「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.06.15(Fri)
空蝉のこゑさやさやとしぐれつつ餘命とは命あまれることか 塚本邦雄
■第22歌集『汨羅變』/短歌研究社
苦手なものや興味の湧かないものを後回しにする癖がある。後でこまると解っているのだが、どうも切羽詰まらないと手につかないから困ってしまう。何かいい方法は無いかと考えるのだが、まず思いつかない。
梅雨になってもそれらしい雨が少ない。梅雨が明けると、地中から蝉が抜け出してきて、鳴き始めるのだが、さて今年はどの樹に最初の空蝉を見ることだろう。
子を残さない生き物(人間)にとって、「餘命」とはいつからだろうか。
2001.06.14(Thu)
先日築地ブディストホールで行われたマラソン・リーディングで藤原龍一郎さんの、録音された声とのコラボレーションによる朗読を聴きました。過去の声と生の声が編む世界に浸りながら、今生きている空間というのは常に過去と未来を少しずつ巻き込みながら存在しているのだと、今回の本のことも含めて気づかされたような気がします。
東 直子
■メールマガジン【@ラエティティア・第10】4 Jun 2001/ss@imagenet.co.jp
「過去の声と生の声が編む世界に浸り」とは、なんと面白そうな世界だろう。自分で発した声ですら、自分の耳に届くまでにわずかなタイムロスが生じる。その時間をもっと引き延ばすような録音との掛け合わせとは、生と死の時間のようではないか。
かつて、グレープの歌った「精霊流し」には、亡き恋人の声がテープレコーダから聞こえてくると言うフレーズがあったが、ビデオに収録された故人の映像や声は、異次元への出入口のようでもある。
東直子の短歌から、もう少し甘さが消えればと思う。まだ私の記憶できる歌がないのが残念である。
2001.06.13(Wed)
氏名や肖像などに経済的価値を認める「パブリシティ権」が、競走馬などの「物」にも適用されることが名古屋高裁の判決で再確認された。(本誌記者)
■『日経デザイン』2001年6月号/日経BP社
ただし、まだG1出走馬ではなく、G1優勝馬にしか「パブリシティ権」があるとは認められていないが、それでもいい。弁理士・牛木里一によれば、「名古屋地裁の平成12年1月19日判決は、人物以外のの「物」についてパブリシティ権を承認したわが国最初の判決として画期的なもの」とされ、名古屋高裁もこれを認めたことになる。
私は人間の次に、猿や犬や猫ではなく、馬の「パブリシティ権」が認められたことを喜んでいる。それだけ馬名は「顧客吸引力」をもっていることになる。もちろん、馬の死後は、その最後の飼い主(所有者)に権利が帰属するそうである。
さて、トウカイテイオーやホクトベガ、オグリキャップなどの馬主に無断でその名前を使用したゲームソフト会社は、いくらの損害賠償金を払うのだろう。
作業をしていると、ラジオからN響定期公演の生中継で「弦楽のためのレクイエム」が流れてきた。何度聞いても胸に突き刺さる素敵な曲である。
2001.06.12(Tue)
晩年やいずこも鳥の止まり居る 永田耕衣
■『殺祖』
高知D美術画廊へ展覧会の案内状デザインの許可を貰いに出かける。文字校正が本来の目的なのだが、美術部がOKしても広告宣伝部に回されると必ずデザイン修正を指示される。近年は、修正されないようにするために印刷期限ギリギリで持参するようにしている。それでも、どこか必ず直させようとするから苦手である。
打合せのあと、ふらりと立ち寄ったミニギャラリーで小ぶりの片口が目に止まった。作者がいたので聞いてみると砥部焼とのこと。確かに磁器なのだが、どの作品も藍を使わず、乳白色かうっすらと緑味がかかったものであった。壁掛花入が最も気にいったのだが、自宅での使い勝手を考え、あきらめて片口を求めることにした。
この「目付き片口」は、正面から見ると、鳥のようにもみえる。夜、早速使ってみると、手にしっくりと馴染む大きさであった。次回は「花びら酒」にしようと考えている。若き陶芸家、遠藤裕人。
2001.06.11(Mon)
食べること、生むこと。動物のやっているようなことが女性のいちばん大きな仕事でしょう。というか、女性がいなければ動物としての人間はしようがない。
正木ゆう子
■『女性俳句の世界』/「俳句研究」編集部編/富士見書房
「女性俳句の現在」について坪内稔典との対談の中に出て来た言葉である。「しようがない」と言うのは飯島晴子の口癖ではないかと思っていたので、同じ女性の正木ゆう子からこの言葉が出て、何故か嬉しかった。それも、男性の存在なんて消してしまいそうな勢いなので、ちょっと癪に障るが、とりあえず許しておこう。
「宇多さんはまたちょっと違います。戦車のように現象をなぎ倒しながら俳句にしていくというタイプ」
「飯島晴子さんの場合は作品としてもたしかに4Tに入らない新しいタイプ」
「津田さんは存在そのものという感じで、動物的に詠んでいらっしゃる」
「私は動物的だと思います。でも、津田さんはたくましいが私はたくましくない」
正木ゆう子の頭の中では、それぞれの俳人がすっきりと特徴のあるタイプとして分けられている。はたして女性がいなければ俳句もダメになりそうな気配である。
2001.06.10(Sun)
こうして武満徹の音楽には、つねに、「ことば」←→「イメージ」←→「想像力」←→「創造力」←→「音楽」といった相互関係、彼独特ともいえる循環関係といったものが存在する。
秋山邦晴
■『武満 徹展−−目と耳のために』/文房堂ギャラリー
1993年に開催された「武満徹展」で求めた図録を取り出して見ていた。私が訪れた前日、このギャラリーで演奏会があったそうで、武満徹に会うことができたかもしれないと非常に残念に思った記憶がある。彼は96年2月20日に亡くなっている。
この図録にあるデザイナー杉浦康平との共同制作により1962年に発表された図形楽譜「ピアニストのためのコロナ」を見ているだけで、不思議な音が沸き上がってくる。しかし、今年のカレントクラフト展のテーマ制作が「音または響」なので、なんとか工芸作品の中に音を表現しようとしているのだが、まったく快い音が響いてこないのが問題である。
2001.06.09(Sat)
月光の象番にならぬかといふ 飯島晴子
■『春の蔵』/永田書房
工芸制作にもかなりメンタルな部分が作用する。糸鋸によるたった一本の切断線であっても、気分が高揚していないときは、はっきりとそれが現われてしまう。真直ぐに切っているはずなのだが、ふと意識があらぬことを考えたり、誰かの言葉が思い出されたりすると、それだけで線から緊張感が消えてしまう。曖昧に生きているつもりだが、なぜか工芸作品のことになると、その曖昧さが自分で許せなくなるからこまってしまう。
昨夜は疲労のため早く寝てしまったので、今日こそはの思いであったが、あらぬ事件があって、すっかりやるきが失せてしまった。作品展までに間に合うのだろうか。
2001.06.08(Fri)
この日も翌日も、私たちは、警備兵に追い出されるまで撮りつづけました。二日間でフィルムで約百本、三千カット以上を撮影しました。
田宮俊作
■『田宮模型の仕事』/文藝春秋
(株)タミヤ本社を見学。帰りに受付のデスクにこの本があったので一冊求めることにした。ぱらりと開くと著者の名前と朱印が押されていたからでもある。筆ペンではあったが、実にしっかりとした署名が気に入ったとも言える。
まだ、プラモデル黎明期の1966年、アメリカへの視察旅行のおり、アバディーン戦車博物館を訪れた時のことである。昼食もそこそこに、時間を惜しんで貴重な資料写真を作ろうとした田宮俊作の思いが伝わってきた。
本社見学で私の最も印象に残ったのは、ちらりと見たファイルキャビネットにびっしり並んだ写真ファイルであり、階段の隅まで塵ひとつない磨かれた通路であった。
2001.06.07(Thu)
大衆はやはりブランド好きで、それは芸術でもそうだと思う。
富岡多惠子
■『讀賣新聞』2001年6月7日/読売新聞社
紙上シンポジウム「芸術と大衆」より。
樋口広太郎と稲増龍夫を相手に「企業メセナ」を語る中で、「まったく初めてのものはなかなか受け入れられないのではないかと思う」とも述べている。私は「大衆」などという言葉すら信じていない。
しかし、芸術作品が新規性に富むとき、やはりその素晴らしさを誰かが理解し、わかりやすい言葉で伝える必要はある。芸術家は言葉よりも感性が先行してしまい、それが汚されるような言葉に翻訳する仕事を苦手としているとも考えられる。
言葉で置き換えられるモノなら、それは必要ないモノとされるから当然かもしれないが、文学作品でさえ、今ある言葉で説明しにくい感覚を盛り込もうとするから、ブランドになるまで、一般に受け入れられるには相当の時間がかかりそうなのだ。
安っぽい批評家が増えるばかりでもこまるが、いつの時代も、芸術を認める目利きが必要とされるはずである。「芸術」とは、古いスタイルを壊し、新しいスタイルを創造することなのだから。つまり、それは、新しい分類を付け加えることでもある。
高知は快晴。伊丹は曇天。京都を過ぎ、関ヶ原は雨、静岡市内は曇りであった。
2001.06.06(Wed)
「五人会賞」は鷹で初めての団体賞。肩を組んで溌剌と応募しよう。
■俳句雑誌『鷹』2001年6月号/鷹俳句会
鷹俳句会に今年から創設された「五人会賞」に、私が連絡員となっている「銅の会」として応募する作品10句を選んだ。メンバーは6人。まだ作句を初めて3ヶ月の仲間が2人もいる。しかし、個性を尊重して、漢字やかなの間違い意外は直さず、各自10句持参の中から句会形式で高点句を中心に選択した。
全国の俳句結社の中で、団体賞を設定しているところは他にあるだろうか。
「何でもいいから自由に作りなさい」と言うと、とても10句もできそうもなかったので、2週間前に必ず「青」を入れて作る約束にしておいた。普段、3句もできない者が、条件を付けられると、何んとか作って持ってきたのは、思考が限定されたためでもある。難しい問題を「分けて考える」というのは人間の能力に他ならない。
坂本竜馬の「船中八策」が頭の隅を閃いて消えていった。
2001.06.05(Tue)
柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子
■第2句集『雲の流域』/金星堂
電話を受けるのは苦手である。従って、電話を掛けるのも最小限に留めてきた。しかし、もはや、その時代は終わったようだ。電話など、もはや日常。電話を掛けて相手の仕事に割り込んでも、仕事の邪魔をしたなどと思う人は少なくなっている。
大事な打合せをしている時でも、割り込んできた電話を優先してしまう人とは、あまり深くは付合いたくない。頭が堅いと言われても、これは仕方がない。
虚子の句にも、「事務多忙頭を上げて春惜む」というのがある。「多忙」となるのは手際が悪いか、依頼を断れないか、興味が多すぎるかのどれかである。
雨が来そうなので傘を持って、散歩を兼ねた昼食に出た。思ったとおり帰りは小雨であったが、溝川の中で跳ねる大鯉を何匹も見ることができた。
2001.06.04(Mon)
私は、地域の現実のなかで多くの人々に会いながら、現実の条件下での「勇者」たちに出会ったのだと思っている。
高杉晋吾
■『循環型社会の「モデル」がここにある』/ダイヤモンド社
副題に『時代を切り拓く「勇者」の条件』とあった。当初はこちらが題名になる予定であったと聞いている。ジャーナリスト高杉晋吾が「勇者」の言葉にこだわるとき、私はその後ろに、あのジョン・F・ケネディの「勇気ある人々」を何故か感じられてならない。
生活の現実の中では、あらゆる試練に遭遇する。そして、常に良心に従えば失うモノも大きい。しかし、今を逃して、もう少し後なら多くの賛同が得られるとしても、誰かがそのきっかけを作り、始めなければ時代は拓かれない。循環型社会を目指し、エコロジーとデザインが結びついて、「エコデザイン」という言葉が使われ始めたが、その実践は難しい。
軟弱な私は、心に「勇気」を持ち、現実の困難に立ち向かう「勇者」にはなれなくとも、ほんの少し、その後ろで旗振りくらいのお役に立ちたいと考えている。
2001.06.03(Sun)
馬 Horse 1973
■詩情のオブジェ『鈴木治の陶芸』/日本経済新聞社
本の間から1999年、京都文化博物館の入場券の切れ端が出て来た。鈴木治とは、あの「ザムザ氏の散歩」を作った八木一夫などと共に走泥社を結成した陶芸家である。
私は彼の作る馬が好きで、繰り返し現れるモチーフだが、中でも1973年に作られた馬のオブジェが最も好みである。「好み」と言うのも少し違う、まさに脱帽、まいりましたと感心させられ、言葉を失い何時間でも何度でも見飽きない作品なのである。
形は俳句以上に単純化され、馬が左足もとへ首を折り返した様をしている。写生ではなく、頭の中にある馬のイメージから作り出されたものに違いないのだが、確かにそこに一頭の馬がいる。46歳の作品である。見飽きない作品を作りたいと思う。
2001.06.02(Sat)
鷲よ、お前の力は、大地から発するものが、
私の中に創る言葉の力だ。
ルドルフ・シュタイナー
■『遺された黒板絵』/Rudolf Steiner/訳 高橋巖/筑摩書房
学校の授業で使われた黒板は、いつしか緑板、そして白板へと変わっていった。しかし、今思い返せば、あの黒板に文字しか描かれなかったとしたら、授業は何と退屈なものだっただろう。幸いにも山奥の小学校のI先生は実に絵の好きな人で、授業に関係したことばかりか、頼めばどんな絵でも黒板に描いてくれた。資料を何も見ないで動物でも乗物でも実にリアルに描くのには子供心にわくわくしたものだった。
シュタイナーの黒板絵が生徒の発案で黒い紙に1000枚も保存されていたとは驚くべきことである。絵の具ではなく、チョークの限られた色で、会話とともにみるみると描かれていった様が見えるようである。
もちろん、その中には絵や図ばかりか文字や詩と呼べるものもある。1923年10月20日に描かれた上の言葉には「私の学ぶべき言葉」の題がある。宇宙と時と大地と人間の交響が描かれている。
2001.06.01(Fri)
八十路半ばをんなは女亀鳴けり 大沼たい
■句集『黄八丈』/石田書房
男も女も、特殊な事情をのぞいて、途中から性別を変えることはない。男女平等と言葉では思っても、それなら変えてみろと言われると、ちょっと後悔する。きっと平等ではないあれこれを想像するからに違いない。
大沼たいは秋田生まれの温かくやさしい眼差しの人である。六十六歳から俳句を始めたそうだが、俳句は才能だけではなく、人柄が大切であるとしみじみ思う。他人をおもい遣るこころは、自分を大切にできる人にしか、決して育たない。いつも笑顔でいられることは本当に素晴らしいことなのだ。
銅板を糸鋸で切る。まだ本調子とは言えない。切っている間に迷いが涌いてくる。
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