「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.02.28(Wed)
本はまた買える日があろうと言う勿れ。あの本はもはや再び僕の手に還る日はない。
石田波郷
■『江東歳時記/清瀬村(抄)』/石田波郷随想集/講談社文芸文庫
あの本とは名著文庫の「芭蕉全集」一冊のことであった。石田波郷が出征の際に持って行けず、昭和20年3月10日の東京大空襲で城東区の家が焼け、妻の母、二人の妹とともに無くなってしまったものである。分厚い三五判とあったから、A6の文庫よりやや細みの84×148mmの大きさの本と思われる。
私の家に集まって来る本も、一度読まれるとやや行き所を失い、申し訳なさそうに書棚や机の引き出し、衣類ケースの中にまで積まれている。文庫が場所を取らなくて幸いなのだが、やはり適当な大きさ、紙質、活字をゆっくりと楽しみながら本を開きたい衝動にかられることもある。
紙の本は燃えてしまうと無くなるが、コンピュータのハードディスク、インターネット・ディスクに納められたデジタルデータは「インターネット戦争」に耐えられるのだろうか。もちろん、停電や互換機の無さによる読み出し不能も考えられるし、数秒にして消去されてしまうこともあるだろう。
大切な言葉や俳句、短歌はどうやって残せばいいのだろうか。
2001.02.27(Tue)
この本はある芸術家の顔そのものであり、嬉しい秘密の言葉でもある。
猪熊弦一郎
■『画家のおもちゃ箱』/猪熊弦一郎/写真 大倉舜二/文化出版局
全国の美術館の中でどこが好きかと尋ねられたら、迷わず香川県の「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」と答えるだろう。そんなに多くの美術館を知っているわけではないが、立地といい、大きさ、建築、展示スペース、照明、音響、企画展、喫茶コーナーなど、ほぼ満足できるものである。
個人名の付いた美術館であるから、その収蔵品が猪熊弦一郎の作品に片寄っていることは当然なのだが、彼の作品が私の好みと多分に一致するのも心安らぐ空間になっている所以である。
「画家のおもちゃ箱」には、彼のアーチストとしてのテイストにふれるものとして、高い金を出してやっと買い求めたり、貰ったり、歩道で拾ったりした数々のコレクション、つまり彼のもとに集まってきた品々が写真とエッセイで紹介されている。
見る人によればガラクタの写真集のようなものではないかと言うかもしれないが、彼が描いた油絵の中に現れる数々の顔や鳥や階段、煙突、地下鉄のように、それらのオブジェが作家のあたたか味や言葉のようなものを感じさせてくれるのである。
快晴で暖かな一日。ガソリンスタンドに設置されていたカード式の自動洗車機を初めて使った。洗ってくれるものとばかり思っていたらそのまま車内に居るように言われ、エンジンを切ってじっと我慢していたが、フロントガラスが洗われる瞬間は割れそうで嫌な気分であった。午後7時頃には頭上にオリオン、東の空やや上方に五日月が鋭く輝いていた。
2001.02.26(Mon)
朦朧とふぐりも湯婆圏にあり 藤田湘子
(俳誌鷹2001.3月号より)
湯婆(たんぽ)よりも一般的には「湯たんぽ」のほうが解りやすいだろうか。しかし、もはや湯たんぽさえ知る人は少なくなった。私も昨今は電気足温器さえ使ったことがなく、人肌の恋しい寒い夜は、もっぱら電気毛布のお世話になっている。
金属製で楕円形のあの波打った表面と重さには哀愁がある。ましてや、熱湯をいれ、ちゃぷちゃぷと音がしたり、朝になり蒲団の端でやや冷えていたりする感覚は実に俳味のある素材と言えよう。
藤田湘子が時として、生来の美意識を捨て、俳句の軽妙さを取り込もうとした時、このような句が生まれるようである。「朦朧」の一語には、まだまだ捨てきれない美意識が感じられてならないが、小さな俳句の枠に収まらないでいようとする気持だけは十分に伝わってくる。
初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり 阿波野青畝
拝みたき卒寿のふぐり春の風 飯島晴子
「ふぐり」の意味がわからない方は国語辞書をどうぞ。春、畦道に咲く青く可憐な花に「オオイヌノフグリ」と名付けた学者の真意は不明であるが、形状は確かに似ている。
忙しくて昼の散歩を取り止めにしたが、大きな建物のなかを何度も往復したり、階段を上下したため思わずカロリーを消費していた。様々な準備に汗をかくほどであったが、健康のためにはこれくらい動くのがいいようである。
2001.02.25(Sun)
趙州和尚 因僧問 狗子還有仏性也無 州云無
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有や」。州云く、「無」。
原文 無門慧開
■『無門関』/訳註 西村恵信/岩波文庫
わからないから何度も読む本がある。岩波文庫、216頁、500円ほどの本だが、何度読んでも毎回楽しめる。解らない本を読んで楽しむというのも変だが、無門慧開(1183年〜1260年、中国南宋の禅僧)の書いた原文は漢文なのでお手上げ、しかし、読下文や訳注があるので何とか読むことができる。
48則に分れていて、どこから読んでも解らなさは同じなので、一度読んでしまえば、どのページからでも寝物語に最適である。この原文を必死に読み解こうとして修行されている僧侶の方には失礼かもしれないが、私などの鑑賞ではまさに歯がたたないのだから仕方がない。まさに、童話のようなもの。
しかし、無門関の第1則が、上記より始まり、第48則の頌において、「未だ歩を挙(こ)せざる時、先ず已(すで)に到る。未だ舌を動ぜざる時、先ず説き了(おわ)る」とあるところなど、推理小説を読むより面白くて仕方がない。
昼から高知鷹句会の定例会出席。鷹俳句会の星辰賞応募20句のための勉強会として、3月17日(土)に60句句会を開催することを呼びかけた。風の強い一日であった。
2001.02.24(Sat)
一つの言語の消滅は、歴史や世界を見る窓が一つ消えることを意味する。
カレル・ヴァン・ウォルフレン
■雑誌『プレジデント』2001.2.12日号/翻訳 藤井清美/プレジデント社
今、世界中には6500余りの言語があり、今世紀中には600種類にまで減少すると予測されているそうだ。旧約聖書のバベルの塔の話ではないが、紛争の元凶の一つは多言語による意志疎通の無さに起因すると考えている。しかし、「言語こそが最も壮大な民族芸術である」といった見識には、少なからず賛同したくなる。
かつてNHK教育ラジオから流れる世界の言語の話を楽しんで聞いていた頃があった。毎週夜9時過ぎの番組であったが、何故こんなに多くの言語が生まれたのか不思議な謎を紐解いてくれるようでもあり、また、世界の広さや時の流れを感じさせてくれるものであった。
パソコンのモニター画面に表示される文字はまだ限られた言語でしかない。しかし、言語の中には、文字を持たない口承言語が今も数多く存在し、ネーティブ・スピーカーの死とともに滅びようとしているとのことである。IT革命がそれを加速しているとしたら手放しで喜んでばかりもいられない。
「鳰」はニオ、カイツブリと読む。鴨よりひとまわり小さく、潜水が得意な鳥で、俳句では冬の季語になっている。テレビ画面に池の鴨の群れが映しだされ、鳰の俳句が前面に浮かび上がったものだから、「どこに?」とあわてて近付いて見たがわからない内に次の画面に切り替わってしまった。言葉が消滅していくようで寂しくてならなかった。
2001.02.23(Fri)
高野素十の句集を読んでいて、ときにクスクスとしてしまうことがある。あまりにもあたりまえのことがそのまま書かれているからだ。
宇多喜代子
■雑誌『俳句研究』2001.3月号/富士見書房
飯島晴子亡き後、女性俳人で読ませる評論の書ける人が今何人いるだろう。否、男性を加えたところでその数が格段に増えることもなかろう。私の頭にすぐ浮かぶのは、資質は異なるが宇多喜代子や大石悦子、永島靖子、奧坂まや、正木ゆう子である。
その宇田喜代子が素十の句に独りクスクスと微笑んでしまうところが面白い。クスでは無くクスクスと言うところにひかれてしまった。例として示された句は、
嫁菜萌ゆ嫁菜に似たるものも萌ゆ
私は素十の句集を読んでもクスで終わってしまう。例えば、次のようなものである。
二つある甘茶の杓の一つとる
どこが面白いのかと聞かれると説明に困るのだが、なぜかほほえみがもれてしまうのである。(解説してしまってはその面白さが逃げてしまいそう)俳句には説明も解説もいらないのかも知れないが、それでは一般に伝えられないから何とかしようとして評論があるのかもしれない。
しかし名評論を読むよりは名句を読むほうがずっと楽しい。ただし、毎月ごまんと発表される句の中で、名句が限り無く少ないのが問題ではある。今や「消し去る俳句」を考える時代ではなかろうか。
2001.02.22(Thu)
かなりの確信を持って思うんだけど、世の中で何がいちばん人を損なうかというと、それは見当違いな褒め方をされることです。
村上春樹
■『anan』2001.2.23日号/マガジンハウス
マンションの裏にある小さなイタリア・レストランにて遅い夕食。アベックが2組。話し相手も居なかったので、入口に置いてあった雑誌を取って広げると、村上春樹の「村上ラジオ」連載47が初めにあった。
文字や写真が印刷されていれば男女の差など関係なく、普段自分では買うことのない本や雑誌を広げて見ることにしている。
俳句の初心者を誘うときは褒めるのが大切とよく聞くが、私は思ったことしか口にしないので、褒める機会が極端に少なくなる。ダメだと思ったときは、まず口を閉ざし、何も言わず、聞かれれば正直に不満な点を語ってしまう。
だから、私に褒められて人生を棒にふったような人はまだないはずだが、後輩が育たなければ、湘子先生や晴子さんから受継いだものを伝えることができなくなる。さてどうしたものか、思案の毎日である。
何だか今週は急に暖かくなったように思えてならない。仕事に振り回されてはいるけれど、そんなものはどうでもいいような気持にさせてくれる。
2001.02.21(Wed)
Pero non mi destar, deh, parla basso !
「かるがゆえに、われを揺りおこすなかれ。過ぎるものよ、声低くささやけ」と。
澤木四方吉
■『フィレンツェ美術散策』/宮下孝晴 佐藤幸三 他/新潮社
原文は昭和5年に亡くなった美術史家、澤木四方吉が「美術の都」と題したエッセイの中で紹介しているミケランジェロの言葉である。ひきしまった翻訳文もまた美しい。
フィレンツェのメディチ家廟の有名な彫刻、「夜(ノッテ)」の像に対して当時の詩人が「そは眠れり、眠れるがゆえに生けり、疑う者はこれを揺りおこせよ、しからば醒めて汝に物言うべし」と讃頌したことへの答えだという。
「曙(アウロオラ)」の像もまた艶かしい。
昼食に出かけると、午前中に降った微雨によって、木の芽が並んだ欅のそれぞれの細枝に透明球が連なりかがやいていた。あたたかな午後、そして夜の「銅の会」、流れで深夜までヴェルモットを飲みながらY嬢を俳句の会に誘っていた。興味深かかったのは、珊瑚彫刻家の父上が俳句を始められたと知ったことである。
2001.02.20(Tue)
A shape,Like a word, has innumerale associations which vibrate in the memory, and any attempt to explain it by a single analogy is as futile as the translation of a lyric poem 。
Kenneth Clark
■『The Nude』/PENGUIN BOOKS
形があって言葉が生まれるのか、言葉から形が生まれるのか、それもまた永遠の課題ではあるが、著者ケネス・クラークはひとつの形を言葉で説明することの難しさを、抒情詩の翻訳のようなものと言っている。
「The Naked and the Nude」 から始まる芸術家や職人の裸体表現についての論考であるが、性と幾何学のどちらからでもつきぬ議論ができる事実、そこにこそ永遠性の秘密があるように思えてならない。
もちろん形だけではなく色においても、コンピュータで1670万色の違いが表現できたとしても、その複雑に絡みあった色彩を伝えるためにはどんな言葉があればいいのだろうか。RGBやCMYK、xyzで表現できるのは、単色のようなやや味気ない科学的な色彩でしかないように思われる。
高知市役所から、戸籍氏名をコンピュータで利用できるものにするため、漢和辞典に載っているものと置き換えますとの案内があった。父が出生届にうっかり俗字を書いたために、正式の場合はいつも戸籍どおりに書かなければ認めてもらえなかった字である。これからはコンピュータ表記でいいことになるようだが、どこが出版した漢和辞典とは書いていなかった。
2001.02.19(Mon)
詞歌集を編むことは、言語藝術の次元における、考へ得る限りの、「秩序」と「美」と、「奢侈」と「快楽」を示顕し、これをわがものとする神をも怖れぬわざであつた。
塚本邦雄
■塚本邦雄撰『清唱千首』/冨山房百科文庫
果たして私の本棚のなかに塚本邦雄の書籍は何冊あるのだろう。詳細に数えたことはないが、箱詰めでレンタル倉庫に預けてあるものを含めれば、300冊は下るまい。しかし、日常的に手に取って再々広げるものは、持ちやすく参考にしやすいものが選ばれることになる。
上記は「晴吟の跋」と題したこの文庫の冒頭の言葉である。私はこの書き出しに痺れてしまい、何度読みかえしたか知れない。
また、同書の「千歌の序」の中には、「作品の優劣を決定、選別するのは「時間」と呼ぶ批評家である」と記しているが、歌のみにあらず、芸術作品すべてにおいて心しなければならない真理である。
塚本邦男本を読むようになって、正字、旧かながいつのまにか平気になってしまった。慣れとは恐ろしいもので、パソコンで「神」の正字が出ないだけで寂しい思いをすることになったが。
日曜にやり残した予定外の仕事に振り回されてしまった。サーバーの修理が終了したのは、昼過ぎであった。結局、昼食も取れずじまい。こんな夜は、好きな本を開き、不満解消に夢の世界に遊ぶのである。
2001.02.18(Sun)
急ぎの仕事が入っていたので、午後からいつものMacを使って作業を始めた。ところが、サーバーの調子が悪く、重要な資料の転送ができず、思った作業ができなくなってしまった。何台ものパソコンを効率良く利用できている間は便利だが、いざ動かなくなってしまうと手も足も出ない。サーバーが問題では修理することもできず、結局、明朝の約束の時間までに資料が渡せなくなってしまった。いつも余裕をもった仕事ができないのが一番の悩みである。
J社のワープロソフト最新バージョンを購入した。インターネット上で50MBのインターネットディスクが利用できるのが特徴である。しかし、Winが苦手な私は、まだインストール作業を行うべきか迷っている。やりかけの仕事が一段落して、重要ファイルを保存するまでは、とても恐ろしくて手が出せない。便利な環境を手に入れるために、危険な作業をしなければならないのが不安である。
基本的にはいつもMacやワークステーションを利用した作業を行っている。しかし、どうしても利用者が限られるため、必然的にWinを使わざるを得ないデータを渡されてしまう。このデータ移動や変換の問題にいつも悩まされている。そうかと言って、機能性を犠牲にしてまで多数派に乗り換える気にはならない。
2001.02.17(Sat)
言葉としては、いくらでも隙があるが、その根ざすところがここにあるとすれば、虚子の自信は深く、ゆらぐことを知らなかったということができよう。
倉橋羊村
■『人間虚子』/新潮社
大正4年、虚子41歳、「落葉降る下にて」と題した短篇執筆。前年の四女六子の死が虚子に深い無常観をもたらしたと倉橋羊村は読み解いている。このとき虚子の心奥に届いた自信とは「諸法実相」であり、後年、俳句に当てはめてそれをわかりやすく説いたのが「花鳥諷詠」や「客観写生」であると言う。
言葉で表せることには限界があり、伝達表現としてはいくらでも隙ができるのは当然。ただ、心に絶対の自信を持たなければ、思いは誰にも伝わりはしない。自分の心さえ納得させられなくて、どうして思いを他人の心まで届けることができようか。
「何が善か何が悪か」と虚子は呟き、どちらも「諾」としてありのままに受け入れたかったのであろう。41歳、不惑を越えたばかりで、その思いに到りつけたとしたら羨ましい限りである。
下の加江のN氏より誘いのあったカクテルパーティーに出席。電話で話のあった時は、ワインが飲めるとのことで期待して出かけたが、カクテルであった。40人ほどの若い女性中心、高知ではめずらしくオシャレな雰囲気。しかし、フォーマルとチケットにはあったが、ラフなセーター姿の男性が何人か混ざっていた。
71歳のN氏はビロードの中折帽子御愛用の伊達男。若い頃に比べ酒量は控え目とのことであったが、私のためにと数人の仲間ともども行き付けのラウンジへ梯子酒とあいなった。それから3軒、それぞれの店で御贔屓の美しい女性を紹介いただき、久しぶりに帰宅が午前3時。彼は運転手付の車で、土佐清水へ向けて深夜帰って行った。車で3時間以上の距離である。楽しい話と酒の一夜であった。獺の話を聞かせて頂いたY氏にも感謝。
2001.02.16(Fri)
たとえば後日談というものは誰でも知っていますが、前日談なんて知らない。
井上ひさし
■『本の運命』/文藝春秋
江戸時代の黄表紙の作者たちは、前日談や後日談のさらに後日談など、いろんな工夫をして、一つの話を違った視点から展開して面白く表現していたとのことである。
モノの見方というのはいい加減なもので、少し視点や論点を変えてしまうと全く違った表情を見せ始める。あまり真面目に考えているより、横にしたり逆さにしたりするほうがいいようだ。前日談なんて知らなくても良さそうなものだが、記録として残されたものは、今を知るための前日談ばかりのような気がする。確証のある未来談を書ける人がいないのだから。
パソコンで色変換すると、さっき撮ったばかりの写真の雲が金色に変わったり、空が緑にいとも簡単に操作できてしまう。同じ写真画像を違ったモニターに表示しただけでも変わって見える。やはり信じられるのは自分の眼だけなのかもしれない。
昼過ぎ、光りのなかを微雨が降りそそいだ。まだ肌寒い厳しさはあったが、日増しに暖かくなっている。しかし、四国山脈の北側ではまた雪が降ったようだ。夜空にオリオンが高く上がったころ今日の仕事を終えた。
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