挿画:ギュスターヴ・ドレ
原作:ダンテ
翻訳:谷口江里也
「見るがいいこの俺を! 俺が手に持つ提灯が、俺の行く手を照らし出す。俺の姿を映し出す。元は一つのこの体、離れて見ればよく見える。俺の首には足が無い、俺の肩には首が無い。元は一つのこの体、俺の名前はベルトラン。」
『地獄の第八圏の第八の邪悪の壕(マルボルジュ)』、そこは、陰謀企りごとめぐらせ、戦争さえゲームのように操った連中が焼かれ、戦をけしかけた者はその舌を、人の心を惑わした者はその胸を、余計な考えを吹き込んだ者はその頭を、鬼の剣が叩き切る。
ダンテ・アリギエリ(1265-1321)の『神曲』に、19世紀のギュスターヴ・ドレの挿絵がほどこされ、聖書でさえ描いていない地獄・煉獄・天国のイメージが、我々の間にも浸透してきた。
インド・中国生まれの地獄・極楽とはまた異なった無限の闇と光の世界。永遠に続く宿業を断ち切ることもできず、邪悪の壕(マルボルジュ)を走り続けなければならないと教えられても、戦が止むことは無い。
剣や刀は、それでもまだ潔い。人を殺めれば、その感覚は手に残る。脂まみれの肉や骨を断ち切るのは、まこと至難の業。髪を掴んで血のしたたる生首持ち上げるなら、その重さに驚くだろう。
しかし、ロケット弾や空からばらまく焼夷弾には、その痛みすら残らない。誰かが指図して、その部下が、そのまた部下の、そのまた部下に命令し、言われたままに実行するのが軍人だからと、国を守る為だと、母や子や妻を守る為だと信じてボタンを押す。
マスメディアは自主規制の名の下に、悲惨な事実は映さない。血も、焼けはだれた
皮膚も写さず、あったことさえ報道しない。それを大衆は望んでいないから・・・と、国内の同じ事件ばかりを繰り返し時間を稼ぐ。
一人を殺せば犯罪だが、100万人を殺せば英雄になる。俺の名前はベルトラン。