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地平に立って

  

軽舟主宰(以下、軽舟)の句の中で最も好きな句である。
茶席の本席の床には禅僧の一行物が好まれるが、この俳句が大書された軸を拝見したい。弘法大師・空海の結界、両界曼荼羅の伽藍配置。そして、春月は、太陽系・大宇宙へと遡り、ビッグバン以前の無窮世界へと連想が広がる。
軽舟は「この句を短冊に書くのは気分がよい」と述べている。すらすらと書くさまが見えるようである。俳句を志し、生涯に短冊に書ける句が十句も持てれば幸いであろう。

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自註現代俳句シリーズ 小川軽舟集

さて、『小川軽舟集』のあとがきによれば、「これまで出した句集『近所』『手帖』『呼鈴』『朝晩』『無辺』五冊から六十句ずつ、計三百句を選んで自註を付した」とあった。

三百句と決めた時、五句集から平等に六十句ずつ選べるだ ろうか。常人はその出来栄えを勘案して若書きを減らし、最新句集からが多くなるだろう。軽舟が、律儀に自制心をもって選び終えたことにまず驚きをおぼえた。また、三行書き、 六十六文字以内の自註が実に簡潔。これは、効率的に、合理的に、心情を断ち切る強さが無ければできない。

  霾るや星斗赤爛せしめつつ     昭和六三年
小川軽舟を意識した初巻頭句である。名前が俳号であることはすぐ察知できる。しかし、「軽舟」と自称するなど、かなり年配と思っていたら、びっくりするほど若く、東大法学部卒の俊英と知れば、二度びっくり。俳句で「星斗赤爛」など、よほど語彙が豊富でなければ思いつかないだろう。

芭蕉の「物の見えたる、光いまだ心に消えざる中にいひとむべし」とばかりに、よなぐもりにより北極星や北斗七星が 赤らんで見えるさまを「せしめつつ」と押し込んでくる。
藤田湘子しょうしが漢語を使えと教えた時期と重なるかも知れないが、ただ事ならざる記憶力と造語力の持主に違いない。 

  五分後の地球も青しあめんばう    平成一六年

昭和三十六年、軽舟が生まれた二ヶ月後、人類初の宇宙飛行士ガガーリン少佐が「地球は青かった」の名言を残した。
カラーテレビ普及前、ニュース映像もモノクロだった。はて、この五分後はどこから来たのだろう。地球終焉までの腕時計の五分単位の文字盤だろうか。「あめんばう」は、湘子の「あめんぼと雨とあめんぼと雨と」の句を意識しつつ、あめと地球が響き合う。五分後もその後も、人間世界の終りが来ても、地球は在り続けると信じているに違いない。
彼の視点は宇宙から地球へ降り、一匹の虫たちへも、生死を超えて見届けようとする地平に立っている。

(以上、鷹掲載原稿より抜粋)

小川軽舟集の奥付

注:少し長いため、「縦書原稿全文」をPDF形式で LINKしました。

鷹2025年5月号「地平に立って」p28-29
『自註現代俳句シリーズ 小川軽舟集』書評 縦書原稿


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遺伝子を残す

  

俳句入門書のシリーズの一冊、『鳥獣の一句』の解説部分を引用した。
1月1日から12月31日まで365句。鳥や獣や虫など、生き物に関連した他人の俳句を毎日一句取り上げ、どの句にも実にワクワクさせる解釈を披露していて、ページをめくるごとに心ふるえるひと時をすごすことができる。生き物とその背景(学識、伝説、宇宙感)がほんとに好きなんだな~と感心させられる。

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365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』

もちろん、奥坂まやは俳人であり、DNAの研究者では無いが、これまでに得た知見からストーリーを組み立て、一句の俳句の世界をこれでもかと謂わんばかりに押し広げ、新しい宇宙を感じさせ、なおかつ、俳句作者の頭上に冠を被せ祝福するがごとく賛辞も送っている。

後半を省略した解説の続きを、もう少し披露したいところだが、図書館や古書店、通販(まだ入手可能)で実物の書籍を手に入れ言葉の媚薬を味わってもらいたい。

さて、「4月15日」のページで解説されているこの俳句は何だろう。
つまり、俳句上級者には、一句の解説を読んでから該当俳句思い出すといった遊びにも使える。ヒントは、季語「百千鳥ももちどり」(春)である。
もうひとつヒントは、と問われれば、作者は「飯田龍太いいだりゅうた」である。

答えは、

雌蕊(めしべ)、雄蕊(おしべ)、囃す(はやす)の漢字が読めなかったという人がいるかも知れない。しかし、辞書や電子辞書を引き、慣れるのが一番。

ベランダのブルーベリーの花が咲き始めた。毎年、花の蕾を狙って小鳥がやって来て騒がしいのだが、一雨過ぎたら受粉を手伝ってやろうと思う。

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ブルーベリーの花

  書 名:365日入門シリーズ⑧ 『鳥獣の一句』
  発 行:2014年(S54) 2月4日
  著 者:奥坂まや
  発行所:ふらんす堂

  ブログ記事(ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko)
  LINK:https://fragie.exblog.jp/21389653/


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素十の俳句

  

高野素十(たかのすじゅう)は、1893年(M26.03.03)生まれの男性。
本名、與巳(よしみ)。医師。俳人。
高濱虛子に、大正12年より師事。山口誓子、阿波野青畝、水原秋櫻子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。1976年(S51.10.04)逝去。

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蹴上インクラインの桜

私は、数年前の4月、京都の蹴上インクラインの桜を見に行ったことがある。
石垣に沿って満開の桜並木を見上げながら歩いていると、急に一陣の風が吹き上がり、桜の花びらが宙に舞い、瞬く間に先行く人が見えなくなるほどであった。

その時、この句が思い出され、なるほど「一かたまりの花吹雪」とは、これほど風に乗って飛ばされるものなのかと驚いた記憶がある。

素十の俳句は、ほとんど説明や解説がいらない。見たままを素直に、そのまま飾らず言葉にしている。どこかで、この句は吉野での作と聞いたことがあるが、吉野に限らず日本中、いや世界中どこであっても通用するのではなかろうか。

一句の中には、桜のことしか書かれていない。一物俳句いちぶつはいくの見本のような句である。真似しろと言っても、簡単にできそうで出来ない。究極の俳句とも言えよう。
このような句を、一生かけて一句でも残してみたいものである。

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素十全句集

『素十全句集』は、春1344句、夏1658句、秋1455句、冬・新年1135句の四冊に別れた文庫版サイズ。季節ごとに分かれているので携帯には便利なのだが、すべての季題別索引が「冬・新年」の分冊にしか無いのが残念。
句集の帯に、「俳句の道は、ただ、これ、写生。これ、ただ、写生。」と素十の言葉が輝いている。

  書 名:素十全句集
  発 行:1979年(S54) 12月20日
  著 者:高野素十
  発行所:永田書房


ドラゴンボール

  

著者は、1986年(S61)生まれの女性。
現在「鷹俳句会」同人。2021年「鷹新人賞」受賞。俳人協会会員。
あとがきによれば、2002(H14)年から、高校の部活動で句作開始とあった。

漫画のドラゴンボールでは無いが、古来、彫刻・絵画に好んで描かれる龍には、パワーを秘めた宝珠を持つものがいた。とりわけ五爪龍天珠が最も尊く、中国皇帝の象徴のようなもの。しかも、その宝珠を手放し、我欲・執着を捨てなければ解脱できないとも教えられている。

掲句は、「龍の玉」ならぬ「竜の卵」。人間の記憶遺伝子に刻み込まれた「恐竜の卵」のイメージも浮かび上がる。

そして、下五には「拾ひけり」と自分の動きが示されている。しかし、竜ならば駝鳥の卵よりは何十倍も大きく目方もあるはず。一瞬、そんなものが軽々と簡単に持ち上がるのかと心配になったが、夢なら許そう。

年頃の女性が「竜の卵」を夢に見たなら、「龍や馬」が体内に飛び込む如く、開運の天子を授かるのかもしれない。

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初夢に・・・ 佐緒理

俳句は縦書でなければ・・・と思うのだが、
WordPressのブログでは、色々な制約があって難しい。
ルビさえも、ブロックごとに、いちいちHTMLエディター形式に切替えて編集と聞けば、思考が中断するので躊躇ちゅうちょする。従って、必要最少限で利用している。
もっと手軽に使える「縦書き専用無料ブログ」があればいいのに・・・と、いつも思う。

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竹岡佐緒理句集『帰る場所』

竹岡佐緒理句集『帰る場所』より、好みの俳句を抜粋する。

句集の裏表紙の帯には、作者の自選十句も発表されていた。
しかし、私の選とは一句しか重なっていなかった。

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竹岡佐緒理句集『帰る場所』 自選十句

  書 名:帰る場所 竹岡佐緒理句集
  発 行:2025年 1月21日 初版発行
  著 者:竹岡佐緒理
  発行所:ふらんす堂


愛すべき存在

  

1991年、ふらんす堂より発行された永田耕衣句集『生死』を持っている。

これは、1934年(昭和 9)晩秋刊行の処女句集『加古』から、1988年(昭63年)刊行の第11句集『人生』までの中から380句を厳選した選句集である。

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生死:永田耕衣句集

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購入時の紀伊国屋書店カバー

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永田耕衣の署名

そして、この11頁に第3句集『吹毛集』から引用の上掲句が印刷されている。従って、作句は1953年(昭和28)頃のはずである。

四国に住んでいるため、古い映画やテレビで「雁の渡り」の映像を見た記憶はあるが、近所の河川や池で毎年鴨を見ていても、未だに実際に飛ぶ雁の姿は見たことがない。

学術分類では、白鳥も雁も鴨も「カモ目カモ科」でかなり似ているが、その大きさや姿、形はかなり違っている。そして、江戸時代には全国的に見られた鳥さえも、明治以降の乱獲により急激にその数を減らしていった。
雁(かり、がん)は、「雁行」(がんこう)や「雁の竿」(かりのさお)と呼んで先頭の一羽に連なってV字型の列を作って飛ぶ習性がある。

日本では、雁は北(カムチャツカ半島方面)から9月、10月頃に渡って来るので、秋の季語になっている。
この句では、今度は、北へ帰ろうとする「春の雁」である。
北を目指し、高く高く舞い上がりつつ編隊を組もうとした時、その中の一羽がこともあろうに「脇見」してしまったと言うのだ。
面白い、実に面白い。人間の世界にも、こんな輩が必ずいる。普段から面倒な奴なのだが、なぜか許されてしまうような愛すべき存在なのだ。

本来、誰もが真面目に働き、動こうとする時、すべてが同じ動きをするとアクシデントがあると全滅してしまう。それを防ごうとするような自然の摂理なのかも知れないが、普通は心に秘めて実行できない「脇見」の危なさと好奇心と余裕。まさに俳人の目指すべき本能(基本的欲求)の世界なのかもしれない。

  書 名:生死 永田耕衣句集
  発 行:1991年3月25日
  著 者:永田耕衣(Koi Nagata)
  発行所:ふらんす堂