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湘子の考え

  

4月15日は、俳人・藤田湘子の命日である。

25年間も師事した我が身、少しでも多くの人に日本語や俳句を愛した湘子の考えを理解してもらえればと願う。

そこで思いついて、古い俳句雑誌『鷹』を取り出し、逝去前後の記事を探してみた。毎月5日発行(会員には10日前に届く)の鷹誌には、湘子主宰の「新作俳句12句」、連載エッセイ「句帳の余白」、湘子選「推薦30句」、選評「秀句の風景」、編集室の「コラム」が定位置になっている。

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『鷹』の表紙(2005年4月号)

この中で、連載エッセイは、昭和61年から平成13年末までの約200篇の中から81篇を自選して、『句帳の余白』の題名で、すでに角川書店から出版されている。

しかし、それ以後のエッセイについては、まとめた本が無く、鷹会員や贈呈された者でなければ目に触れる機会さえ無かったはずである。

故人の著作権は、ご遺族にあると承知しているが、逝去2ヶ月前に書いたと思われる最期のエッセイから、先師の人となりを想像してもらいたい。

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『鷹』の「句帳の余白」(2005年4月号)
(画像は、クリックすると拡大します)

若者には古いと言われるかも知れないが、やはり歌手の歌唱力以前に、詩に曲を付けるときも、曲に歌詞を付けるときも、美しい日本語の発音を無視しないでもらいたいと思う。テレビ画面の文字の多さにも辟易するが、歌詞が出なければ何と歌っているのかさえ分からないようでは、あまりにも惨めである。

無闇に流されるBGMを反省して、ラジオから流れてくる音や曲、歌声に耳をそばだてたくなるような、そんな生活を送りたいと思う。

  書 名:鷹 
  発行人:藤田湘子
  発 行:平成17年4月5日(2005年)
  発行所:鷹俳句会

注:藤田 湘子しょうし(男性、1926.01.11 – 2005.04.15)は日本の俳人。水原秋櫻子しゅうおうしに師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。


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音と音楽

  

それが、作曲家・信時潔のぶとき きよし(1887-1965)の信条で有り、神父の子としてプロテスタントの讃美歌で育った者の「理想の音楽」であったと著者・片山は考えた。

信時について調べれば、東京音楽学校本科の作曲部の創設に尽力し、本科作曲部新設と同時に、自身は教授を辞し講師となったとWeb『信時潔研究ガイド』に書かれていた。

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『歴史は予言する』(表紙部分)

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『歴史は予言する』(裏表紙部分)

『歴史は予言する』は、週刊新潮連載の「夏裘冬扇」をまとめた一冊。引用部分は、2023/04/20付の初出タイトル「”キメラ”としての坂本龍一」より。

片山杜夫は、”教授の系譜”として、音楽家・坂本龍一の師系を並べ教示してくれた。信時潔(のぶとき きよし)――>下総皖一(しもふさ かんいち)――>松本民之助(まつもと たみのすけ)――>坂本龍一、であると。

ところが、時信も下総も交響曲やオペラも作らず、『海ゆかば』や『たなばたさま』のようなシンプルな歌が彼らの真の代表作だったと。

つまり、現代音楽のシェーンベルクやメシアンの十二音技法(セリー技法、主音がなく平均律の半音階12音をすべて平等に扱う)では考えられないような話だが、日本の民謡や伝統音楽は五つの音から成る音階が基本になっているものが多い。

ピアノを鳴らせば分かりやすいのだが、西洋音楽では、長音階(ドレミファソラシ)や短音階(ラシドレミファソ#)といった七つの音から成る「七音音階」が基本なのに対して、明治維新までの日本音楽では、民謡音階(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節みやこぶし音階(レミ♭ソラシ♭)、琉球音階(レファ#ソラド#)などのように、「五音音階」が基本になっていたと言われている。

たとえば、「ドレミファソラシ」の音に「一二三四五六七」を対応させ、「ヒフミヨイムナ」と数えた時、「ファ・シ」すなわち「ヨ・ナ」の音が無かった日本独自の「ヨナ抜き音階」の世界が現れる。

シンガーソングライターの谷村新司が作詞、作曲した『昴』(1980年)にも、偶然この「ヨナ抜き音階」が使われてヒットしたと聞いたことがある。それだけ、日本人にとっては違和感なく受け入れられやすい音階だともいえよう。

現代音楽の十二音技法は、理論的には面白くても、やはり「人の魂に素朴に触れる」音楽として、私たちの耳にはまだまだ聞こえないのかもしれない。

  書 名:歴史は予言する
  著者:片山杜秀
  発 行:2023年(R5) 12月20日
  発行所:新潮社(新潮新書1021)


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愛すべき存在

  

1991年、ふらんす堂より発行された永田耕衣句集『生死』を持っている。

これは、1934年(昭和 9)晩秋刊行の処女句集『加古』から、1988年(昭63年)刊行の第11句集『人生』までの中から380句を厳選した選句集である。

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生死:永田耕衣句集

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購入時の紀伊国屋書店カバー

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永田耕衣の署名

そして、この11頁に第3句集『吹毛集』から引用の上掲句が印刷されている。従って、作句は1953年(昭和28)頃のはずである。

四国に住んでいるため、古い映画やテレビで「雁の渡り」の映像を見た記憶はあるが、近所の河川や池で毎年鴨を見ていても、未だに実際に飛ぶ雁の姿は見たことがない。

学術分類では、白鳥も雁も鴨も「カモ目カモ科」でかなり似ているが、その大きさや姿、形はかなり違っている。そして、江戸時代には全国的に見られた鳥さえも、明治以降の乱獲により急激にその数を減らしていった。
雁(かり、がん)は、「雁行」(がんこう)や「雁の竿」(かりのさお)と呼んで先頭の一羽に連なってV字型の列を作って飛ぶ習性がある。

日本では、雁は北(カムチャツカ半島方面)から9月、10月頃に渡って来るので、秋の季語になっている。
この句では、今度は、北へ帰ろうとする「春の雁」である。
北を目指し、高く高く舞い上がりつつ編隊を組もうとした時、その中の一羽がこともあろうに「脇見」してしまったと言うのだ。
面白い、実に面白い。人間の世界にも、こんな輩が必ずいる。普段から面倒な奴なのだが、なぜか許されてしまうような愛すべき存在なのだ。

本来、誰もが真面目に働き、動こうとする時、すべてが同じ動きをするとアクシデントがあると全滅してしまう。それを防ごうとするような自然の摂理なのかも知れないが、普通は心に秘めて実行できない「脇見」の危なさと好奇心と余裕。まさに俳人の目指すべき本能(基本的欲求)の世界なのかもしれない。

  書 名:生死 永田耕衣句集
  発 行:1991年3月25日
  著 者:永田耕衣(Koi Nagata)
  発行所:ふらんす堂


自註の難しさ

  

昔、上京中に、新宿区百人町の俳句文学館に立ち寄り、自註俳句シリーズの本を立ち読みして何冊かまとめ買いした。

その中の一冊、「平畑静塔集」のあとがきに、上掲の言葉が書かれていた。
私の手元にあるのは、昭和54年 6月 5日発行の第二刷である。

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平畑静塔集

この「自註現代俳句シリーズ」は、著者自選300句に三行書(66字以内)の自註が基本のようで、俳句は歴史的かなづかいであっても、読者の便をはかり全ての漢字に現代かなづかいのルビがふられている。

有名俳人の句集を読み解こうとしても、知らない漢字や言葉が多すぎて難儀するのだが、元の句集一句から湧き立つイメージとは異なるかもしれないが、漢字にルビがあるのも時にはありがたい。(人名の読み方さえ分からないときもある)

ただし、自註を読み、種明かしされてしまうと、折角これまで名句と思っていた句が、汚れ雪のような句に思え、知らなければよかった・・・と、後悔することも多く、痛し痒しではある。自註の難しさを銘せねばなるまい。

芭蕉の「謂応いひおほせて何か有る」とは、俳句だけに限らない。

  書 名:自註現代俳句シリーズ第一期⑤ 平畑静塔集
  発 行:昭和51年12月15日一刷
  定 価:850円
  著 者:平畑静塔
  発行所:社団法人 俳人協会


ことばこそ

  

塚本邦雄(1920.08.07 – 2005.06.09 )の本は、特装版を除いて粗方持っているのだが、彼の秘書代わりを務めていた書肆季節社の政田岑生氏のご逝去後は、署名本の入手が難しくなった。

そのため、この歌集を古書店で購入できたのは、十年後であった。

  書名:第24歌集『約翰傳僞書』(ヨハネでんぎしよ)
  A5判、短歌研究社発行、定価:3,534円(税別)
  印刷発行:2001年3月5日

胸奥の砂上樓閣

見返しの遊び紙に、塚本邦雄の毛筆歌一首と落款

塚本邦夫毛筆署名

次の半透明の遊び紙に、勢いのある毛筆署名

そこひ(底翳、内障)とは、
眼の虹彩(こうさい)に異常がないのに、視力障害(くもり)が生ずる眼病(白内障・緑内障・黒内障など)の俗称である。

今日は、四月一日。エイプリルフール。万愚節。
午前中には、少し悪気のない嘘を言っても許されると言われている。

塚本が、処女句集『水葬物語』から夢見た韻律の楼閣は、この最終歌集『約翰傳僞書』においても、なお辿り着けなかった永遠の高みの彼方に、今も聳え建っているのだろうか。

この一首を思い出すと、天上からも水底からも鐘(カリヨン)の音が響き渡って来る。

心に俳句の花束を!

  

日本人なら、これまでに一句や二句、五・七・五音の俳句を作ったことがあるでしょう。

それが名句か否かは別問題・・・

しかし、素敵な俳句を、何かのきっかけにつぶやけたら、もっと人生が豊かになると思いませんか?

たとえば、携帯にお気に入りの俳句を入れて、季節の変化を楽しみましょう。

掲載句は、わたくしの師匠の湘子(しょうし)先生の作。男性です。

初心者なら「涙の湧いてきたりけり」とするところを、下五に「ふたみつぶ」と具体的なイメージを描いたところがさすがです。

里芋畑をわたる秋風を、あなたはご存知ですか?

句集「一個」より。


Memo:再掲(元、土曜日, 6月 13th, 2009)

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SATEN