「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.12.26(Wed)
花だけど甘すぎない。鮮やかさが残るからこそ死が際立つ。
不思議な静寂に誘ってくれる心地までが私にも部屋にも染みてくる感じがした。
安田成美
■雑誌『Grazia』2002年1月号「アートを飾ろう」より/講談社
「グラツィア」とはイタリア語で「優雅」とか「洗練」の意味らしい。読んだ雑誌の内容はメモしておいたのだが、雑誌名を忘れてしまったので、インターネットの検索ページから、出版社と雑誌名をつきとめた。便利になったものである。
壁に飾るものを探して青山のカッシーナの店で出会ったらしい。それは、アラーキー(荒木惟経)の「FLOWER」(35.5×50.7)という写真である。青い背景にほとんど生気を失った薔薇の花が写っている。ピンク、パープル、イエローレッドの美しい花だったろうと思われるが、みる影もない。
この写真を求め壁に飾れる人が羨ましい。幸せな人なのだろう。
私なら時々本を開いて鑑賞するにはいいが、毎日見るのでは気が滅入ってしまいそうである。芸術的な作品にはそんな要素が少なからずある。訴える作者の主張が強いだけに、ただぼんやりと見つめて過ごすわけにはいかない。「死が際立つ」作品と毎日向き合う自信が今の私にはまだ無いのである。
今年最後の「銅の会」。句会後、いつものように喫茶「セザンヌ」でお酒を飲み、とりとめのない話をひとしきり。先々週、ここにウイスキーをキープしていたことさえ忘れていた・・・
2001.12.25(Tue)
いまやビジネスツールとしてのデザインをうまく使いこなせなければ、ビジネスは成功しえない状況 ”No Design,No Business ”にあると言えます。
■雑誌『日経デザイン』2002年1月号/日経BP社
「日経デザイン賞」の告知コピーにこう書かれていた。
しかし、周りを見まわしてみると、何と下らないデザインが多いのだろうと溜息が出てしまう。余りにもアンバランス、デザインという名の衣をかぶった人工製品ばかりあふれてしまっているように思えてならない。
デザインは流行もの。それも解る。しかし、一貫したデザインポリシーもなく、その場しのぎや二番煎じ、三番煎じが堂々と大手を振って生産され、それが安いからといって求められ、いつしか身の回りにあふれてしまうのだから始末におえない。(もちろんそれを買ったのは私である。)
飽きやすい人間に驚きを提供し、流行り、廃れ、忘れられ、そんなものもあったのかと思うものが大半以上なのである。それはデザインだけの問題ではないかもしれない。確かに何もデザインしないより、少しはユニバーサルデザインでも考慮してくれればいいかもしれない。ただ悪くするだけなら何もデザインしないままで、機能や技術の価値だけで安く生産してくれればいい。いや、そのほうが我慢しても納得できるというものだろう。
かつて、”No Design ”を勧めるデザイナーがいた。デザイナーにとっては仕事にならないのだから利益には結びつかない。本来は、無駄な経費を支出せず、会社の利益につながったのだからそのアドバイス料を払っても当然と思えるようなものだったが、時代はまだそこまで来ていなかった。
やはり風邪をひいてしまったようだ。毎年、12月は体調が悪くなりがち。昔ほどひどくはないが、それでも熱が出たり、咳が出たり、早く直さなくては。
2001.12.24(Mon)
水の香と木の香かよへり雪催 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2002年1月号/鷹俳句会
場所は何処なのだろう。櫟(くぬぎ)や小楢(こなら)の落葉木の林の道を歩きながら、先ほどから岩間から湧き出る水音が聞こえている。ふと見上げた空には雪催の雲。急に寒くなってきた。しかし、来年の春の約束を「水」と「木」が交わしていると感じると心あたたまる思いがする。
水道の水に慣れきってしまうと、美味しい水の香を忘れてしまう。時々、思い出したように塩素の香に気付き、思わず吐き出したりするが、それも束の間。平気で飲んでいる自分に呆然としながら、それでも飲まなくては生きていけないし、ある意味ではこうして便利に水が飲めることに感謝もしている。
陸羽のように水がめの香をきき分けることもかなわないが、せめて林の道を彷徨う時は、水の香や木の香におもいをいたし、気楽に歩いていきたいものである。
高知鷹句会12月定例会&忘年会。少し風邪気味のため二次会は欠席。
2001.12.23(Sun)
京近く湖近く年暮るる 高野素十
■カラー図説『日本大歳時記』/監修 水原秋桜子、他/講談社
作句のために季語の解説を読んでいて、「年の暮」の例句の中にあったこの句とめぐりあった。
芭蕉の「ふるさとや臍(ほぞ)の緒に泣(なく)年の暮」はじめ、錚々たる俳人の句が並んでいるのだが、重い句が多い。というより、何か意味がまとわり付いたばかりなのである。
その中で、この句を読んで「近く」のリフレインとともに、まさに「年暮るる」の活かされ方に、はたと膝を打った。やはり俳句はリズムである。小さな詩型に複雑な言葉や意味を持ち込んでも重苦しくなるばかり。
軽やかに千年の時が流れ、その一瞬の命を大切にすることが今を生きるということなのである。
『素十全句集』(永田書房)によれば、昭和30年作の句であった。全句集は何度も読み返しているのだが、素十の句の中にあってはこのような句はありふれていて見落としてしまいがちである。しかし、一句独立して書き出せば、なんと単純で大きな句だろうと、何度も何度もそのリズムを味わっている。
Jと遊ぶ。今年も数えるばかりとなった。
2001.12.18(Tue)
生まれた音は生まれたままに、
色褪せる音は色褪せるままに、
消えていく音は消えるままに、
どうしようもなく、ただすぎていく。
高橋悠治
■『音楽の反方法論序説』/インターネットより採取
インターネットの「青空文庫」(パブリックドメイン文庫)のなかには貴重なデータが眠っている。
http://www.aozora.gr.jp/
それは、能動的に働きかけ、読もうとしなければただのデジタルデータなのだが、著作権が切れた50年以上前のデータばかりとは限らない。まさか高橋悠治の文章が置かれているとは思いもしなかった。
彼が「InterCommunication」創刊号から5年間21回にわたり連載したもので、単行本にはしないと著者みずから決めているものらしい。
「1 か 0 かというディジタルの論理は、選択の究極にたどりついたものではあるが、ディジタル、つまり指の論理である限りでは、1 でもなく 0 でもないナタラージャの指先の反りとメビウス的な表裏の関係にあるのかもしれない。」
彼は「消えていく音」をそのままの状態にたもつことの難しさを知っている。ディジタルでまだ表せない、舞踏の指の反り具合を考えている。それは音楽論ではなく、深い真実を見つめた彼の哲学論に他ならない。
2001.12.17(Mon)
雪に雪載つて大きな牡丹雪 正木ゆう子
■俳句総合誌『俳句研究』2002年1月号/富士見書房
読んで幸せになれる俳句がある。あたりまえのことなのだが、そのあたりまえに気付かせてくれると、まわりのものまでキラキラしてくるから不思議である。
頭で考えて解るまえに、直感で「これいいよね!」と跳びつけるもの。それはやはり単純明快なものでなければならない。深読みなど、想像力さえ働かせばいくらでもできる。しかし、創った作者と私と仲間と、そして誰もが、読んだ瞬間に、空から風に揺られながら落ちてくる「大きな牡丹雪」を視ることができるのは、そこに明確に書きとめられた言葉の力である。
ひとつの大きな牡丹雪から、次からつぎへと落ちてくる牡丹雪に視界が広がり、空へ、野山へと広がっていく。そのとき、作者とともに、私も牡丹雪を見上げてその中に立っているような気分にさせてくれる。人間の存在などきっとそんなものだろう。
一物俳句の強さは、イメージをさえぎる物が無いことが大切な要因である。しかし、そのために、類想の山に埋もれ、ほとんどが失敗作に終る。確かな言葉を掴み取る魔力を持っていなければ、言葉に溺れてしまう厄介な技なのである。正木ゆう子は、そんな魔力を秘めた現代俳人のひとりであろう。
冬らしい寒さ。小雨。
2001.12.16(Sun)
平明といふ言葉は「よあけがた」といふ意味があるのださうである。
高浜虚子
■『虚子俳話』/新樹社
文末の俳句の後に<34.4.5>とあるから、昭和34年の文章である。『虚子俳話』は、朝日新聞に発表していた小俳話をまとめたものであり、この「平明」が最後であった。つまり、この年の4月8日に亡くなっている。
松山では正岡子規の偉大さに隠れてしまい、虚子の評価はあまり高くない。しかし、この平明を旨とする俳句の深みを唱え、実践したのが虚子であったように思う。革新者は確かに重要であるが、それを引き継ぎ、深め広める者がいなければ、その改革そのものが見捨てられてしまっていただろう。
「深は新なり。」、「古壺新酒。」、この二標語を実践しようとした虚子のこころを思う時、「平明」とともに「よあけがた」の言葉を胸に刻み、「平らかに明るい」俳句をものしたいと考えている。
俳人の老いにおける深まりとは、衣を脱ぎ捨てるような平明さなのだろう。しかし、それは容易そうでいて、もっとも難問なのである。
寒い一日であった。午後からDと遊ぶ。
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