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モネの藤

  

橋本麻里はしもとまりについては、週刊文春に記載された肩書の金沢工業大学客員教授よりもWikiの「日本のライター、編集者」のほうが相応しいと思う。これまでにも、いろんな雑誌や書籍の文章に注目してきた。

今回は、『週刊文春』連載の「東洋美術逍遥・80」において、《モネと円山応挙、それぞれの「藤」》と題して、印象派のモネの展覧会(京都展)での気付きについて考察していた。

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『週刊文春』の「東洋美術逍遥・80」部分(2025年4月17日号)

私も、モネの「睡蓮」の絵画をこれまでに何作も見てきたが、「藤」と名付けられた作品が2点来ていたとは知らなかった。橋本の記事を読み、改めて調べて見ると、

日テレ制作の開催案内『モネ 睡蓮のとき』「第2章、水と花々の装飾」において、
マルモッタン・モネ美術館から来訪の習作「藤」(no.6、no.7)の画像も知ることができた。制作は1919-1920頃、油彩、100x300cm。実に横長で大きい。

モネの習作 no.6「藤」と日テレ解説を引用

しかし、この2点から、円山応挙の《藤花図》屏風を連想するところが、橋本麻里の視点の面白さでもある。やや強引に「東洋美術」に結びつけようとしたのかも知れないが、画風や藤の枝振りは全く違う。円山応挙の《藤花図》は、もっと大胆な構図でより装飾的であり、視力の衰えたモネよりも鮮明に細部まで描かれている。

それでも、睡蓮の上部に垂れ下がった藤の空間をイメージできたとしたら、まさにモネが晩年を過ごした自邸の「ジヴェルニーの庭」にかかった緑の太鼓橋(Japanese Bridge)の藤棚を思い出せるだろう。

実は、高知県東部にも「モネの庭」と名付けられた施設が2000年4月にオープン。本家「ジヴェルニーの庭」を模した造園整備を行い、すでに、25年周年を迎えている。
なお、庭の名称は、開園前にフランス本国のアルノー・ドートリヴ氏より『 Jardin de Monet Marmottan au Village de Kitagawa(和訳名:北川村「モネの庭」マルモッタン)』として使用許可も得ている。

https://www.kjmonet.jp

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北川村「モネの庭」の睡蓮と太鼓橋

北川村「モネの庭」の藤棚

一晩、寝返りを打ちながらモネの「藤」についてあれこれ考えていると、急に正岡子規の『墨汁一滴』の短歌が思い出された。新聞「日本」に連載された随筆の4月28日(1901年)の記事中、子規の亡くなる1年半ほど前のものであった。

かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり  子規

  書 名:『週刊文春』
  発 行:2025年4月17日
  発 売:2025年4月10日
  発行所:文藝春秋

注:橋本麻里/1972年、神奈川県生まれ。
  金沢工業大学客員教授。最新刊『かざる日本』(2021.12)が好評発売中。


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