「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.06.30(Sat)
漢字によって記録されるのは、甲骨文の場合、儀礼をとりおこなったという記録などであり、その儀礼において漢字が直接関わったかどうかはわからない。しかし、おそらく神との交信において漢字が機能していたからこそ、その漢字を用いて記録することが神聖な行為として継続されたのであろう。
平勢隆郎
■『よみがえる文字と呪術の帝国』/中央公論新社
著者名は「ひらせ・たかお」であるが、残念ながら、「勢」「隆」の本字をWebで表現するには該当コードがないので、上記でお許しを願うことにした。
詳細は、下記サイトより確認することができる。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/7239/talk0102.htm
中国の殷と周での文字機能の微妙な違いを読みながら、日本における銅鐸消失、いや廃棄の時代の様子が頭の隅を駆け巡った。言葉に隠された謎を追うことは、すなわち時代を見据えることでもあるようだ。青銅器に鋳込まれた文字がすらすら解読できるなら、やまとの神ならぬ神に近付くことができるかもしれない。
2001.06.29(Fri)
無知であるがゆえに
神聖なる言葉を
あやまって
使う者たちを
私は許そう
岡野玲子
■『陰陽師』第10巻/岡野玲子/原作 夢枕獏/白泉社
半月前から探していた漫画がやっと手に入った。この忙しい時に、何度、本屋に足を運んだことか。しかし、こんな小難しいコミックを読む層とは、いったいどんな人たちなのだろう。「ファンシー・ダンス」なら、毎回くすくす笑って読んで、たまにどきりとしたのだけれど、これでは小説を読んでいるのと変わらないではないか。
心と心で話し合うことができるものは言葉を必要としない。しかし、その術を持たないものは、言葉に置き換えられた思念からしか、相手の望むことを理解することができない。あやまって使っている「特殊な意志を持つ言葉」、つまり、言挙げされる言葉のなんと多いことか。万葉集にも、次のように詠われているはずである。
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国然れども言挙げぞ我がする・・・・」
昼からA病院にて両肩のMR検査と肘から先の感覚検査。2時間くらいで終わると考えていたが、結局3時間以上かかってしまった。頚椎ほどではないが、やはり詳細に調べると、どこかに病変部位が見つかる。しかし、自分で確認しておけば、まだ対処法や無理をしないように心掛けられるだけましであろう。リハビリへのお勧めもあったが、7月中旬までは行けそうもない。とりあえず、病名は言挙げせぬことにする。
2001.06.28(Thu)
秋葉原の電気街で買える市販の部品を用い、最小限のコストで二足歩行ロボットを作ることができないかと考えたのだ。
松井龍哉
■『日経デザイン』2001年7月号/日経BP社
科学技術振興事業団ERATO・北野共生システムプロジェクトの開発コンセプトは、「プアマンズヒューマノイドロボット」であり、このロボットに付けられた名前はあの童話のピノキオから閃いた「PINO」であったという。
莫大な予算と時間をかけず、最小限での挑戦。そして、身長70cm、やっと歩き方を覚え始めた生後10ヶ月の赤ん坊と同じ大きさ、よちよち歩きのロボットである。
今話題になっているスピルバーグの映画「A.I.」にはとても及ばないだろうが、ひと昔前なら、電気街で買える市販の部品さえなかったはずである。
もちろん、夢はアトムのようなスーパーロボットなのだろうが、思わず手を差し伸べたくなるような、「かんばれ!」と声をかけたくなるようなロボットにさえ、人は名前を付けて応援しようとするのである。
特注のボディは光造型により作られたようだが、液状樹脂にレーザー光線があたり硬化積層されてできる様を思い浮かべると、何だか神が人を作った場面のようですらある。
2001.06.27(Wed)
炎天の夏を咲きほこる季節の花の王者はダーリアであるかもしれない。今では大衆的の花であり、どこでも見られる。
日野 巖
■『植物歳時記』/法政大学出版局
夏の花の王者と言われても、私はあまりダリアが好きではない。もともとはメキシコ原産、天保13年にオランダ船が初めて日本に持ってきたもの。洋名よりは「天竺牡丹」のほうがまだいいのだが、リンネの弟子の植物学者アンドレアス・ダールの名を取ってダーリアと命名されたと解説されている。
ダアリアは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり 斎藤茂吉
君と見て一期の別れする時もダリアは紅しダリアは紅し 北原白秋
放たれし女のごとくわが妻の振舞ふ日なりダリヤを見入る 石川啄木
こうして3首並べてみても、それぞれに違った表記がされ、作家それぞれの個性が滲み出た怪しい世界が表現されている。大衆的な花と言われても、さて、その大衆は何処へ行ってしまったのだろう。あのマスメディアに踊らされる我々を今は大衆と呼ぶのだろうか。ダーリアのような大衆の一人にだけはなりたくないものである。
2001.06.26(Tue)
けふ見たる桜の中に睡るなり 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年7月号/鷹俳句会
古今、「雪月花」の句は数えようも無いほど詠われている。それでも尚かつ、新しい一句を付け加えようと、類想や失敗を恐れず挑戦を試みるのが俳人である。
藤田湘子の句には、作者の目に映った桜の情景がまったく描かれていない。それなのに、この句を読み終えると、何とも幸せな気分になるのはまるで魔法のようである。つまり、「桜」一文字をもって、読者のこれまでの生涯の中で最も素晴らしい桜を想起させるように仕立てられ、その夢の世界に自分も落ち込んで睡りたいと同調させてしまうからに他ならない。
人は一生の内に、何度「桜」を見るだろう。その中で、真実幸せな気分で桜を見ることが可能なのは果たして何度だろう。美しい桜に出会えるのは何度だろう。去年見た、いや、これまでに見た桜よりも今年の桜は豪華で美しかっただろうか。
2001.06.25(Mon)
標準案内用図記号125種類がきまりました!
交通エコロジー・モビリティ財団
東京の地下鉄構内を歩いて目に入ったポスターが2枚あった。1枚は競馬のトゥインクルレースへの案内であり、黒地に浮かんだ馬が素敵で、誰もいなければもらって帰りたいほどであった。
そうして、もう1枚は、お役所的なデザインで面白みのないものであったが、大切な内容が表現されたものだった。つまり、2年ほど前から、国土交通省(元運輸省)の外郭団体が事務局となり、国内にあふれすぎている「サインシステムの図や記号」を、誰にもわかるものに統一しようと検討した結果、この3月に一般案内用に使用が望ましい125種類を決定したという告知であった。
図記号は、文字や言葉にかわってメッセージを伝えるものであり、とりあえず誰もがその原則の意味を知らなければ、表示しても役立たないものである。もっとも、サインシステムの根本は”わかりやすい標識”でなければならないのだが。そこで、一度に125種類表示して、注意を喚起することも大切だが、さしあたり安全関係や指示関係の10種くらいを、もっと目立たせる必要があるのではなかろうか。その後、他のサインを広めて欲しいと思っている。
「Keep Left」「左側にお立ち下さい」と言っても、皆が知らなければ、通路で邪魔になってしまう。東京のように全国から人が集まるところで、エスカレーターの左右に並んで立止まられてしまっては、急ぐ人にとってはこまりものだろう。
否、待てよ、パリやミラノなら「Keep right」のはずであるが、日本では、どちらに立ち止まっていればいいのだろう。
2001.06.24(Sun)
一種イ第二十三番墓地涼し 加藤静夫
S女史のお世話により、青山墓地の飯島晴子の墓参。かつて、高知の揚田蒼生の墓参りに彼女が来てくれた時のことなどが思いだされ切なかった。
参加者12名で東京青山句会。2時までに10句出しであったが、その中で、私がいただいた1句が加藤静夫の句であった。まだ、どこにも発表されていないので、推敲改作があるかもしれない。しかし、私はこれでよいとも良いと思っている。
たまたま青山墓地の晴子の墓の地表示に使われていたものなのだか、この句を縦書きで読んだ瞬間、背中に衝撃が走った。やはり俳句は縦書きで読まないとダメだなと思うと同時に、現実はアラビア数字であったが漢字に置き換えられ、一句に、偶然「一、二、三」の漢字と片仮名の「イ」が入っているのである。
つまり、飯島晴子の墓を越え、すべての人間の死後の墓が、ただの数字と片仮名で記号化され、高貴も貧富もなく平等にあつかわれるものであること。そして季語「涼し」の働きによる悲しみへの救いがここには書きとめられているのである。
丸眼鏡の猫好きでやさしい男は、鋭い視線を、そのおどけた眼鏡で隠そうとしているのかも知れない。
2001.06.23(Sat)
美術では花や果実、器など静止して動かないものを静物という。英語では、「スティル・ライフ」。「スティル・ライフ」という言葉は「静かな生活」とも訳せる。傍目には静かな生活を送っている人が、深い悲しみをこらえていたりすることがある。
長谷川櫂
■『現代俳句の鑑賞101』1977年9月号/編著 長谷川櫂/新書館
鷹俳句会の第36回・同人総会に出席。初めての会場の如水会館へは早めに出掛けたが、S理事長が積極的に動き、ほぼ準備が整っていた。総会のプログラムに、はじめてフリートークセッションを設けたが、M女史の見事なさばきでスムーズに進んだ。
私が進行役なら、また違った雰囲気になったかもしれないが、鷹の誰が進行役を務めても、それぞれの世界が醸し出された筈である。否、そうでなければ面白く無い。
懇親会では、仲間や先輩に積極的に「あなたの俳句勉強法は?」とか「地区指導の方法は?」などと質問を投げかけ、いつもの話題よりは俳句の話に集中することができたように思う。
高野途上先輩が、鞄の中の俳句ノートや手持ちの本を見せてくれた。その中に、私もすでに持っていた上掲の本があり、見逃していた疑問を正してくれた。
「現代俳人101人の代表句がどうしてこんなに抜きだせているのですか?」
「あれは、4人を除いて、自選句を集めたものなんだよ」
「え、自選だったんですか。よく皆さん長谷川櫂に協力してくれたものですね」
2001.06.22(Fri)
「もちろん夕陽はどこの町にも沈むさ。だがね、日本一美しい夕陽が沈む町は、新潟だろ?」
新井 満
■『ARCAS アルカス』2001年6月号/日本エアシステム機内誌
全国から観光客が殺到するような新潟のPR文句を市役所勤務の友人に頼まれ、考えた時の話だという。こんなに決めつけていいのだろうか。
しかし、確かにその夕日を見なければ比較できないのだから、一度は新潟を訪れなければならない。発想は常に前向きに。あまり深刻に考えるよりも、半分くらいは法螺も混じって、自分を鼓舞するくらいが丁度いいのかもしれない。そして、実力がそのうちに付いてくるとしたら幸いなのだから。
航空機の非常口のシートに座って客室アテンダントと向き合って座ることになった。美しい脚線ながら左膝頭にあった傷痕の白さが目に入って、短い時間ながら、何か小説を紐解くようにいろいろな情景が想像された。何か気になる物があると、其処に意識が集中し、其処からまた広がっていくのに違いない。
夜は心地よい音楽を聞いたが、少しもの足らない部分があるとしたら、その心地良さだったかもしれない。第2部の頭あたりで、すこし衝撃的な音が混ざって、後々まで印象を強くするものがあれば良かったのではと、ワインを飲みながら話しあった。
2001.06.21(Thu)
この熱処理は焼もどしであって、加工歪を除くとともに再結晶させ、析出をうながし適当の組織にしている。このようにしてでき上がった銅鑼は余韻の長いうなりをともなう妙なる音色になる。
香取一男
■『工芸家のための金属ノート』/アグネ技術センター
金属処理のひとつに「焼もどし」と言われるものがある。これは水や油による急冷の「焼入れ」に対して、徐冷することなのだが、銅鑼制作においてもこの手法が使われているとのことである。
つまり、金属の銅にかなりの割合(15〜20%)で錫を混ぜ鋳造したものを数回加熱と焼入れを繰り返した後、「焼もどし」が行われる。鋳造で片寄った錫を拡散するのに役立つのかも知れないが、こうすることによって長いうなりを持つようになることを古人はどうして見つけることができたのだろう。銅鑼制作にこだわった人間が一生かけて見つけたものを、秘伝のように誰かに伝えてきたのである。
作品制作に時間を取られ、ゆっくり読書していられないのが現実である。しかし、自分に課したことは何とか続けたいと思う。
2001.06.20(Wed)
結論的に言えば、湘子はいつも過程の中に自分を置くプロセスの詩人である。
永島靖子
■『俳句研究』1977年9月号/俳句研究社
古い資料を探していて、昭和52年の雑誌に読みふけってしまった。「藤田湘子の方法序説」と題された6Pであるが、何度読み替えしても読みごたえのある評論である。「できるならばこんな文章を書いてみたい」といった甘い誘惑に引きずりこまれそうになるが、極力気持を抑え、一読者に徹しようともおもう。
次の言葉など、永島靖子がいかに湘子の文章を丹念に読みこみ、自分のものにしているかがうかがえるところである。今の俳壇には、こうした読ませる評論家が少ないのも問題であろう。
「(飯島晴子)作品として書かれた言葉のうしろに私は、そうした格闘によって流れ去った厖大な時間を知っている」という一節は、湘子自身が切り捨てた言葉と、費消した時間とに裏打ちされてでてきた語であろう。
夜は俳句五人会「銅の会」に出席。新会員から、「水の春」と「春の水」の違いを尋ねられたり、投句にあたっての作品の並べ方の問題など、予期せぬ質問に新鮮な驚きがあった。そこには、疑問に答えながら自分を納得させるもう一人の自分がいた。
2001.06.19(Tue)
文字を通して開示される著者の人間存在の深奥部にぼくの精神がひきこまれていき、そこでことばによる対話以上の対話が交され、一つの精神的ドラマが展開されてゆくというような読書体験が何度あったろう。
立花 隆
■『ぼくはこんな本を読んできた』/文藝春秋
上掲文の初出は、昭和41年「文藝春秋 社員会報」に30ヶ月勤めていたを会社を止めるにいたった「退社の弁」より。ジャーナリズムの世界の魅力と読みたい本を読む楽しみのギャップに作者が下した結論の断片が記されている。
しかし、「ことばによる対話以上の対話」を求めつづけることは並大抵の努力では得られないはずである。東京大学仏文科卒業後、再び哲学科に再入学した作者の履歴を知ったのは、フリーのジャーナリストとしての活躍を知った後のことであった。
梅雨らしい・・・というよりも、どしゃぶりの雨が降りはじめた。あまり雨が降らないとこぼしたからだろうか。建物の中にいるときは問題ないのだが、車まで移動するために傘を広げてほんの10mほど歩くだけでびしょ濡れになってしまった。窓から見ていると、国分川が雨の白煙にけぶって、それはひとつの情緒と言えるのだが、自分が被害者になると何だか許せなくなってしまう。
2001.06.18(Mon)
黒猫は夜霧の匂いそれを抱く 鳴戸奈菜
■毎日俳句叢書『鳴戸奈菜句集・微笑』/毎日新聞社
『イヴ』『天然』『月の花』に次ぐ第4句集とあった。馬以外の動物嫌いの私は、猫を抱くなどもっての他ではあるが、「黒猫」から夜霧の匂いが発想されるのなら、だきしめることも許されそうに思う。ただし美形の猫でなければならない。情感のあふれた句である。
この句を読んだ瞬間、何故か寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が思い出され、次いで藤田湘子の「夜霧さむし海豹などは灯なく寝む」がたちのぼってきた。男性と女性では、こうも違ったものが生まれるのかと楽しくなった。
2001.06.17(Sun)
人間は言語を理解する。それは種々の質問に対して人間が適切に答えるかどうかでわかる。理解にも種々の方向と深さがあり、どの方向でどの程度の深さまで理解しているかも、質問に対する答えから推定することができる。
長尾 真
■人工知能シリーズ『言語工学』/昭晃堂
計算機に「言葉」を理解させるためにはどうしたらいいのだろう。理解には方向と深さがあるなら、それを数学的に表現する公式(プログラム)を作成すればいいようなものだが、まだ満足のいく言葉で応答をしてくれる計算機は完成していないようだ。
テーマ制作で作品を創ることを自分に枷(かせ)るのは、自分の枠から踏み出す手段でもある。無難な手法ではなく、何かプラスアルファを求めて、今までに無いものを付け加えようとする試みがそこにはある。
「音または響」のテーマが重くのしかかってきて、前に進まなくなった。楽器を絵にしたり、音の出る工芸品を創るのではなく、何か一工夫欲しいのだかアイデアが涸渇してしまっている。方向を定めるだけでも難しい。深さとなると、もっと複雑になってくる。
しかし、創作途上で苦しめるだけ、まだ余裕があるということか。睡眠時間がすこしづつ少なくなってきている。
2001.06.16(Sat)
俳壇に広く、「あなたの代表句はこれですか。なるほどいい句だ」と認めてもらう。これを一句ずつ持とうじゃないかということです。どうですか、こういう運動は。
藤田湘子
■俳句総合誌『俳句研究』2001年7月号/富士見書房
俳人・三橋敏雄との対談より。
自分で自分の代表句を決めるのではなく、他の俳人から、「彼にはこんな代表句」があると言ってもらわないといけないところが大切な条件である。
藤田湘子がこんな提案をするのも、それだけ俳壇が平均化して、個性ある俳人や俳句が少なくなったからでもある。俳人と呼ばれるためには、昔の武士ではないが、大刀と脇差(小刀)を持っていたように、いつでも2句くらいは短冊にすらすら書ける句があることを願うばかりである。一本差しでももちろん構わないが。
|