作品について:
「InterCommunication」創刊号から5年間21回にわたり連載されたもの。単行本にはしないと著者みずから決める。コンピュータのなかのアジア、手の記憶、身体技法としての音楽、電子的貧困、コンピュータ音楽、音の反日常的身体について、ピアノ、作曲家の生活、消えていく音、など。
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著者について:1938年生まれ。作曲家、ピアニスト。作曲を柴田南雄らに師事。作品多数。作曲、演奏、指揮者としての近年の仕事をまとめたCD「高橋悠治リアルタイム」1〜7がある。印刷された最後の著書は『カフカ/夜の時間』。
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これは理論ではない。 いまやっていることに関わるいくつかの観察にすぎない。 この方向のしごとがやがて理論やシステムを形成するのか、ということも疑わしい。 むしろ、これは少しずつ変化しつづけるプロセスであり、 システムどころか方法にさえなり得ないものではないだろうか。 ともかく、いまやっていることは 作曲プログラムによってコンピュータがサンプラーをコントロールして音を出す という演奏のやりかたで、 一つのコンピュータと一つのサンプラーだけでできているから、 この種の演奏形態としては最小限のものと言えるだろう。 これだけでも音楽の演奏には充分ではあるが、 生楽器の演奏と組み合わせる方がおもしろいし、その場合は 近代楽器よりは伝統楽器との方がよい。 伝統楽器は固有の共振モードをもっていて、 音色にもとずくやりかたに適応しやすい。 近代楽器はピッチを明確に伝達するために改良されているので、 音色は副次的な指標にすぎない。その意味では抽象化した楽器だが、 コンピュータから見ればまだ抽象度がたりない機材であり、 中途半端な存在と言ってもいい。 これらの楽器はいずれ再改良、あるいは逆開発によって、 いったん元の状態にもどしてから、 改良の過程で失った音色やノイズを含んだ新しい形を考えなければ 飽きられてしまうだろう。 バロック音楽だけではなく、 モーツァルトまでが古楽器で演奏されるようになった。 音色をとりもどすことは、現代音楽の作曲家や演奏家たちが試みたような、 ピッチにもとずいた近代的な形態をそのままにして、 その上に特殊奏法を付け加えるようなやりかたではできない。 さて、この最小限の演奏装置を手にして作曲し、演奏しているうちに 分ってきたことがいくつかある。 1960 年代にコンピュータとはじめて出会ったときは、 それは超人間的な巨大頭脳だった。 普遍的なシステムが存在し、 コンピュータはそれを体現して、世界を制御するべきものだった。 文明は空間を拡大し、時間を縮小する。 東京からニューヨークまで飛ぶこともできるし、 通信衛星を通して東京にいながら ニューヨークの画像を見て、会話を交わすこともできる。 すべてが情報になったとすれば、 人間が動かずに情報を動かした方が効率的だろう。ただし、 こうして集められる情報量と情報の価値は反比例するらしい。 それは「くだらないことばかりを知るようになる」というよりも、 「知ってしまえばたいしたことはなかった」という感じに近いが、 脳の食物が情報だと考えたテクノロジーは一面的なものだった。 最近になって再会してみると、コンピュータは道具箱になっていた。 持ち歩けないまでも机の上に置けて、 記憶させておいた資料を取り出してはいくつかの操作を加えて またしまっておくための装置。 一つのプログラムで世界をあらわすことはもうできないが、 いくつかの標準化され、交換可能なプログラム単位、あるいはモジュールが、 組み合わされてさまざまな仕事に対応する。 人間を支配する中央機関としてのコンピュータではなく、 記憶を操作する補助装置としてのコンピュータ、 個人と対話するだけでなく、 標準化されているからいたるところに分散しつつ、 個人の間に交信可能な関係の網を織りなしていく コミュニケーションの媒体としてのコンピュータがここにある。 モジュールに分解するやり方は、音楽を作るのにも役に立つ。 普遍的な論理が存在し、 単一の構造にデータを投入すればあらゆる状況に対応できる、 というような超ヨーロッパ音楽はもう考えられない。 さまざまな文化が共存し、多様な音楽のタイプが存在している現在は、 異なるタイプの基本構造の交換と組み合せという方法は、 対話のためにはたしかに有効だろう。 受け取った情報を操作して送り出すという点では、 コンピュータはフィルタであり、モジュレータでもある。 フィルタの機能が選ぶことと、選ばれたものからノイズを取り除くことだとすれば、 モジュレータは一つの関係をそれと等価の別な関係に置き換える。 ここでは外からあたえられた情報と装置に内在する構造は、 構造がデータを処理するという一方的なコミュニケーションしかもたない。 しかし、音を聴くという知覚のレベルでさえ、 外部との接触は双方向に作用している。 データに対応して構造も変化すると言ってもよい。 音楽を創るということにもなれば、 構造を変革するだけでなく、 ランダムなデータから自己創造する構造が必要になる。こうなると 現在のコンピュータは人力飛行機のレベルにしかない。 もちろん 1960 年代に考えられていたような、 デミウルゴスを封じこめたランプを期待しているわけではないが、 現在のマン・マシン・インタラクティブ・システムは 対話の相手としては白雪姫の継母の手鏡よりもたよりない。 じっさい、安定した作曲モジュールをつくるのはむずかしい。 一つのモジュールは使う度に再編集と修正が必要になる。 それは「あらゆる場合に備えてより一般化する」という方向ではなく、 「個々の状況において対応のしかたを変える」ことになる。 一つのモジュールを他から区別している特徴的な振舞いも だんだんあいまいになっていく。 結局モジュールとは変化の過程のある段階で見えている形にすぎない。 道具箱としてだれでも使える作曲プログラムはついに完成することはなく、 自動作曲機械の設計はむなしい夢におわるだろう。 基本形態や基本構造が存在していて、 それを組み合わせれば音楽になるという考え方は、 じつは組み合せの結果として生まれるはずの音楽が はじめから存在していることを前提にしている。 ところが実際には、細部まで楽譜に書き込まれた音楽を演奏しているときでさえ、 この曲は演奏がおわるまでの時間内にすでに存在していて、 演奏とはそこにある音符を一つずつ聞こえる響きに変えていくことだ、 などと言うことはできない。 音がそこにあり、沈黙がそこにある、 そのようなことが無数の音について起こる。 さまざまな色をもつ音の点滅から音楽的時間や音響空間が生まれる。 その反対に抽象的なピッチ空間と連続時間がはじめから存在していて、 その枠のなかですべての音が規定されるのは 最近 200 年のヨーロッパ音楽の習慣にすぎない。 ある構造とデータが接触すれば、双方に変化が起こる。 データの特性をこわさないような操作をおこなう柔軟な構造は、 自ら変化することによってこの操作を可能にする。 この場合、変化度はすくなく、 双方がその特性を失わない、おだやかなコミュニケーションが成立する。 それをプログラムするのは、かなりむずかしいだろう。 触れる度に構造がいくらか変化するようなプログラミングは、 規則に対して例外があるのではなく、 それ自体の内側に例外を含んでしまった規則で構成されることになるだろう。 易の変爻を思い浮かべてみよう。 また、ある種の卜筮は吉祥が出るまでくりかえされる。 世界のバランスの微かな変化をさぐっているのだろうか。 結果としてのコインの表裏は、 連続性を前提として確率的に決まるというよりは、時機の到来を告げるものだ。 ある構造を創ったらすぐに、それをあいまいにすることを考え、 一つの規則があれば、かならずその例外をどこかに表示する配慮は、 アジアの多様な伝統に共通している。 絶えず変化するプロセスの接線としての構造は仮の家であり、 点滅する音には決まった位置や関係もなく、 音は安定した根から生じるものでもない。それでも、 ゆれうごき、あてどもなく漂うこの音を コンピュータで創り出すことはできるはずだ。 混沌から出発し、わずかな差異を感じとり、仮設の足場を築いては崩しながら、 音色の容器としての音楽を織りあげていくことができるはずだ。 差異を敷衍すれば両極に至る。 天地、善悪、清濁、明暗、陰陽、内外と、 二極対立を判断の軸に立てるのはさまざまな文明に共通しているが、 ヨーロッパの論理が「あれかこれか」という選択と、 それをおこなう主体に基づくのに対して、 アジアではそれとは異なる論の立て方が残っている。 それは表面的には「あれもこれも」と言っているように見える。 我をすてて世界の矛盾をあるがままに受け入れる 「すべてよし」という大愚の悟りが東洋の知恵の道と思われている。 しかし、両極のバランスをとることは、むしろ 両極の作用を弱めることと考えられる。 神々と悪霊とにひとしく供物を捧げること、 喜びや悲しみをあらわさないこと、あるいは過剰にあらわすこと、 客をもてなすことと心を読まれないように慎むこと、 他処者を首長に迎えることのように さまざまに矛盾する風習に影を落しているのは、 宇宙の秩序を乱さないための、あるいは 世界の秩序によって乱されないための配慮と、報復へのおそれ、 「あれでもなく、これでもない」という反選択であり、 あいまいさのテクノロジーでもある。 太極は太虚でもある。 存在しない中心に収斂しようという見せかけ、 中心をぼかし、準備とあとかたづけに時間をかけ、 装飾の尖端に内面の変化を読み取ろうとするこの反世界の反論理は、 ことばで追及すればするほど定位しにくくなるが、 精密な技術であり、日常的に現れる、ありふれたものでもある。 音楽の音色、舞踊のなかの身体の印、儀礼のなかの作法は、その結節点となっている。 1 か 0 かというディジタルの論理は、選択の究極にたどりついたものではあるが、 ディジタル、つまり指の論理である限りでは、 1 でもなく 0 でもないナタラージャの指先の反りと メビウス的な表裏の関係にあるのかもしれない。 ある日、音色の数学を手に入れることができるとすれば、 それは確率論にそっくりな反確率的関数かもしれない。
さてここで、送られてきた『InterCommunication』創刊号をパラパラとめくり、 コンピュータ・コミュニケーション、 仮想現実、遠隔臨場感などのことばをきらめかせながら、 テクノロジーがすでに人間を変えてしまったことを疑わずに、 あらゆる情報を即座に解釈する現代の占筮 者たちの言説を拾い読みするうち、 世界はそれほど居心地のよいものではないということを、 かれらはどこかで感じているような気がしてくる。 ここに現れるテクノロジー的人間は、 ゴーグルとデータ・グローブを着けて原子炉の冷却装置をいじっている、 としようか。 このような装置に視覚も触覚も委ねているために 数千キロも離れていると信じている現場はじつは通りの向かい側にあって、 不器用な遠隔操作のおかげで、 すでに過熱した装置からは蒸気が噴き出しているのが見えない。 それも当然だ。何故なら、 われわれが客観的現実と思い込んでいるものは存在せず、 感覚と外部との接触を脳が判断したデータがすべてなのだから。ところで、 脳は脳自身にとってはたして存在するのか、 神経束と脳の境界を脳は区別できるのか。 脳が内部にあり、神経路を通じて外部とつながっているという言明は、 まさに客観的現実の観察者の立場ではないのか。 視覚や聴覚、さらに触覚を構築するテクノロジーは、 初歩的とは言え、なかなかおもしろい効果をつくりだすことに成功した。 もうすこし発展すれば それに基づくコミュニケーションの新しい形態も確立するかもしれない。 だが、それが感覚そのものを変え、 さらに世界を変える前に、変った方がいいのは、 それについて論じることばだろうと思う。 現象を分析し、隠れた本質を抽出するといった論理が、 いまだに使われているような気がする。 近過去から先駆的傾向を見つけ出し、 そこから現在の実現段階へと引かれた線を延長して近未来を夢見るという 線型論理以外の展望はもてないのだろうか。 マラルメとデータベースを比較してみると、 データベースはまだマラルメの書物をつくれる水準にはないし、 その水準に至ることはまずないだろう。 カフカとコンピュータ・コミュニケーション、 ジョイスと人工言語でも同じことだ。 ハイ・テクノロジーの産物は、初歩的であるだけではない。 問題はむしろ、それらが人間の想像力をあまり信じていない、あるいは 想像力を抑制するようにはたらく、というところにあるようだ。 脳と世界をむすぶ神経路という客観的な言い方でしかことばにできないにせよ、 関係を重視し、実体は関係の網の結節点だとするならば、 幻覚と現実を区別することはできないし、 そんなことに意味もないから、 ゴーグルで見ているイメージだけが世界であっても差し支えないはずだが、 その世界は外部との接触をいったん遮断し、 あらかじめ設定した環境のなかに包み込むことでしか実現されない。 その環境のなかでうごきまわることも、ある程度変化させることもできるが、 それはすでにプログラムされている範囲を越えない。 用意された快適な環境に包み込み、内面化するテクノロジーは、 技術的発展とは別に、あるいは それを方向付けているとまでは言わないにしろ、それを作り出す必要を感じた 文明の欲望のある様相を表している。 「インターフェイス」というコミュニケーションの様式は、 表面から読み取ること、 脳と化して内部にひきこもった人間とプログラムを内蔵した機械が、 お互いに内部に立ち入らないでつきあうやり方を指している。 テクノロジー論者の描き出す夢のような未来図にもかかわらず、 このように考えるしかなかったこの文明は疲れ切っているのだ、 と推測することも可能なのだ。 文明がある方向に発展していくこと自体が死の徴候となることもある。 過去にはローマ、クメール、アステカなど、 うまくいったために滅びた文明や、 それ自体の神話に絡みつかれて無気力に立ち枯れた文明もあった。 現在開発されている技術がもっと発展し、 輝かしい未来をもたらすというような予測には何の根拠もない。 テクノロジーとその神話を区別して、 新しい発見を古びた論理で祝福している解釈学は 沈みかかっている文明と運命をともにするとしても、 発見された技術そのものは残るという考えも、 いささか楽天的ではないだろうか。 予想もされなかった (それだからこそ、その名に値する) 発見が、 いまのテクノロジーを異なる方向に押しやることの方が、 はるかに可能性が高い予測と言えないだろうか。 この文章を書いている、というより叩き出しているコンピュータにしたところで、 いまのテクノロジーが不安定な基盤の上で、 一方向だけに暴走しているという感想をもたせるには充分なしろものだ。 小さな基板に焼き付けられた回路が瞬時に無数の決定をおこなうことができる、 というこのハイテクノロジーの産物が、 一方では無駄な放熱の初歩的な問題さえ解決できずに、 絶え間ないファンのノイズを撒き散らしている。 なめらかなディスプレイがユーザー・インターフェイスの快適さを誇っているが、 裏側ではパッチコード・スパゲッティが埃を呼び集めている。 コンピュータをただ論じるとしたら、 その速さを「純粋速度革命」などと呼ぶこともできるだろうが、 それを使って音楽を創る方から言えば、 その遅さにいらいらさせられるばかりだ。 これは信じられないほど鈍くて、愚かな道具なのだ。 決められた手順にしたがっていれば、仕事はたちまちできてしまう。 だが結果を修正しようとしたり、手順を変えようとすると、 機械は抵抗するように思われる。 機械というものが目的をもったシステムとして定義される限り、 またその目的設定が外部を遮断した快適さとむすびつく傾向にある限り、 そこに踏み込んでくる使用者を妨害するのは、 機械の自己防衛と言えなくもない。 相手が人間でなく機械だから、 こんなに非創造的な関係を打ち切るどころか、 視力を失うまでディスプレイを見つめて深夜まで作業に追われることになる。 電気的エネルギーが速度という一点だけを追求しながら微細化し、 電磁波の絶対速度で地球をコミュニケーションの網に絡めとったとは言っても、 これはどこか砂上の楼閣的なテクノロジーの勝利であって、 このエネルギーがその反面でもつ不細工さ、 発電装置の巨大な規模とその破壊的な性格 (水力、火力、原子力による汚染、地域破壊)、 廃熱の蓄積による温暖化、 エレクトロニクス工業による水の浪費などの問題を忘れそうになる。 このエネルギーが貯蔵に不向きなのも特徴的で、 不釣合いに大きな化学的装置を必要とする上に、 微量の放電は避けられない。 これとおそらく関係する問題が、記憶の短さだ。 石に刻まれた古代の碑文が数千年も保存され、 紙が数十年かかって劣化するのに対して、 電子的記録は数十年以内に消滅する。 それは大量の情報をもち、記憶をもたない文明にふさわしいメディアと言える。 (情報論が人間を機械と考えるように、 人間の記憶も、 コンピュータが情報を保存するのとおなじに思われてはいないだろうか。) エレクトロニクスがクールな表面に内側のハイテクノロジーを包み、 裏側にローテクノロジーを排出するアンバランスな技術であることが 偶然ではなく、むしろ構造的にそのようなものとして意図されているとしたら、 補完的な改良の試みにもかかわらず、 それはそれ自体の発展の純粋速度によってますますバランスを崩すだろう と想像する方が自然だろう。 プロセッサーが加速されれば、その分加熱することになる。 ナノテクノロジーに巨大なファンを組み合わせないですむためには、 どうしたらいいのか。それとも、 ハイテクノロジーが裏側にローテクノロジーを引きずっていることは、 アンバランスではなく、 これこそがバランスなので、 もしそうでなかったら、人間は 自分が飛ぶ技術を発明する代わりに 飛行機のようにやたらに大きく不細工なものを考え出しはしなかったろう。 テレポーテーションやワープは SF だが、 テレプレゼンスは 3D 映画とそんなに変らない。 仮想現実は超現実ではなく、 このみすぼらしい世界、ほとんど無為の日々からはどうしても離陸できないのだ。 ただ映画館には外があるが、 脳内部にひきこもった人間にはもう外部は存在しないと、 この脳自身は考えることができる。 映画館が発明されたおかげで、情報理論も成立可能になった。 観客はまず暗闇のなかにいれられ、 防音した壁のなかで光も音も奪われる。 一人ずつ座席に固定され、一方に顔を向けるように強制された上で、 スクリーンから大量のメッセージを流し込まれる。 映画館は手術台と宇宙船の妥協案なのだ。 演劇の時代はこうはいかなかった。 『ハムレット』の劇中劇がもう一度舞台化して見せているように、 額縁舞台のなかのドラマは、 桟敷で進行している社交、駆引き、陰謀の引き立て役を勤めるにすぎなかった。 歌舞伎の観客にとっては桟敷のなかが生活であり、 舞台はテレビが本来あるべき姿、室内照明の一種なのだった。 現実のテレビは不幸にも映画の後に発明されたために、 マクルーハン理論にしたがって、映画を演じている。 そこで、見る側も倒錯して、 ホームドラマを見ながら、つい家族を演じてしまう。 人間が受動的な感覚器であり、 忘却という微量放電をともなう欠陥情報処理機であるとする立場と 世界とは暗い頭蓋内に閉じ込められた自我が 神経路からのデータを分析して作り上げる幻覚であるという思想とは、 正反対のように見えても、 遮断された感覚を刺激してつくる疑似現実を追求するという、歴史的役割を ひとしく担っている。 仮想現実からただの現実に転落する瞬間のショックには 失望という緩衝装置が両方向にはたらく。 だれもがディスプレイに繋がれたまま干からびていくサイバーパンク戦士の 至福感を体験することはできない。 操作する側とされる側の分離があれば、 システムの作者とオペレーターも体験から除外されることになるだろう。
書くこと。書きつづけ書きすすめること。 集中して、まったく集中して書く手先に。 書かれたことばをふりかえらないですむように。 次に書くことばをとびこさずに。 ゆっくりと書きすすめること。ことばの糸を切らないように、 それが自然にほどけてくるままに、 ことばの触角がすすむ先をそっとたしかめながらすすんでくる半歩前にいるように。 考えずに。 考えることはふりかえること。 ふりかえれば、 ことばの触角はためらい、ほどけてくる流れ、くりだしてくる糸はとまる。 いったんとまれば道はもうない。 すすむこともできない。 まがることもできない。 枝がそこでおわる。ほそくせまくなった流れをすてて、はじめにもどる。 はじめからやりなおすことの利点。 はじまりの地点にはひろがりがある。 どの方向でもいい。最初の枝とおなじ方向にすすむとしても、 それはおなじ流れをつくらない。ちがう時間がちがう流れをつくり、 前の流れからいつかそれていく。 根から這いのぼる別な時間の樹液はそこにあった枝にかさなっていても、 いつか別な方向を見つけてあたらしい枝をのばす。 そのゆっくりとした途絶えないうごき。 うごきが見えないほどちいさくなれば、流れは全体にひろがっていく。 機械は最後に見たものを記憶する。 何度も失敗し何度もやりなおし最後にこれでいいと決めたものを、 そのものだけを機械が記録する。 何度失敗し何度やりなおしても機械が記録したものは はじまりの日のかがやきをもっている。 そこには時間がない。 ひとつを記録することはそのほかのものをすべて忘れること。 ひとつを選ぶことはほかのすべての可能性をあらかじめ取り除いてはじめて可能になる。 それも 最後に選ばれたもの、一番あたらしいものだけが最初からそこにあったかのように。 それも 次にくるもの、もっとあたらしいものにいつでも取り替えられるかたちで。 この記録には記憶がない。 人間が年をとるにつれて時間は速くすぎていく。 そのそばを通りすぎるものごとは淡くただよい 引潮の渦のなかに見失ってしまう。 見ることは跡をのこさない。聴いても何も聞こえてこない。そうなったときに 記憶の地図はかさなりあった枝をひろげる。 ひとつのものごとはくりかえされない。 おなじ川にはいつもちがう水が流れる。 人間の記憶は呼びもどされるたびに乾いた川床にあたらしい水を流すだけではない。 地下をめぐるたくさんの支流の水脈がゆっくり浮きでてくる。 それはもうおなじ流れではない。 古い記憶はつかわれなかった時間の重みで別なものになってよみがえる。 半透明で 透かして見るとなかにとじこめたかたちや色合いがつぎつぎに変わる 空間の孔。 昔のことを思いだすとき、 すぎてしまったものごとがそのままもどってはこない。 時間のなかで何回も重ね書きされた線があいまいな輪郭をつくりあげるが、 その輪郭をつくる線はどこにもない。 いたるところではみだし、いたるところに食いこみ、気ままにふるまいながら、 輪郭に沿って引かれるかわりに、 何もない空間に自然にあらわれたメロディがそれ自身の輪郭を夢見ているだけ。 メロディが唄いながら想像のなかでつくっていくそれ自身の輪郭は それ自身から引き離すことができない。 時間のなかで重ね書きされるおなじメロディは おなじ線ではない。それがつくりあげる輪郭はおなじ輪郭ではない。 線が重なった部分を切りとり、別な時間に通りすぎたおなじ地点をかぞえあげ それらを集めて輪郭と呼んでみることもできるだろうか。 こうして切りとられ数えられた輪郭と呼ばれるものが 偶然の効果としてとりのぞいた線の一回限りのふるえ、 何も意味していないちいさな偏りやあまり確信のない移動が その線を唄わせているとしたら。 重ね書きのかさなった領域のすべてではないにしても、 ほんの一部にしても偶然にかさなったもの、 または偶然とみなしてとりのぞくはずの細部が 偶然にかさなったものでないとは言えないとしたら。 一回限りの線でさえも、 まだ何もない空間をよこぎりながらそれ自身の輪郭を思いえがいている。 その線が一回限りのものとなって消えてしまわないように 見ている目にさしだすものは その線自体ではなく、その輪郭。 おなじ線が何度もあらわれて空間をよこぎるたびにぼやけていく輪郭は 線が通りすぎた地点をたしたものでもなければ、 かさなった領域でもないとすれば、 線の記憶のうしろにある時間の深さがのこる。 見えない手が空中にあざやかな線をえがいて消えると、 しばらくのあいだその輪郭がのこり、 その残像もゆっくりうすれ熔けていく。 たよりない残像から線の運動をもう一度つくろうとしても 楽譜から呼びもどされるメロディは過去の音楽になってしまっている。 線はそのたびごとに輪郭をさしだすが、 あらわれるたびに変化する線を輪郭からはつくれない。 できるのは、ひからびた線の残像がせいぜい。 時間の深さに裏打ちされた線。 そこに見えるのは線そのものではない。 線がのこしていく輪郭の時間の断層を透かして見えているのは、 この線があらわれるたびにそこにあって、 しかも一度もそれとしてえがかれることがなかったもの 線のはじまり、はじめの線。 それは時間のなかに重ね書きされたすべての線からとりだされる もう一本の線ではない。 線があらわれるたびに通過するきまった地点の集まりではない。 この線がこの線であるものとしてはじめてえがかれたとき、 またはこの線がまだこの線であることを知らずにえがかれたときでさえ、 そこにはたらいていた手のうごきがあった。 手をすすめていくひとつの意志があった。 手をうごかしているこの意志は、 それをさまたげる関節のかたさを 手が手であるために必要な支えだけをのこして和らげながら その意志のままにうごこうとする手の指の先の一回限りのふるえ、 かすかな偏りと別なものではない。 その意志はこうして指先にある。 それと同時に指先から一番遠い場所が、 そのうごきにつれてわずかにうごいているのが感じられる。 それはたとえば足首かもしれない。 背中のどこかかもしれない。 そして首の付け根は。頭の上は。胸のどちら側が。 さまざまな場所を感じながら手をうごかしていく。 手のうごきはおそくなり、 ちいさくなる。 抵抗がゆるみ、 からだはたえず墜ちていく。 指先はかるくなり、すばやくうごく。線はしなやかに、つよくなる。 手のうごきがちいさくなるにつれて、 からだのあちこちに枝わかれした線がうごきだす。 のぼってくる線があれば、その反対側にはおりてくる線。 枝わかれした線のゆれうごくバランスにそって、このからだは共振する。 いま目のまえをよこぎっていく一本の線。 この線からその輪郭。輪郭を透かしてはじまりの線へ。 線のはじまりから何もない空間に あらかじめ引かれていた軌道をたどっているとでも言うように、 その上にかさなる時間の断層の厚みを予感していると言わないばかりに、 じっさいには軌道も予感もなく、 向かうべき方向があったとしても、いそがず 手の一回限りのうごきのままに、ためらわずすすんでいく手。 その手のうごきから 見えないが感じられるいくつかのうごきのゆれうごくバランスへ。 えがかれた一本の線からからだの内側の運動感覚にさかのぼることと、 そのような線がはじめて引かれた遠い昔にこの線がたどることもあり得た いくつかの軌道を発見することとはほとんどちがわない。 これを空間の外側と内側が対応している と言ってしまえば呪術になってしまう。 意志が手を通して線に変わる と言えばメッセージになってしまう。 意志が内部で分れたうごきのバランスと別のものではなく、 線がそれらのうごきの束を見る一つの角度にすぎないときに、 時間のはじまりも 取り返しのつかない過去から、越えていくべき未来へと環になって回り込む。 人間が手と口で記憶をつくりあげてきた伝統は、 石にきざまれ紙にしるされた記録とは反対方向を向いていた。 手も口も よびだされるたびに記憶されたものをその場でつくりなおしてきた。 いつからともしれない昔はすぎさってしまうことはなく、 それはいつもいまのものとしてその場にあらわれる。 石にきざまれたものはきざまれた姿のままでいる。 紙に書かれたものも過去の過ちのままに古くなる。 つくりなおすためには石をけずり、紙をこすって 別の線をつけくわえなければならない。 それもそのまま。そこでうごかなくなる。 手の記憶。 口の記憶。 これらは日々の務め。 日々の祈り、日々の食事、日々の瞑想。 そのたびに完了しても、次の時には はじめからやりなおさなければならない。 次にすすむためには はじめにもどらなければならない。 ちいさな記憶がそれぞれの時間の環をつくり、 無数の環がかさなりあって回転している 日々の生活。人間の文化。文化の伝統。 この時間の環のかさなりに発明はない。 時の深みからつきない発見はある。 手のつくりだしたメロディではなく、 メロディをつくりだす手を 手が書きとめようとする。 チベット人は声の色、あるいは喉を通りぬける息の色を書く楽譜をもっている。 息はことばの上にたちのぼる旗。 時間の波となって打ちよせる風の馬。 唄は口伝えにおしえられる。 覚えてしまったときに 記憶をたすけるために楽譜があたえられるという。あるいは、 覚えてしまったときは、記憶にそれをきざむために 楽譜を破らなければいけないという。 ユダヤ教会、ビザンティン教会でも 楽譜は声の抑揚をしめす手のうごきからつくられたという。 いまでもインド古典音楽の歌手は手をつかってうたう。 口の記憶が衰えるにつれて、手のうごきを書きとめた記号は 記憶から記録に変わっていく。 電子メディアは記号を記録するだけでなく、 記号列を毎回つくりなおすプログラムをもつこともできる。 さらに見えない手そのものになることができるだろうか。 その必要はあるだろうか。
コンピュータ編集によりフロッピー入稿をしているのに、 ゲラを速達で送るとは、何のためのニューメディアでしょうか。 著者校などとは何という古典的作法でしょう。 [編集部責任校正]としておけばいいのです。 テクノロジーをほめたたえる文章などは、 だれでも無責任に書きちらすことができます。 そんなものをのせるより、テクノロジーをつかって編集システムを変えることや、 すっきりとしたページをレイアウトするほうがたいせつなことではないでしょうか。 書体が変えられるとかグラフィックが使えるからといって 雑然とつめこんだページがならぶ雑誌はいままでもありましたが、 そういう雑誌はながくはつづいたためしがありません。 「編集」は 20 世紀が発見した重要なコンセプトです。 著者の主張などは 19 世紀にまかせておけばいい。 テクノロジーもメディアも編集の必要を追って変化してきました。 校正の概念にしても、 たとえば「かさねて」と「重ねて」が混在する文章で 書式をどちらかに統一しようとするのは、 バッハのクリティカル・エディションをつくるように 作者と作品の理念を優先する文化であり、 不統一のまま放っておくのは 口承と即興を尊重する文化と言えるでしょう。 こうして編集は知の考古学となります。 著者校などで責任を回避せず、自発性をもって判断してください。
高橋悠治
[編集部責任校正]
いまから二三百年前に書かれた三味線の楽譜が数冊ある。 どれもが自分だけのやりかたで、習った曲をかきとめている。 1664 年出版の糸竹初心集。 テスツテスツとあれば、 テとは 3 の糸をはなして上から引き、 スとは 2 の糸の 5 寸ほど下をおさえて引き、 ツとは 2 の糸の乳袋のきわをおさえて引くと解説され、 そのとおりに手をうごかせばできる。 手をうごかしてつくられた結果としての音をかくのは 中国や西洋の楽譜にもあるやりかたで、 それができるのは音のピッチをはかる方法をもっているからだが、音楽の理論を教わっていない江戸の人は、 習ったものを習ったとおりにかきあらわす記号をかんがえだした。 習うときには紙の上の記号は見ない。 師匠とむかいあって、 師匠が一節引く手を見て一遍、 師匠といっしょに手をうごかして二遍、 ひとりでくりかえして三遍、三遍やったら今日はおしまい、 忘れないうちに帰ってもう一遍やってみるか、 やってみないか、 やってみてできるのか、 こうして何回も通ってやっと一つの曲ができるようになる。 (子曰学而時習之不亦説乎) 先生が言う。 さしだす手があり、うけとめる手がある。 手から手へとつたわるものがある。 それだけではない。そこには時間があり、 羽と羽をかさね、または羽をくりかえしてうごかし 足先をすすめるのだ。 口をとじてふくらませ、両腕を下からささえて、 胸からのぼってくるものを声に解放する。 (ブルース・ガストン) 他人の音をぬすむサンプリング、 コンピュータにまかせた記憶。あぶないあぶない。 きみは記憶をうしなわないように気をつけなければいけないな。 バンコクでブルースのバンド、フォン・ナームの練習を見にいった。 タイ宮廷音楽の合奏のなかに めだたないようにサンプラーやシンセサイザーの音が埋めこまれている。 クブヨン老先生が冗談をいいながら、ふらふら歩いて帰っていく。 合奏のあいだは、先生はそこここに気ままに音をつけたして、 その音はそれほどめだたないのに、 音楽に光がちらちらさしこんでくる。 (ブルース) ここでは楽譜はつかわない。 メロディを習う。 習ったメロディをやるんじゃない。 メロディをめぐって演奏する。 クブヨンは若い人のように速い演奏はもうできないが、 ほんのすこしの音でだれよりも自由にメロディをあらわすことができる。 その音楽がどんなに深いか、 きみにはわからないだろうな。 音楽は紙ではない。紙の上の記号ではない。 空気の振動ではない。オシログラフのえがく波形ではない。 時間を横軸としピッチを縦軸として記録される点の位置の変化ではない。 これらのものなら機械が記録し再生することができる。 1 と 0 の列におきかえることができる。 それ以前にも、 音符という記号と 5 線という二次元の解析をあわせた 洗練された方法もあった。 だが、そういう方法では 音のかたちには不充分だ。 なにかがはみだすしている。 記号からうけとるものだけでなく、 それをめぐって生まれるものはどこにある。 一本の線をひいて 物の輪郭とまわりの空間を同時にあらわすことはできても、 ひとつのメロディを記録して、 その変容を記号から想像するのはむつかしい。 ひとつの話をはじめからはなしてもいい。 おわりからはなしてもいい。 建物のまわりを歩くこともできるし、 なかに入ることもできる。 庭の小径のように そのなかを気ままに歩きまわれる 音楽もある。 音がきこえはじめたとき音楽がはじまり、 音がきこえなくなったとき音楽がおわるのだろうか。 音楽は目に見えないし、なにも語らないから、 音のはじまりが音楽のはじまりなのか、 音のおわりが音楽のおわりなのか、 音楽のどこにはじまりがあり、おわりがあるのか さえわからない。 糸竹初心集は音を記録しようとはしていない。 左手を三味線の棹のどこにおき、 右手をどの方向にうごかすか。 左手は位置、右手はうごき、 の組み合せに仮名ひとつをあて、 それをとなえて習う。 口について手がうごく。 声という字は石板を棒でたたく手とそれを聴く耳をあらわしている。 音という字は口にこもった声をあらわしている。 声には 5 声の音律があり、 音には 5 音の音色があった。 漢人には石や青銅の文化があり、 音律は正確にはかって石板に切りだし、 青銅の鐘に鋳って保存しておくことができた。 中国の調には音律があり、音階がある。 音楽につかわれるあらゆるピッチは 一つの基準になるピッチから 一つの音程関係をつかって計算することができる。 板の上に絹糸を張り、その長さを基準音にあわせる。 その 3 分の 2 の長さをとれば、5 度上の音になる。 そのまた 3 分の 2 の長さをとり、 その長さが糸の半分より短ければ倍にする。 その 3 分の 2 をとり、…… これをつづけて 12 の音をつくって音律とする。 その 12 の音の一つからはじめて五つか七つの音をとって音階とする。 音階をつくる七つの音のどれを中心にするかによって 別な音階ができるから、音階の数は全部で 84。 木と竹の文化が漢字をとりいれたとき、 声と音は意味がさかさまになる。 声は口にこもるもの、 音はとおくからきこえてくるもの。 正確な律ではなく、 調子とよばれるどこかあいまいなものが 音楽にはいりこむ。 雅楽の六調子は 「めぐり (旋) 」によってきまるというが、 めぐりは音のうごきの型、 音階のどの音からどの音へ、 どのような線をたどって移るか、 どの音を強調するか、など。 理論からではなく、 演奏から経験的にまとめられたもの。 音楽をきけば それがあることはわかるが、 だれもはっきり書き表したことがなく、 すべてを書きつくすこともできないもの。 めぐりを演奏するとはどういうことか。 演奏しながらめぐりを感じることだ。 どうやってめぐりをまなぶのか。 めぐりをもつメロディを 手から手に習い、 それを忘れるまで、 くりかえし習う。 あとは手がやってくれる。 めぐりはラーガやダストガーハのように モード (旋法) なのか。 たしかにメロディの始まりの音、終わりの音があり、 中心になる音があり、 終わりかたのきまりがある。 だが、いくつかの固定された音をのこして、 音階はあいまいにひろがっていく。 ちがう音律をもつ楽器が同居し、 微妙にちがう音のふれあいをよろこぶ。 固定されたピッチの置き換えという モードの前提がない。 表面の構造を残して それをつくっている要素を 別なものに入れ替えてしまったために めぐりはいっそうわかりにくいものになっている。 時間の周期もすこしずつぼかされ、 4 の倍数でできている拍子のシステムが ゆらぎ、ゆがみ、ずれていく。 後の三味線音楽になると、 調子は調弦法を意味するようになる。 異常に長い棹の上に いくつかの共振する音のつぼが見つかる。 これらの響く音のつぼからつぼへ移動しながら、 中間に響かない音をいれていくやりかたが、 手と呼ばれる型にまとめられる。 能の八拍子の構造は 拍から次の拍までの間隔を持続として感じ、 その長さを心理的に操作する方法で解体される。 音楽は響きと間とに解体されても 音階と拍子の見かけの理論は廃止されなかった。 人を混乱させるだけの繁雑な理論は 音楽の実体とはかけはなれていて、 師匠たちは一応はそれを口にはするものの それを信じているふうでもなく、 しきたりと勘にたよってやっている。 実体とは分離した見かけを維持する必要が 日本の伝統文化の特徴となっているようだ。 それを仮名の方法論と呼ぶこともできる。
時間の三相、 過ぎゆく時の線、 回帰する時の円環、 顕現する時の原点、 それらを如何に統合するか、 そのための技法にはどのようなものがあるのか。 時間は認識様式であり、人間はその檻のなかから世界を見ている。 だが視覚型の動物である人間にとって 時間の檻は空間の檻のように日常的に感じられるものではなく、 見えるものの変化を通して推測するほかはないから、 その認識にはある種の危険をともなうことがある。 見出された時はほとんどの場合すでに失われている。 そうした衝撃から身をかわすための方法はさまざま発明されたが、 どこか自己欺瞞がつきまとう。 時間認識の様式それぞれは人間が世界に打ち込む楔。 混沌の闇から身をまもる光の矢。 だがそれは世界をつなぎとめるだけではなく、 自分の身にも刺さってくるとげ。 線である時間は解放する、ひとりひとりの存在を、 独自性を、瞬間の現在を、純粋な感覚を。 だがそれも制約にすぎない。 目標は無限に遠く、 一歩一歩は理由もない偶然の酔歩。 行く手に道はなく、道連れもない。ふりかえれば 過ぎていく瞬間はこぼれ、失われていく。 円環の時間はリズムであり色である。 青草をふたたび見るとき、鮭がふたたび川をのぼるとき、 人間はもうひとりではない。 暦があり、わかちあう時間、 おくらせてはいけない協同の作業をかかえた共同体ができる。 だがこれだって罠なのだ。 反復は業であり、一方では逃れられない輪廻となり、 他方では革命の弁証法となる。 運命の車輪がまわり、 何かを天頂に押し上げたおなじ力が、こんどは それを地底へ引き落とす。 善と悪がたたかうのではない。善は 存在し続けるだけで、すでに悪なのだ。 個の逸脱としての線があり、 共同体としての反復があるだけでは充分ではない。 これらを成り立たせるための規範として潜在する原点がある。 きめられた手続きによって呼び返される原点の時間の顕現は 回帰ではない。 反復されるのは型あるいは手続きであっても、 顕現されるものは二度とおなじ現れかたをしないし、 そうだからといって一回限りの偶然ということもできない。 そもそも、それについて直接語ることができることばが存在しない。 蔭によって光を知るように、 しかもこの場合は、影をつくるのは人間自身の知なのだから、 この光に背を向けた姿勢でやっと 顕現の痕跡を時間のなかで体験することができる。 この時間は時間のブラックホール、超密度に圧縮された時間、 直接体験できず、時間内にのこすひずみによって知られるだけの 時間の孔。あるいは この時間は異次元へのゲート、多次元の時間から 一次元の時間への投影図。 語ることもできず、知ることもできない ほとんど時間とはいえない時間、 時間の彼方に、あるいは時間の裏にあるこの時間が 原点として時間の規範になることのふしぎさ。 無限遠点が幾何学を規定するように。 直線、円環、原点と視覚的イメージに転換されて やっと語ることのできる時間の三相。では、 それらの相関関係と相互変換をあらわす視覚的イメージは。 円周は回帰する時間のイメージとなっているが、 もしこれを中心にただ一つの原点をもつ円軌道ではなく、 原点の求心力と直線の遠心力が拮抗して ゆがんだ一次元空間と見れば、 無限直線は有限の円となり、 その円周上のいたるところに出現する原点の密度が この線を歪曲していることになる。 あるいは円軌道のイメージを拡張して 一つの原点から膨張し収縮する球体を思いえがいてもよい。 この球体の表面は無限個の円軌道からできている。 もしそれを三次元の実体ではなく 歪曲した二次元空間とみなせば、 この面はいたるところに出現する点の密度によってゆがんでいて、 それに直交する無限個の直線軌道のうえで拡散する空間は、 その直線のねじれにそって やがて収斂する。この断面では 直線群はメビウスの環となって、 そのいたるところに特異点をもち、 拡散と収斂は非可逆的方向をもつおなじ運動、 全体はクラインの壷のような多次元時間体を構成する。 ここでは過ぎ去る時間は偶然の選択の連続ではない。 瞬間は失われる点ではなく、あいまいにひろがる時間のしみ、 個人の日常は一本の孤立した線ではなく、にじんだ時間の帯。 選択された可視的現在の裏に可能性の束があり、 視点の転換はいつでもできる。 多義的な可能性の共存として現在を考えることもできる。 竹筒を石の上に落す。軽くこもった響きはすぐ消える。 人間が時間を区切るこのやりかた、沈黙の句読点としての音。 それをくりかえすだけの音楽。 アジアのどこにでもあるこの単純なリズム、 日本で雨垂れ拍子と呼ばれる アクセントをもたず反復されるパルスは、 行為の継続する線であり、反復であり、 さらに音の間を聴きとることで音を地とする沈黙の顕現となる。 チベットや日本には間を次第につめていくリズムがある。 音ではなく、音によって区切られる沈黙に注意を向けるための 技法と考えられる。 反復されるパルスに第二第三の音が それぞれ異なる間隔をもって加わるとき、 階層化された時間組織があらわれる。 音がそれまでの沈黙にこたえるかたちで 時間を区切るということは、 異なる時間で沈黙を区切る複数の音は それまでの他の音にもこたえているということで、 それらの間の引力が それぞれの時間にわずかなゆがみをあたえる結果、 パルスは伸び縮みして、 単純な反復がそのままで変化の原動力にもなる。 反復するパルスの重層化が 音色の差異やメロディとしての変化をつくりだすとき、 それらを統合する規則が必要になる。 アジアでは 2 や 4 の倍数でリズムを組織する音楽がおおい。 対の考え方に由来するのか、あるいは 対の概念はここから発生したのかはともかく、 後の拍は前の拍にこたえてそれまでの時間を区切るために より強調される。 ガムランでは大きなゴング、雅楽では大きな太鼓が 最後の拍に打たれるが、長い余韻やアクセントのために 西洋音楽に慣れた耳はそれを最初の拍として聴く。 音が組織され、 異なる周期が対の原理その他によって統合されると 図と地は逆転し、沈黙は音のなかに埋没する。 時間の三相のバランスを回復するための技法、たとえば 雅楽の笛のようにリズムの区切りと呼吸の周期をずらすこと、 ガムランのように、終止音が確定しないうちに 次の周期を先取りして始めること、 叙事詩のように、特定の音に重心がかからないように 停止点にあたる音をいつも変える、 能楽のように間をつめたり、ためたりして 規則的な周期をぼかすもの、 唄の場合、ことばの切れ目とメロディの区切りをずらす、 センテンスの途中からうたいはじめ、途中で終わる、など。 アクセントをぼかして途切れない流れをつくるこれらの技法は 単一のパルスの反復による原初のバランスを思い出させる。 連続した時間の思いがけない中断で 沈黙の優位を回復する技法もある。 異なる音色の介入による中断は、 連続した単一の時間を 色分けされた別々の時間の集積に変える。 夜と昼は一日の周期のなかのリズムではなく、 異質な時間のそれぞれの堆積になる。 ジャワやバリの暦には いくつかの周期をかさねあわせるものがある。 5 日の周期と 7 日の周期の各日には固有の数があり、 それらは連続した数列ではない。 5 日周期と 7 日周期の数を足した結果が奇数であれば、 その日は 1 日周期でルアンと呼ばれる。 偶数ならその日は存在しない。 こうして計算すると、 35 日周期の間に 1 日周期の日は不規則にあらわれる。 5 日間続くとしばらく空白になり、また 1 日だけあらわれる というふうに。
慣習としての音楽。 くりかえされる 音楽という行為。 習い覚えて、 ひとりでにうごきだす指、 うたいだす声。 意味を考えることもなく、 くりかえしに身をまかせている心地よさ。 電話ゲーム。何人かが環になって座り、 耳打ちされたことばの列を隣の人に耳打ちする。 こうして一周すると、 情報は如何に不正確に伝わるか。 だが、八世紀の唐楽は 千二百年の間くりかえされ、 くりかえされれば自ずと変わり、 そういうものとして生き残る。 くりかえされるのは情報ではないだろう。 知識でもないだろう。意味でもない。 それは音でもないのかもしれない。 くりかえされるのは指のうごき、声のゆらぎ。 ひとつの身体からほかの身体に写されながら。 笙を電熱器で炙っていた手がそれを顔の前に捧げもつとき、 千年ほど前に別な手が東大寺の庭で (電熱器はまだなかった) 炭火にかざした笙を取り上げる その手付がそこに写っていて、 古文書に記された譜を解読するよりはたしかに 古代の音楽をうけついでいく。 楽器にしみこんだ記憶、 その管の長さ、指孔の位置が空間の鋳型となって、 手袋に手をさしいれるように、 そこに当てられる指を 千年前の指の残像に流し込む。 記憶というのは正しくないかもしれない。 今ここで笙を吹いている楽人が 千年前のだれかの音楽をうけついでいるというのは 外側からの言い方で、 実際に起こっているのは 今でなくても、千年前でなくても、 たくさんのひとがやってきたように、 手慣れたやり方で、笙を吹いている というだけのことだろう。 音楽は習い覚えるものである限り、 人と人のあいだにあるものだ。 習うときは、羽と羽をかさねるように、 音をつくる動きが手から手に写される。 先生にいっしょに弾いてもらって、一節ずつ音をなぞるのが 伝統的な方法だ。 アジアの舞踊では 先生が後ろから生徒の身体を操る教え方がある。 音楽ではそこまではできないだろうが、 他人の手にうごかされることは 覚える上でどうも必要らしい。 (これは遺伝子の自己複製とどこがちがうのか。) (ここで写されるのは情報なのか。) 音をなぞるとき、細部を調整するのは 同調、あるいは引き込みと呼ばれる現象だ。 わずかなずれが、その場で位置修正されるのは、 かならずしも意識的ではない操作によって 一致点へと引き込まれるからなのだが、 全体として見れば、他の手の動きが いままでの手の慣習のパターンを組み直して、 別な動きの慣習をつくりあげる過程なのだろう。 人と人のあいだで写されるものは 一回限りの形にすぎない。 その限りでは動きの同調を実現することはできるが、 なぞる過程を終えて次の段階にすすむとき、 何がどのようにうけつがれたのだろう。 写された形はできるだけの正しさをめざしながら どこかにあいまいなところが残ってしまう。 形が写された手の側で何回かくりかえされて 確実なものになったと判断されたとき、 (だが、どこに基準があるのか) その用法が教えられる (かもしれない)。 動作の目的、あるいは意味を意識することは かならずしも必要ではない。 目的意識は動きを急がせ、 つまずかせることもある。 動きがくりひろげられる過程を速めることはできても 途中を跳びこえることはできないだろう。 形を写すのは それ以外に方法がないからだ。 最終的にうけつがれるのは、 その形そのものではない、 それとは別なものでもない。 形はくりかえされることによって、 ひとりでに変化する。 型と呼ばれるものは形から抽象されるが、 型を厳密に定義するのは多くの場合たいへんむつかしい。 例を示すことしかできない場合もある。 例はまさに例にすぎないことを どうやって示せるだろう。 ところで、音が出たときには それをつくる動きはすでに終わっている。 と言っても、いくらかの微調整をする時間はまだあるだろう。 耳はこの最後の段階ではたらくのに、 音楽が、すでに音が出てしまった状態から分析されるのは おかしなことではないか。 音は身体の一連の動きの統合をたしかめる指標だが、 これらの動き自体は 孤立した身体のなかに閉じ込められたものではなく、 楽器という物とそれを弾く人とのあいだにかわされる会話、 習いうけつがれる技術として人と人とのあいだで共有され、 音を聴く他の身体を音から遡って同調させ、 引き込んでいくことができるものとして、 外部に開かれている。 音楽を考えるためには、 結果としての形、 固定されてはいても じつは偶然に生まれただけのものかもしれない音の特性、 意味を担うように見える記号の列に還元された計量可能な部分、 音の高さ、長さの構造からではなく、 楽器の上の特定の場所に吸い寄せられていく指、 手になじんでいく動きから始めるべきではなかっただろうか。 計量しにくい音色や間合いのような要素も、 外部の物や他の身体との対の関係のなかで捉えられない限りは 抽象構造にすぎない。 これらの対のあいだでとりかわされた音の一回限りの形から 型が生まれ、規則が生成され、 また破られ、崩されていった。 対の関係が 形の反復と同時に変化を保証していた。 東南アジアでは (東アジアでも) 単純な竹の楽器は、そのつくりから楽器固有の音楽まで 手や指を基準に測られ、伝承されてきた。 複雑な音楽も、 基本的に合奏であるために、 集団的な同調とゆらぎによって記憶されている。 ところが、古楽譜のように記号でしかなくなったものは、 さまざまに解読され、復元されるが 音楽としてよみがえる身体的根拠を欠いているように見える。 雅楽の古楽譜は、その曲の 一つの楽器による一つの演奏例の記録であると推定される場合が多いが、 そのようなものが現れたこと自体、 伝承力がおとろえた証拠ではないだろうか。 それらの楽譜が固定されると、 音楽が保存されるどころか、じっさいには 伝承がほとんど絶えることになるだろう。 すくなくとも、伝統は変質する。 近代以後、表面的には状況は逆転したかもしれない。 音楽は記号、意識的な方法、さらにシステムによってつくられ、 様式の変化も意識的に、急激に起こる。 (これは、いわゆる芸術音楽より 大衆音楽の分野でのほうが徹底しているように見える。) 固定されて活力をうしなった伝統にかわる、 社会や世界の存在根拠を見つけることができない 若い世代の不安定な心身分離のなかで、音楽も 共有される技術ではなく、専門化した個人的表現とみなされる。 機械的反復による物理的訓練によって実現される反面、 形は偶発的、一回性のものとして消耗される傾向がある。 だが、この反抗も様式に取り込まれるときがくる。 アジアのどこかで音楽の始原的状況にめぐりあった 音楽学者のフィールドワークだけではなく、 近代を通過した都市のなかにあっても、 身体技法としての音楽のモデルを構築することができる。 あらかじめ変化の芽をプログラムした形、 種子のように不安定に基づくエネルギーを内包する形、 部分のゆるやかな統合が組み替えを示唆し、 あいまいさによって反復のなかから変異を誘発する構成を 多義的な記号によって提示することもできるだろう。 このような形の生成を コンピュータでシミュレートできるだろうか。 生成の規則と限界を決めてやれば、 反復と変化によって自己組織する音楽を プログラムすることはできる。 だが、コンピュータにとって 外部はどのように感じられるものだろう。 外部からの信号に同調し、 情報を外部とやりとりするのは コンピュータにとってあたりまえだが、 そこで中心のないネットワークを組んだとしても、 コンピュータはどのくらい それに向かってひらかれ、 それになじみ、 それをよろこんでいるのだろう。 (教えたことはすべて記憶し、 正しい指令はすべて守り、 正しい問には正しくこたえる このかわいそうな、 頭の悪そうな、ブラックボックス。)
(カリフォルニアと東京を結ぶ 友人たちのパソコン通信に 書きつけたメモから) *コンピュータとかかわると、 ともすれば身体のことはわすれている。 近代化にしたがって メディア全体が視覚化されてきたが、 電子情報文化はそれではたりずに、 神経化・唯脳化したがっている。 この傾向を逆転できないだろうか。 *異文化理解は 身体的リズムの同調からはじまるのではないか。 *たとえば、歩くことは 電子テクスト形成に どのように生かされるのか。 *オオカミは仲間と交信するのに 声と姿勢以外に においづけによるマーキングをのこすそうだ。 おもに排尿と排便によるが、土掻きと蹴散らしもある。 これらは獣道の交差地点にのこされ、 これらの scent post をつなげると 行動圏の地理が他のオオカミに伝わる。 *カフカは文章をノートに書き込むことを kritzeln (scratch) と称していた。 物語は尖ったペン先から流れ出る。 ペンがひっかかると、物語も中断され、 未完のまま放置される。 *ネコが爪をといだり、ひっかくのは 意識を介入させない自動的な反応のように見える。 ネコをある姿勢に追いこむと、 突然爪があらわれ、脚がすばやくうごく。 それはネコにとっても予測できなかったこと のように見える。 *エイゼンシュテインは歌舞伎を見て 役者の声、しぐさ、音楽すべてで泣くという 表現の冗長さに興味をもった。 montage にはつみかさねるという意味もある。 *君子の六芸。礼、楽、射、御、書、数。 巫術、巫楽、射弓、馬車、筆の舞、細い竹棒をかぞえる。 身体の統合術。 *電子的テクストは 0 と 1 の長い列が 文字の擬態をしめしている。 キーを打つと、擬態が表面にあらわれ、 その痕跡が電子空間のどこかに記憶される。 パスワードを打ち込めば、記憶にアクセスできる。 ここではキーを打つ手より オンラインの転送のほうが速いから、 理想的にはキーボードに制約されず、 視線のうごきほど速く書ければいいと思う。 この状態は進行性麻痺の最終段階に似ている。 眼のかすかなうごきだけでも交信できるのだから。 だが、テクノロジーの未来物語はこれでも満足できない。 視線さえよけいなものだ。脳だけでいい。 こうしてテレパシーに行き着く。 思っただけで通じればいい、 脳から運動器官を通さない (でも未来世代コンピュータを通しての) 神経回路の直接交信の可能性。 脳は自立した器官なのか。 意識は (他の) 意識についての意識なのか。 *身体のうごきを統合する脳に 手をつかうことによって 新しい層が生成される。 手がさきにあり、 意識はあとから 必要なだけつくりだされる。 うごきが確定し、意識の支えを必要としなくなると、 制御回路は括弧にいれられる。 何かの理由でこれが再意識化されると、 うごきは停まってしまう。 うごきはいったん解体され、組み換えられて 新しい慣習が身につけられる。 *身体が新しいうごきを覚えるときのやりかた。 中国武術を例にして (楽器でもおなじだが)。 まず、先生といっしょにくりかえしうごいて、 全体の構図を身体に写し取る。 要所要所で停まって、姿勢を確認しながら。 最初はできるだけ細かく区分し、 うごいている部分が感じられるほどゆっくりと、 なれるにつれて、区分をおおまかにし、 なめらかに流れるようにしながら、 だが、できる自分でと思う速度よりはおそく、 ていねいに、だが、軽く、よけいな力をぬいて。 うごきについての説明はほとんどない。 これができたら、次には 先生のうごきをよく見るように言われる。 脚、肩、肘、手首、手、 身体の向き、傾き、頭、胸のうごき、視線などに 注意しながら。 さらに、それらの身体部分がどのように連動しているか。 それから、またいっしょに数回練習してから、 ひとりでやってみるように言われ、 うごきの細部を直され、 やっと自分で練習することが許される。 すると、それまでかかって写したうごきは、 もう糸がきれたようにぎごちないものになっている こともある。 先生といっしょの時には 同調するリズムに支えられていたうごきは、 いまや自分の身体にリズムの基準をもとめて はじめからつくり直されるのだろうか。 こうして身体に移植されたうごきは、 その身体のものになるにつれて いくらか変わるところがある。 くりかえすうちに、 水が流れやすい路を自然と見つけるように きもちのいいうごきの路が、 身体のなかにひらかれるかのようだ。 覚えたうごきをとりだして、 ゆっくりやり直してみると、 何でもないかんたんなうごきにも 思いがけないところに隠れた脇道が見つかることがある。 直線的だったうごきは弧をえがき、 空間にいくつかの分岐点をあらわし、 微分的な速度変化がそれらにメリハリをつける。 右手指先の微かな反りも、 左腰のわずかな緊張と対応する。 それはまた左足親指裏で支えられ、 胸のゆらぎ、肩のゆるみ、肘の下降に対応する。 そのとき、左手はこれらすべてに対応する もうひとつの連関を反対方向につくろうとしている。 前後、左右、上下、集中と拡散。 虚実、陰陽。 内部運動感覚がえがきだす身体の地図。 うごきがゆっくりになり、かろやかに、 外部からわからないほどちいさくなったとき、 より多くの部分が連係して、 内部の運動量とその結果発生する力は大きくなる。 型を身につけた後で、その用途を教えられると、 うごきの方向や焦点をつくりやすくなる。 その逆に、目的が先にあたえられると、 形が身体に滲みこむプロセスは 充分展開せずに終わるようだ。 これらのうごきは、 犀が月を見る、 鶴が純白の羽をひらく、といった名で呼ばれている。 目的、意味、名などは うごきの後にあらわれ、 その増幅装置として機能するのではないだろうか。 それらがつくりだすイメージは うごきをやりやすくするが、 それらの側からはじめては、 うごきをつくりだすことはできない。 *文化は自然を人工で置き換えていく。 最終的には、自然なしでもやっていけるのだろうか。 手から意識が発展する。 (手は身体システムの見える先端部にすぎない。) いまでは意識が手を制御し、 そのはたらきをすくなくして、機械で置き換えている。 やがて、意識は手から離陸するのだろうか。
ここで、ふりだしにもどり、 今これを書いているコンピュータそのものの つかいかたについて、 具体的にかんがえてみよう。 これは Macintosh SE/30 で、 日本語システムがはいった直後に買った。 今は製造中止になっているが、 これに替わるものを見つけられないでいる。 第一の用途が音楽であり、 MIDI 情報を生演奏の場でコントロールするためには コンパクト型が運びやすく、ディスプレイが見やすいという 二つの条件を同時にみたす。 音楽以外にはたった今やっているように ワープロとしてつかうだけだ。 ハイパーカードによって手帖としてつかうのは すぐやめてしまった。 いちいち机の前にいったり、 電源をいれなければならないし、 全体をひとめで見たり、 ぱらぱらとめくれないような手帖は役にたたない。 書き込むのも手のほうがはやい。 文章を書くためには、 漢字をだしてくれるし、訂正ができるし、 記憶してくれるし、複製もできるからべんりだ。 検索機能はつかわない。 ことばの検索ができても、概念や文脈の検索ができないのは不便だ。 象ということばをつかわないで象のことを書いたら、 象で検索してもでてこない、ということではこまる。 訂正すると訂正以前のものが消えるのにも、こまることがある。 文章というものは、一本の線ではなく、 複数の線がからみあったものかもしれないし、 書かれたことばの裏には書かれないことばがある。 そして、ことばの機能も指し示すということだけではない。 ことばによって隠すというのも、 かならずしも嘘ときめつけるべきものではない、 人間の生きる技術だった。 宗教も詩も、それなしには存在できなかっただろう。 何かを指し示すということが、同時に 何かを隠すことでもある、 そういうことばのありかたを、 ワープロは理解できるだろうか。 ポインタでことばを指したり、ある領域を囲むことによって、 ことばや文章を変換することは、書く過程だけでなく、 書かれた後でもありうるが、 書くということを異本を同時進行でつくる作業とかんがえるような ワープロがあってもいい。 キーを押すと、文章が自動的に変化して異本をつくったり、 ちがう版が同時に読めるような装置がなければ、 タイプライタの電子化以上のものではなく、 電子的書法とはいえない。 単線的な文章は笛のようなものだ。 オーケストラのような文章ができてもいい。 コンピュータがなくてもタルムードは書かれた。 それを思えば、今のワープロは退行現象だ。 印刷術は、書くことから読むことへのアクセントの置き換えだった。 ワープロは、書くことも読むやりかたでやろうとする。 書いていると思うのは錯覚なのだ。 書けるもののすべては、すでに書かれている。 いままでに書かれたことのないものを書いていると思っていても、 じっさいは、ワープロに登録されたことばを並べ替えて、 すでに存在している情報を操作しているだけだ。 そのような情報は、情報としてすべて等価であり、わかっていることだから、 それを読むことは、再確認であり、 読者が自分を情報の鏡像として作り替えることなのだ。 Macintosh の日本語システムは最近 漢字 Talk 6.0.7 から漢字 Talk7 にバージョンアップした。 その結果、いくつかの漢字が使えなくなってしまった。 あたらしいシステムが造字機能を切り離したせいで、 いままで書いていた雅楽の楽器名なども、書く方法がない。 プリントアウトに手で書き入れなければならない。 フロッピー入稿や電子メイルで送ることもできない。 こういうことが起こった場合、 存在しないことばに対応する事物は、世界内から消滅する。 それはもう情報ではない。 以前からふしぎに思っていたのだが、 ちいさな店が、そこにしかないものを売っていて、 成功して店を拡張すると、 そこではもう、どこの店にもあるものしかなくなってしまう、 ということが、よくある。 バージョンアップの不便さを経験して、 すこしわかってきた。 20 人しか欲しがらず、20 個つくれば間に合うものは、 2000 人を相手にする店には置けない。 2000 人に売ることができないからだ。 みんなにひとしく手渡すことができないものは、情報となり得ない。 したがって、存在しないとみなされる。 プログラムをプログラマーが考えなかった選択肢でつかって、 コンピュータがとまってしまうと、それをバグと呼ぶ。 よいプログラム、バグのないプログラムは、 あらゆる段階であらゆる選択肢に対応していなければならない、 とすれば、選択肢はすべて等価、 だれでも使えるが、すべての使い方はすでに予想されている。 ということは、何をやってもおなじこと、 何もやらないことも含めて、すべてが許されている。 選択や決定は、ここでは意味がない。 人間がどちらかを選んで決めることに価値や意味を見いだすということは、 人間はコンピュータから見ればバグでしかない、ということで、 共存はむつかしい。 仮想現実やマン・マシン・インタラクションが 幼稚に見え、しっくりいかないのは、 発展の初期段階だからではなく、 原理的にちがいすぎて、 相互不信と不満が双方にのこるからではないだろうか。 ワープロのもうひとつの問題点は、 ごく短いものは別だが、 文章の全体が見えないことだ。 一枚の紙は二次元空間だが、 紙の束は、三次元空間のなかにある。 紙の上に書いたものは、全体を見わたすか、 めくって概略を見通すことができる。 ディスプレイは二次元以上にはならないし、 一度に見える範囲もせまい。 スクロールという手もあるが、 あれは巻紙とおなじで、 結局、紙からは次元も低くなり、退行したということになる。 その上で書いていれば、 文章だけでなく、思考も線的になる。 結局、文章を書くことは、 どこまでいっても自分のしごととは思えない面がある。 外側の、強制されたしごとという感じがつきまとい、 ことばは自然にはでてこない。 ワープロはその感じを増幅する。 ことばを書きつける手のリズムがないので、 想像でそれをなぞっているからだろうか。 音符を書くのはそれとちがって、抵抗がない。 楽譜を書くソフトがあって、 これをしばらく使ってみた。 入力は MIDI キーボードでできる。 弾いた旋律線は、たちまち音符に変換される。 そこまでは、たいへんすばらしい。 ところが、このままでは役にたたない。 楽譜は一つの音をあらわすやりかたも文脈によってちがうのに、 コンピュータは、同じものはいつも同じ、という論理だし、 文脈という考え方がよくできないようだ。 それに近いものは、条件表だろうが、 もし A なら S1、B なら S2、と列挙することと、 明示されない全体と個々の要素の相互作用である文脈は おなじことではないだろう。 ある音を嬰ハとするか変ニと書くかで、 全体のなかのその音の意味が変わってくるが、 その音を含む全体もそれによって変わる。 たとえば、旋律のなかで嬰ハを選ぶのと変ニを選ぶのによって、 次の音の選択に影響する。 それは、すでにあるものを書き取るだけではなく、 リアルタイムで創造していくプログラムでなければならない。 このように自己言及的な論理を リアルタイムでできるプログラムはすくない。 楽譜を書くということが、ある意味で作曲そのものでもある、 というのは、ヨーロッパ的音楽観からは当然のことだが、 コンピュータの楽譜ソフトには、それがわからない。 そこで、一音ずつチェックし、訂正しなければならない。 リズムについてもおなじ。 このプロセスにかける時間があれば、 あと 10 曲も作曲したほうがはやい。 音の高さと長さについては MIDI 入力ができる。 そのほかの記号はすべて、ひとつひとつ書き入れなければならない。 それは記号表から選んで入力するかたちをとるから、 そこにない記号は、はじめからデザインしなければ使えない。 楽譜ソフトは、速度の問題だけでなく、 音楽の考え方からしても、 楽譜出版社には便利でも、 つくったり、書き取るためのものとは思えない。 音楽学には、ある曲の楽譜の異本を照合して、 一つのクリティカル・エディションをつくるしごとがあった。 最近のバロック音楽の演奏には、 そのような「原典版」によるのではなく、 作曲者の手稿のファクシミリによる方法が登場してきた。 それを可能にした最新の音楽学の成果は、 ヨーロッパ各地の図書館に散在する手稿をさがしあて、 原本を傷めないで複製することや、 それを検査して、使われた紙から作曲年代を推定することなど、 電子技術の発展なしには考えられない。 手書きの記号のひとつひとつちがう形は、 作曲家の個性だけではなく、時代様式や、 それぞれが文脈のなかでになう意味をしめしている。 専門家にこのような分析方法を提供したテクノロジーは、 非専門家には、技術によって世界を拡大するどころか、 いままでにあったものも切り捨てて、 貧しく一元化されたメディアを売りつける。
シンセサイザーであれ、デジタル・サンプラーであれ、 電子音に慣れることはむつかしい。 1962 年にはじめてNHK電子音楽スタジオでしごとをしたときは 真空管の発振音でしかなかったのが、 いまは比較にならないくらい多彩になった。 楽器の音や自然音のシミュレーションもほとんど完璧だし、 どこにもなかった音をつくることもできる。 それでもまだ、どこかがちがう。 風の音は一瞬ごとに変化する。 楽器の音も二度とおなじにはならない。 サンプリングによる音は、いつもおなじであり、 さまざまに変化させても、変化させられた音という感じがのこる。 もともとの微妙な差異と、あとから付加された変形とのちがいは、 おなじように発音されるおなじことばの微細な表情の翳りを 何千年も読みとってきた人間の耳をだますことができない。 あたらしい音をつくってからしばらくは、 感情移入によってか、 今度こそいきいきとした音の運動がつくれたと思うが、 一年ほど後にききなおすと、どこか空虚で よそよそしい響きになっている。 技術は日進月歩だが、これではアキレスと亀のようでもある。 生楽器といっしょに演奏したものの録音は、 演奏のときに設定したはずのバランスに対して 生楽器だけが浮き出して、 電子音は背景に退いているようにきこえる。 生彩のない音はどうしても知覚の周辺にいってしまうのだろう。 これに対しては二つの戦略がある。 ひとつは、音をかさね、ずらして複雑にするやりかた。 もうひとつは、意図して意識の周辺にあるものとしてあつかうこと。 第二のやりかたは、「島の輪郭によって大海を暗示する」、 あるいは、電子的な音の結界をはりめぐらすことで、 これがコンピュータ音楽「翳り」を思いつくきっかけとなった。 いまつかっている機材は、 コンピュータ Macintosh SE/30 とサンプラー Akai S3200 (両方とも RAM を 32 MB に拡張)、 それに時々 MIDI キーボードもつかうが、 だいたいはコンピュータのキーボードで操作する。 以前はだれでもやるように、 複数のシンセサイザーやエフェクター、 ミキサーなどを組み合わせていたが、 一人では操作し切れないからだんだんにやめてしまった。 (ノート型パソコンと、おなじくらい小さいサンプラーなり 他のデジタル音源になればもっといいだろう。) いま流行のインタラクティヴなしかけもほとんどつかわない。 外部からの情報を MIDI 数値に変換しても、 使えるのはピッチか強度だろうが、 このようなパラメーターが重要になるのは ヨーロッパ音楽の考え方でのことだ。 もっとおおざっぱに、イヴェントの発生あるいは差異に対して 応える、あるいは認知のしるしを見せる、ということなら、 ランダムなずれをもって、ランダムな反応を仕組むことはできる。 しかしこれなら、人間がキーボードやマウスの操作を通じて 反応をそのつど設定したほうが、ずっと複雑になる。 コンピュータ・プログラムでは、どこかにかならず ランダム変数がはいってくるが、 乱数を発生させる式にはそれぞれの顔があり、 使っているうちに、水に落したインクが水を染めていくように 全体として平均化されてくる。 このような「汚染」を避け、非予知性をたもつために 多重化・複合化、平均値や限界値を変える、といったくふうをしても、 いつかは定常化への傾向が再帰する。 (コンピュータ・チップが固有のパルス発振のためではなく、 自然音や楽器の擬態を演技させられているから こうした問題が起こるのかもしれない。 音のイメージから出発するのをやめて、 チップを組み合わせて外部から刺激をあたえるだけなら、 それらに固有のふるまいによって、 人間的美学からは自由な音楽が生まれるかもしれない。 1960 年代アメリカのライブ・エレクトロニクスが アナログ回路でつくりだしていた思い入れのない音響を デジタルでも、だれかがやっているのかもしれないが。 もっとも、デジタルでは DSP として アナログ回路からの入力と組み合わせることしかできないかもしれない。) さて、「翳り」は、68 のサンプルを 4 × 4 組に分け、 同時には 4 組までがそれぞれ独立した時間のなかで点滅する。 時計の音、きしみ、竹の楽器や口琴、太鼓、 アザラシ、ゾウ、クジラ、カエル、雷、シンセサイザーの音、 発語サンプルを組み替えたグロッソラリーなど、すべて短い音。 (ヨーロッパやアメリカの電子音のイメージは 鐘を原形としているように思える。 そして目指すのは、長く複雑な内部構造を持つ弦楽器のような音。 それに対して、東アジアの音は 竹や木をたたく余韻のほとんどない音、あるいは 銅鑼のような、複雑ではあっても弦楽器のように 人間がたえず介入して引き延ばすのではなく、 自然にゆっくりと消えていく音だ。 消えていこうとする音を鞭打って、 途絶えることのない線の音楽を目指すのだ。) これらを制御するプログラムは MAX で書かれている。 (最近はほとんどこれだけをつかっている。 数年前シンセサイザーを演奏していたときは、 ちがう時間構造を同時進行するシーケンサー・プログラムと、 パターンに基づく即興の生演奏を組み合わせていた。) プログラムは、かんたんなアルゴリズムを組み合わせて、 音の選択をリアルタイムでおこなう。 コンピュータ・キーボードからそれぞれの回路をスタートさせると、 30 秒から 180 秒のあいだの (こういう上限・下限の数値は変更可能、以下も同様) ランダムな間隔で、スイッチは自動的にオンオフをくりかえすが、 キーボードから介入することもできる。 介入しないで放っておけば、 かなりまばらな間隔で音が鳴ることになる。 さらに、ランダムな時間に、 選ばれるサンプルの組を交換する回路がはたらいているが、 このスイッチを切ることもできる。 同時にうごく 4 組のサンプルは、 それぞれが 2 分の 1 秒から 10 秒までのランダムな間隔で ステレオ音空間の任意の位置からある音を発生させる。 そのうち 1 組だけが音のなかで左右に音像移動する。 (連続的に変化する数値を MIDI で送るのには限界がある。 MIDI はキーボードをモデルにしていて、 音のパラメーターを離散的にとらえている。 連続的な変化はチャンネルごとに 1 つしかできない。 ある和音を構成する音が 独立に音量を変えていくようなことは不可能。 音像移動を、聴衆を囲む 4 つのスピーカーの音量の、 独立した連続的な変化でつくろうとしたら、 コンサートの途中でコンピュータがだんだんおそくなり、 ついに停まってしまった。 MIDI 回線の処理能力を超えてしまったらしい。 16 チャンネルの音が同時にこまかくゆれうごくような プログラムをうごかしてみたときは、 MIDI 以前に、コンピュータ・システム自体が停まった。 オーケストラにも追いつけないようなコンピュータの 存在価値はどこにあるのか。) ここでつかっているランダム変数には 3 種類ある。 一様乱数、これはあらかじめ設定された上限と下限のあいだで、 前後関係なく選ばれる場合。 第二は、前に選ばれたものと近いほど選ばれる確率が高くなるもの。 これは、0 と 1 のあいだの一様乱数の平方根を 1 から引いた数と 上限あるいは下限と以前の選択との差を掛け合わせたものが、 以前の選択からの距離になる。 この場合、選択される数値は 似たようなところをうろうろしているが、 しばらくすると急にはじかれたように変化する。 第三は、その逆で、 以前の選択から遠いほど確率が高くなる。 これは、平方根と 1 との差ではなく、 平方根をつかうだけで、第二の式とおなじ。 このときは、一回ごとのばらつきが大きくなる。 それぞれはちがう顔をもっているが、 どの方式をつかっても、平均値はわりと早い時期に 上限と下限の中間辺りにおちつく。 時折は介入して、かき乱してやらないと、 時間がしだいに均質化してくる。 だが、ここでできることは、 各回路のスイッチを切ったり入れたりすることと、 サンプルの組の入れ替えを指示することに限られている。 これらの操作を頻繁におこなえば、 それは演奏に近づいてくるが、演奏とはちがって どこまでいっても、思ったとおりの音をだすことはできない。 このプログラムでは、 なかのアルゴリズムを一部入れ替えることもできるし、 サンプルを入れ替えることもできる。 これらの選択は恣意的なものでしかないし、 プログラムもつかうたびに、すこしずつ変えている。 定型にはまだなっていない。 アルゴリズムによる自動操作と 手動操作の介入のバランスも一定しない。 この音楽は、さまざまな音で空間の境界をつくるために (これが仏教では結界と呼ばれる) つかわれる。 そのなかでおこなわれることとは直接のかかわりをもたないが、 偶然のように発生する音が、時間や空間に影を落す、 それが「翳り」であり、 コンピュータ・プログラムも、そこへの介入も、 その空間に仕掛けられた音響の 撹拌装置とかんがえられる。 こうして書いてみると、すくなくともこの例については、 コンピュータ音楽の作曲家がよくやるようなこと、 リアルタイムで演奏される音楽を分析して、 それに対応する響きをつくりだす、 といった使用法とは対照的かもしれない。 コンピュータには、人間のすることを理解したり、 協調することはもとめられていない。 それは外部のもの、異質なもの、不測の要素、 偶然混紡装置として扱われているようだ。
(「コンピュータ音楽 2」は、3 月にパリで UPIC システムをつかって作業をしながら書こう と思ったが、それでは期日に間に合わない。そこで) 浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は 11 人の知識人との対話集だが、 これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。 ここに登場する知識人はほとんどがヨーロッパ人であり、 ヨーロッパ中心主義がくりかえし批判されるにもかかわらず、 ヨーロッパの外を見る視点はやはりヨーロッパ人のものでしかない。 パレスチナ人サイードと、おそらくジジェクを除いて、 外部からの視点が存在することを意識しているものさえいない。 「知の世界」にはアフリカ人もメキシコ人もブラジル人もいない。 そしてアジア人も。(柄谷行人は、日本語をしゃべっているから アジア人だと言えるのだろうか。) タンザニアの女たちが薪を拾い集めるかわりに コンロをあたえてやればいい、とか、 南を援助してやらなければならない、とか、 かれらに見えている非ヨーロッパは、相も変わらず 国家や権力や、原理主義でなければ、 抽象化された人間、対象物、標本としての原住民でしかないのか。 考える人間はヨーロッパにしかいないから、 あたえられる側の人間がどう考えようが、 世界はヨーロッパ人 (あるいはアメリカ人) が考えた通りのものだ という、意識にさえのぼらない前提。 単線的な歴史の時間と生産向上の神話は、 思考の対象として否定されているかもしれないが、 思考様式はすこしも変わっていない。 何かが終わった、と判断する知性も、 自分自身も終わった側にいるのだとは思っていない。 復古主義や野蛮への退行の危険が指摘されるが、 それらのいかにももっともなことばは、 自分たちではなく「あの連中」が 世界について考えることは許せない、 なぜなら世界 (ことば) はこちら側にあり、 ヨーロッパ標準時で進んでいるのだから、 というようにしかきこえない。 多元的な時間の出会う場としての世界史は SF にすぎないとでも思っているのだろうか。 使えるものは何でも回収するナチズムや消費社会、 より一般的には資本主義のありかたが話題になるが、 ヨーロッパ的知性がそれとおなじことをやっている、 しかも善意から、 ということは認めようとしない、あるいは見えない。 (ここで、ノーノやヘンツェに対するキューバの音楽家の、 アイロニカルな友情を思い出す。 かれらが自分の意志でやってきて、 キューバ文化を理解しようとしたことについての感謝と、 かれらの善意にもかかわらず、それさえも ヨーロッパによる知的収奪の一部であることに かれらが気づかないことについての、ちょっとしたコメント。) すべてを回収するのは、 ヨーロッパ的時間の一元論にとっては自然なのかもしれない。 すべてについてイエスかノーかを言えなければならなければ、 言うことによって、すべてを知のなかにとりこんでしまうのだろう。 どの対談を読んでも、知識人たちは、 知っているものが、知っていることを 知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。 (もっとも、かれらはインタビューをうけている、 と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。) それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの じっさいの姿なのだろう。 相手かまわず超高速のフランス語で、 思想のウイルスを過剰露出する。 それが、たちまち回収済みの情報になって、 次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。 歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、 現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、 かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、 (のかもしれない、) という思いが 一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。 対話の最後に柄谷行人がくる。 この操作された順番で、 それまで知のシステムのあいだをくぐっては、 パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、 そのからくりに気づかずに 「世界」についての思いこみをひたすら独語する お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、 群れのなかの相似形の疑似対話で、 知の円環は閉じられる。 この気を許した人間関係は、日本的「ホンネ」の共同体と どこがちがうのだろう。 知的天皇制の雰囲気のもとでこそできることではないのか。 (この最後の対話は、日本語という「外部」の言語に 安住しているからできるようなものだ。 この本がもし、英語かフランス語で出版されていたら 論争にまきこまれることになっただろう。) フランスの理論がアメリカでは大学共同体の「学術」になり、 それがめぐりめぐって日本では 疑似孤立群の世界早解り談義になるのか。 この群れは、一元的普遍に世界をとりこんだあげく 外部を失って自己崩壊するヨーロッパ的知の 貧しいコピーでもいいから、「世界」の内側に席を確保したい、 という願望から、 知的三極構造のなかの日本を忠実に演じているのか。 外部についての知は既成のシステムへの回収にすぎない、 というようなことを書いたのは柄谷行人ではなかったか。 書くことだけならだれでもできるが、 回収されている自覚もなく、世界の見取図を語っているのは、 かつての柄谷行人の影なのか。 回収作業が知識人の習性になっているようでは、 創造 (想像) 力のはたらく余地をあらかじめ塞いでしまい、 過剰ゆえに無力なことばをつらねるか、 現実追認を近未来予見に偽装することができるばかりだ。 近視眼的な図解は転換へのインパクトをもてないだろう。 こういうパフォーマンスを見ていると、外部にとどまるには、 自分が世界のなかで無力であり、無知である と認めるところからはじめる以外にはないのではないか、と思ってしまう。 無害無力な未知のものが文明の足元に立ちあがる。 カタストロフィ点とはこういうものだろう。 文明内部での文明批判は、じつは この恐怖感を覆い隠すために費やされていることば ではないだろうか。
ここでは「コンピュータ音楽」 (その 2) を書くつもりでいた。 3 月にパリ郊外のアトリエ UPIC で、クセナキスのつくった グラフィック・インターフェイスによる リアルタイムでの作曲および音響コントロール装置をつかって 仕事をしたのだから、 それについて書くこともできたはずだった。 また、パリにいたあいだに、 IRCAM での「空間」シンポジウムで、 エマヌエル・ヌニェスの空間音楽のデモンストレーションを見た。 それについて書くこともできるかもしれない。 だが、それらの経験は失望でしかなかった。 おもに人間組織上の問題によって そこに実現されているはずのものが、 みせかけだけ、あるいはまったく存在さえしていない。 コンピュータ・テクノロジーから見ても、 音響技術から見ても、信じられない低水準。 (20 年前のこわれたトラクターを運転するのとおなじ。) ひどい作曲とへたな演奏。 調整されてもいないスピーカーのあいだを ふるえる手の跡をのこすヴァイオリンの音が横切っていく。 それが、権威主義と官僚主義と あいもかわらぬパワー・ゲームのなかで、 ヨーロッパ音楽最先端の成果として通用している。 もちろん、日本の現代音楽だって 似たようなことがあるわけで、 住み慣れた泥水は澄んで見えるだけのことだろう。 だが、そんなことをいまさら批判しても 何も変わりはしない。 それに、そんなことをしている時間がもうない。 枯れた枝にしがみついていても、 自分の重みで枝が折れるだけだ。 音楽はどこかよそにある。 コンピュータ音楽を否定するのではない。 コンピュータは道具にすぎないし、 それがまだ限られたことしかできないとしても、 だれかがそこに別なコンセプトをもちこまなければ、 それ以上のものにはならないのだから。 別なコンセプトはいまのコンピュータの内部からではなく、 外部からやってくる。 現状をいくら見ても、 そのなかに現状を超えるものが見えるわけはない。 科学者がカエルの泳ぎを、鳥のはばたきを研究して うごきのメカニズムを機械にとりいれようとするように、 コンピュータをつくりだした知の風土では忘れられたもの、 異なる心のはたらき、手のうごき、息のゆらぎから、 別な論理、未知のメカニズム、 それだけでなく、それを実現する人間の 関係とかかわりの再組織ができるかもしれない。 東アジアの複数の伝統を観るのは、回帰のためではない。 原初の分岐点にたちもどり、ありえたが実際にはなかった道に はいりこむために、伝承を役立てるだけだ。 身体にきざまれた伝承は、 意味にさきだち、ことばのように拡散していない。 コンセプトやイメージは、了解をたすけるかもしれないが、 了解それ自体を代行はできない。 分岐点を探し当てるのは、感性や美学ではない。 それらに安住することが、自我の拡大、知の暴力を呼ぶ。 論理の刃で感性を切り裂くのは、最初の一歩。 論理は理解するが、創造しない。 そのさきは、シンボル、アナロジー、イメージが 分析的論理にかわる道具となるだろう。 それらは指し示す指、だが、それら自体は幻のようなものであり、 身体に収斂し、消えていくべきものだ。 こうして創造する身体が、最初の分岐点を回復し、 方向転換して、いままで見えなかった風景を見る。 いままでここで書きつづけてきた文章は、 一貫した線を構成してはいない。 その時々に複数の伝統のさまざまな側面を観察しながら つくりあげるイメージは、 音楽というとらえがたいものをめぐって その場限りのことばをならべたものにすぎない。 それらを照合すれば、ことばは矛盾だらけにせよ、 コンテクストは、そこにある伝承をアナロジーによって拡散する、 あるいはシンボルとして意味の転換をはかる、 というプロセスとしては一貫しているはずだ。 それは方法であり、しかし方法とは 指示にすぎないから、測定地点によって磁針が 時にはまったく反対側を指すように、 あるいは、「一切は実なり非実なり 非実非非実なり 是を諸仏の法と名づく」 (中論) のようにあり、 そして、道の途上にあるものだ。 方法は仮の足場にすぎない。 響きというものも、指示であり、 それ自体としては、どこにも見つけることができない。 三味線の木の胴、猫の皮、絹の絃、木の棹、 左手の押さえる勘所、右手の象牙の撥、そして手さばき、 これらの集合から、これらを条件として、 音または響きと呼ばれるものが発生する。 音は胴や皮や絃でもなく、胴や皮や絃のなかにもない。 響きは撥や指でも手さばきや勘所でもなく、それらのなかにもない。 楽器と人間の接触が音をつくると言うことも正確ではない。 これらの条件のすべてがあっても、響きが生まれるとは限らない。 また、生まれた音がどこにあるのか、空間のなかのどこか、 時間のなかのどこか、指し示したときには音はそこにはない。 むしろ、生まれつつある音が それとともにある空間と時間の意識をつくりだす。 音をはなれて絶対的な空間と時間があり、 その空虚な枠のなかに音が生まれてくるわけではない。 響きは音符でもなく、周波数でもなく、 波形でもなく、粒子でもない。 世界のなかにあるものではなく、世界の外にあるものでもない。 響きは炎のように生まれ、水のように流れ、 虹のように空中に消える。 それは幻のようにとらえがたく、夢のように境界がさだかでなく、 影のように、覗きこんでも何も見えない。 生まれた音を手でつかむことはできない。 だが、手がなければ音は生まれない。 すべてはそこからはじまる。
音は炎のように生まれ、水のように流れ、 虹のように空中に消える。 目に見えず、手でとらえようもなく、 音はすでに音の記憶にすぎない。 だが、音を創りだした手のうごきは、 そのまま空中にとどまってはいない。 ひとつのうごきは、その結果としての もうひとつのうごきを求めている。 結果を求める事象、それが数と呼ばれる。 耳を悦ばせる音は、くりかえし求められる。 だが、消え去った音は二度ともどらない。 反復は、幻覚にすぎない。 流れる水がおなじ水でなく、別な水でもないように、 まったくおなじものとも言えず、異なるものとも言えない音が つぎつぎに立ちあがる。 その幻への執着に支えられて、音楽がある。 虚ろなものをとどめようとして、 ひとは音にかたちをあたえる。 そのかたちは仮のものにすぎないが、 それがなければ、仮のもの、虚ろなものとしてであれ、 音について考えることさえできないだろう。 最も古い記譜 法は、 音のかたちについての意識が もともとどのようなものだったかを語っている。 ユダヤ教の聖歌、チベットや日本の声明は、 長く延ばした声のゆらぎを空を舞う手のうごきに置き換える。 そのうごきは、紙の上をうごく筆のうごきに置き換えられ、 描かれた手の跡は、反復される型としての分析によって、 自由な輪郭線からしだいに記号の数珠に変わっていく。 減字譜と呼ばれる中国の古琴の記譜 法は、 一音を発するための絃の上の両手の位置と運動の方向を記述する。 それは記述文を構成する漢字の部分を組み合わせた 五十数種の記号から成り、 それぞれが動物のうごきや、花や葉の揺れにたとえられる。 経文の裏に書かれていた敦煌琵琶譜は、 古琴古譜にならって琵琶の絃柱と指法をしめし、 日本の雅楽でも古譜には、笛孔をしめす指譜がある。 それらは楽人の心覚えのための書き付けにすぎなかった。 手は目的も意味も意志もなく、かろやかにすすむ。 幻である音、連続する夢である音楽は、 その跡に残された影のようだ。 だが、記号に置き換えられた音、記号列に分断された音楽は重い。 意味の苦しみを隠し、石のようにかたく沈黙している。 手さばきと楽器のさまざまな部分との出会いをあらわす音は、 それとともにあるひろがりという空間、仮象の顕れという時間と 切り離しては考えられない。 ところで、記号になった音楽には、 限られた空間、区切られた時間が対応する。 数はもう、くりかえされる事象の悦びではない。 記号列という仮設を認めながらも、 一段上のレベルで連続性を回復する方法がある。 連音と呼ばれるものは、二つの同種の音あるいは音列を ずらして重ねながら、途絶えることのない線を紡ごうとする。 たとえば、二本の笛がおなじ旋律をそれぞれの時間で吹きながら、 相手の息継ぎの休止を自分の音で埋めようとすることがある。 このとき、時間のブロックが溶けていくとともに、 ずれによって音のあいだの予期しない接触を起こすために、 固定された音の線の表面がゆらぎだし、 空間の微細面があらわれる。 逆に、音の抑揚の微調整と装飾法からはじめてもいい。 音の微細身への意識は、音色として感じられる。 おおくの伝統音楽で学習手段としてつかわれる口唱歌、 口三味線、口ガムラン、はそうした意識を反映している。 この意識は、音のまわりの微細な空間を見ることによって、 時間の枠も崩していく。 かたちと数はこうして、ひらかれた流れの 直接体験のなかに解き放たれる。 だが、この流れに埋没してはいけない。 アジアの多様な音楽文化は、現れたかたちは異なっていても、 このような音の経験を身体的伝承として残してきた。 それらはたしかに出発点にはなりうる。というより、 そうでない出発点をさがすのは、いまでは困難になってきている。 抽象化され、実体化された音やその属性は、 人びとのあいだにはなく、生活空間から離れた音楽、 さまざまな特徴を強調しながら、分離した実体をめざして 「私の」、「民族の」、「国家の」音楽をつくりあげる。 だが、身体的伝承が出発点となる、という意味は、 そこからはじめても、そこにとどまらず、 離れていなければならない、ということだ。 具体的な技法にとどまるならば、その特徴にとらわれてしまう。 それでは習慣のちがいを固定するだけだ。 文化の壁を作り、ここにはこの音楽、向こうには別な音楽、 ということでは、伝統は重荷になり、さまたげになるだけだ。 音であり、空間であり、時間である流れの直接体験は、 そのように指示される対象、身体技法という手段を通じて それらを使いこなしている主体の虚像を創りだす。 これがもうひとつの埋没のかたちだ。 直観や即興にたよる音楽は、かえって自己表現を強化し、 色とりどりのようで、それぞれを取ると貧しい ステレオタイプの羅列以上ではないことがおおい。 音も空間も時間も技法も、結果として名付けられた相であり、 段階にすぎない。 それらの相が見えないときでも、それらは消滅してはいないし、 それらによらないでは、音楽は人びとにひらかれることはない。 だれもいない森のなかで落ちる木の実の音のように、 耳に届くことを求めない音楽がある。 音に目覚めた心は、なにものにもとらわれない手の舞を、 息のゆらぎを、空間と時間の微細面をよく知っている。 だが、そこに住みつくことはできないし、 それを演じる表現者となることもできないのだ。 音楽を、あるいは音を、だれのものでもなく、 人びとが自由に入ってこられる、ひらかれた場として創り、 その創造物、あるいは創造行為そのものを、 世界にさしだすことができるだけだ。
ピアノという最もヨーロッパ的な楽器を弾くこと、それを 鍵盤上の手の舞いとして、創りなおすことができるだろうか。 鍵盤は何と言っても、ヨーロッパの偉大な発明だった。 オルガンがパンパイプとちがうのは、 あるいは、チェンバロがツィンバロンとちがうのは、 口や撥をたくさんの管や弦のあいだに走らせるかわりに、 指がちいさな板の上を左右に往復すればいいということだ。 パイプを吹く口は一つ、撥を持つ手は二本、鍵盤の上の指は十本。 数が多ければ、うごきをつくる部分や組み合わせが多様になる。 さらに、指は手よりも細く末端にあるので、 繊細なうごきが可能で、しかも勁力が先端に集中する。 鍵盤のもう一つの利点は、身体の一部、たとえば 掌または親指が楽器を支えていなくてもいいことだ。 ヴァイオリンは左腕と左肩で楽器を支え、 左親指で棹を支えて、他の四本の指で弦を押さえ、 右手に持った弓で擦って音を出す。 床置きの楽器は、身体で支えなくてもいいが、 箏などのように、使える手や指は限られている。 十本の指が独立に音を出せる楽器は、例外的だ。 もちろん不便さもある。 音の高さが固定され、音の途中で変えられないこと。 音の出し方が一種類に限られ、音色が均質であること。 床置きのため重く、一人では携帯できないこと。 このうち、音色については、 均質な音相互の関係によって変化の印象を創りだす さまざまな技法があった。たとえば、 装飾音型、時間的ずらし、アクセント、打鍵速度の変化、 そしてそれらを制御する運指法。 人びとは、親指が楽器を支える必要がないことに しばらくは気付かなかった。 親指を鍵盤の手前にぶらさげて、 手をすばやく左右に移動させながら、 とぎれとぎれのフレーズを弾いていた。 それは、たどたどしさと同時に、 音勢によって、しなやかに伸縮する時間と 音色の印象を創ることもできる方法ではあった。 やがて、親指は鍵盤に載せられ、 五本指は「よい指」と「悪い指」に分かれる。 地域により、よい指は 2 と 4、あるいは反対に 1、3、5 だったらしい。 よい指が拍と一致すれば、単純で活気のある音楽が生まれた。 反対に拍から外れた音をよい指に振り当てれば、 リズム上の拍と旋律的アクセントとのずれによって、 含蓄のある表現ができた。 十八世紀のなかば、バッハとクープランの時代に 運指法の革命が起こった。 それまで手の位置感覚は、他の楽器すべてとおなじに 第二指の位置によっていたのが、 新しい運指法では親指が基準となる。 親指から小指までの拡がりが枠となって、運指空間が設定される。 第二指を起点とする運指法が旋律的だとすれば、 これは和声的な音空間に対応する。 さらに、親指を他の指の下にくぐらせることによって、 手の移動をなめらかにし、長く連続するフレーズを 中断なしに演奏できるようになった。 バッハが『インヴェンション』の序文に書いたような、 多声部を正しくたくみに扱い、歌うような奏法を習得することは、 親指を起点とする運指法によって可能になった。 こうして音楽は変わった。 運指法が音楽を変えたのではなく、 あの時代に運指法も変わり、チェンバロにかわって ピアノという楽器も登場したのだ。 その後、十八世紀末にはメトロノームの発明、 19 世紀後半までには、管楽器と弦楽器の改良と 奏法の変化がつづいて起こり、 そのすべてをあわせて、音楽の近代化と呼んでいる。 ピアノ奏法について言えば、 以前の鍵盤楽器は指で打っていた。 今のピアノは弦楽器のように音を持続し、歌い、 電子音のように空間に無人称の響きをこだまさせたりもする。 指や手ではなく、五線という絶対空間内の音符という記号、 音のイメージという抽象が手をうごかしている。 手は脳に従属しているだけだ。 ピアノ演奏は近代スポーツであり、頭脳ゲームでもある。 音の均質性を前提条件とする 速度と音量の粗な次元での操作技術は極限まで発展した。 だが、技術が統合性と計量にかかわるとすれば、 分散性と差異にもとづくものである技法、 装飾法、音勢、音色、微細次元にかかわる操作、 そして何よりも、自発的に音楽を創る即興技法が、 ほとんど消滅してしまった。 失われた身体技法の回復は、指の差異化からはじまる。 どの指でも均質の音を創れる近代技術のかわりに、 指それぞれに異なる固有の機能を担わせ、 指相互の関係の上にうごきの型の差異を組み立てる多様な技法は、 指で鍵をすばやく打ち、手でゆるやかな運動の拡張と 方向性をあたえることで、あるいは矯めをはらんで停止することで、 装飾された一音、またはまとまったフレーズとしての型を、 連鎖的に発生させる。 鍵盤上の運動とともに創られていく空間も時間も、 格子のような平均律と拍節に区分され計量されるのではなく、 その時そこでしなやかに浮動するトポロジーになるだろう。
たくみな方法は、方法ではない。 ことば、かたち、イメージ、(あるいは響き)、 それらなしに方法は語れないかもしれないが、 方法はそれらのものではない。 流れる水は河床をつくるかもしれないが、 河床は水をつくらない。 流れる水はたえず変化していると言えるだろうか。 いつもちがう水だと言えるだろうか。 たえず変化しているなら、変化する水は、 なぜ水と呼ばれるのか。 いつもちがう水なら、流れる水はどこにあるのか。 そう考えれば、流れる水は流れるとも言えず、 流れないとも言えず、さらに、 流れる水は水であるとも言えず、 水でないとも言えない。 変化する音がきこえる。変化する音はどこにあるのか。 変化する音はたしかにある。 なぜなら、音は音としてきこえるもの以外ではないからだ。 変化する音が音であるならば、 音であると定義できる部分はどこにあり、 変化と言われる部分はそのほかのどこにあるのか。 このように、コンピュータ上で音を定義し、 変化を定義し、 その二つの定義の対象の組み合わせを定義すれば、 変化する音が生まれるが、それは、 変化しない音と、音のしない変化を結びつけたものを 変化する音と呼ぶことで、 本来ひとつのものである変化する音の 虚像をつくりだしているだけだ。 このように分解し、実体化した部分を組み合わせて、 うごくもの、流れるもの、変化してやまないものの、 過ぎ去ったあとの影を捉えることしかできないのだろうか。 さらに、 このようにしてつくられた「変化する音」は、変化しない。 なぜなら、定義とは、くりかえされる組み合わせを ひとつの記号で置き換える手続きであり、 くりかえされる変化は、もう変化ではなく、 おなじ手続きのくりかえしにすぎないからだ。 固定化した「変化」を外側からつけくわえ、 変化の幅とその不規則性を定義しても、 定義するということ、そのために記号を必要とすることによって、 不規則性やランダム性は、一定の相貌をあらわす。 もともと、知ることのできないものを 知られる空間内にひきずりこむのが確率論の目的だから、 こうなってしまうのが当然で、しかたのないことなのだが、 楽器の上で指がつくりだす変化の幅や不規則性が、 もっと小さいものであるはずなのに、 変化する音の印象をあたえる (ということは、 まさに変化する音であることを可能にする)、 たくみな方法があり、 電子的につくられた音を聴き続けるうちに耳が飽きてしまうのを 防ぐ方法は、なかなか考えられない、というのも 皮肉なことではある。 たくみな方法は方法になり得ない方法だ。 ことばから離れるためにことばをつかい、 概念に因われないために概念をつかい、 イメージを超えたものを指すためにイメージをつかい、 記号では捉えられないものを捉えないで済ますために、 最少限の記号を書き残す。 たとえば、ことばはことばが指すものではない。 だから、ことばが定着すれば、 ことばを発するものと、ことばというあいまいなひろがりと、 ことばが向けられる世界との一体感が破られ、 複雑な関係の網が一瞬につくられる。 ことなる部分があれば空間が生まれ、 ことばの前後に時間が生まれる。 ことばで定義すれば、対象が固定され、実体化し、 ことばで主張するならば、目標とプロセスが分離する。 ひとつのことばを発することだけでも、 表層世界のゆたかさを創造するのには充分だ。 すると、ことばによってことばを打ち消す、 これでもなく、あれでもない、という否定の論理が、 対立と分離を超えるものとして登場する。 この否定は、対立する両極に向けられるから、 そのいずれでもない場をひらく。 そこでは一極は対立する極に含まれているかも知れない。 原則は例外を含み、例外によって成り立つ。 あいまいさだけでなく、誤りがむしろ必要とされる。 ここでは、純粋なものは、世界のバランスを破壊することだろう。 したがって、全体がバランスをとるためには、 どの部分も純粋ではなく、 したがってどこまで分割しても究極の一なるものはなく、 一がなければ、それを積み重ねた多元的なものもない。 さらに、 そこには選択がないから、意志もなく、 創造もないが、世界はそれ自体で、 そのうごきそのものによって、生起する。 ことばやイメージや概念、 あるいは記号から音楽をつくるのではなく、 音を楽器の上でつくりだす手のうごきからはじめるのは、 手袋から手をつくるのではなく、 手にあわせて手袋をつくるのとおなじことだ。 そこには作曲者も作品もなく、 思考や感情も、冷えたミルクの表面にできる薄膜、 流れるエネルギーの表面に漂う仮の凝結にすぎない。 ところで、 一連の手のうごきを極端におそくし、 注意をプロセスの細部に向けると、 指先のわずかなうごきは、全身をつかっての大きなうごきの、 表面に見える尖端でしかないことがわかる。 外側のうごきが小さくなればなるほど、 内側のうごきが激しくなる。では、 手自体も内側をなぞっている手袋にすぎないのだ。 さらには、内側のうごきでさえ、 流れのひとつのあらわれにすぎないと感じられる。 流れはどこにあるのか。 直接見ようとしても、それは空間全体に拡散している。 あらわれはたしかにあるが、 あらわれているものはどこにもない。
モダニズムの再検討、未完のモダニズム、 何をしようというのか。 東京で「ブーレーズ・フェスティバル」というものがあった。 現代音楽もよい演奏者によれば、クラシック並みに売れること、 ヨーロッパ現代音楽の主流がいまでも音楽の中心であるべきこと、 さらにその中心がブーレーズであるべきことを、 ジャパン・マネーによって日本人に教えてくれるための ありがたい企画だった。 フランスのナショナリズムは十年前から巻き返しを計っている。 外国人を追い出し、あいも変わらぬ文化官僚の権力闘争がつづく。 フランス哲学とは、ドイツから輸入され、舌の回転数だけが加速されたものだった。 フランス美術は、貧しいスペイン人やロシア人が さらに貧しいアラブ人やアフリカ人の文化からつくりあげたものだった。 フランス音楽はほとんど存在しない。 パリに亡命した外国人の音楽でなければ、 そのどれかをとって官僚化したものだ。 フランスではだれもが法王になりたがる。 反対派でさえ、自前のアカデミーをもちたがる。 ブルトン、アラゴン、サルトル、ラカン、ブーレーズ、等々。 1950 年代のモダニズムはいまや採算のとれる商品になった。 それを論じるのもよいだろう。 だが、どこに立ってどんなことばでそれをするのか。 1968 年頃、パリの本屋で見つけたアルチュセールの『資本論を読む』で、 ヘーゲル的本質論がタマネギの芯のようなものであることをまなんだ。 それ以外は忘れてしまった。 アルチュセールの他の本は、解釈学にすぎないように思われた。 マルクス、フロイト、スピノザが書く行為と、 かれらについて書かれたことばとはちがう。 解放された思想と、思想からの解放はおなじではない。 解放は芯をもたない。ハード・コア、 芯というと、膿の中心にあって手に触れるしこりを連想する。 思考を分泌するしこりがある。 それは、核となる概念とは限らない。たとえば、 思想家だって職業として大学を選ぶことはあるだろうが、 自覚しないうちに、それが思考の芯になることもある。 小杉武久の作品に「長い紐を自分の身体で巻取っていく」 というのがある。 うごけばうごくほどしばられていく。 身体は紐の芯に限りなく近づく。 追放され、亡命した人間たちの考えたことを、 制度として解釈する、すくなくとも、そこに意味の芯を見つけようとすれば、 ますます自分がしばられてゆく。 しかも、アルチュセールの場合は、芯は二つあった、 アカデミズムと共産党。 モダニズムをモダニズムのことばで論じることには おのずから限界がある。それができるというなら、 自分の靴紐をひっぱりあげて、空中浮揚することもできるだろう。 1990 年代が 1930 年代をくりかえしているとか、 現代をフォルマリズムで解くとか、 非ヘーゲル的に再定義した理念ということばをかかげることには、 (だれに頼まれているのか知らないが、) 時代を憂える姿勢がある。 (ここでまた思い出すのは、 「世界をよくしようとすれば、かえって事態をわるくする」という ケージの日記のタイトル、これはケージが母親に言われたことばだったと、 どこかで読んだ記憶がある。) しかし、それはアカデミズムというものだ。 自分のつかうことばによって、 自分が批判しているはずの対象に帰属してしまうのだ。 昔読んだアブラム・モールの本には、 フロギストンということばを捨てて、酸素ということばをつかった時に、 化学が生まれた、と書いてあったが、 解釈学はその反対に、古い皮袋に新しい酒をいれようとする。 (そして、化学はことばとともに、新しい対象を発見したが、 発見の連鎖に頼って前進した時はすぎ、 いまや組み替えによる発明の時代だ。 名付けによって世界が生まれる創世期は終わり、 構造式のなかに閉じられた領域は、梗塞に向かう。 組み合わせによって鎖を無限延長しても膠着状態から脱出できないならば、 次には、ことばを再定義して視点を変えようとする。 ここに囚われている状態こそ、そのまま解放であるのか。 だが、それは内面化であり、選ばれた人にだけ見える世界像だ。) 破壊者、歴史の天使。かれは分析による理解はしない。 意味の制度だとされるものに無意味の堆積しか見ないから。 予言もしない。見えるのは未来ではなく、からまった過去でしかない。 一つのものを、それでないすべてのものの集まりとして観る。 そこには一もなく、したがって多もない。 かれは同意しない。 したがって反対もしない。あらわれているものについて、 一方の側に立つのではなく、 これでもなく、あれでもないと、言いつづけるだけだ。 言いつづけながら離れてゆく。だが、どこへゆくのでもない。 ソクラテスが無知のふりをしただけだったら、 弁証法はうまれなかったろう。 ナーガールジュナが主張をもっていたら、 相互依存する生起は見えなかっただろう。 知識から理解はうまれない。 さらに、判断中止がなければ、現象学もなく、 かっこにいれることなくして、方法論はない。 なぜなら、方法とは絶対的なものではなく、仮の足場、 例外を前提とする規則にすぎないからだ。 だが、暖炉の前にねころんで夢見ることは、 そこから生まれたデカルト哲学よりもひらかれている。 レンズみがきは、スピノザを哲学から解放する。 これらの方が、むしろ方法とよばれるのにふさわしい。 世界を観る方法、世界とともに生きる方法だ。 観る人は世界のなかにはいない。 世界の外にもいない。 地球をうごかすためには、 アルキメデスのように外に足場をもたなければならない。 上もなく下もない宇宙空間で、 うごかすことと、うごかされることには、区別がない。 うごかす人は、努力のはてに、それとは知らず流される。 観ることは、身を引くことだ。 仮象として、影として、ヴェールとして観る、あるいは、 かたちの微細面を観る、とさまざまに言われているここには、 見つめてつなぎとめられる対象もなく、 視点を変えるといっても、どこかに移動するというよりは、 いままでの視点、あるいはすべての「視点」を離れることに、 アクセントがおかれている。 反復再現する世界の危機を妄想するよりは、 ペルシャ絨毯の反復される模様の一点に欠損を発見する (ベンヤミン) か、 籠の網目の一箇所を魂の出入り口として編み残す (ボアズ) ことの方が、 可能性の空間をひらくためには有効だろう。
「音楽は楽器を構成する部分と人のたくみな技のかかわりから生じる。 飛ぶ鳥の跡のようにとどめようのない音の空性は、 華嚴経にあるインドラ神の宝石の網のたとえのように、 一音がすべての音を映し、すべての音が一音を映す 相互依存による生起を意味する」 これは何か。 楽器と呼ばれているもの、それは独立した存在ではない。 『八千頌般若経』が言うように、 「木の胴があり、皮があり、絃があり、棹があり、駒があり、撥があり」 これらがあるから人の手がかかわることができる。 それらをつくりだしたのも人の手であり、 つくられたそれらのあいだの関係を定めたのも人の手であり、 人の手はいままたそれらにかかわって、 そのかかわりが音と呼ばれ、 音をつくりだす運動の全体が音楽と呼ばれることになる。 音楽がこうして生まれたとき、楽器は楽器となる。 この運動が止むとき、音もなく、音楽もなく、楽器もない。 この運動が音を音でないものから分け、 音楽を音楽でないものから分け、 楽器を楽器でないものから分ける。 それらの定義、それらの境界は、運動のつづくあいだしかつづかない。 運動が停止し、再開されるたびに、 定義はやりなおされ、境界はつくりなおされる。 この運動を空ということもできる。 それはひらかれているが、外部も内部もない。なぜか。 たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、 音でないものも運動によって定義されるゆえに、 音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、 それが外部にあるとは言えない。 境界はあっても境界線はなく、 沈黙は音と限りなく接していて、 音が次第に微かになり、消えていくとき、 音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。 逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、 ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。 運動に内部もなく、外部もなく、 それと同じように運動によって定義されるものは、 内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、 「音楽をつくることは、 音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、 作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。 流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、 運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。 微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、 それはうつくしい」 どんな音でもよいわけではない。 どんな音楽でもよいわけではない。 それ自身で固定され、他のどんな音の影も映さない音、 沈黙を排除する音は、うつくしくない。 固定され、何度でも繰り返され、 音楽でないもの、それを生活と呼ぼうか、 それと切り離され、対立する音楽、 その反対に、生活のなかに沈んでしまい、 境界をつくることのない音楽は、うつくしくない。 音楽がうつくしいと感じられるとき、 そこに、たくみな技がはたらいている。 技とは何か。この問に答えることには意味がない。 作曲法、演奏法のような一般的な方法はない。 技についての知識を集めれば、技から遠ざかる。 そうは言っても、断片的な知識は存在する。 ことばや概念は、ことばや概念でないものを指し示す。 断片を組み立てて運動をつくりだすことはできないが、 断片とは、部分に焦点が合った瞬間の残像だとすれば、 運動が継続しているあいだは、知識がつくられていく。 そのあいだに、技法を不充分なことばで語ることもできる。 技法を語ることばを分析したり、そこから概念をつくりだしながら 抽象的思考にとらわれていくかわりに、 不充分なことばを手がかりにして手探りで手をうごかしてみることができる。 手のうごきとともに知識はうしなわれていく。 手のうごきが流れるように自然になれば、 うごかす力がいらなくなり、力もうしなわれていく。 流れのなかで形はくずれ、色は褪せていく。 対立や粗い変化をつくりだそうとする意志のはたらきが止み、 耳が突然ひらいたように、手がひとりでにうごき、 それととともに音の繊細な変化が点滅しているのに気づく。 この過程を、手が音の微細な身体にめざめる、と言うこともできる。 ここに一つの技法がある。 「音の現われる前、音の消えた後を聴く。二つの音の間を感じる。 聞こえるように入り、それから音の微細な身体を意識する。 音の輪は、回りながら ピッチ、装飾、リズム、テンポ、音数、音色、手法が自然にゆらめき、浮動する。漂う音の形を繋ぎあわせる」 これは、音楽家がはじまりのない時からいつもおこなってきたことでもあり、 同時に技法としていまだ意識されたことのなかった技法でもある。 この技法は音楽をつくりあげるというよりは、 いまだ存在していなかった身体をつくりあげるためのものだ。 音の立ち上がる前、音の消えた後、二つの音のあいだの沈黙は、 もし聴くというより、特定の焦点なく感じるようにするならば、 その限りで、音の気配をはらんでいる。 音楽が終わった後も、もしその感じをもちつづけることができるなら、 生活は変わらない。生活する身体が変わる。 音楽は必要ではないもの、実体のないもの、空になるだろう。 だからといって、音楽を止める必要はない。 音楽は必要にしばられないものとして、自由になり、 実体のない一瞬の幻として、いとおしく、 空なるものとして、さらにうつくしくなる。 音を繋ぎ合わせて音の輪をつくる。 闇のなかの松明が旋回しているあいだは火の輪をつくるように、 音の輪が回るあいだは音楽が存在する。 手がうごきを連続体としてとらえ、 輪を回すのではなく、輪がひとりでに回るように感じ始めるとき、 手は、はじめの形からわずかに逸脱している。 形は型そのものではない。 型そのものは、どこにも存在しない。 形はすでに顕れている。 顕れながら、自分の跡を吹き消していく。 このようにつかわれるための音の輪をつくることは、やさしくない。 水の上に書き、風で描くようにたよりなく、とらえどころがない。 音の輪を回すことも、やさしくない。 音は意志によらず、自然に変わり、 しかもその変化に気づくのは、演奏者自身ではない。 そして、この技法を音楽を離れて日常のなかにもちつづけるのは、 ほとんど一生を費やしてもできないほどむつかしい。 知性によれば、一瞬にして到達することもできる。 技法はそうはいかないゆえに、技法でありうる。
慈善病院の白い病室でわたしが 夜明けにめざめたとき つぐみをきいて、やっと わかった。しばらく前から もはや死の恐怖はなかった。なくなるものは 何もないのだ、わたし自身が いなくなるだけだ。いまや その後のつぐみの歌も たのしいものになった。 と、ベルトルト・ブレヒトは書いた。 朝、めざめると、 鳥が鳴いている。 だが、どうしてそんなことが言えるのか。 鳥の声がするからといって、鳥というものが 窓の外のどこか、木の枝にとまって、 歌をうたい、それをわたしが寝床のなかで きいているなどと、アンデルセンの童話のなかの 皇帝のように、世界の中心にいて、 ナイチンゲールはもちろんのこと、死でさえも 自分のためにあるかのように。 朝、めざめると、 鳥が鳴いている。 そんなことはありえない。 わたしがめざめることと、鳥が鳴くことに 何の関係があろうか。 だが、そこには意識しようがしまいが 関係がうまれる。 なぜなら、鳥が鳴いたのは めざめたときだったので、 その前でもなく、寝床を離れた後でもなかった。 そうでなければ、「朝、めざめると、鳥が鳴いている」 と思うこともなく、書くこともなく、 ブレヒトの詩を思い出すこともなかった。 偶然のようなめざめと鳥の出会いから、 心が幻のようなことばを思い浮かべ、そのことばから、 記憶と連想が蜃気楼を組み上げ、 耳はもう鳥の声をきいていることを忘れてしまった。 朝、めざめると、 鳥が鳴いている。 もし、そう思わなかったとしても、 めざめたとき、鳥の声をきいたのなら、 そこに関係が成立していないとは言えない。 わたしのいる室内だけが世界で、 鳥は世界の外にいると言うこともできないし、 反対に、鳥は世界のなかにいて、 めざめた意識は世界の外に立っている、 と言うこともできない。 鳥とわたしがいるのが世界なら、 鳥とわたしがいなければ世界はなりたたない。 わたしがいなければ、鳥もなく、 鳥が鳴かなければ、わたしはいない。 鳥が鳴いている。どこで。 窓の外のどこか、木の枝にとまって。 だが、その枝は、心の創りあげた枝。 それは窓の外にはない。心に映る影にすぎない。 心に映る枝の上に、心の創りあげた鳥がとまっている。 鳥の声がきこえるのは室内。 鳥がいるのは心のなか。 鳥が鳴いている。 だれがそう思うのか。 鳥はすでに創られている。 声がきこえる。 その声をきいているのはだれだろう。 もしそれがわたしなら、わたしはどこにいるのか。 わたしとは、きこえる声から鳥を創り、 鳥から枝を創り、こうして 窓の外にあるべき世界を構築しつつあるもの。 あるいは、めざめから朝を認識し、 朝と鳥の声を関係づけ、 記憶のなかからブレヒトの詩句をさがしだすもの。 わたしがこの作業をしているあいだ、 鳥の声は置き去りにされている。 わたしというシステムには、鳥の声のはいる余地はない。 ひとつの耳の感覚からたちまち始動するシステム。 幻のような思考の上に思考を積み上げ、 髪の毛ひとすじを裂くように自己増殖する 非現実の運動がわたしだ。 朝があるのは過ぎた夜があるからだ。 めざめがあるのは、過ぎゆく眠りがあるからだ。 一日がはじまる。その一日は、 まだ実現していないことがらの計画でできている。 記憶と連合による世界の構築、 過去と未来に裏打ちされた現在の設定、 作動しつづけるシステムのどこにも、 これがわたしだ、 と言えるような対象を見定めることができない。 システムの作動によってたえず立ち上がり、 過ぎてゆく空間と時間のなかには、 システム自体を見つけることはできない。 しかし、こうして創られていく空間と時間の外には 見つけられるような何ものもなく、 見つけるという作用それ自体もありえない。 ふと眼があく。 さえずりがきこえる。 この言い方も正確ではない。 ひらいた眼は、眼を見てはいない。 だから、見える世界には眼は存在しない。 白っぽい空間のそこここに居座っているものたちがある。 それらも無条件でそこに存在しているのではなく、 一瞬ごとにその現在感は更新されている。 見ることが、その現在感をたえず創りだしている。 見ることによってテーブルを創ることはできないが、 テーブルのある世界は、見える限り現在する。 さえずりがきこえているのは、きいているからではない。 きくことによってさえずりを創ることも、 それを止めることもできないが、 さえずる世界は、それがきこえる、 あるいは、感じられる限り、ありつづける。 さえずりをきくのは、わたしではない。 わたしも耳も、きこえる世界に現れることはない。 わたしがいない、耳がない世界がさえずる、 あるいは、さえずりがさえずっているだけ、 さえずりがさえずりをきいているだけだ。 一瞬ごとに、それは過ぎてゆく。 そうでなければ、それはさえずりではない。 録音して、速度を落としてみれば、 (これはディジタル・サンプラーでかんたんにできる) さえずりの一音は、数音からなる短いメロディーとなる。 鳥の時間は、人間の時間より速い、ということよりは、 瞬間より短い時間に起こり、過ぎ去る変化は たとえ一音の音色としてであれ、きこえている、 あるいは、瞬間以下の次元ではたらく注意が、 さえずりをたえず更新している、と言える。 チベットのシンバルは、紐をゆるくもって持ち上げ、 重さをはかりながら打ち合わせる。 その振動は、はずみがついて加速しながら、 振幅が小さくなり、 ついに唸りになって余韻に溶けこむまでつづく。 最初に打ち合わせるのは、人のすることだが、 あとは楽器がそれ自体を鳴らすプロセスになる。 人はそれを注意深く見まもるだけだ。 だが、このプロセスを維持しているのは、まさに、 手を出さないで観察し、理解する注意なのだ。 それなしには、 楽器がそれ自体を鳴らすということは起こらない。 注意が逸れると、響はくずれ、停まってしまう。 手をうごかしても、響はくずれ、停まってしまう。 世界を維持し、更新し、しかもそれにとらわれず、 離れて、自由にしていられるのは、 逸れることのない注意のはたらきのためだ。
雨の朝きみは武満徹を思い出している。 かれが亡くなって一月たった。 きみはかれのピアニストだった。 作曲の助手だったこともある。そこできみは 細かく書き込まれたスケッチから 映画のためのオーケストラ・スコアを作り、 楽器について、映画と音楽の関係についてまなんだ。 ながいあいだのように思っていたが、それは ただ 3 年ほどの、しかし密度のある時間だった。 それからかれの友人となり、つぎに批判者となった。 そのことでかれはきずついた。 だが、きみとちがって、かれは きみのことを悪くいうことはなかった。 きみは別な道を行った。 しばらく会うこともなかった。 何年もたって、ある町でかれの楽譜が売られていた。 崇拝者の列が、かれのサインを待っていた。 きみは、昔きみのために書かれた曲の楽譜を買って 列に加わった。 冗談のつもりだったが、あれは冗談だったのか。 そしてまた友人となり、十年がすぎた。 しばらくかれの姿を見なかった。 病気といううわさだった。 ひとに会わないようにしているのだと思って たずねることもしなかったが、 きみは何にこだわっていたのか。 そのあいだに季節はめぐり、きみは 友人を二度うしなうことになった。 記憶はもろいものだ。 かれとはじめて話したのは嵐の夜だった。 台風で電車が止まり、古い旅館に泊まった。 やかましい雨の音のなかで、何を話したのか。 かれの娘が生まれた夜も、きみはかれの家に泊まっていた。 知らせを待ちながら、何を話したのか。 ことばは浮かんでこない。 ありありと感じられるのは、かれの声の響だけだ。 かれを思い出すとき、かれの音楽は響いてこない。 かれは作曲家だった。 それだけではない。かれは作曲家であろうとしていた。 かれはたしかに音楽を愛していた。 そのために生きていたと言えるほどだった。 若い時あこがれた音楽、 かれのグループがコンサートでとりあげたシェーンベルクや メシアン、ラジオから流れてきたあの頃のアメリカの唄、 それらがかれの内部で響きやめたことがあっただろうか。 そのひたむきな愛は、かれをどこに連れていったのか。 心の内側で響きかわす鐘の響、はるかな歌。 それはだれの音楽だろう。 それがかれの音楽となって現われた時から、 かれはその音楽の内側にとじこもらなかっただろうか。 音楽を家とするのはしあわせか。 音楽はかれをひろい世界に連れ出した。 かれはたくさんの音楽家たちを友人にもった。 指揮者、ソリスト、オーケストラ、音楽出版社。 オーケストラをめぐる世界の音楽市場。 そこでは、音楽は交換される手形のようなもの、 かれの署名、かれの身分証明書ではなくて何だろう。 オーケストラは世俗権力とむすびついている。 東アジアでは二千五百年も前から宮廷の音楽だった。 それがヨーロッパに現われたのは、そんな昔のことではない。 いま国家があるからオーケストラがある。 国家が壊れれば、オーケストラも壊れる。 国境がなくなれば、オーケストラもいらない。 オーケストラ音楽を作曲するひとは、音楽を じぶんのものにするだけではたりない。 国家に属さず、国家を背負わないで作品がうけいれられると 思うなら、やってみるがよい。 音は生まれ、音は消え去る。同じ音は二度と生まれない。 一つの音があり、別な音がある、それだけだ。 一つの音が次の音に導くこともない。 一つの音は生まれたその場所で消える。 次の音は次の場所で生まれ、そこで消える。 それらを連続したものと感じているのは、 創造の衝動、心の軌跡、 一つの音を創り、それを完結することなく放棄して、 次の音に向かう欲望のメカニズムではないだろうか。 だが、現実には一つの音さえ創ることはできない。 手があり、楽器があり、意図があり、うごきがある。 それらの組み合わせが瞬間ごとに明滅する。 そこにはだれの姿も見えない。 一つの運動がそれ自体をうごかしていく。 音楽の創造とは夢にすぎない。幻覚にすぎない。 音楽を創るのは、穴のあいた器で水を汲むようなものだ。 こぼれる砂にかたちをあたえ、自分のものにしようとしても、 にぎりしめる手にのこるのは、空白の時間でなくて何だろう。 つかまえることのできない音を追って、一つの作品を創り、 最後のページを書き終えても、音楽は完成されることはない。 創られた音楽はかれのものにはならない。 音楽はかれのなかにあるとも言えず、 音楽のなかにかれがいるとも言えない。 かれは音楽ではない。音楽はかれではない。 音楽がどこに存在するか言うことはできるだろうか。 そして、かれはどこにいるのか。 ほかの人びとにとっては、かれの音楽はかれのものであり、 かれの作品のなかにはかれがいる。 かれのなかには、まだ書かれていない音楽がある。 かれ自身もほとんどそれを信じている。 信じていなければ、作曲家の生活はない。 だが、創造の衝動はだまされない。 ほかの人びとがこの響にかれの名をきくのなら、 かれはそこに何をきけばよいのだろう。 内部に響く歌にかれの名をあたえようとしても、 作品によってそれに近づくことはできない。 たくみに張り巡らした網は、音楽をとらえない。 かれのものとしてのこるのは、創造という行為だけだ。 創造行為とは、音楽によって音楽から遠ざかることではない と、どうして言えないだろうか。 みたされない思いが次の作品を創らせる。 じぶんの紡ぐ糸に包み込まれるクモのような このとらわれを、ほかの人びとは成熟と呼ぶ。 かれ自身もほとんどそれを信じるだろう。 これが音楽への愛だ。これが作曲家の生活だ。 生活はやがて壊れていく。顔も声もうしなわれる。 思い出も消え、名も消える。 作品も永遠ではありえない。 だが、だれもいなくなり、なにもなくなっても、 創造の夢だけは、種子のように漂いながら、 それ自身を夢見つづけるだろう。 この夢がやすらぎを知ることはない。
音楽が創られるのは何のためか。 人びとがあつまるとき、 行事であれ、儀式であれ、 ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、 音楽がそこにあれば、楽しい。 それがなくても、人びとはあつまるが、 音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、 ふかいやすらぎで飾る。 コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。 争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、 そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、 それらすべてが音楽ではなかったろうか。 いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、 踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、 音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。 それでも、コンサートは否定されるべきものだ、 と言うことはない。 コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。 それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、 コンサートは音楽の場でありつづける。 別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。 人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、 音楽の場は変わらないだろう。 電子的仮想現実が、現実に替わることもないだろう。 感覚の対象すべてを電子的につくりだしても、 もう一つの身体をつくりだすことができなければ、 それは仮想にとどまるだろう。 身体はもう一つの身体をもとめる。 身体のないところに心はない。 イメージによって感覚をつくりあげるのは、 昔から心を集中させる一つの手段だった。 それが自発的な努力からではなく、 電子的手段によって強制されるなら、 神経症と疲労しか残らないだろう。 音楽をきく身体は、音を通して、 音楽をつくる身体をきいている。 楽器を操る手、うたう喉の緊張を感じる。 だから音楽はだれのものでもない。 手があり、声があり、それらをうごかす意志があり、 響の生成、持続、消滅を感じる意識がある。 そこに起こる身体と身体、心と心の共振が、 音楽の時間であり、ともにあることの悦びでみたされた 人間の空間をひらく。 音楽のあるところに苦しみはない。 だが、作曲という作業は、演奏から切離されてきた。 自立した音のイメージを操作することには、苦しみがある。 身体から遮断された音は、心の解放からは程遠い。 実体化された音、オブジェでありサンプルである音。 構造だけが空転し、増殖する。 楽器を操る手を音符を書く手に置き換えて、 書く速度で音をつくっていくこともできる。 昔ネーデルランドの作曲家がミサを書いたときのように、 一つの声を最初から最後まで書き、 はじめに戻って次の声部を書く。 結果としての、生成するポリフォニー。 出発点としての定旋律。 反対に、まず演奏し、記憶から書き取ることもできる。 鍵盤楽器の作曲家が変奏曲を書いたときのように、 よく知られた旋律から出発し、 装飾を加え、置き換え、組み替える。 雅楽の古譜も、師の演奏を弟子が書き留めたものだった。 これら二つの方法は、 演奏の場から離れてしまえば意味がない。 楽譜として自立した瞬間から モデルは設計図になり、 イメージだけで実体のない音が増殖する。 そのうえ、音楽は演奏の場だけがすべてではない。 楽器をととのえ、やるべきことを試してみる。 それからあつまって練習する。 これが音楽家の生活だ。 継続する学習過程、楽器や音に対する注意深さ、 途切れない意識の持続のなかで、 演奏そのものは、プロセスの最終段階にすぎない。 表面に顕れている一部分にすぎない。 もしやるべき音楽がすでにあるなら、 作曲する必要はない。 すでにあるものが充分でないなら、 作曲は、調整して間に合わせるための技術として登場する。 それは、無からの創造ではない。 引用、本歌取り、音色旋律型などの出発点は、 楽器やジャンルの伝統との接合のため、 演奏者とのコミュニケーションのために有効な手段だ。 構成、音組織、リズム構造も手がかりにすぎない。 それらはなくても、楽器と手さえあれば、 音楽は成立する。 顕れ、消える響そのものでさえ、仮の足場にすぎない。 響を空間のどこかに存在しているものと幻想し、 現象の相にとらわれるよりは、 そこから遡って、それらの音を創り出すために そこにある、あるいはそこにない因子の組み合わせを、 演奏者である他人の手の運動として理解する、 これが作曲家のしごとでないと、言えるだろうか。 そして、他人の手を理解するためには、 まず自分の手を理解しなければならない。 自分の手を、そして、手のうごきをつくりだすための 身体内部の統合を内側から観るとき、 人間はすでに存在しない。 作曲家が演奏者を押しのけて自己主張するのは、 こうしてみると、よけいなことだ。 どんな自己表現も、ここでは成立しない。 微細な意志と、身体感覚と、意識の、 生成また消滅する、途絶えることのない変転があるばかりだ。 作曲は、最初の練習のためのモデルを提供する。 その作業は、最初の練習に備えてのイメージ練習だ。 基本的なうごきの型、 演奏家相互の関係、変奏し、装飾し、対話し、交換する、 それらの関係と、意識の錨となる「数」が書かれ、 しかも、すべてを書き込むのではなく、 演奏者のかかわる部分、 音が現実となる場ではじめて顕れる条件を空白に残しておく。 このモデルは、練習をはじめるときに必要な 統合、心の集中のためにある。 練習が進むにつれて、 意識はひろがり、空間や時間の細部が見えてくる。 はじめのモデルは、しだいに忘れられていく。 作品とは、無名の作者による未完の行為ではないと、 だれが言えるだろうか。
コンピュータをふたたびつかいだして、ほぼ十年。 キーボードをつみかさね、エフェクタを通して、 少年たちがやるように音楽をつくるところからはじまり、 キーボードをまず一つにし、それからつかうのをやめ、 エフェクタを捨て、シンセサイザを捨て、 サンプラとコンピュータだけのセットにたどりついた。 最近は、そのサンプリングにも限界を感じ、 コンピュータのつくりだす構造や ランダム性の単調さにもあきて、 楽器のつくる音楽の周辺へと追いやって、 ほとんど環境音のようにしかつかわなくなっていた。 ある日、サンプラのディスクドライブがこわれ、 それに気づかずに、あるだけのディスクを試して、 サンプル・コレクションすべてが消えてしまった。 それは一つのきっかけだった。 何年も、思うようにならない機械の都合にあわせて 仕事時間をとられ、 要するに機械をつかうどころか、 機械につかわれてきた。 仕事を終えた数日間は、 やっと終わったという気分を 結果への満足ととりちがえていた。 しばらくたってみると、 音や構成の欠陥が耳についてくる。 そこで、演奏するたびにつくりなおすことになる。 それでも、これでいい、というところまでは、 ほとんどたどりつけなかった。 これでは、仕事はストレスでしかない。 じっさい、この頃は仕事をするたびに病気になっていた。 「狐」という儀礼的作品を北九州でやったときのこと。 コンピュータ・パートは、そういうわけで失われたので、 竹筒と法螺貝を手の空いている演奏家たちにわたして、 客席のあちこちで鳴らしてもらった。 闇のなかで、もちろん楽譜もなく、 かんたんな約束と合図でできる合奏は、 複雑なプログラミングと音像移動による 元のコンピュータ・パートよりも、 意外性をもつリズムと、 相互作用のひろがりをつくりだすことができた。 フィリピンの作曲家にして音楽学者ホセ・マセダが 何年も前に言っていたことがある。 正確な言い回しではないが、このようなことだ。 「一人の名人を百人が聞く。 百人は聞いて、立ち去る。それが限界だ。 一人が百の太鼓をあやつることもできる。 百人が一つずつ太鼓をもつこともできる」 また、 「バッハもモーツァルトも、支配者のために書いた。 音楽で支配関係を表現した。 みんながわずかなものをわけあって生きることを あらわす音楽はなかった」 その何年かあとに、 「水牛楽団」という移動するグループをはじめたとき、 参加する音楽の原理を考えた。 それは、和声なし、なぜなら、 メロディと伴奏の区別こそ、開発の思想だから。 そのかわりに、同時変奏と組み合わせ。 同時変奏は、原旋律をめぐって各人が 各人のやりかたで演奏することで、 ヨーロッパ人は、ヘテロフォニーという蔑称で呼んだ。 組み合わせはその反対に、 各個人のもつ断片の組み合わせが、 旋律としてきこえることで、 ヨーロッパではホケットというが、 ホケット (散奏) の場合は、全体がまずあり、 それを個人に切り分けるという考えだから、 方向は逆になる。 「水牛楽団」は、演奏者の関係から出発した。 個人の技術は、それほど考えなかった。 竹竿の上で曲芸をやる娘と、竿をささえる父親の話がある。 父親は、相手の安全に気をつければ、芸はうまくいくと言い、 娘は、じぶんの身に注意すれば、相手を助けられると言った。 泳げないものが、おぼれたものを助けようと 川に飛び込んでもだめだ。 ところで、技術とはなんだろう。 必要でもないものを買いあさるように躾けられ、 他人を押しのけたものに賞が贈られ、 自己主張が現実認識とまちがわれる社会では、 多く、速く、大きいことが技術の目標になる。 欲望と、不安と、暴力が技術をつくりだす。 それは、見えている以上の細部をもたない粗雑な技術、 部分だけを切り離してつかう技術、 外側から量だけで測られる技術、 体験しないものでも、ことばだけで語ることができる技術だ。 楽器と手が出会うとき、伝統的な技術がはたらきだす。 それがどんなものか知るためには、 手のうごきをちいさく、ゆっくりにしてみればよい。 すると、連続した一つのうごきに見えたものは、 たくさんの細部の組み合わせからできていて、 さらに速度を落とせば、 その細部もまたこまかい要素の複合であることがわかる。 それは、フラクタルのように単純な自己相似形ではない。 細部にかかわる要素は、その全体より大きく、多様だ。 なぜなら、うごいているのは手だけではない。 全身のうごきの統合が手にあらわれているのだ。 究極の、それ以上分解できない要素はない。 分解すればするほど、統合された全体が拡散していく。 このとき、うごきは身体の内側から感じられている。 身体の内側から認識される空間や時間は、 運動と無関係に外部にある空間や時間とはおなじではない。 こうした練習なしには、手のうごきや、 結果としてあらわれる音についての知識は得られない。 それは、ことばで語れない神秘ではない。 それを語ることばは、 体験なしに語られたのとおなじことばでも、 おなじことを意味してはいない。 身体の根拠を欠いた思想は、無知そのものだ。 感覚や論理でとらえた世界は、部分像以上のものではない。 こうして手をうごかしながら一つの音を知ること、 それは部分的な知識ではない。 身体の内側から世界を観ているときは、 そこに見えているのが、世界のすべてでなくてなんだろう。 そこには内も外もなく、観ているものさえもいない。 だが、そこから眼をそらさずに観つづけることは、 生活のなかでは、ほとんどできない。
余韻が長く、唸りを含む楽器、 たとえば、磬子、金剛鈴、 インドの鈴や小シンバルなどを響かせて、 余韻が消えていくのをきく。 音の渦は、空中の見えない孔に吸い込まれて、 その辺りの空気をいくらかかき乱し、 音と音でないものが交錯し、 いつか音はそこからなくなっている。 音がなくなったことに気づいても、 しばらくは、めざめた耳の意識がたゆたっている。 このように、現象のはじまりよりは、 消えていく瞬間に意識をあつめ、 よびさまされた意識のほうに注意を向けて、 それを持続させようとする。 見えにくいものに眼をこらし、 ききとりにくい音に耳を澄ますとき、 心が澄んでいるのに気づく。 そこには観ているものもいないし、 対象はすでになく、 観るというはたらきも消滅している。 だが、なにかをしているとき、 たとえば楽器を演奏しているときは、 こうはいかない。 手がうごくたびに、意識がゆれうごき、 外に拡散していく。 音をつくろうとする意志が、 演奏者という主体をつくりだす。 舞踊のように何もない空間をすすむ身体なら、 自分の手の先を見ているだけで、 うごきが自然と統合されることもあるだろう。 楽器演奏の場合は、楽器にさわる手を見ることは、 手を身体から切り離して外側に出してしまう危険、 音をつくる運動を内側から感じられなくなる危険がある。 演奏者は、自分の手を見ないように訓練されることが多い。 手を見るのではなく、手を感じること。 視覚や聴覚とちがって、身体感覚は中断することがなく、 手を感じると同様に、頭や、脊椎を感じることができるし、 身体のうごきとともに、 それを見ている意識に気づくこともできて、 うごきの細部がわかってくると同時に、 意識はかえって対象にまきこまれない距離まで離れていく。 手の感触を意識する、それだけに集中する技法がある。 その前提となるのは、姿勢の安定だ。 どこにも緊張し、縮まっている箇所がないように 整えられた身体は軽くなり、 しずまり、墜ちていく。 呼吸が楽になり、それからかすかになっていく。 空中に吊上げられた、無重力でからっぽの頭の下に、 帆のように張られた脊椎が浮いている。 肋骨の蔭で、肺がゆるやかにはためく。 帆の両端に肩と肘がぶらさがり、 その先端で、手がうごいている。 力ではなく、ゆらぎが手のうごきを準備する。 手は楽器に吹きつけられ、舞い上がり、したたる。 その手を感じていると、 その蔭に息が寄り添っているのがわかる。 呼吸は途絶えることなく、心をつなぎとめる錨となって、 身体と意識の透明な波を見まもっている。 ここには変化する指の感触があり、 音は、それをつくろうとする意志から切り離され、 生まれ、色褪せ、消えていく。 指の意識、音の意識は、それぞれの変化を感じ、 感じるままに、そこにある。 生まれた音は生まれたままに、 色褪せる音は色褪せるままに、 消えていく音は消えるままに、 どうしようもなく、ただすぎていく。 だが、この状態をたもつことは、たいへんむずかしい。 この技法は、獲得するよりは捨てること、 することよりは、しないこと、 つかうことよりは、つかわないこと、 ちかづくよりは、はなれることによっている。 意識がなにもしない状態でいられるだろうか。 まず、呼吸を忘れる瞬間がある。 いったん呼吸を見失ったら、 意識はたちまち糸の切れた凧のように、 どこかへさまよい出ていく。 身体の統合が解体し、 それと同時に音楽のバランスもくずれる。 力と意志があらわれる。 力は、流れるエネルギーをせきとめ、 身体のあちこちに、また音楽にも結節をつくりだす。 音を制御し、支配しようとする意志は、 音を数珠玉のような、あるいは杖のような、 硬直した不透明な外部の実体に変える。 そして、内部にはみたされることのない衝動が生まれる。 それを創造力と言おうか、存在の不安と言おうか、 ヴィジョンと言い、イメージと呼ぶか、 この自己増殖し、拡散していく欲望と幻想は、 音楽を世俗化し、発展させ、音楽史をつくりだしてきた。 手の音楽にもどるためには、 イメージや思考から、意識を手にひきもどすことを たえず思い出さなければならない。 一瞬実現された感触は、 気がつくと、すでに失われている。 実現されたと感じること自体、よけいなことだ。 転落しつづけ、やりなおしつづけるのが、 音楽の演奏のじっさいのありさまで、 わかっていてもできない、あるいは、 わかっているために、かえってできない、 訓練と学習のプロセスが、音楽家の生活というものだ。 それにも限界がある。 近年は音楽家の友人たちが、病に倒れ、 死んでいくのを見てきた。 そのとき、仕事がなんのたすけになるだろう。 音楽は、生のプロセスを変えることはできない。 水牛楽団のころ、 音楽は社会を変える力はないと知ったときのように、 それを知っても、音楽をやめることはできなかった。 それは、やはり執着というものだろう。 だが、身体がうごかなくなり、 心もはたらかなくなるときは、かならず来る。 それも、遠くない将来に。 人間が一個の呼吸器になってしまうとき、 音楽ではなく、ただ生きることそのものが 最期の訓練と学習の場になるのだろうか。