「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.05.15(Tue)
飛魚を天に捧ぐるごとく干す たむらちせい
■第5句集『雨飾』/沖積舎
「雨飾」は越後と信濃の境に立つ山の名という。最近は旅を愉しんで俳句を詠まれている様子。作者は高知県在住、結社誌「蝶」主宰。
長崎、平戸での連作の中の一句。陽光を浴びきらきらと輝くものにふと目が止まった。何だろうと凝視してみれば、金網に広げられ、半ば乾き加減の天日干しの飛魚である。魚の天日干しの現場は、これまで何度も視ている作者ではあったが、無惨に広げられた羽とも呼ぶべき鰭が、印象深かったのであろう。かつて水面を翔るように、海も空も自由に我がものとした飛魚達よ。
ここは平戸、かつての隠れキリシタンの漁村。急な傾斜の石の階段を登りながら、背面の海を見下ろし、マリアへ、イエス・キリストへと連想が広がっていったに違いない。十字架に干されたのは、飛魚ならぬイエスであった。天なる神がそれを受け入れたかどうかは定かではない。復活の噂も、作りごとであったかもしれない。
「ごとく」俳句は難しいと言われる。それは、これまでの俳句の歴史の中で、あらゆる連想が繰り返し使われ、ほとんどの言葉が手垢まみれで、おいそれとは驚かなくなった読み手の心を強く揺さぶるのは至難の技だからである。確かに安易な連想に陥り、俳句とも呼べない句が多いのが現実であろう。是非とも俳句たる俳句を享受できる現代人が増えることを願うばかりである。
2001.05.14(Mon)
エージェント型システムをHIの新しい姿(エージェント指向インターフェイス)として具体的に示したのは、Alan Kay である。
西田豊明
■『ヒューマン インターフェイス』/編集 田村 博/オーム社
暇があれば、いや無くても読んでいるWeb日記がある。しかし、5日ほど更新が無いと、自分の不連続日誌の更新はさておき、何だかソワソワ、どうしたのだろうと少し心配になる。習慣とは恐ろしいもの、これが恒常化すると「中毒」になるのだろうか。
「食中毒」ならぬ「読中毒」の禁断症状が恐ろしい。
インターネットは以前とは比較できないほどの情報量を容易く与えてくれるが、果たしてその中で、私にとって必要な情報とは何だろう。検索ページをたどっても、まだまだ検索時間に比例した満足の得られる情報にめぐり逢えないのが現実である。
さて、ここにもAlan Kay の名前が引用されていた。「オブジェクト指向」を提案し、ゼロックスの Alto という計算機開発の過程で、理想のパソコンの形を提唱した人物である。また、Apple に移籍した後は、 彼の思想が Macintosh 以後のパソコンにも導入されたはずである。是非とも私にも使える「読書中毒対応エージェント」を早急に開発して欲しいものである。
2001.05.13(Sun)
これまで専門、細分化されていた生物学や遺伝学などの各分野が、「ゲノム」という新しいテーマによって収斂されようとしています。これによって神秘性に包まれていた生物の姿が分子、遺伝子レベルで解明されることになります。
■『21世紀最新テクノロジー解体新書』/編集 花形康正 他/日刊工業新聞社
「ヒトゲノム解析」などの言葉が盛んに使われるようになってきている。新しい理論や技術が考案されるとき、それまでの言葉では言い表わすことができず、新たな言葉が作られる。もちろん、使われなくなる言葉も多いが、その何倍もの言葉が作られているはずである。
DNAは、縄ばしごを捩った2重螺旋構造になっていることはよく知られている。そして、はしごの支柱部分には糖(デオキシリボース)とリン酸が交互に並び、はしごの階段部分はアデニン、チミン、グアニン、シトシンと呼ばれる4種類の化学物質(塩基)が約30億個並んでいるといわれる。
この30億という文字数は、新聞朝刊で25年分、1册1,000頁の百科辞典で1,000册分になるという例えが、何だかとても面白かった。
その反面、夜、N放送局の番組で、臨界事故により放射能を浴びた職員の染色体異状とその後の生々しい医療記録を見ただけに、ゲノム(全遺伝子情報)レベルでの人体の再生能力とその脆さを改めて思い知らされた。
2001.05.12(Sat)
『イリアス』は一万五千行以上、『オデュッセイア』は、一万二千行以上もある。
藤縄謙三
■『ホメロスの世界』/新潮社
忙しくて遊んでる暇など本当はないのだが、やはり息抜きが必要と馬を見に出かける。さすがに初夏、少し風もあり何とも気持ちがよかった。それだけで満足。
ホメロスの叙事詩の世界は楽しい。しかし、原文で読む能力がないので、きっとその何分の一も愉しめていないのではないかと常々疑問に思っている。
しかし、ギリシャの海を見下ろす石造りの半円形劇場で、吟遊詩人による「オデュッセイア」を聴きたいと思う。先日、ヤニス・クセナキスを紹介する放送を見て以来、より強くそう思うようになった。
2001.05.11(Fri)
油絵具はその便利さによって、絵画をすっかり駄目にしてしまった。
石本 正
■画文集『我がイタリア』/新潮社
なるほど、そんなふうに油絵具を評価する画家もいるのかと、ある意味で新鮮な驚きであった。石本正はフレスコと比較して、「すばやく描く必要もなく、しかも絵具をいくらでも重ねることができるようになって、画家は絵画の本質を忘れてしまったのだ」とも言っているが、これはかなり誇張した表現であろう。
しかし、「視覚のかなたにかくされているものをとらえて、それを画面に定着させたとき、はじめて絵画が誕生する」と言う考え方は、短歌や俳句など、創作表現すべてに共通するものである。子供の絵から出発して絵画にまで高められるためには、見えない何かを加えないで創作と呼べるはずもない。作家として安易な写生で終わることだけは避けたいと思う。
2001.05.10(Thu)
抽象語の羅列によって、逆に目に見える世界さえ曖昧な存在にし、それを不可視の世界へのアプローチのように錯覚している人はいないでしょうか。
塚本邦雄
■『定型幻視論』/人文書院
手許には古書店で求めた塚本邦雄の本がかなりある。しかし、いつ開いても古びない言葉がそこには眠っている。いや、眠ってなどはいない。今も挑発的な意志が行間から立ち上っている。短歌も俳句も詩も絵画も、不可視の世界を描こうとするなら、眼前のモノを描き尽くす力とそれを乗り越える創作力が不可欠であろう。安易な創作では、まず自分すら騙すことができないのだから。
天文の季語の弱さと抽象語の弱さは、どこか似ている。
2001.05.09(Wed)
「失礼ですが、どんな作品を制作されていますか」
と訊かれたのである。
山本容子
■『わたしの美術遊園地』/マガジンハウス
この一言が山本容子を銅版画家に導いたと言っても過言ではない。
京都市立芸術大学に入ってまもない彼女が、教授の吉原英雄を囲む版画教室のコンパに潜り込んだところ、初対面の彼女に敬語で訊ねられたとのことである。
彼女に恥をかかせ大笑いしていた学生たちに、吉原英雄は「才能は、性別、年齢、国籍を越えてあるものだから、学歴など何の役にも立たない。私がこの若い女性を作家としてあつかったのは、そんなにおかしいことではない」と諭されたそうである。
一人間として、一作家として、いつでも、どんな場所でも対等の目線で相手と話できることが何よりである。
私の鍛金の師は、「銅板の音を聴きなさい」と語られた。今でも銅板を金鎚で絞っていた師の後姿と金属音だけが鮮明に記憶に残っている。
2001.05.08(Tue)
耕衣は明快な二元論者であり、しかも肉体こそ精神に優先するものと主張していたから、肉体に偉大な関心を持ち続けていた。
和田悟朗
■『現代俳句』2001年5月号/現代俳句協会
永田耕衣の俳句を読んで、時々、震えるような感覚に支配される理由がここにあるようだ。
「かたつむりつるめば肉の食ひ入るや」の句にしびれさせられるのは、物体が指し示す向こうが見えるからに他ならない。物体を描かなければ、強い精神など提示できないのだから。
会議は嫌いだ。長たらしい締りのない会議を軽蔑する。
2001.05.07(Mon)
イエスに花を手向けなくていい。
大野一雄
■『大野一雄 稽古の言葉』/フィルムアート社
逆説、否定により一瞬どきりとさせられる言葉である。しかし、これで驚いてはいけない。さらに続く。「イエスに花を手向けるよりも、イエスから花を貰ったほうがいい」と。舞踏家とは、大野一雄とは、そこまでぎりぎり考え、伝えようとする人だったに違いない。
「私には手向ける何もありません。花ひとひらありません。」と語った彼の舞踏を、今一度見たいと思う。
2001.05.06(Sun)
虚子には「俳句は言志だ」、つまり、ことばの志という思いが強くあったようですね。
平井照敏
■『俳句研究』2001年5月号/富士見書房
言志(げんし)とは、何と強い言葉だろう。「俳句は言志だ」と言い切る虚子も素晴らしいが、その思いが今日どれだけ伝わっているだろう。誰もが俳句入門講座のテキストを読み、書店で気軽に入門書を求める時代である。そのために失われてしまったものが多いのではなかろうか。
私は句会ではつまらないと思った句の批評は最少限、あるいは全く対象にもせず、いいと思った句だけほめるようにしているが、誉められるだけで満足されては心外である。厳しく指摘されなければわからないようでは句会の甲斐もない。もう一度、言志を取り戻してみたいと思う。
七宝のエスキース作成。なかなか捗らない。しかし、悩んでいるのも楽しい。
2001.05.05(Sat)
芸術至上主義というふうな言葉はよくいわれるのだけれど、口先ではなくて、借金、借金の生活の中で、このような執筆生活を計画し、全力をかける態度は、(省略)
水上 勉
■『谷崎先生の書簡』/中央公論社
小説「春琴抄」の執筆には、京都高雄山の地蔵院がつかわれた。名作が生まれた背景には作者の日常生活があるのだが、それらを消し去ることもまた創作の楽しみなのかもしれない。心を遊ばせるとはそういうことか。
曇り後小雨。馬と遊ぶ。動物嫌いであるが、見て楽しめる動物は動物の中に入らないことにする。割烹Gにて家人に御馳走になる。
深夜午前4時から、BS放送で「ヤニス・クセナキスの人生と音楽」という番組を見た。クセナキスの映像を見るのは初めて。私への祝福と解釈。今も頭の中に音が渦巻いている。
2001.05.04(Fri)
日記買ふつもりで小鳥屋を覗く 栗原いづみ
■電子句集『NOTHINGNESS』
PDFファイルをダウンロードすると、表紙を含め、71ページの電子句集であった。一頁一句の贅沢ともいえる空間に、一句一句が行儀よく並んでいる。
中でも、上掲句には、歳晩の日常生活の一こまでありながら、いつも目的だけを目指して生きて行けない人間の側面を見事に描いていると共感。街へ出ると、確かに日記を買うつもりであっても、店先の小鳥籠や小鳥の声につられて、買うつもりもない小鳥店や諸々の店に入り込んでしまう。自分のそばにいても見つけられない「青い鳥」が居そうな気がするからである。この句の「小鳥屋」が実にいい。
句集からもう一句。「天を射る如く椿の落ちゆけり」
2001.05.03(Thu)
手と足をもいだ丸太にしてかえし 鶴 彬
■『楽しく始める川柳』/山本克夫/金園社
快晴。昨日の雨が嘘のように空が青い。まだ真夏の青さではないが、連休に出掛ける人にとっては幸いであろう。しかし、すでに高速道路の混雑が伝えられている。
七宝作品の下絵を制作。イメージのアウトラインをトレース用紙に鉛筆で描いていたが、デジタルカメラの画像を利用することを思いついた。たりない身体の部品は、鏡に自分の腕と手を写して撮影。Adobe Photoshopを利用して、トレース機能や拡大縮小・回転・色彩変換機能を用いれば、かなりイメージに近い下絵ができあがる。このまま印刷してしまえば完成作品とも言えるほどのコラージュ。しかし、便利な道具の誘惑に負けない決意が必要。工芸はここから始まり、新たな客観視と技法によりイメージをどれだけ昇華できるかが勝負である。
鶴彬(つるあきら)は新興川柳派の人。昭和12年、治安維持法で検挙、獄中死。享年29歳。
2001.05.02(Wed)
世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。
穂村 弘
■『短歌という爆弾』/小学館
世界に対する認識は人それぞれである。歌人・穂村弘にとっては、十歳を過ぎたころから世界は気味の悪い場所に変わったという。なるほど、そんな風に感じて育つ人もいるのかと、古井戸を覗くような思いであった。
彼がたどりついたのは「僕は僕だけの自分専用の呪文を作らなくては駄目だ」という結論のようであるが、もちろん呪文とは彼の作る短歌のことである。是非とも自分専用でありながら、私にも共感できる歌を作ってほしいと思う。
穂村弘は、加藤治郎、荻原裕幸と共にSS-PROJECT 発起人のひとり。
土砂降りの雨に国分川の水嵩が増し、濁流となって流れていく。これで、高知市の水不足も解決するだろう。HPのデザインを少しだけ変えてみた。
2001.05.01(Tue)
末の世の薔薇のこずゑにくれなゐの月かかりをり 誰よみがえる
■『一首百景』/編者 朝日新聞学芸部/文化出版局
歌には作者名がなかったが、たぶん塚本邦雄の歌であろう。新聞に掲載された歌人のエッセイをまとめた本だが、その中の「卯月遠近法/塚本邦雄」にあったもの。他の歌には「邦雄」とあったから、名前がなかったのは校正ミスだろうか。
「誰よみがえる」とは、もちろんイエス復活のことであり、20世紀末を「末の世」と捉えた作者の幻想に他ならない。
連休の合間、仕事をこなしている。
先日から右肩の筋を痛め、思い出したように顔が歪むことがある。シャツを着たり脱いだりするだけでも、うっかりしていると痛みが走る。しかし、左肩と比べてこの痛みが解るのだと、変に感心させられたりして半分楽しんでいる。
夜寝ていても、無重力空間で寝たら右肩や背中が痛くないだろうかと思う反面、骨が弱ったり顔が浮腫むのは嫌だから、やはり重力はあったほうがいいとか、とりとめないことばかり浮かんでは消えていく。
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