日別アーカイブ: 2025-08-18

紀のくに

  
1980年(S55)作。

阿部完市(あべかんいち)は、1928年(S3.01.25)生まれの俳人。
本名、與巳(よしみ)。精神科医。
昭和27年より日野草城の「青玄」に投句。
昭和37年、金子兜太に会い「海程」4号より入会。昭和49年「海程」編集長。2009年(H21.02.19)逝去。

Kanichi20250818a.jpg

句集『純白諸事』の表紙

Kanichi20250818b.jpg

『純白諸事』掲載写真(部分)と自筆サイン

「紀の国」と言えば、紀州和歌山を指しているのは当然だが、「紀の国和歌山」と書くと字面が悪く認識力が落ちるため、「紀のくに和歌山」と「くに」をわざと仮名書にすることがある。

そして、「黃のくに」と読むと、黄色の好きな私には、温州うんしゅうみかんよりやや小さい紀州みかんのイメージが広がり、元禄年間に、みかんを江戸へ船で運び財を成した「紀伊國屋文󠄁左衞門きのくにやぶんざえもん」の話まで思い出される。

また、和歌山県は、古くから「木の国」とも呼ばれ林業が盛んであった。古くは、法隆寺の五重塔やその他の神社仏閣建築への用材として、そして、中世・近世では城閣建築にも紀伊山地の檜や杉が利用されたはずである。

ちなみに、「紀州の川」なら、有吉佐和子の小説では『紀ノ川』となっていたが、誰が考えても和歌山県を流れる一級河川「紀の川」が思い浮かぶに違いない。
さらに、「黃の川」なら、中国の「黄河」や「黄泉(よみ)の国」へも連想が広がる。

「キノクニノヒトトコグナリ」とは、もちろん舟を漕ぐのだろうが、現実の舟やボート、レガッタと言うより、私には夢うつつで漕ぐ空想の舟に思えて仕方がない。人は黄泉還り(蘇り)のために、鬼神や鬼人と共に、あの世からこの世へ川を渡ってきたのかもしれない。

精神科医でもあった阿部完市は、31歳で、LSD25、ガンマ皮下注射をして、その症状を自己観察。同時に俳句を作るという実験も行ったことでも知られている。
幻覚症状下において、言葉ならざる色や光や匂いは、どれほどの空間を歪め、自分の自我や良心の抵抗感を取払い幻覚や幻想を広げたことだろう。

私がある経験者に聞いた話では、映像や聴覚だけでなく、なぜか始終笑いが止まらなかったとも語っていた。しかも、何が可笑しいのか、後から考えても全くその原因には思い至らなかったというのだから不思議である。危険な薬物の乱用には気をつけよう。

句集『純白諸事』には、昭和53年から57年まで、5年間の俳句、300句が収録されている。
そして、後ろに、1980年(S55)の「訪中小記」なる旅行記が転載され、大野林火を団長とした「俳人協会・現代俳句協会の公式訪中団」(21名)に参加したことも記録されている。

短い「あとがき」の全文を引用紹介する。

 「かわらなければ」という思いと、「否、このまま真直ぐゆかねば」という、両方の思いの間でいらいらしたこの四、五年―その期間の三〇〇句。
  
 俳句というものは、奇妙にして妖しい生きもので、芭蕉も、蕪村も、一茶も、虚子も、今の俳人も、それぞれに何となく書かされている――という実感が最近とくにつよい。
  
 私も、そんな一人なのかと、「純白諸事」三〇〇句を調えながら思った。

  

P20250818t.jpg

気温33℃

  書  名:純白諸事(現代俳句の100冊 シリーズ12)
  編  者:阿部完市
  発  行:1982年10月20日(S57)
  発行所 :現代俳句協会

参考:
注1:阿部完市
俳人、精神科医。 東京生まれ。金沢医科大学付属医学専門部卒。1950年より勤務先の病院の俳句グループで作句をはじめる。1951年、日野草城の「青玄」入会、1952年西村白雲郷の「未完」入会、1953年高柳重信の「俳句評論」入会。1962年、金子兜太の「海程」4号より入会、同人。
現代俳句協会では1997年から2008年まで副会長。(Wiki)

注2:LSD(薬物)
リゼルグ酸ジエチルアミドまたはリゼルギン酸ジエチルアミド(英: lysergic acid diethylamide)は、非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤である。
開発時のリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質であったことからLSD-25とも略される。(Wiki)

注2:訪中小記
「俳句研究」昭和55年8月号より転載


saten_logo80s.jpg