳句の勉強にはなった。自分の下手さ加減にそろそろ嫌気がさして来たのである。
仲間11人と初めて梅田の高さ106mの真紅の大観覧車に乗り、甘党の私も少し閉口するプリンスアラモードを食べ、しばし異次元の世界にあった。しかし、1枚800円のデジタル写真にしっかり映っているので、あの場に居たことは、もはや否定できない事実である。
2001.07.13(Fri)
勾玉に残る草色春灯 中山世一
■句集『雪兎』/ふらんす堂
高知県須崎市出身の縁で下総に住む著者より恵贈いただいた。まだ波多野爽波の「青」にいた頃、一、二度吟行を共にした覚えはあるが、顔は思い出せない。この句集には322句が収録されている。
かつては高貴な人しか身につけられなかった勾玉なので、自分で発掘して掌にのせて見ているとは思えないのだが、「勾玉」と「草色」から広がる世界は大きい。
終日「カレントクラフト展」の会場係。昨日、小品のなかで一番気に入っていた「キプタル(苦悩の女神)」に早々と買手が付いていたのでまず一安心。自分で気に入っているものから売れて行くとやはり嬉しい。午前中に高知市内の御婦人が「みうのまち」、午後、奈良から仕事で来高中の御夫妻が「さめやらぬ」を求めて下さった。
知人などではなく、全くの他人がその作品だけを評価して求めてくれることが有り難い。
夜はお世話になっている報道関係者(S氏、H氏、O氏、K&K嬢、O嬢)を招いての懇親会。もう少し作品についての意見を聴きたいところであったが、招待の場では本音は出てこないようであった。
2001.07.12(Thu)
だいたい人間、誰も前世から受け継いだものをもって、今こうして存在するのである。そう考えれば現実の年齢差など小さなことにすぎない。
酒井政利
■『アイドル誕生』/河出書房新社
謙虚にあらゆる人と応対する方法として、例えば現実の年齢とは別に前世の年齢があると考えるのも良いかもしれない。少しオカルト的ではあるが、それで謙虚になれるならば安いものであろう。私は現実ばかりでなく、目に見えない世界を多分に感じて暮しているようなところがある。それは神などとは違った霊的な何物かのように思うのだが、もう少し科学が発達しなければ説明できないものなのかも知れない。
久しぶりにK氏と再開。仕事の話を聴き、数年間の作品を見せてもらった。今もセンスは衰えていない。ただ、運だけはどうしようもないものであろう。今後の健闘を祈るばかりである。
2001.07.11(Wed)
さすがに工芸制作が時間との競走になってくると読書やHP更新の時間が取れなくなってしまった。
「第14回カレントクラフト展」に作品16点を搬入。高知大丸の美術画廊とミニギャラリーを借り切って昼から全体で約130点を展示。昨年より6人少ない14人のため壁面が余ってしまうのではないかとの話があり、急遽小品を増やしたため1人8点のノルマは達成した。しかし、美術画廊の壁面が空きそうなので、ミニギャラリー用に作成した私の作品3点で穴埋めすることになり、ミニギャラリー担当者には申し訳ない結果となった。来場者に人気のあったガラス作家や染織作家の作品が無いのは寂しさの一因でもある。来年は立体作家にも壁面作品を、そして私も立体作品に挑戦するのも改善策かもしれない。
展示終了後、仲間の女流作家3名と居酒屋に食事に出掛けたが、胃袋が肉を拒絶して調子が悪い。体力を消耗してしまっているときは、食べることより睡眠時間を取るほうが大切なようである。
2001.07.06(Fri)
午前10時前に雷が鳴って、かなり激しい雨が降り出した。窓の外は雨に白く煙って、しきりに雷が鳴る。こんな時は、雲が急上昇しているに違いない。この雨が終われば、梅雨明けだろうか。
Y氏の娘が来年春には短大を卒業して帰ってくると言っていた。彼女と彼女の妹は、私と同型のPowerBookG3を持っている。栄養士よりはコンピュータ・グラフィックに興味があるそうだ。使っているパソコンのデザインソフトに満足しているだろうか。まだ高校3年生の妹は、県下で一番の100m走者なのだそうだが、デザイン系の大学へ行きたがっているとのこと。「Mac頑張れ!」と言いたいところである。
2001.07.05(Thu)
消費税込手数料 630円
■『振込金(兼振込手数料)受取書』/四国銀行
この金額だけなら、さほど高い値段とも思わない。しかし、これが年間2、100円の使用料に対する振込手数料となると、払ってしまった後から少し後悔してしまった。
インターネットは便利ではあるが、その反面、まだまだ少額決済システムが普及していない。早く私が持っているカードがどこでも使えるようにならないものか。たとえば、「BitCash」と言うプリペイド方式のカードが使用できると書いてあったので手に入れようとしたのだが、高知県にはまだその正規販売店が1軒もなかった。
作品に使う予定のアルミ波打板を買いに行ったが、あるはずのモノがない。もっと早くに対応していればさほど問題ではなかったのだが、今からでは間に合わない。意匠が大きく違ってしまうので、クラクラしている。さて、どうやって解決したものか。こちらは財布の金では足りないほどあれこれ資材を買い込んでしまい、結局カード決済にしてもらった。しかし、カウンターをあっちからこっちへと、一往復させられ、やはりお金って便利かしらと考えた次第。
2001.07.04(Wed)
中村雄二郎先生は「アイデンティティーは、自己同一性ではなく、<かけがえのなさ>と訳すべきだ」とおっしゃっています。
川崎和男
■『DESIGNPROTECT』2001年No.50/日本デザイン保護協会
今年のグッドデザイン賞審査委員長・川崎和男に森山明子がインタビューした内容として紹介されていた。
さすがに哲学者は言葉にこだわった訳をしてくれる。私は「自己同一性」といった堅いイメージの言葉は苦手である。そうかといって英語をそのまま片仮名表記するのも嫌いである。どうしてもっと早く「かけがえのなさ」と訳せると思い至らなかったか、恥ずかしいかぎりである。
工芸制作の合間をぬって「銅の会」開催。6人会のはずが4人しか集まっていない。それぞれに忙しい事情があるようだ。終了後、飲みに行きたいのをぐっと堪えて七宝炉のスイッチを入れた。
2001.07.03(Tue)
やくざに仁義をきる、というのがあるがこれも長い。「おひかえなすって、おひかえなすって。手前、はっしまするは関東でござんす。関東と言ってもひろうござんす。関東は上州高崎でござんす」と、あれは10分くらい続く。つまり日本人には、挨拶は長くなくてはならない、という気持がある。それでないと失礼だと思うのである。
金田一春彦
■『ホンモノの日本語を話していますか?』/角川書店
時代は変わった。「挨拶は長くなくてはならない」などと思う人は少なくなったのではないか。それだけゆったり時間が流れ、丁寧であることが相手を敬うことに通じていたのかも知れない。
今は、「挨拶は短く、要点を明確に」である。高知では酒宴での挨拶は、盃に口を付ける前にまとめて済ませてしまわないと、途中からだとほとんど聞いてもらえないという風潮があった。しかし、先日来、この雰囲気にも違いがでてきているのを感じている。相手や周りのことなどお構い無し、自分中心といった個性派が少なくなってきているからのようにも思える。モノワカリのいい人が増え嬉しい反面、何か淋しさも感じるから、心情複雑である。
映画で渥美清が演じた「ふうてんの寅さん」にあこがれる気持の中には、「挨拶は長く」の思いが廃れつつあった時代背景があったかもしれない。
S氏の送別会であったが、その時間まで作品制作に当てさせて頂いた。
2001.07.02(Mon)
女官たちがつくした唯一の男性は、明治天皇の時代までは、原則として天皇だけであった。天皇は自分のために選ばれた美形の未婚女性に傅(かしず)かれて生活したのであった。
小田部雄次
■『ミカドと女官』/恒文社21
「菊のカーテンの向こう側」の副題が付いている。決して身銭を切って買わない分野の本である。偶然、俳句の縁で知り合った著者から恵贈されたもので、半ば義務的に読んだのだが、詳細に調べて記述してあるところはさすがに大学助教授の仕事、そして彼の興味(日本近現代史)の範疇なのだろうが、私との溝は深い。
ただ、私にとっては言葉の宝庫であった。自分で買う書籍にはない職名や人名がやたらと多い。明治天皇の皇后が美子(はるこ)、大正天皇の皇后が節子(さだこ)、昭和天皇の皇后が良子(ながこ)と見るだけでも、普通のよみがなとは一寸違ったこだわりを感じてしまう。それぞれ、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后とのこと。
そしてまた、明治天皇の生母が中山慶子(よしこ)、大正天皇の生母が柳原愛子(なるこ)などと、今ではまるで週刊誌の三面記事を読むような内容もあったが、雑学クイズの問題くらいには使えそうである。「傅(かしず)かれる」いう言葉も、最近ではほとんど使われなくなっていると思うが、まだ、宮内庁では使っているのだろうか。
ちなみに、宮内庁のHP解説によれば、「行幸」とは、天皇が外出されること、「行幸啓」とは、天皇・皇后がご一緒に外出されること、「行啓」とは、皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されることとあった。ここまで区別する必要があるとは、言霊とは恐ろしいものである。
2001.07.01(Sun)
後ろにも髪脱け落つる山河かな 永田耕衣
鷹9月号への投句のため、作業中の電気炉を止めて、中央郵便局まで速達を出しに行く。もう一日早ければ、市内のポストでも間に合うのだが、何故かポストだと安心できないようなところがある。速達窓口で手渡して350円也の領収をもらうと少しほっとする。
夏場に七宝炉を使っていると汗が吹き出してくる。冷房を最大にすれば、もう少し楽かもしれないが、この暑さのなかで作業していると、作品を創っている実感が湧いてくるから不思議である。
以前と比べて、原画をMacで制作して、画面で確認しながら色を置いていく作業になったため、同じ色のピースをまとめて焼けるので、生産効率はかなりよくなっている。しかし、これ以上早くすると、工芸品を創っているより、流れ作業の一部のようになってしまうので、ぐずぐず、だらだらも、ある部分必要ではないかと考えている。見本どうりに焼けない色や割れる色に少し手こずっているのも楽しい。
2001年 7月 |
2001.06.30(Sat)
漢字によって記録されるのは、甲骨文の場合、儀礼をとりおこなったという記録などであり、その儀礼において漢字が直接関わったかどうかはわからない。しかし、おそらく神との交信において漢字が機能していたからこそ、その漢字を用いて記録することが神聖な行為として継続されたのであろう。
平勢隆郎
■『よみがえる文字と呪術の帝国』/中央公論新社
著者名は「ひらせ・たかお」であるが、残念ながら、「勢」「隆」の本字をWebで表現するには該当コードがないので、上記でお許しを願うことにした。
詳細は、下記サイトより確認することができる。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/7239/talk0102.htm
中国の殷と周での文字機能の微妙な違いを読みながら、日本における銅鐸消失、いや廃棄の時代の様子が頭の隅を駆け巡った。言葉に隠された謎を追うことは、すなわち時代を見据えることでもあるようだ。青銅器に鋳込まれた文字がすらすら解読できるなら、やまとの神ならぬ神に近付くことができるかもしれない。
2001.06.29(Fri)
無知であるがゆえに
神聖なる言葉を
あやまって
使う者たちを
私は許そう
岡野玲子
■『陰陽師』第10巻/岡野玲子/原作 夢枕獏/白泉社
半月前から探していた漫画がやっと手に入った。この忙しい時に、何度、本屋に足を運んだことか。しかし、こんな小難しいコミックを読む層とは、いったいどんな人たちなのだろう。「ファンシー・ダンス」なら、毎回くすくす笑って読んで、たまにどきりとしたのだけれど、これでは小説を読んでいるのと変わらないではないか。
心と心で話し合うことができるものは言葉を必要としない。しかし、その術を持たないものは、言葉に置き換えられた思念からしか、相手の望むことを理解することができない。あやまって使っている「特殊な意志を持つ言葉」、つまり、言挙げされる言葉のなんと多いことか。万葉集にも、次のように詠われているはずである。
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国然れども言挙げぞ我がする・・・・」
昼からA病院にて両肩のMR検査と肘から先の感覚検査。2時間くらいで終わると考えていたが、結局3時間以上かかってしまった。頚椎ほどではないが、やはり詳細に調べると、どこかに病変部位が見つかる。しかし、自分で確認しておけば、まだ対処法や無理をしないように心掛けられるだけましであろう。リハビリへのお勧めもあったが、7月中旬までは行けそうもない。とりあえず、病名は言挙げせぬことにする。
2001.06.28(Thu)
秋葉原の電気街で買える市販の部品を用い、最小限のコストで二足歩行ロボットを作ることができないかと考えたのだ。
松井龍哉
■『日経デザイン』2001年7月号/日経BP社
科学技術振興事業団ERATO・北野共生システムプロジェクトの開発コンセプトは、「プアマンズヒューマノイドロボット」であり、このロボットに付けられた名前はあの童話のピノキオから閃いた「PINO」であったという。
莫大な予算と時間をかけず、最小限での挑戦。そして、身長70cm、やっと歩き方を覚え始めた生後10ヶ月の赤ん坊と同じ大きさ、よちよち歩きのロボットである。
今話題になっているスピルバーグの映画「A.I.」にはとても及ばないだろうが、ひと昔前なら、電気街で買える市販の部品さえなかったはずである。
もちろん、夢はアトムのようなスーパーロボットなのだろうが、思わず手を差し伸べたくなるような、「かんばれ!」と声をかけたくなるようなロボットにさえ、人は名前を付けて応援しようとするのである。
特注のボディは光造型により作られたようだが、液状樹脂にレーザー光線があたり硬化積層されてできる様を思い浮かべると、何だか神が人を作った場面のようですらある。
2001.06.27(Wed)
炎天の夏を咲きほこる季節の花の王者はダーリアであるかもしれない。今では大衆的の花であり、どこでも見られる。
日野 巖
■『植物歳時記』/法政大学出版局
夏の花の王者と言われても、私はあまりダリアが好きではない。もともとはメキシコ原産、天保13年にオランダ船が初めて日本に持ってきたもの。洋名よりは「天竺牡丹」のほうがまだいいのだが、リンネの弟子の植物学者アンドレアス・ダールの名を取ってダーリアと命名されたと解説されている。
ダアリアは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり 斎藤茂吉
君と見て一期の別れする時もダリアは紅しダリアは紅し 北原白秋
放たれし女のごとくわが妻の振舞ふ日なりダリヤを見入る 石川啄木
こうして3首並べてみても、それぞれに違った表記がされ、作家それぞれの個性が滲み出た怪しい世界が表現されている。大衆的な花と言われても、さて、その大衆は何処へ行ってしまったのだろう。あのマスメディアに踊らされる我々を今は大衆と呼ぶのだろうか。ダーリアのような大衆の一人にだけはなりたくないものである。
2001.06.26(Tue)
けふ見たる桜の中に睡るなり 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年7月号/鷹俳句会
古今、「雪月花」の句は数えようも無いほど詠われている。それでも尚かつ、新しい一句を付け加えようと、類想や失敗を恐れず挑戦を試みるのが俳人である。
藤田湘子の句には、作者の目に映った桜の情景がまったく描かれていない。それなのに、この句を読み終えると、何とも幸せな気分になるのはまるで魔法のようである。つまり、「桜」一文字をもって、読者のこれまでの生涯の中で最も素晴らしい桜を想起させるように仕立てられ、その夢の世界に自分も落ち込んで睡りたいと同調させてしまうからに他ならない。
人は一生の内に、何度「桜」を見るだろう。その中で、真実幸せな気分で桜を見ることが可能なのは果たして何度だろう。美しい桜に出会えるのは何度だろう。去年見た、いや、これまでに見た桜よりも今年の桜は豪華で美しかっただろうか。
2001.06.25(Mon)
標準案内用図記号125種類がきまりました!
交通エコロジー・モビリティ財団
東京の地下鉄構内を歩いて目に入ったポスターが2枚あった。1枚は競馬のトゥインクルレースへの案内であり、黒地に浮かんだ馬が素敵で、誰もいなければもらって帰りたいほどであった。
そうして、もう1枚は、お役所的なデザインで面白みのないものであったが、大切な内容が表現されたものだった。つまり、2年ほど前から、国土交通省(元運輸省)の外郭団体が事務局となり、国内にあふれすぎている「サインシステムの図や記号」を、誰にもわかるものに統一しようと検討した結果、この3月に一般案内用に使用が望ましい125種類を決定したという告知であった。
図記号は、文字や言葉にかわってメッセージを伝えるものであり、とりあえず誰もがその原則の意味を知らなければ、表示しても役立たないものである。もっとも、サインシステムの根本は”わかりやすい標識”でなければならないのだが。そこで、一度に125種類表示して、注意を喚起することも大切だが、さしあたり安全関係や指示関係の10種くらいを、もっと目立たせる必要があるのではなかろうか。その後、他のサインを広めて欲しいと思っている。
「Keep Left」「左側にお立ち下さい」と言っても、皆が知らなければ、通路で邪魔になってしまう。東京のように全国から人が集まるところで、エスカレーターの左右に並んで立止まられてしまっては、急ぐ人にとってはこまりものだろう。
否、待てよ、パリやミラノなら「Keep right」のはずであるが、日本では、どちらに立ち止まっていればいいのだろう。
2001.06.24(Sun)
一種イ第二十三番墓地涼し 加藤静夫
S女史のお世話により、青山墓地の飯島晴子の墓参。かつて、高知の揚田蒼生の墓参りに彼女が来てくれた時のことなどが思いだされ切なかった。
参加者12名で東京青山句会。2時までに10句出しであったが、その中で、私がいただいた1句が加藤静夫の句であった。まだ、どこにも発表されていないので、推敲改作があるかもしれない。しかし、私はこれでよいとも良いと思っている。
たまたま青山墓地の晴子の墓の地表示に使われていたものなのだか、この句を縦書きで読んだ瞬間、背中に衝撃が走った。やはり俳句は縦書きで読まないとダメだなと思うと同時に、現実はアラビア数字であったが漢字に置き換えられ、一句に、偶然「一、二、三」の漢字と片仮名の「イ」が入っているのである。
つまり、飯島晴子の墓を越え、すべての人間の死後の墓が、ただの数字と片仮名で記号化され、高貴も貧富もなく平等にあつかわれるものであること。そして季語「涼し」の働きによる悲しみへの救いがここには書きとめられているのである。
丸眼鏡の猫好きでやさしい男は、鋭い視線を、そのおどけた眼鏡で隠そうとしているのかも知れない。
2001.06.23(Sat)
美術では花や果実、器など静止して動かないものを静物という。英語では、「スティル・ライフ」。「スティル・ライフ」という言葉は「静かな生活」とも訳せる。傍目には静かな生活を送っている人が、深い悲しみをこらえていたりすることがある。
長谷川櫂
■『現代俳句の鑑賞101』1977年9月号/編著 長谷川櫂/新書館
鷹俳句会の第36回・同人総会に出席。初めての会場の如水会館へは早めに出掛けたが、S理事長が積極的に動き、ほぼ準備が整っていた。総会のプログラムに、はじめてフリートークセッションを設けたが、M女史の見事なさばきでスムーズに進んだ。
私が進行役なら、また違った雰囲気になったかもしれないが、鷹の誰が進行役を務めても、それぞれの世界が醸し出された筈である。否、そうでなければ面白く無い。
懇親会では、仲間や先輩に積極的に「あなたの俳句勉強法は?」とか「地区指導の方法は?」などと質問を投げかけ、いつもの話題よりは俳句の話に集中することができたように思う。
高野途上先輩が、鞄の中の俳句ノートや手持ちの本を見せてくれた。その中に、私もすでに持っていた上掲の本があり、見逃していた疑問を正してくれた。
「現代俳人101人の代表句がどうしてこんなに抜きだせているのですか?」
「あれは、4人を除いて、自選句を集めたものなんだよ」
「え、自選だったんですか。よく皆さん長谷川櫂に協力してくれたものですね」
2001.06.22(Fri)
「もちろん夕陽はどこの町にも沈むさ。だがね、日本一美しい夕陽が沈む町は、新潟だろ?」
新井 満
■『ARCAS アルカス』2001年6月号/日本エアシステム機内誌
全国から観光客が殺到するような新潟のPR文句を市役所勤務の友人に頼まれ、考えた時の話だという。こんなに決めつけていいのだろうか。
しかし、確かにその夕日を見なければ比較できないのだから、一度は新潟を訪れなければならない。発想は常に前向きに。あまり深刻に考えるよりも、半分くらいは法螺も混じって、自分を鼓舞するくらいが丁度いいのかもしれない。そして、実力がそのうちに付いてくるとしたら幸いなのだから。
航空機の非常口のシートに座って客室アテンダントと向き合って座ることになった。美しい脚線ながら左膝頭にあった傷痕の白さが目に入って、短い時間ながら、何か小説を紐解くようにいろいろな情景が想像された。何か気になる物があると、其処に意識が集中し、其処からまた広がっていくのに違いない。
夜は心地よい音楽を聞いたが、少しもの足らない部分があるとしたら、その心地良さだったかもしれない。第2部の頭あたりで、すこし衝撃的な音が混ざって、後々まで印象を強くするものがあれば良かったのではと、ワインを飲みながら話しあった。
2001.06.21(Thu)
この熱処理は焼もどしであって、加工歪を除くとともに再結晶させ、析出をうながし適当の組織にしている。このようにしてでき上がった銅鑼は余韻の長いうなりをともなう妙なる音色になる。
香取一男
■『工芸家のための金属ノート』/アグネ技術センター
金属処理のひとつに「焼もどし」と言われるものがある。これは水や油による急冷の「焼入れ」に対して、徐冷することなのだが、銅鑼制作においてもこの手法が使われているとのことである。
つまり、金属の銅にかなりの割合(15〜20%)で錫を混ぜ鋳造したものを数回加熱と焼入れを繰り返した後、「焼もどし」が行われる。鋳造で片寄った錫を拡散するのに役立つのかも知れないが、こうすることによって長いうなりを持つようになることを古人はどうして見つけることができたのだろう。銅鑼制作にこだわった人間が一生かけて見つけたものを、秘伝のように誰かに伝えてきたのである。
作品制作に時間を取られ、ゆっくり読書していられないのが現実である。しかし、自分に課したことは何とか続けたいと思う。
2001.06.20(Wed)
結論的に言えば、湘子はいつも過程の中に自分を置くプロセスの詩人である。
永島靖子
■『俳句研究』1977年9月号/俳句研究社
古い資料を探していて、昭和52年の雑誌に読みふけってしまった。「藤田湘子の方法序説」と題された6Pであるが、何度読み替えしても読みごたえのある評論である。「できるならばこんな文章を書いてみたい」といった甘い誘惑に引きずりこまれそうになるが、極力気持を抑え、一読者に徹しようともおもう。
次の言葉など、永島靖子がいかに湘子の文章を丹念に読みこみ、自分のものにしているかがうかがえるところである。今の俳壇には、こうした読ませる評論家が少ないのも問題であろう。
「(飯島晴子)作品として書かれた言葉のうしろに私は、そうした格闘によって流れ去った厖大な時間を知っている」という一節は、湘子自身が切り捨てた言葉と、費消した時間とに裏打ちされてでてきた語であろう。
夜は俳句五人会「銅の会」に出席。新会員から、「水の春」と「春の水」の違いを尋ねられたり、投句にあたっての作品の並べ方の問題など、予期せぬ質問に新鮮な驚きがあった。そこには、疑問に答えながら自分を納得させるもう一人の自分がいた。
2001.06.19(Tue)
文字を通して開示される著者の人間存在の深奥部にぼくの精神がひきこまれていき、そこでことばによる対話以上の対話が交され、一つの精神的ドラマが展開されてゆくというような読書体験が何度あったろう。
立花 隆
■『ぼくはこんな本を読んできた』/文藝春秋
上掲文の初出は、昭和41年「文藝春秋 社員会報」に30ヶ月勤めていたを会社を止めるにいたった「退社の弁」より。ジャーナリズムの世界の魅力と読みたい本を読む楽しみのギャップに作者が下した結論の断片が記されている。
しかし、「ことばによる対話以上の対話」を求めつづけることは並大抵の努力では得られないはずである。東京大学仏文科卒業後、再び哲学科に再入学した作者の履歴を知ったのは、フリーのジャーナリストとしての活躍を知った後のことであった。
梅雨らしい・・・というよりも、どしゃぶりの雨が降りはじめた。あまり雨が降らないとこぼしたからだろうか。建物の中にいるときは問題ないのだが、車まで移動するために傘を広げてほんの10mほど歩くだけでびしょ濡れになってしまった。窓から見ていると、国分川が雨の白煙にけぶって、それはひとつの情緒と言えるのだが、自分が被害者になると何だか許せなくなってしまう。
2001.06.18(Mon)
黒猫は夜霧の匂いそれを抱く 鳴戸奈菜
■毎日俳句叢書『鳴戸奈菜句集・微笑』/毎日新聞社
『イヴ』『天然』『月の花』に次ぐ第4句集とあった。馬以外の動物嫌いの私は、猫を抱くなどもっての他ではあるが、「黒猫」から夜霧の匂いが発想されるのなら、だきしめることも許されそうに思う。ただし美形の猫でなければならない。情感のあふれた句である。
この句を読んだ瞬間、何故か寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が思い出され、次いで藤田湘子の「夜霧さむし海豹などは灯なく寝む」がたちのぼってきた。男性と女性では、こうも違ったものが生まれるのかと楽しくなった。
2001.06.17(Sun)
人間は言語を理解する。それは種々の質問に対して人間が適切に答えるかどうかでわかる。理解にも種々の方向と深さがあり、どの方向でどの程度の深さまで理解しているかも、質問に対する答えから推定することができる。
長尾 真
■人工知能シリーズ『言語工学』/昭晃堂
計算機に「言葉」を理解させるためにはどうしたらいいのだろう。理解には方向と深さがあるなら、それを数学的に表現する公式(プログラム)を作成すればいいようなものだが、まだ満足のいく言葉で応答をしてくれる計算機は完成していないようだ。
テーマ制作で作品を創ることを自分に枷(かせ)るのは、自分の枠から踏み出す手段でもある。無難な手法ではなく、何かプラスアルファを求めて、今までに無いものを付け加えようとする試みがそこにはある。
「音または響」のテーマが重くのしかかってきて、前に進まなくなった。楽器を絵にしたり、音の出る工芸品を創るのではなく、何か一工夫欲しいのだかアイデアが涸渇してしまっている。方向を定めるだけでも難しい。深さとなると、もっと複雑になってくる。
しかし、創作途上で苦しめるだけ、まだ余裕があるということか。睡眠時間がすこしづつ少なくなってきている。
2001.06.16(Sat)
俳壇に広く、「あなたの代表句はこれですか。なるほどいい句だ」と認めてもらう。これを一句ずつ持とうじゃないかということです。どうですか、こういう運動は。
藤田湘子
■俳句総合誌『俳句研究』2001年7月号/富士見書房
俳人・三橋敏雄との対談より。
自分で自分の代表句を決めるのではなく、他の俳人から、「彼にはこんな代表句」があると言ってもらわないといけないところが大切な条件である。
藤田湘子がこんな提案をするのも、それだけ俳壇が平均化して、個性ある俳人や俳句が少なくなったからでもある。俳人と呼ばれるためには、昔の武士ではないが、大刀と脇差(小刀)を持っていたように、いつでも2句くらいは短冊にすらすら書ける句があることを願うばかりである。一本差しでももちろん構わないが。
2001.06.15(Fri)
空蝉のこゑさやさやとしぐれつつ餘命とは命あまれることか 塚本邦雄
■第22歌集『汨羅變』/短歌研究社
苦手なものや興味の湧かないものを後回しにする癖がある。後でこまると解っているのだが、どうも切羽詰まらないと手につかないから困ってしまう。何かいい方法は無いかと考えるのだが、まず思いつかない。
梅雨になってもそれらしい雨が少ない。梅雨が明けると、地中から蝉が抜け出してきて、鳴き始めるのだが、さて今年はどの樹に最初の空蝉を見ることだろう。
子を残さない生き物(人間)にとって、「餘命」とはいつからだろうか。
2001.06.14(Thu)
先日築地ブディストホールで行われたマラソン・リーディングで藤原龍一郎さんの、録音された声とのコラボレーションによる朗読を聴きました。過去の声と生の声が編む世界に浸りながら、今生きている空間というのは常に過去と未来を少しずつ巻き込みながら存在しているのだと、今回の本のことも含めて気づかされたような気がします。
東 直子
■メールマガジン【@ラエティティア・第10】4 Jun 2001/ss@imagenet.co.jp
「過去の声と生の声が編む世界に浸り」とは、なんと面白そうな世界だろう。自分で発した声ですら、自分の耳に届くまでにわずかなタイムロスが生じる。その時間をもっと引き延ばすような録音との掛け合わせとは、生と死の時間のようではないか。
かつて、グレープの歌った「精霊流し」には、亡き恋人の声がテープレコーダから聞こえてくると言うフレーズがあったが、ビデオに収録された故人の映像や声は、異次元への出入口のようでもある。
東直子の短歌から、もう少し甘さが消えればと思う。まだ私の記憶できる歌がないのが残念である。
2001.06.13(Wed)
氏名や肖像などに経済的価値を認める「パブリシティ権」が、競走馬などの「物」にも適用されることが名古屋高裁の判決で再確認された。(本誌記者)
■『日経デザイン』2001年6月号/日経BP社
ただし、まだG1出走馬ではなく、G1優勝馬にしか「パブリシティ権」があるとは認められていないが、それでもいい。弁理士・牛木里一によれば、「名古屋地裁の平成12年1月19日判決は、人物以外のの「物」についてパブリシティ権を承認したわが国最初の判決として画期的なもの」とされ、名古屋高裁もこれを認めたことになる。
私は人間の次に、猿や犬や猫ではなく、馬の「パブリシティ権」が認められたことを喜んでいる。それだけ馬名は「顧客吸引力」をもっていることになる。もちろん、馬の死後は、その最後の飼い主(所有者)に権利が帰属するそうである。
さて、トウカイテイオーやホクトベガ、オグリキャップなどの馬主に無断でその名前を使用したゲームソフト会社は、いくらの損害賠償金を払うのだろう。
作業をしていると、ラジオからN響定期公演の生中継で「弦楽のためのレクイエム」が流れてきた。何度聞いても胸に突き刺さる素敵な曲である。
2001.06.12(Tue)
晩年やいずこも鳥の止まり居る 永田耕衣
■『殺祖』
高知D美術画廊へ展覧会の案内状デザインの許可を貰いに出かける。文字校正が本来の目的なのだが、美術部がOKしても広告宣伝部に回されると必ずデザイン修正を指示される。近年は、修正されないようにするために印刷期限ギリギリで持参するようにしている。それでも、どこか必ず直させようとするから苦手である。
打合せのあと、ふらりと立ち寄ったミニギャラリーで小ぶりの片口が目に止まった。作者がいたので聞いてみると砥部焼とのこと。確かに磁器なのだが、どの作品も藍を使わず、乳白色かうっすらと緑味がかかったものであった。壁掛花入が最も気にいったのだが、自宅での使い勝手を考え、あきらめて片口を求めることにした。
この「目付き片口」は、正面から見ると、鳥のようにもみえる。夜、早速使ってみると、手にしっくりと馴染む大きさであった。次回は「花びら酒」にしようと考えている。若き陶芸家、遠藤裕人。
2001.06.11(Mon)
食べること、生むこと。動物のやっているようなことが女性のいちばん大きな仕事でしょう。というか、女性がいなければ動物としての人間はしようがない。
正木ゆう子
■『女性俳句の世界』/「俳句研究」編集部編/富士見書房
「女性俳句の現在」について坪内稔典との対談の中に出て来た言葉である。「しようがない」と言うのは飯島晴子の口癖ではないかと思っていたので、同じ女性の正木ゆう子からこの言葉が出て、何故か嬉しかった。それも、男性の存在なんて消してしまいそうな勢いなので、ちょっと癪に障るが、とりあえず許しておこう。
「宇多さんはまたちょっと違います。戦車のように現象をなぎ倒しながら俳句にしていくというタイプ」
「飯島晴子さんの場合は作品としてもたしかに4Tに入らない新しいタイプ」
「津田さんは存在そのものという感じで、動物的に詠んでいらっしゃる」
「私は動物的だと思います。でも、津田さんはたくましいが私はたくましくない」
正木ゆう子の頭の中では、それぞれの俳人がすっきりと特徴のあるタイプとして分けられている。はたして女性がいなければ俳句もダメになりそうな気配である。
2001.06.10(Sun)
こうして武満徹の音楽には、つねに、「ことば」←→「イメージ」←→「想像力」←→「創造力」←→「音楽」といった相互関係、彼独特ともいえる循環関係といったものが存在する。
秋山邦晴
■『武満 徹展−−目と耳のために』/文房堂ギャラリー
1993年に開催された「武満徹展」で求めた図録を取り出して見ていた。私が訪れた前日、このギャラリーで演奏会があったそうで、武満徹に会うことができたかもしれないと非常に残念に思った記憶がある。彼は96年2月20日に亡くなっている。
この図録にあるデザイナー杉浦康平との共同制作により1962年に発表された図形楽譜「ピアニストのためのコロナ」を見ているだけで、不思議な音が沸き上がってくる。しかし、今年のカレントクラフト展のテーマ制作が「音または響」なので、なんとか工芸作品の中に音を表現しようとしているのだが、まったく快い音が響いてこないのが問題である。
2001.06.09(Sat)
月光の象番にならぬかといふ 飯島晴子
■『春の蔵』/永田書房
工芸制作にもかなりメンタルな部分が作用する。糸鋸によるたった一本の切断線であっても、気分が高揚していないときは、はっきりとそれが現われてしまう。真直ぐに切っているはずなのだが、ふと意識があらぬことを考えたり、誰かの言葉が思い出されたりすると、それだけで線から緊張感が消えてしまう。曖昧に生きているつもりだが、なぜか工芸作品のことになると、その曖昧さが自分で許せなくなるからこまってしまう。
昨夜は疲労のため早く寝てしまったので、今日こそはの思いであったが、あらぬ事件があって、すっかりやるきが失せてしまった。作品展までに間に合うのだろうか。
2001.06.08(Fri)
この日も翌日も、私たちは、警備兵に追い出されるまで撮りつづけました。二日間でフィルムで約百本、三千カット以上を撮影しました。
田宮俊作
■『田宮模型の仕事』/文藝春秋
(株)タミヤ本社を見学。帰りに受付のデスクにこの本があったので一冊求めることにした。ぱらりと開くと著者の名前と朱印が押されていたからでもある。筆ペンではあったが、実にしっかりとした署名が気に入ったとも言える。
まだ、プラモデル黎明期の1966年、アメリカへの視察旅行のおり、アバディーン戦車博物館を訪れた時のことである。昼食もそこそこに、時間を惜しんで貴重な資料写真を作ろうとした田宮俊作の思いが伝わってきた。
本社見学で私の最も印象に残ったのは、ちらりと見たファイルキャビネットにびっしり並んだ写真ファイルであり、階段の隅まで塵ひとつない磨かれた通路であった。
2001.06.07(Thu)
大衆はやはりブランド好きで、それは芸術でもそうだと思う。
富岡多惠子
■『讀賣新聞』2001年6月7日/読売新聞社
紙上シンポジウム「芸術と大衆」より。
樋口広太郎と稲増龍夫を相手に「企業メセナ」を語る中で、「まったく初めてのものはなかなか受け入れられないのではないかと思う」とも述べている。私は「大衆」などという言葉すら信じていない。
しかし、芸術作品が新規性に富むとき、やはりその素晴らしさを誰かが理解し、わかりやすい言葉で伝える必要はある。芸術家は言葉よりも感性が先行してしまい、それが汚されるような言葉に翻訳する仕事を苦手としているとも考えられる。
言葉で置き換えられるモノなら、それは必要ないモノとされるから当然かもしれないが、文学作品でさえ、今ある言葉で説明しにくい感覚を盛り込もうとするから、ブランドになるまで、一般に受け入れられるには相当の時間がかかりそうなのだ。
安っぽい批評家が増えるばかりでもこまるが、いつの時代も、芸術を認める目利きが必要とされるはずである。「芸術」とは、古いスタイルを壊し、新しいスタイルを創造することなのだから。つまり、それは、新しい分類を付け加えることでもある。
高知は快晴。伊丹は曇天。京都を過ぎ、関ヶ原は雨、静岡市内は曇りであった。
2001.06.06(Wed)
「五人会賞」は鷹で初めての団体賞。肩を組んで溌剌と応募しよう。
■俳句雑誌『鷹』2001年6月号/鷹俳句会
鷹俳句会に今年から創設された「五人会賞」に、私が連絡員となっている「銅の会」として応募する作品10句を選んだ。メンバーは6人。まだ作句を初めて3ヶ月の仲間が2人もいる。しかし、個性を尊重して、漢字やかなの間違い意外は直さず、各自10句持参の中から句会形式で高点句を中心に選択した。
全国の俳句結社の中で、団体賞を設定しているところは他にあるだろうか。
「何でもいいから自由に作りなさい」と言うと、とても10句もできそうもなかったので、2週間前に必ず「青」を入れて作る約束にしておいた。普段、3句もできない者が、条件を付けられると、何んとか作って持ってきたのは、思考が限定されたためでもある。難しい問題を「分けて考える」というのは人間の能力に他ならない。
坂本竜馬の「船中八策」が頭の隅を閃いて消えていった。
2001.06.05(Tue)
柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子
■第2句集『雲の流域』/金星堂
電話を受けるのは苦手である。従って、電話を掛けるのも最小限に留めてきた。しかし、もはや、その時代は終わったようだ。電話など、もはや日常。電話を掛けて相手の仕事に割り込んでも、仕事の邪魔をしたなどと思う人は少なくなっている。
大事な打合せをしている時でも、割り込んできた電話を優先してしまう人とは、あまり深くは付合いたくない。頭が堅いと言われても、これは仕方がない。
虚子の句にも、「事務多忙頭を上げて春惜む」というのがある。「多忙」となるのは手際が悪いか、依頼を断れないか、興味が多すぎるかのどれかである。
雨が来そうなので傘を持って、散歩を兼ねた昼食に出た。思ったとおり帰りは小雨であったが、溝川の中で跳ねる大鯉を何匹も見ることができた。
2001.06.04(Mon)
私は、地域の現実のなかで多くの人々に会いながら、現実の条件下での「勇者」たちに出会ったのだと思っている。
高杉晋吾
■『循環型社会の「モデル」がここにある』/ダイヤモンド社
副題に『時代を切り拓く「勇者」の条件』とあった。当初はこちらが題名になる予定であったと聞いている。ジャーナリスト高杉晋吾が「勇者」の言葉にこだわるとき、私はその後ろに、あのジョン・F・ケネディの「勇気ある人々」を何故か感じられてならない。
生活の現実の中では、あらゆる試練に遭遇する。そして、常に良心に従えば失うモノも大きい。しかし、今を逃して、もう少し後なら多くの賛同が得られるとしても、誰かがそのきっかけを作り、始めなければ時代は拓かれない。循環型社会を目指し、エコロジーとデザインが結びついて、「エコデザイン」という言葉が使われ始めたが、その実践は難しい。
軟弱な私は、心に「勇気」を持ち、現実の困難に立ち向かう「勇者」にはなれなくとも、ほんの少し、その後ろで旗振りくらいのお役に立ちたいと考えている。
2001.06.03(Sun)
馬 Horse 1973
■詩情のオブジェ『鈴木治の陶芸』/日本経済新聞社
本の間から1999年、京都文化博物館の入場券の切れ端が出て来た。鈴木治とは、あの「ザムザ氏の散歩」を作った八木一夫などと共に走泥社を結成した陶芸家である。
私は彼の作る馬が好きで、繰り返し現れるモチーフだが、中でも1973年に作られた馬のオブジェが最も好みである。「好み」と言うのも少し違う、まさに脱帽、まいりましたと感心させられ、言葉を失い何時間でも何度でも見飽きない作品なのである。
形は俳句以上に単純化され、馬が左足もとへ首を折り返した様をしている。写生ではなく、頭の中にある馬のイメージから作り出されたものに違いないのだが、確かにそこに一頭の馬がいる。46歳の作品である。見飽きない作品を作りたいと思う。
2001.06.02(Sat)
鷲よ、お前の力は、大地から発するものが、
私の中に創る言葉の力だ。
ルドルフ・シュタイナー
■『遺された黒板絵』/Rudolf Steiner/訳 高橋巖/筑摩書房
学校の授業で使われた黒板は、いつしか緑板、そして白板へと変わっていった。しかし、今思い返せば、あの黒板に文字しか描かれなかったとしたら、授業は何と退屈なものだっただろう。幸いにも山奥の小学校のI先生は実に絵の好きな人で、授業に関係したことばかりか、頼めばどんな絵でも黒板に描いてくれた。資料を何も見ないで動物でも乗物でも実にリアルに描くのには子供心にわくわくしたものだった。
シュタイナーの黒板絵が生徒の発案で黒い紙に1000枚も保存されていたとは驚くべきことである。絵の具ではなく、チョークの限られた色で、会話とともにみるみると描かれていった様が見えるようである。
もちろん、その中には絵や図ばかりか文字や詩と呼べるものもある。1923年10月20日に描かれた上の言葉には「私の学ぶべき言葉」の題がある。宇宙と時と大地と人間の交響が描かれている。
2001.06.01(Fri)
八十路半ばをんなは女亀鳴けり 大沼たい
■句集『黄八丈』/石田書房
男も女も、特殊な事情をのぞいて、途中から性別を変えることはない。男女平等と言葉では思っても、それなら変えてみろと言われると、ちょっと後悔する。きっと平等ではないあれこれを想像するからに違いない。
大沼たいは秋田生まれの温かくやさしい眼差しの人である。六十六歳から俳句を始めたそうだが、俳句は才能だけではなく、人柄が大切であるとしみじみ思う。他人をおもい遣るこころは、自分を大切にできる人にしか、決して育たない。いつも笑顔でいられることは本当に素晴らしいことなのだ。
銅板を糸鋸で切る。まだ本調子とは言えない。切っている間に迷いが涌いてくる。
2001年 6月 |
2001.05.31(Thu)
「ねえ君、不思議とは思いませんか?」
彼にとっての自然とは美の同義語であり、寺田物理学は「自然愛」の産物でもあった。
宮田親平
■『科学者たちの自由な楽園』/文藝春秋
寺田寅彦の下に若い研究者が多く集まったのは、彼の才能と人格に惹かれたかららしいが、他人の言葉によく耳を傾け、深く洞察し、行くべき道をやさしく指し示したからではなかったろうか。
「ぼくがいま一番読んでみたいと思うのは、ぼくが死んだら皆がぼくのことをどう書くだろうということだ。君、なにかそれを読むような巧い方法はないだろうか」、という寺田語録のひとつからも、彼の好奇心旺盛な性格はうかがえるだろう。
知人から6日以内に震度6程度の直下型地震の可能性があるとの知らせがあった。有効範囲は岡山理科大学から半径300Km。もし正確な地震予知ができるとしたら、かなり強震の場合は事前に避難も考えられるが、M6なら揺れのおさまるのを待ったほうが得策かもしれない。
観測では大気イオンだとか電波を調べているようだが、当ってうれしい予報と嫌な予報がある。地震など外れてもらいたいのだが、「狼少年」のようになってもこまるので難しい問題である。
最近はM4くらいではあまり心配しない。情報が発達して、頻繁に起ることがわかったためかもしれない。しかし、建築の耐震基準の見直しや建替えも必要だが、100年に1度の災害に備えて、やたらコストが高くなるのは御免である。
2100年の日本の人口は、6700万人くらいと予測されているらしい。
2001.05.30(Wed)
頭が夢をみているとき、手はどうしているのだろうか。これ幸いと休んでいるのか。いや、いや、手も夢をみているのである。
新藤兼人
■季刊『銀花』第126号/夏の号/文化出版局
「手も夢をみている」の言葉に少し惚れてしまった。どこかで聞いたことのあるような懐かしさもあるが、やはりそう言われてみると自分の掌をまじまじと見つめずにはいられない。
毎夜、両腕の肘から先が冷たくなって夜中に目が覚める。原因は不明だが、眠りに入るまで腕を酷使して本を読んでいるせいのように思えてならない。深い夢や浅い夢に、はらはらどきどきしながら頭は遊んでいるのだが、その恩恵に預かれない手が嫉妬しているのだろうと思っていたのだが、今夜から手にも夢を見せてやれそうな気がする。
2001.05.29(Tue)
言葉こそ粒立ちてあれ人麿忌 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年6月号/鷹俳句会
柿本人麿の忌日が何日だったか、さて正確には覚えていない。何日と覚えるよりも、「晩春の頃であろう」くらいで私には充分である。正確な月日が必要ならば歳時記や辞典、今ならインターネット検索まで利用できる。それ以上に、この人名からイメージがふくらみ、次から次へと連想に浸ることができるのだから。
人麿の歌ならば、
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのに古思ほゆ
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
天離るひなの長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
もっとも、「人麿忌」から私は、「石見」、「トガナクテシス」、「イエス」、「いろは」へと展開していく。
かつて、「残月の明石の沖を過ぎぬればいのちかかりし錆釘ひとつ」の歌を詠ったが、この時は、イエスと人麿を空に想い描いていたように記憶する。
2001.05.28(Mon)
古来、鏡像問題について多くの人の意見があろうが、ぼくの回答が最も簡潔、それは、上下も左右も二次元的には変らず、第三次元の奥行きが正反対になるからだ。
和田悟朗
■俳句総合誌『俳句』2001年5月号/角川書店
鏡で自分を見るとき、左右は反対だが、上下は変わらない。目が二つ横並びについているから反対になるのだろうくらいにしか普段は考えていなかったが、鏡の前で片目をつむってもやはり左右は反対になる。やはりピンホールカメラではないが、網膜の映像まで考えないといけないようだが、それなら上下も逆さまになりそうだ。学習能力で補えるものなのだろうか。
鏡を後方へ45度以上傾けると、今度は上下も反転する。幾何学を駆使して問題を解くより、その変化に驚いてそれを利用した物が何かないかと思ったりしながら、朦朧と白昼夢を見るのが好きである。
飯島晴子に、「かの后鏡攻めにてみまかれり」という無季の俳句がある。男も女も、鏡を見て生きて、老いて、死んでいくのだろう。
久しぶりの晴天。窓から吹き込んで来る風が心地よかった。
2001.05.27(Sun)
馬をよこせ! 馬を!
馬をよこしたらこの国をくれてやるぞ!
シェイクスピア
■海外詩文庫『シェイクスピア詩集』/訳編 関口篤/思潮社
戯曲「リチャード3世」の最後の有名な科白である。かつて戯曲を読んだときは記憶にも残らなかったが、今なら無名塾の芝居で仲代達也の演じた醜き王子の最期が浮かびあがってくる。
今ごろ何故この詩集を購入したかと家人に尋ねられたが、真実は「馬」の文字が目に止まったからかもしれない。翻訳ものは訳者が変わると全く別物になってしまうので、時々読み比べて、「私ならあれが・・・」などと言えるといいのだが、読んだ片端から忘れてしまっている。せめてここに記録を残すくらいはしておこう。
曇天。雨傘を持って高知鷹句会に出席したが不要。
2001.05.26(Sat)
黒土も赤土も夏瞠るなり 藤田湘子
■第九句集『前夜』/角川書店
1ページ2句立ての句集である。そうすると、一方がいいとどうしてもそちらに目がいってしまい、つい見逃してしまうようなことがある。実際はこの句も読んでいるのだから記憶に残っていて欲しいものなのだが、するりと抜け落ちてしまっていた。
しかし、そんな句は、ふとした機会に句集をめくり、初めて出会ったような新鮮さがあったり、自分だけが知っている宝玉のように思えたりするから不思議である。
もう一方の名句は、「日のみちを月またあゆむ朴の花」。
ケーブルテレビで深夜映画を楽しんだ。監督クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」。もう20年も前の映画だが、ジョルジュ・ドンは若く美しい肉体であった。 3時間ものであったが、ぜひとも5時間の完全版を見たいものである。
2001.05.25(Fri)
写真を写すっつうのは、同化なんていうんじゃなくて、犯されるぐらいの気持ちじゃないとダメですよ。
荒木経惟
■『天才アラーキー 写真ノ方法』/集英社
写真家の篠山紀信でさえ可愛いモデルを撮るだけではなく、新しい世界を広げる試みている。しかし、商業写真は難しい。写真だけで撮影者を当てるにはよほどの個性がなければならない。アラーキーはSMで、かなりしっかり足場をかため、風景や静物をとってもSMっぽく、濡れたエロチックさが漂い、これはなかなか真似できできるものではない。やはり才能だろう。
自分で天才と言う人をあまり信じられないが、言葉が人物を育てることもある。天才の何に恥じない努力を陰でしているのかもしれない。
写真を写して犯すのではなく、被写体に犯されてしまう写真家「荒木経惟」。きちんと撮るだけでは飽き足らず、同時にどこかハズすこともやってしまうのは、見かけや言葉より淋しがりやで、いたわりごころの濃い作家だからなのだろう。
2001.05.24(Thu)
「玲瓏」を商標登録しようと手続きし始めたところ、既に取得されていました。
塚本青史
■『玲瓏』2001年5月号/第49号/玲瓏館
書籍名が商標登録の対象になることを私もうっかり見逃していたが、42類に分類された中の第16類の紙類にすでに「玲瓏」の先願があれば確かに使えないことになる。
しかし、すでに(財)モラロジー研究所から心の生涯学習誌「れいろう」が発行され取得されていたそうで、誌名使用許可の御挨拶に伺ったところ快諾を得たとのことである。まずは一安心である。人名なら同名でも許されるだろうが、経済活動を伴うものは法律によって保護されている。裏を返せば、法律で守られなければ模倣が横行するから仕方がないのかもしれない。
書肆季節社の政田岑生氏亡きあと、塚本邦雄選歌誌「玲瓏」は御子息の塚本青史さんが発行人となって玲瓏館から出版されている。生涯、自分の短歌結社を待たない決意であった塚本邦雄に、苦肉の作として政田岑生が提案したもので、全国の塚本崇拝・支持者がこの季刊誌に作品を発表しているのである。
さて、インターネットのHPは第何類になるのだろう。広告なら35類、知識の教授なら41類なのだが。
2001.05.23(Wed)
塚本邦雄は迷路が好きである。
寺山修司
■『黄金時代』/河出書房新社
私にはこの一行だけで「詩」のように楽しめてしまう。寺山修司の著者名が添えられていればなおさらその思いは強くなる。後に記されたボルヘスもバビロン王もアラビア王もまったく必要なく、条件反射のようにイメージが展開してしまうのである。
「藤田湘子は迷路が好きではない。」と、勝手に書き換えてみても、こちらは詩のようには読めない。私が師と仰ぐ二人であるが、何がその原因か、今ひとつ口ではうまく説明できない。しかし、言葉にならない何かがあるのは確かである。
夜は6人参加による俳句五人会「銅の会」。新人女性が二人増えたので、その後ささやかな歓迎会を。まったく俳句に縁のなかった二人。4月から少し俳句にかかわって新しい世界が見え始めてきたところ。さて、そろそろ投句の準備が必要。五人会賞への応募は、全員で10句投句による団体戦である。
2001.05.22(Tue)
店で買い物をして、金を払って出るとき、「ありがとうございました=Merci.」というのは客の方。店の人は「さようなら=Au revoir」か「よい一日を=Bonne journee」と返事をしてくれるだけ。
玉井崇夫
■『フランス語の旅行会話集 これだけで大丈夫!!』/ナツメ社
旅行に出たいと思ってもなかなか時間が取れない。もちろん先立つものも不如意のため、延ばしのばしになってしまっている。英会話もままならないが、挨拶くらいは覚えておこうと旅行会話集を買い求めても、結局日程が決まらなければ、本気で読むこともなく、習慣の違いなどの読み物のほうに目が行ってしまう。
毎日ほとんど外で食事をとっているが、日本ではまず「ありがとうございました」と店の人が言ってくれるので、こちらも「ごちそうさま」と答えることにしている。お金を出そうと貰おうと「ありがとう」と一声あると、何だか気持ちがいいのでそれがあたりまえになっているのだが、どこの国もそうとは限らないらしい。
先日、店を出る時「おやすみなさい」と言ったのだが、店の人はまだ働いているのだからそれは可笑しいと嗜められてしまった。日本語も難しい。
2001.05.21(Mon)
子規はことのほかに「せり吟」も好んだ。時間を限定してできるだけたくさん作ろうとするものであり、子規庵ではしばしば線香を立ててせり吟に興じた。
坪内稔典
■俳句総合誌『俳句研究』2001年6月号/富士見書房
時間を限定して仲間と俳句を作るのは毎度のことである。しかし、それを「せり吟」と称すとは知らなかった。まだまだ知らないことばかりである。
気に入ったのは「線香を立てて・・・」である。なるほど、線香と聞けば少し古臭いが、改めて考えてみれば、インセンスの香りが漂い鎮静効果もあるだろう。そして、誰からも見えやすくなかなか新鮮かもしれない。問題はどの線香にするかだが、以前「空海展」の会場で求めた線香は甘く素敵な香りであった。
ただし、煙の風下に座ってしまうと作句どころではない。句仇にはまずそこに座ってもらおう。
2001.05.20(Sun)
マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの稚魚をイワシシラス、またはドロメと呼びます。
■『図鑑&料理 土佐魚のすべて』/図鑑監修 岡村収/高知新聞社
98頁の「ジャコ」の解説の一部にこうあった。もちろん皿に盛られた半透明のドロメの写真入りである。体長3cm以内のドロメは、まだ体に色素が少なく、鰭も十分発達していないとのこと。ただし新鮮でなければうまくも何ともない。
うっかりGWの連休で忘れてしまっていたが、毎年5月の第一日曜日には、高知の赤岡町で「ドロメ祭り」が開催される。朱塗りの大盃に、なみなみと注がれた一升の酒を競って飲む祭りとしても有名であるが、まだ全国的には知られていない。
土佐の気のきいた酒場なら春先からまずどこでも食べることができるが、「ノレソレはありますが、ドロメはありません」と言われるとがっかりしてしまう。日曜日は市場が休みなので仕方がない。とりあえず、湯上げしたチリメンジャコを買って来て、炊きたての御飯に青紫蘇のみじん切りと混ぜて食べると実に美味しい。
2001.05.19(Sat)
かくつよき門火われにも焚き呉れよ 飯島晴子
■句集『平日』/角川書店
注文した句集12册が宅急便で届いた。受け取るとずしりと重い。自分用に3册、知人への寄贈用に3册と考えていたのだが、もう残りが少ないと聞いて慌てて倍にした。きっと欲しいと言う仲間が後から現われるはずである。
2000年6月6日に黄泉に旅立ち、はや一年が経とうとしている。しかし、肉体がこの地上に無いというだけで、私の生きる限り、俳句を愛する作者がいる限り、遺された俳句とともに飯島晴子は生き続けるだろう。
ただ、間違ってはいけない。晴子は、今まで芭蕉や虚子が生き続けてきたように生きることなどこれっぽっちも望んでいない。その次を開けと、自分を踏み台にしてでも、その塀の向こうの見えないものを見てみろと言うに違いない。今、何かやらなくて、どうするんですかと。
新人歓迎会で真夜中まで飲んでしまった。飯島晴子さん、ごめんなさい。
2001.05.18(Fri)
当月ご請求予定額 4,002円
■『電気ご使用料のお知らせ』/四国電力株式会社
今朝、郵便受けに入っていた我が家の4月17日から5月17日までの電気料明細のお知らせである。8×22cm足らずの紙切れであるが、色々な情報が並んでいる。
当月使用量は185kWh、前年同月は152kWh。家人と二人暮し。冷暖房装置を最も使わない季節の使用量。何だかこれだけで短編掌説が書けそうなイメージが膨らんでくる。寺山修司や塚本邦雄は、電話帳を小説以上に楽しんでいたが、どんなモノでも少し視点を変えると遊びの素材になってしまう。
検針員Hには10年たっても面識がないので、私とは全く生活パターンの異なる人物であろう。サスペンスにするか、SFにするか、恋愛ものにするか、思いは広がる一方である。
しかし、今なら環境問題を捉えたノンフィクションでもいい。京都議定書からはや十年。1940年に向けて、ファクター15(facter15:環境負荷を現状の15分の1に抑制する、または環境効率を15倍に高めること)を目指すなら、毎月12kWhしか使えないことになる。つまり、現在の冷蔵庫や洗濯機、テレビなどもっての外と言うことになる。パソコンの微弱電力も勿論この中に含まれている。さてどうしよう。
ちなみにこの明細書はシュレッダーに掛けて処分してしまった。我ながらファクター15にはまだまだほど遠い生活を送っている。
2001.05.17(Thu)
After the nucler
conflict you go on about ...
what do you say
about becoming, with me,
part of some flowing water.
■英語対訳版『サラダ記念日』/俵万智/訳 Jack Stamm/河出書房新社
日本語による縦書表記の歌集を読んでも、ほとんど記憶に残っていなかった短歌が一瞬英訳によって意識を揺さぶってくるのだから面白い。
「After the nucler ... 」え、俵万智が核兵器のことを読んだ歌があったの?
そして、日本語、分かち書き表記では、
「君の言う/核戦争の/その後を/流れる水にならんか/我と」
とある。表記法や言語が違えば、まったく違った印象の歌に思えてならない(横書ではこの雰囲気もまた異なる)。柔軟な頭の持ち主ならこんなことは気にならないのだろうか。
例えば、「the nucler conflict 」と「the nucler war 」の違いは、欧米人の頭の中ではどんな映像に置き換えられているのだろう。
曇天。しかし暑い。
2001.05.16(Wed)
おそるべき君等の乳房夏来たる 西東三鬼
■句集『夜の桃』
俳句を読んだ実感が残る句である。この短さがたまらない。そして、一読、男なら忘れられない句になるのではなかろうか。
俳人として、春夏秋冬、そして新年を代表する自作一句を持つことは何よりの誉れである。俳句の17音によって、他者の脳髄の中に染込ませ、生涯忘れられなくしてしまうとは、ある意味ではコンピュータ・ウイルスのようなものかも知れない。何かの拍子に画面に表示されるように、ふと一句が浮かんでしまうのだから。
2001.05.15(Tue)
飛魚を天に捧ぐるごとく干す たむらちせい
■第5句集『雨飾』/沖積舎
「雨飾」は越後と信濃の境に立つ山の名という。最近は旅を愉しんで俳句を詠まれている様子。作者は高知県在住、結社誌「蝶」主宰。
長崎、平戸での連作の中の一句。陽光を浴びきらきらと輝くものにふと目が止まった。何だろうと凝視してみれば、金網に広げられ、半ば乾き加減の天日干しの飛魚である。魚の天日干しの現場は、これまで何度も視ている作者ではあったが、無惨に広げられた羽とも呼ぶべき鰭が、印象深かったのであろう。かつて水面を翔るように、海も空も自由に我がものとした飛魚達よ。
ここは平戸、かつての隠れキリシタンの漁村。急な傾斜の石の階段を登りながら、背面の海を見下ろし、マリアへ、イエス・キリストへと連想が広がっていったに違いない。十字架に干されたのは、飛魚ならぬイエスであった。天なる神がそれを受け入れたかどうかは定かではない。復活の噂も、作りごとであったかもしれない。
「ごとく」俳句は難しいと言われる。それは、これまでの俳句の歴史の中で、あらゆる連想が繰り返し使われ、ほとんどの言葉が手垢まみれで、おいそれとは驚かなくなった読み手の心を強く揺さぶるのは至難の技だからである。確かに安易な連想に陥り、俳句とも呼べない句が多いのが現実であろう。是非とも俳句たる俳句を享受できる現代人が増えることを願うばかりである。
2001.05.14(Mon)
エージェント型システムをHIの新しい姿(エージェント指向インターフェイス)として具体的に示したのは、Alan Kay である。
西田豊明
■『ヒューマン インターフェイス』/編集 田村 博/オーム社
暇があれば、いや無くても読んでいるWeb日記がある。しかし、5日ほど更新が無いと、自分の不連続日誌の更新はさておき、何だかソワソワ、どうしたのだろうと少し心配になる。習慣とは恐ろしいもの、これが恒常化すると「中毒」になるのだろうか。
「食中毒」ならぬ「読中毒」の禁断症状が恐ろしい。
インターネットは以前とは比較できないほどの情報量を容易く与えてくれるが、果たしてその中で、私にとって必要な情報とは何だろう。検索ページをたどっても、まだまだ検索時間に比例した満足の得られる情報にめぐり逢えないのが現実である。
さて、ここにもAlan Kay の名前が引用されていた。「オブジェクト指向」を提案し、ゼロックスの Alto という計算機開発の過程で、理想のパソコンの形を提唱した人物である。また、Apple に移籍した後は、 彼の思想が Macintosh 以後のパソコンにも導入されたはずである。是非とも私にも使える「読書中毒対応エージェント」を早急に開発して欲しいものである。
2001.05.13(Sun)
これまで専門、細分化されていた生物学や遺伝学などの各分野が、「ゲノム」という新しいテーマによって収斂されようとしています。これによって神秘性に包まれていた生物の姿が分子、遺伝子レベルで解明されることになります。
■『21世紀最新テクノロジー解体新書』/編集 花形康正 他/日刊工業新聞社
「ヒトゲノム解析」などの言葉が盛んに使われるようになってきている。新しい理論や技術が考案されるとき、それまでの言葉では言い表わすことができず、新たな言葉が作られる。もちろん、使われなくなる言葉も多いが、その何倍もの言葉が作られているはずである。
DNAは、縄ばしごを捩った2重螺旋構造になっていることはよく知られている。そして、はしごの支柱部分には糖(デオキシリボース)とリン酸が交互に並び、はしごの階段部分はアデニン、チミン、グアニン、シトシンと呼ばれる4種類の化学物質(塩基)が約30億個並んでいるといわれる。
この30億という文字数は、新聞朝刊で25年分、1册1,000頁の百科辞典で1,000册分になるという例えが、何だかとても面白かった。
その反面、夜、N放送局の番組で、臨界事故により放射能を浴びた職員の染色体異状とその後の生々しい医療記録を見ただけに、ゲノム(全遺伝子情報)レベルでの人体の再生能力とその脆さを改めて思い知らされた。
2001.05.12(Sat)
『イリアス』は一万五千行以上、『オデュッセイア』は、一万二千行以上もある。
藤縄謙三
■『ホメロスの世界』/新潮社
忙しくて遊んでる暇など本当はないのだが、やはり息抜きが必要と馬を見に出かける。さすがに初夏、少し風もあり何とも気持ちがよかった。それだけで満足。
ホメロスの叙事詩の世界は楽しい。しかし、原文で読む能力がないので、きっとその何分の一も愉しめていないのではないかと常々疑問に思っている。
しかし、ギリシャの海を見下ろす石造りの半円形劇場で、吟遊詩人による「オデュッセイア」を聴きたいと思う。先日、ヤニス・クセナキスを紹介する放送を見て以来、より強くそう思うようになった。
2001.05.11(Fri)
油絵具はその便利さによって、絵画をすっかり駄目にしてしまった。
石本 正
■画文集『我がイタリア』/新潮社
なるほど、そんなふうに油絵具を評価する画家もいるのかと、ある意味で新鮮な驚きであった。石本正はフレスコと比較して、「すばやく描く必要もなく、しかも絵具をいくらでも重ねることができるようになって、画家は絵画の本質を忘れてしまったのだ」とも言っているが、これはかなり誇張した表現であろう。
しかし、「視覚のかなたにかくされているものをとらえて、それを画面に定着させたとき、はじめて絵画が誕生する」と言う考え方は、短歌や俳句など、創作表現すべてに共通するものである。子供の絵から出発して絵画にまで高められるためには、見えない何かを加えないで創作と呼べるはずもない。作家として安易な写生で終わることだけは避けたいと思う。
2001.05.10(Thu)
抽象語の羅列によって、逆に目に見える世界さえ曖昧な存在にし、それを不可視の世界へのアプローチのように錯覚している人はいないでしょうか。
塚本邦雄
■『定型幻視論』/人文書院
手許には古書店で求めた塚本邦雄の本がかなりある。しかし、いつ開いても古びない言葉がそこには眠っている。いや、眠ってなどはいない。今も挑発的な意志が行間から立ち上っている。短歌も俳句も詩も絵画も、不可視の世界を描こうとするなら、眼前のモノを描き尽くす力とそれを乗り越える創作力が不可欠であろう。安易な創作では、まず自分すら騙すことができないのだから。
天文の季語の弱さと抽象語の弱さは、どこか似ている。
2001.05.09(Wed)
「失礼ですが、どんな作品を制作されていますか」
と訊かれたのである。
山本容子
■『わたしの美術遊園地』/マガジンハウス
この一言が山本容子を銅版画家に導いたと言っても過言ではない。
京都市立芸術大学に入ってまもない彼女が、教授の吉原英雄を囲む版画教室のコンパに潜り込んだところ、初対面の彼女に敬語で訊ねられたとのことである。
彼女に恥をかかせ大笑いしていた学生たちに、吉原英雄は「才能は、性別、年齢、国籍を越えてあるものだから、学歴など何の役にも立たない。私がこの若い女性を作家としてあつかったのは、そんなにおかしいことではない」と諭されたそうである。
一人間として、一作家として、いつでも、どんな場所でも対等の目線で相手と話できることが何よりである。
私の鍛金の師は、「銅板の音を聴きなさい」と語られた。今でも銅板を金鎚で絞っていた師の後姿と金属音だけが鮮明に記憶に残っている。
2001.05.08(Tue)
耕衣は明快な二元論者であり、しかも肉体こそ精神に優先するものと主張していたから、肉体に偉大な関心を持ち続けていた。
和田悟朗
■『現代俳句』2001年5月号/現代俳句協会
永田耕衣の俳句を読んで、時々、震えるような感覚に支配される理由がここにあるようだ。
「かたつむりつるめば肉の食ひ入るや」の句にしびれさせられるのは、物体が指し示す向こうが見えるからに他ならない。物体を描かなければ、強い精神など提示できないのだから。
会議は嫌いだ。長たらしい締りのない会議を軽蔑する。
2001.05.07(Mon)
イエスに花を手向けなくていい。
大野一雄
■『大野一雄 稽古の言葉』/フィルムアート社
逆説、否定により一瞬どきりとさせられる言葉である。しかし、これで驚いてはいけない。さらに続く。「イエスに花を手向けるよりも、イエスから花を貰ったほうがいい」と。舞踏家とは、大野一雄とは、そこまでぎりぎり考え、伝えようとする人だったに違いない。
「私には手向ける何もありません。花ひとひらありません。」と語った彼の舞踏を、今一度見たいと思う。
2001.05.06(Sun)
虚子には「俳句は言志だ」、つまり、ことばの志という思いが強くあったようですね。
平井照敏
■『俳句研究』2001年5月号/富士見書房
言志(げんし)とは、何と強い言葉だろう。「俳句は言志だ」と言い切る虚子も素晴らしいが、その思いが今日どれだけ伝わっているだろう。誰もが俳句入門講座のテキストを読み、書店で気軽に入門書を求める時代である。そのために失われてしまったものが多いのではなかろうか。
私は句会ではつまらないと思った句の批評は最少限、あるいは全く対象にもせず、いいと思った句だけほめるようにしているが、誉められるだけで満足されては心外である。厳しく指摘されなければわからないようでは句会の甲斐もない。もう一度、言志を取り戻してみたいと思う。
七宝のエスキース作成。なかなか捗らない。しかし、悩んでいるのも楽しい。
2001.05.05(Sat)
芸術至上主義というふうな言葉はよくいわれるのだけれど、口先ではなくて、借金、借金の生活の中で、このような執筆生活を計画し、全力をかける態度は、(省略)
水上 勉
■『谷崎先生の書簡』/中央公論社
小説「春琴抄」の執筆には、京都高雄山の地蔵院がつかわれた。名作が生まれた背景には作者の日常生活があるのだが、それらを消し去ることもまた創作の楽しみなのかもしれない。心を遊ばせるとはそういうことか。
曇り後小雨。馬と遊ぶ。動物嫌いであるが、見て楽しめる動物は動物の中に入らないことにする。割烹Gにて家人に御馳走になる。
深夜午前4時から、BS放送で「ヤニス・クセナキスの人生と音楽」という番組を見た。クセナキスの映像を見るのは初めて。私への祝福と解釈。今も頭の中に音が渦巻いている。
2001.05.04(Fri)
日記買ふつもりで小鳥屋を覗く 栗原いづみ
■電子句集『NOTHINGNESS』
PDFファイルをダウンロードすると、表紙を含め、71ページの電子句集であった。一頁一句の贅沢ともいえる空間に、一句一句が行儀よく並んでいる。
中でも、上掲句には、歳晩の日常生活の一こまでありながら、いつも目的だけを目指して生きて行けない人間の側面を見事に描いていると共感。街へ出ると、確かに日記を買うつもりであっても、店先の小鳥籠や小鳥の声につられて、買うつもりもない小鳥店や諸々の店に入り込んでしまう。自分のそばにいても見つけられない「青い鳥」が居そうな気がするからである。この句の「小鳥屋」が実にいい。
句集からもう一句。「天を射る如く椿の落ちゆけり」
2001.05.03(Thu)
手と足をもいだ丸太にしてかえし 鶴 彬
■『楽しく始める川柳』/山本克夫/金園社
快晴。昨日の雨が嘘のように空が青い。まだ真夏の青さではないが、連休に出掛ける人にとっては幸いであろう。しかし、すでに高速道路の混雑が伝えられている。
七宝作品の下絵を制作。イメージのアウトラインをトレース用紙に鉛筆で描いていたが、デジタルカメラの画像を利用することを思いついた。たりない身体の部品は、鏡に自分の腕と手を写して撮影。Adobe Photoshopを利用して、トレース機能や拡大縮小・回転・色彩変換機能を用いれば、かなりイメージに近い下絵ができあがる。このまま印刷してしまえば完成作品とも言えるほどのコラージュ。しかし、便利な道具の誘惑に負けない決意が必要。工芸はここから始まり、新たな客観視と技法によりイメージをどれだけ昇華できるかが勝負である。
鶴彬(つるあきら)は新興川柳派の人。昭和12年、治安維持法で検挙、獄中死。享年29歳。
2001.05.02(Wed)
世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。
穂村 弘
■『短歌という爆弾』/小学館
世界に対する認識は人それぞれである。歌人・穂村弘にとっては、十歳を過ぎたころから世界は気味の悪い場所に変わったという。なるほど、そんな風に感じて育つ人もいるのかと、古井戸を覗くような思いであった。
彼がたどりついたのは「僕は僕だけの自分専用の呪文を作らなくては駄目だ」という結論のようであるが、もちろん呪文とは彼の作る短歌のことである。是非とも自分専用でありながら、私にも共感できる歌を作ってほしいと思う。
穂村弘は、加藤治郎、荻原裕幸と共にSS-PROJECT 発起人のひとり。
土砂降りの雨に国分川の水嵩が増し、濁流となって流れていく。これで、高知市の水不足も解決するだろう。HPのデザインを少しだけ変えてみた。
2001.05.01(Tue)
末の世の薔薇のこずゑにくれなゐの月かかりをり 誰よみがえる
■『一首百景』/編者 朝日新聞学芸部/文化出版局
歌には作者名がなかったが、たぶん塚本邦雄の歌であろう。新聞に掲載された歌人のエッセイをまとめた本だが、その中の「卯月遠近法/塚本邦雄」にあったもの。他の歌には「邦雄」とあったから、名前がなかったのは校正ミスだろうか。
「誰よみがえる」とは、もちろんイエス復活のことであり、20世紀末を「末の世」と捉えた作者の幻想に他ならない。
連休の合間、仕事をこなしている。
先日から右肩の筋を痛め、思い出したように顔が歪むことがある。シャツを着たり脱いだりするだけでも、うっかりしていると痛みが走る。しかし、左肩と比べてこの痛みが解るのだと、変に感心させられたりして半分楽しんでいる。
夜寝ていても、無重力空間で寝たら右肩や背中が痛くないだろうかと思う反面、骨が弱ったり顔が浮腫むのは嫌だから、やはり重力はあったほうがいいとか、とりとめないことばかり浮かんでは消えていく。
2001年 5月 |
2001.04.30(Mon)
広義のデジタル化は、電子工学の域をこえ、すべての生命体に関わる基礎的情報概念にほかならない。生物は多種多様な情報をデジタル化しながら生存してきた。
西垣 通
■『インターネットで日本語はどうなるか』/岩波書店
西垣通は千変万化する物理世界の現象から、餌や敵を見分ける認知能力そのものさえも、ある意味ではデジタル化であると語っている。
言葉や日本語についてのメッセージよりも、私にとってはこの基本概念が考えるヒントを与えてくれるものであった。デジタル化という言葉をもう一度とらえなおしてみようと思う。
例えば、「さらに例をあげれば、DNA二重螺旋のゲノム(遺伝子の総体)とはデジタル信号そのものである」という考えは、私自信がデジタルであると言っているようなものである。つまり、成長による獲得形質をも、もし何らかの方法でデジタル化できるなら、私のコピーや保存が可能ということに他ならない。コピーを嫌う私がコピーされるとは耐えられない苦痛ではあるが。
2001.04.29(Sun)
葵牡丹文唐草蒔絵香割道具
■『香千載』/監修 畑 正高/光村推古書院
香道の道具というより、そのための裏方の道具である。しかし、本書をめくり写真を見て驚いたのは、正倉院御物の有名な沈香「蘭奢待」もさることながら、香割台の八角柱の上面の木目の光沢と、それを際立たせるように側面にほどこされた蒔絵であった。
葵と牡丹文様であり、江戸時代の将軍家に繋がる持ち物として作られたのであろうが、香割台にまでその意匠を付けさせた感覚を何と言って表現すればよいのであろう。まさに、「ウーム・・・」の一品である。しかし、確かに使われた鑿痕があったのが嬉しかった。
連休を利用して愛媛の実家へ帰省。小雨の高速・高知道はまだ込んではいなかった。
2001.04.28(Sat)
私たちは椅子を引きよせ、ふたたびダイキリを注文し、うっとり聴き惚れていた。
沢野ひとし
■『紫陽花の頃』
友人と二人で聴いたのはドヴォルザークの曲。場所はキューバの首都ハバナ。
私は抒情的すぎるドヴォルザークは苦手であるが、辛口のダイキリなら許せると思いながら読み進んだ。タンゴやボレロではなく、モーツァルトやブラームスが静かに流れる。是非とも真夜中の小ホテルの内庭で、ヴァイオリンやオーボエの音を楽しみたいものである。「ハバナで酒を!」と思わせてくれた文章であった。
曇り空。自転車で街中を走った。普段とは違った筋肉が緊張して軽い汗をかいたが風が気持ちいい。しかし、自転車道の凸凹や駐輪車の多さには辟易させられた。
2001.04.27(Fri)
それも醜悪な形や色をしているならともかく、純白の目が醒めるほど美しい粉末である。
渡辺淳一
■『風のように・贅を尽くす』/講談社
「美しい粉末」とは、青酸カリのこと。著者は札幌医大卒、整形外科医であったから若かりし頃その薬物を見ていたのかと思っていたが、小説「失楽園」を書くにあたって、ある大学の歯科研究室で見せてもらったそうである。
私も毒劇物の管理が今ほど厳しくなる以前、10年近く手許に一瓶保管していたことがある。しかし、この文章にあるほど美しい粉末とも思えず、やはり作家の感性によってかなり誇張されたものだろう。「やや苦い」とあるが、私も味見はしていない。
2001.04.26(Thu)
彼らは「事実だとされていること」を丸暗記する。だが、発見の喜び、すなわち、事実の背後にあってそれに命を与えているものは、そこから抜け落ちているのだ。
カール・セーガン
■『人はなぜエセ科学に騙されるのか(下巻)』/翻訳 青木薫/新潮文庫
天文学者 Carl Sagan の名で思い出すのは、やはり「ファースト・コンタクト」だろうか。人それぞれの記憶が違うのは当然なのだが「コスモス」よりもなぜか宇宙からの音として記憶されているから不思議である。もちろん、ジョディ・フォスターが好みであることもかなり影響している。
「彼ら」とは、ここでは高校三年生を指すのだが、それ以後の年令の大人すべてを対象にしていると考えてもよい。年ごとに発見や感動が衰えていくのは、現実のすべてを事実としか受け入れなくなった片寄った理性に大きな問題がある。感性を失ってしまわないうちに、もう一度「なぜ?」と問いかけてみたいことばかりである。
「科学の常識」もまた新しい発見で変わってしまうことを思えば、「不易流行」を唱えた古人の智恵を広い意味でとらえてみたいと思う。俳句や短歌を作るのはその力を見つめ直す機会でもあろう。
2001.04.25(Wen)
アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。
レイチェル・カーソン
■『沈黙の春』/翻訳 青樹簗一/新潮文庫
以前から興味はあったのだが、読む機会のなかった本を手に入れた。内容だけで充分なので文庫本でよしとした。原著は1962年「Silent Spring」として出版されたとのことである。
内容が重い本なので、どのように書き出されるのかと、サスペンスを読むように扉を開ければ、「アルベルト・シュヴァイツァーに捧ぐ」と献詞があり、彼の言葉があり、そして、キーツの詩の一節、E・B・ホワイトの言葉、まえがきと続き、本文の初めに上掲の言葉が現れる。
自然環境保護に少なからず関心のある人ならRachel Carson の名前や書名は知っているだろうが、もうすぐ彼女が雑誌に執筆したエッセイを元に、長篇記録映画「センス・オブ・ワンダー」が完成する。是非とも見たい映画のひとつである。
夜は俳句の「銅の会」。Y女史欠席。しかし、新人2名が参加したため面白くなっている。やはり既成観念にとらわれないのがいい。その後、カクテルバーへ、そしてラーメンと餃子。
2001.04.24(Tue)
春曙我となるまでわれ想ふ 藤田湘子
■俳誌『鷹』2001年5月号より/鷹俳句会
5月号には秀作が並んでいる。綜合誌「俳句」5月号50句から抄出された12句が並んでいるのだから当然だが、はたしてそのために何句捨てられたことだろう。
「春曙」と言えば清少納言である。しかし、あやふやな春の時間の中で、「われ」から「我」へと昇華していく時間が想われ、瞬間芸術とも言える俳句に時間を盛り込もうとする意欲を恐しいとも思った。
虚子忌まで花の十日や愛しきやし
履歴から恋は脱落目借どき
春雷のあと空箱を一つ潰す
また、こうして並べてみると藤田湘子の句の自在さには驚かされてしまう。
湘子の一弟子として、私がこの文章に費やす時間を俳句創作に向ければそれなりの成果が期待できるのかもしれないが、「わたしとは何ものなのか」今しばらく考えてみるつもりである。
2001.04.23(Mon)
メディアが絶賛するような政権ができても、必ず悪口を書く。それがわたしのような「三流作家」の責務だし、表現者の根性というものだと思っています。
辺見 傭
■『京都新聞』4月23日より/京都新聞社
「表現者の根性」という言葉をはじめて聞いたような気がする。しかし、彼なら命懸けで戦うに違いないと信頼しているし、他人事的だが、そうあって欲しいと望む。
辺見傭といえば私の中では講談社ノンフィクション賞の『もの食う人びと』が浮かんでくる。それだけ印象鮮明な作品であった。その彼が三流作家ならば、果たして誰が一流と名乗れるだろう。
身体をはり取材し、誰に媚びることなく文章を書く作家を尊敬したいと思う。
2001.04.22(Sun)
問題を解くことに没頭するあまり、人々は自ら問いかけることを忘れがちである。
森 博嗣
■『臨機応答・変問自在』/集英社
最近になって気が着いたのだが、書店に森博嗣の著書がやたらと目につく場所に置かれている。売れているから置かれるのだろうが、いつも手に取って読み飛ばし、まず立ち読みで終わってしまっていた。
これ以上、本を置く場所もなく、購入費用も馬鹿にならないので、再読したいと思わない本は極力購入しないと考えていたためである。つまり、昨年10月に日誌を始めなければ、きっとこの本を購入することもなかったであろう。しかし、掲出の言葉には、680円+消費税くらいの価値があるのではなかろうか。
忘れないようにするために、この一冊を買い、こうしてPCに入力し、いつでも読みだせるようにした。「何故この本を買ったのか?」「何故を忘れないために」
もうひとつ、他人を傷つけない質問ができるようになりたいものである。
2001.04.21(Sat)
雲に乗る方法蝌蚪に足が生え 矢口 晃
■『俳句研究』2001年5月号より/富士見書房
三蔵の芝居を見た後でもあり、孫悟空の乗るキントンウンのことを思い出してしまった。確かに蝌蚪の形が雲に見えなくもないし、無数に群れる様子も、何か孫悟空を思わせ、生きる命の存在とかかわるようだ。
電源コードが故障したらしい、充電の電力供給が無くなったので、つづきはまた。
・・・・PowerBookの電力供給基板修理(数日経過)・・・・。電源コードを繋いでもPCに電力供給ができなくなり、バッテリが減る一方で、あせってしまった。電力がなくなると、PCはクズ箱に変わることを実感した。
「雲に乗る方法」と言う句またがりの言葉の新鮮さ、つまり、俳句では使いづらい「方法」を巧みに用いて、川の中を覗き込む作者が見えてくる。作者は数十分蝌蚪を見ていたのかも知れないし、水面に写った春の雲の流れを追っていたのかも知れない。足を生やし、早く地面に立ちたい、独立したいと思っていたのかも知れない。夢想の広がる句である。作者は昭和55年生まれ。
2001.04.20(Fri)
人はいつか鳥に変わる
身体を離れて
松本 隆
■『Angel's Eye』歌詞カードより/TOSHIBA-EMI LIMITED
チェリストのカザルスの編曲・演奏に聞き惚れ、何度レコードやCDで聞いたことだろう。「鳥の歌」はスペインのカタロニア民謡として親しまれている。
松本隆の詩は、元の民謡のイエス生誕を伝える場面をではなく、生きる人間の救罪とやすらかな信仰心を感じさせる。詩は次のように続く。
眼に見えない翼広げ
星空を飛ぶよ
生きる痛みから解き放たれ
魂が舞うよ
友人が劇団ファントマの高知講演を手伝っていたので「三蔵」を観劇。今年はなぜか「道」と繋がっている。芝居の感想を俳句で、とのことだったが、俳句ならぬ狂句のようなものしか書けなかった。開演前の紙芝居も笑えた。
2001.04.19(Thu)
稽古一回本番一回は、いわば名手が俳句を詠むのにも似て、その人の全人生の重さを、一瞬に、高度な洗練とともに、あらわにしていくような仕事なのだ。
青井陽治
■『日本経済新聞』4月19日、40面より/日本経済新聞社
舞台には椅子が二脚。そして、たった二人の男女の俳優による手紙の断片の朗読。朗読劇「ラブ・レターズ」は、こうして、1990年初演以来、100カップルにより250回の公演を重ねたと言う。
「稽古一回本番一回」というのは、俳優にとっては恐ろしい状況であろう。そして、その状況を「名手が俳句を詠むのにも似て」と表現する演出家・青井陽治は俳句の真髄を知っている人のように思えてならない。
ややもすると、「俳句をひねる」と簡易に誰にでも俳句ができそうに思えるが、やはり「名手」でなければ掴み切れない世界がそこにはある。だからこそ面白い。
2001.04.18(Wed)
たしかに、そのように一本の木や、古い茶碗、雨に濡れた廃材などが、不思議に懐かしく呼びかけて来る時があるものだ。
橋本 薫
■WEB版句集『夏の庭』あとがきより
作者は加賀に窯を構える焼物師。私のWebサイトの俳句を時々読んで下さっていたと掲示板の書込にあったので、4月10日開設のサイトを見せていただき、そこからWEB版句集を手に入れた。(Mac版をダウンロード)
http://www2.ocn.ne.jp/~usaijiki/
Webサイト上では句集が読めなかったため少し戸惑ったのだが、それは作者の美意識と俳句形式への深い思いによるものであろう。Quick Time Player をさりげなく使った句集は、水色と山吹色を効果的に用いた瀟洒なもので、春夏秋冬の句が見開き4句仕立て、しっかりと縦書きで表示される。
靴紐の十字組む指晩夏光
の句などは、縦書きでなければその良さの半分が失われてしまうようだと見愡れてしまった。今後、WEB版句集がきっと増えていくだろうが、その先駆けとも言えるものであった。なお、掲出の言葉は、ケルト人の神話、プルーストの「失われた時を求めて」を経て、橋本薫が日常の中で感じているものたちに潜む魂の声である。
2001.04.17(Tue)
現在というはかない時間をなげすてよ。存在はあらゆるところに同時にある。
ヤニス・クセナキス
■『音楽と建築』/訳 高橋悠治/全音楽譜出版社
画家なら「ピカソ、ダリ、デュシャン」、音楽家なら「メシアン、タケミツ、クセナキス」と並べて答えていた。彼らが次々と鬼籍に入ってもこの思いはまだ変わらない。彼らを凌駕する才能に出会えない寂しさもその一方にはある。
クセナキスはルーマニア生まれのギリシャ人であるが、時には禅に傾倒するような思想が感じられる。ヨーロッパの知識人が東洋にあこがれ、日本人が西洋にあこがれるのは、見なれぬものに驚きたい心からであろう。
スーパーの出口近くに、芍薬2本と青麦がラッピングされ置かれていた。それだけで芍薬と青麦の美しさが失われてしまい残念でならなかった。
2001.04.16(Mon)
踏み出す夢の内外きさらぎの花の西行と刺しちがへむ
塚本邦雄
■第十三歌集『歌人』/花曜社
すでに旧暦でも如月を過ぎ、弥生23日。何を今さらと思いつつも、「花の西行」に眼が止まった。いや、本心は「踏み出(いだ)す夢の内外(うちそと)」かもしれない。迷いが大きい時、意識とは少しずれたものをことさらに選んでしまうことがある。それが逃げの定法なのだが、逃げられない時はさてどうするべきか。
仕事が重なって汗が流れる。自分の範疇を越えたものまで流れこんでくる。しかし、枠を決めたがるのは世間であり社会、できれば、枠など壊してしまえとばかりに、そんな自分を見つめる眼差しもどこかにある。
久しぶりに自宅で夕食、それとも夜食と呼ぶべきか。
2001.04.15(Sun)
県外客なら桂浜、五台山、高知城の三点セットで一応ご満足願えるが、地元住民には行くところがない。
福原云外
■『わがまち百景』/東 聰 他/高知市文化振興事業団
副題に「21世紀に伝えたい高知市の風景」とあった。F書房で手に取って開いてみると、高知市内のモノクロ写真にそれぞれ1ページの解説が付けられていた。
私も元は愛媛の生まれで、大学時代から高知に来てそのまま住みついたのだが、県外から訪れた人に、1日あるいは半日で高知県を案内するとなると、まず定番とされるのが上記3ケ所になってしまう。
「はりまや橋」は見ても5分もかからないし、改修されたとは言っても「がっかり名所」であるし、室戸岬や足摺岬は遠すぎる。せいぜい土佐山田町の龍ヶ洞くらいのものであろうか。
私の好きな春野町の海岸へ連れていっても、時には喜んでくれる人もいるが、「え、海を眺めるだけ?岩もないし、島もないし」と、人によってはすごくがっかりの様子なのだ。
大景なのか、歴史・物語性・人情・希少性なのか、風景に求めるものが違えば、それぞれ反応が変わってくるから仕方のないことなのだが、まず「高知市3点セット」となると、上記のような無難な所で済ませてしまおうと考えてしまうのが常である。
2001.04.14(Sat)
「二センチ四方の布地も捨てないように、いつか必ず役に立つ日が来るのだから」と繰り返し私の耳に叩きこんで下さったその言葉が音楽のように、虹の断片のように、遺された私の身と心に棲みついている。
黒田杏子
■『花天月地』/立風書房
俳人・黒田杏子は大塚末子デザインの上衣ともんぺを着用して18年になるという。時々テレビで見かける彼女の衣装がファッション・デザイナーの手に寄るものだと初めて知った。作業着の「もんぺ」を普段着以上に着用している日本人を知らなかっただけに、いつも新鮮と同時に何か日本へのこだわりのようなものを感じていたのだ。
すでに、もんぺスタイルも50点以上になるそうだが、その三分の二強が、尊敬する先達の女性たちから頂いた着物のリフォームであるのにも驚かされた。最近耳にする機会が増えたエコロジーの思想がすでに実践されていた訳である。
「言葉が音楽のように、虹の断片のように」と発想されるのも、きもの哲学から学び取った恩寵なのであろう。
毎年7月に高知大丸で開催している仲間との「カレントクラフト展」のテーマ制作が決まった。今年は「音または響」。そして、第15回展となる来年のテーマを「和のかたち」として準備することになった。展覧会に訪れてくれる多くの方の心に棲みつくような工芸作品を生み出したいと考えている。
2001.04.13(Fri)
真っ赤な炎が大きく燃え上がる。掃き集めた落ち葉が燃えるように父の絵もつぎつぎと燃えはじめた。
奥村勝之
■『 相続税が払えない』/ネスコ
日本画家、奥村土牛の絵が燃える。生前描きためた膨大な素描やスケッチブック、彼の名声をけがさぬよう、妻や兄妹が引き取らなかった絵や美術館に寄贈されない絵が燃やされていく。死後6ヶ月以内に相続税を払うために、持ち絵の評価額を決めるといった現実の中での出来事である。
昨夏、東京芸大美術館で見た奥村土牛の1枚の絵が浮かびあがってきた。平凡な山の絵である。作品名も調べなければ思い出せない。しかし、その絵に暫し釘付けになり、言葉で表現できない至福の時を味わうことができた。
燃やされた多くの絵の魂が、残された絵の中に住みつき、見るものに語りかけてくるのかも知れない。
2001.04.12(Thu)
頭であれこれ考えたり、理屈をこねたりしていては、線にためらいが生まれ遅滞が生じる。
中野 中
■『巨匠たちのふくわらひ』/美術倶楽部
読んでいて美術エッセイを書くのは難しいと思った。たとえば、この本には46作家が紹介されているのだが、写真を隠し、作品名を伏せてしまったら、はたして何人の作家名をあてることができるだろう。つまり、言葉は写真に依存しながら、その様を副題的に説明するしかできないのかもしれない。
上記は、渡辺豊重の「記憶の夏6<翔ぶように舞え>」を表現したものだが、他の作家のものであっても十分に通用してしまうところが問題なのだ。つまり、巨匠と呼ばれるほどの画家ならば、考えても考えたことすら消し去る能力を身に付けているに違いないのだから。
美術館のレストランに座って、ぼんやり風の流れるのを見ていた。欅の枝や木の葉が揺れ、水面に漣波が広がるのを見て、「あっ風が吹いているんだ」と解るのだが、それより前に、何故か風が見えるように思えてならなかった。
2001.04.11(Wed)
実はね、僕は疑いや不確かさを持ったまま、そして答えを知らないまま生きられるんんだ。
R.P.ファインマン
■『ファインマンさんベストエッセイ』/訳 大貫昌子・江沢洋/岩波書店
物理学者ファインマンが語り出すと、耳をそばだてたくなる言葉が次々に現われる。それは、難しい数式を並べて解説するわけでもなく、やさしい例え話を織り込みながら、物事の本質を語ろうとするからに他ならない。
「まちがっているかもしれない答えを持つより、答えを知らないで生きるほうがよっぽどおもしろいよ。」どこか、賭事師が吐いたセリフにも聞こえてしまう。
彼にとっては、鳥の名前を知ることが大切なのではなく、今、目の前にいる鳥が何をやっているのかよく見ることのほうが楽しいのだ。不確かなものは不確かなままで。
新しい仕事にどこから手をつけようかと悩んでいたら、この本を読んで、またやるきが湧いてきた。賞や名誉をもらうために仕事をすることもあるだろうが、ものごとをつきとめる楽しみもあるのだと。
昼から旧知のインダストリアル・デザイナーMさんの講演会に行って、今の生活の15分の1で生きるにはどうしよう、などと考えたり・・・
2001.04.10(Tue)
トトを買う人は、考える。でも、サイコロは考えても無駄である。
平岩正樹
■雑誌『週刊現代』2001.4.14 号「手術室の独り言」より/講談社
抗癌剤の効果や副作用には、患者により大きな差があると言われている。しかし、それをわかりやすく説明する文章のはじめに、上の言葉があると何だか安心する。
確かに、トトや競馬や薬はさまざまな条件が加味され、結果が異なるとは言え、やはり強いモノは強く、弱いモノは弱く、条件の差がかなり左右する。しかし、イカサマのないサイコロでは、まず平均的配分になるはずである。
世の中、考えることが必要なモノと運に任せるモノがあることは救われる。考えてばかりいては、花の散るのさえ見逃してしまいそうだから。
余談ではなく本論では、外科医・平岩正樹は抗癌剤治療は、一にも二にも「さじ加減」であると言っている。本人の名誉のために付け加えておく。
2001.04.09(Mon)
名優はアガルのですよ! 小沢昭一
■『裏みちの花』/文藝春秋
人前でアガラない法はないかと思う時がある。しかし、舞台を何十年とこなした小沢昭一の考えでは、「名優の類いまれな表現は、ひとつには、アガルことによって狂気を呼び込んでいるからだ」と言うのである。
人前に立つことに慣れきってしまっては、反対に新鮮味なし、意外性なし、愛敬なしで、魅力に乏しいとなるらしい。なるほどである。結婚式のスピーチなどでも、型どおりのどこかで聞いたお世辞ばかりではつまらないし、友人代表のつまってしまうような、おい、しっかり声を出せよと、何かハラハラするほうが感動させられることもある。
俳句や短歌を作っていて、数をそろえることに慣れきって、人前にさらす句や歌の恥ずかしさを忘れないように、初心の頃の手足が震えたような、ひたむきな気持ちを忘れないようにと思った次第である。
2001.04.08(Sun)
虚子忌なり虚子一族の累々と 藤田湘子
■第九句集『前夜』/角川書店
4月8日と聞いて、まず頭に浮かんだのが「虚子忌」であった。俳句を作っていると、世間一般常識よりも俳句寄りになってしまうようだ。ついでといっては叱られそうだが、虚子忌の連想で上の句が思い出された。ちなみに、連想は金子兜太まで行ってしまうのだから始末に終えない。やはり、正統的に「花祭り・仏生会」と思いつくべきであったろうか。
N放送局のアンコール番組で「いま裸にしたい男・藤原竜也」を途中から見たが、蜷川幸雄演出「近代能楽集・弱法師」大阪公演の舞台に上がる寸前、原作者の「三島由紀夫」と「舞台の神様」に深々と祈っていたのが印象的であった。まだ18歳とのことだったが、初舞台「身毒丸」を踏んだ埼玉の劇場を訪れる場面でも、舞台に靴で上がるのを恐れ、すぐ裸足になっていた。無駄肉のない瑞々しい身体だけではなく、「舞台の神様」に愛される心をかいま見た思いであった。
初夏の暑さのなか、郊外の日差を浴びる。帽子は被っていたが、日焼しそうな強さであった。
2001.04.07(Sat)
素十君が私の句帳を一冊だけくれというのですが、あんな見苦しいものを差上げることは出来ません。
高浜虚子
■『俳談』/岩波文庫/岩波書店
虚子にもっとも愛された俳人は高野素十ではなかっただろうか。しかし、日記を兼ねた句帳で捨てるようなものであったとしてもも、「あんな見苦しいもの」と感じる虚子が好きである。
ある時、屑籠に捨てた虚子の日記帳が屑屋の手から知らぬ人に渡り、それをいくらかで買ってくれといってきたとのことだが、「仕方がない、あなたが持っていなさい」と突き返したそうである。この「仕方がない」という考え方が、虚子の根本にあったと思う。「あんなものを持っておっても仕様がありませんよ」とは、選ばれたわずかな俳句だけがすべてであったということだろう。
初夏を思わせる暖かな一日。桜も少し散り始めた。さつきや藤の花もすでに咲いている。身体を動かすと、背中にびっしょりと汗をかいてしまった。シャワーを浴びて、ナイター映画「ハンニバル」を見にいったが、やはり「羊たちの沈黙」のほうが不可解さがあって面白かった。字幕では2回だったが、「They don't.」と確かに3度繰り返していた。好みの音楽が何曲かあった。
2001.04.06(Fri)
より深遠な哲学的レベルにおいてさえ、将来のことは何ひとつ確かではない。あることが過去にいつも起こっていたという理由だけで、将来も確かに起こるとは限らない。
ナイジェル・C・ベイソン
■『マンガ心理学入門』B-1323/訳者 清水佳苗、大前泰彦/講談社
マンガ、いや挿し絵付で読むと、心理学の先生方の名前が、何となくわかるような気がする。もちろん覚える気がないので読み飛ばすだけだが、マンガだからといって、ウソは無いと思える。
「化学物質の反応を予測することは、比較的簡単だ。(中略)一方、人間は、それに比べてはるかに予測不可能の傾向がある!」
そうなのだ。だからあまり経験が役立たず、何度でも賭事や失恋のような同じ間違いをしてしまうし、応用問題になると、もっと始末が悪くなる。もちろん、わかりきらないから面白いとも思えるのだが、10回に1回は、必ず当るというような法則はどこかにないものか。つまり、9回外れれば、次は必ず当るというような・・・
速い馬が必ず勝つとも限らず、いい女が必ず幸せにもなるとも限らない。将来に夢の持てる確かさがないからこそ、心理学なんて学問が発達するのだろうか。
夜桜を見ようと升形近くの江ノ口川に出かける。しかし、桜は満開なのだが、暗くて美しさがわからない。ゆったりと夜道を歩いて、城西公園から滑り山、高知城へ向かう。肌寒いが月が天空に浮かぶ。雲が流れているのだろうか、朧月になったり、煌々と輝いたり、桜より月の素敵な夜であった。明日は満月。
2001.04.05(Thu)
民族の優位性を打ち出そうと画数を増やし、複雑な形態をとった西夏文字は忘れられ、簡略で美しいかな文字は現代まで生き続けている。
北室南苑
■『日本経済新聞』4月4日「幻の西夏文字書に躍動」より/日本経済新聞社
著者は書家、篆刻家。映画「敦煌」の舞台にもなったが、西夏王国は11世紀初めから13世紀、中国西北部に栄え滅亡した国である。国とともに西夏文字も忘れられ、19世紀になり仏人研究者によって再び発見されたという。
西夏文字は、糸が何本も絡み合ったような複雑な形で、偏、つくり、冠などを組合わせて意味を表す表意文字とのこと。国と共に亡びてしまう民族や文化、文字、言葉のことが思われ、はたして簡略で美しいと言われる仮名文字はいつまで生き続けられるのだろうかと考えてしまった。
4月5日は清明。家人がまた地震雲を見たと心配していた。地震が起るのは2、3日後とか。満月も近い。何もなければ良いが。
2001.04.04(Wed)
小座敷の茶湯は第一仏法を以て修行得道することである
千利休
■『本朝茶人伝』/桑田忠親/中央文庫
利休の茶の湯について、弟子の南坊宗啓が書き留めた「南方録」の中で利休の見識を伝えた言葉とのこと。
この後に続く「家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る」というのは時々聞くが、その前に仏法がくるところにあらためて驚いてしまった。
確かに大徳寺の大林宗套に参禅して「宗易(そうえき)」と名乗っていたのは知っていたが、祖先は清和源氏、父も堺商人の魚屋(といっても、納屋衆の一家とされる問屋と解説されていた)。正親天皇に秀吉が御茶を献上するために、利休も共に禁裏に上がる手段として居士号の勅許を奏請し、僧侶に仕立てられ秀吉の後見をつとめたとあった。真実、仏法第一と思っていたのか確かめてみたいところではある。
夜の俳句五人会にまた一人新人が増えた。喫茶店でよく見かける女性を仲間が誘ったとのこと。初回は喜んで頂けた様子。流れで、午前零時頃まで、カクテルバーで飲んでいた。一階下の店のメニューも置いてあり、好きな食べ物が注文できるようになっていた。しかし、どこかに男性はいないものか、酒好きであれば、なお、申し分ないのだが。
2001.04.03(Tue)
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
塚本邦雄
■第十一歌集『閑雅空間』/湯川書房
夢の沖に立迷うのは塚本邦雄か、言葉に魅了された多くの古の歌人達か。定家、良経、後鳥羽院は言うにおよばず、こころあるものは一度は立迷わねばならない。せめて鶴とは言わずとも、悪声の鴉でもよい、いのちを感じてみたいものだ。
かつて塚本邦雄は「歌は亡びた。歌人は、まだ生きている。」と答えたことがある。歌を詠えぬ歌人だけが生きながらえて何になろう。わかりやすい言葉だけがすべてではない。時代に迎合することなく、時代を切り開くこころがなければ、真の理解者など現われないものだ。安易な歌や言葉に流されることだけは避けたい。
夜は少し肌寒い。日曜に山から切ってきた染井吉野の桜が部屋の中で満開になっているが、まだ散ってはいない。吉野の山の桜を思って、酒ならぬ抹茶を飲んだ。
2001.04.02(Mon)
豊国の鏡山の岩戸(いはと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず
手持女王(たもちのおほきみ)
■対訳古典シリーズ『万葉集(上)』/訳註 桜井満/旺文社
万葉集の挽歌のなかに、「河内王を豊前国鏡山に葬る時、手持女王の作る歌三首」の詞書がありその二首目の歌である。今、山科陵あたりには鏡ノ山という名の山は伝わらないとのことだが、鏡と岩戸とくれば、まず神話の一場面が連想される。
そして、第三首目に「岩戸破(わ)る手力(てぢから)もがも 手弱(たよわ)き女(をみな)にしあれば術(すべ)のしらなく」と、何とも思わせぶりな歌が並ぶ。
歌には言霊が宿る。良いことを言えばよい結果が現われ、悪いことを言えば悪い結果が現われるという信仰のようなものだが、不吉な言葉を忌む考えはやはり残しておきたいと思う。
最近は結婚式のスピーチでさえあまり忌み言葉を気にしなくなった。そのために離婚率が上がった訳ではあるまい。しかし、言葉の剣を無闇に振り回す人が増えたのは事実である。重い言葉には、深い思いがひそんでいる。
2001.04.01(Sun)
土佐日記懐にあり散る桜 高浜虚子
■句集『五百句』/改造社
98年4月、松山市を訪れたおり、銀天街の「坊っちやん書房」で見つけて、少し高かったが5000円で求めたもの。序によれば、昭和12年に出ていたはずだが、これは昭和22年もので紙質が悪い(そこに戦後の物資不足を感じたのだが)、出版時は120円。同行のK君が付き合いで「六百句」を購入。
調べものに取り出していたら、上記の句が目に止まった。句集で読むより先に、高知名菓「土左日記」の紙箱の蓋裏に書いてあったので覚えてしまった。菓子も美味しいが、この箱も昔から気に入っている。
「昭和六年 四月二日。土佐國高知に著船。國分村に紀貫之の邸址を訪ふ。」と詞書がある。今は空路かJRだが、かつては、神戸や大阪から船で高知に来ていた。国分村も南国市に。紀貫之の書いたものは、「とさにき」と読むが、虚子の句は「とさにっき」と読まないと五音にならず、俳句の音律にはふさわしくない。
晴天。まだ少し肌寒いが、昨日ほどではなかった。高知城の桜を見に行かないかと誘われたが、郊外で馬を見て遊ぶ。仕事を離れ、気分転換できる遊びがないとストレスに陥りそうな予感がして、いつも逃げ出してきている。散髪。
2001年 4月 |
2001.03.31(Sat)
連中はそうじゃない。
きみは羊たちを守ることが自分の義務だと感じている。
連中はそうじゃない。
ハンニバル
■新聞『ASAHI WEEKLY』4/1.2001の映画より/翻訳 中俣真知子/朝日新聞社
正義とは何なのか、立場が代われば変わってしまうあやふやなものなのかと一瞬考え、自分のことを思い一寸笑った。
もう10年も前にアカデミー賞をとった「羊たちの沈黙」の続編として制作された話題の映画「ハンニバル」の脚本の中で、アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクター博士がFBI捜査官クラリスに発する言葉より。原作小説はトマス・ハリス。
秩序、誓い、義務について、クラリスとFBIの上司や同僚との違いを3度「They don't.」と否定する。やはりアメリカ映画なんだ、アメリカ人は正義が好きなんだ、そして、それがいつまでたっても現実に手にいれられないから、手を代え品を替え思い出させようとするんだと思った次第。しかし、時の権力者達に対して、常に反抗するヒーローやヒロインがいるアメリカは楽しい。「水戸黄門」で安心できる羊たちとはどこか違うような気がする。
おかしな天気の一日であった。晴れ、曇り、小雨、一部では雹も降ったと言っていた。テレビに写し出された東京、隅田川沿いの桜には、雪が舞っていた。気温がかなり下がっていたようだ。郊外まで足をのばす。車はいつもほど混んでいなかった。
2001.03.30(Fri)
私は思わず息を止めた。霧の中をゆっくりと走る馬の群れは、中世騎士団の幻想を見ている気がした。
伊集院静
■『「武豊」の瞬間』の解説より/島田明宏/集英社文庫
文庫本の解説には「幻の馬」の題名があった。解説とある以上、著者の島田明宏や騎手の武豊やこの本のことを書くのが本筋なのだろうが、8ページのうち前半5ページは、この題名どおりのこのうえない短編小説であった。
伊集院静の語り口は穏やかで、書き出しからカメラワークのような映像を感じさせてくれ、脚本に仕上げれば、この5ページで映画が撮れてしまうようにも思われた。
フランスのノルマンディー地方にあるドーヴィルという小市、ルーレットのゲームとディーラーの話、そして、冬の朝の海岸に現われた馬の話なのだが、この海岸へ旅したいと思わせてくれる内容であった。
さて、武豊は3月から10月までフランスに長期遠征。ダービーにはフッ飛んで帰ってくると言っているが、楽しい成果を期待したい。
暖かくなって昼の散歩にも少し馴染んできた。時には気のあった友人と雑談をしながらゆったり歩いたり。先日から水が張られていた田を何気なく見ていて、うっすらと緑色の所があるのに気が付くと、すでに田植をしたようであった。昨日はつがいの燕も見かけたし、高知の春は短い。
2001.03.29(Thu)
豊の感情の出方は極めて急激で、強烈だ。
動物と接するうえでの基本は、自分が何を考え、どう感じているのかを瞬時に相手に伝えることである。
島田明宏
■『「武豊」の瞬間』/集英社文庫
騎手「武豊」のことは多くの人がその名前を知っているだろう。この本を読まなくても、インターネットで日本中央競馬会が提供するデータファイル「騎手名鑑」を見れば、1969年 3月 15日生まれ、身長170 cm、体重50 kg、初騎乗1987年 3月 1日。2001年 3月 26日 現在の中央競馬のみを対象とした累計成績、1着1888回、2着1426回、3着1119回、4着以下5193回、騎乗回数9626回、勝率0.196と驚愕に値する数字が並んでいる。
http://www.jra.go.jp/datafile/index.html
つまり、彼が馬に接するとき、瞬時にその感情を伝える能力を秘めているのである。それはきっと言葉ではない。人間のように言葉を話さない馬に、それも瞬時に伝えるためには、もはや言葉など邪魔だろう。
かつて、言葉を話す以前の人間は、自分の思いを相手に伝えるために、身体や視線の微妙な動きだけで対応していたに違いない。そして、言葉を持った人間は、それと引き換えに失ってしまった動物的な能力もあるはずである。愛しあう人間には言葉は不要なものなのだろうか。お互いの心の中が読めるのだろうか。
「彼は物心ついてから一度も人と喧嘩をしたことがない」と聞いて、感情の出方が極めて急激な人間にそんなことができるのだろうかという疑問とともに、それをおさえる能力があるからこそ天才、いや名騎手なのだと感じてしまった。
2001.03.28(Wed)
二人の人間が月面を歩いた。
その後、他の人間たちが、その現実的な、
ほとんど現実的な幸運を前にして、言葉に何ができるのか。
ボルヘス
■海外詩文庫13『ボルヘス詩集』/訳編者 鼓直/思潮社
J.W.Borges 「1971年」と題された詩より。
それはもう30年も前のことになる。しかし、アポロ11号でアームストロング船長とオルドリン月着陸船操縦士が月面におりたったのは、1969年7月のこと。1971年と言えば、アポロ13号の失敗の後、14号、15号の話になってしまう。その後もアポロ計画で、何回か二人の人間が月面を歩いた。そして、アメリカ合衆国国旗を立て、月の石を持ち帰り、観測機器を設置し、まさに現実的な月面世界がテレビ放映されてしまった。
しかし、いつも記憶されるのは、最初の船長の名前であり、言葉である。詩人の残す言葉に比べ、現実という背景を持った言葉は、幸運にも記録され永遠に残されるにちがいない。1969年なのか、1971年なのか。そんなことは百科事典にでもまかせて、人間の頭に記憶されるのは、すでに月面をある男が歩いたという事実である。
月を鏡としてとらえていたボルヘスにとって、見えない目で見る月こそがいつまでも真実の月ではなかったか。
高知市内では名の知れた割烹旅館での宴会。楽しみにしていたのだが、思ったほどの料理や味ではなかった。金額的にある程度高ければ、それ相応のものを期待しがちであるが、これでは先が思いやられる。始まって刺身や酒を味わう時間もないうちに、皿鉢に盛られた炊込御飯が出て来たのにも閉口。しかし、返杯に次ぐ返杯、これではカロリーを取り過ぎてしまう。散歩程度では、とてもこの熱量を消費することはできそうもない。
2001.03.27(Tue)
わが宿の花見がてらにくる人は散りなむのちぞ恋ひしかるべき
みつね
■『古今和歌集』日本古典文学全集/小学館
私の好きな歌である。作者は凡河内躬恒(おおしこうちみつね)。
「桜の花の咲けりけるを見にまうできたりける人によみておくりける」の前書がある。「恋ひしかるべき」と思いをそのまま歌にするのは、やはり抒情に適した短歌だからだろうか。さびしさが切々と伝わってくる。
俳句ではこうは素直に言えないし、言ったところで、もっとモノを描かなければ見えないとあっさり指摘されてしまうに違い無い。短歌には短歌の良さ、俳句には俳句の。頭では解っていても、つい俳句の中でも語ってみたい衝動がおきるからやっかいである。
忘れていたかのようにメールが入ることがある。会って話をすれば簡単に言えてしまうことも、いざ書くとなると、一寸とおっくう。下手な字をかかなくなってすむだけましではあるが、どうしても簡単にメールが書けない。こころの中をおもいやるなんてとても難しい。やはり、書いたり話したりしないと解らないことが多い。
2001.03.26(Mon)
寒晴や未だ弔意の文字なさず 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年4月号/鷹俳句会
飯島晴子の遺句集「平日」が4月中には上梓になるとあった。「寒晴や」の上五でまず思い出されるのは、晴子の代表句「寒晴やあはれ舞妓の背の高き」である。
勿論、湘子は晴れ渡った冬空を睨み上げ、口を一文字に噤んで、愛弟子のことを思っている。年令からすれば、晴子が上であったが、湘子第一の弟子とは晴子を措いて他にいない。半年経とうと、安易な弔意の文字では表せない深い思いなのである。
晴子の第5句集「寒晴」、第6句集「儚々」に次いで、なんとさらりとした句集名を選んだことだろう。晴子の遺句集で「平日」などと言われてしまっては、これからの俳人が付ける句集名が無くなってしまうではないか。
なぜか高知市内の道路が自然渋滞。思いどうりに走れない車は嫌いである。道路から見上げれば、筆山や五台山の桜が咲いている。今年の花見はいつにしよう。
2001.03.25(Sun)
好きな人は
雲古にして
出したい。
長尾 軫
■詩集『有為無為』/アークデザイン研究所出版室
長尾軫の第9詩集より。見開きに題名、墨象、数行の詩が並ぶ。「題名がなければいいのに」と思いながら読んでいて、上の詩が目に止まった。空間と言うか、空行と呼ぶのか、何も書かない1行が効いている。この間に、どれだけの時間をかければいいのだろう。
大きな声で読むには、少し憚れる。しかし、ハンニバルのカニバリズム(人肉嗜好)ではなく、精神的人肉嗜好者の言葉なのかもしれない。題名は「片思い」。
朝から小雨。高知鷹句会3月定例会へ。上半身に筋肉痛。平日の運動不足が災いしたようだ。両肩が重くてならず、いくら酒を飲んでも治らない。
2001.03.24(Sat)
しかしもっとも優れた曼陀羅は「生命の木」として知られている。これはカルデアとヘブライの秘教の流れを汲んでいる。従来これは「宇宙と人間の魂を全て力強くつつみこむ絵文字」と言われてきた。
W・E・バトラー
■『魔法入門』/大沼忠弘 訳/角川文庫
見なれた東洋の曼陀羅とは違った図式がここには描かれていた。用語解説によれば、「大宇宙とそれに照応する小宇宙の構造を十個の”セフィロト”とその間を結ぶ32本の”径”によって象徴したもの(Tree of Life, Etz Chiim)」と言う。十字軍時代の長盾のような形のものである。
「生命の木」と言えば、旧約聖書の創世記に著わされた「生命の樹」のイメージが強いため、この図式をそう呼ぶことにやや戸惑もあるが、仏教寺院における曼陀羅のように、やはり西洋の魔法においても不可欠の要素なのであろう。時には難解な言葉よりも絵文字がよりイメージをかきたててくれる。
15時28分、高知市で震度5弱の地震を体感。ちょうどベーカリーでパンを買っていたところで、ガラスケースを挟んで店員に注文中。店員の身体が揺れ、足下から震えが起り、「地震?」の驚きとともに、店の外に後すざり。店の1階全面にはほとんど柱や壁がなく、非常に弱そうなので心配。道路の反対側から店を見上げると、鉄筋レンガタイル貼りの3階立が揺れていた。「え、え、まだ・・?」と思うほど、かなりの長さであった。揺れが収まっても、やや息が緊張気味。とりあえず、パンだけは買って帰ったが、マンション4階の部屋は、まったく無事。本棚の上に乗せていたビデオテープが倒れ、端の2本が落ちた程度であった。地震は苦手である。
修理に出していた自転車を引き取って来た。久しぶりに運動。
2001.03.23(Fri)
つぎたしの世の中ほどを花菜風 中原道夫
■『俳句研究』2001年4月号/富士見書房
「好きな色は?」と聞かれたら、黄色と答える。菜の花の黄色がことのほか好ましい。しかし、ネクタイや洋服を選ぼうとしても、男物では、なかなかこの色は手に入らない。いつしか、手に入りやすい緑が増えてしまった。ただしこちらは、菜の花の茎や葉よりもっと深みのある緑を好んでいる。
特別作品33句「百考」の中で、最もひかれたのが上掲句である。ああ、中原道夫は今を「つぎたしの世」と思って生きているのかと、何かこころひかれたのである。これも一つの境涯俳句と言ってしまっては、少し贅沢すぎるだろうか。
天文気象の季語は形象力が弱く、作るのが難しいとよく言われる。しかし、「花菜風」と読んだ瞬間、私の好きな黄色が脳裏に広がり、ズームダウンするとともに、黄色と若緑、一面に菜の花の咲く田畑、野山、麗しく安らかな春が広がってきた。
菜の花には強い匂いもなく、そのころ吹く風にも、それらしい匂いはない。しかし、まためぐり来た春への喜びは、梅の花の凛々しさよりも、桃の花のやさしさよりも、少し浮かれた、足下の軽くなるような思いに、暖かい風に誘われ、蝶のように野山に出かけたいと感じさせられてしまうのかもしれない。
この句の「ほどを」には、作者の自然への謙虚さ、ありがたさが溢れている。「つぎたしの世の中」と思って生きる限り、あらゆるものに恵まれるように思えてならない。
2001.03.22(Thu)
今週号後半カラーグラビア「スーパーリアル3Dの世界」(252ページ)におきまして、掲載されているホームページアドレスに、訂正があります。
正しいアドレスはhttp://3d.shogakukan.co.jp/です。
■雑誌『週刊ポスト』2001年3月30日号より/小学館
些細なことである。しかし、モノクロ1ページを使った訂正記事である。後半のカラーグラビアページで紹介されている、http://3d.shogakukan.com/ の訂正にしては、あまりにも大きな扱いなのだ。こんな時、これは新手の広告手法ではあるまいかとついつい邪推してしまう。
ただ、「週刊ポスト」のホームページといえば、www.weeklypost.com に慣れていたために、訂正の言葉の扱いがやけに重たく感じ、反対にキャッチコピーのように思えてならなかったのだ。
おりしも、当日の日経新聞で、鈴木則久率いる3次元画像処理ソフト会社「ザクセル」が動・静止画像データ容量を2000分の1に圧縮、ネットで送受信できるようにしたとの記事を読んだばかり。
興味半分で、どんなスーパーリアルのヌード画像が現われるのかとインターネットに接続してみたが、確かに訂正記事のとおりのURLであった。しかし、私のMacでは指定された3次元表示用プラグインを入れても、残念ながら画像は表示されなかった。つまり、訂正記事はMacユーザーのためのものであったのかもしれない。
ちなみに、Win機では表示されたが、QuickDraw3D 等で表示したものとほとんど変わらず、どこが「スーパーリアル3D」なのか謎なのである。
(期間限定とあったが、ユーザー:post、パスワード:post1688)
高知城、三の丸にある染井吉野の蕾みが開花。
2001.03.21(Wed)
其処に用意されてゐるのは「現代表記」に最適化された漢字と変換プログラムであり、そのやうな道具を用ゐて旧字旧仮名の文章を綴るには正しい智識のみならず、其れなりの工夫と努力があらまほしき事となりませう。
■『旧字旧かな入門』/府川充男、小池和夫、共著/柏書房
俳句や短歌を書き、発表しようとして問題になるのは旧字旧仮名の扱いである。印刷出版ならまだしも、Webサイト上ではかなり制限されてしまう。
上記本文は旧字旧仮名で書かれていたが、新字に変更させていただいた。著者両名は日本規格協会の「電子文書処理システム標準化調査研究委員会WG2委員」等も勤めている。したがって、パソコンユーザーが苦労する旧字旧仮名についてはことさら詳しい。
つまり、JIS(日本工業規格)を決める立場にいて、常用漢字表で切り捨てられてしまった漢字をパソコンで使えるようにと、あれこれ苦心されたことだろう。
同書によると、一般のパソコンで利用できる漢字は概ね、JIS-X-0208 で規定されている第1水準と第2水準の6,355字。常用漢字はすべて第1水準に入っていて、これに対応する旧字体は第2水準に入っているとのこと。しかし、それ以外の漢字は、新たに2000年1月に発行された JIS-X-0213 では、第3水準に収録されたとのことである。
従って、一般のパソコンでは表示されない漢字も、第3水準用書体を入れれば、見たり印刷したりすることが可能になったわけである。一般化するのはまだまだ先のことだろうが(一般化は無理かも?)、漢字が「読みにくい」「覚えにくい」といった理由からだけ簡略化されてしまい、自由に使用できなくなってしまうのだけは防げそうである。
どんな文章にも旧字体を使用しろとは言わない。しかし、文芸などにおいては、細やかな情感や情景を表現できる漢字を大切にしたいと考えている。われわれは言葉や記号で思考する人間なのだから。
晴天。黄砂というより霞であろう。一日中、遠方の山々が霞んで見えた。夜は俳句の五人会。新人が現れないので電話をしたところ、人事移動の対象になり、すっかり忘れてしまっていたとか。1時間遅れで到着。本句会形式で合評まで行った。
2001.03.20(Tue)
家を出て家に帰りぬ春の暮 藤田湘子
彼岸の中日、天気も良く、2カ所の墓参り。風がなく4月のような暖かさであった。鴬がしっかりとした鳴き音を聞かせてくれた。近くの藪の中にいたのだろうが、その姿を確認することはできなかった。白木蓮や紫木蓮は、もう半ば傷ついた花が多く見られ、咲き初めの清楚さはすでに無かった。
2001.03.19(Mon)
確かにそうだけど、寝ちゃったら「おしまーい」みたいな感じだもん。その前に時間かけるほうが嫌らしいよね。嫌らしくないと恋愛ってつまんないじゃない?
山田詠美
■雑誌『婦人公論』3月22日号より/中央公論新社
山田詠美と川上弘美との対談、体験的文学論「恋愛小説のおいしい楽しみ方は・・」より、少し強引な抜粋。
恋愛を料理にたとえ、鮨屋で順番に食べるのが嫌でトロだけ十個食べたいという親友でゲイの男の子に、恋愛の過程は延々オードブルが続いているようなものと言われて反論したとか。「嫌らしくないと恋愛ってつまんない」と感じる感性に共感する。
対談を文章にまとめるためには、かなりの部分が割愛されているに違いない。そして、残った文章から、その場の雰囲気や興味深い内容が残るためには、お互いに同レベルのテンションを持っていなければならないはずである。私にとって、男どうしの話より女どうしの話が読みやすいのは、やはり雑誌の性格や対象読者の捉えかたの問題なのだろうか。
新しい発見がそこに示されているわけではない。「A−POC」の青木史郎の話にしても、今回の話題にしても、私の共感できる範囲のことしか選んでいないのだから。足下からガクガクさせてくれるような言葉にはなかなか巡り会えないのが現実なのかもしれないが、心だけは錆させずにいたいものである。
2001.03.18(Sun)
彼岸とは梵語の波羅蜜多(はらみた)。生死の境を此岸(しがん)とし、功徳を成就して不生不滅の如来の法身と帰一する意である。即ち「生死の此岸を去って涅槃の彼岸に至る」という。
■『こよみ事典』/川口謙二 他2/東京美術
春分の日の前後3日間を彼岸という。日曜日でもあり、墓地近くの道路には多くの車が止められていた。涅槃の彼岸にも、一日の長さがあるのだろうか。親や祖父母から話を聞く機会のなかった私は、多くのことを書物から知った。体験の伴わない浅薄な知識ではあるが、知らないよりはましでは無いかと思う程度のものである。
快晴。気分転換に馬と遊ぶ。厩舎の前に生えはじめた若草を摘んで、馬の鼻先に持っていくと、モリモリ食べる。唇の柔らかさに驚かされるが、一度与えると催促されるのには少し閉口する。とりあえず、五頭の馬に与えたが、普段は干草や固形にした草のようなものを食べているようだ。
2月19日「はりまや盃」に武豊が高来していたが、今度は3月20日、春分の日は「黒船賞」15:45発走、ノボジャックに騎乗予定とのこと。
日が長くなったのを実感。2週間くらいですっかり変わってしまった。
2001.03.17(Sat)
「A−POC」は久しぶりに生み出された、極めて多様な解釈を導くデザインではないかと思います。
青木史郎
■雑誌『デザインニュース』253号より/日本産業デザイン振興会
新世紀デザイン対論の第1回として、Gマーク事業部長の青木史郎と哲学者の中村雄二郎の真剣な話を読んだ。青木史郎の視線は常に鋭い。
表題は「A−POC」の哲学。昨夏、東京都現代美術館で開催された「三宅一生展」でも紹介され、2000年のグッドデザイン大賞(通産大臣賞)に選定されたファッションの領域を越えた商品について述べたものである。
ブランド名の「A-POC」は、A Piece Of Cloth(1枚の布)の頭文字から取ったもの。チューブ状のニットの区切線にそってユーザーが鋏を入れていけば、ドレス、シャツ、パンツ、スカート、ソックス、下着、帽子、バッグ、手袋などが現われるといったもので、美術館で天上から吊り下げられた作品はそのスケールの大きさと、ここまで考えるかと半分感動したものである。
自分で切って着てみたいという欲求が湧かなかったのが、唯一の問題であった。
60句句会、参加者少なし。期待していただけ疲れてしまった。本来は100句句会を提案したかったのだが、控え目に60句にしたのだが、それでも無理だと考える仲間が多いということだろうか。
勿論、端から自分一人でできる同人を誘ったつもりはなく、会員の方により一層頑張ってもらおうと考えたわけであるが、こころざしの無さには驚いてしまう。やはり文芸は、衆を頼まず、自分ひとりの為を目指したほうがいいのだろうか。座の文芸と呼ばれる俳句でこれでは、連衆などという言葉は失われてしまうだろう。
近くの仲間だけで考えるとやはり少ないのは一目瞭然。やはり距離による集まりやすさなど除外して、こころざし高き者が万難を排して集うことが必要であろう。そのすべてを受け入れるわけではないが、以前、黒瀬珂瀾のWeb日誌で読んだ「乱詩の会」の参加メンバーを思い出したりしていた。
2001.03.16(Fri)
最近は神田の古書店をめぐっても探している本を見つけることができなくなったので諦めていたのだが、ふと思いたってインターネットから探してみようと考えた。結局、探していたモノは無かったが、代わりに藤田湘子の句集を2冊注文した。確かに便利になったものである。
・インターネット古書店案内
http://kbic.ardour.co.jp/~newgenji/oldbook/
夕刻から家人の実家の夜須町手結へ。愛機のPowerBookG3 も持参したが、60句句会に備え、作品を完成させないといけないので、とりあえずネット接続は中止。面白いことに夢中になり、後先を考えない性格なので、こんな時にインターネットで楽しんでいると纏まらないと考えた次第。しかし、手結漁港のすぐ近くにあり、魚が新鮮で、ぷりぷりした鮃の刺身を堪能。やはり縁側が美味しい。
2001.03.15(Thu)
4月1日紙面が変わる
記事簡潔化とともに、数字表記は洋数字を原則として、データを読み取りやすくします。
■『朝日新聞』2001年3月15日、日刊第1面/朝日新聞社
新聞広報によると、「洋数字化」と「1段12字から11字」が大きな変更点。高齢化にも配慮したとのこと。
最近はほとんどの記者がノートブック型パソコンを愛用し、横書のはずだから、洋数字から漢数字への変換誤差を減らそうとしたものだろうか。横書俳句が生まれる時代だから、いずれは新聞も横書表記になってしまうことだろう。
デジタル新聞が普及することを考えても、もはや横書表記は避けられないところまで来てしまったようだ。その端緒がまず数字からということなのであろう。言葉も表記も一足飛びには新しくはならない。まだまだ反対者がいるから、そのうちに、じわじわと、そんな訳でもなかろうが、「データ」と「情報」の違いだけは肝に銘じていて欲しいものである。
俳句作品20句を揃えるために、60句句会を呼びかけたが、さて土曜日、何人来てくれるだろうか。深夜まで書いていると、創作の波のようなものがあるのがよくわかる。正木ゆう子の著作後書を読んで、時間と空間の概念を越えたようなものの存在に意識を遊ばせ、寄り道ばかりして楽しんでいる。
2001.03.14(Wen)
しかし実際には身丈に合った言葉でなくては一句のなかで機能しないのだ。起きて、立って、服を着ること。言葉を記すとはそういう行為である。
正木ゆう子
■『起きて、立って、服を着ること』/深夜叢書社
「身丈にあった言葉」を手に入れるのは難しい。手に入れたつもりになっていても、笊から水が抜けるように、記憶の中に留まってはいない。所詮、花やモノを見たと思っても、視たのではなく、ぼんやりとしか見ていなかったことに気付いても後の祭である。
デッサンとは実は描くことではなく、視ることなのだ。紙も木炭も鉛筆もいらない。視て、観察して、その形と内包するモノを記憶の中に留めてしまえるならば、まったく描く必要もない。しかし、あいまいに記憶し、記憶場所を忘れてしまう、いや、記憶したつもりになって見失ってしまうから描き留めるだけに過ぎないのである。
そして、そんなことは充分すぎるほど知識として知っているのに、いつまでたっても視て掴み取れないのはどうしたことだろう。視て感じる気持ちが希薄だからだろうか。いつもその言葉を体験した実感が持てなくて、悩んでばかりいる。
正木ゆう子の大きな瞳に見つめられると、きっとドキドキしてしまうだろう。このドキドキを体験にして、言葉に記すためには、記憶に強く働く魔法の薬が不可欠なのかもしれない。いったい、何時になったらそんな薬が手に入ることやら。これだけは、誰の手も借りられないものらしい。
少し暖かさが戻って来た。外を薄着で出歩くにはまだ寒いが、道ばたの草の青みが強くなってきたようだ。これもあいまいな記憶である。
2001.03.13(Tue)
オトギ話を読んで私も幼い頃 翼がはえて空を飛んでみたいと本当に考えました。
安藤健太郎
ピーターパンや妖精メーテルリンクに始まって、お伽話の中では主人公たちがいとも簡単に空を飛んでしまう。そして誰もが、空を飛びたい、翼を持って自由に飛びまわりたいと一度ならず思ったことだろう。
幼い頃、あんなに自由に空を飛べる夢があったのに、人はいつから動力に頼らなければ空は飛べないと思うようになったのだろう。鳥や昆虫のように、翼や羽根を持ち、自由に空を飛びまわること、重力から開放されることを願うのは幼い頃の夢だけに終わっていいのだろうか。
手の届かないものを諦め、夢を失うだけでなく、夢見ない人生、夢少ない生活で満足していて本当にいいのだろうか。それよりも、果たして自分の夢はまだ残っているのだろうか・・・
送別会の流れで始めて訪れた高知市内の一軒のスナック「翼」の壁にかけてあった色紙に目が止まった。いつものように返杯につぐ返杯で、ずいぶん日本酒を飲んだ後にもかかわらず、チャンスの神様が目の前から消え去らない内にと思って書きとめた。神が見えたのは酒を飲み過ぎたためばかりではないと考えている。
2001.03.12(Mon)
一つの流れは、言語を事物の上にただよう雲のような、というよりこの上なく細かい塵のような、いや、というより一つの磁場のような、重さのない元素にしようとする流れである。
イタロ・カルヴィーノ
■『愛の見切り発車』/柴田元幸/新潮文庫
カルヴィーノの果たせなかった講議ノート『来るべき千年のための六つのメモ』から文学において競い合う二つの流れについて、柴田元幸が翻訳、紹介した部分を引用させていただいた。
勿論、この「軽さ」に対立するのは「重さ」である。つまり、物や肉体や具体性といったことを示すのであろう。私は短歌を作るときは軽さを、そして俳句を作るときは重さを求めていたように思うが、頭でいくら理解できても、それは知識でしかなく、短歌や俳句が簡単に啓示されるものでないことを痛感している。
対立する二つのものがほどよく溶け合った作品となると至難の技、いや技ではなくものなのである。理想だけを求めると、地平は遥か彼方に遠ざかってしまう。だから俳句も短歌もおもしろい。
i-modeで読める「般若心経」のページを作ってみようと考えた。いちいちメモを持って出かけなくても、携帯電話ひとつで対応できるように。すでにあるだろうが、自分のメモ代わりに結構楽しめそうだ。隠れキリシタンと言われる私が、そんなページを作っていいものだろうか。もう、作ってしまったけれど。
・言葉の世界
http://www.alles.or.jp/~wadachi/i/index-02.html
2001.03.11(Sun)
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
ぎゃてい ぎゃてい ぱらぎゃてい ぱらそうぎゃてい ぼうじそわか はんにゃしんぎょう
■『摩訶般若波羅蜜多心経』
金曜の夜、聖書を読んでいて、「般若心経を読んでいるかのような錯覚に陥ってしまうところであった」と書いてあったのは、どうも縁のようである。
以前から、テレビ放送された日本画家・平山郁夫の「大唐西域壁画」のある奈良へ行きたいと思っていたのだが、全日空の機内誌にも今年、12月末日までの期間限定と書いてあったので、見逃さないためにやはり奈良に向うことにした。
不信心な私は、壁画が薬師寺に描かれていることは知っていても、それを仏教の対象ではなく、完全に芸術的な面でしか鑑賞しようとしていなかったのだか、タクシーで門前に着いたとたん、そこから先は仏教空間、やはり宗教とのかかわりを抜きにしては語れない空間であることを思い出してしまった。美術館やデパートの企画展で見るそれとは、やはり違った性格を壁画が持つことを感じてしまったのである。
玄奘三蔵院伽藍の壁画を見る前に、30分ほど壁画の説明があるというので、折角の機会と思って大広間で待っていると、伽藍主任の壮年の僧が話しはじめ、前半は壁画のできるまで、後半は薬師寺と写経についての話で、前座の落語を聞くような気持ちにさせてもらった。
その木戸銭代わりと考え、2000円の「般若心経」用紙を購入、いや、寄進と呼ぶべきか。つまり家に持ち帰り、臨書ならず下敷きで写経し郵便で返送とのシステムとのことであった。字は印刷書体で味もそっけもないもの、しかし、彼岸へ渡る呪文が書かれていることには変わりがない。
チベット語の音読「般若心経」のCDを持っているが、「はらぎゃてい」よりは「ぱ〜らぎゃてい」と聞こえる。
平山郁夫の壁画が指し示す、三枚のヒマラヤの絵では、右の雲の描写にこころひかれたが、中央の絵の雪嶺を越えた空の彼方が描きたかったのではなかろうか。
・法相宗大本山薬師寺 玄奘三蔵院伽藍主任 大谷徹奘(解説者サイト)
http://www.tetsujo.net/
2001.03.10(Sat)
ワインを一瓶あけてしまうころには、テーブルの上に夕日の水たまりができていたが、ふたりには話すことがなかった。
佐伯 誠
■機内誌『翼の王国』20001年3月号/全日空
ANA機内誌の中で「ナポリ湾」より。
ワインの描写が出てくると、何だか飲みたくなっていけない。ここは結構つらい場面なんだろうが、淡々とテーブル上にたまった水に映りこんだ夕日の描写でその雰囲気をいっそうせつないものにしてくれる。
重い赤ワインではなく、イタリアの白ワインで十分である。金属のワインクーラーから流れ落ちた雫が、テーブルに広がったものだろうか。
鷹中央例会大阪出席のため早朝、大阪へ。快晴。ブレザーで出かけるつもりであったが、寒そうなので急遽コートを着用、無いと震えるところであった。しかし、句会投句の2句は先生の選からもれてしまった。俳句らしくしようと自分で勝手に省略したつもりが、結局、薄味、ただ事に終わってしまっているようであった。高野素十への道は遠い。
「郁摩は自分がまだ出ていない」との御指摘。何度も同じ指摘を受けないよう、しばらく熟考してみよう。
2001.03.09(Fri)
傅道者言く 空の空 空の空なる哉 都て空なり 日の下に人の労して為ところの諸の動作はその身に何の益かあらん 世は去り世は来る 地は永久に長存なり
■『旧新約聖書』傅道之書より/日本聖書協会
一瞬、「般若心経」を読んでいるかのような錯覚に陥ってしまうところである。「くうのくう くうのくうなるかな すべてくうなり」と。本来はすべて正字体で書かれているのだが、対応する文字が画面上に表示されないため、一般的に使われている文字に置き換えて表記した。
聖書も文語で書いたものを読むと、詩のように読めてしまう。かつて翻訳者たちが苦心惨澹して書き上げた珠玉の詩歌集といったところであろうか。
快晴。しかし、春とは言え、寒の戻りか、屋外駐車場のわが車は1cmほど雪と氷に覆われていた。さすがに道路にはほとんど積もっていなかったが、北の山々は先日よりも雪に覆われたところが多かったようである。
国分川で遊ぶ鴨を数羽しか見かけなかったが、もう北へ帰っていったのだろうか。さて、土、日と鷹俳句会の中央例会参加のため大阪へ出かける予定である。時間があれば奈良の薬師寺にも行ってみたいと考えている。
2001.03.08(Thu)
余命もし得たらばひつぢ田にて逢はむ
この句は、生き残る者への蒼生さんの最後のメッセージである。
飯島晴子
■『揚田蒼生全句集』解説より/揚田蒼生/発行者 揚田正子
出会いとは不思議なものである。揚田蒼生がいなかったら、私は飯島晴子にも藤田湘子にも一生めぐり会わず、もちろん俳句も作っていなかったに違いない。
つまり、藤田湘子という敬愛する師を一人失っていたに違いない。そして、人生の中で、同じ年月を過ごすことの大切さを教えてもらったのも揚田蒼生からであったと思う。
知り合い、俳句の指導を受け、吟行に誘われ、句会で討論し、酒を飲み、話し、ほんの4年足らずの歳月が、記憶の中では十年以上一緒に過ごしていたように錯覚されるのだから、ただふれあうだけで無く、どれほど相手の記憶に刻み込む交わりがあったかが大切なものであるかと言うことを。
携帯電話の「i-mode」に対応したページを作成した。文字情報の短さで多くのものを伝えることができる俳句は、まさに現在のコンテンツのなかでは相応しいものであろう。ただ、縦書きで表示できないのが残念である。しかし、500部しか印刷されていない個人句集の中から、俳句作品を紹介して多くの方に読んでもらえるとしたら、今しばらくは我慢するしかないのであろう。
【Graphein-O】
http://www.alles.or.jp/~wadachi/i/index.html
※ 私の持つ「F503i」ではうまく表示されているが、それ以前の機種で不都合があればお許しを。画像には、まだGIF画像しか利用できないこともやっと知った程度なのである。
2001.03.07(Wed)
春の雲とけて流れてむすぼれて 高浜虚子
朝から北山がぼんやり曇っていると思ったら、どうやら黄砂であった。この数日、車体表面には水滴状の埃の後がついていたのだが、工事現場の脇を毎日走っているためだけとは言えなかったようだ。
俳句の五人会に三人ほど新人を誘った。そして、ゆっくり話ができるよう、私の都合をやりくりして、午後7時から9時までとしたのだが、時間内に一人も現われなかったのにはがっかりであった。
しかし、9時に一名から電話が入り、ミーティングが終りしだい駆けつけて来るとのことで、場所を代え、酒を飲みながら待つことに。遅れてきたMさんは、明日、入試に立ち会わないといけないとのことで、ゆっくり酒が飲めず残念ではあったが、誠意は見せてくれた。俳句仲間を増やすのは難しい。
2001.03.06(Tue)
われわれが日常使用しているいっさいの言語も、それが明快で、その意味内容の伝達力が大きければ大きいほど、使用された瞬間にその存在理由を失わざるを得ない運命をになわされているのだ。
イヴ・デュプレシス
■『シュールレアリスム』/翻訳 稲田三吉/白水社文庫
俳句の勉強グループ「五人会」を始めるにあたって、下調べで抜き書きした文章の一部である。数ページの抜書きの中で、この部分だけに下線が付けられている。ノートの日付によれば、95.05.11であるから、すでに6年も前のことになる。当初のメンバーで残っているのは、私とYの2名のみ。なかなか続かない。
俳句も詩の仲間ととらえれば、日常使用されている言葉と違わなければならない。ただ意味を伝えるための言語であるならば、すぐ消滅するはずだが、詩として残るためには意味を越えたものを伝達する力が秘められているかどうかが問題なのである。
2001.03.05(Mon)
果たして俳句はこれでいいのか−−−。この数年、私はその一点をいつも見つめ、みつめるたびに暗い気分に陥るのでした。
「もっとリズムを−−−」
これが私の願いです。
藤田湘子
■『俳句の入口』/NHK出版
私の俳句の師の言葉である。私は人生で3人の師にめぐりあった。鍛金(工芸)の井戸碩夫先生、短歌の塚本邦雄先生、そして俳句の藤田湘子先生である。私は頑固な性格なので、自分が師と尊敬できる方にしか「先生」の敬称は用いない。従って、今までに先生とお呼びしたのは、この3人だけである。
(この不連続日誌中でも敬称は付けるべきか相当迷ったのだが、ここでは、対等の関係で評論する立場から、便宜的に敬称を外すことにしたのである)
私が藤田湘子に心酔するのは、いつも自分のことだけではなく、今の俳句や今後の俳句をどのようにすればよいか自問自答し、決めたことを実践する潔さに惚れているからである。「鷹」という限られた俳句結社や会員のことだけではなく、俳句の未来を見つめる眼差しを失わず、間違いは間違いと主張する勇気や潔い撤退(思考の切替え)にも感服させられてしまっている。
俳句を意味で作ろう読もうとする作者が増えれば、すかさず「俳句はリズムである」と警鐘をとなえ、自分の実践の中から得た極意を惜しみ無く誰にでも伝えようとする。そして、作者としての自分と志の高さを常に失わないことが大切と説くのである。いい師に巡り会えたことを感謝すると同時に、あらゆるモノを吸収し、今一歩踏み出すことが私に課せられた使命と考えている。
朝、高知市の北山の山襞がうっすら雪化粧した状態にあった。さすがに峰には雪はないのだが、谷間に吹き込んだ風の冷たさが感じられた。暖かな日差に、10時頃にはすっかり消えてしまっていたけれど、カメラを持っていなかったのが悔やまれた。
2001.03.04(Sun)
通俗性とは、このオフサイドのプレイのようなものです。わかりやすいけれども、そこには深みがないのです。
仁平勝
■『俳句をつくろう』/講談社現代新書
今年のJリーグ開幕からスタートしたスポーツ振興籤「toto」の話をしようという訳ではない。あくまで俳句の話なのだが、仁平勝が俳句と通俗性についてサッカーのオフサイドという反則を例に出して説明しているのが興味深かった。
すなわち、味方ひとりがゴールキーパーのすぐ前に待ち構えていて、そこに後方から直接パスを出して得点してはいけないというルール、それではゲームが面白くないからということ。ゲームの面白さは詩の深みと通じているというのである。
「俳句はいつもオフサイド・ライン近くにいるフォワードのようなものです。すれすれのところでオフサイドを切り抜けて、うまくボールをもらえれば得点につながるし、ちょっと気をゆるせばすぐ反則になります。」
句会において、「高点句に名句なし」というのは、どうもこのオフサイド、誰をも納得させやすい人情や主観を多分に含んだものが共感を得やすいということだろう。それならば、つまり、選者とはゴールキーパーのようなものか。俳句と認められないものはカットする力量のあるゴールキーパーでなければ、何でも俳句として受け入れてしまうことになる。はて、それでは、どこの結社にも属さない俳人は、試合に出ないサッカー選手のようものなのだろうか。
午後4時ころ、暖かな日差しのなかで紅梅の写真を撮っていたら、春の雪が降り始め、またたくまに吹雪に変わった。これは15分ほどで止んだが、ふたたび6時過ぎから吹雪に襲われ、車のフロントガラス一面にやわらかな雪がぶつかってきた。ヘッドライトは下向きのほうが雪に邪魔されず道路が見えやすいことに気付いたが、かろうじて路側帯の白線を確認しながらのノロノロ運転。高知市ではめずらしい春の吹雪であった。
2001.03.03(Sat)
老梅の穢き迄に花多し 高浜虚子
遅い目覚め。ベッドの中で本を読むのが日課になり、音楽や英会話をヘッドホンで聞きながら、飽きるまで文字を追いかけている毎日。頭の中に様々なイメージが沸き起こるが、なぜか描き止めようという意欲が出ないのが自分でも理解できないでいる。やはり締め切りがないと作品制作に向けて意識が高まっていかないのだろうか。
午後から雨になるとの予報。確かに雲が全天に広がっていたが、まだ時おり日が差していたので、郊外へ出かけることにした。
紅梅が池のそばで満開になり、水面にその花色を写していた。南国高知とはいえ、冬は薄氷のはる池であるが、ここにも着実に春の訪れが感じられた。しかし、木蓮にはまだ早く、桜の蕾みは堅く尖っている。農家の庭先に沈丁花や木瓜が咲いていた。
午後5時頃、小雨が降り始め、やはり天気予報のとおりかと感心したのだが、15分ほどで上がってしまう。やれやれといったところ。しかし、夜になってまた雨になった。豪雨であってくれれば、予測を崩すレース展開が期待できるので、是非ともこのまま足下を悪くしてもらいたいものだが、さてどうなることやら。
春の雨は優しい。
2001.03.02(Fri)
みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ
大橋巨泉
■『現代百人一首』/岡井隆/朝日文芸文庫
「ナンセンスの中に意味があり、意味の中に無意味が潜んでいる。この歌は案外、短歌という詩型のもつ、リズムと音韻と意味との関係の、伝統的な本質を示したとも言える。」と岡井隆は解説する。
1969年、万年筆のCMに使われた(作られたものであろう)短歌とのことであるが、現代短歌の旗手とも言われた岡井隆が選んだ百首の中にこの歌を発見したとき、これが名歌なのかと一瞬凍りつき、その後、この本一冊はこの歌一首のために編まれたのではないかと考え直した。
彼はこれまでにも色々な処で違った現代百人一首を発表しているのではないか。従ってここでは、これまで俎上にのせなかった歌を極力選んだに違いない。選び方は、まず99人を選び、その後、各歌人の代表歌でありつつも、まだあまり自分で解説していないものを選んだに相違ない。その証拠に、各歌人の絶唱と呼べる歌が意図的にはずされてしまっている。
ただ、表記の歌だけは、まず歌を選び、それがたまたま大橋巨泉であったということで、詠み人知らずでもよかったと考えられる。歌で意味を伝えようとすることの浅はかさ、岡井隆の心情を語るためにこの歌はえらばれたのである。
晴天になると外で遊びたい気持ちが強くなった。昔は紫外線を避け、本ばかり読んで満足していたのだから不思議なものである。これも俳句の影響であろうか。
高知映画鑑賞会の最終上映、127回例会が行われた。鑑賞者が減ってしまったのはビデオやDVDの影響だけとは言えないが、ここにも時代の変化が見られる。
○「ギャベ」「サイクリスト」/監督 モフセン・マフバルマフ/イラン映画
2001.03.01(Thu)
競馬における必勝法の多くが、レース時において「どのような要素を重用視するか」という考え方に基づいて考え出される。
谷岡一郎
■『ツキの法則』/PHP新書
また同じ本を買ってしまった。探せばどこかにあるはずだが、手許に見当たらない時は書店の棚のほうが便利で、少しもったいないが、時間の節約と思って買ってしまう。きっとこの本は、すでに家に2冊あるはずである。書店で探すときも、迷わずPHP新書の棚の前へ行っていた。
そうなのだ、「ツキの法則」などというものが本当に解っていたら、人に教えたり、本に書いたりしないで、確実に幸せを一人占めにしているに違いない。いくらコンピュータが発達しても、重視する要素、数学的には変数(Variables)と言うらしいものと、何点分をその変数に割り当てるかのウエイト(Weight)の比率を過去のデータをできる限り正確に打ち込み、多変量解析という統計手法で計算させているに過ぎない。
つまり絶対に勝つ方法やツキの法則は存在しないが、「大負けしない方法」のようなものは考えられると言うものである。何だかややこしい。だから私はパドックで馬を見て楽しみ、走る馬を見て楽しむのである。
「短期間の実力の不要な賭けならば人間もコンピュータに勝つ可能性は充分にある」というのは、どこか初心者がいい俳句を作るのと似ていて楽しい。
国分川が濁って流れていた。ふと考えれば、昨日の雨の影響である。車を洗った翌日に雨が降るなんてことは、ツキに見放されているというより、気象衛星ひまわりの画像を見る努力を怠ったためである。コンピュータにデータ入力する手間隙が嫌だから無いはずのツキを当てにするのかもしれない。
2001年 3月 |
2001.02.28(Wed)
本はまた買える日があろうと言う勿れ。あの本はもはや再び僕の手に還る日はない。
石田波郷
■『江東歳時記/清瀬村(抄)』/石田波郷随想集/講談社文芸文庫
あの本とは名著文庫の「芭蕉全集」一冊のことであった。石田波郷が出征の際に持って行けず、昭和20年3月10日の東京大空襲で城東区の家が焼け、妻の母、二人の妹とともに無くなってしまったものである。分厚い三五判とあったから、A6の文庫よりやや細みの84×148mmの大きさの本と思われる。
私の家に集まって来る本も、一度読まれるとやや行き所を失い、申し訳なさそうに書棚や机の引き出し、衣類ケースの中にまで積まれている。文庫が場所を取らなくて幸いなのだが、やはり適当な大きさ、紙質、活字をゆっくりと楽しみながら本を開きたい衝動にかられることもある。
紙の本は燃えてしまうと無くなるが、コンピュータのハードディスク、インターネット・ディスクに納められたデジタルデータは「インターネット戦争」に耐えられるのだろうか。もちろん、停電や互換機の無さによる読み出し不能も考えられるし、数秒にして消去されてしまうこともあるだろう。
大切な言葉や俳句、短歌はどうやって残せばいいのだろうか。
2001.02.27(Tue)
この本はある芸術家の顔そのものであり、嬉しい秘密の言葉でもある。
猪熊弦一郎
■『画家のおもちゃ箱』/猪熊弦一郎/写真 大倉舜二/文化出版局
全国の美術館の中でどこが好きかと尋ねられたら、迷わず香川県の「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」と答えるだろう。そんなに多くの美術館を知っているわけではないが、立地といい、大きさ、建築、展示スペース、照明、音響、企画展、喫茶コーナーなど、ほぼ満足できるものである。
個人名の付いた美術館であるから、その収蔵品が猪熊弦一郎の作品に片寄っていることは当然なのだが、彼の作品が私の好みと多分に一致するのも心安らぐ空間になっている所以である。
「画家のおもちゃ箱」には、彼のアーチストとしてのテイストにふれるものとして、高い金を出してやっと買い求めたり、貰ったり、歩道で拾ったりした数々のコレクション、つまり彼のもとに集まってきた品々が写真とエッセイで紹介されている。
見る人によればガラクタの写真集のようなものではないかと言うかもしれないが、彼が描いた油絵の中に現れる数々の顔や鳥や階段、煙突、地下鉄のように、それらのオブジェが作家のあたたか味や言葉のようなものを感じさせてくれるのである。
快晴で暖かな一日。ガソリンスタンドに設置されていたカード式の自動洗車機を初めて使った。洗ってくれるものとばかり思っていたらそのまま車内に居るように言われ、エンジンを切ってじっと我慢していたが、フロントガラスが洗われる瞬間は割れそうで嫌な気分であった。午後7時頃には頭上にオリオン、東の空やや上方に五日月が鋭く輝いていた。
2001.02.26(Mon)
朦朧とふぐりも湯婆圏にあり 藤田湘子
(俳誌鷹2001.3月号より)
湯婆(たんぽ)よりも一般的には「湯たんぽ」のほうが解りやすいだろうか。しかし、もはや湯たんぽさえ知る人は少なくなった。私も昨今は電気足温器さえ使ったことがなく、人肌の恋しい寒い夜は、もっぱら電気毛布のお世話になっている。
金属製で楕円形のあの波打った表面と重さには哀愁がある。ましてや、熱湯をいれ、ちゃぷちゃぷと音がしたり、朝になり蒲団の端でやや冷えていたりする感覚は実に俳味のある素材と言えよう。
藤田湘子が時として、生来の美意識を捨て、俳句の軽妙さを取り込もうとした時、このような句が生まれるようである。「朦朧」の一語には、まだまだ捨てきれない美意識が感じられてならないが、小さな俳句の枠に収まらないでいようとする気持だけは十分に伝わってくる。
初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり 阿波野青畝
拝みたき卒寿のふぐり春の風 飯島晴子
「ふぐり」の意味がわからない方は国語辞書をどうぞ。春、畦道に咲く青く可憐な花に「オオイヌノフグリ」と名付けた学者の真意は不明であるが、形状は確かに似ている。
忙しくて昼の散歩を取り止めにしたが、大きな建物のなかを何度も往復したり、階段を上下したため思わずカロリーを消費していた。様々な準備に汗をかくほどであったが、健康のためにはこれくらい動くのがいいようである。
2001.02.25(Sun)
趙州和尚 因僧問 狗子還有仏性也無 州云無
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有や」。州云く、「無」。
原文 無門慧開
■『無門関』/訳註 西村恵信/岩波文庫
わからないから何度も読む本がある。岩波文庫、216頁、500円ほどの本だが、何度読んでも毎回楽しめる。解らない本を読んで楽しむというのも変だが、無門慧開(1183年〜1260年、中国南宋の禅僧)の書いた原文は漢文なのでお手上げ、しかし、読下文や訳注があるので何とか読むことができる。
48則に分れていて、どこから読んでも解らなさは同じなので、一度読んでしまえば、どのページからでも寝物語に最適である。この原文を必死に読み解こうとして修行されている僧侶の方には失礼かもしれないが、私などの鑑賞ではまさに歯がたたないのだから仕方がない。まさに、童話のようなもの。
しかし、無門関の第1則が、上記より始まり、第48則の頌において、「未だ歩を挙(こ)せざる時、先ず已(すで)に到る。未だ舌を動ぜざる時、先ず説き了(おわ)る」とあるところなど、推理小説を読むより面白くて仕方がない。
昼から高知鷹句会の定例会出席。鷹俳句会の星辰賞応募20句のための勉強会として、3月17日(土)に60句句会を開催することを呼びかけた。風の強い一日であった。
2001.02.24(Sat)
一つの言語の消滅は、歴史や世界を見る窓が一つ消えることを意味する。
カレル・ヴァン・ウォルフレン
■雑誌『プレジデント』2001.2.12日号/翻訳 藤井清美/プレジデント社
今、世界中には6500余りの言語があり、今世紀中には600種類にまで減少すると予測されているそうだ。旧約聖書のバベルの塔の話ではないが、紛争の元凶の一つは多言語による意志疎通の無さに起因すると考えている。しかし、「言語こそが最も壮大な民族芸術である」といった見識には、少なからず賛同したくなる。
かつてNHK教育ラジオから流れる世界の言語の話を楽しんで聞いていた頃があった。毎週夜9時過ぎの番組であったが、何故こんなに多くの言語が生まれたのか不思議な謎を紐解いてくれるようでもあり、また、世界の広さや時の流れを感じさせてくれるものであった。
パソコンのモニター画面に表示される文字はまだ限られた言語でしかない。しかし、言語の中には、文字を持たない口承言語が今も数多く存在し、ネーティブ・スピーカーの死とともに滅びようとしているとのことである。IT革命がそれを加速しているとしたら手放しで喜んでばかりもいられない。
「鳰」はニオ、カイツブリと読む。鴨よりひとまわり小さく、潜水が得意な鳥で、俳句では冬の季語になっている。テレビ画面に池の鴨の群れが映しだされ、鳰の俳句が前面に浮かび上がったものだから、「どこに?」とあわてて近付いて見たがわからない内に次の画面に切り替わってしまった。言葉が消滅していくようで寂しくてならなかった。
2001.02.23(Fri)
高野素十の句集を読んでいて、ときにクスクスとしてしまうことがある。あまりにもあたりまえのことがそのまま書かれているからだ。
宇多喜代子
■雑誌『俳句研究』2001.3月号/富士見書房
飯島晴子亡き後、女性俳人で読ませる評論の書ける人が今何人いるだろう。否、男性を加えたところでその数が格段に増えることもなかろう。私の頭にすぐ浮かぶのは、資質は異なるが宇多喜代子や大石悦子、永島靖子、奧坂まや、正木ゆう子である。
その宇田喜代子が素十の句に独りクスクスと微笑んでしまうところが面白い。クスでは無くクスクスと言うところにひかれてしまった。例として示された句は、
嫁菜萌ゆ嫁菜に似たるものも萌ゆ
私は素十の句集を読んでもクスで終わってしまう。例えば、次のようなものである。
二つある甘茶の杓の一つとる
どこが面白いのかと聞かれると説明に困るのだが、なぜかほほえみがもれてしまうのである。(解説してしまってはその面白さが逃げてしまいそう)俳句には説明も解説もいらないのかも知れないが、それでは一般に伝えられないから何とかしようとして評論があるのかもしれない。
しかし名評論を読むよりは名句を読むほうがずっと楽しい。ただし、毎月ごまんと発表される句の中で、名句が限り無く少ないのが問題ではある。今や「消し去る俳句」を考える時代ではなかろうか。
2001.02.22(Thu)
かなりの確信を持って思うんだけど、世の中で何がいちばん人を損なうかというと、それは見当違いな褒め方をされることです。
村上春樹
■『anan』2001.2.23日号/マガジンハウス
マンションの裏にある小さなイタリア・レストランにて遅い夕食。アベックが2組。話し相手も居なかったので、入口に置いてあった雑誌を取って広げると、村上春樹の「村上ラジオ」連載47が初めにあった。
文字や写真が印刷されていれば男女の差など関係なく、普段自分では買うことのない本や雑誌を広げて見ることにしている。
俳句の初心者を誘うときは褒めるのが大切とよく聞くが、私は思ったことしか口にしないので、褒める機会が極端に少なくなる。ダメだと思ったときは、まず口を閉ざし、何も言わず、聞かれれば正直に不満な点を語ってしまう。
だから、私に褒められて人生を棒にふったような人はまだないはずだが、後輩が育たなければ、湘子先生や晴子さんから受継いだものを伝えることができなくなる。さてどうしたものか、思案の毎日である。
何だか今週は急に暖かくなったように思えてならない。仕事に振り回されてはいるけれど、そんなものはどうでもいいような気持にさせてくれる。
2001.02.21(Wed)
Pero non mi destar, deh, parla basso !
「かるがゆえに、われを揺りおこすなかれ。過ぎるものよ、声低くささやけ」と。
澤木四方吉
■『フィレンツェ美術散策』/宮下孝晴 佐藤幸三 他/新潮社
原文は昭和5年に亡くなった美術史家、澤木四方吉が「美術の都」と題したエッセイの中で紹介しているミケランジェロの言葉である。ひきしまった翻訳文もまた美しい。
フィレンツェのメディチ家廟の有名な彫刻、「夜(ノッテ)」の像に対して当時の詩人が「そは眠れり、眠れるがゆえに生けり、疑う者はこれを揺りおこせよ、しからば醒めて汝に物言うべし」と讃頌したことへの答えだという。
「曙(アウロオラ)」の像もまた艶かしい。
昼食に出かけると、午前中に降った微雨によって、木の芽が並んだ欅のそれぞれの細枝に透明球が連なりかがやいていた。あたたかな午後、そして夜の「銅の会」、流れで深夜までヴェルモットを飲みながらY嬢を俳句の会に誘っていた。興味深かかったのは、珊瑚彫刻家の父上が俳句を始められたと知ったことである。
2001.02.20(Tue)
A shape,Like a word, has innumerale associations which vibrate in the memory, and any attempt to explain it by a single analogy is as futile as the translation of a lyric poem 。
Kenneth Clark
■『The Nude』/PENGUIN BOOKS
形があって言葉が生まれるのか、言葉から形が生まれるのか、それもまた永遠の課題ではあるが、著者ケネス・クラークはひとつの形を言葉で説明することの難しさを、抒情詩の翻訳のようなものと言っている。
「The Naked and the Nude」 から始まる芸術家や職人の裸体表現についての論考であるが、性と幾何学のどちらからでもつきぬ議論ができる事実、そこにこそ永遠性の秘密があるように思えてならない。
もちろん形だけではなく色においても、コンピュータで1670万色の違いが表現できたとしても、その複雑に絡みあった色彩を伝えるためにはどんな言葉があればいいのだろうか。RGBやCMYK、xyzで表現できるのは、単色のようなやや味気ない科学的な色彩でしかないように思われる。
高知市役所から、戸籍氏名をコンピュータで利用できるものにするため、漢和辞典に載っているものと置き換えますとの案内があった。父が出生届にうっかり俗字を書いたために、正式の場合はいつも戸籍どおりに書かなければ認めてもらえなかった字である。これからはコンピュータ表記でいいことになるようだが、どこが出版した漢和辞典とは書いていなかった。
2001.02.19(Mon)
詞歌集を編むことは、言語藝術の次元における、考へ得る限りの、「秩序」と「美」と、「奢侈」と「快楽」を示顕し、これをわがものとする神をも怖れぬわざであつた。
塚本邦雄
■塚本邦雄撰『清唱千首』/冨山房百科文庫
果たして私の本棚のなかに塚本邦雄の書籍は何冊あるのだろう。詳細に数えたことはないが、箱詰めでレンタル倉庫に預けてあるものを含めれば、300冊は下るまい。しかし、日常的に手に取って再々広げるものは、持ちやすく参考にしやすいものが選ばれることになる。
上記は「晴吟の跋」と題したこの文庫の冒頭の言葉である。私はこの書き出しに痺れてしまい、何度読みかえしたか知れない。
また、同書の「千歌の序」の中には、「作品の優劣を決定、選別するのは「時間」と呼ぶ批評家である」と記しているが、歌のみにあらず、芸術作品すべてにおいて心しなければならない真理である。
塚本邦男本を読むようになって、正字、旧かながいつのまにか平気になってしまった。慣れとは恐ろしいもので、パソコンで「神」の正字が出ないだけで寂しい思いをすることになったが。
日曜にやり残した予定外の仕事に振り回されてしまった。サーバーの修理が終了したのは、昼過ぎであった。結局、昼食も取れずじまい。こんな夜は、好きな本を開き、不満解消に夢の世界に遊ぶのである。
2001.02.18(Sun)
急ぎの仕事が入っていたので、午後からいつものMacを使って作業を始めた。ところが、サーバーの調子が悪く、重要な資料の転送ができず、思った作業ができなくなってしまった。何台ものパソコンを効率良く利用できている間は便利だが、いざ動かなくなってしまうと手も足も出ない。サーバーが問題では修理することもできず、結局、明朝の約束の時間までに資料が渡せなくなってしまった。いつも余裕をもった仕事ができないのが一番の悩みである。
J社のワープロソフト最新バージョンを購入した。インターネット上で50MBのインターネットディスクが利用できるのが特徴である。しかし、Winが苦手な私は、まだインストール作業を行うべきか迷っている。やりかけの仕事が一段落して、重要ファイルを保存するまでは、とても恐ろしくて手が出せない。便利な環境を手に入れるために、危険な作業をしなければならないのが不安である。
基本的にはいつもMacやワークステーションを利用した作業を行っている。しかし、どうしても利用者が限られるため、必然的にWinを使わざるを得ないデータを渡されてしまう。このデータ移動や変換の問題にいつも悩まされている。そうかと言って、機能性を犠牲にしてまで多数派に乗り換える気にはならない。
2001.02.17(Sat)
言葉としては、いくらでも隙があるが、その根ざすところがここにあるとすれば、虚子の自信は深く、ゆらぐことを知らなかったということができよう。
倉橋羊村
■『人間虚子』/新潮社
大正4年、虚子41歳、「落葉降る下にて」と題した短篇執筆。前年の四女六子の死が虚子に深い無常観をもたらしたと倉橋羊村は読み解いている。このとき虚子の心奥に届いた自信とは「諸法実相」であり、後年、俳句に当てはめてそれをわかりやすく説いたのが「花鳥諷詠」や「客観写生」であると言う。
言葉で表せることには限界があり、伝達表現としてはいくらでも隙ができるのは当然。ただ、心に絶対の自信を持たなければ、思いは誰にも伝わりはしない。自分の心さえ納得させられなくて、どうして思いを他人の心まで届けることができようか。
「何が善か何が悪か」と虚子は呟き、どちらも「諾」としてありのままに受け入れたかったのであろう。41歳、不惑を越えたばかりで、その思いに到りつけたとしたら羨ましい限りである。
下の加江のN氏より誘いのあったカクテルパーティーに出席。電話で話のあった時は、ワインが飲めるとのことで期待して出かけたが、カクテルであった。40人ほどの若い女性中心、高知ではめずらしくオシャレな雰囲気。しかし、フォーマルとチケットにはあったが、ラフなセーター姿の男性が何人か混ざっていた。
71歳のN氏はビロードの中折帽子御愛用の伊達男。若い頃に比べ酒量は控え目とのことであったが、私のためにと数人の仲間ともども行き付けのラウンジへ梯子酒とあいなった。それから3軒、それぞれの店で御贔屓の美しい女性を紹介いただき、久しぶりに帰宅が午前3時。彼は運転手付の車で、土佐清水へ向けて深夜帰って行った。車で3時間以上の距離である。楽しい話と酒の一夜であった。獺の話を聞かせて頂いたY氏にも感謝。
2001.02.16(Fri)
たとえば後日談というものは誰でも知っていますが、前日談なんて知らない。
井上ひさし
■『本の運命』/文藝春秋
江戸時代の黄表紙の作者たちは、前日談や後日談のさらに後日談など、いろんな工夫をして、一つの話を違った視点から展開して面白く表現していたとのことである。
モノの見方というのはいい加減なもので、少し視点や論点を変えてしまうと全く違った表情を見せ始める。あまり真面目に考えているより、横にしたり逆さにしたりするほうがいいようだ。前日談なんて知らなくても良さそうなものだが、記録として残されたものは、今を知るための前日談ばかりのような気がする。確証のある未来談を書ける人がいないのだから。
パソコンで色変換すると、さっき撮ったばかりの写真の雲が金色に変わったり、空が緑にいとも簡単に操作できてしまう。同じ写真画像を違ったモニターに表示しただけでも変わって見える。やはり信じられるのは自分の眼だけなのかもしれない。
昼過ぎ、光りのなかを微雨が降りそそいだ。まだ肌寒い厳しさはあったが、日増しに暖かくなっている。しかし、四国山脈の北側ではまた雪が降ったようだ。夜空にオリオンが高く上がったころ今日の仕事を終えた。
2001.02.15(Thu)
両岸に両手かけたり春の暮 永田耕衣
■句集『生死』/ふらんす堂文庫
ふらんす堂のテーマ別精選句集シリーズの文庫の薄さが気に入っている。永田耕衣句集にしたところで80頁である。JR東海のBOOKS KINOKUNIYA のカバーが付いているから、旅先で求めたものであろう。高知市内で自分が読みたいと思う句集を探すのは至難の技なので、出会った時に買っておくことにしている。
昼の散歩の途中、国分川にかかる橋の中ほどで自転車を止め川面を熱心に見ている男の姿が目に止まった。何を見ているのだろうと、つられて近くまで行ってみたが、鴨が5、6羽泳いでいるだけで、特に不自然な様子はなかった。そんなに永く見つめるほどのものでもないと思ったが、そのあと、白鷺が遠くから飛来し、頭上を通り越していった。
昼の日差に、川岸一面に生えた蘆の枯れざまが見事な光沢を見せていた。自然の蘆も年々少なくなっているが、このあたりは護岸工事の後も少なくなったとはいえまだかなりの広さで残されている。散歩に望遠鏡を持って出れば、楽しいバードウォッチングができるだろう。
2001.02.14(Wed)
鎖の先には丸い大きな球がついていた。一目で上等のものだとわかる繊細な彫り模様が施された、それは美しい薔薇色の珊瑚だった。
光野 桃
■『着ること、生きること』/新潮文庫
ミラノで活躍する日本人のレーナと出会った場面である。母の形見の簪に付いていた珊瑚の玉をペンダントに再生したものをシルバーグレーのサテン・シャツの胸元に付けていたという。光野桃は繊細な感性で出会った人やモノたちについて、色彩、マチエール豊かに描き出して見せてくれる。この珊瑚玉は高知で作られたものかもしれない。
かつて有名なジュエリーアーティストの方を高知市郊外の大きな珊瑚店に御案内したところ、店を出られた後「うさぎのように目が真っ赤になりました」とおっしゃった言葉が今も忘れられない。
昼食前に少し散歩を日課にしてみようと思いたった。30分ほどであったが、万歩計によると、本日の歩行消費カロリーは201Kcalであった。目標の350Kcalにするには、かなり歩かないといけないことになる。
2001.02.13(Tue)
「正しい」道より「楽しい」道を選んでいけば間違いないそうです。
あれ?すでに矛盾してるな、この文章。
佐藤由紀夫
■Relay Column『ついてる理論2』/Tokyo Copywriters Club Homepage.
インターネットの本屋さん、まぐまぐメールマガジン「Weekly soho vol.196」の中で、コラムニスト・夏野ききょうさんが取り上げていたので、その原文を探し、サイトの中から引用させていただいた。2001年2月6日と記されていた。
東京コピーライターズクラブのWebサイトを閲覧したのは始めてだが、TTCリレーコラムでは一人の会員が一週間書いて、翌週のスピーカーを推薦する方式であり、なんだか宝くじのようで面白かった。指名されても沈黙可とのことであるが、はたして何も書かないコピーライターがいるのだろうか。
何かの分岐点にたったとき、選ぶ基準は「正しい」より「楽しい」だそうで、これは私の日常の指針と全く同じである。
古い愛用のKYOCERAの携帯電話、12月に契約したH”のSANYOのPHSに続いて、新型iモードF503iの携帯まで手に入れてしまった。3本持ち歩くのは大変なので、出かける時はどれにしようか迷っている。迷うことも楽しみのひとつであるが、すでに電話という範疇を越えた新しい装置と思ったほうがいいようである。
2001.02.12(Mon)
たんぽぽのサラダの話野の話 高野素十
ふと脈絡もなく浮かび上がってくる俳句がある。たんぽぽを見たわけでも、黄色い洋服の女性とすれ違ったわけでもない。安全地帯で東から来る電車を待っていた数分の間のことである。帯屋町まで路面電車で8分足らずの距離なのだが、不具合になった懐中時計と同じものを買いに出かけた昼頃のこと。少し暖かくなりはじめた陽気に、セーターの上にコートではなくブレザーで良かったかしらと思ったからだったろうか。
今、手許の全句集によると、昭和28年(1953年)作となっている。その当時、サラダという言葉が新鮮であったかどうか知らないが、今ほど各家庭で一般的に食べられていたとも思わない。まして蒲公英のサラダとなると、食用よりも子供のままごとのようではないか。
一句が俳句なのか唯事なのか見きわめの難しいところである。しかし、素十の大きな耳に止めども無く語りかける童女の姿が私には見えてしまう。この俳句には志のかけらなど微塵もないが、暖かな光があふれている。
2001.02.11(Sun)
合田さんの涙は、悲しいとか、むなしいとか、つらいとか、そういう人生というものの、しみったれた泥臭さは微塵も感じさせません。
森村泰昌
高知県立美術館で「森村泰昌と合田佐和子」展が始まった。美術館の部屋を各々の作品で埋め尽くしているが、お互いへの賛辞を各室の入口に掲げてあった。合田佐和子は高知県出身、森村は大阪出身である。二人の似たところが私には感じられないのだが、あるとすれば、それは他者の作品を元に自分のものに変換して創作する手法くらいのものであろうか。もちろん芸術家にとっては、この手法創出こそが命と言えるほど大切なものではあるが。
森村が言うように、「しみったれた泥臭さ」が感じられないとは、鋭い指摘であり共感させられてしまった。今回の展示会の為に制作された「ロゼッタ・ギャラクシー」でもそうだが、合田佐和子は生半かな苦悩など捨て去ったように、イラストレーションのような油絵を描くのである。いつまでも重苦しい絵画になどならないでいてもらいたいものである。
私好みの作品は、裸の少女が横たわった背景で都市が赤黒く炎上する「燃える街」(1973年)である。しかし、作品のイメージを壊す彼女のサインだけはなんとかならないものか。
二人展と美術館ホールで開催中の「地中海映画祭」、そして高知大学卒業制作展まで欲張って見ようとして落着きのない身体となった。しかし、森村泰昌の河内音戸のビデオ上映なども見て笑うことができ、久しぶりに充実した一日であった。
2001.02.10(Sat)
おもうに短歌のような体の抒情詩を大っぴらにするということは、切腹面相を見せるようなものであるかも知れない。むかしの侍は切腹して臓腑も見せている。
斎藤茂吉
■『赤光』/斎藤茂吉作/岩波文庫
確か歌がどこかに書き留められていたはずと、茂吉の資料を探しているうちに読みふけり、「赤光」再版に際しての詞書に目が止まった。しかし、思いはすでに抒情詩から離れ、「侍」、「切腹」、「三島由紀夫」へと連想が広がってしまう。
主君から命ぜられての切腹の意味、あるいは自死、死ぬ手段としての切腹ではなくその臓腑を見せ、腹心のなさを証明しようとする行為についてである。短歌を詠うとは私が考えているような軽いものではなのかもしれない。私はこれまで、創作の一手段として、沸き上がるイメージ、天啓のようなものを伝えようとしたにすぎなかった。
2001.02.09(Fri)
この心葬り果てんと秀の光る錐を畳に刺しにけるかも
斎藤茂吉
昨日の日誌の「本来文は志を述べるもの」が頭を離れない一日であった。仕事中に何度もこの言葉が浮かび上がり、「それだけではないはず」と一人問答を繰り返していたのである。
こんな日に限って仕事が忙しい。と言うより、締めきりのある仕事に間にあわそうとするから、仕方なく忙しくなってしまう訳である。私にはそんな能力もないと捨ててしまうか、手抜きをして質を落せば楽なのだろうが、やはり仕事も頼めない男と思われたく無い自尊心が少しばかり残っているために無理をしてしまう。深夜11時半終了。
2001.02.08(Thu)
文には二種類あります。売ってはならぬもの、売るものの二種類です。
山本夏彦
■『百年分を一時間で』/文春新書
「本来文は志を述べるもので、売るものではありませんでした。」と続く。著者の生まれた大正4年(1915年)には、すでに文士・文筆業という職業があったはずである。だからこそ、自らへの戒めとしても言い聞かせているに違いない。
講師や指導者、出演者として糊口をしのがず、著述業だけで志を述べて生活できる人が今はどれくらい居るだろうか。ましてや俳句や短歌だけで原稿用紙を埋めるのは大変なことである。彼の父は金利生活者であったらしいが、それもまた一つの生き方。
少し天気が回復してきた。暖かくないと外を出歩こうという気持ちになれないので、せめて数日間は続いてもらいたい。日曜日の予定は、「菜の花吟行」か「地中海映画祭」、めずらしく迷っている。
高知市民図書館の視聴覚ライブラリーには「小沢昭一 日本の放浪芸」のLPがあるとのことであったが、閲覧も貸出しもしていなかった。誰のために保存しておくのだろう。このまま在庫整理で捨てられるのだろうか。
2001.02.07(Wed)
人間は心で食を摂ることのできる動物であり、それは我々人間だけの特権です。
関谷文吉
■『魚は香りだ』/中央公論新社
私は牡蠣や海鼠が好きである。地ガキも良いが、居酒屋で出される酢醤油の濃い味は苦手(鹹さがダメ)で、養殖ものでよいからレモンを絞って、ちょっぴりケチャップを付けながら堪能するのが楽しみである。殻の付いた牡蠣焼きも美味しい。しかし、数が少ない時は、香草の味わいは良いのだが、身が小さくなるようで少し損をしたような気分になったりする。
もともと贅沢とは縁遠い食生活で育ってきたため、何でも食べられるだけで満足なのだが、「人間は心で食を摂る」などと言われると、今日いったい何を食べたのかさえ思い出せないありさまでは、恥ずかしいかぎりである。
しかし、毎日とはいかなくても、心に何か感じながらゆっくり噛みしめるような食事をそろそろ心掛けないと、身体が危険信号を発し始めているように思えてならない。
夜、全天を覆った雲の明るんだ辺りを見上げていると、雲の隙間を見つけて淡く霞んだ満月が一時現れた。何もできぬまま、はや半月たってしまったあせりのようなものを感ぜずにはいられなかった。
2001.02.06(Tue)
詩歌とは死の究極を想はせて口ごもりつつまことを述ぶる
塚本邦雄
■『玲瓏』第48号/玲瓏館
詩歌の中には詩、短歌はもちろんのこと俳句も入っているだろう。そして、自歌の中で歌についての定義を、歌人塚本邦雄は何度繰返してきたことだろう。今だ彼の心を満足させる解答が見つけられないように、今またこれでもかと叩きつけてくる。
しかし、あの早口の彼をしても、口からすらりと流れ出る言葉では説明できず、一文字づつ口ごもるように恐れをもって開陳する心の内は「まこと」なのである。私の目にはいつも彼はまことしか語ってはいなかった。しかし、一見きらびやかで装飾的、あるいは衒学的フレーズに気を取られてしまいがちで、その心底が多くの人に誤解されやすかったことは確かである。彼の豊穣なイメージや想いは、わずかな言葉だけではとても表せそうもなかったのである。
「いたみもて世界の外に佇つわれ」であった塚本が、今や私達とともに現世に佇っていることを隠さず、「まことを述ぶる」のであればその痛みを分けてもらわねばなるまい。この惑星が滅びる前に。
2001.02.05(Mon)
話が節になり、節が話に変わっていきながら、話と節が輝然一体となり、単純な話をおばあちゃんたちの胸に刻み込んでいく。
市川捷護
■『回想 日本の放浪芸』/平凡社新書
俳優小沢昭一に出会い、30年前「日本の放浪芸」のLPレコード制作ディレクターを勤めた体験などが語られている回想記の一文である。
かつては節談を語る説教僧がいて、法然や親鸞の話、歎異抄の一節を唱え、その意味を説明しながら、話をぐっと卑近な例にたとえ、わかりやすく伝えようとしていたとのことである。理屈で仏法を説いても通じない。どうやれば人の心の中に伝えることができるのか、考えつくされた話法があったのに違いない。CD化されたものがあるとのことなので、一度聞いてみたいものである。
芝居もそうだが、笑って泣けるものがいい。あまり重くならないで、他人の阿呆さ加減を笑い、自分のいたらなさに思いいたるようなものが。「祈り」とは、自分のいたらなさを見つめ直すことに他ならないのだから。
2001.02.04(Sun)
麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
はや立春である。しかし、昨日と異なり、昼前から冷たい小雨が降り始めた。
午後、友人の父の告別式に参列。私の父もすでにいないが、いずれ父が居なくなるとは解っていても、早すぎるように思うと残念でならなかった。頭で理解することと感情とはべつものである。
予定していた吟遊中止の空き時間を利用して、坂東眞砂子原作の映画「狗神(いぬがみ)」を見る。監督・脚本は原田眞人。同時上映は「弟切草」。高知東宝1という映画館で上映中であったが、若者が少しだけで、観客はわずかしかいない。内容がオカルトというか怪異なものなので、一般受けはしないはずだが、やはり話題性に欠け、ビデオで見ればといったところであろうか。映画ファンとしては寂しいものがあるが、制作者側も映画館だけで採算を考えなくなってきているのだから仕方がない。
小説としての「狗神」は、坂東作品の中では今でも一番好きなもの。高知を舞台とし、現実と幻想をゆききするようなあやしさがなんとも言えない魅力だと思っている。小説を映画で観ると、自分の描いたイメージが壊されるようであまり好きではないが、最初からはっきり別物と割り切って見れば落胆しないことに気付き、監督との解釈の差をそれなりに楽むことができる。「弟切草」の色彩変換表現をもっと「狗神」でも駆使していれば怪しさが描けたのではないだろうか。しかし、そうすればますます解らなくなって観客はもっと減ることだろう。何を狙うのか、難しいところである。
2001.02.03(Sat)
「さあ、恋人の名前をいえ!」
ぶらんこに乗った若い女性をゆすりながら、若い男性が声をかける。
青柳潤一
■雑誌『俳句現代』/2001年3月号/角川春樹事務所
芝居や映画の一場面のような台詞である。ノンフィクション作家・青柳潤一によると、ブルガリア、香水用薔薇の栽培で有名な村の光景であり、春になって咲いた薔薇を摘むという、村のもっとも大切な仕事の前に行われるらしい。紀元前から住んでいたトラキア人の伝統として、年中行事の中に生き続けているとのことである。
「季語の地球誌」の第一回として「ぶらんこは文明の十字路」と題したエッセイのなかで紹介されていた。俳人にはあたりまえのことなのだが、ぶらんこは春の季語である。しかし、その一言から導き出される時間や空間は実に広大である。
雲間に隠れた冬の最後の夕日がほんの一時現れ、真っ赤に輝いて沈んだ。冬を惜しむように。最後の姿を見せたかったのかもしれない。
2001.02.02(Fri)
この子はぼくを安全な存在だと見なしたんです。この受け入れの瞬間−−この現象を、ぼくは「同志の契り」と名づけています
モンティ・ロバーツ
■『馬と話す男』/東江一紀 訳/徳間書店
この子とは、もちろん子馬のことである。調教前の野生馬に鞭やロープ縛りを用いず、どうやって自然な絆を結ぶことができるのか。そして、音のない言語、身体言語(ボディ・ランゲージ)により、初めての馬と「同志の契り」を結び、たかだか40分ほどで、鞍を置き乗れるようになるかの魔法が記されている。
ネヴァダ州の原野からムスタングを集めても、エリザベス女王のサラブレッドであったとしても決して変わることのない身体言語なのである。
以前、英会話練習用に手に入れたモンティのビデオを見るのが私の楽しみのひとつなのだが、アメリカの原野を走る馬の姿や円馬場で馬と人間が話し始める姿は何度見ても見飽きることがない。
2001.02.01(Thu)
言葉が意味をなす前に東の口のなかで溶けてしまい、もはや音でしかなかった。
柳 美里
■『魂』/小学館
39歳の東由多加と16歳の柳美里は、治る見込みのない病気にかかって苦痛が堪え難くなったり精神が壊れかかったときは、お互いを殺す約束をした。結局、ベルトで首を絞めて殺すことはしなかったが、東は癌で亡くなった。
私が自分で買ってくることのない本である。家人が買って来た本は拾い読みをして、すぐ元の位置に戻しておく。家人が4、5人いればもっと色々な本が目にとまるのだろうが残念ながら一人である。
意味が言葉を探して現れるのではなく、言葉が意味をかたち造るのであったろうか。遠いとおい記憶のようで、どこかにその音まで置いてきてしまった。
2001年 2月 |
2001.01.31(Wed)
選句が終わりますと、毎回フルマラソンを終了したような充実感を覚えました。
黒田杏子
■『現代俳句鑑賞』/深夜叢書社
俳誌「藍生(あおい)」の雑詠選評をまとめて一冊にした本が出版された。1990年創刊以来すでに10年、120回分が403ページの大冊として編集されている。
したがって、心情的には黒田杏子は120回のフルマラソンを走ったことになる。「選は創作である」と言ったのは虚子だが、主宰者は自ら目指す俳句世界を常に選句によって連衆に伝えようとしているのである。充実感を得るためには、選びがいのある作品が毎月投句されるのを待つしかないのも事実である。
私のおぼつかない記憶に残る俳句は数少ない。さて、千年残る俳句とはいったいどんな句であろうか。まだ日本語の解る人間が生きているだろうか。一日、小雨の降り続く国分川を見下ろしながら、川の流れのゆくえを考えていた。
2001.01.30(Tue)
「人間的な生を大切にする」ということを一言で表せば「フィランスロピー」ということになる。
村山陽一郎
■『科学の現在を問う』/講談社現代新書
現在の日本では、企業が得た利益を社会還元する活動の意味で使われるらしく、「フィル」が「愛する」、「アンスロピー」が「人間」という元はギリシャ語の二つの言葉の合成語と説明があった。
残念ながら私のまわりには「フィランスロピー」などといった洒落た単語を使ってくれる友人がいないものだから、「博愛=philanthropy」などといった英単語は頭から消え去ってしまっていた。いや、受験英語としてインプットしたかどうかさえ疑わしい。Web検索で調べてみると、企業が社員に与えるボランティア休職やゴルフコンペが並んでいる。
バブルのころ流行っていた企業による芸術文化活動への支援を意味する「メセナ」が古臭くなって、こちらを使いだしたということだろうか。「人間的な生」と「生物学的な生」の話にすこしだけ思いがいたり、社会全体が受け入れるにはまだまだ時間がかかりそうなどと考えたりしている。
危険そうな薬をもらってきたが、飲もうか飲むまいか迷った末、思いきって水で胃袋に流し込んだ。3食後とのことであるが、不規則な食事時間でつい飲むのを忘れてしまいそうである。体調が悪ければ嫌でも飲むのを忘れないのだが、「忘れる」と「飲む必要がない」と言うことが同じにはならないらしい。頭や目を使わないのが一番いいのかもしれないが、それは難題である。
2001.01.29(Mon)
古い学習机に原稿用紙を十センチも積み上げ、そこからわずか十センチまで顔を近づけて、口を開けたまま一文字一文字書きつけている井上さんがいた。
栗山民也
■『日本経済新聞』/2001.01.29「今を見つめ紡ぐ」より/日本経済新聞社
1986年、演出助手として、遅筆で知られる井上ひさしを旅館に訪ねたときの話である。芝居「キネマの天地」の台本は、初日の2週間前になってもまだ半分しか無かったと言う。しかし、真剣に作家が言葉と格闘する現場をかいま見てしまってはもはや催促することさえできなかったようだ。
版画家の棟方志功も近眼で、版木に眼鏡をくっ付けるようにして彫刻刀を振るっているモノクロ写真を見た記憶がある。井上ひさしなら鑿がわりに万年筆で言葉を彫刻していそうにさえ思われる。あの可笑しさと哀しさを突き付ける「言葉にこだわる」とはそこまでやり抜かなければならないのだろう。
今日はMRIで頭部、X線で腰部、心電図、血液、尿の検査など、かなり精密に検査をしてもらった。第3、4、5頚椎の突起と、いくつかの腰椎の凹みなどが頭や顔面に負担を掛けているとのことであった。言葉と同じように身体も大事にしなければならない。しかし、MRI撮影フィルムをすんなり頂けたのには驚いた。デジタル処理が進み、記録をディスクに残せるらしく、説明用フィルムは保存不用のようだ。
貰って返った頭部断層写真を一時間ほどあれこれ想像しながら観察したが、確かに左右対称でないのが面白い。残念なのは、脳梁、中脳、小脳、大脳の微少部分において画像の鮮明さに欠ける点である。病院関係の知人の話では2月末にも新機種に入代わるとのことであった。次回はもっといい写真がもらえるようである。
2000.01.28(Sun)
枯木らの贔屓の星の出そろへる 藤田湘子
(俳誌鷹2001.2月号より)
空を見上げるのが好きである。蒼い空や雲の流れは何時間見ていても見飽きない。雨の降る曇空も悪くはないが、少し変化があるほうが面白い。そしてまた、夜空の星や月や片雲を見上げるのも好きである。
記憶力の悪い私は、星や星座の名前を覚えても代表的ないくつかを残しすぐに忘れてしまう。というより、古人が名付けた名前よりも、自分で適当な名前を付けたり、その日の気分で勝手な星座をついつい誕生させたりして遊んでしまうのである。科学的な話には人一倍興味があると思っているのだが、完璧に科学で割り切れてしまうのも否なのである。だから私と言う人間はあいまいなのかもしれない。
空気の冷たい冬の星空は美しい。藤田湘子の住む多摩丘陵あたりでは、少し出歩けばまだまだ街のあかりに邪魔されず、全天に広がる星々を楽しむことができるのではなかろうか。枯木や家々を包みこむように、あるべき星があるべき高さに出そろった喜びは、機会あるごとに空を見上げいるものにしかわからぬ至福の時間と言えよう。
科学的には、光速が求められ、そのはるかな距離が求められ、中には私達が見ている星の光はあっても、その光の元となった星自体が何億年も前に爆発、消滅してしまって今は何も無くなっているものさえあるとの話も聞いた。今しばし、この星空の輝きを楽しみたいものである。
第4日曜日、午後は高知鷹句会の定例会であった。12人参加。最高点句は6点。私はめずらしく高得点の5点を頂いたが、俳句の高得点は曲者である。「高得点に名句なし」の言葉があるように、情緒的な句は支持されやすく、支持された句が良いと自分で誤解してしまうのが恐ろしいのである。自選力が試されるときでもある。
2001.01.27(Sat)
「そうでもしねェと 第二宇宙速度を出せるパワーなんてわいてこねェんだ」
「ヤだな そんなの・・・ 愛がない」
幸村 誠
■漫画雑誌『モーニング』/20001年2月1日号/「プラネテス」より/講談社
「プラネテス」はデブリ(宇宙ゴミ)回収作業員の未来漫画物語。主人公のハチマキが、二十歳そこそこの新人女性タネベに、宇宙では甘えにつながるものは捨ててしまえ、魂だって売ってしまえと言った後の場面から繋がっている。
漫画の枠外に小さく第二宇宙速度の説明があって、「人工天体が地球軌道から脱出する速度。秒速11.2Km。脱出速度とも言う」とあった。私は漫画雑誌でもただストーリーだけではなく、解説やコラムや技法的にここはまだエアーブラシで地球の大気の様子を描画したんだとか、スクリーントーンを使ったんだとか、脇道にそれて作者やアシスタントたちが描いている様子を想像することまで楽しんでいる。
だから、漫画でも一冊読むのに、家人の2、3倍かかってしまって何時も呆れられるが、表紙や目次を見るだけでも遊べてしまうのである。今思えば、確かに漫画の目次まで見る人など少ないかもしれないが。
第二宇宙速度を時速に直すと40,320Km。いつも60Kmそこそこで走っている私の車では想像もつかないスピードではあるけれど、つまり、宇宙船のギアをセカンドに入れた状態なのだろう。サードやトップに入れると、太陽系や銀河系から脱出できることになるのだろうか。私には難問であるが面白い。
(私の車は、購入してから4年で、まだ27,862Kmしか走っていない)
午後から郊外で散策。関東地方は大雪とのことであったが、高知市は快晴で暖かい。夕日の沈む時間が少し遅くなってきたようだ。
2001.01.26(Fri)
デザイナーの仲條さんが、二枚どうしても使いたいということで、この写真も載せました。
坂東玉三郎
■『ザ歌舞伎座』/撮影 篠山紀信/講談社より
8X10(エイトバイテン)と呼ばれる大型カメラのフィルムを用いた篠山紀信による歌舞伎座の写真集である。写真集など立読みすれば済みそうなものだが、雑誌で何枚か見る機会があったので、家人に頼んで買ってきてもらった。
案内役の玉三郎が「度々私が顔を出して申し訳ありません」と詫びているが、やはり華のある写真が並んでいる。装幀・デザインの仲條正義の意向とのことで、何枚かの組写真があり、そのなかで「玉三郎楽屋」の解説に上記の言葉が現れる。
勘太郎、七之助を前に、顔だけ化粧した写真と鏡獅子の衣装に扮装した写真が続いている。このとき、撮影関係者を除けば楽屋内には被写体の3名しかいないはずなのだが、壁の立鏡にもう一人の玉三郎が映り、虚実あやふやな世界が描かれている。
役者がすでに虚像であるならば、鏡に写った姿は実像だろううか。その姿をフィルムがとらえ、印刷フィルムに置き換えられ、紙に印刷される。ついには、私の網膜に逆立投影しその姿を認識する。確かなものの無さをつくづく感ぜずにはいられない。
ふと、「頭寒し頭のかたち見えねども 藤田湘子」の句が頭をかすめた。
2001.01.25(Thu)
人道主義が登場するのは、ある政治が失敗したとき、または危機的状況に置かれたときでしょう。
ジェームズ・オルビンスキー
■『1999年度ノーベル平和賞受賞スピーチ』より
http://www.japan.msf.org/nobel-sp.html
軟弱な私は、政治的な話は苦手である。しかし、そんな私でも、何処かでほんの少しだけ誰かのためになるようなことができないかと考えている。ある資料を作成するため、「国境なき医師団」をキーワードにWeb検索していて、上のような言葉と出会った。
危機的状況におかれたモノや動物や人に、何も与えるべきモノや手段を持っていないことに私は愕然とした。貧弱な言葉でも、何かの役にたてばと思うばかりである。
さて、鷹2月号が郵送されてきた。またしても2句組(6句提出のうち、選に残った数)、同人としては情けない成績である。新年例会で拝聴した注意点をもとに、斬新な視点を見い出し作句しなければならない。しかし、不様な作品を人目にさらさず切捨てて下さる湘子先生には感謝している。毎回期待に応えられないのが恥ずかしい。
一日、冷たい雨が降っていた。
2001.01.24(Wed)
2001年、太陰暦元旦。おめでとうございます。
轍 郁摩
私は10年ほど前から高島暦を買い求め、太陰暦で過ごすことにした。
西洋式のカレンダーが嫌いというわけではないが、米を食べる農耕民族の末裔として、月の満ち欠けをおもいやり、現実世界を少し斜眼で見て生活したいといった欲求が起ったためである。
そこには、マスメディアに左右される太陽暦とは微妙に違った時間の流れがあった。
つまり、自分で常に時間や季を意識していなければ、はて今日は何日だったかしらと言った具合で、日にちさえわからなくなってしまうのである。しかし、毎夜見上げる月や星のなんと美しく新鮮なことであろう。
花、月、雪、星、馬たちに心遊ばせ、創造神と交歓できる精神と肉体の健康の喜びを噛みしめている。皆様にとって、よき1年でありますように。そして、私にも。
2001.01.23(Tue)
我はわづかに我を描く事を得れば幸としてをる。
高浜虚子
■『虚子俳話』/新樹社
私の大晦日である。やはり虚子に登場してもらわねば幕は降りない。
この本は、昭和30年から34年4月8日まで、朝日新聞の俳壇の選者であった虚子が、隔週の選句発表に添えて連載していたものをまとめたものである。
もちろん私が入手したのは新装本の尚かつ第7版である。しかし、鴬色の表装といい、手ごろな大きさといい、読みごろの文章といい、まことに愛書にふさわしいものなのである。旅行にもよく持参するが、どのページを開いても確かな真実と作者の思いがつづられていて、何度読み返してもこころに深く映るのである。
このように幸を得られることを望みつつ、私もまた作品を生み出して行こうと思う。
2001.01.22(Mon)
その後、父はアメーバの話をもちだして、私の神と科学とを戦わせる暴挙に出たが、私は泣いてふんばって、許しを得たのだった。
山本容子
■『エンジェルズ・ティアーズ』/講談社
版画家の著者は中学二年でカソリックの洗礼を受けたそうである。
仏教の父に洗礼の相談をすると、自分の信じる神の話を聞かせてくれと言いだし、山本容子が聖書の話がいかに面白いか興奮してしゃべった後だったとのこと。病院の待合室、時間潰しのために持参した本を読んでいて大笑いをこらえるために、わたしは何粒も涙をこぼしてしまった。何度読み返しても笑いがこぼれてしまう。この本は、もらった薬よりも私の身体には薬になったようだ。
夕食はマンション裏のリストランテKへ。昨夏オープン以来、1週間に1回以上は利用していることになる。毎回、ミニ黒板のメニューを見て何か新しいものがないかお薦めを確認するのだが、「ガシラのオーブン焼き、トマトと香草ソース」が絶品であった。「ガシラの唐揚げ」は、高知の居酒屋でもよく食べるのだが、かなり大振りのガシラが出て来て感激。鹹く味付けされていないのが特に良かった。
2001.01.21(Sun)
昨年オープンの東京Dホテル24階。昨夜は雪道をタクシーで帰って来て、朝までにかなり積もるだろうと思っていたが、カーテンを開けると快晴の空の下、白い街並みに東京タワーや皇居が遠望できた。やはり、普段よりかなり明るく感じた。
午後から上野公園の溶けかけた雪道を散歩し、西洋美術館でカフェオーレを。ロダンの彫刻「青銅時代」の足指が、左足は小指、右足は小指と薬指が曲った形に表現されているのを発見。これまで何度も見ているのに、その度に違ったところに眼が行くから面白い。こうして文章にしてみると、また記憶の奥深くへ染込んで行きそうである。
2001.01.20(Sat)
だから銅鏡も、本物の銅鏡か、こっちでつくったのかわからないのがあるんです。
陳 舜臣
■機内誌『翼の王国』20001年1月号/全日空
小雨散らつく高知を後に、鷹中央例会新年句会(東京会館)に出席のため上京。
ANA機内誌の中で「シルクロード・温故知新」と題した、陳舜臣と平山郁夫の対談の一節が面白かった。239年、卑弥呼の使いが洛陽へ貢ぎ物を持っていった代わりに、景初3年の銘の入った三角縁神獣銅鏡をもらって帰ったが、その模倣品をすぐに作って、年号を景初4年としたとか。ただし、当の中国には4年は無かったという笑い話であった。
1時間20分ほどの機上時間と1800年ほどの経過時間、その時間の手掛かりとなる銅鏡。儚さとは、それらすべてを含んだ概念に他ならないのだろう。だからこそ、仲間に会い、旨いものを食べ、飲み、話すことが幸せでならなかった。
湘子先生はお元気であったが3次会には参加されず、F君に後を託されタクシーで御帰宅。そのあと、仲間15人が、激しく柔らかに雪降る有楽町の町をビアホールへ。着くころには、ベレー帽も鞄もコートの肩も真っ白。南国高知から出かけた3人は、この雪の御馳走に大はしゃぎしたのであった。
2001.01.19(Fri)
蝶葬にすべく花菜の黄を束ね 中原道夫
■句集『歴草』/角川書店
はたして「蝶葬」が可能かどうか私は知らない。しかし、ある日の山歩きのなかの一風景が蘇ってきた。何日も日照りの続いていた夏のことであったと思うが、そこには泉でもあったのだろうか、少し湿り気をおびた山道に数百もの蝶(深山烏揚羽?)が羽を休めながら水分を吸収するかのように、ストローを伸ばしていたのである。
もうひとつ、昔、某有名カメラマンの印度旅行の話を読んで感動したのを思い出した。それは、乾燥地にもかかわらず、村境のような所にあるこんもりした土塚のまわりだけうっすらと苔や草が生えていたそうである。どうやら死体を土葬したもので、その養分が苔やわずかの草を生やしたとの観察であった。日本も昔はそうであったに違いない。
チベットには鳥葬があるのだから、世界のどこかには蝶葬もあるかも知れない。そう思うと、集めた花菜をめがけて、どこからともなく揚羽が集まって来そうで恐ろしくなったが、それはまた再生への営みでもある。葬りが暗く寂しくならないのがこの句の幸いである。
多くから支持され、すでに第5句集の中原道夫である。彼は単純化とは異なる独自の俳句の世界を形成しようと試みているように思えてならない。
2001.01.18(Thu)
子規の言う写生とは情緒本意ではなくて、自分が見たもの、一回性のもの、そのものとのかかわりを詠めということを言ったのではないか。
今井 聖
■雑誌『俳句研究』20001年2月号/富士見書房
鳴戸奈菜、今井聖、小川軽舟による特別鼎談「感動の一句・年鑑自選句を読む」より。ただし、各自が「俳句研究年鑑2001年版」から一句を選ぶのでは無く、各自のベスト30くらいを持ち寄り合評した様子であった。
その中で私の好みのものは、嗜好順に、
やがてわが真中を通る雪解川 正木ゆう子
買初の花屋の水をまたぎけり 小島 健
七夕や若く愚かに嗅ぎあへる 高山れおな
どちらから手を離せしか星流る 鳥居美智子
であった。情緒的なものを選んでしまったかとも思うが、わかったふりをせず、現時点での私が素直に好いと思えるものである。1、2位の順位は難しいが、長く飽きがこないで楽しめるのは正木ゆう子の句であろう。人間の不可解さも感じられて。
2001.01.17(Wed)
かぞえることを知った人類は、やがて数には限りがないことに気づいた。どんな大きな数にも、その次の数が考えられるからである。
野崎昭弘
■『数学屋のうた』/白揚社
今手許に無いが、確か江戸時代の「塵劫記」には大きな数の呼び名が漢字で書かれていた。那由他や不可思議などいい名前だと子供心に思ったものである。
「それから?」とか「つぎは?」というのは「どうして?」と言う質問と同じように何か楽しい、ワクワクする夢や知識が得られる合言葉であったような気がしている。
無限や不可能で片付けてしまうよりも、もう少し先を見てみようとする欲があると、また違った発見ができると信じている。もっと単純でいいのではなかろうか。
しかし、単純と安易は同意語ではない。誰にでもわかるやさしい言葉だけでは表せない複雑な情緒や感覚、感情、事象が存在する。理解しようとする努力や基礎知識は必要であろう。
ETV2001『インターネット短歌の世界』、少しだけ期待していたのだが、しっかり肩すかしされ、退屈で半分うたたねしながら見てしまった。編集者の意図が浅薄とは言わないが、「グサリと心臓にくるような言葉」がなかったのが残念。
2001.01.16(Tue)
「だって、生きてて楽しい必要なんかあんのかよ」
藤原伊織
■雑誌『週刊現代』1/20日号/講談社/連載第20回「蚊トンボ白鬚の冒険」より
二十歳の配管工・達夫が年上の記者・真紀の質問に答えともならぬことばを発する。
独り暮らしで生きて来た主人公の思いであろうが、今の多くの若者達が言いそうな台詞である。藤原伊織は、スピード感のある短いセンテンスに載せて、複雑な人間心理を描写していく。
「楽しいことだってあるんだよ、君たち」と言ってやりたいが、生憎それを具体的に説明し、納得させることができるほどの経験を私は持たない。しかし、まわりの自然に眼がそそがれ、毎日違った事物が見えるだけで楽しいのである。あまりにも安易な生き方かもしれないが。
空気がぴんと張ったような寒さ、しかし、陽光が眩しすぎるほどの快晴であった。空気中の湿気が無いためか、遠方の山々の襞までが、はっきりと見えた。午後、北に連なる高からぬ山襞の影は、「仕事などお止めなさい」とでも言うようなやわらかい彩り。甘い誘惑につい負けそうになってしまう。
2001.01.15(Mon)
雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十
環境問題で地球は温暖化・・・のはずだから今年もなんて暖かいのだろう・・・と思っていたら、土曜日には雪を見ることができた。明るい空からだったので嬉しくなったが、テレビニュースでは金沢市内は15年ぶりの大雪とか。
この冬、まだ、一度も積雪を見ていない私は、なんだか羨ましくて仕方がない。もちろん、雪道を運転することを考えただけで、憧れが半減してしまうのだが、南国にいる幸せの中だからこそ、「雪っていいなー」と思ってしまうのである。しかし、長靴さえ持っていない私である、まず、雪国の生活は御辞退しておこう。
家人はしきりに「雪見酒」に執心の様子。京都の町家などで、雪見障子の向こうに降る雪を見つつ、熱燗を・・・という構図が頭をかすめるらしいが、酒は一合もいらない。ことの外、寒さには弱いのである。
2001.01.14(Sun)
シャトー・ペトリュスは、香りで圧倒するが、
味は、まるで京都の庭園のようだった。
村上 龍
■『世のため、人のため、そしてもちろん自分のため』/日本放送出版協会
村上龍と藤木りえの交換メールの記録である。書名の「そしてもちろん自分のため」が少し気に入った。
もちろん、帯カバーに印刷された「作家と風俗嬢の濃やかで刺激的なやりとり」のキャッチコピーや赤い表紙カバーの乳首をつまんだ指先のアップだけで「ガブリエル・デストレとその姉妹」の全体図を思い出させる表紙にも魅せられた。
パリのベトナム料理店で飲んだ2本のワインの話に口の中がムズムズした。ボルドーのポムロワールのワインコレクションで有名な店らしいが、味の表現に京都庭園が出てくるところが作家らしくて面白い。
これだけでは、「どんな味のこと?」といったところだが、こう続く。
全体に秘やかな花があるが、
本当にすごいものは背後に隠されている、
そういう感じで、無意識下に働きかけてきた。
是非とも、こんな美味しそうなワインを飲んでみたいものだが、高そうである。シャトー・ル・ゲは4種類に味が変化したとか。これもまたチェックである。
家人は、初釜で外出。
私は、朝風呂に入り昼寝、そして夜も風呂に入って何だかダラケタ一日をおくってしまった。高知市内は晴天に恵まれ温かな一日であったが、四万十川河畔はたいそう雪が積もっていたようである。
2001.01.13(Sat)
第一月将は時を加え、第二大歳は時を加え、第三月建は時を加え、第四行年は時を加え、第五本命は時を加える。
志村有弘
■『陰陽師列伝』/学習研究社
一昨年あたりから、安部清明や陰陽師に関する本が書店の一角を占めるようになってきた。抜粋は、平安時代の陰陽師、安部清明の占術書『占事略決』の「第二十二 一人の五事を問う法」の書き下しとのことである。
注釈によれば、月将は太陽宮、大歳はその年の干支、月建はその月の地支、行年(ぎょうねん)はその人の死んだ年、本命(ほんみょう)はその人の生まれた年(干支)である。
本名と本命、同じ発音である。つまり名前と干支が占術や生活に大きな役割を持っていたはずである。つまり、一千年以上、名前や家名を穢されることを恐れ、共同体の中で生きるすべを学んできた我々日本人にとって、個人主義を理解することは並み大抵のことではないはずである。
ちなみに、賀茂家は暦道、安部家は天文道の二流に分かれ陰陽道を伝えてきたと言われる。
この冬はじめて、高知市内で雪が散らつくのを見た。
2001.01.12(Fri)
父母の愛でましし花思ひつつ我妹と那須の草原を行く
明仁
■NHKニュース「歌会始の儀」/2001年1月12日より
今日の昼食時、テレビから変な声が聞こえると思ったら、午前中、皇居で行われた
歌会始の朗詠であった。今年の題は「草」である。天皇の歌は3回、皇后の歌は2回朗詠されたとか、まだまだ男女同権とはいかないものらしい。
しかし、語尾をやたらに伸ばす詠法は、それが正式なものであっても、もはや現代には通用しない時間の流れに思えてしまう。
ちなみに、取り上げた歌がいいとは思っていない。昨日の朝日新聞であったと思うが、大岡信が「折々の歌」の中で後鳥羽院の歌を取り上げ、歌の世界で天皇が民を思う気持ちを詠うのは独特のものである・・・と言うようなことがあったので、少し興味を持っただけである。
ちなみに、天皇には名字がない。昭和天皇は「裕仁」と署名していたようだが、きっと今上はこの歌に「明仁」と署名したに違いない。亡くなって追号があって始めて平成天皇と呼ばれるようである。もちろん、親が決めるようなものではない。
2001.01.11(Thu)
それは数学や自然と異なり、人間や社会が論理で組み立っていないからである。
藤原正彦
■新聞『朝日新聞』/2001年1月11日より
昼食のあいまに開いたページに、数学者が書いた「友への手紙4」が眼に留った。連載の中の部分だろうから詳細は不明であるが、何だか救われるような気持ちがした。
藤原正彦は、「どんなに素晴らしい主義や原理や教義も、それを徹底すると、必然的に矛盾に到達する」という。そうなのだ、ぶつかってばかりいるのは、何でも論理的に解決できると思っているからで、実際は根回しだの、裏工作だの、なだめたり、すかしたりしなければならないこの人間関係が矛盾だらけなのである。
物の二面性や多面性を大切にしなければならないとする数学者の頭の中が、数学嫌いの私にもなんだか共感できるようで嬉しかった。
明治生命保険の「2000年生まれ赤ちゃんの名前調査」(調査対象者8103人)では、男子「翔」、女子は「さくら」「優花」が多かったとか。でも、人と同じ名前なんてやっぱり厭ではなかろうか。それとも仲間が多くて安心するのであろうか。
2001.01.10(Wed)
しかし迷宮は、迷路とはまったく異質な存在なのである。それは人間存在の根源にかかわる何かを表しており、であるからこそ、世界各地のいたるところで人間の意識のおよばぬような遥かな昔から存在しつづけているのではないだろうか。
和泉雅人
■『迷宮学入門』/講談社現代新書
著者は「迷宮は迷路と異なり、中心にすべてを集中させる全体」ととらえ、知的ゲームに近い迷路と区別しようとしている。
例えば子宮的なものが迷宮で、口から肛門までの消化器官的なものを迷路とでも考えれば良いのであろうか。
私は牛頭人身ミノタウロスの出てくるクレタ島の迷宮ラビュリントスよりも、サハラ砂漠をこそ私の迷宮であるとしたエジプトの王(誰だったかしら)の考え方が好みである。
早朝、3時40分に目覚ましを掛け、皆既月蝕を見ようとしたが雲がありだめであった。寒い中やっと起きだし(このへんは意地)、絶対に見てやるんだとばかりに窓の外を見たり、わざわざ7階くらいまで外階段を登ったり、あの雲が切れたら見えるかもしれないと待ってみたり、20分近く外にいたけれど諦めた次第。
夜は俳句「銅の会」。新年始めての句会であったが、鷹1月号を全員持参できなくて輪読をやめ、ホッチキス(商品名でごめんなさい。みんなこう呼んでいるので。NHK出演者ならステプラーと言うのでしょうか)という方式の短冊回しによる即吟。しかし、みんなゆったりしたもので、締まりが無いと言うべきか、6枚がなかなか終わらない。私はおまけに5枚書いたので、11句作ったことになる。ただし残せるようなものは無かった。残念。
2001.01.09(Tue)
音楽も、もはや情報のひとつでしかないのかと思うと、悲しくてならない。
前原雅子
■雑誌『FM fan』/2001.No.2より/共同通信社
音楽産業となるためには、ヒットチャートが必要であり、またその評論家も活躍する場を与えられる。J−POPの中から20世紀最後の1年のお薦め10曲を選んだ評論家(ライターともいう)だが、自分が最も多く聴いたCDは「アルバレス・シングス・ガルデル」であったとか。
”Marcelo Alvarez Sings Gardel ”
確かマルチェロ・アルヴァレスはアルゼンチンのテノール歌手だし、カルロス・ガルデルはタンゴでしょう。J−POPは聴かないの、仕事以外では?
しかし、悲しんでくれる音楽愛好家がまだいる間はきっと大丈夫。下手な歌を聞かされ、騒がしいだけで面白くも何とも無いステージばかり見ていれば、確かにプロとアマの違いなどわからなくなってしまうだろうけれど、心に残る音楽を失いたくないものである。
2001.01.08(Mon)
今日は何だかゴロゴロしている。新聞も読んだし、テレビ映画も見たし、雑誌も読んだし。ただ、眼が疲れているのか、モニターを見つめているとしきりに瞬きが起り、文字に集中できない。考えたことをそのままキーボード入力する方が楽なのだが、画面を見ていると気分が落ち着かないので、安静をとって久しぶりのノート書き。
面倒な漢字はパソコン入力の際に修正することにして、気ままに筆を走らせる。しかし、進まない。どうもパソコンに慣れた頭は、筆先を見つめても考えをまとめてくれないようだ。慣れとは恐ろしいものである。
あまりパソコンばかり使わないで、時々、こうして筆書(そういっても、シャープペンシル)にすることにしよう。
夕方、はりまや橋近くの書店で家人と待ち合わせ。こんな時、案外、いろんな本を買ってしまう。一度読んで後はいらない本が半分くらい。そして、少し気になって参考用に手許に置くものが少し。その他、分類しにくいものも少し。この分類しにくいものをゆっくり時間を掛けて読み返すのが楽しみなのである。あまり紹介できないような類いの本、否、したくない本なのである。
昨日折れた傘の骨の修理を頼もうと思って「某デパート」に持っていったが、その場では対応できなかった。結局、梅が辻の傘屋さんの電話番号を渡されただけで、取次ぎもしてくれなかった。家人に「傘の骨なんて直す人がいないのよ」と言われたが、気に入った傘を長く使っていたいのである。
2001.01.07(Sun)
かつては風呂のある家の方が少なくて、皆、銭湯に行ったものである。
石川恭三
■『からだの歳時記』/集英社文庫
新しく沸かした一番風呂に入ると、体内のカリウムやナトリウムなどの大切な塩分が、浸透圧の影響で湯の中に出て行きやすくなるそうである。医学部の教授の言うことなので信じないといけないが、何だか少し大袈裟な感じもする。しかし、たった二人では一番風呂も二番風呂も大差ないのではなかろうか。私は後からゆっくり入るのがすきなのだが。
鉱山町の社宅で育ったため、子供の頃は会社が用意した社員用大浴場へ毎日通っていた。もちろん無料であり、銭湯などという言葉も知らなかった。三交代制の鉱夫の一の方(かた)の仕事が終わる午後4時が一番風呂をねらうチャンスであった。
しかし、一番風呂に入って水を入れようものなら大目玉を食うので、じっと熱湯を我慢しなければならず、苦行のようで、滅多に入ろうなどとは思わなかった。そして、冬の今頃など、風呂上がりの雪道を急ぎ、家に帰り着くまでにはタオルが凍って棒のようになっていたことなど楽しい思い出のひとつである。
俳句仲間8人で南国市の岡豊苑に吟行。苑内に温泉大浴場があるという話につられ、苦手な吟行会に参加することにした。2時間以内、10句出しとの制限であったが、まずゆったりと風呂に入り、身体をあたため、雨上がりの苑内を散策した。惜しむらくは、悪趣味の彫刻や絵が枯苑の風景を損なっていたことである。
見るべきは見き枯苑の百舌鳥が鳴く 郁摩
2001.01.06(Sat)
生たぬし春の畑のつむじ風
藤田湘子
マンションの玄関に短冊掛けを吊るし、季節ごとに手持ちの短冊の中から季節にあったものと取替えている。毎年正月には湘子先生の「初暦真紅をもつて始まりぬ」を掛けていたが、今年、家人が選んだのは「つむじ風」の句であった。
鷹35周年記念大会で頂いたものだが、「生たぬし」の一言によって、玄関に掛け毎日出会う句としては申し分のないものである。
床の間のない我が家では茶掛けの軸などかけることもないので、待ち合いにかけるような短冊が重宝する。色紙もたくさん頂いているが、色紙掛けを出そうとすると今度は大きな版画をしまうことになるので、今のところ短冊が気にいっている。あらたまった席を設けるならその準備が大変であるが、日常二人だけの生活ではシンプルでいられればそれでいいと考えている。
午後から半日遊び、疲れて帰ってきていい句に迎えられると本当に充実した一日が過ごせたような気持ちになる。午前中、朝寝坊していたことは、この際、無視することにしよう。親参りも終わり、やっと正月休みに入ったような気持ちになっている。
2001.01.05(Fri)
わたしたちは日本語の文を話したり、聞いたりするとき、直感的にハとガの違いを区別して、文の微妙な意味の違いをすばやくとらえる。
森本順子
■『日本語の謎を探る』/ちくま新書
俳句や短歌では助詞の「てにをは」が大切であるとよく言われる。
もちろん一般の会話や文章でも重要なことに変わりはないのだが、それほど深く一語の助詞に関わるより、全体の内容や気分が伝わっていればいいだろうと、使い方が間違っていることに気付いたとしても意味を汲み取り、いちいち相手に指摘しないのが分別のある大人と言うものらしい。
ところが、なんとなく子供のときから日本語を使ってきたために、使えてもその違いが明確に説明できない場合が多いのである。確かに直感的と言えるほど瞬時に選択しているのだが、後から読み返してみると「は」でも「が」でも意味が通じ、自分ですらどちらのことを言いたかったのか悩んでしまったりするから、ますます話をややこしくする。
主文には「ハ」、複文には「ガ」なんていう大づかみの指針も実践では少し役立ちそうである。しかし、新世紀の挨拶がうまくできなくて何度か恥ずかしい思いをした。本当に言葉は難しい。
2001.01.04(Thu)
「Untitled #15」1999年
野口香子
■雑誌『MADO 美術の窓』2001年1月号/生活の友社
美術系の雑誌はめったに買わない。定期購読している季刊「プリンツ21」くらいのもので、まず立読みですましてしまう。画集を買うことはあっても雑誌はあまり参考にならないからだろうか。あるいは、買いはじめるときりが無いからというのも一つの理由かもしれない。
巻頭特集「女流元年」と題して編集部が選んだ80名にアンケート、そのうち69名から回答があったとのこと。その中で目にとまった作品写真は、4cm四方の小ささで印刷された1970年生まれの若い作家のものである。女子美術大学日本画科卒の肩書があるので日本画なのだろうが、この大きさではまず判別できない。
しかし、抽象の形と抑えられた色調、絵の具を叩き付け、あるいは流れ落ちたような流動感はこの絵の前に立って実物を鑑賞してみたい気持にさせるものであった。もちろん実物を見て落胆することもあるだろうが、好きな美術家が「長谷川等伯」、好きな映画が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」なんて答えるところも惹かれる要因であった。
今日から仕事に取りかかった。頭がまだ正月気分でどうもいけない。明日働けばまた休みというのも回転が上がらない原因かもしれない。
2001.01.03(Wed)
永和九年 歳在癸丑 暮春之春
王 羲之
■雑誌『墨』2001年1・2月号/芸術新聞社
2年ほど前であろうか。テレビで故宮博物館の収蔵品の紹介を見ていて、たまたま目にした字に惹かれ、後で調べてみようと思っていたのだが、「じょらんてい」なんていい加減な覚え方をしていたため、さっぱり見つからなかった。確か「蘭」の字があったと思ったのだが、それらしい題名の中国法書選など広げてみてもどうも違うようで、心奥にひとところ靄がかかったようでもあった。
愛媛の実家から高知市へ午後帰着。一年の最初の買物は本が適当であろう、と新しくできた書店へ直行。たまたま雑誌コーナーを覗いていたら「蘭亭序」と表紙に印刷された雑誌を発見。書道愛好家を対象としたものに違い無く、普段はまず手に取る機会のない類いであるが開いてみると確かにそれと思しき字が掲載されていた。
書家なら誰でも知っていて当然(必須の手本)のような有名なものらしく、中国の書聖・王羲之(おうぎし)が蘭亭で遊び、友人達と作った詩の序文を書いたものの臨書(コピー)とのことであった。私が探していたのは、『虞世南臨蘭亭序』(蘭亭八柱第一 張金界奴本)と呼ぶもの。あまりにも有名なためコピーのコピーまでもが出まわり過ぎて、うろ覚えの名前では分からなかったわけである。
さて、本物はいったいどのような字であったのだろう。
2001.01.02(Tue)
いずれにせよ、現行の暦本に示されている凶日のみをとってみても、一年のうち吉とされる日は極く限られた数しかないといってよい。
■『こよみ事典』/川口謙二、池田孝、池田政弘/東京美術選書
甥が彼女と「日和佐参り」をしてきたとのことであった。母の厄抜けのためというから見上げたものである。
ついでに自分達も御神籤を引いたところ、彼女が「凶」と出たため、引き直して「小吉」にしたとの尾ひれまで付いていて笑ってしまった。
御神籤の中に入れられる「大吉、中吉、小吉、凶」の割合はどんなものだろう。果たして4等分なのだろうか。中には「大凶」や「中凶」も混ぜているのだろうか。これまで続けて御神籤を引いたことがないので思い至らなかったが、頭の中にヒストグラムやパレート図が浮かび、「正規分布かしら?」などと仕方のない妄想が駆け巡り、神をも恐れぬ統計学にもう一歩で陥るところであった。
しかし、確かに暦の中で「吉」が重なる日は極端に少ない。だからこそ、「暦の各段を縦に見て全部の段が総て吉日となる日を探すと云う事は邪道であり」として、各人に都合の良い見方をせよと教えているのである。それでも御神籤を続けて引くのはやはり邪道だろうか・・・。
高知から愛媛への高速道路(制限時速70Km)はトンネルばかりである。山間部では、みぞれまじりの小雨であったが、昨年ほどの渋滞はなかった。
2001.01.01(Mon)
砂漠を見渡せるようになってすぐ、あっと気づいた。これは、「地上絵」ではない!「線」なのだと。
海部宣男
■『宇宙をうたう』/中公新書
小さなセスナ機が緑美しいナスカの町から飛び立つとすぐ、赤い石の砂漠に記された「ナスカ・ラインズ」を著者ははっきりと確認したのである。
私のパソコンのディスクトップ・パターンは購入以来「ナスカの地上絵(ハチドリ)」である。数多い図柄の中でも、なぜかこの俯瞰的視角と地味な色彩が気に入っている。なぜこのような途方も無い大きさのイメージを地上に描いたのか不明であるが、その謎が想像力を刺激してくれ、また魅力的なのである。
この二万本にものぼる消えかけた直線と三角形の製作者たち、プレ・インカの人々は文字を持たなかったと言われる。彼らは何を伝えようとしたのだろうか。
2001年、新世紀となった。しかし、昨日と変わらぬ時間が流れている。この時間を変えようとする意志を持ち続けない限り何も変わらないのだと自分に言い聞かせている。
2001年 1月 |
2000.12.31(Sun)
他者の死に支へられつつわれに落ちくるは血紅の侘助椿の花
塚本邦雄
■『玲瓏』第47号/玲瓏館
20世紀の最後は、やはり愛する塚本邦雄で締めよう。
私にとっても「他者の死に支へられつつ」の思いが濃い一年であった。死を、ただ悲しいものとして受け入れ嘆くだけではなく、その他者の命に支えられ今の我が在ると感じること、そして、それを次世代に伝えることが大切なのだと心しよう。
俳句も短歌も、最近は工芸まで、あまり不吉な作品や題名は避けようとしている。玄関に掛けて、迎える人達に幸いを感じて頂ける作品を創作したいと考えているためである。かつては直接的に不幸を示し、反逆的に幸せを無駄にしないで欲しいと示そうとしていたのだから、大きく思考方法が変わってしまったものである。これは俳句を作り続けた恩寵とも言えるが。
しかし、今でも安易な幸せに安住するつもりはことさらない。塚本邦雄のような歌が詠えるならば、そんなものは捨て去ってもいいのだが、それができないとわかっているから別の方法を試みようというだけなのである。「いたわりの詩人・塚本邦雄よ、永遠に吾が心に生きよ」
紅白歌合戦には目もくれず(最初だけ、夕食時間にちょっぴり見たが)、書きたまったこの日誌の整理とサイトの整理に時間を費やすのが今年は相応しい。
私にしては珍しく飽きないでこの日誌が続いている。カウンターを付けたために、読んで下さる方がいることがはっきりして、それが大きな励みになっていることは隠せない。やはり、一人よりは二人、二人よりは三人というのが欲というものなのだろうか。しかし、最終的にはただひとりの人でも読んで下さるなら幸いとしよう。このページを開いて下さった方に心より感謝申し上げます。
2000.12.30(Sat)
えどむらさき・えにし・エニシダ・エネルギー 風がめくりて行きし辞書なり
上島妙子
■歌集『茉莉花の蔓』/砂子野書房
今年も多くの方々から雑誌・機関誌・同人誌、あるいは御著書を恵贈頂いた。それらすべてに、お礼状が出せないままで心苦しい限りである。ここに記してお礼の気持ちがあったことだけは伝えておきたいと思う。(出せなかったことが悔やまれるが)
上島妙子さんのお名前とお顔が一致しない。『玲瓏』東京歌会に御出席であったとのこと。私は短歌を作っているが、残念ながら未だに一度も歌会に出た経験がないのである。宮中の歌会始めの儀式をテレビで見て、なるほど、短歌とはあのように詠唱するものかと知る程度で、もっぱら文字のイメージが頭の中で膨らむのである。
したがって、自分が作る時はその反対に、沸き上がったイメージを言葉に置き換えるだけなので、ひたすらイメージを待つことになる。このイメージは啓示のように突然現われ、次々と映像をむすび、描き留めなければ消えてしまう儚いものたちである。
「えどむらさき・えにし・エニシダ・エネルギー」と選び取る感覚。叶わぬ恋、過ぎ去りし想い、神の恩寵、いのちへの愛がこともなく並べられ、それが歌になる不思議。人の縁とは本当に不思議なものである。
カンヌ国際映画祭パルムドール(金賞)の文字に引かれ、映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観たが私の好みとは大きく離れたものであった。アメリカ人監督であればまた違った表現になったであろう。星条旗が泣いていた。
2000.12.29(Fri)
「命」というのは。冠を着けて跪いた人が天の啓示を待つ姿と祝祷の器つまり神の啓示であり、「名」は祭肉と「のりと」を献げた共同社会への加入儀礼の姿である。「名」は天から来る。
石川九楊
■『書字ノススメ』/新潮文庫
かつて武士には、幼名と成人名があった。つまり共同社会への参加のためには、後見人などからの名付けが必要とされたためでもあろう。
今は戸籍名がそのまま成人しても使われているため、共同社会への加入儀礼もあやふやでよいということか。「名」の力が弱まれば形が崩れるのは当然と言えよう。
正月も近いことなので散髪。伸びてはいたが揃える程度のカットで済ませてもらった。快晴の空を渡った真っ赤な夕日が沈むと、しばし山際が虹彩を放ち、静寂の暗闇に包まれると、四日の月が惑星を従えて空にかがやいた。
2000.12.28(Thu)
思えばデヴュー後一作目で担当さんにナイショでロットリングですべてのペン入れをしたあの頃から
楠本まき
■コミック『耽美生活百科』/集英社
漫画家が自分を描く時、その多くは自虐的、あるいは茶化した表現をとる事が多い。楠本まきが自分を描けば、「危ない麗人」として何ら問題ないはずであろうが、かなり控え目である。そこが、耽美生活者になりきれない作者の弱さであろうか。
最近、書店で立ち読みできないでこまるものがコミックである。ある時代の写真集のように、ことごとく透明ビニール帯に包まれ中が見えない。(きっといかがわしい内容が多いからに違い無い)しかし、漫画家の描く絵や線に好みが強い私は、これでは買う意欲がことごとく失せてしまう。100冊手にとって、許せるのは3%ほどに過ぎないのだから当然のことと言えよう。
この本をなぜ購入したか。著者の画風を知っていたことと、装釘が題名と共鳴していたためである。私は変な漫画愛好家である。ストーリーもさることながら、漫画の罫線(写植を用いた線ではなく)のはみ出し具合を楽しみ、墨の配分やスクリーントーンの使い方に感心し、描かないで何を描いて見せてくれているのか、その空白や枠外を想像し、それだけで十分満足できるのだから。
暇さえあれば製図用カラス口を砥石で研いでいたデザイナーの職人技に感心し、ロットリングの始めと終わりの点の太さの均整美に見愡れていたことが懐かしい。
とりあえず、今年の仕事は本日で終了とした。やり残したことばかりではあるが。
2000.12.27(Wed)
伊東さんは、しかし、これいいです、飽きがきませんと言ってくれた。自分で言うのはおかしいのだが、飽きがこないというのは本当だった。
山口 瞳
■『行きつけの店』/新潮文庫
国立駅近くに、今も「ロージナ茶房」がある。俳句を作り始めて間もない頃、東京で半年ほど過ごす機会があった。折角だからと言ってT女史に誘われ、毎週、鷹俳句会の仲間が集まってくれたのが、このロージナ茶房であった。
記憶とはあやふやなもので、毎回、階段を地下へ降りて行って、広々とした船内のようなスペースでこころおきなく句会ができたと思っていた。しかし、ある上京の折、ふらりと立ち寄ってみれば、それは2階への階段であった。いつも集まるのが夜だったためだろうか、階段を降りた記憶だけがやけに鮮やかに記憶されていたのである。
私は自分で完成させた工芸作品に、30分もしない内から飽きがきてしまう。だからまたもっといいものを作ろうといつも思い続けてきた。しかし、『あの作品をもう一度見たい』と思う気持ちが、その作品の優劣の一つの基準であるとも考えている。いいものは、もう一度見たいし、確かに飽きがこないのである。奇抜で面白いものは、一時は感動もするが、見る度にその驚きが小さくなっていく。
作家が手放したがらない作品というのは、飽きのこないものだけなのかもしれない。私の手許を離れた数々の作品たちは、今はどうなっているだろう。
2000.12.26(Tue)
牡蠣を食ふ何たる時間不足かな 藤田湘子
(俳誌鷹2001.1月号より)
「何たる」と呟くところが湘子俳句の魅力。詠嘆のその重さがずしりとのしかかる。人それぞれに生き、あらゆる場面で時間不足を嘆いてきたに相違ない。試験、恋愛、就職、旅行、しかし、命の長さを途方もなく長くすることは不可能である。遣りたいこと、試みたいこと、アイデアが次々と沸き上がり、まだまだ欲がある。
師から見放され、俳壇勢力とは一線を画し、胃癌を克服し、主義主張を曲げず、挑戦し続けて、今なお開拓すべき俳句の荒野が眼前に広がっていると感じているのであろう。また、自分の手に入れた技法をおしげもなく開陳し、できるものならやってみろと叱咤激励する。
俳句や弟子にかける決意の強さがその裏に潜んでこその「時間不足」なのである。
2000.12.25(Mon)
戦地に赴いても生還する兵士があり、原爆が投下されても、生き残る人が現れる。誰も知らない間にノアの方舟が用意されている。
山内雅夫
■『占星術の世界』/中公文庫
占星術の矛盾は、三次元の立体空間を、二次元の一枚の天宮図の上に表現しようとすることから起きていると言われる。しかし、コンピュータを用いて三次元で表現できたとしても、では時間軸はどうなるだろう。蝶の羽ばたきひとつで天候が変わってしまうような多項目の条件を満たせば矛盾は起らないというのだろうか。
運命は平等ではない。しかし、科学では割り切れないような世界があるからこそ、救われるかもしれないと思うひとかけらの希望が残るのである。
言葉を知らぬものたちにも、自然淘汰と種の進化があるように。
2000.12.24(Sun)
あれかこれか、右か左かという選択をせまられたとき、人は自分の評価基準に基づいて決定を下そうとするだろう。評価基準は複数個あるのが普通であり、しかも互いに利害が相反する面をもっている。
刀根 薫
■『ゲーム感覚意志決定法』/日科技連出版社
人生のあらゆるところで選択にせまられている。そして、あの時、あの選択さえしなければと後悔している人が何と多いことだろう。私は自分の選択に後悔はしないことにしている。すべて天命。後悔してももはや手後れとわかっているから、自分を惨めにしないために、過去は速やかに忘れてしまうことにしている。
「だからダメなんだよ。もっと深刻に反省しないから、また同じ失敗を繰り返すんだ・・・」というもう一人の自分の声が聞こえないわけではないが、これだけは性格、そんなに簡単に変わるものではない。
第45回有馬記念、サラ系4歳以上。予想どうりの展開。残念ながら、これが一番嫌い。もちろん、美しい馬、強い馬が勝つのあたりまえなのだが、一番人気とは誰もがみとめる才能や力であり、他人と同じ視点でしか見えないならば、自分の存在が不用と思えてくるのである。嫌な性格だとは解っているが、やはり面白さのない人生は送りたくないのが真実。
テイエムオペラオーやメイショウドトウが嫌いなわけではない。480Kgの馬が体力的には負けている馬達を抜き去るのである。5歳にして、1,399,963,000円の獲得賞金、さてこれから何連勝してくれるだろうか。老いても強く走り続けて欲しいものである。
2000.12.23(Sat)
最近は競馬場に彼女を連れてくる若者が多いんだけれども、それじゃ絶対に負けるよっていうのも、よく考えてみれば実は非常にわかりやすいことだと思うんです。
浅田次郎
■『競馬どんぶり』/幻灯舎アウトロー文庫
邪心を持つと、きっとダメになる。わかりきったことである。しかし、その邪心による失敗こそが次への飛躍に繋がることもある。まず、失敗のもとは女性であり、馬でも読めないのが牝馬である。牡馬でさえ、そばに牝馬がやってくると実力を出し切れずズルズルと崩れてしまう。頭で分かっていても本能までは抑えきれないということであろうか。
まわりをみまわすと、確かに女性のほうが勝負運が強いように思える。邪心が少なく、まわりなど気にせず、自分の信じる道をまっしぐらに進む集中力が強いからに違いない。
めまぐるしい天候の一日であった。曇り、晴れ、夕焼けの茜を小雨が覆い隠し、心変わりの多い優男のような。さて、明日の有馬記念は何を買おう。
2000.12.22(Fri)
温泉街などのまんじゅう屋さんには、店先ののれんに「まんじゅう」と染めてある店と「まんぢゅう」と染めてある店がある。
■『腕の違いがズバリ!わかる本』素朴な疑問探究会[編]/河出書房新社
私は「酒飲み」というより「お茶飲み」である。もちろん酒も嫌いではないが、美味しい緑茶と和菓子には目が無い。今では、コーヒー、紅茶、ココア、日本酒、焼酎、ビール、ワイン、リキュール、ウイスキー、ブランデーと何でも平気で飲むが、それは美味しい緑茶がなかなか飲めないからに他ならない。
玉露や抹茶もいいが、値段ころあいの煎茶で美味しいものを落ち着いて飲めると十分満足する。こんなときは、確かに「まんじゅう」より「まんぢゅう」である。
2000.12.21(Thu)
ラテン語で canis「犬」、piscis「魚」は男性であるが、同じ -isをもつ avis「鳥」、puppis「船」は女性である。ということは、この性の区別はそのまま受けいれるほかはない事実であり、変えることのできない伝承なのである。
風間喜代三
■『ラテン語とギリシア語』/三省堂
世の中には「何故?」と尋ねても答えが明解に得られないものがたくさんある。本来何か理由があってそうされてきたり、そう呼ばれてきたものであるはずなのだが、今となっては誰も覚えていないような、あたりまえとされるようなものがあまりにも多いのである。
しかし、記憶力の弱い私など、できればその理由や規則性を教えてもらって、必要なときだけそこから類推したいと、安易な道を選ぼうとするものだから躓いてばかりである。もちろん、失敗しないための「おまじない」と言って教えられても、その呪いさえ忘れてしまうのだから始末に終えない。
21日は冬至。毎年、柚子湯に入るのが習わしであった。今年も大粒の柚子を2個手に入れ、しっかり柚子湯に浸かるつもりでいたのに、仕事をしないで遊んでいたためか、すっかり明日だと思い込んで入りそびれてしまった。22日に入ったのでは、その効果が半減してしまいそうだ。残念。
2000.12.20(Wed)
時雨やみほのと暖かなりしかな 高浜虚子
ふと気付くと愛機のPowerBookのバッテリー残量が30分を切っていた。コンセントに繋いでいたので減るはずはなかったのだが、これはおかしい。否、ヤバイと言うべきか。このままでは立ち上がらなくなる。あわてて、AC Adapterを調べたり、コンセントの差し込み口を調べたり。毎日コードを堅くくるくる巻きにしていたため断線してしまったのかもしれない。
急遽友人のところに持ち込み、テスターで調べてもらったが、やはり断線状態。応急にハンダ付をしてもらったが、そのためにプラスチック部分を破壊してしまったので、元のようには使えない。
専門店に電話しても同じものがすぐ手に入る様子もなく(早くて正月開け以降になるとのこと)、結局、円形のPower Adapterを購入することになってしまった。高い。欲しいのは断線したジャックコード部分だけでAdapterなど必要ないのに形状が異なり使えないのだ。頻繁なモデルチェンジのためだが、それらにも対応した部品供給体制だけは構築して欲しいものである。せめて7年くらいは今の愛機を利用したいと思っているのである。あと4年、大丈夫かしら。
虚子は「俳句も文学になりましたか」と言ったそうだが、残された俳句は7年どころか永遠にのこっていきそうである。短い語句を口から発し、耳で聞き取り、いいなーと思い、また繰り返す。俳句の部品のひとつが季語なんて言わないで欲しい。
2000.12.19(Tue)
色は感覚である。そこでニュートンは、「言うなれば光線には色はない。光線には、それぞれの色の感覚を起こすある種の力と性質があるだけである。」と言った。「光線に色はない」とはニュートンの名言である。
金子隆芳
■『色彩の科学』/岩波新書
たとえば、赤いと感じる色を他人とどれだけ共感できているのか、はなはだ疑問に思っている。人間であり、日本人であり、同じような遺伝子配列から視覚細胞や視神経ができているとしても、色の認知は成長過程で親やまわりの者から、「こんな色を赤と呼ぶんだ」と教えられ、そう言っているだけなのだから。
そんな不具合を何となく感じるようになったのは、近眼の眼鏡やサングラスが必要になってからのことである。確か小学1年の時は、視力2.0。高校時代から夜型の生活をおくっていたためか、大学からは眩しさよけのサングラスを愛用。
サングラスを掛けて絵を描いても、赤い絵の具は赤く、赤い木の葉は赤く見え、それが自分の世界の色なのであった。ふと目のゴミを払うために眼鏡をとると、少し色鮮やかな世界があり、隣の男は私と違う色を赤と呼んでいるのかもしれないと不思議に思えるのである。
視力の衰えを補うためやや強度の眼鏡に変えてみると、これまでより遠くのモノの輪郭がまたはっきりと顕ち現れてきた。しかし、色が変わるほどのものではない。色彩判別能力視覚検査を行えば、私の見えない色を感受している幸せな人間がたくさんいるに違いない。それが、聴覚における雑音のような雑色であったとしても。
2000.12.18(Mon)
円盤のカマンベールをほおばれば四面楚歌なり二人の秋は
森田志保子
■雑誌『短歌研究1月臨時増刊号』創刊800号記念/短歌研究社
うたう作品賞受賞作「風の庭」より。インターネットを利用した作品募集や候補作選考、選者との双方向性の試みなど、21世紀にむけて短歌新人賞のあり方の模索もうかがえる増刊号である。
30〜50首均一な秀作を並べることは容易なことではない。ならばその中に少しでも可能性の秘められた歌や作者を捜し出し、声をかけることによって作歌意欲を高めていこうと考えた結果なのだろう。こころやさしき選者たちなのである。総合誌といえど、ただ落すばかりで話題性がなければ、応募者が集まらなくなったのだろう。
私の選んだカマンベールの歌は、森田志保子の中では短歌的に出来過ぎていて平凡かもしれない。しかし、「円盤のカマンベール」は可笑しいし「秋は」の結句は何か感じさせてくれるものがあった。
江東区を初めて地図でみたときのようこのひとを護らなくては
雪舟えま
このような歌もあった。なぜ江東区かは解らなかったが、上京前に地図でも広げた時を思い出したのだろうか。しかし、江東区って面白い。さて、護られるのはだれ?
日曜日に降り続いた雨で、木々の枯葉がすっかり落ちてしまったようだ。見上げると枝の隙間が淋しそうであった。久しぶりにバイオリンとピアノの音色を楽しみ、そして岩手産生牡蠣を堪能。
2000.12.17(Sun)
そして、全くの私事だが、ペンネームをここから採ったので、是非一度改めて読んでみたいと思っていた。
水原紫苑
■『空ぞ忘れぬ』河出書房新社
何と記憶のあいまいであることよ。一昨日、立ち読みした本を「空ということ」だったかと描いたが、市内の本屋で背表紙を見て恥ずかしさが込み上げてきた。深謝。
水原紫苑−>能−>世阿弥−>花伝書−>空(くう)といった連想が強く作用していたようだ。
水原紫苑−>短歌−>馬場あき子−>式子内親王−>ほととぎす−>空(そら)の連想で「空ぞわすれぬ」に到らねばならなかったようだ。しかし、これも楽しい。
忘れねば空の夢ともいいおかん風のゆくえに萩は打ち伏す 馬場あき子
時鳥そのかみやまの旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ 式子内親王
著者のペンネームは石川淳の小説『紫苑物語』から採ったとのこと。少し理解が深まった。この名前や花への思い入れが、似た感性の持ち主をその磁場に引き付けてやまないのであろう。
2000.12.16(Sat)
「両界(両部)マンダラ」の基本的なイメージを図解してみると、円形または方形に区画された場所、あるいは空間を想定することができる。
真鍋俊照
■『マンダラは何を語っているか』講談社現代新書
曼陀羅とはあの壁に吊るした仏像が一杯描かれたの掛軸のこと、平面の円や四角で表わされた、少し違ってもチベットの僧侶が色砂で描き、もったいなくも完成すれば消し去るものくらいにしか思っていなかったので、直方体や半円球、円柱、円錐の図を見せられると、少し新鮮であった。
以前にも立体化された伽藍配置などの図は知っていたが、それはあくまでマンダラに似せて伽藍を建築したに過ぎないとさほど気にも留めていなかったのである。
悟りの本質、目に見えないはずの仏性を「かたち」にあらわそうとするのだから、どこまで信じていいのか解らないが、どうも平面よりも立体のほうが面白そうだ。さて、時間軸はどうやって表わすのだろう。悟りには時間軸も消し飛んでしまうのだろうか。
何だかゆで卵を半分に切って、ぱくっと一口に食べたい心境になってしまった。色、匂い、音楽、それらも含まれるに違いない。性欲ももちろん。
私のまわりの自然は、すこしずつ空気を冷やしているようだ。運動不足を何とかしなければ。信号ひとつぶんの散歩だけではカロリー摂取過多から抜けだせない。
2000.12.15(Fri)
浜松町貿易センタービル別館の大型書店、詩歌俳句コーナーで時間待ちの立ち読み。驚いたことに歌集1冊、句集2冊くらいしか置いていなかった。入門書や解説書はあるのだが、文芸としての作品集がなくては始まらない。
毎月、私の手許には数冊の歌集や句集、関連誌の贈呈があるが、限定300〜500部くらいの印刷のものがほとんどである。そこで、一般書店になくても大型書店なら何か興味深いものが手に入るだろうと思って期待したのだが、この書物の山のなかにたった3冊くらいしかないとは侘びしいものである。
やはりこれからは「インターネット詩・歌・句集」にして専用サイトから検索できるようにするか、Web詩歌館から見本作品を閲覧後、気に入ったものがあればPDF形式の作品をダウンロードできるようにする必要があるのではなかろうか。
水原紫苑の評論集を手に取りながら買いそびれてしまった。確か題名は「空ということ」だったろうか。検索して購入しよう。
2000.12.14(Thu)
前世にも日向ぼこりに飽かざりし
相生垣瓜人
仕事で上京した。1年に何度か上京するが遊びのほうが多い。さすがに3KgもあるPowerBookを持っていかなければならない仕事ではなかったので助かったが、空港の所持品検査で鞄の中の3cmほどのスイス製のアーミーナイフが発見された。これまで一度も咎められたことのなかったもので、小さな鋏が付いていて重宝していたのだが、必要がなければ本人さえも忘れていたようなものである。
初めは爪切のようなものとX線に捉えられたらしいが、爪切は常備してはいないのでワインオープナーのことかとも思われたが、これは羽先が円形の回転式のものなので問題ないとのことで、鞄の底を掻き回された挙げくがナイフであった。
しかし、何千個と通る鞄の中から、こんな小さなナイフを発見するとは、検査官の仕事とは大変なものである。私には到底勤まらない仕事、前世から日向ぼっこの好きな人種なのである。
2000.12.13(Wed)
それがこの明るい三角形のはなし。サン・テグジュペリ自身の筆になる表紙が、まさにこの星空なんだそう。本棚の奥から引っ張り出してみると、なるほど輪っかをつけた星と大きい木星っぽい星と、丸い星の三角形が描いてあった。
蓮見暁
■インターネット『彷徨』2000/12/6 より
私の愛読する蓮見暁さんの日記ページに星の話が載っていた。木星、土星、そして牡牛座の一等星アルデバランによる三角形とのことである。
昨年買いそびれた岩波CD−ROMブック「星の王子さま」をたまたま書店で見つけ買って帰ったが、残念ながら表紙の絵は違うもののようであった。3次元アニメーションを利用した新しい表紙にもそれらしき片鱗は見えるが、中の絵本からは星が消えてしまっている。
しかし、CD−ROMを私のMacに挿入し、起動させてがっかりしてしまった。予告編で見た時は面白いと感じたアニメーション手法がうるさく感じてしまうのであった。今の子供たちは、このCD−ROMをあやつりながら大人になっていくのであろうか。マウスをクリックするなど能動的であることと、物語の行間を読む時間を大切にすることの間には言い知れぬ深淵があるに違いない。
2000.12.12(Tue)
「夏井いつきにくれてやった賞金は無駄ではなかったと言っていただけるだけの活動や作品を残していきたい」と、授賞式のスピーチで思わず言ってしまったので、せめてその言葉だけは守ってゆかねばと思っている。
夏井いつき
■雑誌『俳句研究 年鑑2001年版』富士見書房
角川の俳句年鑑を取り上げたのだから俳句研究の年鑑も取り上げねばとページをくったが、さて、あまりにも読み物が少なすぎる。毎年同じ企画で年鑑としての普遍性を持たせることも大切だろうが、原稿の依頼方法があまりにも画一化しすぎているのではなかろうか。作品展望と題した俳人年代別鑑賞では執筆者の意見が少なすぎるように思えた。また、「今年のトピックス」6人の執筆者に与えられたのはたった1ページである。これでは深い思索など表現しようとすることもできない。もったいない話である。
「第五回 中新田俳句大賞」授賞式のスピーチとのことである。プロゴルフや競馬にくらべれば雀の涙ほどの賞金であろう。それだけ観客動員数が少ない(一般社会人からの注目度が低い)のだから仕方ないことではあるが、スポーツとは異なり文化とはきっとそういうものなのだろう。現世利益を求めるには寂しいことであるが、賞金ではなく賞が「無駄でなかった」と言われる作品や評論、活動に期待したい。
2000.12.11(Mon)
なにかの折に頂戴した私信を綴ってゆくと、飯島晴子がとうに現俳壇の諸現象に失望していたことがわかる。いまの俳句の状況には、たしかに文学文芸の世界のこととは思えないような妙なことが多々ある。
宇多喜代子
■雑誌『俳句年鑑2001年版』角川書店
巻頭提言「一年を回顧して」と題された宇多喜代子のとらえた飯島晴子の死と、この四十年の女性参加俳句の時代に対する感じ方には少なからぬ共感を覚えた。
飯島晴子の俳句を読まず、藤田湘子先生にめぐり会っていなければ今の私はいない。川端康成の死を受け入れた時と同じように、私の受けた晴子の死の衝撃は、後から俳句研究の独占取材記事を読んだ時のほうが肚から込み上げてくるような強い悲しみに襲われた。
しかし、哀しみは哀しみにしか過ぎない。私が晴子から与えられたものは、文学文芸の世界と自分を信じる力であり、得たものを自分一人のものとして満足して終わらないということなのである。現俳壇に失望しても、俳句に失望する必要はない。
2000.12.10(Sun)
時雨。昨夜の酒がまだ尾を引いていたためか、目覚めがすっきりしない。見るとはなく窓の外の電線に目をやると、白い水滴がふぞろいに現れ、ある大きさに達すると落下していく。ただそれだけのことである。しかし、白く膨れ、並び、落ちていく繰り返しに見愡れてしまう。雨がさほど強くなく、凝視しなければ見えぬほどの降りようなのが幸いしているようである。
雨粒というより天粒と呼ぶべきものか。白い頼り無い存在でありながら、ある輝きをもって一時そこに確かにある。しかし、数分もしないうちに、それが天命でもあるように落下していく。まさに命とはそんなものなのだろう。生まれ、落ちるまでのながさは、あるものにとっては永く、そしてまた短くも感じるものなのだろう。
午後から少し曇り空となり、夕方にはかなり明るくなった。
日没後、幻想的な夜が訪れてきた。
峠に車で登ると、4時半頃、雲の向こうで夕日が沈みはじめる。夕日は見えないが、雲の色でそれと察っせられる。日没であたりが急に暗くなっても、西空には茜色が横に棚引き、眼下の市街地を霧がおおい隠し、山の稜線だけが霧から突き出して黒々と低く連なり聳える。ふり仰げば月が高く登り、脇星を従え白く輝いている。
雲海なのか霧なのかと疑っていると、急速に霧が立ち上りはじめ、こちらへと広がりはじめ、まわりの建物も車も草木もおおい隠してしまった。車のヘッドライトの軌跡だけが霧を薙ぎ払う。月は霧の中に浮いている。頼り無い明るさである。
峠を下り始めると、急に霧がはれ、市街の夜景が眼下に広がり、あの霧の後もない。月は輝きをとりもどし、丸く丸くなっていた。
2000.12.09(Sat)
理屈で知っている「水平線」の存在、つまり「そこに見えているものが、そこに無い」という原理を、ただひたすら、そこに在ると信じきれる力が、生を生たらしめる。
長澤忠徳
■『インタンジブル・イラ』サイマル出版会
信じる力の強さが生命力の強さと一致するのでは無いだろうか。デザイン・コンサルタント、長澤忠徳の世界に一歩足を踏み入れると、見えないものの力、触れられないものの力を感ぜられずにはいられない。
水平線を追いかけて、夢を失わないこころこそが、新時代を開く扉へのキーワードではなかろうか。
2000.12.08(Fri)
私はそんなことを余念しながら、その夜、知己へ投函する暮れの消息に、植物園からもち帰ったフウの落ち葉を忍ばせた。
松本章男
■『京都 花の道をあるく』集英社新書
京都の落葉樹のなかでは、マンサク科の落葉高木、フウが紅葉の掉尾を飾ってくれるそうである。今が見頃ではなかろうか。
いつでも旅行できると思っているためか、足が遠のいてしまうことがある。京都など行こうと思えば航空機で日帰りできる距離にある。しかし、そう思うこころとはうらはらに、やはりあてなくふらふら歩いてみたい思いが強い。
観光地としてではなく、庭先の花や樹木、苦味の強いコーヒーを求めあてなく歩くのが好きなのである。目的を持つとどうも縛られてしまうようで、紅葉を見ても「この紅葉を見るために来たのだから美しくてあたりまえ」となって、賞賛の気持ちが何割か少なくなってしまうような気がしてならない。
土日ではなく平日、いや曜日も忘れてしまって、北へ向うのが楽しい。
2000.12.07(Thu)
暖かさが腹立ちを溶かして少しの悲しみに変えてしまうこと。単に良い酒を置いている店には、この芸当はできないのである。
山田詠美
■『ニッポン居酒屋放浪記 立志篇』太田和彦/新潮文庫 の解説より
この季節になると山形に住むKOBAちゃんから必ず新鮮な林檎が一箱届く。彼は芸大卒業後、青森に住んでいたため、今でも青森県産りんごを贈ってくれる。表面はまだ堅く、それでいて中には蜜があふれそうになっていて実に美味しい。
しかし、いつも受取には一苦労で、必ずと言っていいほど不在配達票が玄関ドアに挟まれている。一昨夜も3種類。重い林檎を何度も4階まで上げたり下げたり、本当に御苦労なことである。電話すると玄関に置いてくれるようになったが、未だに郵便小包は置いたままにはしてくれない。そして、郵便局へ取りに出かけても、駐車場は満杯、そのうえまた窓口では待たされ、配達票ばかりか免許証やら印鑑まで必要なので、責任感のある仕事とは解っていても受取るまでには時間と手間がかかり、またまた、お礼の挨拶が遅くなってしまう。
インターネットで品物が簡単に申し込め、カード決済が可能になっても、受け取りが大変なままではどうもいけない。IT革命って、そんなところはどうなるのだろう。
居酒屋放浪記は新潮社の雑誌記事をまとめたものだろうか。著者はグラフィックデザイナーで、今は山形の大学教授。カメラマンの田村邦男氏と同行していたようだが、取材旅行となるとゆっくり地方の居酒屋が楽しめなかったに違いない。
そんな訳で、山田詠美の解説から引用させてもらった。山形はもう雪だろうか。
2000.12.06(Wed)
結婚して半年くらいから、ぼくは妻に月給を払ってきた、はじめ一万円、少しずつ上って現在は八万円である、・・・・・・・。
野坂昭如
■『人称代名詞』野坂昭如/講談社文芸文庫
彼のセンテンスは長い。句読点で切っても良さそうなものだが、早口でまくしたてる雰囲気を出すには、長々と続ける必要があるのだろう。
妻に月給? はて、そんなものか。金額も少しずつ上がってゆくのか。
家人には月給など一銭も払った覚えがない。全くの独立採算性で、家賃は折半。もちろん家賃は銀行から全額自動振込みなので、その半額相当が毎月コーヒー缶に入れられることになっている。
ふと財布の中がさびしい時や旅行前は、そこから私のポケットに移動する訳だが、何だか凄くもうけた気分になってしまう。
夕食もおごったり、おごられたりで、店を出てから、財布をしまう相手に「ごちそうさま」と言うのが決まりのようになっている。そして、今晩は別々の財布から、レジの店員にその金額が支払われた。
2000.12.05(Tue)
萩白し胸中の弦締めにけり 加賀東鷭
刈田風祷の忘我美しき
水郷や接岸のたびばつた跳ぶ
(俳誌鷹2000.12月号より)
俳句は一句勝負である。しかし、また一方、並ぶことによって、作者と空間や時間が共有しやすくなるのも事実と言えよう。
宮崎の俳人・加賀東鷭のロマンがこの三句から匂い立ってくる。洒落たシャツに折皺も鮮やかなズボン、それもサスペンダー付き、ただし、白靴・白上着とまではいかないが、なかなかの伊達者。東鷭が胸中の弦を締めたと読むより、視線の先、白萩のこぼれそうなあたりに佇む女性が思いを定めた顔つきをしたのを読み取ったということであろうか。
また、この女性の祈りの姿がただただ美しかったと伝えてくれるだけで、稲藁の乾燥した匂いがいっそう風に乗って運ばれてくる。
水郷の舟に誰と一緒に乗っていたのかなどと問いたださぬのが大人というものだろう。しかし、また酒を飲む楽しみが増えてしまった。
2000.12.04(Mon)
「現代工芸四国会」高松三越展の作品搬入、展示。
車の運転は苦手なので、Tさんにお願いして同乗させていただく。
金工のM教授も同乗。先日、小豆島へ行くために通った道を再び走る。山間部の紅葉が美しい。黄櫨や漆の木がほとんどだろうが、赤く染まっているだけで、山々の情景が違ったもののように感じられた。やはり落葉広葉樹があると嬉しい。
瀬戸内の山陰に沈む夕日も見た。
会員の作品で、小ぶりながらひかれる漆芸小額があった。
風景・・・、おむすび型の赤い山の手前に海が広がり、その手前に灯台と、自分の立っている土地があるといったありふれた題材でありながら、やけに赤い山(島かもしれない)が美しいものであった。
こった技巧よりも一目で好きになれるものがやはりいいと思う。
サイズを競うばかりで内容の乏しい作品が多くなっているように感じるのは、材料がふんだんに使える豊さの影響なのだろうけれど、限られるとより真剣にならざるを得ない良さもある。
かつて高い七宝釉薬が買えなかった私は、裏黒を表に多用していたが、そのため赤い釉薬が引き立っていたように思う。
今は白い釉薬を多用している。何故だろう?
2000.12.03(Sun)
テレビを見ながらゴロ寝する日曜日は最高である。
小石雄一
■『週末の価値を倍にする!』PHP文庫
わかっていることを言われると腹がたつ。しかし、自分にとって都合のいい言葉は別である。
昼まで寝て、ゆったり新聞を読みながら風呂につかり(もちろの今日の新聞ではない)、髪を洗って食事に出かける。
パジャマ姿でテレビ映画も一本見たし。最高!!
どうも窓がラスの汚れが気になる。昼から雨も上がりそう。
ガラス拭きでもするか。それから、本の片付け・・・・となると、最高の日曜日がたちまち普段どおりに戻ってしまう。
しかし、朝の雨が上がり、この土の湿り具合、水たまり、申し分無し。自分の身に雨さえかからなければ何も問題はない。かくして、私は昼から行動を開始して外出、ゴロ寝に次ぐ楽しみを享有したのである。人生は楽しい。
2000.12.02(Sat)
一方、これが男のものなのかと、わが眼を疑ったほど美しかったのが、亡き加藤唐九郎さんの指だった。 高橋 治
■季刊『銀花』第124号/文化出版局
銀花には、「手をめぐる400字」と題して、毎回、4名の自筆原稿がそのまま印刷掲載されている。著者の字は、万年筆使用、やや縦長小振りである。あまり読みやすい字とは言えないが、書き慣れていて、筆が走るタイプのように見受けられた。しかし、200字詰め原稿用紙2枚にすっきり入っているということは、下書きが1枚くらいはあったことだろう。題名と名前、そして次の1行の空白が見事であった。
加藤唐九郎の指は長かったようだが、私の指は短い。ある人に、職人には不向きな手であると言われたことがある。両手の親指と人差指で円を描けば、それが男物の汁碗の大きさだと。私の指では女物の汁碗でもとどきかねるといった有様で、あきれ果てたようであった。しかし、指が短くても別段不自由しているわけではないので、あまり気にしないことにしている。
もちろん、パソコンのキーボードを打つには何も問題がない。遅いだけだが。
2000.12.01(Fri)
しばらく前、サルトルがクノーに「シュルレアリスムはあなたに何を残したか」とたずねたとき、いみじくもクノーはこう答えた。「若かったという印象だね」。
■『ドゥ マゴ物語』アルノー・オフマルシェ/中条省平 [訳]/Bunkamura
誰もが「若かった」と答えるとき、自分が年老いたことを嘆いているとばかりは限らない。しかし、ほとんどの人の言葉には溜息まで追加される。なぜ?
やはり肉体的老いが切実に感じられると、振返る度合いが強くなるのだろうか。あまり振返っても現実は変わらないので、とにかく今を楽しもうと考えている。
美味しい酒は40代からではなかろうか。
「闊達なる詩(うた)ごころ」
そう、小事にこだわらず、何事も前向きに考え、自分を大切に生きるのが一番。
身勝手な男のたわごとと言われようとも。
2000年12月 |
2000.11.30(Thu)
家を出てゆくなら冷静なときに。(クリスマスの夜の情景)
■『地上より何処かで』配給20世紀フォックス/監督:ウェイン・ワン
昨年のアメリカ映画を見た。
映画のストーリーは、たわいない母と女子高校生の話。
ウイスコンシン州の田舎から、離婚してビバリーヒルズへ黄金色のベンツで向う助手席に座る娘(ナタリー・ポートマン/スター・ウォーズに出ていたかしら)の被っていた帽子が、私愛用の緑の野球帽と似ていた。映画の中では、誰も気にとめないような、こんなつまらないことを見るのが大好き。
私のもうひとつの愛用はベレー帽(夏用と冬用)である。さすがに普段からベレー帽ではオシャレ過ぎるので、もっぱら俳句吟行用に使っている。パナマ帽も持っているが、これはなかなか被れない。太陽が天敵なので、やはり普段は野球帽が多い。
母親役のスーザン・サランドン、ずいぶん年をとってしまった。「華麗なるヒコーキ野郎」の頃にはもう戻れないが、やはり金持で贅沢な服装が似合うようである。
2000.11.29(Wed)
例句は「蝶」の前身「海嶺」の創刊号以降「蝶」124号までの誌友の作品及び誌友からの応募によるものを中心にしたが、・・・・・
たむらちせい
■『蝶歳時記』編纂たむらちせい/蝶発行所
蝶主宰者のちせいさんから『蝶歳時記』を御恵贈いただいた。
としよりをさそう寒暮の水えくぼ 揚田蒼生
抱擁し前世を鶴と疑はず 山下正雄
など、懐かしい句が随所で煌めいている。
今は亡き蒼生さんは、私を俳句に導き、鷹の飯島晴子さんや藤田湘子先生に引合わせて下さった。また、亡くなる少し前、自分が編集に携わった「海嶺」の創刊号からのものを「大切にしてください」と言って私に託して下さった。私の本箱はもう満杯を遥かに越えているが、捨てられない貴重俳誌である。
2000.11.28(Tue)
ライオンがデザインされた物なら何でも買ってしまうという癖を持っている。ただし、悲しい顔をしているライオンに限る。
山本容子
■『ルーカス・クラナッハの飼い主は旅行が好き』徳間書店
山本容子さんは銅版画家。売れっ子になってからは、雑誌、テレビなどいろいろなところで活躍しているので、本職が何か不明になりつつあるが、この「本職」なる言葉自体がお役所的であまり好きではない。人間だもの、いつまでも同じことばかりやってはいられない。しかし、版画家と言うより、やはり銅版画家と言えるのではないだろうか。
癖は繰返されて癖になる。当然のこと。集め始めると何故か気にかかるようになるから不思議。しかし、悲しい顔のライオンなどそう多くはないだろう。心理学的には、自分が悲しいライオンに見られたいという願望のあらわれとも解釈できるのだが、さて、著者はどうなのだろうか。さびしがりやではある。
自宅に迷いこんだ犬に「ルーカス・クラナッハ」という大層な名前を付ける感覚がとても愛おしい。月刊雑誌『おとなぴあ』の表紙カバーの版画イラストレーションも、色彩豊か、自由奔放で楽しい。
2000.11.27(Mon)
女としての賞味期限・・・43.9歳
■雑誌『日経WOMAN』2000.12月号/日経ホーム出版
家人がノートパソコンを購入しそうな気配である。そのためか、最新モデル機種が紹介された雑誌を読んで比較しているようだ。
テーブルの上に置かれた雑誌を広げると、「ハッピー・シングルライフ」が、もうひとつの主要テーマであった。その中に、タイムリミットとして、
結婚・・・37.1歳
出産・・・33.7歳
そして上記の「賞味期限」である。
なんなんだこれは。
2000.9月にシングル女性にアンケート実施、有効回答1305人の平均値ということらしい。何という失礼な質問なんだ。よくもこんな質問に答えたものだ。回答者は、きっと500円の図書券くらいしかもらっていないはず。よくもこんな質問を考えたものだが、また答えるほうもどうかしている。牛乳や卵ではあるまいし。賞味期限を過ぎても味が落ちるだけで、まだ大丈夫というのも、またまた失礼な話である。こんなアンケート、「馬鹿!」とどなって、破り捨てるべきだ。毅然として。
男としての賞味期限?・・・・・・バカヤロー!!
2000.11.26(Sun)
女人とも淡くなりけり新走 藤田湘子
(俳誌鷹2000.12月号より)
近頃では「新走」(あらばしり)なんて言わなくなったから、俳句でも作っていないと解らないかもしれない。その年に採れた新米で醸造した酒、新酒のことである。
白く濁って、まだ炭酸ガスが残ったほどよい酸味があり、新酒独特の鮮やかな香りが漂ってくる。酒造場でしたたり落ちる雫を受けて一度飲んだら忘れられない。
「日本酒のボジョレヌーボーのことだよ」とでも言っておいたほうが解りが早いかもしれない。(ワイン愛好家の方、知らないわけではありませんが、お許しのほどを)
あとは説明の要らない新名句である。湘子先生は女人とのかかわりの句を実に上手く詠まれる。この「けり」がいいんだよなー。季語「新走」とは絶妙の間合にある。
2000.11.25(Sat)
たとえば長寿の象徴の「鶴」の字をつけた酒名は現在約250もあって第一位、第二位が「正宗」・・・・
小泉武夫
■『日本酒ルネッサンス』中公新書
酒屋が酒の銘柄を決める場合、酒造家・蔵元にちなんだものもあるが、最も多いのが今も昔も縁起のよい銘を付けるというものらしい。
最近は、鶴や亀は寿命が長いからそれにあやかろう、といった名付け方は流行らないようにも思うが、250銘柄もあると聞かされると驚いてしまう。もちろん高知にも「土佐鶴」や「濱乃鶴」など有名な酒がある。
しかし、酒造りや酒販においては、それだけ縁起に寄りかかろうとする気持ちが強かった裏返しともとれる。また、類似名が多い安心感もあったかもしれない。
今では幻の酒となった「月下美人」(決してサントリーではない)のようないい名前、洒落た容器&ラベル、美味しい酒も土佐にはあった。
高知にも昔はごくあたりまえに鶴が飛んで来たのかもしれないが、今では鶴が飛んで来ただけでニュースになっている。いくら優れた近自然工法と言って河川を改修したところで、野鳥の餌場が少なくなったのは明らかである。
2000.11.24(Fri)
玄関にクリスマスプレゼントが置かれている。
家人に頼んで買ってもらったものである。
緑の包装紙に赤のリボン、クリスマスカラーが美しい。
もちろん中身はわかっている。
高価なものではなく、ほんとうにささやかなものである。
しかし、この包装の見事さよ。
ECOデザインとは呼べない。
過剰包装である。
これはこまる。
されど、されど、この夢だけは、エコデザインでは包めそうもない。
これは、物質文明の毒に犯されているためだろうか?
天上には無数の小さな小さな星が広がっている。
2000.11.23(Thu)
錦木の実もその辺も真赤かな 高浜虚子
祝日。
最近、何の祝日とは考えず、単なる休日と思うことのほうが一般的になってしまった。農耕暦と現代のカレンダーが離れ、テレビ中継の人間が多数決で祝日を決める場面など見せられたためだろうか。
未成年には国会中継及び国会関係の報道番組を見せてはならない法律が必要。
あんなに面白いものは子供には毒。
午後から城西公園で、あめんぼうが流れているさまを飽きず眺めた。流れのゆるやかなところではなく、小幅になった少し速そうなあたりを群がって泳いでいた。まさに動くジグソーパズル。
まだ銀杏の黄葉や紅葉には少し早かったが、池の中の睡蓮の葉は真っ赤であった。
2000.11.22(Wed)
天照大御神が「鏡は私だと思え」といっていることから、単なる鏡ではなく、コンピュータの周辺装置で鏡のような構造をした出力ディスプレイ装置ということになる。
山田久延彦
■『真説古事記−−コンピュータを携えた神々』徳間書店
仮説論理学・・・一見”いかがわしい”仮説こそ科学技術本来の身上ではないかと考え、著者は古事記の内容を読み解こうとしている。このような夢のある書物が私にエネルギーを与えてくれる。
ふと、白雪姫の物語の中で、女王が鏡に問いかけていた場面を思い出してしまった。あれは、デジタルカメラ付のディスプレイ装置で、鏡に写った人間は異空間においてバーチャルならざる動きができたのではないか。それなら、この世で一番美しい顔へのモーフィングも簡単である。
2000.11.21(Tue)
それまでは紫式部も清少納言も松尾芭蕉もだれもかれもみんな、「、」や「。」をつけずに書いたのです。
大岡信
■雑誌『俳句研究』2000年12月号/富士見書房
明治の初めになって「小学国語読本」で採用されるまで日本人は、「、」や「。」を使ってこなかったとのこと。
え、そうだったの。古文書なんて読む必要もないし、学校の古典で習った源氏物語や枕草子にはあったから、昔からあったと思っていた。知ったからどうということはないが、本当なの?その話。
家人曰く、「そんなの常識じゃない」
テレビのミリオネアだったか、一千万円を目指すクイズ番組を見て、常識問題でしょ、そんなのと笑っていられないことが山ほどある。自分に興味のないものは記憶の片隅にも残っていない。
2000.11.20(Mon)
やはらかき蒲団を足に蹴るときの闇夜の薔薇きみとわがため 野崎雪子
■歌集『螺旋の檻』玲瓏館
(注:氏名の崎はつくりの上部が立になったものである。外字のため御寛容を)
このように歌われたたならば、鶴首に挿したたった一本の薔薇(しゃうび)であったとしても、薫りとともにその幻影がたちあらわれてくるであろう。ロマンティシズムというより繊細で上品なエロティシズムの溢れる歌でありながら、「きみとわがため」の結句からは何ものも寄せつけぬ作者の詩歌宇宙が感じられる。奇抜な言葉や虚飾はまったくないが、それゆえにこそ、いつまでも心の中の震えが伝わってくる。
初冬らしい冷たい小雨が降り続いた。
2000.11.19(Sun)
小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。 三島由紀夫
■『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』新潮文庫
サラブレッドの脚はどうしてあんなに細いのか不思議でならない。
人間の脚と比べるからそう思うのだろうか。すぐに折れそうなほど確かに細い。
はかなきものが美しいといって、そんな血統を作ったのも人間であり、その走る姿に見愡れるのも人間である。雄馬よ、可愛い牝馬にだけは惑わされないで欲しいものである。
昨日の絹層雲とはうって変わって、雲間からわずかに青空が見える程度の曇り空。放射冷却が少なく、雲があるだけわずかに暖かいとも言える。夕暮れが早くなって、5時頃には山の彼方に、雲中で見えないながらも夕日が沈み、薄茜紫の色が広がる。そして、またたくまに闇に包まれてしまった。
2000.11.18(Sat)
青柳公園の方向からチェーンソーのような甲高い物音が響いていた。何だろうと近寄ってみると、クレーン車に乗ったヘルメット姿の男が、次々に樹木の枝を切り落としていた。枝といっても、中には幹と呼べるようなものまであり、高さ10mを越えようとしたものはそこから先がすっぱり切り落されていくのであった。すでに切られた栴檀など、昨日まであったはずの木の葉一枚ない無惨なありさま。これから紅葉が始まろうとする木々も、木の葉が散る前にと考えられたのか、枝々が切り落とされ、何台ものトラックに山積みされていた。
近年、都市公園には芭蕉などほとんど見なくなった。青々と広がる大きな葉や雨粒にうたれる音、風騒ぐ葉ずれの音など私は好きなのだが、かつて公園管理者に尋ねてみたところ、「冬枯れるあんなもののどこがいいですか?」と、冷たくいなされてしまった。
2000.11.17(Fri)
彼の岸にかゆきかくゆき燭ともすはいづれの皇女の化生なるらむ 梶尾操
■歌集『香柏傳』中央公論事業出版
生身の女性でありながら、存在感からすればやや異次元に住んでいるような人に憧れる。俗世間のことなど何処かに忘れてきてしまったようなうわ言をのりとのように述べてみたり、託宣のようなことを耳もとで囁いてくれたりすると、瞳の奥までまじまじと視てしまったりする。
たかが蛍を見たぐらいで、先の高貴な女性のたましいの生まれかわりとまで視てしまうのは、本心そう信じているからに違いない。
そして、私は梶尾操こそ皇女(みこ)の生まれ変わりに違いないと思っている。
昼過ぎ、ぼんやり歩いていると、目先を白いものがふわふわと飛んでいた。右手で掬い取るように包み込み、そっと掌を開くと、綿虫であった。左右の後ろ足あたりに、白い綿状のものを付けている。この数日、急に冷え込みだし、街路樹のプラタナスの紅葉もいっそう鮮やかになってきた。綿虫は人指しゆびに進み、指の上を動きはするけれど飛び立とうとはしなかった。
そのまま、エレベータで4階まで上がり、開きそうな窓をみつけ、息を吹きかけ外へ逃がしてやった。小さないきものが私に与えてくれた貴重な時間である。
綿虫は雪螢とも呼ばれる。
2000.11.16(Thu)
みなさん、一足お先に、私の名前・・・・、名前て何でしょう?
名は体を表わす。心身一如であります。つまり、私が火星旅行をたのしみます。
■『発熱』辻原登/日本経済新聞
火星探査ロケットにCD−ROMが搭載され、名前だけが火星旅行できるとのこと。NASAにはそんな署名書込みHPもあるのだろうか?
きっとその次はDNAを積み込んだロケットが発射されるに決まっている。しかし、肉体は再生できてもたましいはどうだろう。DNAに名前を付けておけば、その名前のような人間に成長、いや複製できると好都合には違いないが、私はお断りする。
2000.11.15(Wed)
俳句の技巧を教わっただけではなくて、自然の美しさを自分自信の目で発見することを教わった。
■『科学者たちの自由な楽園』宮田親平/文藝春秋
寺田寅彦が漱石のことを先生と呼び、その漱石から教わった真理を述べたくだりである。
俳句はたかが17文字だから簡単そうで、なかなか一筋縄ではいけない。私も何年か俳句を作っている。そのため決められた時間内であっても10句以上作れるようになってしまった。しかし、それは技巧の俳句であって、自然の美しさや真理を発見した喜びとは全く異なるものである。自分の目でものを見、素直に感動できる気持ちをいつまでも失わずにいたいものである。それは傷つきやすさを失わないということでもあるが。
本など読まないで、外に出たほうがいいのであろうが、仕事が終わると外は真っ暗。テレビを見るか、本を読むか、酒を飲むかしかないのだろうか。少し疑問。昼遊んで、夜仕事をしてみてはどうだろう。フレックスタイムっていいかも。
2000.11.14(Tue)
ただひそかに思ふに、この俳句和歌の特色などといふことはこれを公式化してしまっては面白くないのであり、また弊害も伴ふものであることをも知るべきである。
■『短歌一家言』齋藤茂吉/齋藤書店
正岡子規がすでに明治33年に道破した、「俳句は客観的であり、和歌は主観的である」という考えを茂吉も首肯しながら、なおかつ警世を残してくれている。
この書は今年7月、松山の古書店「坊ちゃん書房」で入手したもの。ページを開くと黄ばんで古びた紙の臭いがぷんぷんとたってくる。しかし、どこを開いても面白い。
いい俳句を読むとなるほどと満足、心にその余韻が広がるし、いい短歌を読むと感動、背中がびりびり震えてくる。「頭でわかっているうちはまだまだ」と自分に言い聞かせても、心で震えるようにはまだならない。心も要らないのかもしれないが。
美味しい柿と甘味の少ない柿がある。見てくれは同じなのに、食べてみなくてはわからない。俳句も短歌も読んでみなくては味がわからない。しかし、時間があまりにもなさすぎる。私の読書スピードは家人の約1/3である。
2000.11.13(Mon)
飼っていたメダカ三匹の中で一番小さな"児太郎"が死んだ。手に入れてから約2ヶ月の命であった。死因は不明。
小鳥を飼うのも、犬、猫を飼うのも、馬を飼うのも、クジラは飼えないけれど、
人間の子供は飼うと言わないけれど、やはり死ぬと同じように哀しいだろうか・・・
悲しみの大きさは、生き物の大きさではなく、その連れ添う長さなのだろうか。それとも、人間の子供は、自分の分身として痛みが違うのだろうか。
メダカは飼っていてもなかなか懐かず、毎日餌を与えるたびに小さな物音をたてて覚えさせようとしているが、臆病で、すぐ水草の中に隠れてしまうのが常である。
夕食に魚の刺身を食べた。
2000.11.12(Sun)
朝食バイキングをしっかり食べる。そして、A君が言い出したホテルのケイマン・ミニゴルフに参加。球技は全くダメだから、初めてのゴルフ。ただただ、迷惑にならぬようハーフを付いて回るのみ。
1コースで早くもロストボール。これは一大事になったと参加したことを悔やんだが、3コースでパー。諦めて落ち着くと何とかなるものらしい。しかし、体力続かず、7コースの登り急斜面では汗が流れ始めた。おまけに、帽子も被らず天敵の紫外線を1時間近くも浴びたものだから、鼻の頭が赤くなった。もちろん、成績は散々。やはり、室内で練習できるPCゴルフゲームのようにはいかないもの。オーガスタは遠い遠い夢と言えよう。
ラジオから流れたエリザベス女王杯も全くの予想はずれ。やはりパドックで馬を見るのが一番。小豆島、寒霞渓の紅葉と展望、特殊な地形、岩盤、そして高低差による気温の違い、人さえいなければ楽しめる。やはり、名所は穴場ならず。
2000.11.11(Sat)
土日を利用しての小豆島一泊旅行。H君他がレンタカーを運転、分乗させてもらう。12時30分、高知出発。早速、ローソンで缶ビールを買い込み、運転者には気の毒だが酒盛が始まる。
高松からフェリーにて土庄港上陸。リゾートホテル・オリビアン泊。1室3名で広く快適。持参した本も雑誌も読まず、お決まりの宴会コース。
ビール、日本酒、冷用酒、吟醸酒、ウイスキーで真夜中まで続く。『綾菊』よりは高知の『志ら菊』がうまいと、U君共々贅沢を言ってしまった。予約のカラオケ延長時間も閉出され、冷えかけた大浴場でアルコールを抜いて就寝。食事は量より質を!
期待していた夕日、雲により見えず残念無念。
2000.11.10(Fri)
翠黛の時雨いよいよはなやかに 高野素十
翠黛とは緑色のまゆずみ。転じて、緑にかすんで見える山のことである。ここでは時雨の冷たさよりも、雲間からの陽光を受け一時耀やいてみえる雨脚と、その向こうのしっとりとした縹色のなだらかな山の稜線を感じていればよい。
素十俳句のよろしさは、言葉以上の何モノもない単純さであろうか。もちろん深読みしようとすれば、どうとでも連想力は働くが、それ以前に、眼前に現れる景物の鮮やかさに目を奪われ、一瞬、時が止まってしまうのである。
素十はいいなあー。やっぱりいいなーと思いつつ、どんよりと曇った空から落ちてくる今日の雨に、そろそろ時雨かしら、しかし、少し肌寒くなった程度で、まだまだ冬らしくならないなー、などと考えていた次第。
2000.11.09(Thu)
でもお前への愛の記念に、私はお前の葉で冠を作ってかぶろう
■『ギリシアの神々』曽野綾子・田名部昭/講談社
エロス(愛)のいたずらとはいえ、金の矢を射られたアポロン(太陽・芸術の神)は河の神の娘ダプネを恋い慕い、鉛の矢を受けた娘は恋を拒み逃げ出した。そして、終には父に救けを求め、その姿を月桂樹に変えてもらった後の出来事である。
一方的な愛の残酷さを語ろうとでもいうのだろうか。愛するダプネがもはや妻になれなくなったと知ると、まだ命ある木に変わった娘の葉を取って冠を作ろうなどと考えるとは。「愛の記念」の美名のもとに毟り取られた小枝や葉の痛みなど露ほども考えようとはしていない。翻訳の過程で誇張されたとしても、話としては娘への執着心を表すモノローグだったに違いない。それを永遠の愛の証と受け止めていいとは思えないのだが。
そんな物語を昔読んだことを忘れていて、先日もシチューに入れてぐつぐつ、ぐつぐつ煮てしまった。確かに、生きていくためには食べなければならない。愛の残酷物語そのものと言えようか。
2000.11.08(Wed)
常春の国 マリネラ
■『パタリロ!〔1〕』魔夜峰央/白泉社
今でも漫画が好きである。しかし、何度読んでも面白いものと、一度で十分と思うもの、そして、最初から読む気が起らないものに大別される。読む気になれないのは、ほとんどその描画タッチに起因するが、絵には満足しなくても話題で楽しめるものもあり、全く無視してしまっているわけではない。しかし、雑誌連載時から読んでいて、それでも購入して限られた書棚スペースに未だに残っているコミック本など、佐藤史生(これはコレクション)を除けば十人ほどであろうか。松本零士、萩尾望都、岡野玲子、等・・・
そんな中で、このマンネリとも言える書き出し、否、描き出しとも言える島と波のマリネラ王国のなんと安定した存在感。子供にとっては「むかしむかしあるところに」で始まる物語の普遍性、そんなものに新しいものを追いかける一方で何故か心ひかれてしまうのだから不思議なものである。
仕事がスムーズに運んでいる時は漫画など読んでいる暇もないのだが、行詰まると気分転換に何度でも同じものを読んで満足している。これも、マンネリ的安定感を求めようとする視覚的精神安定剤なのかもしれない。
2000.11.07 (Tue)
黒のなかにこっちが全部映ってるでしょ。まるで鏡のように・・・ 高橋節郎
■『高橋節郎/漆−−−−黒と金の物語』実業之日本社
俵万智との対談で「漆の仕事というのは、たえず鏡に向って、自分を見つめながら進めていくというようなところがある」と漆芸家は語る。
小人数のワインパーティ。7種のワインを味わったが、必ずしも高いワインが私の好みではなかった。木製樽による熟成で雑味が入るよりも、中にはステンレス樽のほうが葡萄の息遣いが感じられるようなものもあった。
さて、待っていても工芸作品のイメージが現われてくれない。そろそろイメージが形や色に変わってくれるようにイメージの眠りの底に呼び水を与えてやろう。
2000.11.06 (Mon)
少年のわれにくちづけなす父を幻に見つ 戦のさなか 水原紫苑
■『短歌研究』2000年11月号/短歌研究社
友人ならば男性でも女性でも性別を問わずキスできる私であるが、息子に接吻などもってのほか。もちろん子供がいないので、息子にも娘にもした経験はないが、命を懸けてなどと言われれば娘ならなんとか許そう。
歌人が女性であるからこそ、少年になった私にくちづけせよと迫れるのであろう。これもひとつの父恋の歌である。しかし、いまだ日本に起らぬ戦を夢見ているのだろうか、それとも、今は「戦のさなか」なのだろうか。
2000.11.05 (Sun)
コンクリートや木、鉄等でつくられた物質的な器、確固とした”かたち”を有しているもの、それが<建築>だとする考えが、崩壊しつつあるといってもいい。
飯島洋一
■『現代建築の50人』INAX叢書
パソコンの中に建物や街が出来上がりつつある。否、それはパソコンの中ではなく、ネットワークで接続された遠隔地のハードディスクの中に他ならない。ネットワークに接続できるあらゆる端末から街作りの共同作業に参加することができる。しかし、そのようなシミュレーションのことばかりではなく、これまで箱物を作り、それを建築と呼んできた概念こそが崩壊しつつあるのではなかろうか。
しかし、一方では、この不確かなバーチャルシティの映像に嫌悪の気持ちが少なからずあるのも否めない。それは、最先端技術がその使用者によって、まだこなされていないために、技術の新しさにのみ目が奪われているからに他ならない。カラープリントが一般的になりはじめ、誰もが強烈な赤や青の鮮やかな写真ばかり撮っていた頃を思い出す。少し遅れた技術ではあっても、それを十分に理解し操れる技術者や建築家に成長してもらいたいものだが、そんなことを言っていると、技術に置いてけぼりにされてしまいそうな切迫感から逃れられない自分が恥ずかしい。
2000.11.04 (Sat)
洞窟の中に野菊を置きにゆく 夏井いつき
■『藍生/十周年記念号』藍生俳句会
「洞窟の中へ」ではなく「洞窟の中に」と位置を限定することで洞窟の暗さや湿り、そして霊的なものが想起される。作者は一句の中に「に」を埋め込むことによって俳句を顕たせようとしているのかもしれない。「日盛や漂流物の中に櫛」や「うぐひすに見せてはならぬ鏡かな」などにもその指向性が感じられる。物や想いに執着するためには「に」が不可欠なのだろう。身体にまとわりつく重さが少し気に掛かる。
黒田杏子主宰による俳誌『藍生』は、同人制をとらず全員平等の会員であることを記念号の合同作品集により新ためて認識した。すべてが平等では問題もあろうが、今後の発展を見極めたい。
高知市郊外に出かけ、久礼野の日翳った薄原に秋の深まりを感じた。
2000.11.03 (Fri)
歩いて200mのところに大型電気店がオープンした。「コンピュータウン」と看板にある。なんと安易な名付け方だろう。一般家電ものが売れにくくパソコンに主力を置くとのことだが、もう少し夢のある名前は考えられなかったものだろうか。
建物が哭いている。私だけでも「オデュッセイア」とでも呼んでやろう。近くに大型書店ができるのを期待する。
■『花より本』塚本邦雄/創拓社
2000.11.02 (Thu)
桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子
やはりこの句が好きである。何度読んでも飽きないのは、落ちたことしか叙していないのに、読むたびに連想が異なるからだろう。桐の葉の大きさ、高さ、風に乗るさま、ひろがえるさま、その度に落ち方や光の加減が違うのである。
こんな句が一句でも詠めればとつくづく思う。
2000.11.01 (Wed)
道はまっすぐ歩くためにできていて、階段はのぼり降りするためにできている。
坂東眞砂子
■『ミラノの風とシニョリーナ』中公文庫
そんなことはあたりまえ。行先に早く着くためには真直ぐなほうがいいに決まっている。しかし、イタリアから帰国した著者の疑問を読むと、確かにゆったり石の階段に座って道行く人を見ることができる広さや、段差、段巾も欲しくなってしまった。効率と経費ばかり優先していては、見失って取り戻せないものがあるに違いない。
2000年11月 |
2000.10.31 (Tue)
映画から音を削るということの方を大事に考えている。 武満徹
■『時間の園丁』/新潮社
天才と呼ばれる人たちは、いずれの分野におても一般人とは違った視点から物事をとらえ、いとも簡単に難問を解いてしまう。まるで違った考え方や感じ方の人達と、一緒に、夢を紡ぐことを楽しみながら。一緒に楽しめない人は、その時代において変人と呼ばれるのに違いない。
ここ数日、少し秋らしくなった。(今までが暖か過ぎたとも言えるのだが)
小坂峠に登る道筋に、一本の桜の帰り花を見つけた。もうすぐ、立冬。
2000.10.30 (Mon)
雲だろうか
いや神の足だ
空神の大きな足がまたいでいく
鈴をならして歩いていく 鳥図明児(ととあける)
■『虹神殿−(1)』ペーパームーン・コミックス/新書館
コミック専門の古書店から求めてきたものだが、私の好きな漫画家「佐藤史生」の描画タッチ・ストーリー展開と実に似ていて楽しい。
空の神、テセラン神の線描のたおやかさは、唐招提寺五重塔の水煙の天女のおもかげを彷佛とさせる。
神は呼びかければどこにでもいるが、何も期待するなという。
2000.10.29 (Sun)
海の水もバケツに汲んでくれば、タダの塩水。 寺山修司
『競馬放浪記』(ハルキ文庫)の中の一文である。寺山修司ほどの人がそう信じていたとは思わないが、言葉の綾である。
最近有名になった「室戸海洋深層水」がまだ珍しかった真夏の暑い日、実物を見たいという友人達に、冷蔵庫で冷やしたそれをコップに注ぎ差し出すと、一気にゴクゴクと飲み込み、あわてて吐き出したものである。「だから海底230mから汲み上げた海洋深層水だって言ったじゃないか」と弁解しても、だれもが塩水だとは思わないほど透明度が高かった。
東京の雨はさほど強くはならなかった。さすがに良馬場とは言えなかったが、4コーナーを回って馬群からスルスルと抜け出し、2馬身も前を走られると面白さが半減する。やはり予想どうりの展開であった。もっと波瀾を期待していたのに。とはいえ、サラブレッドが疾走する姿は何度見ても美しいものである。
寺山の言葉はこう続く。
「惚れた女も、アパートに囲えば、よくある女房の一人」
そうなんだよなー、さすがに真実、そのとおり、と相槌を打つと、たたみかけるように、次の名台詞へと導かれるのである。
「馬だって同じだ。馬主になるより、遠くから眺めていたい−−というのが、私の負け惜しみなのであった。」
雲間から山に沈む夕日が赤々赤々と、いっ時、すべてのものを赤く染め尽くした。
2000.10.28 (Sat)
秋の雨。予定していた遊びが流れてしまった。
この小雨が明日の東京競馬場、天皇賞にどんな影響を及ぼすだろう。
ガチガチなんて言わないで、大きく荒れてくれることを期待する次第。
パソコン新機種の下見(誓って私のものではありません)に行って、PCカード型電話機、PHS−H"-LINK64に目が止まった。普段、外出先からは携帯電話に繋いでインターネットを利用しているが遅くて仕方がない。やはり6倍くらいのスピードがあれば取り敢えずは申し分ないので、試しに一晩借り出してきた。データUPのFTPソフトも試してみたが市街地では全く問題なく動作している。64Kbpsだと計算上は、1秒間に原稿用紙10枚が送れることになる。まだまだ進化を続けるだろう。
2000.10.27 (Fri)
自筆の手紙が届くと嬉しい。封筒や切手、便箋にまで差出人の趣味の感じられるものなら尚更である。しかし、そうなると返信の苦手な私は、かなり重荷を背負ったような気持ちが3週間は続く。その間、葉書一枚さえ書けない始末である。
最近は電子メールが普及してかなり助けられている。まず悪筆をさらさず、紙や切手の選択に悩まず、電子辞書や漢字変換機能も簡単に使え、郵便ポストまで出向かなくても済むのだから。それなのに、返信がたまってしまうのが情けない。
■『競馬遊侠伝』牧太郎/小学館文庫
「涼しげな瞳が気に入って単勝を目一杯買ったから、喜び勇んで払い戻しの窓口に並んだ」
スピードシンボリは著者が新潟三条競馬で自分の目を信じ、生まれて初めて買った馬券であった。
2000.10.26 (Thu)
一日が瞬く間に過ぎる。本当はそんなに早くないはずなのだが、振返るともう昨日のことになっている。「昨日はいったい何処で何を食べたのだろう」と思い返し、これまたあやふやな記憶しか残っていない。もちろん記憶しておくほど大切なことではないので忘れてしまうのに違いないが、それだけ感動もなく見たり食べたりしていることになる。ものの表面をなめまわすような視覚を衰えさせない薬はないものだろうか。
■『「分ける」こと「わかる」こと』坂本賢三/講談社現代新書
「わかり合う」とは、相互に相手の分類の仕方がわかり合うことである。
と書かれていたが、たった一人の家人の気持ちも理解できていないもどかしさが私にはある。同じ家の中で別々の部屋で暮らし、不可侵の領域を確保しつつ「わかり合う」ことの難しさよ。それが面白いと言えば面白くもあるのだけれど。なんだか抽象的な話になってしまった。
2000.10.25 (Wed)
一年後にやっと、あなたの2000年がぎっしり詰めこまれた「マイブック」が完成します。
■『マイブック −2000年の記録』新潮文庫
366日分の日付け入り「マイブック」を発見して茫然。
昨年暮れ近くに書店に積んであったものを見つけ、面白そうと買ったまま、その存在すら忘れていたのである。
これを見る限り、私の2000年は空白しかなかったことになる・・・
せめて、この電子「不連続日誌」に記録をとどめ、息をしていたことの証にしよう。
月2回開催の鷹五人会のひとつ「銅の会」に出席。はりまや橋交差点近くの喫茶店2階で、7時30分から約2時間。少しマンネリ気味。ピリリとした刺激が欲しい。
2000.10.24 (Tue)
飼っているメダカ三匹に、何か名前を付けてやらなければいけないだろうか?
ただ漠然と菓子器の中を泳いでる姿を目で追うだけではインテリアのようでいけない。バーチャルシティの住人となって、高価な電気製品や家具を集める感覚にだけはなりたくないと思う。ゲームは終わればまた最初から始められるが、生物との付合いはどうだろう。わたしのMacintosh PowerBookには「都祈夫」の呼び名がある。
■『作家の値うち』福田和也/飛鳥新社
「点数まで付けてしまって大丈夫?」と、少し心配になるが、他人事なので相澤裕美による作家のイラストレーションと共に楽しませてもらうことにした。
一人の文芸批評家による数量化作業が行われているので、あとはその批評家と私の嗜好が一致するかどうかが問題。かなり違うなあ。
しかし、自分の好みでもない作品も正当に評価しようとする眼差しは感じられた。また、序文・跋文とも、最後が「私は信じている」「信じている」で結ばれているところなど、文学の未来への希望を感じさせてくれる。
2000.10.23 (Mon)
神持たぬ安穏にをり柘榴の実 藤田湘子
鷹俳誌11月号が届いた。湘子先生には2句しか選ばれていない。
まだまだ、まだまだのようである。もののひかりをとどめるとはなんとむつかしいことだろうか。
しかし、それだからこそ楽しいのだが、少し不勉強すぎるのかもしれない。ここらで、やり方を変えてみようと考えている。そのためにも、こうして不連続日誌を始めたのだから。
■雑誌『鳩よ』10月号/岡野玲子特集/マガジンハウス
佐藤史生のマンガを読むために愛読していたプチフラワーに連載された『ファンシーダンス』の岡野玲子は輝いていた。パチンコ屋に入って盤面を見た瞬間、高野山でみた曼陀羅が重なるところなど、ワクワクドキドキ、そこまで飛躍するか!!!。
上村一夫『同性時代』の見開きで、雪に残る足跡を見たとき以上の感動が押し寄せてきたものである。
岡野玲子の『コーリング』を読みながら眠ってしまった。彼女の才能を愛する私としては、劇画と原作者が別の場合、退屈してしまうらしい。『陰陽師』の話はまた別の機会に。
2000.10.22 (Sun)
そうだ、人は死んだら「人」の心の中へ行くのです。 福島泰樹
父が亡くなってまる三年になる。
三回忌法要は昨年であったが、やはり本当の意味の三年なので、朝から香を焚いて少し気分を改めてみた。
歌集『バリケード・1966年2月』の歌人、そして僧侶の福島泰樹さんに会ったのは、父が亡くなって1ヶ月後の「短歌絶叫コンサートin高知」の夜であった。
ちくま新書の『弔い』が出版された頃で、何故か父の追善供養をしていただいているような巡り合わせを感じた。古くから愛聴していた絶叫コンサートのレコード冊子を会場に持っていって、サインをお願いした時の驚きの眼が今も忘れられない。こんなところにも・・・と思われたのに違いない。その夜は、美味しい土佐の酒を御一緒させていただいた。
2000.10.21 (Sat)
にほやかに少し濁りぬ秋の空 高浜虚子
9月半ば、偶然メダカを見つけた。少し太めであったが、季節的にはこんなものであろうかと飼うことにした。
ガラスの水注ポットに小砂利と金魚藻一本、そしてメダカ4匹を入れ卓上に置くと、真横から泳ぐ様子が観察できた。
ミネラルウォターをときどき足し与えたが、糞が漂うと水が濁り、やはり生き物を飼うのは遊びだけでは済まないと実感させられた。しかも、半月ほどたった朝、1匹が死んでいた。
これは酸素が足りないのではないかと考え、鑑賞魚店(?)へ出かけ南米原産の芝生のような水草を一塊買って来て、薄水色の陶器の菓子器に水を張り真中に沈め、泳がせてみた。
やはりメダカは上から眺めるのが正しい見方のようで、水草隠れや水面近くをツイツイツーイと、今も私の足音に脅えながら泳いでいる。
餌には、沖縄銘菓の「ちんすこう」を与えている。
2000.10.20 (Fri)
動物は苦手である。
「好きな動物は?」と聞かれれば、「馬、クジラ、河馬」といったところで、可愛がるよりは傍観的に見て楽しめるものをあげてしまう。
犬猫などとは視線を合わせた途端に、どちらからともなく無視しあう関係ができあがっている。まず近寄っては来ない。動物嫌いという訳でもないのだが。
■『インターネット探検』立花隆/講談社
LINKページの一番に「NASA」を置いている。これは、まだ日本にWebサイトの数が少なかった(約300)ころから、適正画像サイズや表示方式を確認するために利用させていただいたお礼の意味もある。立花隆が95年に作成した「NASAホームページ構造図」を初めて見て、なるほど、こうした図解式分析能力があって初めて鋭い現代批評が可能なのかと思った次第。
仕事では何気なく流れ図を描いていながら、自分のサイトは気まぐれに増やすだけで全く計画性や統一性がない。一度、構造図でも書いてゆっくり考えてみよう。
2000.10.19 (Thu)
吾ガ事ニ非ズ このまま過ぐるなら過ぐるならばよ 花でも喰ふか 紀野 恵
紀野恵の紡ぎ出す短歌は王朝風で「フムフムランド桂冠詩人キノメグミ」の序とともに忘れられない一冊であった。
藤原定家が日記『名月記』に「世上乱逆追討雖満耳不注之。紅旗征戎非吾事」としるしたのは旧暦9月、きっと今頃のことではなかったか。「吾ガ事ニ非ズ」と片仮名まじりで詠われると、まさに定家の苦悩がありありと感じられ、「花でも喰ふか」と慰められ、否、あやされてでもいるようである。もちろん、裏には「花も紅葉もなかりけり」の虚無が隠されているのは言うまでもないこと。
2000.10.18 (Wed)
競技用自転車街は五月なり 山根真矢 (俳句研究2000.11月号より)
醫師は安樂死を語れども逆光の自轉車屋の宙吊りの自轉車 塚本邦雄
歌集『緑色研究』の塚本邦雄の自転車に出会って以来、私にとっての自転車とは、通勤通学用に街中を走るそれではなくなり、永遠に宙吊りで骨軸をさらすモノとして記憶中枢に定着している。
しかし、競技用自転車という素材が提示された瞬間から、それは、私の記憶する自転車とはまったく別モノとして地上を快走する洗練された用具となり、カラフルなヘルメットをかぶった男が、空気抵抗を最少にして走り去って行った。
2000.10.17 (Tue)
事物を眺めるとき、その瞬間、「言葉」を忘却すること、そうして、透明な眼で事物そのものを見ようとすること。そのとき、事物はそのありのままの姿を現わすだろう。
■『彫刻家 創造への出発』飯田善國/岩波新書
一気に読み通し、彫刻家の視覚と触覚を自分にあてはめて考えていた。彫刻家の言う「言葉の忘却」とか「概念のフィルターで見ようとしない」などというのは、俳句や短歌の創作の原点と何ら変わらない。しかし、理解しても、いつも実践できるとは限らない。そこが問題なのだ。禅宗系の僧侶が「わかった!」と悟った瞬間に忘れてしまうように、同じものを見ても何度も何度も「感じる」ことが大切なのに違い無い。
「また、そこを横切ってゆく娘たちの胸のふくらみやお尻の曲面と広場のゆるやかな優美な不整曲面との奇妙な照応を、無心にたのしむことができた。」
ローマのポポロ広場に面したした一軒のカフェから、広場の微妙な勾配とエスプレッソを味わいながら「永遠とエロス」を考え続けている彫刻家の姿が見えるようであった。
そして、私は、このように書く行為によって、日常読み飛ばしていた内容をもう一度咀嚼し、触るように視ることの大切さについて思い出している。
2000.10.16 (Mon)
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず 芭蕉
■『この惑星を遊動する』/芹沢高志/岩波書店
東京、リスボン、嘉峪関、ニューヨーク、タンジール他、著者の訪れた都市での思考の断片が八十八に分割されて提示されている。1995年の段階で寄せ集めたものだというが、まさにインターネット的な思考である。
芭蕉のように漂泊もできない私はこれから何処へ遊動したいのだろうか。地球上には知らない街が多すぎる。できれば、作句の一瞬で永遠を掴みたい。
2000.10.15 (Sun)
家人が吟行に出かけた。今日は本山の大原富枝文学館周辺とのこと。
大昔、貧しい我が家にはステレオなんかなかった。小学校も中学校も高校も放送室に入浸り、好きなレコードを聴いていた。大学のアルバイトで初めて買ったレコードは『幻想交響曲』。これは、寮生活で音楽に飢え、友人の下宿にレコードを持ち込み何度も聴いた。先日、シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のCD
を入手。何だか知らないが「XRCD2」なる技術によるものらしい。そんなことはどうでも善くって、第5楽章の鐘の音が聞ければ満足。あの金属音。
過日の健康診断では少しごまかしたけれど、左耳が少し聞こえにくくなっているようだ。低音より高音が。金工を長くやっていたためか。
激論の真中へ若布サラダかな 四ッ谷龍 (むしめがね NO.15より)
機音や木の股を刺す蝉の吻 〃
慈姑の芽笑はない君診察す 冬野 虹
いさよひぬ翅ある虫の溺死体 〃
龍さんと虹さんの『むしめがね』を戴いてすでに1ヶ月が過ぎた。いくつかの句に○印を入れたままで、なかなか返信できないでいる。二人は既成の俳句に飽き足らず、自分の世界を打ち立てようと格闘している。私は自分の世界の窓から見えるものだけに○印を入れ、なかなか彼等の世界の中に踏み込んで鑑賞する余裕がない。
「血達磨になって鑑賞できるのか?」どうしても恐怖が一歩を踏み留めている。
2000.10.14 (Sat)
深酒のせいで獏睡?(爆睡)。
早朝から目覚め、メールと掲示板の確認。これって少しマニアック。
青葉木菟月の足摺岬かな 黒田杏子 (俳句研究2000.10月号より)
聴覚と視覚の饗宴。足摺岬展望台に立てば270度に深夜の海原が広がり波音が下から響いてくる。研ぎすまされた感性は「青葉木菟」の「あ」と「足摺岬」の「あ」音を選び取っている。
■『俳句とは何か』/山本健吉/角川ソフィア文庫
平成5年5月刊行本の再編集による初版文庫。初版の言葉に弱いのである。たとえば、主犯より初犯という言葉のたどたどしさが好み。
■『俳句鑑賞歳時記』/山本健吉/角川ソフィア文庫
角川文庫「現代俳句」が引出にまだ何冊も眠っている。与えようと思う若者がいないのが残念。
2000.10.13 (Fri)
午後3時より会議。その後、懇親会。
たっぷり日本酒を飲んだ。
高知の酒は、返杯があってかなり飲んでしまう。
20人集まると、盃20杯以上は軽く飲んでいることになる。
昨夜は途中から、返杯を勘弁してもらって、盃を3人で時計まわりに廻しはじめ、それでもきついので、仲間を引き入れ、またもうひとりと引き入れ、盃を廻しながら話題も提供することと勝手にルールを決め、結局、何杯飲んだか解らななってしまった。作戦失敗。その後2軒のはしごはウイスキーのロック。
小学校時代の俳句体験が話題になったが、やはり先生に誉められなかった2人が、それですっかりやる気をなくしたとのこと。その一人が今や大学の副学長。甘やかすばかりでは問題であるが、先生とは大変な職業。なれなくて、否、ならなくて幸。
2000.10.12 (Thu)
早々に不定期日誌を「不連続日誌」と改めた。
ほんの小さな違いのように見えて、中々奥が深い。
高知なり市の日覆頭をすれり 岩永佐保 (俳誌鷹2000.10月号より)
高知の日曜市の露店商の間を延々と歩いた時の寸描であろう。毎日曜日、追手筋の片側2車線を封鎖、延長1Kmにおよぶ道の両側には野菜、日用品はもとより植木、庭石、古着、骨とうなど様々なものが売られている。日の出から日没までと決められていて、場所割りはほとんど定位置のようである。
ひょいと覗こうとした山菜寿司のパックにでも気を取られ、うっかり中程が垂れ下がったビニールテントに頭が触れたのである。行き交う旅行者の話声や土佐弁が聞こえそうである。
2000.10.11 (Wed)
COOLの登録エリアを考え、金沢と高知にページを開設した。
若い人のなかには(年齢的に若いというだけ)、少し古風な印象のある俳句や短歌に興味を持つ人材が少ないのが問題である。しかし、学校教育の中で本当の良さを理解しないまま、食わず嫌いになっている人も多いことだろう。
若いころは詩も読んだが、最近は短歌から俳句へとスライドしている。やはり言葉の魔力よりも、言葉で表せる真実に興味が移ったのかもしれない。
しかし、ときどき心に沸き上がるイメージは、言葉では言い尽くせずもどかしい思いをしている。そんなときは、絵画や工芸作品で表現するときもあるが、こちらはどうも時間がかかって仕方がない。
最近はCGで表現し、プリントアウトしてしまうとすっかり満足してしまって、深みのあるものができなくなっているのかもしれない。もちろん、体力のせいもあるだろう。徹夜で七宝炉と格闘するなんてことは、1年で数週間になってしまった。
しかし、俳句の世界でも東京や大阪で若い人たちに会うと、自分が少し衰えてきたのを感じさせられる。まだまだ身体が動くうちに、新しいモノを創り出してみたいと考えている。
2000.10.10 (Tue)
日記は苦手である。ほとんど三日坊主で終わる。それなら書かなければいいと思うのだが、沸々と何か書きたくなるから厄介である。大したことを書くわけではないが、自分の記録程度に気ままに残しておきたいと思っている。
「深は新なり」
「古壺新酒」
虚子の語った二標語を考えながら、書きながら考え、思い付いたことを実行したいとも考えている。
2000.10.09 (Mon)
これはなに
まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。 |
日誌を分割しました。まだ、未来日記はありません。
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