2001.05.31

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journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.05.31(Thu)

「ねえ君、不思議とは思いませんか?」
彼にとっての自然とは美の同義語であり、寺田物理学は「自然愛」の産物でもあった。
                            宮田親平


■『科学者たちの自由な楽園』/文藝春秋

寺田寅彦の下に若い研究者が多く集まったのは、彼の才能と人格に惹かれたかららしいが、他人の言葉によく耳を傾け、深く洞察し、行くべき道をやさしく指し示したからではなかったろうか。

「ぼくがいま一番読んでみたいと思うのは、ぼくが死んだら皆がぼくのことをどう書くだろうということだ。君、なにかそれを読むような巧い方法はないだろうか」、という寺田語録のひとつからも、彼の好奇心旺盛な性格はうかがえるだろう。

知人から6日以内に震度6程度の直下型地震の可能性があるとの知らせがあった。有効範囲は岡山理科大学から半径300Km。もし正確な地震予知ができるとしたら、かなり強震の場合は事前に避難も考えられるが、M6なら揺れのおさまるのを待ったほうが得策かもしれない。

観測では大気イオンだとか電波を調べているようだが、当ってうれしい予報と嫌な予報がある。地震など外れてもらいたいのだが、「狼少年」のようになってもこまるので難しい問題である。

最近はM4くらいではあまり心配しない。情報が発達して、頻繁に起ることがわかったためかもしれない。しかし、建築の耐震基準の見直しや建替えも必要だが、100年に1度の災害に備えて、やたらコストが高くなるのは御免である。

2100年の日本の人口は、6700万人くらいと予測されているらしい。


ball-gs2.gif 2001.05.30(Wed)

頭が夢をみているとき、手はどうしているのだろうか。これ幸いと休んでいるのか。いや、いや、手も夢をみているのである。
                            新藤兼人


■季刊『銀花』第126号/夏の号/文化出版局

「手も夢をみている」の言葉に少し惚れてしまった。どこかで聞いたことのあるような懐かしさもあるが、やはりそう言われてみると自分の掌をまじまじと見つめずにはいられない。

毎夜、両腕の肘から先が冷たくなって夜中に目が覚める。原因は不明だが、眠りに入るまで腕を酷使して本を読んでいるせいのように思えてならない。深い夢や浅い夢に、はらはらどきどきしながら頭は遊んでいるのだが、その恩恵に預かれない手が嫉妬しているのだろうと思っていたのだが、今夜から手にも夢を見せてやれそうな気がする。


ball-gs2.gif 2001.05.29(Tue)

言葉こそ粒立ちてあれ人麿忌  藤田湘子

■俳句雑誌『鷹』2001年6月号/鷹俳句会

柿本人麿の忌日が何日だったか、さて正確には覚えていない。何日と覚えるよりも、「晩春の頃であろう」くらいで私には充分である。正確な月日が必要ならば歳時記や辞典、今ならインターネット検索まで利用できる。それ以上に、この人名からイメージがふくらみ、次から次へと連想に浸ることができるのだから。

人麿の歌ならば、
  淡海の海夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのに古思ほゆ
  東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
  天離るひなの長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ

もっとも、「人麿忌」から私は、「石見」、「トガナクテシス」、「イエス」、「いろは」へと展開していく。

かつて、「残月の明石の沖を過ぎぬればいのちかかりし錆釘ひとつ」の歌を詠ったが、この時は、イエスと人麿を空に想い描いていたように記憶する。


ball-gs2.gif 2001.05.28(Mon)

古来、鏡像問題について多くの人の意見があろうが、ぼくの回答が最も簡潔、それは、上下も左右も二次元的には変らず、第三次元の奥行きが正反対になるからだ。
                            和田悟朗


■俳句総合誌『俳句』2001年5月号/角川書店

鏡で自分を見るとき、左右は反対だが、上下は変わらない。目が二つ横並びについているから反対になるのだろうくらいにしか普段は考えていなかったが、鏡の前で片目をつむってもやはり左右は反対になる。やはりピンホールカメラではないが、網膜の映像まで考えないといけないようだが、それなら上下も逆さまになりそうだ。学習能力で補えるものなのだろうか。

鏡を後方へ45度以上傾けると、今度は上下も反転する。幾何学を駆使して問題を解くより、その変化に驚いてそれを利用した物が何かないかと思ったりしながら、朦朧と白昼夢を見るのが好きである。

飯島晴子に、「かの后鏡攻めにてみまかれり」という無季の俳句がある。男も女も、鏡を見て生きて、老いて、死んでいくのだろう。

久しぶりの晴天。窓から吹き込んで来る風が心地よかった。


ball-gs2.gif 2001.05.27(Sun)

馬をよこせ! 馬を!
馬をよこしたらこの国をくれてやるぞ!
                         シェイクスピア


■海外詩文庫『シェイクスピア詩集』/訳編 関口篤/思潮社

戯曲「リチャード3世」の最後の有名な科白である。かつて戯曲を読んだときは記憶にも残らなかったが、今なら無名塾の芝居で仲代達也の演じた醜き王子の最期が浮かびあがってくる。

今ごろ何故この詩集を購入したかと家人に尋ねられたが、真実は「馬」の文字が目に止まったからかもしれない。翻訳ものは訳者が変わると全く別物になってしまうので、時々読み比べて、「私ならあれが・・・」などと言えるといいのだが、読んだ片端から忘れてしまっている。せめてここに記録を残すくらいはしておこう。

曇天。雨傘を持って高知鷹句会に出席したが不要。


ball-gs2.gif 2001.05.26(Sat)

黒土も赤土も夏瞠るなり   藤田湘子

■第九句集『前夜』/角川書店

1ページ2句立ての句集である。そうすると、一方がいいとどうしてもそちらに目がいってしまい、つい見逃してしまうようなことがある。実際はこの句も読んでいるのだから記憶に残っていて欲しいものなのだが、するりと抜け落ちてしまっていた。

しかし、そんな句は、ふとした機会に句集をめくり、初めて出会ったような新鮮さがあったり、自分だけが知っている宝玉のように思えたりするから不思議である。

もう一方の名句は、「日のみちを月またあゆむ朴の花」。

ケーブルテレビで深夜映画を楽しんだ。監督クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」。もう20年も前の映画だが、ジョルジュ・ドンは若く美しい肉体であった。 3時間ものであったが、ぜひとも5時間の完全版を見たいものである。


ball-gs2.gif 2001.05.25(Fri)

写真を写すっつうのは、同化なんていうんじゃなくて、犯されるぐらいの気持ちじゃないとダメですよ。
                            荒木経惟


■『天才アラーキー 写真ノ方法』/集英社

写真家の篠山紀信でさえ可愛いモデルを撮るだけではなく、新しい世界を広げる試みている。しかし、商業写真は難しい。写真だけで撮影者を当てるにはよほどの個性がなければならない。アラーキーはSMで、かなりしっかり足場をかため、風景や静物をとってもSMっぽく、濡れたエロチックさが漂い、これはなかなか真似できできるものではない。やはり才能だろう。

自分で天才と言う人をあまり信じられないが、言葉が人物を育てることもある。天才の何に恥じない努力を陰でしているのかもしれない。

写真を写して犯すのではなく、被写体に犯されてしまう写真家「荒木経惟」。きちんと撮るだけでは飽き足らず、同時にどこかハズすこともやってしまうのは、見かけや言葉より淋しがりやで、いたわりごころの濃い作家だからなのだろう。


ball-gs2.gif 2001.05.24(Thu)

「玲瓏」を商標登録しようと手続きし始めたところ、既に取得されていました。
                            塚本青史


■『玲瓏』2001年5月号/第49号/玲瓏館

書籍名が商標登録の対象になることを私もうっかり見逃していたが、42類に分類された中の第16類の紙類にすでに「玲瓏」の先願があれば確かに使えないことになる。

しかし、すでに(財)モラロジー研究所から心の生涯学習誌「れいろう」が発行され取得されていたそうで、誌名使用許可の御挨拶に伺ったところ快諾を得たとのことである。まずは一安心である。人名なら同名でも許されるだろうが、経済活動を伴うものは法律によって保護されている。裏を返せば、法律で守られなければ模倣が横行するから仕方がないのかもしれない。

書肆季節社の政田岑生氏亡きあと、塚本邦雄選歌誌「玲瓏」は御子息の塚本青史さんが発行人となって玲瓏館から出版されている。生涯、自分の短歌結社を待たない決意であった塚本邦雄に、苦肉の作として政田岑生が提案したもので、全国の塚本崇拝・支持者がこの季刊誌に作品を発表しているのである。

さて、インターネットのHPは第何類になるのだろう。広告なら35類、知識の教授なら41類なのだが。

ball-gs2.gif 2001.05.23(Wed)

塚本邦雄は迷路が好きである。
                            寺山修司


■『黄金時代』/河出書房新社

私にはこの一行だけで「詩」のように楽しめてしまう。寺山修司の著者名が添えられていればなおさらその思いは強くなる。後に記されたボルヘスもバビロン王もアラビア王もまったく必要なく、条件反射のようにイメージが展開してしまうのである。

「藤田湘子は迷路が好きではない。」と、勝手に書き換えてみても、こちらは詩のようには読めない。私が師と仰ぐ二人であるが、何がその原因か、今ひとつ口ではうまく説明できない。しかし、言葉にならない何かがあるのは確かである。

夜は6人参加による俳句五人会「銅の会」。新人女性が二人増えたので、その後ささやかな歓迎会を。まったく俳句に縁のなかった二人。4月から少し俳句にかかわって新しい世界が見え始めてきたところ。さて、そろそろ投句の準備が必要。五人会賞への応募は、全員で10句投句による団体戦である。


ball-gs2.gif 2001.05.22(Tue)

店で買い物をして、金を払って出るとき、「ありがとうございました=Merci.」というのは客の方。店の人は「さようなら=Au revoir」か「よい一日を=Bonne journee」と返事をしてくれるだけ。
                            玉井崇夫


■『フランス語の旅行会話集 これだけで大丈夫!!』/ナツメ社

旅行に出たいと思ってもなかなか時間が取れない。もちろん先立つものも不如意のため、延ばしのばしになってしまっている。英会話もままならないが、挨拶くらいは覚えておこうと旅行会話集を買い求めても、結局日程が決まらなければ、本気で読むこともなく、習慣の違いなどの読み物のほうに目が行ってしまう。

毎日ほとんど外で食事をとっているが、日本ではまず「ありがとうございました」と店の人が言ってくれるので、こちらも「ごちそうさま」と答えることにしている。お金を出そうと貰おうと「ありがとう」と一声あると、何だか気持ちがいいのでそれがあたりまえになっているのだが、どこの国もそうとは限らないらしい。

先日、店を出る時「おやすみなさい」と言ったのだが、店の人はまだ働いているのだからそれは可笑しいと嗜められてしまった。日本語も難しい。


ball-gs2.gif 2001.05.21(Mon)

子規はことのほかに「せり吟」も好んだ。時間を限定してできるだけたくさん作ろうとするものであり、子規庵ではしばしば線香を立ててせり吟に興じた。
                            坪内稔典


■俳句総合誌『俳句研究』2001年6月号/富士見書房

時間を限定して仲間と俳句を作るのは毎度のことである。しかし、それを「せり吟」と称すとは知らなかった。まだまだ知らないことばかりである。

気に入ったのは「線香を立てて・・・」である。なるほど、線香と聞けば少し古臭いが、改めて考えてみれば、インセンスの香りが漂い鎮静効果もあるだろう。そして、誰からも見えやすくなかなか新鮮かもしれない。問題はどの線香にするかだが、以前「空海展」の会場で求めた線香は甘く素敵な香りであった。

ただし、煙の風下に座ってしまうと作句どころではない。句仇にはまずそこに座ってもらおう。


ball-gs2.gif 2001.05.20(Sun)

マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの稚魚をイワシシラス、またはドロメと呼びます。

■『図鑑&料理 土佐魚のすべて』/図鑑監修 岡村収/高知新聞社

98頁の「ジャコ」の解説の一部にこうあった。もちろん皿に盛られた半透明のドロメの写真入りである。体長3cm以内のドロメは、まだ体に色素が少なく、鰭も十分発達していないとのこと。ただし新鮮でなければうまくも何ともない。

うっかりGWの連休で忘れてしまっていたが、毎年5月の第一日曜日には、高知の赤岡町で「ドロメ祭り」が開催される。朱塗りの大盃に、なみなみと注がれた一升の酒を競って飲む祭りとしても有名であるが、まだ全国的には知られていない。

土佐の気のきいた酒場なら春先からまずどこでも食べることができるが、「ノレソレはありますが、ドロメはありません」と言われるとがっかりしてしまう。日曜日は市場が休みなので仕方がない。とりあえず、湯上げしたチリメンジャコを買って来て、炊きたての御飯に青紫蘇のみじん切りと混ぜて食べると実に美味しい。


ball-gs2.gif 2001.05.19(Sat)

かくつよき門火われにも焚き呉れよ   飯島晴子

■句集『平日』/角川書店

注文した句集12册が宅急便で届いた。受け取るとずしりと重い。自分用に3册、知人への寄贈用に3册と考えていたのだが、もう残りが少ないと聞いて慌てて倍にした。きっと欲しいと言う仲間が後から現われるはずである。

2000年6月6日に黄泉に旅立ち、はや一年が経とうとしている。しかし、肉体がこの地上に無いというだけで、私の生きる限り、俳句を愛する作者がいる限り、遺された俳句とともに飯島晴子は生き続けるだろう。

ただ、間違ってはいけない。晴子は、今まで芭蕉や虚子が生き続けてきたように生きることなどこれっぽっちも望んでいない。その次を開けと、自分を踏み台にしてでも、その塀の向こうの見えないものを見てみろと言うに違いない。今、何かやらなくて、どうするんですかと。

新人歓迎会で真夜中まで飲んでしまった。飯島晴子さん、ごめんなさい。


ball-gs2.gif 2001.05.18(Fri)

当月ご請求予定額 4,002円

■『電気ご使用料のお知らせ』/四国電力株式会社

今朝、郵便受けに入っていた我が家の4月17日から5月17日までの電気料明細のお知らせである。8×22cm足らずの紙切れであるが、色々な情報が並んでいる。

当月使用量は185kWh、前年同月は152kWh。家人と二人暮し。冷暖房装置を最も使わない季節の使用量。何だかこれだけで短編掌説が書けそうなイメージが膨らんでくる。寺山修司や塚本邦雄は、電話帳を小説以上に楽しんでいたが、どんなモノでも少し視点を変えると遊びの素材になってしまう。

検針員Hには10年たっても面識がないので、私とは全く生活パターンの異なる人物であろう。サスペンスにするか、SFにするか、恋愛ものにするか、思いは広がる一方である。

しかし、今なら環境問題を捉えたノンフィクションでもいい。京都議定書からはや十年。1940年に向けて、ファクター15(facter15:環境負荷を現状の15分の1に抑制する、または環境効率を15倍に高めること)を目指すなら、毎月12kWhしか使えないことになる。つまり、現在の冷蔵庫や洗濯機、テレビなどもっての外と言うことになる。パソコンの微弱電力も勿論この中に含まれている。さてどうしよう。

ちなみにこの明細書はシュレッダーに掛けて処分してしまった。我ながらファクター15にはまだまだほど遠い生活を送っている。


ball-gs2.gif 2001.05.17(Thu)

After the nucler
conflict you go on about ...
what do you say
about becoming, with me,
part of some flowing water.


■英語対訳版『サラダ記念日』/俵万智/訳 Jack Stamm/河出書房新社

日本語による縦書表記の歌集を読んでも、ほとんど記憶に残っていなかった短歌が一瞬英訳によって意識を揺さぶってくるのだから面白い。

「After the nucler ... 」え、俵万智が核兵器のことを読んだ歌があったの?

そして、日本語、分かち書き表記では、

「君の言う/核戦争の/その後を/流れる水にならんか/我と」

とある。表記法や言語が違えば、まったく違った印象の歌に思えてならない(横書ではこの雰囲気もまた異なる)。柔軟な頭の持ち主ならこんなことは気にならないのだろうか。

例えば、「the nucler conflict 」と「the nucler war 」の違いは、欧米人の頭の中ではどんな映像に置き換えられているのだろう。

曇天。しかし暑い。


ball-gs2.gif 2001.05.16(Wed)

おそるべき君等の乳房夏来たる   西東三鬼

■句集『夜の桃』

俳句を読んだ実感が残る句である。この短さがたまらない。そして、一読、男なら忘れられない句になるのではなかろうか。

俳人として、春夏秋冬、そして新年を代表する自作一句を持つことは何よりの誉れである。俳句の17音によって、他者の脳髄の中に染込ませ、生涯忘れられなくしてしまうとは、ある意味ではコンピュータ・ウイルスのようなものかも知れない。何かの拍子に画面に表示されるように、ふと一句が浮かんでしまうのだから。


 


敬愛する日誌へのリンク情報

まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。

● 彷徨(by 蓮見暁、暁穹恋歌)へ .



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