「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.04.15(Sun)
県外客なら桂浜、五台山、高知城の三点セットで一応ご満足願えるが、地元住民には行くところがない。
福原云外
■『わがまち百景』/東 聰 他/高知市文化振興事業団
副題に「21世紀に伝えたい高知市の風景」とあった。F書房で手に取って開いてみると、高知市内のモノクロ写真にそれぞれ1ページの解説が付けられていた。
私も元は愛媛の生まれで、大学時代から高知に来てそのまま住みついたのだが、県外から訪れた人に、1日あるいは半日で高知県を案内するとなると、まず定番とされるのが上記3ケ所になってしまう。
「はりまや橋」は見ても5分もかからないし、改修されたとは言っても「がっかり名所」であるし、室戸岬や足摺岬は遠すぎる。せいぜい土佐山田町の龍ヶ洞くらいのものであろうか。
私の好きな春野町の海岸へ連れていっても、時には喜んでくれる人もいるが、「え、海を眺めるだけ?岩もないし、島もないし」と、人によってはすごくがっかりの様子なのだ。
大景なのか、歴史・物語性・人情・希少性なのか、風景に求めるものが違えば、それぞれ反応が変わってくるから仕方のないことなのだが、まず「高知市3点セット」となると、上記のような無難な所で済ませてしまおうと考えてしまうのが常である。
2001.04.14(Sat)
「二センチ四方の布地も捨てないように、いつか必ず役に立つ日が来るのだから」と繰り返し私の耳に叩きこんで下さったその言葉が音楽のように、虹の断片のように、遺された私の身と心に棲みついている。
黒田杏子
■『花天月地』/立風書房
俳人・黒田杏子は大塚末子デザインの上衣ともんぺを着用して18年になるという。時々テレビで見かける彼女の衣装がファッション・デザイナーの手に寄るものだと初めて知った。作業着の「もんぺ」を普段着以上に着用している日本人を知らなかっただけに、いつも新鮮と同時に何か日本へのこだわりのようなものを感じていたのだ。
すでに、もんぺスタイルも50点以上になるそうだが、その三分の二強が、尊敬する先達の女性たちから頂いた着物のリフォームであるのにも驚かされた。最近耳にする機会が増えたエコロジーの思想がすでに実践されていた訳である。
「言葉が音楽のように、虹の断片のように」と発想されるのも、きもの哲学から学び取った恩寵なのであろう。
毎年7月に高知大丸で開催している仲間との「カレントクラフト展」のテーマ制作が決まった。今年は「音または響」。そして、第15回展となる来年のテーマを「和のかたち」として準備することになった。展覧会に訪れてくれる多くの方の心に棲みつくような工芸作品を生み出したいと考えている。
2001.04.13(Fri)
真っ赤な炎が大きく燃え上がる。掃き集めた落ち葉が燃えるように父の絵もつぎつぎと燃えはじめた。
奥村勝之
■『 相続税が払えない』/ネスコ
日本画家、奥村土牛の絵が燃える。生前描きためた膨大な素描やスケッチブック、彼の名声をけがさぬよう、妻や兄妹が引き取らなかった絵や美術館に寄贈されない絵が燃やされていく。死後6ヶ月以内に相続税を払うために、持ち絵の評価額を決めるといった現実の中での出来事である。
昨夏、東京芸大美術館で見た奥村土牛の1枚の絵が浮かびあがってきた。平凡な山の絵である。作品名も調べなければ思い出せない。しかし、その絵に暫し釘付けになり、言葉で表現できない至福の時を味わうことができた。
燃やされた多くの絵の魂が、残された絵の中に住みつき、見るものに語りかけてくるのかも知れない。
2001.04.12(Thu)
頭であれこれ考えたり、理屈をこねたりしていては、線にためらいが生まれ遅滞が生じる。
中野 中
■『巨匠たちのふくわらひ』/美術倶楽部
読んでいて美術エッセイを書くのは難しいと思った。たとえば、この本には46作家が紹介されているのだが、写真を隠し、作品名を伏せてしまったら、はたして何人の作家名をあてることができるだろう。つまり、言葉は写真に依存しながら、その様を副題的に説明するしかできないのかもしれない。
上記は、渡辺豊重の「記憶の夏6<翔ぶように舞え>」を表現したものだが、他の作家のものであっても十分に通用してしまうところが問題なのだ。つまり、巨匠と呼ばれるほどの画家ならば、考えても考えたことすら消し去る能力を身に付けているに違いないのだから。
美術館のレストランに座って、ぼんやり風の流れるのを見ていた。欅の枝や木の葉が揺れ、水面に漣波が広がるのを見て、「あっ風が吹いているんだ」と解るのだが、それより前に、何故か風が見えるように思えてならなかった。
2001.04.11(Wed)
実はね、僕は疑いや不確かさを持ったまま、そして答えを知らないまま生きられるんんだ。
R.P.ファインマン
■『ファインマンさんベストエッセイ』/訳 大貫昌子・江沢洋/岩波書店
物理学者ファインマンが語り出すと、耳をそばだてたくなる言葉が次々に現われる。それは、難しい数式を並べて解説するわけでもなく、やさしい例え話を織り込みながら、物事の本質を語ろうとするからに他ならない。
「まちがっているかもしれない答えを持つより、答えを知らないで生きるほうがよっぽどおもしろいよ。」どこか、賭事師が吐いたセリフにも聞こえてしまう。
彼にとっては、鳥の名前を知ることが大切なのではなく、今、目の前にいる鳥が何をやっているのかよく見ることのほうが楽しいのだ。不確かなものは不確かなままで。
新しい仕事にどこから手をつけようかと悩んでいたら、この本を読んで、またやるきが湧いてきた。賞や名誉をもらうために仕事をすることもあるだろうが、ものごとをつきとめる楽しみもあるのだと。
昼から旧知のインダストリアル・デザイナーMさんの講演会に行って、今の生活の15分の1で生きるにはどうしよう、などと考えたり・・・
2001.04.10(Tue)
トトを買う人は、考える。でも、サイコロは考えても無駄である。
平岩正樹
■雑誌『週刊現代』2001.4.14 号「手術室の独り言」より/講談社
抗癌剤の効果や副作用には、患者により大きな差があると言われている。しかし、それをわかりやすく説明する文章のはじめに、上の言葉があると何だか安心する。
確かに、トトや競馬や薬はさまざまな条件が加味され、結果が異なるとは言え、やはり強いモノは強く、弱いモノは弱く、条件の差がかなり左右する。しかし、イカサマのないサイコロでは、まず平均的配分になるはずである。
世の中、考えることが必要なモノと運に任せるモノがあることは救われる。考えてばかりいては、花の散るのさえ見逃してしまいそうだから。
余談ではなく本論では、外科医・平岩正樹は抗癌剤治療は、一にも二にも「さじ加減」であると言っている。本人の名誉のために付け加えておく。
2001.04.09(Mon)
名優はアガルのですよ! 小沢昭一
■『裏みちの花』/文藝春秋
人前でアガラない法はないかと思う時がある。しかし、舞台を何十年とこなした小沢昭一の考えでは、「名優の類いまれな表現は、ひとつには、アガルことによって狂気を呼び込んでいるからだ」と言うのである。
人前に立つことに慣れきってしまっては、反対に新鮮味なし、意外性なし、愛敬なしで、魅力に乏しいとなるらしい。なるほどである。結婚式のスピーチなどでも、型どおりのどこかで聞いたお世辞ばかりではつまらないし、友人代表のつまってしまうような、おい、しっかり声を出せよと、何かハラハラするほうが感動させられることもある。
俳句や短歌を作っていて、数をそろえることに慣れきって、人前にさらす句や歌の恥ずかしさを忘れないように、初心の頃の手足が震えたような、ひたむきな気持ちを忘れないようにと思った次第である。
2001.04.08(Sun)
虚子忌なり虚子一族の累々と 藤田湘子
■第九句集『前夜』/角川書店
4月8日と聞いて、まず頭に浮かんだのが「虚子忌」であった。俳句を作っていると、世間一般常識よりも俳句寄りになってしまうようだ。ついでといっては叱られそうだが、虚子忌の連想で上の句が思い出された。ちなみに、連想は金子兜太まで行ってしまうのだから始末に終えない。やはり、正統的に「花祭り・仏生会」と思いつくべきであったろうか。
N放送局のアンコール番組で「いま裸にしたい男・藤原竜也」を途中から見たが、蜷川幸雄演出「近代能楽集・弱法師」大阪公演の舞台に上がる寸前、原作者の「三島由紀夫」と「舞台の神様」に深々と祈っていたのが印象的であった。まだ18歳とのことだったが、初舞台「身毒丸」を踏んだ埼玉の劇場を訪れる場面でも、舞台に靴で上がるのを恐れ、すぐ裸足になっていた。無駄肉のない瑞々しい身体だけではなく、「舞台の神様」に愛される心をかいま見た思いであった。
初夏の暑さのなか、郊外の日差を浴びる。帽子は被っていたが、日焼しそうな強さであった。
2001.04.07(Sat)
素十君が私の句帳を一冊だけくれというのですが、あんな見苦しいものを差上げることは出来ません。
高浜虚子
■『俳談』/岩波文庫/岩波書店
虚子にもっとも愛された俳人は高野素十ではなかっただろうか。しかし、日記を兼ねた句帳で捨てるようなものであったとしてもも、「あんな見苦しいもの」と感じる虚子が好きである。
ある時、屑籠に捨てた虚子の日記帳が屑屋の手から知らぬ人に渡り、それをいくらかで買ってくれといってきたとのことだが、「仕方がない、あなたが持っていなさい」と突き返したそうである。この「仕方がない」という考え方が、虚子の根本にあったと思う。「あんなものを持っておっても仕様がありませんよ」とは、選ばれたわずかな俳句だけがすべてであったということだろう。
初夏を思わせる暖かな一日。桜も少し散り始めた。さつきや藤の花もすでに咲いている。身体を動かすと、背中にびっしょりと汗をかいてしまった。シャワーを浴びて、ナイター映画「ハンニバル」を見にいったが、やはり「羊たちの沈黙」のほうが不可解さがあって面白かった。字幕では2回だったが、「They don't.」と確かに3度繰り返していた。好みの音楽が何曲かあった。
2001.04.06(Fri)
より深遠な哲学的レベルにおいてさえ、将来のことは何ひとつ確かではない。あることが過去にいつも起こっていたという理由だけで、将来も確かに起こるとは限らない。
ナイジェル・C・ベイソン
■『マンガ心理学入門』B-1323/訳者 清水佳苗、大前泰彦/講談社
マンガ、いや挿し絵付で読むと、心理学の先生方の名前が、何となくわかるような気がする。もちろん覚える気がないので読み飛ばすだけだが、マンガだからといって、ウソは無いと思える。
「化学物質の反応を予測することは、比較的簡単だ。(中略)一方、人間は、それに比べてはるかに予測不可能の傾向がある!」
そうなのだ。だからあまり経験が役立たず、何度でも賭事や失恋のような同じ間違いをしてしまうし、応用問題になると、もっと始末が悪くなる。もちろん、わかりきらないから面白いとも思えるのだが、10回に1回は、必ず当るというような法則はどこかにないものか。つまり、9回外れれば、次は必ず当るというような・・・
速い馬が必ず勝つとも限らず、いい女が必ず幸せにもなるとも限らない。将来に夢の持てる確かさがないからこそ、心理学なんて学問が発達するのだろうか。
夜桜を見ようと升形近くの江ノ口川に出かける。しかし、桜は満開なのだが、暗くて美しさがわからない。ゆったりと夜道を歩いて、城西公園から滑り山、高知城へ向かう。肌寒いが月が天空に浮かぶ。雲が流れているのだろうか、朧月になったり、煌々と輝いたり、桜より月の素敵な夜であった。明日は満月。
2001.04.05(Thu)
民族の優位性を打ち出そうと画数を増やし、複雑な形態をとった西夏文字は忘れられ、簡略で美しいかな文字は現代まで生き続けている。
北室南苑
■『日本経済新聞』4月4日「幻の西夏文字書に躍動」より/日本経済新聞社
著者は書家、篆刻家。映画「敦煌」の舞台にもなったが、西夏王国は11世紀初めから13世紀、中国西北部に栄え滅亡した国である。国とともに西夏文字も忘れられ、19世紀になり仏人研究者によって再び発見されたという。
西夏文字は、糸が何本も絡み合ったような複雑な形で、偏、つくり、冠などを組合わせて意味を表す表意文字とのこと。国と共に亡びてしまう民族や文化、文字、言葉のことが思われ、はたして簡略で美しいと言われる仮名文字はいつまで生き続けられるのだろうかと考えてしまった。
4月5日は清明。家人がまた地震雲を見たと心配していた。地震が起るのは2、3日後とか。満月も近い。何もなければ良いが。
2001.04.04(Wed)
小座敷の茶湯は第一仏法を以て修行得道することである
千利休
■『本朝茶人伝』/桑田忠親/中央文庫
利休の茶の湯について、弟子の南坊宗啓が書き留めた「南方録」の中で利休の見識を伝えた言葉とのこと。
この後に続く「家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る」というのは時々聞くが、その前に仏法がくるところにあらためて驚いてしまった。
確かに大徳寺の大林宗套に参禅して「宗易(そうえき)」と名乗っていたのは知っていたが、祖先は清和源氏、父も堺商人の魚屋(といっても、納屋衆の一家とされる問屋と解説されていた)。正親天皇に秀吉が御茶を献上するために、利休も共に禁裏に上がる手段として居士号の勅許を奏請し、僧侶に仕立てられ秀吉の後見をつとめたとあった。真実、仏法第一と思っていたのか確かめてみたいところではある。
夜の俳句五人会にまた一人新人が増えた。喫茶店でよく見かける女性を仲間が誘ったとのこと。初回は喜んで頂けた様子。流れで、午前零時頃まで、カクテルバーで飲んでいた。一階下の店のメニューも置いてあり、好きな食べ物が注文できるようになっていた。しかし、どこかに男性はいないものか、酒好きであれば、なお、申し分ないのだが。
2001.04.03(Tue)
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
塚本邦雄
■第十一歌集『閑雅空間』/湯川書房
夢の沖に立迷うのは塚本邦雄か、言葉に魅了された多くの古の歌人達か。定家、良経、後鳥羽院は言うにおよばず、こころあるものは一度は立迷わねばならない。せめて鶴とは言わずとも、悪声の鴉でもよい、いのちを感じてみたいものだ。
かつて塚本邦雄は「歌は亡びた。歌人は、まだ生きている。」と答えたことがある。歌を詠えぬ歌人だけが生きながらえて何になろう。わかりやすい言葉だけがすべてではない。時代に迎合することなく、時代を切り開くこころがなければ、真の理解者など現われないものだ。安易な歌や言葉に流されることだけは避けたい。
夜は少し肌寒い。日曜に山から切ってきた染井吉野の桜が部屋の中で満開になっているが、まだ散ってはいない。吉野の山の桜を思って、酒ならぬ抹茶を飲んだ。
2001.04.02(Mon)
豊国の鏡山の岩戸(いはと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず
手持女王(たもちのおほきみ)
■対訳古典シリーズ『万葉集(上)』/訳註 桜井満/旺文社
万葉集の挽歌のなかに、「河内王を豊前国鏡山に葬る時、手持女王の作る歌三首」の詞書がありその二首目の歌である。今、山科陵あたりには鏡ノ山という名の山は伝わらないとのことだが、鏡と岩戸とくれば、まず神話の一場面が連想される。
そして、第三首目に「岩戸破(わ)る手力(てぢから)もがも 手弱(たよわ)き女(をみな)にしあれば術(すべ)のしらなく」と、何とも思わせぶりな歌が並ぶ。
歌には言霊が宿る。良いことを言えばよい結果が現われ、悪いことを言えば悪い結果が現われるという信仰のようなものだが、不吉な言葉を忌む考えはやはり残しておきたいと思う。
最近は結婚式のスピーチでさえあまり忌み言葉を気にしなくなった。そのために離婚率が上がった訳ではあるまい。しかし、言葉の剣を無闇に振り回す人が増えたのは事実である。重い言葉には、深い思いがひそんでいる。
2001.04.01(Sun)
土佐日記懐にあり散る桜 高浜虚子
■句集『五百句』/改造社
98年4月、松山市を訪れたおり、銀天街の「坊っちやん書房」で見つけて、少し高かったが5000円で求めたもの。序によれば、昭和12年に出ていたはずだが、これは昭和22年もので紙質が悪い(そこに戦後の物資不足を感じたのだが)、出版時は120円。同行のK君が付き合いで「六百句」を購入。
調べものに取り出していたら、上記の句が目に止まった。句集で読むより先に、高知名菓「土左日記」の紙箱の蓋裏に書いてあったので覚えてしまった。菓子も美味しいが、この箱も昔から気に入っている。
「昭和六年 四月二日。土佐國高知に著船。國分村に紀貫之の邸址を訪ふ。」と詞書がある。今は空路かJRだが、かつては、神戸や大阪から船で高知に来ていた。国分村も南国市に。紀貫之の書いたものは、「とさにき」と読むが、虚子の句は「とさにっき」と読まないと五音にならず、俳句の音律にはふさわしくない。
晴天。まだ少し肌寒いが、昨日ほどではなかった。高知城の桜を見に行かないかと誘われたが、郊外で馬を見て遊ぶ。仕事を離れ、気分転換できる遊びがないとストレスに陥りそうな予感がして、いつも逃げ出してきている。散髪。
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