道にあやなく惑ひぬるかな

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台風8号が過ぎると一斉に蝉が鳴き出した。

よく見ると、草葉の影や小枝の途中に空蝉がいくつも縋り付いていた。気の早いオスゼミの中には、2週間も前から鳴き出したのもいたが、あまり早く出てきても連合いになるべきメスゼミがまだいないだろうし、どうしたものかと心配になっていた。しかし、やっと梅雨明け、団体行動を共にすることにしたのだろう。

「空蝉」と云えば、源氏物語の空蝉も思い出される。さほど面白い話でもないが、物語の初めのほうに登場すると、それだけで名前が気になってしまうものだ。

たった一度だけの契りであっても、若ければその思いは後々まで残るもの。まして次に忍んだ夜に、上掛けの薄衣だけウツセミのように残して遣り過ごされては、その口惜しさはいかばかりであったことか。

「道にあやなく惑ひぬるかな」と詠う遂げられぬ思いは、源氏物語全体をおおう人間存在の愚かしさや儚さを象徴しているのかもしれない。

「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな」光君

「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木」空蝉

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