月別アーカイブ: 4月 2025

ドラゴンボール

  

著者は、1986年(S61)生まれの女性。
現在「鷹俳句会」同人。2021年「鷹新人賞」受賞。俳人協会会員。
あとがきによれば、2002(H14)年から、高校の部活動で句作開始とあった。

漫画のドラゴンボールでは無いが、古来、彫刻・絵画に好んで描かれる龍には、パワーを秘めた宝珠を持つものがいた。とりわけ五爪龍天珠が最も尊く、中国皇帝の象徴のようなもの。しかも、その宝珠を手放し、我欲・執着を捨てなければ解脱できないとも教えられている。

掲句は、「龍の玉」ならぬ「竜の卵」。人間の記憶遺伝子に刻み込まれた「恐竜の卵」のイメージも浮かび上がる。

そして、下五には「拾ひけり」と自分の動きが示されている。しかし、竜ならば駝鳥の卵よりは何十倍も大きく目方もあるはず。一瞬、そんなものが軽々と簡単に持ち上がるのかと心配になったが、夢なら許そう。

年頃の女性が「竜の卵」を夢に見たなら、「龍や馬」が体内に飛び込む如く、開運の天子を授かるのかもしれない。

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初夢に・・・ 佐緒理

俳句は縦書でなければ・・・と思うのだが、
WordPressのブログでは、色々な制約があって難しい。
ルビさえも、ブロックごとに、いちいちHTMLエディター形式に切替えて編集と聞けば、思考が中断するので躊躇ちゅうちょする。従って、必要最少限で利用している。
もっと手軽に使える「縦書き専用無料ブログ」があればいいのに・・・と、いつも思う。

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竹岡佐緒理句集『帰る場所』

竹岡佐緒理句集『帰る場所』より、好みの俳句を抜粋する。

句集の裏表紙の帯には、作者の自選十句も発表されていた。
しかし、私の選とは一句しか重なっていなかった。

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竹岡佐緒理句集『帰る場所』 自選十句

  書 名:帰る場所 竹岡佐緒理句集
  発 行:2025年 1月21日 初版発行
  著 者:竹岡佐緒理
  発行所:ふらんす堂


女の心情になりきる

  

古今和歌集に収載された作者は、凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)。

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わがやどの・・・(寸松庵色紙)

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凡河内躬恒「三十六歌仙額」(狩野探幽 画)

たとえば、百人一首の「心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 みつね」でも暗記していなければ、この作者名が読めないのでは無かろうか。三十六歌仙のひとりでもある。

凡河内躬恒(859頃生~925頃没)は、平安時代前期の宮廷官僚。優れた歌人でもあった。宇多天皇、醍醐天皇に仕えて勅撰の『古今和歌集』選者に任じられ、紀貫之・紀友則・壬生忠岑などと共に編纂にあたった。撰者の特権か、躬恒の歌は貫之に次いで多く六十首も選ばれている。

桜の花の咲く頃になると、私はこの歌をよく思い出す。

ところが、かつて読んだ『日本古典文学全集』(小学館)の口語訳や鑑賞批評を信じたために、うっかり作者の意図や歌意を見逃していたようである。           (あるいは、校注・訳の小沢正夫氏のデリケートな配慮?)

例えば、『土佐日記』で有名な紀貫之は、承平四年(934)、土佐守としての四年の任期を終え、京へと旅立つ。その舟旅の事情を記録した日記を「男もすなる 日記といふものを 女もしてみむとてするなり」と偽って、男性官僚でありながら漢字を使わず「仮名書き」にしたことが有名である。

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高知城と桜(2025.04.04 撮影)

凡河内躬恒も、この歌では女の心情になりきり、「久しく訪れてくれなかった思い人が、我が家の庭の桜を見に来たよといって一夜を過ごし、もう帰ってしまった。花が散ってしまった後(私の容姿も歳とともに衰える)は、もう来てくれないかもしれない。次はいつ来てくれるのだろう。」と、物語風に、当時の妻問婚の有り様を花に重ねて歌合で披露したのでは無かろうか。

  


愛すべき存在

  

1991年、ふらんす堂より発行された永田耕衣句集『生死』を持っている。

これは、1934年(昭和 9)晩秋刊行の処女句集『加古』から、1988年(昭63年)刊行の第11句集『人生』までの中から380句を厳選した選句集である。

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生死:永田耕衣句集

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購入時の紀伊国屋書店カバー

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永田耕衣の署名

そして、この11頁に第3句集『吹毛集』から引用の上掲句が印刷されている。従って、作句は1953年(昭和28)頃のはずである。

四国に住んでいるため、古い映画やテレビで「雁の渡り」の映像を見た記憶はあるが、近所の河川や池で毎年鴨を見ていても、未だに実際に飛ぶ雁の姿は見たことがない。

学術分類では、白鳥も雁も鴨も「カモ目カモ科」でかなり似ているが、その大きさや姿、形はかなり違っている。そして、江戸時代には全国的に見られた鳥さえも、明治以降の乱獲により急激にその数を減らしていった。
雁(かり、がん)は、「雁行」(がんこう)や「雁の竿」(かりのさお)と呼んで先頭の一羽に連なってV字型の列を作って飛ぶ習性がある。

日本では、雁は北(カムチャツカ半島方面)から9月、10月頃に渡って来るので、秋の季語になっている。
この句では、今度は、北へ帰ろうとする「春の雁」である。
北を目指し、高く高く舞い上がりつつ編隊を組もうとした時、その中の一羽がこともあろうに「脇見」してしまったと言うのだ。
面白い、実に面白い。人間の世界にも、こんな輩が必ずいる。普段から面倒な奴なのだが、なぜか許されてしまうような愛すべき存在なのだ。

本来、誰もが真面目に働き、動こうとする時、すべてが同じ動きをするとアクシデントがあると全滅してしまう。それを防ごうとするような自然の摂理なのかも知れないが、普通は心に秘めて実行できない「脇見」の危なさと好奇心と余裕。まさに俳人の目指すべき本能(基本的欲求)の世界なのかもしれない。

  書 名:生死 永田耕衣句集
  発 行:1991年3月25日
  著 者:永田耕衣(Koi Nagata)
  発行所:ふらんす堂


遍路杖と春

  

かつて、鷹俳句会の飯島晴子さん(2000.06.06 逝去)にお願いして、私の大好きな一句を著作の見返しに書いて送ってもらったことがある。

サインペンではなく、わざわざ墨をすり、毛筆で一字一字にしっかりと気持ちを込め、背筋をのばし、まっすぐに認(したた)められていた。

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飯島晴子の揮毫

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自解100句選 飯島晴子集

一読、説明のいらぬ俳句だが、作者の自解100句選集なので、その解説の一部を抜き出して紹介したい。なお、掲句は、昭和58年(1983)作。

自解も実に明瞭簡潔。俳句と同様に研ぎ澄まされている。私を俳句に誘って下さった揚田蒼生(あげたそうせい)さんももう居ない。

最後に、「空港へ着いて一安心、遍路杖を高く振って高知の人たちと別れた。」と、書かれている。この一書を開く度に、何度も手を振ってお別れした日の出で立ちと遍路杖が思い出されてならない。

  書 名:自解100句選 Ⅱ- ② 飯島晴子集
  発 行:1987年12月25日
  著 者:飯島晴子(いいじまはるこ)
  発行所:牧羊社
  定 価:1100円


自註の難しさ

  

昔、上京中に、新宿区百人町の俳句文学館に立ち寄り、自註俳句シリーズの本を立ち読みして何冊かまとめ買いした。

その中の一冊、「平畑静塔集」のあとがきに、上掲の言葉が書かれていた。
私の手元にあるのは、昭和54年 6月 5日発行の第二刷である。

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平畑静塔集

この「自註現代俳句シリーズ」は、著者自選300句に三行書(66字以内)の自註が基本のようで、俳句は歴史的かなづかいであっても、読者の便をはかり全ての漢字に現代かなづかいのルビがふられている。

有名俳人の句集を読み解こうとしても、知らない漢字や言葉が多すぎて難儀するのだが、元の句集一句から湧き立つイメージとは異なるかもしれないが、漢字にルビがあるのも時にはありがたい。(人名の読み方さえ分からないときもある)

ただし、自註を読み、種明かしされてしまうと、折角これまで名句と思っていた句が、汚れ雪のような句に思え、知らなければよかった・・・と、後悔することも多く、痛し痒しではある。自註の難しさを銘せねばなるまい。

芭蕉の「謂応いひおほせて何か有る」とは、俳句だけに限らない。

  書 名:自註現代俳句シリーズ第一期⑤ 平畑静塔集
  発 行:昭和51年12月15日一刷
  定 価:850円
  著 者:平畑静塔
  発行所:社団法人 俳人協会


ことばこそ

  

塚本邦雄(1920.08.07 – 2005.06.09 )の本は、特装版を除いて粗方持っているのだが、彼の秘書代わりを務めていた書肆季節社の政田岑生氏のご逝去後は、署名本の入手が難しくなった。

そのため、この歌集を古書店で購入できたのは、十年後であった。

  書名:第24歌集『約翰傳僞書』(ヨハネでんぎしよ)
  A5判、短歌研究社発行、定価:3,534円(税別)
  印刷発行:2001年3月5日

胸奥の砂上樓閣

見返しの遊び紙に、塚本邦雄の毛筆歌一首と落款

塚本邦夫毛筆署名

次の半透明の遊び紙に、勢いのある毛筆署名

そこひ(底翳、内障)とは、
眼の虹彩(こうさい)に異常がないのに、視力障害(くもり)が生ずる眼病(白内障・緑内障・黒内障など)の俗称である。

今日は、四月一日。エイプリルフール。万愚節。
午前中には、少し悪気のない嘘を言っても許されると言われている。

塚本が、処女句集『水葬物語』から夢見た韻律の楼閣は、この最終歌集『約翰傳僞書』においても、なお辿り着けなかった永遠の高みの彼方に、今も聳え建っているのだろうか。

この一首を思い出すと、天上からも水底からも鐘(カリヨン)の音が響き渡って来る。