この遊星の終末を
『玉虫遁走曲』の書名に惹かれ高知県立図書館で手に取っ
た本が塚本邦雄との出会いであった。私はまだ塚本が歌人で
あり、前衛短歌の巨頭であるとさえ知らなかった。彼の書籍
を求めようと注文を出してもそのほとんどが絶版。辛うじて
手に入ったのはシャンソンに関する『薔薇色のゴリラ』と第
十歌集『されど遊星』の二冊のみと記憶している。
ほほゑみてこの遊星の終末を見む漸弱音の秋ほととぎす
歌集は一頁一首二行組にした三百首の豪華な装丁。黒い大
活字と正字歴史的仮名遣いの美しさもさることながら、「こ
の遊星の終末を見む」との作者の心意気に、学校教育で習っ
た短歌との相違をまざまざと感じさせられたのであった。
この第十歌集の跋には、「『水葬物語』以来二十五年を閲
して歌集収録歌数三千首を越えることとなつたが、果して眞
にわが心にかなふ作品が幾許あらうか。その一首のためには
他のすべてを消しても悔いぬ絶唱は果して何時生まれるだろ
う。」とあった。絵画では「ピカソ・ダリ・デュシャン」を
愛し、あらゆる芸術家のエネルギーは、「未完成」の思いこ
そが次なる創作への一歩となると信じていた私には充分すぎ
る言葉であった。
短歌から俳句へ
その頃、角川『短歌』に、塚本選の「公募短歌館」が年二
回あることをたまたま教えられ、見様見真似で私も短歌を作
ってみた。1977年、歌人の先輩も知人もなく、まして師
と呼べる人などひとりもいない、手に入れた塚本の歌集だけ
が頼りであった。そして上京の折には神田の古書店街をまわ
り、塚本邦雄の書籍収集が大いなる愉しみとなった。
毎回5首投稿の短歌は、初回の佳作から秀逸、特選へと回
を重ね、いつしか私は未だ見ぬ塚本邦雄を短歌の師と信じる
ようになっていたのである。
そして、1979年9月9日号より、週刊誌『サンデー毎
日』に塚本の「俳句への扉 句々琳々」連載が始まった。歌
人の紹介する季節感あふれた博学な解説と選びぬかれた例句、
忌日紹介に感心させられたことを覚えている。
同時に、この欄には「サンデー秀句館」と呼ぶ俳句初心者
から練達の高齢者まで読者が自由に参加できる投句コーナー
が設けられ、塚本選で毎週二十五句の紹介も始まった。
枇杷啖べて地球空洞説に拠る 伊吹夏生
汝がために蝉鳴く緑の独身者 轍 郁摩
私の作も、第2回には掲載された。しかし何か違う、短歌
で言えることをわざわざ俳句で表現したところで何になるだ
ろう。雑誌に掲載される名誉は裏を返せば恥の上塗り。本来
あるべき俳句とは何かを考えさせてくれる契機ともなった。
百句燦燦・現代俳諧頌
古書店で求めた塚本の『百句燦燦』(1974年刊)は名
著であった。知る人ぞ知る杉浦康平のブックデザインの斬新
さ、精興社の印刷の緻密さ、そして塚本の俳句紹介による鑑
賞と評論、あるいは小説風解釈の奇抜さ。
まだ評価も定まらぬ一句こそを見いだし、その精神の深淵
を、独断と偏見と言われようとも暴き出そうとする執念には
並々ならぬものが感じられた。
『百句燦燦』に選ばれた俳人は構成と趣向のための六十九
人。しかも、塚本の名鑑賞により一躍不動の名句に格上げさ
れた趣きさえある句も多く、読み手の力量が問われる俳句の
難しさを再確認するところとなった。
金雀枝や基督に抱かると思へ 石田波郷
死にたれば人來て大根煮きはじむ 下村槐太
赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼
むらさきになりゆく墓に詣るのみ 中村草田男
蝶墜ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男
ことにこの五人だけは一人三句ずつ選ばれていて塚本好み
を端的に物語っている。波郷の韻文力、槐太の絵画性、三鬼
の無頼、草田男の詩性、赤黄男の象徴力を認めたのだろう。
塚本は「きみはきのふ」(俳句研究、1968年7月号)
と題した現代俳句試論の冒頭で、「俳句は、私にとつて、ま
かりまちがへば、終生の伴侶に選んでゐたかも知れぬ、愛す
る詩型の一つである。愛は惜しみなく短歌に奪はれたが、俳
句からは奪つてきたし、こののちにも奪ふだろう。」と述べ
ている。
つまり俳句ではなく短歌を選び、短歌創作のエネルギー源
のひとつとして愛人に接するように俳句を読み込み楽しんで
いると情感たっぷりに宣言していたのである。
処女句集を紐解いて
実は、歌人塚本邦雄は、小句集も入れると総数八冊の句集
類を出版している。
限定三百部の処女句集『断弦のための七十句』(1973
年刊)を、是非とも読みたいと十年近く探し求めやっと入手
した。俳句は墨色の活版印刷で一頁に一句のみ。その下に弁
柄色で頁数が印刷されている。
曼珠沙華かなしみは縱横無盡 1
良夜かな盥に紺の衣漬けて 2
開巻見開きでは「曼珠沙華」と「良夜かな」が対句に見え
るよう配置され、色彩の赤と紺が共鳴しあっている。
「これは塚本邦雄の罠だ。読者を試すクロスワードパズル
だ。」と私は直感した。彼には散文集の『悦楽園園丁辞典』
や評論『ことば遊び閲覧記』など、言語遊戯、レトリックを
駆使した作品や博識な解説も多く、安易に読み下すだけでは
済まないのである。
ヴエニス客死紅葉まだらのうるしやみ 3
昨日は童貞ピアノ蹣跚たるをゆるせ 4
次頁の『ヴエニス客死』は、トーマス・マンの小説。今な
らヴィスコンティの映画『べニスに死す』のほうが有名だろ
う。老人が童貞の美少年に恋いこがれながらコレラで客死す
る映画である。マーラーの交響曲第五番が映画音楽に使われ、
葬送行進曲の旋律があると塚本は『玉虫遁走曲』の中で種明
ししていた。ここでも色彩的に「紅、漆黒」と「青(童貞)、
漆黒(ピアノ)」を鮮やかに演出している。
句集を読み進むと、右の69頁には「草の雨ひえびえの
火夫火に病めり」とあり、左の70頁には俳句が書かれてい
ない。空白の下に弁柄色の「70」とあるばかり。そして、
次の頁に、
虫癭や六十九句泡のごとし 71
「虫癭(ちゅうえい)」は、白膠木の葉などの植物に昆虫
が寄生して異常発育した虫瘤のようなもの。これまで吟じた
六十九句は泡のようなものと否定しつつ、命の再生を願った
のかもしれない。しかし、泡とされた六十九句は哀しい。
七十句の意味
句集『断弦のための七十句』の断弦とは、調べを絶つこと
でもある。チェロの弦を絶って音楽を拒絶するように、俳句
創作との訣別を断言しようとしたのではないか。しかし、な
ぜ百句ではなくわざわざ七十句にしなければならなかったの
か。塚本なら一夜にして三十句くらい追加するのは朝飯前の
はずである。
つまり「七十」には、1970年の意味合いが込められて
いたと私は思う。70年は、歌壇がまだ前衛短歌を評価でき
ないでいた中でいち早く塚本を認めた三島由紀夫が割腹自決
した年であり、前衛短歌の盟友とされた岡井隆が失跡した年
でもあった。
そう読めば、 開巻見開きの「曼珠沙華」の句には、血の
色と塚本の悲しみが、2句目の「良夜かな」には、三島の剣
道着の紺色、盥には溢れるばかりの涙のイメージが立ち上る。
また、七十句の句頭音を抜き出し文字謎を解くように並べ変
えてみれば、三島や岡井、塚本の名前さえ「いろは歌」の黙
示のように巧妙に隠されているのである。
み 水に墜つ天罰の精霊蜻蛉 32
し 少年ヴエニスに生き殘りたり青柘榴 33
ま 曼珠沙華かなしみは縱横無盡 1
ゆ 百合一花崑崙に雪ありとおもへ 57
き 昨日は童貞ピアノ蹣跚たるをゆるせ 4
を 幼妻酢をもて牡蠣を殺しけり 66
各句の頭韻に三島の名前が隠されている。また「をかい
(ゐ)たかし」、「つかもとく□を」も「を」で交差するよ
うに発見される。故意に「に」を入れなかったのは、「邦
(くに)無し、句になし」と読ませて何処の国の力や政治に
も隷属せぬ詩歌を思ってのことだろう。
ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし 34
「ほととぎす」はキーワードとなる句である。だからこそ、
『百句燦燦』にもこの一句を抜き出し、鑑賞ならぬ瞬編小説
仕立てにして登場人物「十時杉穂」を毒殺している。
句集『断弦のための七十句』に隠された秘密をもっともっ
と読み解けと鳴き続けているのだ。間違っても迷宮が死の世
界の闇であるなどとは思ってはならない。光燦爛たるイデア
への扉なのだから。
柿の花わが生かたぶきつつあるか 49
柿の花それ以後の空うるみつつ人よ遊星は炎えてゐるか
『森曜集』(1974年刊)
俳句と短歌。しかし、塚本邦雄はやはり根っからの歌人で
あった。遊星とは惑星、つまりこの地球に棲む我々の心は、
今しも炎えているかと問いかけてくる。
そしてその心の裏に、赤く燃える螢惑星(火星)が南天に
禍々しく輝くイメージがあり、戦への予兆がたっぷりと含ま
れている。「パリは燃えているか」と問うたのは、かのアド
ルフ・ヒットラー。しかし、詩歌は時間を越え「ニューヨー
クは炎えてゐるか、バグダッドは炎えてゐるか、トウキョウ
は炎えてゐるか」とさえ私には聞こえてくる。
蟻地獄松風を聞くばかりなり 高野素十
素十の句では「蟻地獄」が今は一番気に入っている。一句
を読んだ瞬間に、予期せぬ世界がぱっと現れ、フラッシュバ
ックのように永遠に繰り返される。
塚本の短歌や俳句世界を越え、言葉にはできないような光を
一瞬掴みとめる、そんな俳句を一生に一句でも書きとめてみ
たいものである。
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俳句末尾の番号は、断弦のための七十句』のページ数
「十時杉穂」には「とときすぎほ」のふりがなあり。
※虫癭(ちゆうえい)の漢字は、機種により表示できません。