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ヤマザキマリ『ベレン』



  

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雑誌 ku:nel 2025年 7月号表紙

少し前に気になって書き留めたヤマザキマリの言葉。
捨てられなくて、何度か書き換えて、やっぱり残しておきたい。

ヤマザキマリは、映画『テルマエ・ロマエ』の原作者。
漫画家、画家、文筆家、大学客員教授でもある。
また、最近はテレビでも見かけることが多くなった。

マガジンハウス発行の雑誌クウネルは、どこかで読んだもの。

「なぜ人間は、自分たちの価値観で捉えた死を動物にも押し付けてしまうのか。」

と、聞かれると、瞬時には答えられない。

続いて、

「衰弱は、そして死は、それほどまで回避しなければならないことなのか。」

と、問われると、人や場面によって変わるだろうし・・・一概に決められるものではないことも解っている。
しかし、ヤマザキの言いたいことにも納得できるところが多く、誰もが共感してそう思っているに違いない。

文章は続く、

「愛情のようにみせかけておきながら、実は飼い主の都合の良さを優先した、自己勝手な解釈の強制ではないのか。人と関わらず生きている野生の生き物たちはみな潔く死を迎えているのに、ペットはそれが許されない。そういえば、これと同じことを、晩年の、意識がないまま点滴だけで延命していた母にも感じたことがあった。」

「ベレン」とは、作者の年老いた飼い猫の名前である。
齢い15歳、ポルトガル生まれで、シカゴでも同居し、イタリアから東京の仕事場へと連れてきた”ツンデレのオバサン猫”でもあり、相棒でもあったそうだ。

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雑誌 ku:nel 2026/7月号 掲載『ベレン』部分

ベレンは「あなたはなぜ、あるがままに私を弱らせてくれないの」とでも訴えんばかりに私から離れていった。

まさに、禅寺で長年修行してきて、やっとたどり着けるような境地に、老年の動物たちはなっているのかも知れない。

寝たきりになった母の鼻から管を差し込み、気道の痰を採る痛みを毎日与え続けることに、私も後悔ばかりしていた。

生きることの喜びと苦しみ、悲しみと怒り。平凡でも、より良く食べ、寝て、健康であるありがたさに感謝できる光ある毎日を願わずにはいられない。

雑誌名の「ku:nel (クウネル)」にも、そんな思いが込められているのだろう。

ヤマザキマリは、最後に、

 「散々自分を責めたあとに残ったのは、悲しみや喪失感よりも、彼女と出会えたことへの静かな幸福感だった。」

と、読者を不安のどん底に置き去りにせず、誰にでもある出会いの貴さを伝え、もう少し楽に、ナニモノにも縛られず、生きていいのだと伝えてくれた。

ベレンが、いつまでも安らかな夢を見られますように。

  

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2025.9.26 AM 9:16 気温27℃

  書  名:雑誌 ku:nel (クウネル) 2025年 7月号 掲載
       『ベレン』(わたしの扉の向こう側)49
  著  者:ヤマザキマリ
  発  行:2025年5月20日(R7)
  発行所 :マガジンハウス

参考:
注1:ヤマザキマリ
ヤマザキ マリ(1967年4月20日 – )は、日本の漫画家、随筆家、画家。
東京造形大学客員教授。日本女子大学特別招聘教授。
海外暮らしが長く、現在はイタリア在住。(Wiki)


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漆黒のサングラス

 

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句集『流砂』の函と帯

ギリシャ神話に登場する西風の神ゼフュロスに吹かれ、海の泡からうまれたヴィーナスは、恥じらいながら帆立貝の貝殻に乗ってキプロス島に上陸したという。

同じ二枚貝の一種である「月日貝」は、ほぼ円形で手の平サイズ。上下に開き、その殻の色彩には際立った特徴がある。

もちろん、水を噴射して泳ぐのも得意だが、細砂の海底に棲息し、底に接する面の貝殻は仄白く(アイボリー調)、もう一面の貝殻は赤褐色である。まさに裏が月、表が太陽(日)に見えるところから「ツキヒガイ」と名付けられた。

鹿児島なら9月から漁が解禁され、次年の3月末まで漁と出荷が続けられる。北陸では漁期も違うだろうし、俳句の季語としては、秋と言うべきか、冬と言うべきか、まだ定かではない。

しかし、掲句では、なぜか春を待つ大寒の頃に思える。
人を憶うとは、それほど厳しくせつないものなのだ。

作者、光部美千代(こうべ みちよ)は、1957年(S.32)福井市生まれ。
7歳からバイオリンを習い、信州大学人文学部卒。
学生オーケストラや市民交響楽団などに所属していたようだ。

1991年 「鷹」入会、主宰、藤田湘子
1993年  第21回 鷹新人賞 受賞
1995年  第30回 鷹俳句賞 受賞
2002年  句集『色無限』(朝日新聞社)上梓

鷹俳句会の誌上への登場は目覚ましく、入会後、瞬く間に新人賞、鷹俳句賞を受賞して脚光を浴び、私達の心に残る作品を発表してきた。

1992年(H4.9) とどまるは穢るるごとし草いきれ 美千代
1994年(H6.8) 日本に目借時ありセナ爆死    美千代

言葉や感覚の厳しさから、かなりの潔癖症と思っていたのだが、会ってみるとそれほどでもなく、言葉を選びながらたどたどしく会話したような記憶や笑顔がチャーミングだった印象も残っている。

ただ、その当時、鷹に福井県から投句する作者がいなかったせいで、新年会や同人総会で会っても、群れを作らない孤高の存在ではあった。

2000年7月に、鷹全国大会四国地区松山が開催された翌日の吟行会で、漆黒のサングラス姿で、たった一人真正面を向いて歩いている姿を見た時は、声を掛けるのも何だか憚られ、連衆を必要とする俳句とは言え、創作活動にはそれなりの厳しさが必要なのだと思い知らされた。

大病により鷹退会後、2011年「汀」入会
2012年(H24.05.18)永眠

処女句集『色無限』につぐ、第二句集『流砂』は、光部美千代の死後、ご遺族の意思により、「汀」主宰の井上弘美や仲間達によって纏められ、2013年に出版された。

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句集『流砂』の函と表紙

  

『流砂』の帯文は、鷹主宰の小川軽舟。

もう会えないと思っていた光部さんにこの句集でまた会うことができた。
その喜びで私の胸はいっぱいだ。
 風花やいづこまで夢運ばるる  美千代
病気を理由に「鷹」を離れた光部さんの夢は生まれたての「汀」に運ばれて最後の花を咲かせていた。藤田湘子に見出されたその天稟が惜しみなく薫るなつかしい句集である。   小川軽舟

句集『流砂』より、私の印象に残る句を書き写しておく。

Ⅰ 桐の花  (鷹時代、 2000年、H12秋以降)
亡き星の光さしこむ蝸牛      H14鷹7月号
死に余りたりかなぶんのうしろ羽  H14鷹11月号
隣る世の音もまじりて滝落つる   H15鷹9月号
十六夜の男の影を踏みにけり    H16鷹1月号

Ⅱ 紫雲英  (鷹時代)
狂ひしにあらねど薔薇のサラダかな H16.8/9合併号
妻よりもさびしき鮎の落ちにけり  H16.12月号
ふらここは静止僕らはもうゐない  H17.5/6合併号
春眠の覚め際痛きひとりかな
春潮は胸の高さや逢ひたかり
緑さす吾子生誕日師逝けり

Ⅲ 藤    (鷹時代)
億年といふ骨片のあたたかし
まつすぐにひとを憶へり月日貝
豊年や火傷しさうなオートバイ
降る雪や人界にあるけもの径

Ⅳ さくら  (鷹時代、最後はH24年3月まで)
わが反旗夏シャツに腕通したる
椅子の背に崩れし上着鳥渡る
背筋叩きて卒業の立姿
菜の花や人になつく子さみしい子
ちちろ鳴く棚にこどものバイオリン

Ⅴ 椿    (制作年不明、春と夏の句)
春寒し夢の覚め際痛くあり
ゆつくりと春塵の降る海の底
今生もしだれざくらの端にをり
うつし世に我を佇たしめ花ふぶく
母に貸す本選びをり麦の秋

Ⅵ 冬薔薇  (制作年不明、秋と冬の句)
雪起こし天命未だ生かされて
しばらくは我を容れざる初景色
冬霧の中を日の行く訣れかな

Ⅶ 桃の花  (汀、掲載句)
秋の蝶ブレーキゆるく踏みにけり
鳥渡る流砂の研げるガラス片
吊革に釣瓶落しの手首あり
炭火美し命削りし秘中の秘
宙に寝る夢のつづきを鞦韆に
口中に氷噛み砕く春のくれ
野を焼きて明日疑ふこともなく

心に残る「跋文」は、汀主宰の井上弘美がしたためている。
機会あれば句集を手にとって読んで頂きたい。

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『流砂』最期の俳句と跋文の書出し

        跋
 
  鳥渡る流砂の研げるガラス片
  
(書出し省略)
美千代さんは湘子先生が亡くなられた後、大病を患って「鷹」を退会。福井で仲間とともに俳句を続けていたのだが、作品発表の場を持たない美千代さんを励ましたいと、ある方が紹介してくださったのだった。「汀」創刊の直前のことである。(以下、省略)

  

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気温30℃

  書  名:句集 流砂 りゅうさ
  著  者:光部美千代
  発  行:2013年5月17日(H25) 初版発行
  発行所 :ふらんす堂
  装  幀:君嶋真理子

参考:
注1:光部美千代句集『流砂』(りゅうさ)
https://furansudo.ocnk.net/product/1911
https://fragie.exblog.jp/19791386/

注2:井上弘美
井上 弘美(いのうえ ひろみ、1953年5月26日 – )は、俳人。 人物・来歴. 編集 · 京都府生まれ。1984年関戸靖子に師事。1988年「泉」入会、綾部仁喜に師事。2012年「汀」創刊主宰(Wiki)


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