2003.01.15

HAIKU・ 俳 句 ・HAIKU


(3)季語を離して使う



どうしていいか解らなかった初心の頃、わが師匠の入門書に
次のような例句が載っていた。


元は、俳句ではないが、とりあえず十七音。


   「この土手に登るべからず 警視庁」


この「警視庁」を季語に入れ変えて俳句にするには、

さて、どの季語が最も相応しいか考えてみよう 


    この土手に登るべからず蕗の薹 (ふきのとう)

    この土手に登るべからず春の雲

    この土手に登るべからず卒業歌

    この土手に登るべからず啄木忌 



あなたは、どれを選びましたか? 俳句初心者では、圧倒的に「春の雲」、そして「蕗の薹」。 あとの「卒業歌」と「啄木忌」は、極めて少なくなる。 「春の雲」が多いのは、一番理解しやすいから。 土手の下の道を歩いている。 土手には登ってはいけないという。でも、ちょっと気になる。 そこで土手を仰ぐような感じで見ると、空に春ののどかな白い 雲が浮んでいた。そんな風景が容易に想像されるわけです。 俳句入門を志したばかりの人でも、このくらいのことでしたら 想像することは可能です。 「蕗の薹」も似たようなもので、ふと見た土手に見つけたと いうことになります。「春の雲」で上に向いた視線が、土手 そのものへ向いたという違いだけです。 ところが、「卒業歌」や「啄木忌」となると少しばかり様子 が違ってきます。どちらも目に見える季語ではありませんか ら、はじめて俳句を読む人は連想が閃きません。 それでも、「卒業歌」ならば、まあいくらかは糸口がつかめ ます。卒業した生徒たち、あるいは卒業生を送った生徒たち が学校の近くの土手の下をさざめきながら通っている、そん な情景を思い浮かべることが可能だからです。 しかし、「啄木忌」(啄木の忌日・4月13日)になるとそ の糸口もぷっつり切れてしまいます。
実をいうと、設問のポイントは、この「啄木忌」にあります。 「啄木忌」だとこの句(らしきもの)はどうなるかというと、 前の三つの季語がある情景を描いた感じであったものが、 「啄木忌」では作者の心情心懐を現わした感じになってきま す。 「卒業歌」は視線でもあり心懐でもありといったところです が、「啄木忌」となると完全に心懐になります。 「ああ今日は啄木忌だったな」、そう気付いた作者の内面の 部分が現われてくるのです。 したがって、一句の深みという点からいえば、「春の雲」 「蕗の薹」ではそういう景がありましたというだけで平板、 「卒業歌」は大分趣が出てきてまず合格、「啄木忌」なら いっそうよろしいということになります。 そのへんの呼吸、わかったでしょうか。
わが師匠が言いたかったのは、このような季語(A)と、 その他のフレーズ(B)とで成り立っている句(配合、 二物衝撃などという)は、AとBが離れていたほうが深み のある句になるということです。 蛇足: これは、頭でわかっただけではダメ。 俳句と禅は、このあたりが似てるのでしょう。 体得しかないとしたら、さていつのことやら・・・ わが師匠の「実作俳句入門」より、ほとんど引用。                 (-。-)y-゜゜



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