空気遠近法を感じさせる夏空だった

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今朝の空は青く、久しぶりにpm2.5が少なかったようだ。

夏空の雲を見上げながら、何か懐かしい感じがして、何だったろうと考え、思いあたったのが、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」だった。

去年見た映画が、たった一年で懐かしく思えるような宮崎アニメにも恐れ入ると共に、夏空や雲を、本物よりも本物らしく象徴化するその描写力に、今頃になって驚いている。

去年だって本物の雲を見たし、子供の頃だって、もっと青い空に浮かぶ雲を見たはずである。それなのに、現実の情景よりもアニメに描かれた夏空を思い出す私の記憶回路に問題があるのか、それとも、アニメ・スタッフの描写力の凄さなのか・・・

私にとって、宮崎アニメの一本は、未だに「風の谷のナウシカ」なのだが、そこに描かれた雲とは違っていた。もう一本と言われれば、やはりポルコ・ロッソの出て来る「紅の豚」。しかし、アドリア海のノーテンキな雲とも、やはり違っていた。曰く言いがたいが、つまり、この日本列島の水蒸気を幾分か含んだ、日本画に描かれるような空気遠近法を感じさせる夏空だったのである。

白木槿が清楚に咲き、凌霄花が天から垂れ下がる、まさに日本の夏であった。

ところが、ふと気になることが一つ。

川岸のコンクリート擁壁に沿った道路脇の雑草の枯れ具合。道路端までアスファルト舗装せず、1メートル足らず雑草を生やしていたのだが、1月ほど前に、たった一日で刈り込みが行われた日があった。

その時は青萱や雑草が刈られた・・・くらいにしか思わなかったのだが、貴重な蛍萱(ホタルガヤ)もあったはず、しかし、この枯れ具合は、明らかに除草剤が撒かれているようであった。

川を豊かに、動植物の住める環境へと改善していると聞いていたので、少しガッカリ。確かに、放っておけばまた夏草が生い茂り大変なのだろうが、亀や鯉やボラや川鵜やトンボや蝶にとっては、実に迷惑な話だろう。

失ったものは還らない。すべてを守る必要もないが、少しだけ想像力を働かせて、青い空の美しさを忘れないでいたいと思う。

 

 

俺の名前はベルトラン

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挿画:ギュスターヴ・ドレ

原作:ダンテ

翻訳:谷口江里也

「見るがいいこの俺を! 俺が手に持つ提灯が、俺の行く手を照らし出す。俺の姿を映し出す。元は一つのこの体、離れて見ればよく見える。俺の首には足が無い、俺の肩には首が無い。元は一つのこの体、俺の名前はベルトラン。」

『地獄の第八圏の第八の邪悪の壕(マルボルジュ)』、そこは、陰謀企りごとめぐらせ、戦争さえゲームのように操った連中が焼かれ、戦をけしかけた者はその舌を、人の心を惑わした者はその胸を、余計な考えを吹き込んだ者はその頭を、鬼の剣が叩き切る。

ダンテ・アリギエリ(1265-1321)の『神曲』に、19世紀のギュスターヴ・ドレの挿絵がほどこされ、聖書でさえ描いていない地獄・煉獄・天国のイメージが、我々の間にも浸透してきた。

インド・中国生まれの地獄・極楽とはまた異なった無限の闇と光の世界。永遠に続く宿業を断ち切ることもできず、邪悪の壕(マルボルジュ)を走り続けなければならないと教えられても、戦が止むことは無い。

剣や刀は、それでもまだ潔い。人を殺めれば、その感覚は手に残る。脂まみれの肉や骨を断ち切るのは、まこと至難の業。髪を掴んで血のしたたる生首持ち上げるなら、その重さに驚くだろう。

しかし、ロケット弾や空からばらまく焼夷弾には、その痛みすら残らない。誰かが指図して、その部下が、そのまた部下の、そのまた部下に命令し、言われたままに実行するのが軍人だからと、国を守る為だと、母や子や妻を守る為だと信じてボタンを押す。

マスメディアは自主規制の名の下に、悲惨な事実は映さない。血も、焼けはだれた

皮膚も写さず、あったことさえ報道しない。それを大衆は望んでいないから・・・と、国内の同じ事件ばかりを繰り返し時間を稼ぐ。

一人を殺せば犯罪だが、100万人を殺せば英雄になる。俺の名前はベルトラン。


 参考:元の挿画-dore88b.jpg

いのちと遺伝子レベルの恐れ

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ふと動くモノが視野に入る。何だろうと川面を凝視すれば、ぽっかりと浮き上がってきた一匹の亀だった。それほど大きくない。全長20センチくらい。

水面から顔を出し、優雅に?、いや器用に四本の手足をそれぞれ別に動かしている。平泳ぎといった有様では無かった。尻尾は?と探してみれば、やや下向きに、細黒いのが確かにある。亀は、数回呼吸して満足したのか、また下手の方へ潜って行った。

そうかと見れば、今度は、川面に沿って、二匹のムギワラトンボがドッキングした姿で、時々水面に尾先をつけ、産卵?するかのように飛んでいた。こんなに水量の多いところに産卵しても、すぐ流されてしまいそうで心配だが、卵は川底へと沈んで行くのだろうか?

川には70センチくらいの真鯉の群れもいる。餌を求めてなのか、人の足音を聞きつけると10匹、20匹、30匹と集まってくる。しかし彼らもゲンキンなモノで、餌が貰えそうも無いと分かると、それ以上には集まって来ない。無理をせずとも、川中にも、案外豊富な餌が有るに違いない。

また一匹。先刻とは異なる20センチほどの亀が浮かんで来た。甲羅の縁がやや緑色で、誰かが川に放したミドリガメかもしれない。外来種の亀が入ってくると、生態系も変わって来るように思えるが、元々、我々が護岸工事でコンクリートばかりの川にしてしまったのだから、元の自然がどの様なモノだったのかさえ分から無くなっている。

大きなオニヤンマが飛んで行った。鮮やかな透明感のある翠、草緑の複眼には、真夏の熱さを物ともせぬ清涼感があった。そして、虎のパンツでは無いが、黄色と黒のコントラストある腹部も、王者の威厳を感じさせた。彼らは、遥か恐竜時代、いやそれ以前から、空を飛んでいたはずである。しかし、体長数メートルもあるような巨大トンボが居たとしたら、人間など絶好のエサにされていたのではないかと、遺伝子レベルの恐れが、一瞬脳裏をかすめていった。

人類の次なる大きな飛躍のために

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今年4月、オバマ大統領は、2030年代半ばまでに火星軌道に宇宙船を送り、その後、火星への着陸も目指したいと発表した。

かつて、米国のアポロ11号が月面周回軌道に乗り、切り離された機械船「イーグル」が月面に到着したのは、今から45年前。ニール・アームストロング船長が、月面に歴史的な第一歩をしるしたのは、日本時間の1969年7月21日午前11時56分のことだった。

That’s one small step for  man, one giant leap for mankind.

米政府は、有人火星探査の実現に向け、NASAの宇宙政策に60億ドルの追加予算を計画している。(追加だからこんなものか、とても足りないはずだ)

NASAは、「Next Giant Leap」キャンペーンを展開中。

火星までの距離、約6000万キロ。月までの約38万キロと比べれば、その困難さが想像できるだろう。もし往復するとしても、約3年は必要と言われている。最も問題なのが、火星の重力であり、着陸するにしても、再発進するにしても、月とは比べ物にならない燃料が必要となる。

火星には、スペースシャトルが地球に帰還する時のような滑走路もないし、機械船が安全に軟着陸できる保障は無いと言えるほど難しい。

(月面着陸でも、予想を越えて飛び過ぎ、有人操作で着陸している)

それでも、夢のために、きっと誰かが火星に向かうだろう。大昔、マゼラン一行が地球一周を果たしたように。全員が帰ってこれるとは思わない。極寒の火星に、初期南極越冬のような滞在が始まり、何年か、何十年かして、その中の一人が地球に還ってくることになるかもしれない。

どうかそれまで、この地球が、無事に人間の住める遊星でありますように。

ああ、されどワードプレス(WordPress)

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WordPressのフォルダ設定がうまくいかない。

サーバ上の初期設定でデータベースを作成した時、名前変更なんて後で簡単にできるだろうと考え、適当な名前にしたのがいけなかった。

Transmitでフォルダ名を変えても、今度は画像のアップロード環境との不一致がおこり、名前変更か何かの問題が発生しているようで、全く手に負えない。

時間を掛けてゆっくりあれこれ試すのも嫌なので、結局はこのまま、ダマして使うほかないのかも・・・

しかし、こんな時は、近くに気軽に相談できる人がいるといいのだが、Wordpress関係の書籍を買って来て、参考にしながらあれこれやっていると、レンタルサーバーの種類が違ったり、初期設定のフォルダ名が決められていたり、本の解説と違う状況に直面すると「うっ」と、立ち往生してしまう。

そう言えば、昔、CGソフトのレンダリング方法で、解説書のようにうまくマッピングできなくて2日もてこずり、とうとう諦め長距離電話で尋ねたら、

「これはソフトのバグですね。次のバージョンで直します。」

とすぐに返答、原因が相手側にあったのには、怒髪天を突いたものだった。

コンピュータ関係のプログラムは、正確さが求められる。人間に頼むように、少しあいまいなお願いをしても、こちらの気持ちを推し量ってまで、あれこれ相談に乗ってくれることは少ない。

音声検索の『Siri』が、

「あまりお役に立てなくて済みません。」

と答えるくらいが、最近のソフト事情であり、まだまだ WordPressのデータベース変更までは手伝ってくれない。哀しいことだが、非常に残念でもある。


参考:「わぷー(Wapuu)」は、カネウチカズコさん著作による、

ja.wordpress.org の公式キャラクター。

参考: WordPress 日本語ローカルサイト

http://ja.wordpress.org/

 

ウカウカできない終齢幼虫の羽化

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公園近くを帰りながら、ふと朝の風景と違うことに気付いた。

今朝はあれほど伸びていた雑草や下草、小枝などが、公園管理業者によってすっかり刈り取られ、実にさっぱりしているのだ。それはそれで、散髪されたようで気持ちのいいものだが、朝鳴いていたクマゼミ達のことを思うと、少し可哀想な気がしてきた。

梅雨明け宣言はまだ出ていないが、今朝の蝉たちの鳴き声を聞けば、すでに梅雨明けしたのは歴然。明朝、何年もの土中生活を終え、いざ地上へと準備していたクマゼミの終齢幼虫は、穴を抜け出し近くの樹木に辿り着くまで、かなりの距離を歩行しなければいならない。

脱皮して羽化するためには、それなりの高さの縋り付くべき灌木や小枝が必要になる。うまく脱皮できなければ羽を伸ばして乾かすことができず、不自由なまま固まってしまう恐れさえある。

時々、同じ枝先に何匹もの蝉殻(空蝉)がぶら下がっているのは、争いながら脱皮して、朝日を浴びて飛翔していったからに他ならない。

どんな世界にも弱肉強食の掟はあるが、公園の地下でこれまで何年もノンビリして来た幼虫に、はたして明日は来るのだろうか。

大腿骨は武器になる

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スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」は、不思議な映像から始まった。

猿なのか類人猿なのか、人間の祖先なのか分からないが生き物が、両手が使えることにより、何かの骨を拾って武器として戦い出す。

その骨を空に投げ上げると、高く高く飛んでスペースシャトルへと変化する。

たったそれだけで、10万年くらいの時間が、10分足らずに省略されてしまう実に見事な映像だった。

後に「モノリス」と呼ばれる真っ黒い正体不明の物体の不可解さ。神とも宇宙人とも呼べないナニモノかの意思がそこにあり、生き物の世界が急速に変化する

この映画が、1968年公開とは恐れいるが、アメリカは月世界への一番乗りを目指して莫大な巨費を投じていたことが、今さらながら夢物語のように思えてならない。

アポロ計画では、アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディが、「1960年代中に人間を月へ到達させる」との声明を発表し、それを実行したが、まさにその期間と一致するように、この映画も作られている。

軍需産業には湯水のように経費が注がれるが、そのおこぼれは、産業振興や芸術や文化振興にも、人材流出の形で広く浸透していく。

しかし、その元になる軍需産業そのものを捨て去り、その経費を初めから人間の幸せのために使うことがどうしてこんなにも困難なのだろう。

「人間の幸福」を求める権利などではなく、何か歴然たる名目が必要な国家予算とは、この体の中の大腿骨の脆さにも似て、武器にもなるが宇宙船にもなる、為政者の心のありようで簡単に変わってしまうものらしい。

1979年作の「海からの来訪」だって、F30号

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有元利夫が亡くなったのは、1985年2月24日のこと。享年38歳。

生きている間に会ったことも無く、全く閼伽の他人なのだが、画集を一冊買ってから、ながい永い付き合いの叔父さんのようにも思われる。

画集で見るだけで好きになった絵に、後々、巡回展や美術館で巡り逢い、やはり間違っていなかっと安心したり、ちょっとガッカリしたり、様々なのではあるが、有元の作品の場合は、まず、満足できる。

代表作の「花降る日」は、F50号。日展などの大きな絵ばかり並んでいる会場に圧倒されていると、「やっぱりこれくらいでいいよね!」と、思ってしまう。

1979年作の「海からの来訪」だって、F30号。近づいたり遠ざかったり、何時間でも見ていられるような、そして、一番大事なことなのだが、何度でも見てみたいような、そんな気にさせてくれる作品だった。

かつて、ある工芸作家の個展会場で、素敵なリコーダー演奏曲が流れていて、欲しいと思って尋ねてみたら、有元利夫が自分の演奏を録音したテープを、妻の容子さんからダビングしてもらったとのことだった。

バロックのゆるやかな日常が、おだやかに揺蕩うような、心に沁みる演奏だった。

河はみな海に流れ入る

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普段あるべきものが消えていると、一瞬戸惑ってしまう。

今朝は、行政が気を利かせて作った小洒落たウォーキングボードが消えていた。

モチロン、完全に無くなった訳ではなく、河の中に水没して歩けなくなっていたのだけのこと。設計上は、台風などの大水の際、水没してもいいように作ってあるのだが、台風8号が過ぎ去った今頃どうして・・・と考えれば、大潮である。

なるほど、昨夜は天気も悪く、夜空を見上げることもなかったが、日本標準時7月12日20時25分が満月に当たっている。満潮は17時45分。

それから約12時間経てば、やはり満潮に近かろう。しかし、この水位は、ただ満潮と言うだけではなく、台風8号が降らせた山間部、上流域の雨が流れ込んできているのも事実だろう。

河の水の色は、台風後の茶褐色の濁流ではなく、すでにジャスパーグリーンと言ったところ。日本色名なら、暗めの緑青色。

結局、軟弱者の私は、方向転換。迷う事無く、来た道をそのまま帰ってきた。

「河はみな海に流れ入る。海はみつること無し。河はそのいできたる所にまた還りゆくなり。」

http://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/db/tide/suisan/suisan.php?stn=TK

Esa-Pekkaのインスピレーション

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フィンランドの現代音楽作曲家、指揮者エサ=ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen)が、iPadのコマーシャルに登場している。

現代音楽と言えば、シェーンベルクや武満徹のイメージから、ピアノに向かいながら五線譜に万年筆で楽譜を書いていくものだと思っていたが、やはり時代は進化している。

そう、武満だって五線譜を使わず、奇妙なグラフィックを使って演奏者に指示していたこともあった。

1958年生まれのエサペッカだって、当然、最先端技術やガジェットを駆使したって可笑しくはない。否、アップルのiPadが、やっと作曲家や演奏家にも利用できるハンドヘルドのコンピュータに進化しただけのことである。64ビットだもの。

それでも、何だか少し嬉しい。片手に乗るほど小さな機械をピアノ代わりに使って音を確認したり、シンセサイザーのように採譜に利用したり、Notionアプリを使って編集したり、譜面台のように広げて?みたり・・・

モチロン、「Esa-Pekka Salonen – Composer」の楽曲も、iTunesから購入できる。

そして、今なら30分弱のヴァイオリン コンチェルトが無料でダウンロード可能。

一度お試しあれ。

http://www.apple.com/jp/your-verse/orchestrating-sound/

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追伸2018.10.17:上記のiPadの紹介サイトへのリンクはすでに終了。

iPadでの作曲の様子は無いけれど、Esa-Pekka Salonenの音楽は、

Youtubeからも聞くことができる。

Esa-Pekka Salonen, Violin Concerto (2009), Leila Josefowicz and the Philharmonia Orchestra, digitally released 26 May 2014.