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世界に刺さった棘

  

俳句雑誌『蝶』を読み返しながら、一瞬身体が強張った感覚を覚えた。

蝶俳句会は、昭和51年、高知県で創刊。たむらちせいを師系として、今は味元昭次が同人代表を務め、同人・会員二百余名の隔月誌『蝶』を発行している。

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『俳句雑誌 蝶 第272号』表紙

代表の味元昭次には何度も会っている。しかし、2頁の表題エッセーを寄稿した著者の森下菊には面識もなく、「蝶の俳人(同人)」以外の知識はない。

もう少し引用してみよう。

日本赤軍事件やパレスチナ開放闘争にかかわった奥平剛士と房子のことは、21年間の服役中に発表した第一歌集『ジャスミンを銃口に』(2005)を読み、記憶に残っている。

重信は、ハーグ事件(1974年、同志奪還のためにオランダのデン・ハーグのフランス大使館を占拠、シリアに逃亡した事件)への関与により国際指名手配され、2000年大阪で逮捕された。その後、裁判で懲役20年が確定し、2022年5月28日、刑期満了で出所している。
また、奥平は、リッダ事件(1972年、テルアビブ空港乱射事件)に加わり射殺されている。

銃口にジャスミンの花無雑作に挿して岩場を歩きゆく君
爆音と共にまかれし投降のすすめのビラに絵をかく子らよ
飛んでゆけ こぼれし種子の吾亦紅獄から放つ力の限り

第一歌集から、私のノートには10首ほどの歌を書き残していた。

まだ第二歌集の『暁の星』(2022)は読んでいない。しかし、「人を殺せし人の真心」のフレーズを読んだだけで、胸の奥が騒立つ。

森下もまた、ナクバと聞いただけで、炎だつのかも知れない。

この遣るせない思いは、自分の無力さも自覚させるのだが、米国やロシアの大統領ほどの権力を持っていたとしても、正義の反対もまた正義である限り、永遠に果てしない殺掠が続くように思えて哀しい。
また、大英帝国の陰の権力者や政治家たちの、無慈悲な約束も忘れてはならない。

  書  名:俳句雑誌 蝶 第272号
  同人代表:味元昭次(みもと・しょうじ)
  発  行:2025年3月10日(2025.3.4月号)
  発行所 :蝶俳句会
  表  紙:森下 颯

参考:

注1:ナクバ (nakuba)〔アラビア語で大厄災のこと〕
 1948年のイスラエル建国とパレスチナ難民の発生をパレスチナ側からいう語。

注2:リッダ事件、テルアビブ空港乱射事件
 テルアビブ近郊都市ロッドに所在するロッド国際空港で発生。
 1972年、ロッド空港乱射事件、リッダ闘争(リッダはロッドの現地読み)


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源氏の明石

わたくしの手元にある文庫版『源氏五十四帖題詠』の扉には、塚本自筆の「ともしびの明石」の歌一首と「邦」の朱肉白文の落款印、そして著者名のサインが入っている。

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『源氏五十四帖題詠』表紙

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扉、塚本邦雄の短歌と印、サイン

20年も前の事ゆえ、どうやってこの文庫本を入手したのか、すっかり忘れてしまった。

扉の短歌の「聴く琵琶の」あたりが少し読みづらく、流麗な塚本らしくないと思った。しかし、ルーペで確認すると、愛用の極細書き万年筆を半回転させ、背を下にして書いていたペン先の筆圧が紙に残っているところなど、いつもながらに、と懐かしく思い出された。

発行は2002年10月、すなわち塚本82歳の頃。2005年6月の逝去を思えば、入退院や治療もあり、時間を惜しみつつペンを取っていたのではと推察される。

さて、この本には、紫式部が源氏のために作った物語と和歌に協奏するように、各帖の冒頭に塚本の新作短歌五十四首が添えられ、古典を愉しみつつ、その時々の知識が新訳を読むかのごとく理解できるよう配慮された珠玉のエッセーがそえられている。

明石の帖には、もちろん「ともしびの明石に泊てて」の歌が、

と並べて掲げてある。物語の内容、明石の入道が舟を差し向けて迎えにきたくだりや、入道の琵琶に和して、光源氏が久々にきんを袋から取り出し、秘曲「広陵散くわうりょうさん」を披露したところを一首に巧みに織り込み、最後を「夜のわたつみ」と雅やかに静かに締めるあたり、何度読んでも惚れ惚れする。

この「わたつみ」のひらがな書きも、「海(うみ)」と「海神(わたつみ)」の両方がイメージできるようにとの配慮であろう。

そして、今一首、「明石の浦」から

を、紹介するあたり、普通の源氏物語の訳本では到底あらわせない。

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本文 58-59P (左端に定家の歌)

日本の和歌史と歌を知り尽くし、24歳の定家が、1186年6月頃、西行の勧進による『二見浦ふたみのうら百首』の中に、源氏・明石の章句を引いて制作したものと、源氏200年後の経緯まで解説した面白さがある。

また、塚本邦雄といえば前衛短歌の領袖である。
その彼が、前衛・現代調を抑え、それぞれの物語に相応しい短歌を創作したところも堪能したい。1983年発行、冨山房百科文庫の『塚本邦雄撰 清唱千首』の古典鑑賞力などがあってこその名著であろう。

  書 名:源氏五十四帖題詠 
  著 者:塚本邦雄(つかもと・くにを)
  発 行:2002年10月9日(第一刷発行)
  発行所:筑摩書房 ちくま学芸文庫
  カバーデザイン:熊谷博人
  ISBN4-480-08717-6

参考:

注1:『源氏物語 明石』紫式部 「與謝野晶子訳」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5028_11650.html


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モネの藤

  

橋本麻里はしもとまりについては、週刊文春に記載された肩書の金沢工業大学客員教授よりもWikiの「日本のライター、編集者」のほうが相応しいと思う。これまでにも、いろんな雑誌や書籍の文章に注目してきた。

今回は、『週刊文春』連載の「東洋美術逍遥・80」において、《モネと円山応挙、それぞれの「藤」》と題して、印象派のモネの展覧会(京都展)での気付きについて考察していた。

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『週刊文春』の「東洋美術逍遥・80」部分(2025年4月17日号)

私も、モネの「睡蓮」の絵画をこれまでに何作も見てきたが、「藤」と名付けられた作品が2点来ていたとは知らなかった。橋本の記事を読み、改めて調べて見ると、

日テレ制作の開催案内『モネ 睡蓮のとき』「第2章、水と花々の装飾」において、
マルモッタン・モネ美術館から来訪の習作「藤」(no.6、no.7)の画像も知ることができた。制作は1919-1920頃、油彩、100x300cm。実に横長で大きい。

モネの習作 no.6「藤」と日テレ解説を引用

しかし、この2点から、円山応挙の《藤花図》屏風を連想するところが、橋本麻里の視点の面白さでもある。やや強引に「東洋美術」に結びつけようとしたのかも知れないが、画風や藤の枝振りは全く違う。円山応挙の《藤花図》は、もっと大胆な構図でより装飾的であり、視力の衰えたモネよりも鮮明に細部まで描かれている。

それでも、睡蓮の上部に垂れ下がった藤の空間をイメージできたとしたら、まさにモネが晩年を過ごした自邸の「ジヴェルニーの庭」にかかった緑の太鼓橋(Japanese Bridge)の藤棚を思い出せるだろう。

実は、高知県東部にも「モネの庭」と名付けられた施設が2000年4月にオープン。本家「ジヴェルニーの庭」を模した造園整備を行い、すでに、25年周年を迎えている。
なお、庭の名称は、開園前にフランス本国のアルノー・ドートリヴ氏より『 Jardin de Monet Marmottan au Village de Kitagawa(和訳名:北川村「モネの庭」マルモッタン)』として使用許可も得ている。

https://www.kjmonet.jp

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北川村「モネの庭」の睡蓮と太鼓橋

北川村「モネの庭」の藤棚

一晩、寝返りを打ちながらモネの「藤」についてあれこれ考えていると、急に正岡子規の『墨汁一滴』の短歌が思い出された。新聞「日本」に連載された随筆の4月28日(1901年)の記事中、子規の亡くなる1年半ほど前のものであった。

かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり  子規

  書 名:『週刊文春』
  発 行:2025年4月17日
  発 売:2025年4月10日
  発行所:文藝春秋

注:橋本麻里/1972年、神奈川県生まれ。
  金沢工業大学客員教授。最新刊『かざる日本』(2021.12)が好評発売中。


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全力否定

  

KADOKAWAの雑誌『短歌』2025年3月号、特集「高校生短歌はいま」より引用。今回、全国高校文芸部にアンケート調査を行い、35校の回答を掲載とのこと。各校3首ずつ、つまり105首の中から、私が最も心惹かれたのは、畠山慎平の「飛び込んで」であった。

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『短歌』3月号(表紙部分)

ちなみに、作者は宮城県気仙沼高等学校 文芸部部長。

この一首から、スポーツの高飛び込みというより、一般的な水泳競技のスタートを思い浮かべたが、私は水泳が苦手である。それでも、飛び込んだ瞬間の勢いや自分の身体を押し返そうとしてくる水の圧力、透明感、スピード、水泡の動きが眼に見えるようで充分満足できた。

「私を全力で否定してくる」のは、水圧ばかりではなく、自分の通う学校、社会、世界にも通じるものであり、「水泡」が輝けば輝くほど抵抗は大きくなるのだが、それらもまた飛び込んで体験しなければ、如何ほどのものか身を持って感じることもできないのである。

声を出して読み上げれば、二度繰り返される「で」が無ければとやや気になったのだが、それでも今の高校生短歌として残しておきたい。
そして、最近多くなった「全力否定」も、こんな使い方なら面白い。

枝垂桜

染井吉野はもう見頃を過ぎたが、枝垂桜は今しばらく咲いている。

  書 名:総合雑誌『短歌』3月号
  発 行:2025年(R7) 2月25日
  編集人:北田智広
  発行所:角川文化振興財団
  販 売:KADOKAWA


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女の心情になりきる

  

古今和歌集に収載された作者は、凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)。

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わがやどの・・・(寸松庵色紙)

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凡河内躬恒「三十六歌仙額」(狩野探幽 画)

たとえば、百人一首の「心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 みつね」でも暗記していなければ、この作者名が読めないのでは無かろうか。三十六歌仙のひとりでもある。

凡河内躬恒(859頃生~925頃没)は、平安時代前期の宮廷官僚。優れた歌人でもあった。宇多天皇、醍醐天皇に仕えて勅撰の『古今和歌集』選者に任じられ、紀貫之・紀友則・壬生忠岑などと共に編纂にあたった。撰者の特権か、躬恒の歌は貫之に次いで多く六十首も選ばれている。

桜の花の咲く頃になると、私はこの歌をよく思い出す。

ところが、かつて読んだ『日本古典文学全集』(小学館)の口語訳や鑑賞批評を信じたために、うっかり作者の意図や歌意を見逃していたようである。           (あるいは、校注・訳の小沢正夫氏のデリケートな配慮?)

例えば、『土佐日記』で有名な紀貫之は、承平四年(934)、土佐守としての四年の任期を終え、京へと旅立つ。その舟旅の事情を記録した日記を「男もすなる 日記といふものを 女もしてみむとてするなり」と偽って、男性官僚でありながら漢字を使わず「仮名書き」にしたことが有名である。

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高知城と桜(2025.04.04 撮影)

凡河内躬恒も、この歌では女の心情になりきり、「久しく訪れてくれなかった思い人が、我が家の庭の桜を見に来たよといって一夜を過ごし、もう帰ってしまった。花が散ってしまった後(私の容姿も歳とともに衰える)は、もう来てくれないかもしれない。次はいつ来てくれるのだろう。」と、物語風に、当時の妻問婚の有り様を花に重ねて歌合で披露したのでは無かろうか。