2001.10.15

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journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.10.15(Mon)

花はかなり知ってゐるつもりでゐたところが、意外に何も知らないのに驚いたことがある。
                             加藤楸邨


■吟行版『季寄せ草木花』秋 [上] /選・監修 加藤楸邨/朝日新聞社

俳句を作るために便利な道具がいくつかある。その代表が「歳時記」や「季寄せ」であろう。吟行(詩歌や俳句をつくるために野山や景色のよい所や名所旧跡に出かけてゆく)には小型本が重宝する。

俳句初心の頃には知らない草木花ばかりだから写真入りのものを携帯して、これが秋の七草として有名な「女郎花(おみなえし)」、「男郎花(おとこえし)」、「藤袴(ふじばかま)」だったのかと、独り合点して知識のあとから現実の花に触れる喜びを何度も味わったものである。

しかし、花の名前を知ったところで、その花についてすべてを知っていることにはならない。女郎花を知らなくても女郎花の句は作れるかもしれないが、女郎花の句を読んで鑑賞することができるのは、全体の何分の一かであろう。ただ、無闇に学名や和名すべてを覚える必要はないと考えている。生活を豊かにするための共通言語として、一般教養程度の草木花情報は、有り余る脳細胞の片隅に蓄えておいても邪魔にはならないと思われるのである。


ball-gs2.gif 2001.10.14(Sun)

だから、もっと鳥に近づきたい場合は、自らカモシカになればよいのです。
                             高木清和


■『フィールドのための野鳥図鑑』野山の鳥編/山と渓谷社

自宅には何冊かの野鳥図鑑と鳴声のCDがある。それなのに、また牧野植物園で「野鳥図鑑」を買ってしまった。手に取ってページをめくると、明らかにこれまでの図鑑と編集方針が異なっている。野外でバードウォッチングの初心者や中級者に役立つように、1ページごとに、雄鳥の切り抜き写真とその形態的特徴が引出線付で示されている。

もちろん、その他の説明もあるのだが、まず鳥の写真の大きさが実に明解である。背景となる風景を切り捨てたことにより、鳥だけに焦点をあてた結果といえよう。また、身近な鳥、271種類を「野山の鳥」編と「水辺の鳥」編2冊に収録しているのも、納得できる分量であるように思われた。

最適な野鳥観察には、鳥が警戒しない犬やカモシカになればいいとのこと。できることならば、羚羊(カモシカ)に一度なってみたいものだが、それは難しい。先週の日曜日には、400羽ほどの差羽(サシバ)が渡っていったが、今日は鳶(トビ)の影だけで、差羽の影は見られなかった。糸瓜や昼顔を楽しんだ。

高齢(24才)の王者P馬の体調が悪い。食欲があまりなく、肋骨が浮き出してきている。餌を食べようとして、足下がふらつき倒れて、すぐには起きようとしない。このままでは、自力で起きられなくなり増々弱ってしまうため、追い鞭で無理矢理起こされたが、かなり辛そうである。それでも、Aが鎌で刈って来た青茅だけは、わずかに食べた。

5時24分、山の端に入日がかかり始め、沈んでしまうと、あたりが急に冷え込みはじめた。山際の空が、薔薇色に輝いたのも束の間であった。


ball-gs2.gif 2001.10.13(Sat)

ササヤートコセ
エノヨーイヤナ アレワイセ
コレワイセ ササナンデモセ
                         手結盆踊歌囃言葉


■『とさのかぜ』祭の号、VOL21/高知県文化環境政策課

高知市内で灼熱の太陽の下、狂乱的な「よさこい祭り」が開催されている頃、香美郡夜須町、手結の海水浴場近くでは、毎年旧暦7月16日の夜に盆踊りが開催されている。

江戸時代初期、藩政改革に取り組んだ野中兼山は、風俗の乱れを理由に民衆の集まる催しを一切禁止したというが、この手結盆踊と佐川町の端応盆踊だけは盂蘭盆に踊ることを条件として許可したそうである。それは、兼山が1650年から着手した手結(てい)漁港修築工事の犠牲者を弔うのが目的であったためらしい。

350年あまりの歴史を持つもので、音頭となる地歌に合わせ、手踊りの「こっぱ、くろす、みあい、花取り」の4つの型で踊られる。しかし、今ではその語源の意味さえ定かではないと言う。ただ、口説き手と囃し手による哀愁のある地歌は、現代では廃れてしまいそうな時間の流れを感じさせ、土佐の光と影を一層際立たせるものとして存在しているように思えてならない。

沖へ遠ざかる流灯が波間に漂い、それらの哀しみを囃言葉が宥めているのかも知れない。漁港にも橋が架かり、時とともに大きくその姿をかえつつある。


ball-gs2.gif 2001.10.12(Fri)

泉の底に一本の匙夏了る   飯島晴子

■句集『蕨手』/鷹俳句会

幻の句集『蕨手』の開巻第一句は上掲句から始まる。

今あらためて読み返せば、この句は「七・七・五」になっている。私にとってはあまりにも名句なのでうっかり見落としていたが、かつては気になっても、そんなことすらどうでもよくなってしまうほど記憶の中に染込んでしまっていたのである。

飯島晴子の句には字余りの句が多い。しかし、気持ちは潔いのである。そのため初見ではごつごつした音感があるのだが、数度、口のなかでころがすとまっすぐな棒のように把めてしまい、そのまますんなりと入ってきてしまう。

コピーした『蕨手』全句をまた紐解いている。何度も何度も。そして、序文で藤田湘子が述べる「俳句を意味ではなく認識の詩として、・・・作品として書かれた言葉のうしろ」を感じている。

地位や名誉のある人間であっても、自分を庇い、人を傷つけることを何とも思わない者がいる。仕事がらどうしても相手にしなければならない時があるが、見苦しい限りである。穏やかに話し合って、より高い志しをもっていつも接したいものである。


ball-gs2.gif 2001.10.11(Thu)

昔は書の勉強のための書道で、今の様に書展のための書ではなかったのであろう。
                             沢田明子


■句と随想『露草の抄』/土佐倶楽部社

言葉を伝える記号としての文字、その文字を芸術の域にまで高めた書道。否、「道」と付くならば精神もその領域に入って当然である。しかし、「書」一文字で、何にも装飾されない姿は美しい。

沢田明子は書家である。(高知市在住、今年、傘寿を迎える)また、俳人でもある。40代で「どうして書家は他人の詩歌ばかり書くの?」と尋ねても納得する答えがもらえず、二三年悩み、下手でもいいから自作のものを書こうと作句を始めたという。

高知県書道界のことはほとんど知らないが、本書に現れる川谷横雲、川谷尚亭、手島右卿、高松慕真、南不乗の名前などはどこかで聞いた覚えがある。書も絵画も工芸も彫刻も、展覧会のためのものだけでは作家の心が痩せてしまうだろう。


ball-gs2.gif 2001.10.10(Wed)

月の桂の由来は、「月中に桂あり、高さ五百丈」という中国の伝説。柳に蛙で有名な小野道風の書からとった「柳」をはじめ、團伊玖磨命名の「把和游(はわゆう)」など、ラベルやネーミングも凝っている。
                            氷川まりこ


■雑誌『和楽(わらく)』2001年11月号/小学館

「和楽」は小学館から発刊され始めた家庭画報サイズの雑誌である。編集者の方針なのか表紙からすでに折込ページ。中にも数カ所の折込があり、他誌にない面白さをねらっているが、その効果はあまり出ていない。それは、わざわざ面倒な作業を読者に強いておきながら、開いたときの感動(意外性)があまりないからではなかろうか。単純そうな驚きを与えることが実に難しい。

「和樂」編集長は花塚久美子。表紙は書店販売の雑誌と少し違い、写真を美しく見せようと内容を伝えるタイトルは入っていない。次号が来るまで、ゆっくり何度も楽しめる雑誌であるためには、まだまだ読み物が不足しているだろう。一日で読み終える雑誌ではつまらない。
http://www.waraku-an.com/

ソムリエ、木村克己監修による「美酒に誘われて「蔵元」へ」と題した編集があり、諏訪<真澄>、富山<満寿泉>、京都<月の桂>が紹介されていた。取材・文は氷川まりことなっていた。全国どこの蔵元でも酒のネーミングにはその味同様に気を使うだろうが、300年以上の歴史をもつ「月の桂」が中国の伝説から取られていようとは思ってもみなかった。酒のラベルは変えられても、ネーミングはなかなか変えられないものである。酒飲はその名前で酒を買うのだから。

鳥羽街道に面し、坂本竜馬も飲んだであろう伏見のにごり酒を、月を愛でながら味わってみたい今日この頃である。


ball-gs2.gif 2001.10.09(Tue)

そうさ、愛しているだけさ
心から
                          マニ・ラトナム


■映画『ディル・セ 心から』監督脚本 マニ・ラトナム/字幕翻訳:岡口良子

高知県立美術館ホールで6日、7日、第13回高知アジア映画祭が開催されていた。仕事の都合で3本と講演すべてを見ることはできなかったが、記憶のために書き留めておこうと思う。(鑑賞者数が少なかったのが残念)

見たかったのは、1998年のインド映画「Dil Se」であった。

愛、別れ、出会い、ダンス、歌、憎しみ、サスペンス、戦闘、死、満載であり充分堪能することができた。中でも、ミュージカルシーンの背景に現われるインド北部、チベット・中国国境の風景は圧巻であった。

もちろん、ミュージカルシーンにおけるインド舞踏を取り入れたダンスや群舞の素晴らしさもあるのだが、疾走する列車上での転落の恐れなど微塵も感じさせない安定感や雄大な自然を背景に民俗衣装を次々と替えながら、編集によって繋がれる様は、映画の醍醐味といえるものだった。

物語はインド国営ラジオ編集局員のアマル(シャー・ルク・カーン)が美人テロリストのメグナ(マニーシャー・コイララ)に一目惚れして、その愛を貫く話なのだが、何度拒否されても正体も解らぬ女性を追い続ける姿には心動かされるものがあった。

映画のなかで反政府組織の司令官が若者たちを教育する場面があり、「生まれた社会がどうあれ、よりよい社会のために殉死することが重要だ。自己犠牲こそ美しい」と語っていたのが記憶に残る。

「美しい自己犠牲」などあるものか。自分が幸せになり、周りにその幸せが広がるように考えなければ、またかつての特攻隊と同じ道をたどることになる。どんなに美しい言葉であっても、その後ろには欺瞞が満ちている。そうやって若者を教育すれば、彼らは聖戦と信じ死も恐れぬ戦士に成長することになる。

彼らは自分達を「反政府テロリスト」ではなく「革命者」であると言っていた。


ball-gs2.gif 2001.10.08(Mon)

             こうきせいじゅうわがことにあらず
世上乱逆追討雖満耳不注之。紅旗征戎非吾事
                             藤原定家


■王朝の歌人9『藤原定家』久保田淳/集英社

明日でこの日誌を開始して、丸1年になる。数日の空白はあるが、そこが「不連続日誌」と銘打っている所以である。昨年10月19日、紀野恵の短歌を取り上げた際にこの定家日記『名月記』のフレーズを引用したが、あらためてここに採録しておくことにする。付け加える言葉も今は無い。


ball-gs2.gif 2001.10.07(Sun)

地方競馬の世界では、誰もまだ短い鐙のモンキー乗りをやっていなかったころ、ニュースの映像の見よう見真似で自分の鐙を短くしていきました。
                           佐々木竹見


■雑誌『優駿』2001年10月1日号/日本中央競馬会

「見よう見真似」、それも映画館のニュース映画を見て、中央競馬の野平佑二や保田隆芳のモンキー乗りを勘でつかみ、自分の形を作っていったのだから、その努力の凄まじさが伺えよう。

佐々木竹見の名前で記憶に残る出来事がある。競馬の最中、彼の片方の鐙が外れてしまった。普通の選手なら、速度を落し安全策を取るのだろうが、彼はバランスを保つためにもう片方の鐙も外し、靴だけで馬の背をキープして鞭を入れ、一着でゴールインしたのである。それも襲歩、最速時は200mを11秒くらいで走っている鞍上の咄嗟の判断とはいえ、これだけは「見よう見真似」のできない技術と言ってもいいのではなかろうか。

通算成績39,092戦、7,153勝。

7月8日、地方競馬の騎手、佐々木竹見は今年59歳で41年間の騎手生活にピリオドを打つ引退レースを真剣勝負6着で駆け抜けた。


ball-gs2.gif 2001.10.06(Sat)

川を見るバナナの皮は手より落ち   高浜虚子

■句集『五百句』昭和22年7月3日発行版/改造社

バナナと言えば夏の季語である。歳時記に載っている虚子の句ばかり見ていたので、当然「夏」と思ってこれまで鑑賞していたのだが、『五百句』を開いて見ていると、「昭和九年 十一月四日。武蔵野探勝会。濱町、日本橋倶楽部」と添書があった。

この時、虚子はバナナを夏の季語として使っていたのだろうか。それとも、輸入物ゆえ、季感よりもバナナの贅沢感(?)によって、一句の中に物の存在を印象付けようとして用いたものだったのだろうか。俳句だけを純粋に読む楽しみと、添書によって広がる世界と、句集の行間からは様々なものが顕ち上ってくる。

昨日読んでいた雑誌『DIME』に載っていた黒のレトロ調「CDラジオ」を購入した。商品紹介雑誌の力「恐るべし」である。

これで、各部屋1台のラジオ所有率になってしまった。ポケット用携帯ラジオをトイレに置けば、後は風呂場だけということになるが、そこまでする必要はないと今は考えている。

世は3連休、私は仕事が入っていて身動きがとれない。まるまる1日というわけではないのだが、毎日半日詰まっていると県外へ出かけることもできない。本来なら鷹大阪中央例会に出席予定だったのだが、10月、11月は自重するしかない。12月1日、宮崎指導句会出席ため早々と航空機の予約を入れたが、直行便では間に合わないので、遠回りして大阪経由にすることにした。

日中はまだ半袖ポロシャツでも汗をかく気温、しかし夕暮れには心地よい風が吹き出した。Jの体調が悪く、Iと遊ぶ。大学の後輩Wに偶然会ったが、明日は運動会とのことであった。確かに運動会シーズンではあるが、私にはまず関係のない出来事。


ball-gs2.gif 2001.10.05(Fri)

たまたま本が売れたからって、これでお金貯めたり自分を型にはめたりしちゃうと、『。』がついて終わってしまう。
                             飯島 愛


■雑誌『DIME』2001年10月18日号/小学館

飯島愛はもちろんタレントである。1972年東京生まれとある。『プラトニック・セックス』は8ヶ月で100万部を越えるベストセラーになり、TVドラマや映画にもなったようだがまだ見ていない。(あまり興味がなかったので)

タレント本というと、ゴーストライターがタレントの話をもとにまとめているのだろうという先入観(これが型にはめるということか)が先にたち手に取ることもなかったので、今度、本屋で立ち読みしてみようと考えている。

上掲の言葉は、取材者の「加藤あづみ」がインタビューをもとに、「家電かいまくりライフ」としてまとめた3Pの中の3行足らず。つまり2人の合作なのだが、言葉の所有権は「飯島愛」にあるだろう。

『。』は、「モーニング娘。」の出現以来注目されているが、かつてコピーライター糸井重里がイベント案内ポスターで「2年待て。」と、『。』を入れて、丸からも一文字あたり数百万円もらっていたと言う洒落た噂があった。

『。』は、ふつう文末に付くのが当たり前という思いがある。糸井重里なら確かに冒険ではあるけれど入れてしまえば当たり前、「モーニング娘。」では固有名詞の記号のようなものだが新鮮、飯島愛の『。』は、人生の終わりも丸で終わってしまうのだろうかとこのカッコ符号につくずく見入ってしまった。

ball-gs2.gif 2001.10.04(Thu)

   そそき
秋風の曾曾木の海に背を向けてわれは青天よりの落武者
                             塚本邦雄


■歌集『天變の書』/書肆季節社

塚本邦雄の短歌の中でもっとも好きなものは何かと尋ねられることがある。しかし、これは難しい。せめて100、いや50、30、ええい10首、と尋ねてもらいたいものである。その中に入る一首がこの歌である。

私と塚本邦雄本の出会は、偶然、県立図書館で手に取った「玉蟲遁走曲」というエッセイの題名とその中のエリック・サティの音楽に関する内容に興味を持ち、その本の後ろに紹介されていた刊行図書名を高知市内のM書店に注文したのが始まりである。

塚本邦雄が歌人であることすら知らず、注文した本が歌集ということも知らなかったような気がする。「水葬物語」や「日本人霊歌」「水銀伝説」など、SFか妖気物の題名と間違いそうではないか。

結局、この時は注文書すべてが絶版の知らせを受け、仕事で上京のたびに神田の古書店を覗いたり、国会図書館で探してみたり、ずいぶん懐かしい話になる。

能登の曾曾木海岸には青春の思い出もあり、平氏の落武者ならぬ自分を投影して、いつまでも心に残る歌なのである。


ball-gs2.gif 2001.10.03(Wed)

商談や討論の場はもちろん、学術書や社説の中でも、ひいてはお葬式における弔辞でさえ、相手を笑わすことは無礼な行動ではなく、人間が生きている証拠として解釈されている。
                      ジェラルド・グローマー


■『落語特選 上』麻生芳伸 編/筑摩書房

お葬式における弔辞でも許されるのだろうかと少し不安ではあるが、確かに笑いが人間関係の潤滑剤になったり、緊張弛緩剤になるのは納得させられる。

この本には、20編の落語が紹介されているが、自分の贔屓の落語家の顔でも思い浮かべながら、どんな語り口で話を進めるだろうと想像するだけで、またひとつ違った趣きのある鑑賞ができるところが楽しい。

たとえば、「品川心中」の花魁(おいらん)お染の書き置の候文は、

「・・・あの世にてお目もじ致し候を何より楽しみに待ちかね居り候。まだ申したきこと死出の山ほどおわし候えども、心急くまま惜しき筆止参らせ候。あらあらかしこ。白木屋染より。金様参る。」

とあり、「金様参る」にはぐっときてしまう。いや、遊女にして置くのはもったいない。今どきこのような電子メールのかける女人はどこかにいないものだろうか。

編者によれば、アメリカ生まれのジェラルド・グローマーは、現在山梨大学教育人間科学部助教授でありながら「日本から消滅した品格のある言葉遣いをする、江戸人の生き残りをを想わせる」と紹介されており、「品格のある言葉遣い」には興味の湧くところである。


ball-gs2.gif 2001.10.02(Tue)

もちろん、寄席などでは演れないものが多いので、主として”お座敷ばなし”として、ひそかに語りつがれてきた。
                             小島貞二


■定本艶笑落語1『艶笑小咄傑作選』小島貞二 編/筑摩書房

「合図の太鼓」、「あと一合」、「出雲の神さま」などなど、題名を聞いただけでその小咄を思い出せるものや、多くの初見の小咄が並べられている。
最近は寄席でも演じられているものも多いが、流石にテレビ中継などが入っているときはかなり自粛しているように見受けらられる。

セクシャルハラスメントではないが、軽く笑って聞き流せる程度の艶笑小咄がひとつふたつ入るだけで、その場の雰囲気が急に柔らかくなって、肩の力がぬけるのだから薬効以上のものが潜んでいるといってもいい。

しかし、実は活字で読んでも、その面白さは半分も満たされない。やはり、噺家の渾身をこめた話芸によってこそ、笑い転げることができる代物なのである。

規則づくめの世の中を振り返ると、その規則の必要性こそが問題なのであって、本来は不必要なものばかりと言ってもいい。それならば作らなくてもと思うのだが、結局、心無い者がいるために作らざるを得ないとしたら、「お座敷ばなし」でも聞いて浮き世の憂さを片時忘れたいと思うのも人情だろう。

酒と月と俳句に釣られ、呼び出しの携帯電話に応え出かけたのは良かったのだが、不覚にも天地が回るほど酔ってしまっていた。酒宴後、足下で鳴く蟋蟀(こおろぎ)をすくいあげ、部屋に帰ったとたん目がまわってしまった。不覚、不覚。


ball-gs2.gif 2001.10.01(Mon)

全然未知の世界のものが頭をもたげてくるということはあり得ない。
                             高浜虚子


■『俳句への道』/岩波書店

「十七文字、季題という鉄索にしばられている俳句にあっては、或範囲内のことに限定されている。これは俳句の運命である。」と虚子は「新人をおそれず」の章のなかで語っている。

正岡子規も高浜虚子も、現在頭を出している俳人は、未来にどんなことをするか大体において想像できるが、その後に現われる新人達は、何か思いも及ばぬことをするかもしれない、新方面を開拓するかもしれないと期待や恐れをもっていたのである。

しかし、「これは俳句、十七文字の世界」のことと見てしまえば、さほど未知のことはあるまいと達観していた様には、賛辞を呈したい。俳句を根底からゆるがすような大改革や構造改革など起り得ないはずである。それならば、せめてその中で、自分を満足させ、少しだけでも普遍の真理につながるような些細なことを詠っていきたいと思っている。

郵便局の駐車場から見上げた月の美しさに誘われ、少し遠回りして鏡川河畔で月見と洒落こんだ。対岸から聞こえてくる虫の音も、ひと月前よりかなりか細くなっている。中天に白く耀く月は陰暦8月15日の月。

しかし、酒も飲まず、ただぼんやりと見上げるだけでは、半袖ポロシャツ姿では寒すぎて15分ももたなかった。俳句? とてもとても・・・・・


 


敬愛する日誌へのリンク情報

まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。

● 彷徨(by 蓮見暁、暁穹恋歌)へ .



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