言葉」タグアーカイブ

音と音楽

  

それが、作曲家・信時潔のぶとき きよし(1887-1965)の信条で有り、神父の子としてプロテスタントの讃美歌で育った者の「理想の音楽」であったと著者・片山は考えた。

信時について調べれば、東京音楽学校本科の作曲部の創設に尽力し、本科作曲部新設と同時に、自身は教授を辞し講師となったとWeb『信時潔研究ガイド』に書かれていた。

Katayama20250414a.jpg

『歴史は予言する』(表紙部分)

Katayama20250414b.jpg

『歴史は予言する』(裏表紙部分)

『歴史は予言する』は、週刊新潮連載の「夏裘冬扇」をまとめた一冊。引用部分は、2023/04/20付の初出タイトル「”キメラ”としての坂本龍一」より。

片山杜夫は、”教授の系譜”として、音楽家・坂本龍一の師系を並べ教示してくれた。信時潔(のぶとき きよし)――>下総皖一(しもふさ かんいち)――>松本民之助(まつもと たみのすけ)――>坂本龍一、であると。

ところが、信時も下総も交響曲やオペラも作らず、『海ゆかば』や『たなばたさま』のようなシンプルな歌が彼らの真の代表作だったと。

つまり、現代音楽のシェーンベルクやメシアンの十二音技法(セリー技法、主音がなく平均律の半音階12音をすべて平等に扱う)では考えられないような話だが、日本の民謡や伝統音楽は五つの音から成る音階が基本になっているものが多い。

ピアノを鳴らせば分かりやすいのだが、西洋音楽では、長音階(ドレミファソラシ)や短音階(ラシドレミファソ#)といった七つの音から成る「七音音階」が基本なのに対して、明治維新までの日本音楽では、民謡音階(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節みやこぶし音階(レミ♭ソラシ♭)、琉球音階(レファ#ソラド#)などのように、「五音音階」が基本になっていたと言われている。

たとえば、「ドレミファソラシ」の音に「一二三四五六七」を対応させ、「ヒフミヨイムナ」と数えた時、「ファ・シ」すなわち「ヨ・ナ」の音が無かった日本独自の「ヨナ抜き音階」の世界が現れる。

シンガーソングライターの谷村新司が作詞、作曲した『昴』(1980年)にも、偶然この「ヨナ抜き音階」が使われてヒットしたと聞いたことがある。それだけ、日本人にとっては違和感なく受け入れられやすい音階だともいえよう。

現代音楽の十二音技法は、理論的には面白くても、やはり「人の魂に素朴に触れる」音楽として、私たちの耳にはまだまだ聞こえないのかもしれない。

  書 名:歴史は予言する
  著者:片山杜秀
  発 行:2023年(R5) 12月20日
  発行所:新潮社(新潮新書1021)


saten_logo80s.jpg

遺伝子を残す

  

俳句入門書のシリーズの一冊、『鳥獣の一句』の解説部分を引用した。
1月1日から12月31日まで365句。鳥や獣や虫など、生き物に関連した他人の俳句を毎日一句取り上げ、どの句にも実にワクワクさせる解釈を披露していて、ページをめくるごとに心ふるえるひと時をすごすことができる。生き物とその背景(学識、伝説、宇宙感)がほんとに好きなんだな~と感心させられる。

Okuzaka20250411.jpg

365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』

もちろん、奥坂まやは俳人であり、DNAの研究者では無いが、これまでに得た知見からストーリーを組み立て、一句の俳句の世界をこれでもかと謂わんばかりに押し広げ、新しい宇宙を感じさせ、なおかつ、俳句作者の頭上に冠を被せ祝福するがごとく賛辞も送っている。

後半を省略した解説の続きを、もう少し披露したいところだが、図書館や古書店、通販(まだ入手可能)で実物の書籍を手に入れ言葉の媚薬を味わってもらいたい。

さて、「4月15日」のページで解説されているこの俳句は何だろう。
つまり、俳句上級者には、一句の解説を読んでから該当俳句思い出すといった遊びにも使える。ヒントは、季語「百千鳥ももちどり」(春)である。
もうひとつヒントは、と問われれば、作者は「飯田龍太いいだりゅうた」である。

答えは、

雌蕊(めしべ)、雄蕊(おしべ)、囃す(はやす)の漢字が読めなかったという人がいるかも知れない。しかし、辞書や電子辞書を引き、慣れるのが一番。

ベランダのブルーベリーの花が咲き始めた。毎年、花の蕾を狙って小鳥がやって来て騒がしいのだが、一雨過ぎたら受粉を手伝ってやろうと思う。

BlueBe20250411.jpg

ブルーベリーの花

  書 名:365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』
  発 行:2014年(S54) 2月4日
  著 者:奥坂まや
  発行所:ふらんす堂

  ブログ記事(ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko)
  LINK:https://fragie.exblog.jp/21389653/


saten_logo80s.jpg

素十の俳句

  

高野素十(たかのすじゅう)は、1893年(M26.03.03)生まれの男性。
本名、與巳(よしみ)。医師。俳人。
高濱虛子に、大正12年より師事。山口誓子、阿波野青畝、水原秋櫻子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。1976年(S51.10.04)逝去。

Keage20250409a.jpg

蹴上インクラインの桜

私は、数年前の4月、京都の蹴上インクラインの桜を見に行ったことがある。
石垣に沿って満開の桜並木を見上げながら歩いていると、急に一陣の風が吹き上がり、桜の花びらが宙に舞い、瞬く間に先行く人が見えなくなるほどであった。

その時、この句が思い出され、なるほど「一かたまりの花吹雪」とは、これほど風に乗って飛ばされるものなのかと驚いた記憶がある。

素十の俳句は、ほとんど説明や解説がいらない。見たままを素直に、そのまま飾らず言葉にしている。どこかで、この句は吉野での作と聞いたことがあるが、吉野に限らず日本中、いや世界中どこであっても通用するのではなかろうか。

一句の中には、桜のことしか書かれていない。一物俳句いちぶつはいくの見本のような句である。真似しろと言っても、簡単にできそうで出来ない。究極の俳句とも言えよう。
このような句を、一生かけて一句でも残してみたいものである。

Sujyu20250409b.jpg

素十全句集

『素十全句集』は、春1344句、夏1658句、秋1455句、冬・新年1135句の四冊に別れた文庫版サイズ。季節ごとに分かれているので携帯には便利なのだが、すべての季題別索引が「冬・新年」の分冊にしか無いのが残念。
句集の帯に、「俳句の道は、ただ、これ、写生。これ、ただ、写生。」と素十の言葉が輝いている。

  書 名:素十全句集
  発 行:1979年(S54) 12月20日
  著 者:高野素十
  発行所:永田書房


遍路杖と春

  

かつて、鷹俳句会の飯島晴子さん(2000.06.06 逝去)にお願いして、私の大好きな一句を著作の見返しに書いて送ってもらったことがある。

サインペンではなく、わざわざ墨をすり、毛筆で一字一字にしっかりと気持ちを込め、背筋をのばし、まっすぐに認(したた)められていた。

Haruko20250403a.jpg

飯島晴子の揮毫

Haruko20250403b.jpg

自解100句選 飯島晴子集

一読、説明のいらぬ俳句だが、作者の自解100句選集なので、その解説の一部を抜き出して紹介したい。なお、掲句は、昭和58年(1983)作。

自解も実に明瞭簡潔。俳句と同様に研ぎ澄まされている。私を俳句に誘って下さった揚田蒼生(あげたそうせい)さんももう居ない。

最後に、「空港へ着いて一安心、遍路杖を高く振って高知の人たちと別れた。」と、書かれている。この一書を開く度に、何度も手を振ってお別れした日の出で立ちと遍路杖が思い出されてならない。

  書 名:自解100句選 Ⅱ- ② 飯島晴子集
  発 行:1987年12月25日
  著 者:飯島晴子(いいじまはるこ)
  発行所:牧羊社
  定 価:1100円


ことばこそ

  

塚本邦雄(1920.08.07 – 2005.06.09 )の本は、特装版を除いて粗方持っているのだが、彼の秘書代わりを務めていた書肆季節社の政田岑生氏のご逝去後は、署名本の入手が難しくなった。

そのため、この歌集を古書店で購入できたのは、十年後であった。

  書名:第24歌集『約翰傳僞書』(ヨハネでんぎしよ)
  A5判、短歌研究社発行、定価:3,534円(税別)
  印刷発行:2001年3月5日

胸奥の砂上樓閣

見返しの遊び紙に、塚本邦雄の毛筆歌一首と落款

塚本邦夫毛筆署名

次の半透明の遊び紙に、勢いのある毛筆署名

そこひ(底翳、内障)とは、
眼の虹彩(こうさい)に異常がないのに、視力障害(くもり)が生ずる眼病(白内障・緑内障・黒内障など)の俗称である。

今日は、四月一日。エイプリルフール。万愚節。
午前中には、少し悪気のない嘘を言っても許されると言われている。

塚本が、処女句集『水葬物語』から夢見た韻律の楼閣は、この最終歌集『約翰傳僞書』においても、なお辿り着けなかった永遠の高みの彼方に、今も聳え建っているのだろうか。

この一首を思い出すと、天上からも水底からも鐘(カリヨン)の音が響き渡って来る。