Graphein-O

◆◆ 藤田湘子の俳句世界 ◆◆


藤田湘子先生
藤田湘子先生

撮影:1991年5月11日
場所:高知鷹句会の湘子先生指導句会(得月楼)



鷹俳句会主宰・藤田湘子先生は、
2005年4月15日午後1時8分、
横浜の自宅にてご逝去されました。享年79歳。
同月19日、菩提寺である小田原の早雲禅寺より
導師を迎え、横浜にて家族葬。
戒名・湘子庵鷹峰宗翔居士。

7月16日。東京會舘に約800名が参列して
「湘子先生とのお別れの会」を行いました。
多年にわたりご指導下さいました先生に、
心より感謝と哀悼の意を捧げるとともに、
先生のご冥福をお祈りいたします。



■ 鷹2005年5・6月合併号より


安心のおならがひとつ春の雁

今以つて寝巻と言ふやあたたかし

まなざしと目付の違ひ涅槃像

雲に鳥舌の真つ赤な日なりけり

難かしき顔に覗かれ蝌蚪の水

虻数分にこにことわが傍にゐし

木蓮の声なら判る気もすなり

隅田川東風の名所と言ひたしや

墨東に食ふこと稀や蓬餠

片々と血は足りてをり梅真白

しやぼん玉大阪に市が幾つある

地の底の宴はをはり牡丹の芽

とろとろと田螺の水や鐘が降る

交む意を押し立てやまず大田螺

一日は次から次や三鬼の忌

柳絮とぶ言と事とのあはひかな

月細し隣近所の春のこゑ
 無季
死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ

億万年声は出さねど春の土

われのゐぬ所ところへ地虫出づ

草川の水の音頭も春祭


■ 鷹2005年4月号より 野道からぬかるみが消え小正月 水の如く数字を流し初仕事 国寒し読めぬ書けぬと今更に 薄氷の居ながらにして消えにけり    ゐ 諸鳥は寝をたくはへて春隣 涅槃図の雲硬しとも柔しとも 涅槃西風記憶の軸はまだ確か 東京の非情身に付け卒業す 養生は図に乗らぬこと春の草 春夕好きな言葉を呼びあつめ 着尽くさぬ衣服の数や万愚節 天行のすこやかならず水草生ふ
■ 鷹2005年3月号より   ふさ 初に相応ふ白川漢字暦かな 近々と鼓初の場に居たし 初みくじ結ひし無数の指想ふ カツサンド見れば食べたし福豆も 凍つまじと目薬注しぬ凍てにけり 凍鶴が動き四五人うごきけり いささかは寒波迎ふるこころあり 文藝に修羅無くなりぬみやこ鳥 冬の蠅あるとき翔べり居るなと思ふ 干足袋のへたと辞儀せし如くなり 一月尽風薮に入る荒男なし 蜿蜒と道端はあり涅槃西風
■ 鷹2005年2月号より 日月は冬至へ進み箸茶碗 正午なり時計も我も冬蜘蛛も 波郷の忌過ぎたる溲瓶用ゐけり    うちそと わが頭内外淡し冬椿 狂ひ花くるひ尽きたり多摩日和 眼を張れば甲斐の山見ゆ年用意 枯菊を焚く入念の燻りやう 人参は丈をあきらめ色に出づ 年暮るる鴨のでんぐり返しかな 風神の出雲帰りの荒一夜 夕刊の寒さ六林男を逝かしめき 冬牡丹桂信子をここで待つ
■ 鷹2005年1月号より    あ 種採の嗟々々零してしまひけり 胡麻袋なれば胡麻入れ落着きぬ 水晶をもはや産まざる山粧ふ 神在の顔おのづから出雲びと 大山や枯は怠惰の色ならず 木枯のひつたくり雲火の用心 連れ合うて来て木枯は個々の声 炉も廃れ天狗話も継ぎ手なし    かしづ 狐火の傅くならば彼岸まで 何となく奇数恃みや年の暮    あやか 基督に肖る気なき聖樹かな 日本語半端英語カタコト成人す

2005年 縦書き表示
2004年 縦書き表示
2003年 縦書き表示

up--2005.08.01


Copyright © 2002-2020 IAM. All rights reserved