2009.12.25

湘子を読む

感銘句紹介

轍 郁摩  


ball-gs2.gif 2009.01.01(Thu)

第十一句集『てんてん』より

初みくじ結ひし無数の指想ふ   藤田湘子



 『鷹』が届くと真っ先に読むのは、湘子主宰の発表十二句であった。
このページだけは、じっくりと何度も何度も読み返し、これはと思う一句に○印を付けるまでは、自分の句が何句採られたかなどとフラフラ先読みすることは無かった。
 そして、後日投句用紙の裏に、選んだ先生の今月の一句を書き写すのが私の流儀であった。師と選んだ限り、六句の投句で対決するのも、選句で対決するのも、その比重は同じものだった。選、それこそが俳人への批評、鑑賞であり、多言を尽くしたところで、それ以上の褒称には当らない。
 湘子七十九歳の正月。同時発表作に「カツサンド見れば食べたし福豆も」などもあったが、私は「無数の指」が鷹衆のそれぞれに思えて仕方がなかった。


ball-gs2.gif 2009.02.01(Sun)

第十句集『神楽』より

   せんの
一盞は千利休の忌のために    藤田湘子



 秀吉から切腹を命じられ、利休が自刃したのは陰暦二月二十八日。
 俳句は短い。その十七音の中に姓と号を詠込めば、残された字数はさらに限られる。それでも敢えて「利休忌」では満足できなかった作者の念いの深さが感じられる。
 湘子主宰に「お茶は何流でしたか?」と尋ねると、「江戸千家」と確か答えられた。二十代の頃、紫に白抜きの雪輪紋の袱紗で修行されたはずである。
 「盞」はさかづきの意。私はこの句では、呉音の「サン」ではなく、漢音の「セン」と読みたい。「イッセン」と読んだ次の瞬間、「せんの」とわざわざ振仮名まで付けた同音の響きと重なる。
 「本阿彌光悦卯月は如何なもの着しや」も忘れがたいが、掲出句の飾り気の無さが好ましい。


ball-gs2.gif 2009.03.01(Sun)

第九句集『前夜』より

四萬十の川海苔淡しひとり酒   藤田湘子



 湘子主宰はお酒が好きだった。そして、それ以上に、いつも仲間や弟子たちと談笑しながら飲む雰囲気を楽しまれていた。
 既成概念の「ひとり酒」にはどこか寂しさがつきまとう。しかし、この句の酒は寂しくはない。きっと晩酌なのである。それも一合ほどの。
日本中旅された先生が、土佐の四万十川(しまんと)を思いながら、そこで育った川海苔の光に透かしたような緑と香りを肴に、今夜も辛口の酒を味わっているのである。
 壮年の頃とは酒量も変わる。「芍藥に夜が來て飛騨の酒五合」などと比べると、また違った感慨が湧いてくる。
 わが心に沁み込んだ一句として残しておきたい愛誦句である。


ball-gs2.gif 2009.04.01(Wed)

第八句集『黒』より

花に鳥われに消えたる稿の責   藤田湘子



 昭和六十年四月十一日作。多作のために「一日十句」の責を自らに課し、すでに二年二ヶ月が過ぎていた。
 「花に鳥」と詠い出した上五からは、肩から力みが抜け、虚子の唱えた「花鳥諷詠」が、本心納得できたとでも聞こえそうな歓びが感じられる。確かに俳句は誰の為でもなく、自分の為に作るのである。
 鷹掲載同日作「十万字書き終りたる春惜しむ」と並べて鑑賞すると、作句は天地を映す写経のようなものと感得していたのかもしれない。
 多作修行を始める前は、鞄の中にいつも世阿弥の『風姿花伝』の文庫本を入れていたという。世阿弥の花とも何処かで響き合っている。
 一日十句は、六十一年の節分まで、丸々三年間続けられた。


ball-gs2.gif 2009.05.01(Fri)

第七句集『去來の花』より

わが不思議ラムネの玉に始まりき 藤田湘子



 俳句の種は驚きである。ふとした心の揺れを、コトバに置き換えようとあれこれ舌先に転がし、思い悩む。湘子先生にいつも教示されたのは『俳句は自分の為に、そして自分を詠え』であった。
 それまでに読んだ入門書には、俳句は短いから自分を出さずモノを通して語れと書いてあった。確かにそうだが、そのコツが分らず、往々にして意味不明の言葉と季語を並べ自己満足に陥っていた。しかし、もっと自分を出していいのだと納得すると急に身体が軽くなった。
 掲出句の、自分の事実体験を回想する助動詞「き」で止めたところ、湘子先生の芸である。
 昭和五十九年五月六日の同日作に、名句「藤の虻ときどき空(くう)を流れけり」がある。


ball-gs2.gif 2009.06.01(Mon)

第六句集『一個』より

蠅叩尺貫法をなほ愛す      藤田湘子



 純粋に俳句を鑑賞するなら、作者名や一句の由来は不用である。芸術作品との初めての出会いは、そのほうが好ましい。しかし、何度も読み返し、暗唱する俳句や句集では、また違った楽しみ方も存在する。
 昭和五十八年二月四日から「一日十句」の多作を自らに課した湘子先生は、自分の作句の幅を広げようとした。一句の出来の善し悪しを考えるのは後にして、まずノルマとして必ず最低十句は作り発表した。
 尺貫法へのこだわりは、俳句は科学的な頭で創らず、麦や米を食べてきた日本人の体感から湧出るように詠うものだと、宣言したとも読み取れる。深読みすれば、母から鯨尺で叩かれた記憶まで蘇る。
 そして、掲出句の丁度ひと月後、七月二十二日、「蠅叩此處になければ何處にもなし」の禅語の如き一句も生まれた。


ball-gs2.gif 2009.07.01(Wed)

第五句集『春祭』より

父に金遣りたる祭過ぎにけり   藤田湘子



 胸にぐさりと突き刺さる俳句がある。掲句もその一つ。  鷹昭和五十六年八月号初出。当時二十代の私は、五十代の湘子の向こうに見えた世界に佇ちすくんだ記憶がある。
 石田波郷は「俳句は珠玉の如き私小説」と言ったそうだが、掲句を原作にすればオムニバスドラマの脚本4、5本くらいはすぐ書けるだろう。登場人物を決め、時代設定、場所、配役、テーマ曲と絞っていけば、ストーリーは自ずと浮かんでくる。
 しかし、原作者の湘子先生は、俳句をドラマにするなどもっての他だと、どの脚本にもOKを出してはくれない。
 父に金なら、母には何を・・・と新刊の藤田湘子全句集を繙けば、「母には海の日の出贈らむ水仙花」があった。


ball-gs2.gif 2009.08.01(Sat)

第四句集『狩人』より

血の中の暗き血淵に凉みをり   藤田湘子



 俳句のみを味わうか、作句の時代背景や装釘も含めた句集の中の一句として鑑賞するかによって読みの楽しみは変わってくる。
 例えば前者。「血の中の暗き血」とは何と観念的な言葉。そして、その思いが「淵に」と引きずり込まれるような重苦しさ。作者の血縁は知らない。体内をめぐる男心の悩みも知らない。しかし、俳句作者の血は、「凉みをり」の下五を得て、一句へと大きな飛躍を遂げている。この下五に勝るものは、到底思い浮かばない。
 また後者なら、句集後書きの「果して、確かに見、まぎれなく思い得たのかどうか」が気になる。何より、一頁一句組の剛胆さ。そして左の頁には、「髪刈つて晩夏さとき身黄昏へ」の哀愁を帯びた一句。暗赤色と黄昏色が句集の空白を染めていく。


ball-gs2.gif 2009.09.01(Thu)

第三句集『白面』より

海藻を食ひ太陽へ汗さゝぐ    藤田湘子



 かつて中央例会の懇親会で、湘子先生が若かりし頃の写真をみんなに見せて笑っていたことがある。若い頃は髪がふさふさ生えていた証拠なのだと。確かに、おっと驚く美青年であった。
 昔から若布や昆布、海苔、鹿尾菜などの海藻を食べると毛髪にいいと言われていた。そんなことも一句の裏にはあるのかもしれない。しかし、「海藻を食ひ太陽へ」からは、逞しい海の男が想像されてならない。映画『太陽がいっぱい』の半裸のアラン・ドロンのような。
 「汗さゝぐ」、それは勤労への感謝であろう。国鉄広報部に務め、「鷹」創刊へ情熱を燃やしていたのだ。
 その三年後、昭和四十二年、「馬酔木」編集長を辞任。「飼ふならば啄木鳥よりは鷹萩点々」はその頃の作。


ball-gs2.gif 2009.10.01(Thu)

第二句集『雲の流域』より

生きてゆく力秋暑の靴埃     藤田湘子



 昭和三十五年作。三十四歳。観念と現実がぶつかりあう句。
 披講では「イキテユク/チカラシュウショノ」と句切りながら「力」をやや高く強めに発声する。しかし、意味的には「生きてゆく力」と「秋暑の靴埃」のふたつである。
 「生きてゆく力」は測ったり観たりできるものではない。ただ感じるもの。それを「靴埃」から作者と共感できるかどうかが俳句の楽しさに他ならない。俳人は極微の世界から宇宙を見上げる。
 朝ピカピカに磨き上げた革靴の先が、午後には仕事廻りで、もううっすらと埃を被っていたのである。
 湘子先生の雅号には、「生死」の念いがあった筈である。句集『一個』には、「死ぬほどの位もなくて旱かな」がある。


ball-gs2.gif 2009.11.01(Thu)

定本『途上』より (第一句集『途上』未掲載句)

落葉して俯向きゆきて戀ひにけり  藤田湘子



 湘子二十四歳の作。この句を選ぶと、「おいおい俺にはもっといい句があるだろう」と先生に叱られそうだが、それでも選んでおきたい一句。
 一面に黄落した銀杏並木の下を、言葉も交わさず俯いて歩く男女を思わずにはいられない。紅落した渓谷の紅葉なら戀に付過ぎだろう。
 二十九歳で上梓した処女句集『途上』には、この句は無い。集をまとめるに当って全句を兄弟子の石田波郷に見せ、選を受けたものであった。
 しかし、秋桜子や波郷に気兼ねせず二十年後にまとめた定本『途上』では、「朧よりうまるる白き波おぼろ」などと共に、新たに十四句が加えられている。この句の何が心残りであったか、それを思うだけで若さが蘇って来る。


ball-gs2.gif 2009.12.01(Thu)

第十一句集『てんてん』より

人参は丈をあきらめ色に出づ   藤田湘子



 平成十六年(七十八歳)作。湘子先生には、オレンジ色の西洋人参などもっての他、深紅色の金時人参(京人参)が相応しい。
 なるほど、人参は大根や牛蒡にその長さで適わないと諦め、より自分の個性が出せる赤い色を前面に押し出してきたのである。
 しかし、この「あきらめ」には、単なる諦念ではなく自分の弱点に早々と見切りを付け、攻めに転じようとする意思が満ちている。
 自分にとって何が大切であるかと自問する度に、ひとつふたつと消し去り、色、すなわち俳句だけを残したのである。人生を豊かにする方法は、前向きな「あきらめ」なのだと感得すると、それもまた楽しい。
 鷹誌同時発表作に、「狂ひ花くるひ尽きたり多摩日和」がある。


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