言葉」カテゴリーアーカイブ

胸打たざりき

  

自宅に「聖書」が何冊あるのか数えたことも無かったが、いつも机の引き出しに入れていたのは、下の2冊である。

Bibles20250504a.jpg

新約聖書と舊新約聖書(日本聖書協会発行)

『新約聖書』は、英語の必要から高校1年の時。そして、『舊新約聖書』は、俳句を始めた頃に旧仮名遣いの参考にしようと購入した。
キリスト教徒でもなく、参考書程度の範囲で利用しているに過ぎない。

今でも、何か調べたい言葉があると取り出し、両方を比べ、それでも分からなければ違う聖書、またはPCに入れてある「Bible Study.app」に語句を入れ、納得するまで何時間も何日も考え込んだりしている。

しかし、自分の蔵書を探すのが一番疲れる。確かに持っているはずなのだが、どこかに仕舞い込んでしまい、その所在が分からない。書棚にあふれ、大小の箱に入れたり、最悪はレンタル倉庫に何十年も仕舞い込んでいるのだから、わざわざ取り出すのは至難の業と半ばであきらめたりする。
(原稿を書くより、引用文献からそのページを注釈する作業等)

16 “But to what shall I compare this generation? It is like children sitting in the market places and calling to their playmates,
17 ‘We piped to you, and you did not dance;
we wailed, and you did not mourn.’
  (MATTHEW 11:16-17)

16 しかし、この時代を何にたとえようか。それは、広場に座って遊び仲間に呼びかける子供たちのようだ。
17 「私たちが笛を吹いても、あなたたちは踊らず、私たちが泣き叫んでも、あなたたちは嘆かなかった。」
  『新約聖書:マタイによる福音書 11:16-17 』

But whereunto shall I liken this generation? It is like unto children sitting in the markets, and calling unto their fellows, And saying, We have piped unto you, and ye have not danced; we have mourned unto you, and ye have not lamented.
  (Bibles:King James Version、Mat 11:16-17 KJV)

しかし、この世代を何にたとえようか。それは、市場に座って仲間に呼びかけながら、「私たちは笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。私たちは嘆き悲しんだのに、嘆いてくれなかった」と言う子供たちのようだ。
  (聖書:欽定訳聖書、マタイによる福音書 11:16-17 KJV)

そんな訳で、今や図書館で借りたり、インターネットで再購入するほうが効率的とも思えるのだが、読んだ記憶箇所があいまいだと、折角の言葉が宙を彷徨い途方に暮れるのである。

夜中に、「汝らのために笛を吹きたれど汝ら踊らず」、と思い浮かんだ時、あれは芥川龍之介、はたまた「毎日新聞」だったか、塚本邦雄の『けさひらく言葉』だったか、たしか・・・?

そこからが大変で、延々と妄想が始まる。イエスの言葉だったとしても、どんな場面だったかの記憶はかなり曖昧で、自分の探している情景との一致が得られなければ、また元の木阿弥なのだから。

パレスチナのガザ地区の230万人の命は、ますます深刻化している。イスラエルの為政者や軍人を支持し続ける人々は、これからもさらに傍観し続けるのだろうか。

注:日本聖書協会
https://www.bible.or.jp/


saten_logo80s.jpg

筆文字と手紙

  

学校で墨を磨って字を習ったのは、小学校や中学校の国語の時間だった。それ以来、ほとんど自己流なので、褒められるような字は書けない。
弟が小さな書道教室に通い、何級・何段かもらっていたはずだが、あまり気にすることもなく、確かに字が上手ければいいが、そこまで努力しようとも思わなかった。

空海(弘法大師)の『風信帖ふうしんじょう』部分

「字の上手い下手は関係ありません。」と言ってくれると嬉しくなるが、流石に自筆の手紙を出そうとすると躊躇してしまい、礼状さえおろそかにしてきた。

字の良し悪しに気付いたのは、季刊『銀花』(文化出版局)の何号だったか、塚本邦雄の「芒彩集」特集で、散らし書きの現代短歌を見たときだった。あまりにも達筆すぎて、筆文字だけでは読めなかったが、印刷文字が添えられており何とか判読することができた。
このときばかりは、読めなくても上手い字ってあるもんなんだな~、とつくづく感心させられてしまった。私にとっては、絵を見るように頭の中にその筆跡が浸透して来るようで、背中がぞくぞくしたのを覚えている。

「高野切第三種」なる言葉も、このとき初めて知ったような有り様だった。

茂住 菁邨(もずみ せいそん)は、昭和31年生まれの書家。大学卒業後、内閣府に入府後、辞令専門官(国家公務員)と成り、令和3年に退官するまで41年間、勤めたとサライに記されていた。

Kankijirei20250423a.jpg

官記辞令の見本。辞令専門官の筆文字。

昔の能書家・能筆のように、内閣府の人事課に勤務して、毛筆で公文書を書くのが業務だったとのことだが、いつまでそんな役割の人が存在できるのか、未来社会を想像するとかなり怪しくなってしまう。

しかし、AI搭載ロボットに置き換えられず、気品が有り、正確で読みやすく、人間らしく味のある文字を書き続けてもらいたい。

注1:高野切について(Wikipedia)  

注2:引用文は、雑誌『サライ』2024年9月号、「国民栄誉賞から「令和」までをしたためた」と題したインタビュー記事」より
注3:『風信帖』は、空海から最澄へあてた手紙


saten_logo80s.jpg

モネの藤

  

橋本麻里はしもとまりについては、週刊文春に記載された肩書の金沢工業大学客員教授よりもWikiの「日本のライター、編集者」のほうが相応しいと思う。これまでにも、いろんな雑誌や書籍の文章に注目してきた。

今回は、『週刊文春』連載の「東洋美術逍遥・80」において、《モネと円山応挙、それぞれの「藤」》と題して、印象派のモネの展覧会(京都展)での気付きについて考察していた。

Hashimoto20250417.jpg

『週刊文春』の「東洋美術逍遥・80」部分(2025年4月17日号)

私も、モネの「睡蓮」の絵画をこれまでに何作も見てきたが、「藤」と名付けられた作品が2点来ていたとは知らなかった。橋本の記事を読み、改めて調べて見ると、

日テレ制作の開催案内『モネ 睡蓮のとき』「第2章、水と花々の装飾」において、
マルモッタン・モネ美術館から来訪の習作「藤」(no.6、no.7)の画像も知ることができた。制作は1919-1920頃、油彩、100x300cm。実に横長で大きい。

モネの習作 no.6「藤」と日テレ解説を引用

しかし、この2点から、円山応挙の《藤花図》屏風を連想するところが、橋本麻里の視点の面白さでもある。やや強引に「東洋美術」に結びつけようとしたのかも知れないが、画風や藤の枝振りは全く違う。円山応挙の《藤花図》は、もっと大胆な構図でより装飾的であり、視力の衰えたモネよりも鮮明に細部まで描かれている。

それでも、睡蓮の上部に垂れ下がった藤の空間をイメージできたとしたら、まさにモネが晩年を過ごした自邸の「ジヴェルニーの庭」にかかった緑の太鼓橋(Japanese Bridge)の藤棚を思い出せるだろう。

実は、高知県東部にも「モネの庭」と名付けられた施設が2000年4月にオープン。本家「ジヴェルニーの庭」を模した造園整備を行い、すでに、25年周年を迎えている。
なお、庭の名称は、開園前にフランス本国のアルノー・ドートリヴ氏より『 Jardin de Monet Marmottan au Village de Kitagawa(和訳名:北川村「モネの庭」マルモッタン)』として使用許可も得ている。

https://www.kjmonet.jp

Monet20250417a.jpg

北川村「モネの庭」の睡蓮と太鼓橋

北川村「モネの庭」の藤棚

一晩、寝返りを打ちながらモネの「藤」についてあれこれ考えていると、急に正岡子規の『墨汁一滴』の短歌が思い出された。新聞「日本」に連載された随筆の4月28日(1901年)の記事中、子規の亡くなる1年半ほど前のものであった。

かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり  子規

  書 名:『週刊文春』
  発 行:2025年4月17日
  発 売:2025年4月10日
  発行所:文藝春秋

注:橋本麻里/1972年、神奈川県生まれ。
  金沢工業大学客員教授。最新刊『かざる日本』(2021.12)が好評発売中。


saten_logo80s.jpg

湘子の考え

  

4月15日は、俳人・藤田湘子の命日である。

25年間も師事した我が身、少しでも多くの人に日本語や俳句を愛した湘子の考えを理解してもらえればと願う。

そこで思いついて、古い俳句雑誌『鷹』を取り出し、逝去前後の記事を探してみた。毎月5日発行(会員には10日前に届く)の鷹誌には、湘子主宰の「新作俳句12句」、連載エッセイ「句帳の余白」、湘子選「推薦30句」、選評「秀句の風景」、編集室の「コラム」が定位置になっている。

Taka20250415a.jpg

『鷹』の表紙(2005年4月号)

この中で、連載エッセイは、昭和61年から平成13年末までの約200篇の中から81篇を自選して、『句帳の余白』の題名で、すでに角川書店から出版されている。

しかし、それ以後のエッセイについては、まとめた本が無く、鷹会員や贈呈された者でなければ目に触れる機会さえ無かったはずである。

故人の著作権は、ご遺族にあると承知しているが、逝去2ヶ月前に書いたと思われる最期のエッセイから、先師の人となりを想像してもらいたい。

Taka20250415b.jpg

『鷹』の「句帳の余白」(2005年4月号)
(画像は、クリックすると拡大します)

若者には古いと言われるかも知れないが、やはり歌手の歌唱力以前に、詩に曲を付けるときも、曲に歌詞を付けるときも、美しい日本語の発音を無視しないでもらいたいと思う。テレビ画面の文字の多さにも辟易するが、歌詞が出なければ何と歌っているのかさえ分からないようでは、あまりにも惨めである。

無闇に流されるBGMを反省して、ラジオから流れてくる音や曲、歌声に耳をそばだてたくなるような、そんな生活を送りたいと思う。

  書 名:鷹 
  発行人:藤田湘子
  発 行:平成17年4月5日(2005年)
  発行所:鷹俳句会

注:藤田 湘子しょうし(男性、1926.01.11 – 2005.04.15)は日本の俳人。水原秋櫻子しゅうおうしに師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。


saten_logo80s.jpg

 

音と音楽

  

それが、作曲家・信時潔のぶとき きよし(1887-1965)の信条で有り、神父の子としてプロテスタントの讃美歌で育った者の「理想の音楽」であったと著者・片山は考えた。

信時について調べれば、東京音楽学校本科の作曲部の創設に尽力し、本科作曲部新設と同時に、自身は教授を辞し講師となったとWeb『信時潔研究ガイド』に書かれていた。

Katayama20250414a.jpg

『歴史は予言する』(表紙部分)

Katayama20250414b.jpg

『歴史は予言する』(裏表紙部分)

『歴史は予言する』は、週刊新潮連載の「夏裘冬扇」をまとめた一冊。引用部分は、2023/04/20付の初出タイトル「”キメラ”としての坂本龍一」より。

片山杜夫は、”教授の系譜”として、音楽家・坂本龍一の師系を並べ教示してくれた。信時潔(のぶとき きよし)――>下総皖一(しもふさ かんいち)――>松本民之助(まつもと たみのすけ)――>坂本龍一、であると。

ところが、信時も下総も交響曲やオペラも作らず、『海ゆかば』や『たなばたさま』のようなシンプルな歌が彼らの真の代表作だったと。

つまり、現代音楽のシェーンベルクやメシアンの十二音技法(セリー技法、主音がなく平均律の半音階12音をすべて平等に扱う)では考えられないような話だが、日本の民謡や伝統音楽は五つの音から成る音階が基本になっているものが多い。

ピアノを鳴らせば分かりやすいのだが、西洋音楽では、長音階(ドレミファソラシ)や短音階(ラシドレミファソ#)といった七つの音から成る「七音音階」が基本なのに対して、明治維新までの日本音楽では、民謡音階(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節みやこぶし音階(レミ♭ソラシ♭)、琉球音階(レファ#ソラド#)などのように、「五音音階」が基本になっていたと言われている。

たとえば、「ドレミファソラシ」の音に「一二三四五六七」を対応させ、「ヒフミヨイムナ」と数えた時、「ファ・シ」すなわち「ヨ・ナ」の音が無かった日本独自の「ヨナ抜き音階」の世界が現れる。

シンガーソングライターの谷村新司が作詞、作曲した『昴』(1980年)にも、偶然この「ヨナ抜き音階」が使われてヒットしたと聞いたことがある。それだけ、日本人にとっては違和感なく受け入れられやすい音階だともいえよう。

現代音楽の十二音技法は、理論的には面白くても、やはり「人の魂に素朴に触れる」音楽として、私たちの耳にはまだまだ聞こえないのかもしれない。

  書 名:歴史は予言する
  著者:片山杜秀
  発 行:2023年(R5) 12月20日
  発行所:新潮社(新潮新書1021)


saten_logo80s.jpg

全力否定

  

KADOKAWAの雑誌『短歌』2025年3月号、特集「高校生短歌はいま」より引用。今回、全国高校文芸部にアンケート調査を行い、35校の回答を掲載とのこと。各校3首ずつ、つまり105首の中から、私が最も心惹かれたのは、畠山慎平の「飛び込んで」であった。

Tanka20250412.jpg

『短歌』3月号(表紙部分)

ちなみに、作者は宮城県気仙沼高等学校 文芸部部長。

この一首から、スポーツの高飛び込みというより、一般的な水泳競技のスタートを思い浮かべたが、私は水泳が苦手である。それでも、飛び込んだ瞬間の勢いや自分の身体を押し返そうとしてくる水の圧力、透明感、スピード、水泡の動きが眼に見えるようで充分満足できた。

「私を全力で否定してくる」のは、水圧ばかりではなく、自分の通う学校、社会、世界にも通じるものであり、「水泡」が輝けば輝くほど抵抗は大きくなるのだが、それらもまた飛び込んで体験しなければ、如何ほどのものか身を持って感じることもできないのである。

声を出して読み上げれば、二度繰り返される「で」が無ければとやや気になったのだが、それでも今の高校生短歌として残しておきたい。
そして、最近多くなった「全力否定」も、こんな使い方なら面白い。

枝垂桜

染井吉野はもう見頃を過ぎたが、枝垂桜は今しばらく咲いている。

  書 名:総合雑誌『短歌』3月号
  発 行:2025年(R7) 2月25日
  編集人:北田智広
  発行所:角川文化振興財団
  販 売:KADOKAWA


saten_logo80s.jpg