青天また須らく棒を喫すべし

気象用人工衛星が発達し、日本から1000kmも離れた所で発生した台風に、1週間も前から大型だと騒いでいる。

来る来る来る・・・と言いながら、なかなかやって来ない。

棒でもあれば、テレビキャスターをピシリと戒めてみたいものだが、

その反動で、手も痛むので止めておこう。

弟子が師匠に問うときは、ことさら注意を要する。

分かっているようなことは、決して訊いてはいけない。

そうかと言って、例えて問うと、深読みされて、また問題になる。

「悟ったココロとは、この青空のようなものですか?」

「そんなに思えるなら、この棒で叩いてやろうか。」

どちらにしても、弟子とは理不尽な扱いをうける者なのだ。

青空も雨空も、この時空に変わりはないのだから。

チャンスの神様

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後にも髪脱け落つる山河かな  永田耕衣

 

俳句は頭で考えるものではない。ただ感じればいい。

俳句のリズムにのって、一瞬頭の中にイメージされるもの。

それが、好ましいかどうか・・・それだけである。

俳句は、詩(ポエム)なのだ。

難解な評論のように、あれこれ筋道をたどって解ろうとする必要はない。

現実世界をピョンと飛び越えてしまう踏切の良さを味わう。

名句ほど、きっとその飛躍の大きさが楽しめるだろう。

歳をとれば、誰だって髪は抜け落ちるもの。冬めくころにはいっそう抜けるものだが、人生を振り返るにはまだまだ早い。愛する山河があるのだから。

今ここで、チャンスの神様の前髪をスパッと掴んでみよう。

彼には、後ろ髪がないのだから。

句集「吹毛集」より。

孔雀群青

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孔雀群青転生の日の花ふぶき  邦雄

 

孔雀は色彩豊かな尾羽をもつ大型の鳥である。

人間界はいざ知らず、一般に動物界ではメスよりオスのほうが色鮮やかな意匠が多く、美しい羽も雌鳥を惹きつけ、子孫繁栄に不可欠な旗印でもあった。

英語では、雄鳥はピーコック(peacock)、雌鳥はピーヘン(peahen)とはっきり区別された呼び名もあるが、それは姿形や色の違いがあまりにも大きかったからかもしれない。

鋭い爪や嘴で毒蛇さえも殺してしまうところから、仏教では災厄をはらい安楽をもたらす孔雀明王へと形を変え、「仏母大孔雀明王経」なるものまで伝わっている。

また、現存最古の五十音図は、醍醐寺蔵本、平安中期の書写「孔雀経音義」の巻末に記されているという。