八十のちまたに逢へる子や誰

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紫は灰指すものそ海石榴市の八十の衢(ちまた)に逢へる子や誰(たれ)

             詠み人知らず

古歌には紫草が多く登場する。それだけ日常的なモノともとれるし、反対に貴重ゆえより多く詠われたとも考えられる。

また、「海石榴市(つばいち)」で、いろんな物品が商いされていたことは知っていたが、椿油や椿材、椿の灰まで売られていたとは知らなかった。

化学染料の無かった奈良時代、高貴な紫根染めの媒染剤料に、「灰さすものぞ」と、椿材の灰を利用していたと知れば、この一首の趣もまた深まる。

「椿(つばき)」は国字。中国での「椿(チン)」は、ツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)とのこと。従って、海の向こうから来た、例えば卑弥呼や聖徳太子の使いが持参した貢ぎ物の中にザクロ(安石榴)に似た花を咲かせる樹木があり、それを「海石榴(つばき)」と呼んだのかもしれない。

ちなみに、藪椿(ヤズツバキ)の学名は、Camellia japonica 。学名がそのまま英語名になっている珍しい例とも。私には、日和崎尊夫の木口木版(こぐちもくはん)の材料に、椿をサンドペーパーで磨き、ビュランで彫っていたこと等が思い出される。

八衢(やちまた)なら、道が八方に分かれるところ。その十倍の「八十の衢(やそのちまた)」なのだから、国中のいろんな地方からこの海石榴市に人々が訪れたことだろう。男女の求愛の歌垣も盛んに行われたとは、祭りの夜ともなれば当然の成り行き。今なら男女求婚活動奨励補助金まで出そうとするくらいだから、今も昔も、国を豊かにするには、武器や馬、土地よりも子宝(人口)が必要との考えは一致していたようだ。

一首の要は、「誰(たれ)」である。あの可愛い乙女は誰なのかと、皆がその名前を知ろうとする。求愛の返事に、その本当の名前を聞き出すことが、許諾の証だったのだから。和歌に現れる女性名のほとんどが源氏名。あるいは、親兄弟の名前からの運用。両親しかその名を知らず、一般には公開していなかったのだから仕方がない。

紫に美しく染まった布色を、このままとどめるなら、椿灰を入れるべき時は今。そのように、つばき市の開かれた賑やかな町で出会ったあの美しい娘子の名前は何と言うのだろうか?

美しい少女よ、その若さ、美貌、黒髪に私は恋しているけれど、八十になるまでこの思いは変わらないだろうか?

詠み人知らずの歌とは言うけれど、実は石見(いわみ)に流された後の柿本人麻呂の老年の歌かもしれない。八十(やそ)には、「耶蘇(やそ)」すなわち、「耶蘇(イエス・Jesus)」や十字架の匂いもする。

「紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十街尓 相兒哉誰」

紫の高い位におわす人は、廃さずに、飾りにして置くものだよ。椿油を足に注ぎ、耶蘇の街にあった神の子と名乗ったあの人も、本当の名前は、誰だったのか知っているだろうか?

ちなみに、天武と持統天皇の子、草壁皇子(くさかべのみこ)の諡号は、岡宮御宇天皇(おかのみやに  あめのした  しろしめしし  すめらみこと、おかのみやぎょうてんのう)とのこと。


参考:君にみせばや

http://misebaya.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_3cb1.html

美しい瞳は多くを語る

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たった一枚の写真から、伝わるものがある。

右額にあてたガーゼ。何かを見据えるようなまなざし。結んだ肌荒れの唇。黒く強い眉。それほど高くはないが、輪郭のしっかりした鼻筋。少し汚れて浅黒いが、ピンクの残る顔色。ヘンプ混じりのコットンで織ったような、髪と上半身を覆う広いスカーフ、ヒジャブ。少し覗く前髪は黒色。

緑のテントの前で、カメラマンがそっと撮ったに違いない。瞳はカメラを視ていない。たった一人。彼女は悲しみを口にするのだろうか。乾いた瞳は、涙を流すのだろうか。

幾夜経て後か忘れむ散りぬべき野べの秋萩みがく月夜を

              清原深養父(きよはらの ふかやぶ)

もうすぐ8月7日、立秋。『後撰和歌集』よりの一首。

この恋の心を、幾夜寝て過ごした後か忘れることができるだろう・・・されど、「忘れむ」と言いながらも、反対にその忘れがたさを思わせるのは言葉の綾。歌では恋とも言わず、散るのは秋萩としか言っていない。

それでも、この一首からは、散り際の萩の匂いのような、別れ際のエロチックな匂いや、秋萩にむすぶ夜露(涙)、その露をいっそう輝かせる清涼な月光を感じさせるあたりが深養父の持ち味。

生年不明、平安前期の歌人なれど、清少納言の祖父か曾祖父ではないかとの噂もある。『古今和歌集』にも入集している。

歌に残せる思いならまだ救われよう。心の傷を一生涯、誰にも伝えられずその胸奥に仕舞い込むことのないように。少女の瞳に明るい光が戻り、その唇から再び笑い声が聞こえることを望まずにはいられない。


参考:

AFP PHOTO / MARCO ,  July 30, 2014.

道にあやなく惑ひぬるかな

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台風8号が過ぎると一斉に蝉が鳴き出した。

よく見ると、草葉の影や小枝の途中に空蝉がいくつも縋り付いていた。気の早いオスゼミの中には、2週間も前から鳴き出したのもいたが、あまり早く出てきても連合いになるべきメスゼミがまだいないだろうし、どうしたものかと心配になっていた。しかし、やっと梅雨明け、団体行動を共にすることにしたのだろう。

「空蝉」と云えば、源氏物語の空蝉も思い出される。さほど面白い話でもないが、物語の初めのほうに登場すると、それだけで名前が気になってしまうものだ。

たった一度だけの契りであっても、若ければその思いは後々まで残るもの。まして次に忍んだ夜に、上掛けの薄衣だけウツセミのように残して遣り過ごされては、その口惜しさはいかばかりであったことか。

「道にあやなく惑ひぬるかな」と詠う遂げられぬ思いは、源氏物語全体をおおう人間存在の愚かしさや儚さを象徴しているのかもしれない。

「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな」光君

「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木」空蝉

http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text02.html