「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.07.31(Tue)
そしてもう一つの数字、”7”。
これはポルトガル代表の彼の背番号。
山本容子
■雑誌『FRaU』フラウ、2001年8月14日号/講談社
雑誌や書籍の執筆者のなかでも、山本容子は私の波長にあうのかよく目に止まる。そして、読んだあと、何がしかのモノをこころにしるしてくれる。一瞬目につくのは、彼女の銅板画によるイラストレーションなのだが、文章にも同じエッセンスが鏤められている。
私はサッカーや野球選手の背番号には疎い。というより、ほとんど興味がないので、かなり有名になって、まわりの者達がその名前を口にするまで、ほとんど記憶に残ることもない。
家人は中田英寿のフアンらしく、しきりに本を買ってきたりしているが、試合を見に行こうと誘われることもない(チケットも手に入らないだろうし、試合内容などどうでもいいようだ)。そして、今日、山本容子の文章の中に、「例えば日本の中田英寿、イングランドはペッカムと、華のある選手はみんな7番。」というのを見つけ、これでやっと記憶に残った次第。
山本容子の説が正しいかどうかなど問題ではない。とりあえず、7番を付けていたということだけでいいのである。名前を番号で置き換える、競走馬のように。それだけで、私の中では呪文が成立するのだから。ポルトガルの伊達男はルイス・フィーゴと言うらしい。この名前はきっと忘れてしまうだろう。
同じ雑誌に載っていたスペインの「ペネロペ・クルス」のほうが、私にとっては重要。コカ・コーラなど飲まないで、いつまでも若く美しくいてもらいたいものである。午後、ぱらぱらと小雨が降った。
2001.07.30(Mon)
産んだら死ぬとわかっているお産にどうやって挑めばいいのだろうか。そんな恐ろしいことができるのだろうか、と思っていてもやってきてしまうであろうということが実は一番恐ろしい。
吉澤美香
■俳句雑誌『鷹』2001年8月号/鷹俳句会
触れないでおこうとも思ったが、やはり気になる内容である。第2子出産を控え、染色体異常により生きる力がほとんど無い子と判明したとのことである。
鷹に吉澤美香が巻頭エッセイを寄せるのはこれが2度目のはず。1度目の時は、編集長もなかなかやるではないかと、その人脈の広さ、才能のある作家を書き手に迎える度量(彼女はもともと画家なのだから)に少なからず感心したものであった。
しかし、今回はさめた彼女の感性をもってしても、重大問題のはずであるし、この文章を書いた後、すなわち、今、彼女はどんな状態なのだろうと、心配なのである。
私と吉澤美香は一面識もない。ただ、私は彼女の登場以来、その絵に惹かれ、こんな表現もあるのかと、その柔軟で眩しいばかりの才能を羨んでいた。だからこそ、彼女の肉体と、今後も絵を描き続けられる精神力を残しておいて欲しいと願うのである。
「・・・・アンフォルメルの秋騒立てり」、それは彼女へのオマージュでもあった。
2001.07.29(Sun)
一クラス百花百人群れゐたりをみなとはああ群るる美し
馬場あき子
■『最新 うたことば辞林』/作品社
「うたことば辞林」と言っても、これは歌人・馬場あき子の第一歌集『早笛』から第十六歌集『青椿抄』までの作品から2,000首を選び出し、それをテーマごとに編纂したもの。初句索引も付いていて、目当ての歌を探すには重宝である。
「能」や「鬼」ではなく、「山」や「歌枕」の部立ての歌が多いのが意外であった。しかも、「歌枕」の半数以上は「山」に関するものなのである。漠然と歌集を読んでいても解らないものだが、テーマごとに分けて考えてみると、その作家の嗜好が鮮明に浮かんでくるといえようか。再度、馬場あき子と「山」の関係を考えてみたいものである。
掲出の歌は、私好みのものを選んだ。「女」の部立てに属している。歌集『南島』(1991年、雁書館)の一首のようであるが、初めて目にした歌である。「百花百人」から、一瞬「百合」の花が幻影され、丘陵に咲き乱れる百合の斜面が、突然断崖へと連なり、次々と海へ投身自殺するような美しさであった。夏である。
ゆったりとした起床。怠惰に一日を過ごそうかとも考えたが、北山へと足をのばし、しばし山を歩く。熊蝉や油蝉、ニイニイ蝉の声が騒がしい。渓流の水にタオルを浸し顔にあてると気持ちよい涼気が広がった。
2001.07.28(Sat)
実は、私は吃音だったんですよ。吃音には「さしすせそ」系が言いにくいタイプと「たちつてと」系が言いにくい吃音があるんですが、私は「さしすせそ」系が言いにくい吃音だったんです。
松岡正剛
■雑誌『編集会議』2001年8月号/宣伝会議
吃音にも2種のタイプがあることを始めて知った。自分や家族にあまり影響のないものについては関心度が低く、つい忘れてしまいそうな話である。しかし、しゃべろうとしてしゃべれない本人にとっては重大問題である。
あの饒舌とも思われる松岡正剛がかつて吃音だったとは不思議な感じがするとともに、武満徹も吃音だったと言う文章には、私の読み落としていた新たな内容として興味がもてた。人間には何かの障害があっても、ある瞬間からそれらが利点に変わることは多分にある。彼の生まれながらに全盲の叔父が、「全部音が見えるんだよ。部屋の形も音の反射で見えるんだよ」と言うところなど、感覚とは個人でこんなに違うものかとあらためて感じた次第であった。
2ヶ月ほど外出を控えていたが、久しぶりに郊外まで馬を見に行った。幸い午後から雲が出て日陰を作ってくれたために、爽やかな風に触れることもできたが、まだこの暑さは当分続きそうである。
2001.07.27(Fri)
そうなのだ。ひょっとしたらご存じないかたもいらっしゃるかもしれないが、ぼくは、漫画家なのだ。本業は、もう二十数年のキャリアを誇る漫画家なのだ
いしかわじゅん
■文庫版『漫画の時間』/新潮社
江口寿史や青木光恵ほどではないが、いしかわじゅんの描く少女も可愛い。週刊プレイボーイに連載していたアイドル物など、身につまされるほどドキドキさせられた記憶がある。
しかし、漫画評論を書く時間が増えれば、必然的に漫画を描く時間が減り、発表数が少なくなってしまうのも当然である。受けた仕事をオトさず、まして、締めきり厳守の漫画家などそうはいないだろう。彼は約束を破るのが嫌いなのである。
いしかわじゅんの漫画はどうしても読みたいと思わせるものではないが、ほのぼのとしたほどよい簡略のきいた線描はイラストレーションとしても楽しめる。世の中では、自分では本業と思っていても、実質的には税務署への申告所得の多いものが優先され、作家だけでは食べていけず、いつしか副業が肩書きとしては通用してしまうことも多いようだ。いつまでも漫画家でいて欲しい作家である。
2001.07.26(Thu)
澁澤龍彦にとって重要なのはあくまで「少女」なのであって「女の子」では決してない。ましてや「ギャル」などではない。
川本三郎
■『澁澤龍彦辞典』コロナ・ブックス9/平凡社
行きつけの書店で、少し汚れて帯カバーが半分しかない本を見つけてしまった。自宅の本棚には澁澤龍彦の著書は置かないことにしているのだが、これは本人が書いたものではないから特別に許すことにした。文章は続く。
さらに言えば澁澤龍彦という書斎の芸術家にとっては少女という生身の存在なども本当はどうでもいい。ただ「少女」というイメージ、観念が大事なのである。
私にとっては「少女」も「少年」も子供の類いであまり変わらないと思っていたのだが、上のように指摘されると、確かに違いが存在するように思われる。動物嫌いの私は、近くに子供を寄せつけないようにしているのだが、澁澤龍彦にとっては生き物すべての声が煩かったのではなかろうか。鉱物や貝殻、鏡という、あまり声を発しないものたちからさえも声を聴いていた幻視者なのだから。
この本には、細江英公の写真集『鎌鼬』芸術選奨文部大臣賞受賞記念パーティーにて1970年、赤坂プリンス旧館での輝かしき写真が掲載されている。
前列右から、三好豊一郎、細江英公、瀧口修造、土方巽、澁澤龍彦。後列右から、種村季弘、川仁宏、田中一光、高橋睦郎、横尾忠則、加藤郁乎。もちろんモノクロなのだが、こう並べただけでもある種の雰囲気が漂ってくるではないか。
2001.07.25(Wed)
今まで「今日寝ると、永遠に眼が覚めないかも」と思い、潔癖性と言われるほどに部屋を片付けてから寝ていましたが、ようやく死が遠くに行きました。
引田天巧
■雑誌『婦人公論』2001年8月7日号/中央公論新社
夜中に眼が覚め、ふと開いた雑誌の中に引田天巧の名を見つけた。山梨や沖縄に建設中の施設の宣伝も兼ねてマスコミを利用しているのかもしれない。しかし、潔癖性と言われるほど部屋を片付けていたと聞くと、こちらは穴に入りたいような気分になる。
明日があるから大丈夫、と思うとあれこれいいわけを考え先に延ばすのが常なのだから、やはりこれは覚悟の問題だろうか。旅行に出発する時など、以前なら片付けもしていたが、最近はほとんどそのままである。生活臭があると言えば聞こえはいいが、面倒臭いからに他ならない。楽しく片付けができるいい方法はないものか。引っ越しが一番とも聞くが、これもまた億劫なのである。
研究会が終わって帰宅すると、家人が「土用の丑の日だから、ウナギを食べに行きましょう」と誘ってきた。ところが、目当ての店は午後7時ですでに売切、歩きながら携帯で問合わせたS店も予約のできない状況。はりまや橋近くのB店まで歩いていったが、この暑さの中、店の前で30分も待たなけねばならない様子。結局、ウナギは諦めることにしたが、これは2年前と同じケースだと思い出した。学習能力のない二人である。8月にもう一度「土用の丑の日」があるが、今度はどうするのだろう。
2001.07.24(Tue)
太郎一郎男は暑き名を負へる 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年8月号/鷹俳句会
時代は螺旋構造に進んで行く。子供の名前にもブームがあり、今の流行は「翔、翔太、大輝」、名前の読みでは「ユウキ」である。
http://www.meiji-life.co.jp/seimei/
詳しい統計資料がないので推量であるが、明治までは太郎、大正までは一郎が多かったはずである。昭和、平成ではベストテンにその名前は入っていない。しかし、「太郎、一郎」には家系を継がせようとする父系思想がありありと見える。そして、親や親族の期待を一身に背負った長男の栄光と心労が察せられる。
「暑き名」とは何とうまい表現だろう。
日帰り人間ドックに行った。やや脂肪肝とのことではあったが、眼圧が高い他は正常値。しかし、バリウムを2杯も飲まされたのには閉口した。
久しぶりに俳句情報を更新。
2001.07.23(Mon)
引田天巧はたくさんのレパートリーを持っている。しかし、それらのすべては、ひとつの「型」に集約できる。一言でいえば、脳の中の「知覚のズレ」を使っているのだ。
布施英利
■季刊『プリンツ21』2001秋/プリンツ21
世界上最美麗的魔法師、引田天巧、と表紙に印刷された「プリンセス天巧」特集の評論部分より引用した。コスチューム・ギャラリーなども、やってくれるではないかとショーガールの派手派手しさに、すみからすみまで写真と活字を追って遊んでしまった。
しかし、手品、マジックからイリュージョンへと成長しようとも、私達が驚き、一瞬楽しめてしまうためには確かに「知覚のズレ」が大きく作用しているようである。ズレが大きいほど驚きや喜びが大きくなる。それらの楽しさを素直に認めるアメリカのショービジネスの世界を羨ましいとも思った。
そしてまた、エロチック肢体をレイアウトして横尾忠則の描いた「天巧伝説」のポスターが1枚欲しくなった。
2001.07.22(Sun)
馬の目には、死の気配が漂っているように思える。
藤田宜永
■『艶紅』/文藝春秋
半年も前のことだろうか。著者がある雑誌に小説の題材には3要素のようなものがあり、それさえ巧く表現できれば書き上げることができると解説していた。ちょっとニュアンスは違ったかもしれないが、そう言い切れる藤田宜永の小説を一度読んでみたいと思っていた。
37歳の染織家の久乃と49歳の装蹄師の森高の出合いと別れの一年足らずの物語であった。京都と滋賀県の栗東を舞台に、季節のうつろいを表現する草花や樹木が効果的に表現されていた。しかし、最終章を読み終わって、それはないだろう、と言う思いしきりである。確かに小説の体はなしているが、それだけである。何かを期待した私が浅はかだったかもしれないが、もっと内容のある何かを読みたいと思っていたのだから。3要素のように公式で割り切ろうとする思考では、やはり他人を感動させることはできないのかもしれない。
題名は「ひかりべに」と読む。紅花を用いた染色素材独特の表現であるらしい。
2001.07.15(Sun)
私がこのんで制作する薄肉レリーフは、特に困難な技術がいると云うわけではない。要は題材のモティーフと、適度な厚みのレリーフと、金色のふんいきが、こん然と一体となることが念願となる。
山脇洋二
■『彫金・鍛金の技法』/日本金工作家協会
大阪や京都には何度も足を運んでいるのだがその機会のなかった宇治まで足をのばした。一度、平等院鳳凰堂を見たかったからである。暑い一日であった。
しかし、阿弥陀如来仏にも鳳凰堂にも思ったほど感慨は湧かなかった。台座のまわりに嵌め込まれた銅板レリーフ(江戸時代に制作されたようだが)を見ながら、山脇洋二の薄肉レリーフのようだとぼんやり眺めたりして楽しんだ程度である。
山脇洋二の薄肉レリーフには、やわらかな、言い知れぬ優しさが漂う。それは、作者が技法や技術を誇らず、全体の調和やモティーフの心を表現しようと苦心しているからであろう。そして、その苦心の跡すら消し去ってしまっているように思う。
鮎宗で昼食。宇治川の中州、檻の中で羽を持て余している鵜があわれであった。
2001.07.14(Sat)
ネバーランドには
”快感”しか必要ないんだ
でもね
”快感”の裏には
”苦痛”もまた
必ず存在しなきゃならないのさ
松本次郎
■漫画『Wendy ウエンディ』/太田出版
誓って言うが、私はこの手の漫画は好きではない。ストーリーは許せるのだが、絵が苦手なのである。輪郭線の整理されない雑然さやバランスが苦手なのである。従って初出の「週刊モーニング」も毎週読んでいたはずだが、まず飛ばし読みしたため、数ケ所の絵しか覚えていなかった。俳人T氏のお勧めの漫画ではあったが、私の好みの分野の作家ではない。
鷹中央例会大阪に出席。試しに中九の作品を投句していたが、お叱りを頂いた。ただ先生との選が近くなっていたことを佳しとするべきか。しかし、俳句らしい俳句を作りたいものである。今回は2次会も3次会もなく、かなり俳句の勉強にはなった。自分の下手さ加減にそろそろ嫌気がさして来たのである。
仲間11人と初めて梅田の高さ106mの真紅の大観覧車に乗り、甘党の私も少し閉口するプリンスアラモードを食べ、しばし異次元の世界にあった。しかし、1枚800円のデジタル写真にしっかり映っているので、あの場に居たことは、もはや否定できない事実である。
2001.07.13(Fri)
勾玉に残る草色春灯 中山世一
■句集『雪兎』/ふらんす堂
高知県須崎市出身の縁で下総に住む著者より恵贈いただいた。まだ波多野爽波の「青」にいた頃、一、二度吟行を共にした覚えはあるが、顔は思い出せない。この句集には322句が収録されている。
かつては高貴な人しか身につけられなかった勾玉なので、自分で発掘して掌にのせて見ているとは思えないのだが、「勾玉」と「草色」から広がる世界は大きい。
終日「カレントクラフト展」の会場係。昨日、小品のなかで一番気に入っていた「キプタル(苦悩の女神)」に早々と買手が付いていたのでまず一安心。自分で気に入っているものから売れて行くとやはり嬉しい。午前中に高知市内の御婦人が「みうのまち」、午後、奈良から仕事で来高中の御夫妻が「さめやらぬ」を求めて下さった。
知人などではなく、全くの他人がその作品だけを評価して求めてくれることが有り難い。
夜はお世話になっている報道関係者(S氏、H氏、O氏、K&K嬢、O嬢)を招いての懇親会。もう少し作品についての意見を聴きたいところであったが、招待の場では本音は出てこないようであった。
2001.07.12(Thu)
だいたい人間、誰も前世から受け継いだものをもって、今こうして存在するのである。そう考えれば現実の年齢差など小さなことにすぎない。
酒井政利
■『アイドル誕生』/河出書房新社
謙虚にあらゆる人と応対する方法として、例えば現実の年齢とは別に前世の年齢があると考えるのも良いかもしれない。少しオカルト的ではあるが、それで謙虚になれるならば安いものであろう。私は現実ばかりでなく、目に見えない世界を多分に感じて暮しているようなところがある。それは神などとは違った霊的な何物かのように思うのだが、もう少し科学が発達しなければ説明できないものなのかも知れない。
久しぶりにK氏と再開。仕事の話を聴き、数年間の作品を見せてもらった。今もセンスは衰えていない。ただ、運だけはどうしようもないものであろう。今後の健闘を祈るばかりである。
2001.07.11(Wed)
さすがに工芸制作が時間との競走になってくると読書やHP更新の時間が取れなくなってしまった。
「第14回カレントクラフト展」に作品16点を搬入。高知大丸の美術画廊とミニギャラリーを借り切って昼から全体で約130点を展示。昨年より6人少ない14人のため壁面が余ってしまうのではないかとの話があり、急遽小品を増やしたため1人8点のノルマは達成した。しかし、美術画廊の壁面が空きそうなので、ミニギャラリー用に作成した私の作品3点で穴埋めすることになり、ミニギャラリー担当者には申し訳ない結果となった。来場者に人気のあったガラス作家や染織作家の作品が無いのは寂しさの一因でもある。来年は立体作家にも壁面作品を、そして私も立体作品に挑戦するのも改善策かもしれない。
展示終了後、仲間の女流作家3名と居酒屋に食事に出掛けたが、胃袋が肉を拒絶して調子が悪い。体力を消耗してしまっているときは、食べることより睡眠時間を取るほうが大切なようである。
2001.07.06(Fri)
午前10時前に雷が鳴って、かなり激しい雨が降り出した。窓の外は雨に白く煙って、しきりに雷が鳴る。こんな時は、雲が急上昇しているに違いない。この雨が終われば、梅雨明けだろうか。
Y氏の娘が来年春には短大を卒業して帰ってくると言っていた。彼女と彼女の妹は、私と同型のPowerBookG3を持っている。栄養士よりはコンピュータ・グラフィックに興味があるそうだ。使っているパソコンのデザインソフトに満足しているだろうか。まだ高校3年生の妹は、県下で一番の100m走者なのだそうだが、デザイン系の大学へ行きたがっているとのこと。「Mac頑張れ!」と言いたいところである。
2001.07.05(Thu)
消費税込手数料 630円
■『振込金(兼振込手数料)受取書』/四国銀行
この金額だけなら、さほど高い値段とも思わない。しかし、これが年間2、100円の使用料に対する振込手数料となると、払ってしまった後から少し後悔してしまった。
インターネットは便利ではあるが、その反面、まだまだ少額決済システムが普及していない。早く私が持っているカードがどこでも使えるようにならないものか。たとえば、「BitCash」と言うプリペイド方式のカードが使用できると書いてあったので手に入れようとしたのだが、高知県にはまだその正規販売店が1軒もなかった。
作品に使う予定のアルミ波打板を買いに行ったが、あるはずのモノがない。もっと早くに対応していればさほど問題ではなかったのだが、今からでは間に合わない。意匠が大きく違ってしまうので、クラクラしている。さて、どうやって解決したものか。こちらは財布の金では足りないほどあれこれ資材を買い込んでしまい、結局カード決済にしてもらった。しかし、カウンターをあっちからこっちへと、一往復させられ、やはりお金って便利かしらと考えた次第。
2001.07.04(Wed)
中村雄二郎先生は「アイデンティティーは、自己同一性ではなく、<かけがえのなさ>と訳すべきだ」とおっしゃっています。
川崎和男
■『DESIGNPROTECT』2001年No.50/日本デザイン保護協会
今年のグッドデザイン賞審査委員長・川崎和男に森山明子がインタビューした内容として紹介されていた。
さすがに哲学者は言葉にこだわった訳をしてくれる。私は「自己同一性」といった堅いイメージの言葉は苦手である。そうかといって英語をそのまま片仮名表記するのも嫌いである。どうしてもっと早く「かけがえのなさ」と訳せると思い至らなかったか、恥ずかしいかぎりである。
工芸制作の合間をぬって「銅の会」開催。6人会のはずが4人しか集まっていない。それぞれに忙しい事情があるようだ。終了後、飲みに行きたいのをぐっと堪えて七宝炉のスイッチを入れた。
2001.07.03(Tue)
やくざに仁義をきる、というのがあるがこれも長い。「おひかえなすって、おひかえなすって。手前、はっしまするは関東でござんす。関東と言ってもひろうござんす。関東は上州高崎でござんす」と、あれは10分くらい続く。つまり日本人には、挨拶は長くなくてはならない、という気持がある。それでないと失礼だと思うのである。
金田一春彦
■『ホンモノの日本語を話していますか?』/角川書店
時代は変わった。「挨拶は長くなくてはならない」などと思う人は少なくなったのではないか。それだけゆったり時間が流れ、丁寧であることが相手を敬うことに通じていたのかも知れない。
今は、「挨拶は短く、要点を明確に」である。高知では酒宴での挨拶は、盃に口を付ける前にまとめて済ませてしまわないと、途中からだとほとんど聞いてもらえないという風潮があった。しかし、先日来、この雰囲気にも違いがでてきているのを感じている。相手や周りのことなどお構い無し、自分中心といった個性派が少なくなってきているからのようにも思える。モノワカリのいい人が増え嬉しい反面、何か淋しさも感じるから、心情複雑である。
映画で渥美清が演じた「ふうてんの寅さん」にあこがれる気持の中には、「挨拶は長く」の思いが廃れつつあった時代背景があったかもしれない。
S氏の送別会であったが、その時間まで作品制作に当てさせて頂いた。
2001.07.02(Mon)
女官たちがつくした唯一の男性は、明治天皇の時代までは、原則として天皇だけであった。天皇は自分のために選ばれた美形の未婚女性に傅(かしず)かれて生活したのであった。
小田部雄次
■『ミカドと女官』/恒文社21
「菊のカーテンの向こう側」の副題が付いている。決して身銭を切って買わない分野の本である。偶然、俳句の縁で知り合った著者から恵贈されたもので、半ば義務的に読んだのだが、詳細に調べて記述してあるところはさすがに大学助教授の仕事、そして彼の興味(日本近現代史)の範疇なのだろうが、私との溝は深い。
ただ、私にとっては言葉の宝庫であった。自分で買う書籍にはない職名や人名がやたらと多い。明治天皇の皇后が美子(はるこ)、大正天皇の皇后が節子(さだこ)、昭和天皇の皇后が良子(ながこ)と見るだけでも、普通のよみがなとは一寸違ったこだわりを感じてしまう。それぞれ、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后とのこと。
そしてまた、明治天皇の生母が中山慶子(よしこ)、大正天皇の生母が柳原愛子(なるこ)などと、今ではまるで週刊誌の三面記事を読むような内容もあったが、雑学クイズの問題くらいには使えそうである。「傅(かしず)かれる」いう言葉も、最近ではほとんど使われなくなっていると思うが、まだ、宮内庁では使っているのだろうか。
ちなみに、宮内庁のHP解説によれば、「行幸」とは、天皇が外出されること、「行幸啓」とは、天皇・皇后がご一緒に外出されること、「行啓」とは、皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されることとあった。ここまで区別する必要があるとは、言霊とは恐ろしいものである。
2001.07.01(Sun)
後ろにも髪脱け落つる山河かな 永田耕衣
鷹9月号への投句のため、作業中の電気炉を止めて、中央郵便局まで速達を出しに行く。もう一日早ければ、市内のポストでも間に合うのだが、何故かポストだと安心できないようなところがある。速達窓口で手渡して350円也の領収をもらうと少しほっとする。
夏場に七宝炉を使っていると汗が吹き出してくる。冷房を最大にすれば、もう少し楽かもしれないが、この暑さのなかで作業していると、作品を創っている実感が湧いてくるから不思議である。
以前と比べて、原画をMacで制作して、画面で確認しながら色を置いていく作業になったため、同じ色のピースをまとめて焼けるので、生産効率はかなりよくなっている。しかし、これ以上早くすると、工芸品を創っているより、流れ作業の一部のようになってしまうので、ぐずぐず、だらだらも、ある部分必要ではないかと考えている。見本どうりに焼けない色や割れる色に少し手こずっているのも楽しい。
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