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遍路杖と春

  

かつて、鷹俳句会の飯島晴子さん(2000.06.06 逝去)にお願いして、私の大好きな一句を著作の見返しに書いて送ってもらったことがある。

サインペンではなく、わざわざ墨をすり、毛筆で一字一字にしっかりと気持ちを込め、背筋をのばし、まっすぐに認(したた)められていた。

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飯島晴子の揮毫

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自解100句選 飯島晴子集

一読、説明のいらぬ俳句だが、作者の自解100句選集なので、その解説の一部を抜き出して紹介したい。なお、掲句は、昭和58年(1983)作。

自解も実に明瞭簡潔。俳句と同様に研ぎ澄まされている。私を俳句に誘って下さった揚田蒼生(あげたそうせい)さんももう居ない。

最後に、「空港へ着いて一安心、遍路杖を高く振って高知の人たちと別れた。」と、書かれている。この一書を開く度に、何度も手を振ってお別れした日の出で立ちと遍路杖が思い出されてならない。

  書 名:自解100句選 Ⅱ- ② 飯島晴子集
  発 行:1987年12月25日
  著 者:飯島晴子(いいじまはるこ)
  発行所:牧羊社
  定 価:1100円


自註の難しさ

  

昔、上京中に、新宿区百人町の俳句文学館に立ち寄り、自註俳句シリーズの本を立ち読みして何冊かまとめ買いした。

その中の一冊、「平畑静塔集」のあとがきに、上掲の言葉が書かれていた。
私の手元にあるのは、昭和54年 6月 5日発行の第二刷である。

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平畑静塔集

この「自註現代俳句シリーズ」は、著者自選300句に三行書(66字以内)の自註が基本のようで、俳句は歴史的かなづかいであっても、読者の便をはかり全ての漢字に現代かなづかいのルビがふられている。

有名俳人の句集を読み解こうとしても、知らない漢字や言葉が多すぎて難儀するのだが、元の句集一句から湧き立つイメージとは異なるかもしれないが、漢字にルビがあるのも時にはありがたい。(人名の読み方さえ分からないときもある)

ただし、自註を読み、種明かしされてしまうと、折角これまで名句と思っていた句が、汚れ雪のような句に思え、知らなければよかった・・・と、後悔することも多く、痛し痒しではある。自註の難しさを銘せねばなるまい。

芭蕉の「謂応いひおほせて何か有る」とは、俳句だけに限らない。

  書 名:自註現代俳句シリーズ第一期⑤ 平畑静塔集
  発 行:昭和51年12月15日一刷
  定 価:850円
  著 者:平畑静塔
  発行所:社団法人 俳人協会


ことばこそ

  

塚本邦雄(1920.08.07 – 2005.06.09 )の本は、特装版を除いて粗方持っているのだが、彼の秘書代わりを務めていた書肆季節社の政田岑生氏のご逝去後は、署名本の入手が難しくなった。

そのため、この歌集を古書店で購入できたのは、十年後であった。

  書名:第24歌集『約翰傳僞書』(ヨハネでんぎしよ)
  A5判、短歌研究社発行、定価:3,534円(税別)
  印刷発行:2001年3月5日

胸奥の砂上樓閣

見返しの遊び紙に、塚本邦雄の毛筆歌一首と落款

塚本邦夫毛筆署名

次の半透明の遊び紙に、勢いのある毛筆署名

そこひ(底翳、内障)とは、
眼の虹彩(こうさい)に異常がないのに、視力障害(くもり)が生ずる眼病(白内障・緑内障・黒内障など)の俗称である。

今日は、四月一日。エイプリルフール。万愚節。
午前中には、少し悪気のない嘘を言っても許されると言われている。

塚本が、処女句集『水葬物語』から夢見た韻律の楼閣は、この最終歌集『約翰傳僞書』においても、なお辿り着けなかった永遠の高みの彼方に、今も聳え建っているのだろうか。

この一首を思い出すと、天上からも水底からも鐘(カリヨン)の音が響き渡って来る。