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漢字さまざま

  

Youtubeを見ていたら、中国時代劇『九重紫』の新作紹介ビデオが始まった。
ところが、登場人物名と出演者名で、「ウ、ム、む、む〜」の有り様。

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Youtube『九重紫』のビデオ映像より

原因は、漢字の種類と読み方の問題に起因している。

もちろん、漢字には、日本で一般的に使われる常用漢字正字(旧漢字)、中国や台湾で使われる「簡体字」「繁体字」があることは知っているが、書けなくても読むくらいはできるとタカをくくっていたのだが、まったく手も足も出ない。

例えば、「竇」に「ドウ」と、フリガナが入っていた。日本では「トウ」とか「トク」、穴蔵とか水路のイメージ。部首が「アナカンムリ」で、下に「売る」の正字「賣る」が入っている。

中国歴史では有名な氏族名なのだろうが、日本史や世界史で習った記憶には一人も居ない。

簡体字はムリとしても、繁体字は日本の正字とほぼ同じだし、長年、塚本邦雄の短歌や評論、小説を正字で読んできたのだから大丈夫のはずであったのだが、人名はさっぱり分からなかった。これだけは、文面や内容から読み取る事もできず、何度も使って記憶するしかないのである。しかし、使う機会も無いとなれば尚更であろう。

私には、帰国子女の友人はいても、大陸育ちの中国人の知人が居ないので名前を覚える必要がなかったからかも知れない。

例えば、「図 と图 と 圖」「関 と关と 關」「広 と广と 廣」「売と 卖と 賣」が、同じだと言われても、慣れないと確かに読めない。

そんなことを考えていたら、Wikipediaの中に、「百家姓」(ひゃっかせい)」なる項目があることを知った。

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百家姓 (ひゃっかせい)の解説より

「千字文(せんじもん)」は有名だし、長詩であっても、各部分の意味もわかりやすく、臨書の見本にも使われているので読む機会も多い。
ところが、「三字経」や「百家姓」については、これまで触手も動かず、ほとんど見過ごしてきた。

なるほど、中国人の子供は、こんな漢字を書いて読んで学習してきたのかと思うと、日本の「いろは」仮名は何と簡単で便利だったのだろうと、弘法大師空海(774~835)に感謝せずにはいられない気持ちになった。

確かに、「いろは歌」を空海が作ったという証拠はまだ無いそうだが、彼の才能あればこそなどと、空想世界がますます広がり続けている。

「2025年7月5日の大災害予言」などが当たらず、この宇宙が平安で美しくありますように。

  

参考:

注1:百家姓 (ひゃっかせい)〔ウィキペディア〕
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%AE%B6%E5%A7%93

注2:千字文 (ひゃっかせい)〔ウィキペディア〕
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87

注3:雪竇重顕(せっちょう じゅうけん)〔ウィキペディア〕
 中国の北宋の禅僧。諡は明覚大師。俗姓は李。字は隠之。遂州遂寧県の出身。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E7%AB%87%E9%87%8D%E9%A1%95

 


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源氏の明石

わたくしの手元にある文庫版『源氏五十四帖題詠』の扉には、塚本自筆の「ともしびの明石」の歌一首と「邦」の朱肉白文の落款印、そして著者名のサインが入っている。

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『源氏五十四帖題詠』表紙

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扉、塚本邦雄の短歌と印、サイン

20年も前の事ゆえ、どうやってこの文庫本を入手したのか、すっかり忘れてしまった。

扉の短歌の「聴く琵琶の」あたりが少し読みづらく、流麗な塚本らしくないと思った。しかし、ルーペで確認すると、愛用の極細書き万年筆を半回転させ、背を下にして書いていたペン先の筆圧が紙に残っているところなど、いつもながらに、と懐かしく思い出された。

発行は2002年10月、すなわち塚本82歳の頃。2005年6月の逝去を思えば、入退院や治療もあり、時間を惜しみつつペンを取っていたのではと推察される。

さて、この本には、紫式部が源氏のために作った物語と和歌に協奏するように、各帖の冒頭に塚本の新作短歌五十四首が添えられ、古典を愉しみつつ、その時々の知識が新訳を読むかのごとく理解できるよう配慮された珠玉のエッセーがそえられている。

明石の帖には、もちろん「ともしびの明石に泊てて」の歌が、

と並べて掲げてある。物語の内容、明石の入道が舟を差し向けて迎えにきたくだりや、入道の琵琶に和して、光源氏が久々にきんを袋から取り出し、秘曲「広陵散くわうりょうさん」を披露したところを一首に巧みに織り込み、最後を「夜のわたつみ」と雅やかに静かに締めるあたり、何度読んでも惚れ惚れする。

この「わたつみ」のひらがな書きも、「海(うみ)」と「海神(わたつみ)」の両方がイメージできるようにとの配慮であろう。

そして、今一首、「明石の浦」から

を、紹介するあたり、普通の源氏物語の訳本では到底あらわせない。

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本文 58-59P (左端に定家の歌)

日本の和歌史と歌を知り尽くし、24歳の定家が、1186年6月頃、西行の勧進による『二見浦ふたみのうら百首』の中に、源氏・明石の章句を引いて制作したものと、源氏200年後の経緯まで解説した面白さがある。

また、塚本邦雄といえば前衛短歌の領袖である。
その彼が、前衛・現代調を抑え、それぞれの物語に相応しい短歌を創作したところも堪能したい。1983年発行、冨山房百科文庫の『塚本邦雄撰 清唱千首』の古典鑑賞力などがあってこその名著であろう。

  書 名:源氏五十四帖題詠 
  著 者:塚本邦雄(つかもと・くにを)
  発 行:2002年10月9日(第一刷発行)
  発行所:筑摩書房 ちくま学芸文庫
  カバーデザイン:熊谷博人
  ISBN4-480-08717-6

参考:

注1:『源氏物語 明石』紫式部 「與謝野晶子訳」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5028_11650.html


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筆文字と手紙

  

学校で墨を磨って字を習ったのは、小学校や中学校の国語の時間だった。それ以来、ほとんど自己流なので、褒められるような字は書けない。
弟が小さな書道教室に通い、何級・何段かもらっていたはずだが、あまり気にすることもなく、確かに字が上手ければいいが、そこまで努力しようとも思わなかった。

空海(弘法大師)の『風信帖ふうしんじょう』部分

「字の上手い下手は関係ありません。」と言ってくれると嬉しくなるが、流石に自筆の手紙を出そうとすると躊躇してしまい、礼状さえおろそかにしてきた。

字の良し悪しに気付いたのは、季刊『銀花』(文化出版局)の何号だったか、塚本邦雄の「芒彩集」特集で、散らし書きの現代短歌を見たときだった。あまりにも達筆すぎて、筆文字だけでは読めなかったが、印刷文字が添えられており何とか判読することができた。
このときばかりは、読めなくても上手い字ってあるもんなんだな~、とつくづく感心させられてしまった。私にとっては、絵を見るように頭の中にその筆跡が浸透して来るようで、背中がぞくぞくしたのを覚えている。

「高野切第三種」なる言葉も、このとき初めて知ったような有り様だった。

茂住 菁邨(もずみ せいそん)は、昭和31年生まれの書家。大学卒業後、内閣府に入府後、辞令専門官(国家公務員)と成り、令和3年に退官するまで41年間、勤めたとサライに記されていた。

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官記辞令の見本。辞令専門官の筆文字。

昔の能書家・能筆のように、内閣府の人事課に勤務して、毛筆で公文書を書くのが業務だったとのことだが、いつまでそんな役割の人が存在できるのか、未来社会を想像するとかなり怪しくなってしまう。

しかし、AI搭載ロボットに置き換えられず、気品が有り、正確で読みやすく、人間らしく味のある文字を書き続けてもらいたい。

注1:高野切について(Wikipedia)  

注2:引用文は、雑誌『サライ』2024年9月号、「国民栄誉賞から「令和」までをしたためた」と題したインタビュー記事」より
注3:『風信帖』は、空海から最澄へあてた手紙


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ことばこそ

  

塚本邦雄(1920.08.07 – 2005.06.09 )の本は、特装版を除いて粗方持っているのだが、彼の秘書代わりを務めていた書肆季節社の政田岑生氏のご逝去後は、署名本の入手が難しくなった。

そのため、この歌集を古書店で購入できたのは、十年後であった。

  書名:第24歌集『約翰傳僞書』(ヨハネでんぎしよ)
  A5判、短歌研究社発行、定価:3,534円(税別)
  印刷発行:2001年3月5日

胸奥の砂上樓閣

見返しの遊び紙に、塚本邦雄の毛筆歌一首と落款

塚本邦夫毛筆署名

次の半透明の遊び紙に、勢いのある毛筆署名

そこひ(底翳、内障)とは、
眼の虹彩(こうさい)に異常がないのに、視力障害(くもり)が生ずる眼病(白内障・緑内障・黒内障など)の俗称である。

今日は、四月一日。エイプリルフール。万愚節。
午前中には、少し悪気のない嘘を言っても許されると言われている。

塚本が、処女句集『水葬物語』から夢見た韻律の楼閣は、この最終歌集『約翰傳僞書』においても、なお辿り着けなかった永遠の高みの彼方に、今も聳え建っているのだろうか。

この一首を思い出すと、天上からも水底からも鐘(カリヨン)の音が響き渡って来る。