2001.01.15

journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.01.15(Mon)

雪片のつれ立ちてくる深空かな   高野素十

環境問題で地球は温暖化・・・のはずだから今年もなんて暖かいのだろう・・・と思っていたら、土曜日には雪を見ることができた。明るい空からだったので嬉しくなったが、テレビニュースでは金沢市内は15年ぶりの大雪とか。

この冬、まだ、一度も積雪を見ていない私は、なんだか羨ましくて仕方がない。もちろん、雪道を運転することを考えただけで、憧れが半減してしまうのだが、南国にいる幸せの中だからこそ、「雪っていいなー」と思ってしまうのである。しかし、長靴さえ持っていない私である、まず、雪国の生活は御辞退しておこう。

家人はしきりに「雪見酒」に執心の様子。京都の町家などで、雪見障子の向こうに降る雪を見つつ、熱燗を・・・という構図が頭をかすめるらしいが、酒は一合もいらない。ことの外、寒さには弱いのである。

ball-gs2.gif 2001.01.14(Sun)

シャトー・ペトリュスは、香りで圧倒するが、
味は、まるで京都の庭園のようだった。
                           村上 龍


■『世のため、人のため、そしてもちろん自分のため』/日本放送出版協会

村上龍と藤木りえの交換メールの記録である。書名の「そしてもちろん自分のため」が少し気に入った。

もちろん、帯カバーに印刷された「作家と風俗嬢の濃やかで刺激的なやりとり」のキャッチコピーや赤い表紙カバーの乳首をつまんだ指先のアップだけで「ガブリエル・デストレとその姉妹」の全体図を思い出させる表紙にも魅せられた。

パリのベトナム料理店で飲んだ2本のワインの話に口の中がムズムズした。ボルドーのポムロワールのワインコレクションで有名な店らしいが、味の表現に京都庭園が出てくるところが作家らしくて面白い。

これだけでは、「どんな味のこと?」といったところだが、こう続く。
  全体に秘やかな花があるが、
  本当にすごいものは背後に隠されている、
  そういう感じで、無意識下に働きかけてきた。

是非とも、こんな美味しそうなワインを飲んでみたいものだが、高そうである。シャトー・ル・ゲは4種類に味が変化したとか。これもまたチェックである。

家人は、初釜で外出。
私は、朝風呂に入り昼寝、そして夜も風呂に入って何だかダラケタ一日をおくってしまった。高知市内は晴天に恵まれ温かな一日であったが、四万十川河畔はたいそう雪が積もっていたようである。

ball-gs2.gif 2001.01.13(Sat)

第一月将は時を加え、第二大歳は時を加え、第三月建は時を加え、第四行年は時を加え、第五本命は時を加える。
                           志村有弘


■『陰陽師列伝』/学習研究社

一昨年あたりから、安部清明や陰陽師に関する本が書店の一角を占めるようになってきた。抜粋は、平安時代の陰陽師、安部清明の占術書『占事略決』の「第二十二 一人の五事を問う法」の書き下しとのことである。

注釈によれば、月将は太陽宮、大歳はその年の干支、月建はその月の地支、行年(ぎょうねん)はその人の死んだ年、本命(ほんみょう)はその人の生まれた年(干支)である。

本名と本命、同じ発音である。つまり名前と干支が占術や生活に大きな役割を持っていたはずである。つまり、一千年以上、名前や家名を穢されることを恐れ、共同体の中で生きるすべを学んできた我々日本人にとって、個人主義を理解することは並み大抵のことではないはずである。

ちなみに、賀茂家は暦道、安部家は天文道の二流に分かれ陰陽道を伝えてきたと言われる。

この冬はじめて、高知市内で雪が散らつくのを見た。

ball-gs2.gif 2001.01.12(Fri)

父母の愛でましし花思ひつつ我妹と那須の草原を行く
                           明仁


■NHKニュース「歌会始の儀」/2001年1月12日より

今日の昼食時、テレビから変な声が聞こえると思ったら、午前中、皇居で行われた 歌会始の朗詠であった。今年の題は「草」である。天皇の歌は3回、皇后の歌は2回朗詠されたとか、まだまだ男女同権とはいかないものらしい。

しかし、語尾をやたらに伸ばす詠法は、それが正式なものであっても、もはや現代には通用しない時間の流れに思えてしまう。 ちなみに、取り上げた歌がいいとは思っていない。昨日の朝日新聞であったと思うが、大岡信が「折々の歌」の中で後鳥羽院の歌を取り上げ、歌の世界で天皇が民を思う気持ちを詠うのは独特のものである・・・と言うようなことがあったので、少し興味を持っただけである。

ちなみに、天皇には名字がない。昭和天皇は「裕仁」と署名していたようだが、きっと今上はこの歌に「明仁」と署名したに違いない。亡くなって追号があって始めて平成天皇と呼ばれるようである。もちろん、親が決めるようなものではない。

ball-gs2.gif 2001.01.11(Thu)

それは数学や自然と異なり、人間や社会が論理で組み立っていないからである。
                           藤原正彦


■新聞『朝日新聞』/2001年1月11日より

昼食のあいまに開いたページに、数学者が書いた「友への手紙4」が眼に留った。連載の中の部分だろうから詳細は不明であるが、何だか救われるような気持ちがした。

藤原正彦は、「どんなに素晴らしい主義や原理や教義も、それを徹底すると、必然的に矛盾に到達する」という。そうなのだ、ぶつかってばかりいるのは、何でも論理的に解決できると思っているからで、実際は根回しだの、裏工作だの、なだめたり、すかしたりしなければならないこの人間関係が矛盾だらけなのである。

物の二面性や多面性を大切にしなければならないとする数学者の頭の中が、数学嫌いの私にもなんだか共感できるようで嬉しかった。

明治生命保険の「2000年生まれ赤ちゃんの名前調査」(調査対象者8103人)では、男子「翔」、女子は「さくら」「優花」が多かったとか。でも、人と同じ名前なんてやっぱり厭ではなかろうか。それとも仲間が多くて安心するのであろうか。

ball-gs2.gif 2001.01.10(Wed)

しかし迷宮は、迷路とはまったく異質な存在なのである。それは人間存在の根源にかかわる何かを表しており、であるからこそ、世界各地のいたるところで人間の意識のおよばぬような遥かな昔から存在しつづけているのではないだろうか。
                           和泉雅人


■『迷宮学入門』/講談社現代新書

著者は「迷宮は迷路と異なり、中心にすべてを集中させる全体」ととらえ、知的ゲームに近い迷路と区別しようとしている。
例えば子宮的なものが迷宮で、口から肛門までの消化器官的なものを迷路とでも考えれば良いのであろうか。

私は牛頭人身ミノタウロスの出てくるクレタ島の迷宮ラビュリントスよりも、サハラ砂漠をこそ私の迷宮であるとしたエジプトの王(誰だったかしら)の考え方が好みである。

早朝、3時40分に目覚ましを掛け、皆既月蝕を見ようとしたが雲がありだめであった。寒い中やっと起きだし(このへんは意地)、絶対に見てやるんだとばかりに窓の外を見たり、わざわざ7階くらいまで外階段を登ったり、あの雲が切れたら見えるかもしれないと待ってみたり、20分近く外にいたけれど諦めた次第。

夜は俳句「銅の会」。新年始めての句会であったが、鷹1月号を全員持参できなくて輪読をやめ、ホッチキス(商品名でごめんなさい。みんなこう呼んでいるので。NHK出演者ならステプラーと言うのでしょうか)という方式の短冊回しによる即吟。しかし、みんなゆったりしたもので、締まりが無いと言うべきか、6枚がなかなか終わらない。私はおまけに5枚書いたので、11句作ったことになる。ただし残せるようなものは無かった。残念。

ball-gs2.gif 2001.01.09(Tue)

音楽も、もはや情報のひとつでしかないのかと思うと、悲しくてならない。
                           前原雅子


■雑誌『FM fan』/2001.No.2より/共同通信社

音楽産業となるためには、ヒットチャートが必要であり、またその評論家も活躍する場を与えられる。J−POPの中から20世紀最後の1年のお薦め10曲を選んだ評論家(ライターともいう)だが、自分が最も多く聴いたCDは「アルバレス・シングス・ガルデル」であったとか。

”Marcelo Alvarez Sings Gardel ”

確かマルチェロ・アルヴァレスはアルゼンチンのテノール歌手だし、カルロス・ガルデルはタンゴでしょう。J−POPは聴かないの、仕事以外では?

しかし、悲しんでくれる音楽愛好家がまだいる間はきっと大丈夫。下手な歌を聞かされ、騒がしいだけで面白くも何とも無いステージばかり見ていれば、確かにプロとアマの違いなどわからなくなってしまうだろうけれど、心に残る音楽を失いたくないものである。

ball-gs2.gif 2001.01.08(Mon)

今日は何だかゴロゴロしている。新聞も読んだし、テレビ映画も見たし、雑誌も読んだし。ただ、眼が疲れているのか、モニターを見つめているとしきりに瞬きが起り、文字に集中できない。考えたことをそのままキーボード入力する方が楽なのだが、画面を見ていると気分が落ち着かないので、安静をとって久しぶりのノート書き。

面倒な漢字はパソコン入力の際に修正することにして、気ままに筆を走らせる。しかし、進まない。どうもパソコンに慣れた頭は、筆先を見つめても考えをまとめてくれないようだ。慣れとは恐ろしいものである。

あまりパソコンばかり使わないで、時々、こうして筆書(そういっても、シャープペンシル)にすることにしよう。

夕方、はりまや橋近くの書店で家人と待ち合わせ。こんな時、案外、いろんな本を買ってしまう。一度読んで後はいらない本が半分くらい。そして、少し気になって参考用に手許に置くものが少し。その他、分類しにくいものも少し。この分類しにくいものをゆっくり時間を掛けて読み返すのが楽しみなのである。あまり紹介できないような類いの本、否、したくない本なのである。

昨日折れた傘の骨の修理を頼もうと思って「某デパート」に持っていったが、その場では対応できなかった。結局、梅が辻の傘屋さんの電話番号を渡されただけで、取次ぎもしてくれなかった。家人に「傘の骨なんて直す人がいないのよ」と言われたが、気に入った傘を長く使っていたいのである。

ball-gs2.gif 2001.01.07(Sun)

かつては風呂のある家の方が少なくて、皆、銭湯に行ったものである。
                           石川恭三


■『からだの歳時記』/集英社文庫

新しく沸かした一番風呂に入ると、体内のカリウムやナトリウムなどの大切な塩分が、浸透圧の影響で湯の中に出て行きやすくなるそうである。医学部の教授の言うことなので信じないといけないが、何だか少し大袈裟な感じもする。しかし、たった二人では一番風呂も二番風呂も大差ないのではなかろうか。私は後からゆっくり入るのがすきなのだが。

鉱山町の社宅で育ったため、子供の頃は会社が用意した社員用大浴場へ毎日通っていた。もちろん無料であり、銭湯などという言葉も知らなかった。三交代制の鉱夫の一の方(かた)の仕事が終わる午後4時が一番風呂をねらうチャンスであった。

しかし、一番風呂に入って水を入れようものなら大目玉を食うので、じっと熱湯を我慢しなければならず、苦行のようで、滅多に入ろうなどとは思わなかった。そして、冬の今頃など、風呂上がりの雪道を急ぎ、家に帰り着くまでにはタオルが凍って棒のようになっていたことなど楽しい思い出のひとつである。

俳句仲間8人で南国市の岡豊苑に吟行。苑内に温泉大浴場があるという話につられ、苦手な吟行会に参加することにした。2時間以内、10句出しとの制限であったが、まずゆったりと風呂に入り、身体をあたため、雨上がりの苑内を散策した。惜しむらくは、悪趣味の彫刻や絵が枯苑の風景を損なっていたことである。

見るべきは見き枯苑の百舌鳥が鳴く   郁摩

ball-gs2.gif 2001.01.06(Sat)

生たぬし春の畑のつむじ風
                           藤田湘子


マンションの玄関に短冊掛けを吊るし、季節ごとに手持ちの短冊の中から季節にあったものと取替えている。毎年正月には湘子先生の「初暦真紅をもつて始まりぬ」を掛けていたが、今年、家人が選んだのは「つむじ風」の句であった。

鷹35周年記念大会で頂いたものだが、「生たぬし」の一言によって、玄関に掛け毎日出会う句としては申し分のないものである。

床の間のない我が家では茶掛けの軸などかけることもないので、待ち合いにかけるような短冊が重宝する。色紙もたくさん頂いているが、色紙掛けを出そうとすると今度は大きな版画をしまうことになるので、今のところ短冊が気にいっている。あらたまった席を設けるならその準備が大変であるが、日常二人だけの生活ではシンプルでいられればそれでいいと考えている。

午後から半日遊び、疲れて帰ってきていい句に迎えられると本当に充実した一日が過ごせたような気持ちになる。午前中、朝寝坊していたことは、この際、無視することにしよう。親参りも終わり、やっと正月休みに入ったような気持ちになっている。

ball-gs2.gif 2001.01.05(Fri)

わたしたちは日本語の文を話したり、聞いたりするとき、直感的にハとガの違いを区別して、文の微妙な意味の違いをすばやくとらえる。
                           森本順子


■『日本語の謎を探る』/ちくま新書

俳句や短歌では助詞の「てにをは」が大切であるとよく言われる。

もちろん一般の会話や文章でも重要なことに変わりはないのだが、それほど深く一語の助詞に関わるより、全体の内容や気分が伝わっていればいいだろうと、使い方が間違っていることに気付いたとしても意味を汲み取り、いちいち相手に指摘しないのが分別のある大人と言うものらしい。

ところが、なんとなく子供のときから日本語を使ってきたために、使えてもその違いが明確に説明できない場合が多いのである。確かに直感的と言えるほど瞬時に選択しているのだが、後から読み返してみると「は」でも「が」でも意味が通じ、自分ですらどちらのことを言いたかったのか悩んでしまったりするから、ますます話をややこしくする。

主文には「ハ」、複文には「ガ」なんていう大づかみの指針も実践では少し役立ちそうである。しかし、新世紀の挨拶がうまくできなくて何度か恥ずかしい思いをした。本当に言葉は難しい。

ball-gs2.gif 2001.01.04(Thu)

「Untitled #15」1999年
                           野口香子


■雑誌『MADO 美術の窓』2001年1月号/生活の友社

美術系の雑誌はめったに買わない。定期購読している季刊「プリンツ21」くらいのもので、まず立読みですましてしまう。画集を買うことはあっても雑誌はあまり参考にならないからだろうか。あるいは、買いはじめるときりが無いからというのも一つの理由かもしれない。

巻頭特集「女流元年」と題して編集部が選んだ80名にアンケート、そのうち69名から回答があったとのこと。その中で目にとまった作品写真は、4cm四方の小ささで印刷された1970年生まれの若い作家のものである。女子美術大学日本画科卒の肩書があるので日本画なのだろうが、この大きさではまず判別できない。

しかし、抽象の形と抑えられた色調、絵の具を叩き付け、あるいは流れ落ちたような流動感はこの絵の前に立って実物を鑑賞してみたい気持にさせるものであった。もちろん実物を見て落胆することもあるだろうが、好きな美術家が「長谷川等伯」、好きな映画が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」なんて答えるところも惹かれる要因であった。

今日から仕事に取りかかった。頭がまだ正月気分でどうもいけない。明日働けばまた休みというのも回転が上がらない原因かもしれない。

ball-gs2.gif 2001.01.03(Wed)

永和九年 歳在癸丑 暮春之春
                           王 羲之


■雑誌『墨』2001年1・2月号/芸術新聞社

2年ほど前であろうか。テレビで故宮博物館の収蔵品の紹介を見ていて、たまたま目にした字に惹かれ、後で調べてみようと思っていたのだが、「じょらんてい」なんていい加減な覚え方をしていたため、さっぱり見つからなかった。確か「蘭」の字があったと思ったのだが、それらしい題名の中国法書選など広げてみてもどうも違うようで、心奥にひとところ靄がかかったようでもあった。

愛媛の実家から高知市へ午後帰着。一年の最初の買物は本が適当であろう、と新しくできた書店へ直行。たまたま雑誌コーナーを覗いていたら「蘭亭序」と表紙に印刷された雑誌を発見。書道愛好家を対象としたものに違い無く、普段はまず手に取る機会のない類いであるが開いてみると確かにそれと思しき字が掲載されていた。

書家なら誰でも知っていて当然(必須の手本)のような有名なものらしく、中国の書聖・王羲之(おうぎし)が蘭亭で遊び、友人達と作った詩の序文を書いたものの臨書(コピー)とのことであった。私が探していたのは、『虞世南臨蘭亭序』(蘭亭八柱第一 張金界奴本)と呼ぶもの。あまりにも有名なためコピーのコピーまでもが出まわり過ぎて、うろ覚えの名前では分からなかったわけである。

さて、本物はいったいどのような字であったのだろう。

ball-gs2.gif 2001.01.02(Tue)

いずれにせよ、現行の暦本に示されている凶日のみをとってみても、一年のうち吉とされる日は極く限られた数しかないといってよい。

■『こよみ事典』/川口謙二、池田孝、池田政弘/東京美術選書

甥が彼女と「日和佐参り」をしてきたとのことであった。母の厄抜けのためというから見上げたものである。

ついでに自分達も御神籤を引いたところ、彼女が「凶」と出たため、引き直して「小吉」にしたとの尾ひれまで付いていて笑ってしまった。

御神籤の中に入れられる「大吉、中吉、小吉、凶」の割合はどんなものだろう。果たして4等分なのだろうか。中には「大凶」や「中凶」も混ぜているのだろうか。これまで続けて御神籤を引いたことがないので思い至らなかったが、頭の中にヒストグラムやパレート図が浮かび、「正規分布かしら?」などと仕方のない妄想が駆け巡り、神をも恐れぬ統計学にもう一歩で陥るところであった。

しかし、確かに暦の中で「吉」が重なる日は極端に少ない。だからこそ、「暦の各段を縦に見て全部の段が総て吉日となる日を探すと云う事は邪道であり」として、各人に都合の良い見方をせよと教えているのである。それでも御神籤を続けて引くのはやはり邪道だろうか・・・。

高知から愛媛への高速道路(制限時速70Km)はトンネルばかりである。山間部では、みぞれまじりの小雨であったが、昨年ほどの渋滞はなかった。

ball-gs2.gif 2001.01.01(Mon)

砂漠を見渡せるようになってすぐ、あっと気づいた。これは、「地上絵」ではない!「線」なのだと。
                           海部宣男


■『宇宙をうたう』/中公新書

小さなセスナ機が緑美しいナスカの町から飛び立つとすぐ、赤い石の砂漠に記された「ナスカ・ラインズ」を著者ははっきりと確認したのである。

私のパソコンのディスクトップ・パターンは購入以来「ナスカの地上絵(ハチドリ)」である。数多い図柄の中でも、なぜかこの俯瞰的視角と地味な色彩が気に入っている。なぜこのような途方も無い大きさのイメージを地上に描いたのか不明であるが、その謎が想像力を刺激してくれ、また魅力的なのである。

この二万本にものぼる消えかけた直線と三角形の製作者たち、プレ・インカの人々は文字を持たなかったと言われる。彼らは何を伝えようとしたのだろうか。

2001年、新世紀となった。しかし、昨日と変わらぬ時間が流れている。この時間を変えようとする意志を持ち続けない限り何も変わらないのだと自分に言い聞かせている。

 


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