轍 郁摩 |
鷹2001年11月号より両神は兜太の山ぞ通草採 湘子関東の地名や山の名から、その姿、気候を想像するのは難しい。しかし、金子兜太が生まれ育った秩父から見える両神山であろう。 季語「通草採」から、悪太郎の少年兜太が近所の仲間を引き連れ、洟をすすりながら熟し始めた通草の実を探している状景が目に浮かぶ。少年にとってはちょっと甘く、エロチックな印象の実であった。 鷹2001年10月号より 師の名こそ生涯の糧秋の雲 湘子師を選ぶのは弟子となる自分である。「弟子は選べない」とは、有能の者を見つけ育てられなかった師の無念の言葉だろう。 藤田湘子の師は、4Sの一人の水原秋櫻子である。愛されようと嫌われようとこれはもはや動かし難い事実。「糧」とは、仰ぎ見るだけではなく、闘い生きる活力として乗り越えるべき指標とする名なのである。 鷹2001年9月号より 晴子亡く登四郎も居ず雲の秋 湘子「挨拶替わりに俳句でも」と頼まれると怖じけ付いてしまう。虚子のように、俳句を空気のように捉えられれば挨拶句も容易だろうが、まだまだ緊張して観念で終わりそうで恥ずかしくなるのである。「雲の秋」は巧いが飯島晴子や能村登四郎への追悼句ではないと思っている。これは、藤田湘子の今年の秋に寄せる感慨句であろう。 鷹2001年8月号より 太陽の一滴の寵南瓜咲く 湘子天上から地上へ、一直線に視線が動く。その先には、開いたばかりの黄色いカボチャの花が陽光を受けてやさしく輝く。「太陽の一滴の寵」とは、言えそうでなかなか言えない。 こころが真裸でなければ、なおさら恥ずかしくて言えないだろう。俳句を読んだという実感が広がる句である。 「日のみちを月またあゆむ朴の花」などの愛誦句にまた新しい一句が加わった。 鷹2001年7月号より 師の名こそ生涯の糧秋の雲 湘子天上から地上へ、一直線に視線が動く。その先には、開いたばかりの黄色いカボチャの花が陽光を受けてやさしく輝く。「太陽の一滴の寵」とは、言えそうでなかなか言えない。 こころが真裸でなければ、なおさら恥ずかしくて言えないだろう。俳句を読んだという実感が広がる句である。 「日のみちを月またあゆむ朴の花」などの愛誦句にまた新しい一句が加わった。 鷹2001年6月号より 太郎一郎男は暑き名を負へる 湘子時代は螺旋構造に進んで行く。子供の名前にもブームがあり、今の流行は「翔、翔太、大輝」、名前の読みでは「ユウキ」である。 明治は太郎、大正までは一郎が多かった。昭和、平成ではベストテンにも入っていない。しかし、「太郎、一郎」には家系を継がせようとする父系思想が見え、親や親族の期待を背負った長男の栄光と心労が察せられる。「暑き名」とは何とうまい表現だろう。 鷹2001年5月号より 春曙我となるまでわれ想ふ 湘子「春曙」と言えば清少納言である。しかし、あやふやな春の時間の中で、「われ」か ら「我」へと昇華していく時間が想われ、瞬間芸術とも言える俳句に時間を盛り込も うとする意欲を恐しいとも思った。 虚子忌まで花の十日や愛しきやし 履歴から恋は脱落目借どき こうして並べてみると藤田湘子の句の自在さには驚かされてしまう。
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