コントラストデザイン、巧いと思ったので記録

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こりすさん(coliss)のブログを眺めていると、

「デザインの原則をWebデザインにどのように取り入れるのか」のチュートリアルがあった。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/design-principles-for-web-designers-by-vecttips.html

その中でも、「3.Contrast-対照」の紹介に使用されていた画像データが、私の好みだったので、記録用に保存と紹介。

著作権もあるので、本当は無断借用になるのだけれど、それでも是非見て欲しいデザインです。

こんなシンボルのようなマークが次々と描ければいいのだけれど、なかなかそう簡単にはできません。

円も、一重より、二重で、一瞬、螺旋のようにも錯覚のおこる矢印があり、グリーンの濃淡とぼかしの利用も秀逸。

 

解説には、

『コントラストの効果を見るために、サークルを使ったサンプルを作成しました。サークルには水平のストライプが加えてあります。』

とあったが、「水平のストライプ(horizontal stripes)」って、どこだろう。グリーンの濃淡のことだろうか?

『より小さいサークルを配置することで、大きいサークルとのコントラストが生まれ、イラストにより多くの面白みを与えています。』

これは、わかる。たしかに面白い。

 

英文の元ページ

http://vectips.com/tips/7-obvious-design-principles/

 


参考:コリス|サイト制作に関する最新の情報をご紹介

http://coliss.com

集中豪雨による幾筋もの土石流の氾濫

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お盆も過ぎ、少し落ち着くかと思った矢先、集中豪雨や雷、土砂崩れにより今も各地で災害が続いている。高速道路を走っていても、トンネルを一つ抜けるだけで気象がガラリと変わり驚かされることもあった。

7月19日、夕日を受け、久しぶりに鮮やかな虹の根元を山際に見た。

よくみると、その上に、もう一つの別の虹の根元。

二重虹だった。

 

車で走りながらではあったが、山に向かうと、ますます虹の色が鮮明になり、太くなった。雨上がりの虹かと、久しぶりの二重虹を喜んだ。

そして、トンネルを一つ潜り抜けると、今度は、もっと大きく、山から山へと渡る鮮やかな虹の半円を描いて、光り輝いていた。

ところが、次のトンネルを抜けると、フロントガラスにぽつぽつと雨粒がはじけ、小雨から少しずつ雨に変わった。

次のトンネルを抜けると、今度は大雨。まだ明るく、風が無いのがせめてもの救い。路面が濡れ、前走車の水しぶきが上がる。

スピードをやや落とし、前走車の赤いバックライトが見えるくらいで追走する。雨脚が酷くなり、ワイパーを切り替えても、前が見えにくくなる。

次のトンネルに飛び込むと、ほっとする。いつもなら暗くて、単調なトンネルだが、こんな大雨の時は、トンネル灯にさえ、安心感がある。

トンネル出口で、ワイパーを最強にして飛び出すが、それでも大雨で前走車が見えなくなった。雨が滝のように降ってくる。山間部は雨の多い地域。ここを抜けきらないと、ますます酷くなるに違いない。

道路が透水舗装されていたとしても、これほどの大雨では効果は少なかろう。それでも、まだタイヤはしっかり路面を感じ、滑らずに駆動してくれるのが救い。

長いトンネルも、豪雨や台風の時は、とりあえずの避難場所ともなる。

それから、いくつかのトンネルを抜けた。雨が止み、また夕焼け空が見え始めた。

 

その夜、夢を見た。

自宅へ帰る為に車で走っていたのだが、道路が雨で通行止めに。

JRも止まってしまった。

雨は小雨、何故か傘をさし、西から東へ向かって歩いているのだが、北側の斜面から雨水があふれ出し、膝下までの泥水、行く手を塞がれてしまった。

泥水が段々たまり、コンクリート擁壁を越え、右の崖下へと滝のように落ちていく。

右手はるかに、どんよりと白く瀬戸内の海が見えた。

 

翌朝のニュースが、広島の災害を伝えていた。

集中豪雨による幾筋もの土石流の氾濫と家屋の倒壊、人的被害。

 

22日、今朝も雷雨と豪雨が断続的に続いている。

地球規模の大きな気象変動が進行しているに違いない。

まだ救われる道は、残っているのだろうか・・・

「見る」と「視る」とは、違うと気付いたその後が大切

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瀧の上に水現れて落ちにけり   後藤夜半

        句集『翠黛』三省堂

 

共同通信(2014.08.11)によれば、「東京大と慶応大の共同研究チームが、1兆分の1秒よりも短い時間ごとの連写撮影ができる世界最高速のカメラを開発した」とのこと。

つまり、1兆分の1秒(1ピコ秒)の世界を画像にして、物質の生成や変化を確かめることができるようになったとも解釈できる。

宇宙の彼方の物質は、分光学や電磁波を利用して「観る」すなわち観測できるようになった。そして、分子レベルから原子レベルへと、視野は広がり、深まりつつある。

これまでも高速度カメラを用いれば、水の流れを止めたり、その瞬間、瞬間を描画できたのだが、水の分子より挙動の不安定な水素分子まで観測することができるに違いない。

さて、高浜虚子編の『季寄せ』や稲畑汀子編の『ホトトギス新歳時記』から「滝」の例句を繙けば、まず出て来るのが後藤夜半の「瀧の上に」である。

虚子や山本健吉の批評によって、すっかり名句と知れ渡り、現代俳句に詳しい俳人なら、「瀧の上に」の俳句を知らないはずはなかろう。

人間の目で滝を見て、その後、もっと「観る」、あるいは「視る」ことに心を砕けば、確かにそこに、これまでとは一味も二味も違った世界が顕現してくることに気付くはずである。

たとえば、テレビ番組などで、超能力者による「透視」事例を紹介するものがあるが、あれほどの能力は無くとも、一般人でも、誰でも、何かを見た時に、もう少し、そのもの事態を観察する気持ちで見ることに心を砕けば、今までとは違った何かが視えてくるのではなかろうか。

「よくみる」こと。そして、何かを心に停めること。

これができそうで、中々できない。たった一つのことなら、覚えてもおけるのだが、自分の毎日の生活の中で、あらゆる場面に応用しようとすると、至難の業になる。

そこで、一日に一つから二つ、二つから三つと、増やしていくのが最前の方法とも考えた。

目の前を通り過ぎる物体を、「あ、トンボ」から、「あ、オニヤンマ」、「あ、胴体に、忘れな草の花のような色のあるオニヤンマ」、「あ、胴体の一部に鮮やかな勿忘草色、眼は半透明の緑青色のクロスジギンヤンマ(黒条銀蜻蛉)」と。

実は、そこから、もう一歩踏み出して、視ることができれば申し分ない。

虚子の「客観写生」のその向こうには、何が視えたのだろう。

蜻蛉のさらさら流れ止まらず      高濱虚子

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな   中村汀女

芭蕉は、「物の見えたるひかり、いまだ消えざる中に云ひ止むべし(三冊子)」と言っている。

トンボは物である。太陽の光を受け、昆虫の外骨格や羽が可視光線を反射して、人間の網膜にトンボの動くカタチとして映し出される。網膜や脳細胞のシナプスからその映像が消える前に、私たちは感じた何かを言葉に変え、記憶していく。映像だけより、言葉に変えて同時に蓄積しておくほうが、記憶力は何倍も増すだろう。

俳人は、「蜻蛉(とんぼ)」と聞いただけで、季語の蜻蛉を思い、蜻蛉のいくつかの例句とその情景、自分の過去の蓄積映像や画像を頭の中で反芻している。

作句歴が長ければ、自分の作った蜻蛉の句も思い出し、より鮮明に作句時の映像が浮かんできているかもしれない。

それだからこそ、物のその向こうに光るナニモノかを捉え、自分に納得できるモノや感覚として一度は掴んでおきたいと思う。

毎日見過ごしそうな物達を、一瞬でも力を入れて視る、あるいは「捨て眼」として、その時は必要とせずとも、後から記憶の糸をたどって思い出せる映像として、心ふるわせ、どこかに仕舞っておきたいと思う。


参考:

後藤夜半(Wikipedia)「滝の上に水現れて落ちにけり」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%A4%9C%E5%8D%8A

『日本新名勝俳句 : 懸賞募集』大阪毎日新聞社[ほか]

オオカミが来たと叫び続ける理由は何?

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気象庁の発表する台風情報を見ていると、秒速15m以上の強風域(黄色の円内)とか、秒速25m以上の暴風域(赤の円内)があるが、その範囲があまりにも大きすぎると思われる。

実際に台風が過ぎ去って、大した風もないのに暴風域だとか、ほとんど風も無いのに未だに強風域のようにテレビニュースに、こんな画像が使われるたびに、その信憑性の無さに、気象庁の観測網はいったいどうなっているのだろうと不思議でならない。

実際、同心円で風速を示すことにどんな意味があるのだろう、

本来は、もっと楕円やいびつな円形であっていいはずだし、これまでの観測実績を高性能コンピュータで解析させれば、その範囲が正確で小さな円になるだろう。

赤道周辺で発生した何日も前から、大型台風だ、大型台風だと言い続け、実際は、今年のように、台風圏そのものより、気圧配置によって太平洋から吹き込む風によって、はるか離れたところで集中豪雨が起こっていたりする。

現在の台風情報では、暴風域を円形で示し、この円内は暴風がいつ吹いてもおかしくない範囲とするようだが、この表示に決めた時と現在では、気象予測コンピュータの性能が著しく向上しているはずだから、もっと現実感のあるものに改めないと、誰も信じなくなってしまうだろう。

誰もが求めるのは、正確な情報に他ならない。

地震予知に比較すれば情報量も多く、衛星画像から得られるリアルタイムな映像と地上の気象観測所の情報を駆使すればいいと思うのだが、素人考えだと笑われるだろうか・・・それとも、日本国の気象庁もそんなに人材不足なのかと?


 

参考:気象庁、台風の大きさと強さ

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-3.html

 

 

更に上る一層楼

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欲窮千里目更上一層楼

(千里の目を窮めんと欲して、更に上る一層楼)

 

2014年8月9日、台風11号の速度が遅く、中心はまだ鹿児島沖だというのに、太平洋の湿った空気が沿岸に吹き込んできている。

午後3時ころから3時間くらい、三重県松坂市あたりが集中豪雨に襲われていたようだ。

 

唐の詩人・王之渙が遠くを見るためには、鸛雀楼に登るしか方法が無かった。しかし、今では何日も前から気象衛星から送られて来る画像を解析して、様々な分析が可能になっている。

しかし、私たちは、本当に一層高い地点に立って、地上を見ることができているのだろうか?

「千里眼」とも言われるほど、先々を見通す知恵がもっとあれば、災害は減って当然なのだが、未だにたった一つの台風で右往左往させられている。式典、地方祭、花火大会、帰省日程、それらの開催・中止決断さえ、寸前まで決まらず、巻き込まれた人々は、早く決めてくれとやきもきしている。

雨の降り方も変わった。これまでに例の無いような集中豪雨が襲い、山間部から土砂が流れ出し、幾筋もの川から集まった水が、一気に河の堤防を越え田畑や道路、人家へと溢れ出している。

何時になったら人間は遠くが見えるようになるのだろう。

否、それは距離だけの遠さではない。100年とは言わないが、せめて30年先を予想して、善かれと思う方法を試みることが何故できないのかと不思議でならない。インターネットの同時中継で、世界の裏の出来事さえ、ほぼリアルタイムで、映画のように見ているのだから。

2、3年先を見て汲汲とするより、本心、人を大切にする道があるはずだし、その道を選ぶことができる力があると信じたい。更に上る一層楼と。

 


参考:ひとりよがりの漢詩紀行

http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/KanshiNo4/kanshi52.html

王之渙

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%B9%8B%E6%B8%99

 

八十のちまたに逢へる子や誰

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紫は灰指すものそ海石榴市の八十の衢(ちまた)に逢へる子や誰(たれ)

             詠み人知らず

古歌には紫草が多く登場する。それだけ日常的なモノともとれるし、反対に貴重ゆえより多く詠われたとも考えられる。

また、「海石榴市(つばいち)」で、いろんな物品が商いされていたことは知っていたが、椿油や椿材、椿の灰まで売られていたとは知らなかった。

化学染料の無かった奈良時代、高貴な紫根染めの媒染剤料に、「灰さすものぞ」と、椿材の灰を利用していたと知れば、この一首の趣もまた深まる。

「椿(つばき)」は国字。中国での「椿(チン)」は、ツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)とのこと。従って、海の向こうから来た、例えば卑弥呼や聖徳太子の使いが持参した貢ぎ物の中にザクロ(安石榴)に似た花を咲かせる樹木があり、それを「海石榴(つばき)」と呼んだのかもしれない。

ちなみに、藪椿(ヤズツバキ)の学名は、Camellia japonica 。学名がそのまま英語名になっている珍しい例とも。私には、日和崎尊夫の木口木版(こぐちもくはん)の材料に、椿をサンドペーパーで磨き、ビュランで彫っていたこと等が思い出される。

八衢(やちまた)なら、道が八方に分かれるところ。その十倍の「八十の衢(やそのちまた)」なのだから、国中のいろんな地方からこの海石榴市に人々が訪れたことだろう。男女の求愛の歌垣も盛んに行われたとは、祭りの夜ともなれば当然の成り行き。今なら男女求婚活動奨励補助金まで出そうとするくらいだから、今も昔も、国を豊かにするには、武器や馬、土地よりも子宝(人口)が必要との考えは一致していたようだ。

一首の要は、「誰(たれ)」である。あの可愛い乙女は誰なのかと、皆がその名前を知ろうとする。求愛の返事に、その本当の名前を聞き出すことが、許諾の証だったのだから。和歌に現れる女性名のほとんどが源氏名。あるいは、親兄弟の名前からの運用。両親しかその名を知らず、一般には公開していなかったのだから仕方がない。

紫に美しく染まった布色を、このままとどめるなら、椿灰を入れるべき時は今。そのように、つばき市の開かれた賑やかな町で出会ったあの美しい娘子の名前は何と言うのだろうか?

美しい少女よ、その若さ、美貌、黒髪に私は恋しているけれど、八十になるまでこの思いは変わらないだろうか?

詠み人知らずの歌とは言うけれど、実は石見(いわみ)に流された後の柿本人麻呂の老年の歌かもしれない。八十(やそ)には、「耶蘇(やそ)」すなわち、「耶蘇(イエス・Jesus)」や十字架の匂いもする。

「紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十街尓 相兒哉誰」

紫の高い位におわす人は、廃さずに、飾りにして置くものだよ。椿油を足に注ぎ、耶蘇の街にあった神の子と名乗ったあの人も、本当の名前は、誰だったのか知っているだろうか?

ちなみに、天武と持統天皇の子、草壁皇子(くさかべのみこ)の諡号は、岡宮御宇天皇(おかのみやに  あめのした  しろしめしし  すめらみこと、おかのみやぎょうてんのう)とのこと。


参考:君にみせばや

http://misebaya.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_3cb1.html

美しい瞳は多くを語る

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たった一枚の写真から、伝わるものがある。

右額にあてたガーゼ。何かを見据えるようなまなざし。結んだ肌荒れの唇。黒く強い眉。それほど高くはないが、輪郭のしっかりした鼻筋。少し汚れて浅黒いが、ピンクの残る顔色。ヘンプ混じりのコットンで織ったような、髪と上半身を覆う広いスカーフ、ヒジャブ。少し覗く前髪は黒色。

緑のテントの前で、カメラマンがそっと撮ったに違いない。瞳はカメラを視ていない。たった一人。彼女は悲しみを口にするのだろうか。乾いた瞳は、涙を流すのだろうか。

幾夜経て後か忘れむ散りぬべき野べの秋萩みがく月夜を

              清原深養父(きよはらの ふかやぶ)

もうすぐ8月7日、立秋。『後撰和歌集』よりの一首。

この恋の心を、幾夜寝て過ごした後か忘れることができるだろう・・・されど、「忘れむ」と言いながらも、反対にその忘れがたさを思わせるのは言葉の綾。歌では恋とも言わず、散るのは秋萩としか言っていない。

それでも、この一首からは、散り際の萩の匂いのような、別れ際のエロチックな匂いや、秋萩にむすぶ夜露(涙)、その露をいっそう輝かせる清涼な月光を感じさせるあたりが深養父の持ち味。

生年不明、平安前期の歌人なれど、清少納言の祖父か曾祖父ではないかとの噂もある。『古今和歌集』にも入集している。

歌に残せる思いならまだ救われよう。心の傷を一生涯、誰にも伝えられずその胸奥に仕舞い込むことのないように。少女の瞳に明るい光が戻り、その唇から再び笑い声が聞こえることを望まずにはいられない。


参考:

AFP PHOTO / MARCO ,  July 30, 2014.

セミと生きとし生けるものたちへの讃歌

クマゼミの交尾
クマゼミの交尾

 

假の世のひとまどろみや蟬涼し   高濱虚子

 

八朔(はっさく)。本来は、陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。

辞書によれば、

江戸時代には,徳川家康の江戸入府の日にあたることから,諸大名旗本は白帷子(しろかたびら)を着て登城し,祝詞を述べた。また,江戸吉原では,紋日(もんび)とされ,遊女は白小袖を着た。」との説明がある。

歳時記によれば、

「この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実の節句ともいう。」と、こちらが本意に近かろう。

近所で鳴く蝉をじっくり見ようと出かけた。街路樹の小灌木を見上げれば、何匹もの蝉がしきりに鳴いている。モチロン、鳴くのは雄ゼミ。腹にある共鳴板、腹弁を振るわせ、騒がしく鳴き立て、雌ゼミに自分の存在を誇示している。

鳴いている蝉の尻先は、あまり尖らず、やや潰れたようにも見える。腹弁を振るわせた時は、尻先もかなりの勢いで振動している。

そうして、鳴き声に聞き惚れうっとりしたのか、あまり動かなくなった雌ゼミの後方から忍び寄り、横斜めから、やや強引に片羽を持ち上げつつ、手足を絡ませながら雌ゼミの尻先に自分の尻先を押し付けていく。

クマゼミの交尾が始まった、黒い尻先から、やや黄色味のある接合部が覗いて見える。どちらの蟬も交尾に夢中で、鳴くこともないが、周りの蟬たちは相変わらず騒がしく鳴き立てている。

交尾部を時折激しく振動させることもあったが、5分ほどの交わりであった。共鳴板から察すると、画像では下位置にいるのが雄ゼミである。

ことを終えると、雄ゼミは何処かへ飛んで行ってしまったが、雌ゼミは飛ぶ体力もない様子で、ただ必死に樹木にかき付いているだけだった。

このあと、雌ゼミには産卵という大仕事が待っているのだから、それも仕方あるまい。

命は受け継がれるもの。何度繰り返されたか分からないが、人類より大昔から蟬や昆虫も居たに違いない。その一生は短くとも、産まれ、鳴き、交尾し、産卵し、死んで行く。この夏の大合唱を、しばし聞きながら、戦場の爆撃の音ほどのことはないと思えば、暑さも、ウルサさも少しは許せるだろう。