「虚子俳話」のようにはいかないが・・・
2001.08.31(Fri)
ぞうさん ぞうさん
おはながながいのね
そうよ かあさんも
ながいのよ
まどみちお
■まど・みちお童謡集『地球の用事』/JULA出版局
B社の「QuietComfort(クワイエット・コンフォート)」という名のヘッドホンをインターネット販売で購入した。いつも愛用しているのは桜材を使用したヘッドホンなのだが、ノイズと逆位相の信号を作って音楽をクリアにしてくれるというコメントに少し惹かれた。
「QuietComfort」の名前も、ヘッドホンらしからぬ名と思いつつも、なるほど言われてみれば私が求めているヘッドホンの理想とも近かった。
現代音楽の好きな私にとってみれば、隣家やまわりの環境を気にすること無く、そしてまた、周辺からのノイズを完全に絶ち切ってくれることが望みなのである。しかし、耳栓をしてさえも、頭の芯にうなりのような音響がひろがる現実の前には、小さなノイズを気にせずにいることがいかに難問かわかりきっていたのである。
装着効果のほどは、これまでのヘッドホンと比較して、さほどあるようにも思えなかった。どうやら、元が軍規格、そして航空機用などの開発から生まれたものらしく、屋外や車内など騒音の激しい環境での利用を想定したものなのだろう。付属の延長ケーブル(92cm)も部屋の反対側でも聞けるように、もっと長いものが付いていればと思った次第である。
2001.08.30(Thu)
杉苔の匂へる庭を歩みつつ月へ帰らむひとのサンダル 魚村晋太郎
■短歌総合誌『短歌研究』2001年9月号/ 短歌研究社
残念ながら短歌研究新人賞次席「銀耳」の中の一首である。新人賞受賞は小川真理子「逃げ水のこゑ」。私好みの歌は30首中、共に2首であった。
上掲の歌は、「杉苔」のイメージ、あるかなきかの匂い(空気感)のようなものから顕ち上がり、「風の谷のナウシカ」の中で成長するような植物をふと思わせつつ、月へ帰る「竹取物語」幻想を「サンダル」一言に集約することによって現代へタイムスリップさせ、白いサンダルを履く若き女性の輝くような素足を私に感じさせてくれた。
私は作者の答えが示された歌よりも、やはり味わいながら連想が広がるような歌に惹かれてしまう。作者の名前を知って鑑賞するのと、男女も年令もわからぬ未知なる人の歌として味わうのでは異なるが、やはり次席は残念と言わざるをえない。しかし、是非とも来年は、記憶に残る圧倒的な歌を3首以上詠ってもらいたいものである。
2001.08.29(Wed)
もし私がひとつだけ模型をもらえるとしたら、この<サラバイ邸>にします。ル・コルビュジエの生きてきた証がギュッと凝縮されていて、とても好きな住宅なのです。
安藤忠雄
■『芸術新潮』2001年9月号/ 新潮社
芸術新潮9月号は、安藤忠雄が語る建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の特集である。
そこには、東京大学建築学科安藤忠雄研究室の学生たちにより、コルビュジエが生涯に手がけた実現・非実現あわせて全106の住宅プロジェクトを、200分の1の縮尺にそろえて、白い1ミリ厚のイラストレショーンボードで精巧に模型化したものが並んでいた。
その中から、安藤忠雄が選んだのがインド西部のアーメダバードにあるサラバイ邸なのである。彼が若かりしころ訪れ(1970年)見せてもらうことができたからというだけでなく、子供たちのために滑り台付きのプールまで考え、コルビュジエが楽しみながらつくっているのが好きな要因の一つでもあるようだ。
「<サラバイ邸>は、ル・コルビュジエが「近代建築5原則」に象徴されるようなコンセプト中心の理性的な住宅を捨てて、インドという風土でしか生まれえない土着的な要素を取りこんだ仕事だといえるでしょう。」とも述べている。
ル・コルビュジエの本名が、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレであったことも始めて知った。ル・コルビュジェというのは、母親の旧姓らしい。
2001.08.27(Mon)
「うちに秘めている言葉の力を借りなければ、あなたの肉体はどうやってこれほど甘美なものになりえましょうか」と大男はロベルトに問う。そしてオクターヴはこう付け加える。「君はその言葉を守るのに肉体をひとつもっているだけなのだ!」
ピエール・クロソウスキー
■『ピエール・クロソウスキー』アラン・アルノー/ 野村英夫・杉原整 訳/国文社
原注によれば『歓待の掟』からの引用とのこと。ピエール・クロソウスキーの考える言葉と肉体の関係が興味深い。私の考えている言葉とは少し異なる。しかし、言語や言葉という単語さえ、産まれ持ち、使用し、翻訳された一瞬に微妙なずれが生じていることは明らかである。
動物としての肉体を持ちながら、意志伝達手段としての言葉がフランス語や中国語、日本語として記号化され、神経細胞を伝って脳内物質に興奮を伝えることの不思議。およそ150億年といわれる宇宙創世の歴史まで読み解こうとする意識さえ、言葉によってなされるのも謎である。言葉を持たない意識とは、いったいどんなものだろう。心を無にして受け入れる時、ことば無しでも感じられるのだろうか。
その時、俳句や短歌は、もう必要なくなるのだろうか。視線を交わすだけで理解しあえ、言葉以上の快感が得られるなら、私は名前を捨てよう。
2001.08.26(Sun)
蛇笏忌の大露寸土あますなし 飯田龍太
■第6句集『山の木』/ 邑書林
高知鷹句会の8月定例会。鷹誌によれば高知県下に28名の投句会員がいることになっているが、まだ9名には会ったことがない。また、都合により句会に出てこれない人も多く、出席者11名であった。
女流Yは、最近俳句に燃えていて、24日(金)の夜行バスで東京へ、そして、東京句会、懇親会終了後、また夜行バスで高知に帰ってきたとのこと。精神の高揚と健康が続かなければこうはいかない。
また、女流Kは、鷹9月号において八人集作家と推薦30句に選ばれ、いつもの被講の声よりこころもち明るい。果樹園で栽培している梨持参。採りたてで甘味たっぷりの梨(豊水)を御馳走になった。全国出荷は9月上旬からとのことである。
句集を読んでいて掲出句に目が止まった。蛇笏忌は10月3日。
2001.08.25(Sat)
太陽の一滴の寵南瓜咲く 藤田湘子
■俳句雑誌『鷹』2001年9月号/ 鷹俳句会
天上から地上へ、一直線に視線が動く。その先には、開いたばかりの黄色いカボチャの花が陽光を受けてやさしく輝く。「太陽の一滴の寵」とは、言えそうでなかなか言えない。こころが真裸でなければ、なおさら恥ずかしくて言えないだろう。俳句を読んだという実感が広がる句である。
俳人にも陰陽、太陽と月があるとするなら、藤田湘子はまちがいなく太陽の人である。太陽のまわりには、あまり似過ぎた恒星は近付けない。しかし、その光りを受け、南瓜のごとく花開くことはできるはずである。
月明の一痕としてわが歩む
日のみちを月またあゆむ朴の花
などの愛誦句にまた新しい一句が加わった。
2001.08.22(Wed)
空は青いという
いや
空はいつも虹色なのでは
あるまいか
あらゆる波長の光が
目の前を飛び交い
激しく散乱する
鳥図明児(ととあける)
■コミック『虹神殿』新装版/ 新書館
台風11号がこともなく過ぎ去っていった。快晴。
青空を背景に、五台山、とっくに刈入の終わった田圃、台風後とも思えない静かな流れの国分川、といつもの風景が広がる。
偶然のぞいた古書店で、背表紙の絵に吸い寄せられるように『虹神殿』を見つけた。昨年10月末、やはり古書店で見つけた1、2巻を楽しんだが、残念ながら結末ともいうべき3巻が欠けていた。それが、合本になった新装版(といっても1987年)が出ていたのである。また始めから読み直し、しっかり楽しんでしまった。
主人公サーナン・ハーシのイスラムっぽい衣装もさることながら、シトリと名付けられた馬や壁面、小物に描画された馬や鹿紋様が作者の好みを伺わせ、実に共感できるのである。
奇跡を起こす力もなく、永遠の命も持たないテセラン神。センチメンタルな話ではあるが、涙にあふれた目は、確かに虹色の空を見せてくれた。
2001.08.21(Tue)
作家、中上健次は和歌山県新宮市の被差別部落に生まれ、その場所を「路地」と呼んで小説に描き続けた。
文化往来より
■『日本經濟新聞』2001年8月20日、日刊36面/ 日本經濟新聞社
午前中、しばし小雨。台風が近付いていると言っても、ビルの中にいるとほとんど忘れていられる。風音に耳を澄ませば、確かに強風のようでもあるが、SLAVA(スラヴァ)のアヴェ・マリアでも流しておけば、まず解らない。
しかし、落葉広葉樹の葉には無惨な風で、ケヤキなど幹からの水分供給が止まってしまったかのように、あえいでいる。私は向い風に身体を倒し、ちょっぴり台風の風を楽しんだ。木々に申し訳ないと思いながらも。高知市では雨の少ない風台風である。
中上健次が撮影した18分ほどのフィルムが、どのように一本の映画に仕立てられたのか私はまだ見ていない。しかし、妻の意向であったとしても、20年以上前の映像を挿入して、一本の映像にする必要があるだろうか。「これは中上健次の撮った映像です」と言って、無造作にナマな映像を提示するだけで、彼の視座に入り込むことができたかもしれない。忘れてはならない風景なんて果たしてあるのだろうか。
2001.08.20(Mon)
最終1001号の表紙は、創刊号と同じ故・三尾公三先生の絵を使わせて頂きました。
山本伊吾
■『FOCUS』通巻1001. 最終号/ 新潮社
コンビニの書棚に並んだフォーカスの表紙に「最終号」の文字を見つけて手に取ってしまった。1981年10月創刊から、20年が経過したことになる。
私は写真だけではなく、創刊以来、三尾公三の表紙イラストにも驚いていた。今のようにコンピュータが使えなかった時代、彼はきっと人物ポジフィルムをプロジェクターでキャンバスに投影し、その輪郭をマスキングテープとエアーブラシを駆使して描いていたはずである。展覧会会場で見る作品は、100号以上の大きいものであったが、小さいものでも、手法に変わりがあろうはずがない。表紙の2倍程度に描いたとしても、毎週1枚を描き続けるためには大変な労力がいったはずなのである。
そして、毎号、三尾公三らしさを失わない物足りなさを、なんと残念に思ったことか。それが契約だったのかもしれないが、フォーカスの表紙を描き続けていなければ、もっと違った三尾公三が生まれていたかもしれない。有限な時間を生きる人間にとって、締切とはなんと残酷な制度であることよ。
そんなことを考えながら図書整理。しかし、進まない。自分にとって愛着のある本を処分することなど、ほとんど不可能に近い。どれも手許に置きたい本ばかりなのである。
寄贈書籍の中から、レンタル倉庫に移動させるモノを選ぶだけでさえ迷っているのだから、廃棄処分するものとなると、まさに決死の覚悟が必要になる。胃が痛む。
台風接近とのニュースであったが、一向にその気配が無い。自転車並みの速度で北上中とのことだったが、海へでも行かなければ波の高さは解らない。
2001.08.19(Sun)
実作の格としても、や、かな、けりの切字を用ひよ。解らなければ解らないままでもいい。重厚なこれらの切れ字を用ひよ。句を美しくしようと思ふな。文学的修飾をしようと思ふな。自然が響き応ふる心をふるひ起せよ。
石田波郷
■現代俳句の世界 7『石田波郷』/朝日新聞社
胸に滲みる言葉である。
『鶴』昭和17年11月号に掲載された波郷の文章である。29歳とも思えない大人びた内容を、自分に言い聞かせるように鶴会員に伝えようとしている。
「句を美しくしようと思ふな」これができないのである。どうしても俳句らしく整えようとする意識が働いてしまう。捨てることの難しさをここでも思わずにはいられない。仮に俳句と禅が似ているとするなら、この捨てきれなさ、どこかに執着してしまう部分の拭いがたさなのかもしれない。
8時30分集合・・・。確かにそう決めていたはずだが、3人が遅れる。何を考えているのかどうも解らない。緊張感が無いと言うより、他人に迷惑を掛けているといった自覚が無いのではなかろうか。(結局、この3人は技術的にも失格となった)
2001.08.18(Sat)
七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷
■現代俳句の世界 7『石田波郷』/朝日新聞社
毎晩、石田波郷の俳句を筆写している。眼で追うだけではなく、指先から俳句を身に滲ませるためである。読んでいて哀しくなる句が多いが、一生を病をおして俳句のために過ごした人だから当然だろう。
日曜の仕事の都合で飲まないでいようと考えていたが、誘われると弱い。それも、一汗かいた後にバーベキューなんて話だから、断る理由が見つからない。帰りは代行運転を呼ぶことにした。
暮れなずむ山々を見ながら、火を起こし(かすかな夕立にヒヤリ)、風に吹かれながらのビールは最高。(こんな時なら、ギネスでなくても満足)。約20人。
誰かが花火を持ってきていたようで、思い出したように打上花火が開く。圧巻はHちゃん(19歳)のオールヌード疾走。昨年もこんな場面があったような気がしてならない。これは、私にとっても、1年に1度の夏祭なのかもしれない。
2001.08.17(Fri)
たとえば、それまでのあくまで具象的な描法を捨てて、人物の顔は、目鼻さえぼんやりと滲ませて、表情をできるかぎり内面的に、深く沈潜させていきました。
平山郁夫
■『群青の海へ』/中央公論社
昭和34年(1959)、日本画家、平山郁夫が「仏教伝来」という絵を描くたためにとった手法である。「これまでの自分の習慣的な技法を極力排除して、新しい感覚、新しい考え方で描こうと心掛けました」とある。
言葉では簡単なことのように思えても、実際の制作にあたっては、その習慣的技法や安易な考えがなんと邪魔になることか。ぬぐい去っても、ぬぐい去っても、後から後から、一度身に付けたものが沸き出してきてしまうのである。
自分自身にとっての変革とは、言葉ほど容易でないことを痛切に思い知らされる。
かつて見た「仏教伝来」の絵には、白馬と黒馬に乗った二人の僧侶が描かれていたが、日本画で大切にされる線描の輪郭を滲ませ、視る者が自分にとってもっともふさわしい顔かたちをイメージできる優しさをたたえていた。また、馬の鞍がわりにおかれた布色の朱が、高貴さと情熱を現わすかのように実に印象的であった。
台風接近の話。まだ南方洋上。昼から、Jが遊んでくれないので、Iと遊ぶ。
2001.08.16(Thu)
アントシアニンには、ペラルゴニジン、シアニジン及びデルフィニジンの3種類があり、青い花にはデルフィニジンが含まれる。しかし、ケシの色素はシアニジンであり、一般に深紅色を呈するシアニジンが、ケシでなぜ青くなるのかはわかっていないという。
岩槻スタジオ測色資料担当
■季刊誌『COLOR No.132』2001年8月8日発行/日本色彩研究所
塚本邦雄の小説を読んで以来、青い菊を見たいと思っている。菊、薔薇の花色に青い色がないと言われると、よけいそれが見たくなる。
化学には弱く、あまり色素の名前などとも縁がないのだが、かろうじてアントシアニンだけは記憶に残っている。確か紫陽花の色が変化するのも、これが関係していたのではなかろうか。
しかし、人間の欲望には限りがない。最近では遺伝子組換技術によってペチュニアから取られたデルフィニジンを利用して、美しくもない青色系カーネーションが生まれている。そういえば、どこかで、青い薔薇を作ったという話もあったが・・・
「Blue rose」までは許せるのだが、青い菊が墓地に飾られるのだけは御免である。さる王室の紋章の色が青く変わろうとも。
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