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紀のくに

  
1980年(S55)作。

阿部完市(あべかんいち)は、1928年(S3.01.25)生まれの俳人。
本名、與巳(よしみ)。精神科医。
昭和27年より日野草城の「青玄」に投句。
昭和37年、金子兜太に会い「海程」4号より入会。昭和49年「海程」編集長。2009年(H21.02.19)逝去。

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句集『純白諸事』の表紙

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『純白諸事』掲載写真(部分)と自筆サイン

「紀の国」と言えば、紀州和歌山を指しているのは当然だが、「紀の国和歌山」と書くと字面が悪く認識力が落ちるため、「紀のくに和歌山」と「くに」をわざと仮名書にすることがある。

そして、「黃のくに」と読むと、黄色の好きな私には、温州うんしゅうみかんよりやや小さい紀州みかんのイメージが広がり、元禄年間に、みかんを江戸へ船で運び財を成した「紀伊國屋文󠄁左衞門きのくにやぶんざえもん」の話まで思い出される。

また、和歌山県は、古くから「木の国」とも呼ばれ林業が盛んであった。古くは、法隆寺の五重塔やその他の神社仏閣建築への用材として、そして、中世・近世では城閣建築にも紀伊山地の檜や杉が利用されたはずである。

ちなみに、「紀州の川」なら、有吉佐和子の小説では『紀ノ川』となっていたが、誰が考えても和歌山県を流れる一級河川「紀の川」が思い浮かぶに違いない。
さらに、「黃の川」なら、中国の「黄河」や「黄泉(よみ)の国」へも連想が広がる。

「キノクニノヒトトコグナリ」とは、もちろん舟を漕ぐのだろうが、現実の舟やボート、レガッタと言うより、私には夢うつつで漕ぐ空想の舟に思えて仕方がない。人は黄泉還り(蘇り)のために、鬼神や鬼人と共に、あの世からこの世へ川を渡ってきたのかもしれない。

精神科医でもあった阿部完市は、31歳で、LSD25、ガンマ皮下注射をして、その症状を自己観察。同時に俳句を作るという実験も行ったことでも知られている。
幻覚症状下において、言葉ならざる色や光や匂いは、どれほどの空間を歪め、自分の自我や良心の抵抗感を取払い幻覚や幻想を広げたことだろう。

私がある経験者に聞いた話では、映像や聴覚だけでなく、なぜか始終笑いが止まらなかったとも語っていた。しかも、何が可笑しいのか、後から考えても全くその原因には思い至らなかったというのだから不思議である。危険な薬物の乱用には気をつけよう。

句集『純白諸事』には、昭和53年から57年まで、5年間の俳句、300句が収録されている。
そして、後ろに、1980年(S55)の「訪中小記」なる旅行記が転載され、大野林火を団長とした「俳人協会・現代俳句協会の公式訪中団」(21名)に参加したことも記録されている。

短い「あとがき」の全文を引用紹介する。

 「かわらなければ」という思いと、「否、このまま真直ぐゆかねば」という、両方の思いの間でいらいらしたこの四、五年―その期間の三〇〇句。
  
 俳句というものは、奇妙にして妖しい生きもので、芭蕉も、蕪村も、一茶も、虚子も、今の俳人も、それぞれに何となく書かされている――という実感が最近とくにつよい。
  
 私も、そんな一人なのかと、「純白諸事」三〇〇句を調えながら思った。

  

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気温33℃

  書  名:純白諸事(現代俳句の100冊 シリーズ12)
  編  者:阿部完市
  発  行:1982年10月20日(S57)
  発行所 :現代俳句協会

参考:
注1:阿部完市
俳人、精神科医。 東京生まれ。金沢医科大学付属医学専門部卒。1950年より勤務先の病院の俳句グループで作句をはじめる。1951年、日野草城の「青玄」入会、1952年西村白雲郷の「未完」入会、1953年高柳重信の「俳句評論」入会。1962年、金子兜太の「海程」4号より入会、同人。
現代俳句協会では1997年から2008年まで副会長。(Wiki)

注2:LSD(薬物)
リゼルグ酸ジエチルアミドまたはリゼルギン酸ジエチルアミド(英: lysergic acid diethylamide)は、非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤である。
開発時のリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質であったことからLSD-25とも略される。(Wiki)

注2:訪中小記
「俳句研究」昭和55年8月号より転載


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イエス・キリスト

  

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『されど遊星』の箱表紙

前回のタイトルを「翡翠逍遥」としたので、思い立って書棚から塚本の分厚い第十歌集『されど遊星』を紐解き、何枚も色付箋をつけて見たのだが、一番気になったのは上掲の「キリストとイエス」の一首であった。

ちなみに、私は、父が神道、母が仏教、家には神棚が祀られていたが、あまり宗教へのこだわりもなく、「八百万の神や隠れキリシタンが好ましい」とうそぶけば丁度くらいのいい加減さで、臨機応変、その場に合わせて何の神でも仏でも拝んでいる。

従って、子供の頃は、イエス・キリストとは、「イエス」が名前で、「キリスト」が名字の男性で、十字架で磔になって殺された人・・・くらいの捉え方しかしていなかった。

何しろ、『新約聖書』の初めの「マタイによる福音書」の第一章には、

1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図
  
   (中略)
  
16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになった。

現在の日本人であっても、前知識なく読めば、「キリストさんにイエスくんが生まれたそうよ」と、読めてしまうだろう。

塚本邦雄が、いつからこの違いを教えられ気付いたのかは分からない。しかし、「はざまは厳しいのに・・・」と、多くの人の誤解を指摘しようとしている。

この歌集出版の1年前、塚本による現代俳諧頌『百句燦々』(1974年10月11日)が講談社から発行されているが、その第一句目は、石田波郷の句であった。

そして、この句に関する解釈で、塚本は次の様に述べている。

 抱かれるのが厩の嬰兒イエスであれ十字架下ピエタのイエスであれ、抱く者はつねに聖母マリアであつた。この作品の不可解な魅力はまづ抱かれる者の位相の倒錯と抱く者の遁走消滅に由緣する。抱く「キリスト」についても疑問はある。すなはちこれを巷閒言ひ慣はされて來たやうに、ほぼイエスと同義の固有名詞として用ひてゐるのか、本義通り「油注がれたる者、王」といふ普通名詞として用ひてゐるのか、後者ならば作者は基督敎徒もしくはそれに準ずる聖典、敎義の理解者であらうし、句は、人閒イエスならぬメシアそのものに抱かれる法悅を暗示することとならう。(後略)

すなわち、「イエス」とは、「紀元前4年以前に、マリアの処女懐胎により、ユダヤのベツレヘムで生まれ、ガリラヤのナザレで育った者の固有名詞。後に制度化されたユダヤ教を批判。西暦30年頃エルサレムで十字架の刑に処せられ死亡。しかし、死後、復活したと伝えられたナザレのイエス」である。

そして、「キリスト」とは、名字・苗字や家族名(ファミリーネーム)などでは無く、「元来、油を塗られた者の意として、王に与えられた称号。ただし、紀元後1世紀には、この世の終末に現れる救世主(メシア)の意味になった」と理解しなければならない。

歌集『されど遊星』は、殊の外贅沢な歌集で、内容は、1973年(S48)重陽から1975年立春まで、約五百日間に発表した短歌に新作五十首を加えた三百首。これを七篇に再構成して、見開き二首、1ページにはたった一首だけを二行書きの大ポイントで凸版印刷したもので、文字が匂い顕つ花のように並べられている。
左右の短歌を関連付けて読めば、また違った味わいも湧き上がり、何度読み返しても飽きることがない物語が潜んでいる。

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『されど遊星』の見開きページ

さて、黄昏に咲くのは夕顔であるが、昼に咲いた「ひるがほ」が夕方まで咲いていたのを見つけたと短歌ではさらりと言っているが、「あやまちて」が、人にも花にも掛かっているところが塚本風といえよう。また、昼顔は、朝顔ほど大きくも鮮やかでも無く、朝から昼にかけて咲き夕方には萎むところが哀れでもある。

加えて、この歌を作ったころの「ひるがほ」には、カトリーヌ・ドヌーブ主演の映画『昼顔』(1967年)の官能的イメージもあったはずである。

なお、アサガオならば自家受粉でも種子を作るが、ヒルガオは他の株の花粉がなければ種を得られないそうだ。

そして、生物学的には、
  アサガオ(朝顔)は、ナス目ヒルガオ科サツマイモ属アサガオ
  ヒルガオ(昼顔)は、ナス目ヒルガオ科ヒルガオ属ヒルガオ
  ユウガオ(夕顔)は、ウリ目ウリ科ユウガオ属ユウガオ

似ているようでも、夕顔とはかなり別物である。はざまは厳しいと言うべきだろうか。

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『されど遊星』の表紙

『されど遊星』の装幀も、いつものように政田岑生であったが、この表紙挿絵がどこから引用されたのか気になって調べて見た。

イタリアのアレッツォにある「サン・フランチェスコ教会」のバッチ家礼拝堂、ピエロ・デッラ・フランチェスカによるフレスコ画『聖十字架伝説』(1452〜1466年)の右上、天井近くの預言者(エレミア or イザヤ)のイラストらしい。

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預言者「エゼキエル」(左)と 預言者「エレミア」(右)

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サン・フランチェスコ教会の『聖十字架伝説』など

サン・フランチェスコ教会のバッチ家礼拝堂

ただし、右上の預言者が「イザヤ(Isaiah)」か「エレミア(Jeremiah)」かは、美術史家の間でもまだ議論が続いており、画像だけでは特定が難しいとのこと。今はエレミア説が主流らしい。ピエロの時代のイタリア美術では、エレミアが預言者として頻繁に登場し、視覚的伝統が強いとのことだった。
なお、左上は、預言者「エゼキエル」。

私は、313年に、ミラノ勅令で、キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世だと思っていたので、ちょっと残念であった。

  書  名:されど遊星
  編  者:塚本邦雄
  発  行:1975年6月20日(S50)
  発行所 :人文書院
  装  幀:政田岑生(まさだ きしお)

参考:
注1:油を注がれる
祝福として、王や祭司、預言者などの重要な人物を任命する際に、油を塗る儀式が行われていた。

注2:アレッツォのサン・フランチェスコ教会
サンフランチェスコ大聖堂は、イタリアのトスカーナ州アレッツォにある中世後期の教会で、アッシジの聖フランチェスコに捧げられている。
ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)によるフレスコ画『聖十字架の伝説』(Leggenda della Santa Croce)が描かれていることで特に有名。(Wiki)


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地平に立って

  

軽舟主宰(以下、軽舟)の句の中で最も好きな句である。
茶席の本席の床には禅僧の一行物が好まれるが、この俳句が大書された軸を拝見したい。弘法大師・空海の結界、両界曼荼羅の伽藍配置。そして、春月は、太陽系・大宇宙へと遡り、ビッグバン以前の無窮世界へと連想が広がる。
軽舟は「この句を短冊に書くのは気分がよい」と述べている。すらすらと書くさまが見えるようである。俳句を志し、生涯に短冊に書ける句が十句も持てれば幸いであろう。

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自註現代俳句シリーズ 小川軽舟集

さて、『小川軽舟集』のあとがきによれば、「これまで出した句集『近所』『手帖』『呼鈴』『朝晩』『無辺』五冊から六十句ずつ、計三百句を選んで自註を付した」とあった。

三百句と決めた時、五句集から平等に六十句ずつ選べるだ ろうか。常人はその出来栄えを勘案して若書きを減らし、最新句集からが多くなるだろう。軽舟が、律儀に自制心をもって選び終えたことにまず驚きをおぼえた。また、三行書き、 六十六文字以内の自註が実に簡潔。これは、効率的に、合理的に、心情を断ち切る強さが無ければできない。

  霾るや星斗赤爛せしめつつ     昭和六三年
小川軽舟を意識した初巻頭句である。名前が俳号であることはすぐ察知できる。しかし、「軽舟」と自称するなど、かなり年配と思っていたら、びっくりするほど若く、東大法学部卒の俊英と知れば、二度びっくり。俳句で「星斗赤爛」など、よほど語彙が豊富でなければ思いつかないだろう。

芭蕉の「物の見えたる、光いまだ心に消えざる中にいひとむべし」とばかりに、よなぐもりにより北極星や北斗七星が 赤らんで見えるさまを「せしめつつ」と押し込んでくる。
藤田湘子しょうしが漢語を使えと教えた時期と重なるかも知れないが、ただ事ならざる記憶力と造語力の持主に違いない。 

  五分後の地球も青しあめんばう    平成一六年

昭和三十六年、軽舟が生まれた二ヶ月後、人類初の宇宙飛行士ガガーリン少佐が「地球は青かった」の名言を残した。
カラーテレビ普及前、ニュース映像もモノクロだった。はて、この五分後はどこから来たのだろう。地球終焉までの腕時計の五分単位の文字盤だろうか。「あめんばう」は、湘子の「あめんぼと雨とあめんぼと雨と」の句を意識しつつ、あめと地球が響き合う。五分後もその後も、人間世界の終りが来ても、地球は在り続けると信じているに違いない。
彼の視点は宇宙から地球へ降り、一匹の虫たちへも、生死を超えて見届けようとする地平に立っている。

(以上、鷹掲載原稿より抜粋)

小川軽舟集の奥付

注:少し長いため、「縦書原稿全文」をPDF形式で LINKしました。

鷹2025年5月号「地平に立って」p28-29
『自註現代俳句シリーズ 小川軽舟集』書評 縦書原稿


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遺伝子を残す

  

俳句入門書のシリーズの一冊、『鳥獣の一句』の解説部分を引用した。
1月1日から12月31日まで365句。鳥や獣や虫など、生き物に関連した他人の俳句を毎日一句取り上げ、どの句にも実にワクワクさせる解釈を披露していて、ページをめくるごとに心ふるえるひと時をすごすことができる。生き物とその背景(学識、伝説、宇宙感)がほんとに好きなんだな~と感心させられる。

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365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』

もちろん、奥坂まやは俳人であり、DNAの研究者では無いが、これまでに得た知見からストーリーを組み立て、一句の俳句の世界をこれでもかと謂わんばかりに押し広げ、新しい宇宙を感じさせ、なおかつ、俳句作者の頭上に冠を被せ祝福するがごとく賛辞も送っている。

後半を省略した解説の続きを、もう少し披露したいところだが、図書館や古書店、通販(まだ入手可能)で実物の書籍を手に入れ言葉の媚薬を味わってもらいたい。

さて、「4月15日」のページで解説されているこの俳句は何だろう。
つまり、俳句上級者には、一句の解説を読んでから該当俳句思い出すといった遊びにも使える。ヒントは、季語「百千鳥ももちどり」(春)である。
もうひとつヒントは、と問われれば、作者は「飯田龍太いいだりゅうた」である。

答えは、

雌蕊(めしべ)、雄蕊(おしべ)、囃す(はやす)の漢字が読めなかったという人がいるかも知れない。しかし、辞書や電子辞書を引き、慣れるのが一番。

ベランダのブルーベリーの花が咲き始めた。毎年、花の蕾を狙って小鳥がやって来て騒がしいのだが、一雨過ぎたら受粉を手伝ってやろうと思う。

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ブルーベリーの花

  書 名:365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』
  発 行:2014年(S54) 2月4日
  著 者:奥坂まや
  発行所:ふらんす堂

  ブログ記事(ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko)
  LINK:https://fragie.exblog.jp/21389653/


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素十の俳句

  

高野素十(たかのすじゅう)は、1893年(M26.03.03)生まれの男性。
本名、與巳(よしみ)。医師。俳人。
高濱虛子に、大正12年より師事。山口誓子、阿波野青畝、水原秋櫻子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。1976年(S51.10.04)逝去。

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蹴上インクラインの桜

私は、数年前の4月、京都の蹴上インクラインの桜を見に行ったことがある。
石垣に沿って満開の桜並木を見上げながら歩いていると、急に一陣の風が吹き上がり、桜の花びらが宙に舞い、瞬く間に先行く人が見えなくなるほどであった。

その時、この句が思い出され、なるほど「一かたまりの花吹雪」とは、これほど風に乗って飛ばされるものなのかと驚いた記憶がある。

素十の俳句は、ほとんど説明や解説がいらない。見たままを素直に、そのまま飾らず言葉にしている。どこかで、この句は吉野での作と聞いたことがあるが、吉野に限らず日本中、いや世界中どこであっても通用するのではなかろうか。

一句の中には、桜のことしか書かれていない。一物俳句いちぶつはいくの見本のような句である。真似しろと言っても、簡単にできそうで出来ない。究極の俳句とも言えよう。
このような句を、一生かけて一句でも残してみたいものである。

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素十全句集

『素十全句集』は、春1344句、夏1658句、秋1455句、冬・新年1135句の四冊に別れた文庫版サイズ。季節ごとに分かれているので携帯には便利なのだが、すべての季題別索引が「冬・新年」の分冊にしか無いのが残念。
句集の帯に、「俳句の道は、ただ、これ、写生。これ、ただ、写生。」と素十の言葉が輝いている。

  書 名:素十全句集
  発 行:1979年(S54) 12月20日
  著 者:高野素十
  発行所:永田書房